今回のテーマがですね、勉強ということで。
勉強することっていうのを結構考えてるんですよね。
これは多分、その段階である程度伝わる何かはあると思うんだけど、
どっから始めたらいいんだろうな。
なんかね、勉強することっていう価値みたいなのが結構落ちてる気がするんですよね。
うーん、あ、そうですか。
まあこれも難しいね。
だからもうちょっと括弧とか注釈を入れる必要があって、
今すぐに役に立たないこととか、
自分の興味とかを、
ヒップホップから来た言葉で今一般的に言われてるけども、
ディグるみたいな。
自分の感性をディグっていくみたいなのとか、
自分一人でこもって学んでいくみたいな。
別にそれは世間の潮流にも合ってなければ、
すぐには役に立たないようなことでも、
自分の興味とか関心とか意識で、
こういうことをやってみようかなみたいな感じで勉強するみたいなことが、
あんまりなくなってんのかなーみたいな感覚があるんだよね。
なるほど。
でも個人的にそれがちょっと、
一周回って支持されてきた感覚もなんとなくあるんですよね。
あー、確かに確かに。
本当に一番そこねだったのが、
10年代後半というか、
いわゆるそういうハックみたいな言葉が流行りだす時期とか、
インターネットを使った速さとか同時性によって、
これで全部いけるって思われてた時期ってあると思っていて。
なるほど。
そこが僕はそこねだったとすると、
やっぱりコロナ以降プラスアルファどうしたらいいんだろうとか、
あとやっぱりAIとかの登場によって、
じゃあ人間は何で価値を出すんですか?みたいな話になった時に、
ようやくそういう勉強をすることとか、
長期目線で積み重ねることって大事だよねみたいなのが、
若干上向き始めてる自分の感覚とはするんですけどね。
確かに。そう言ってくれるところもすげーわかるし、
同様に、どこに視点を当てるかにしかすぎないわけだけども、
だからAIとか登場してもっと10年代より加速してるよねみたいな。
いやもう大体できちゃうから別にこれでいいよねっていう人の方が多いっていうこともあるかもしれないみたいな。
そこにちゃんと気づいて、いやだからこそここができるよねっていうのが盛り上がってきてるっていうのもよくわかるんだけど。
そうですね。揺らいでるとこありますね。
なんか世間としては、いやなくなっていくし、
別に意味ないよねっていう感覚を持ってる人もいれば、
じゃあこうやっていこうっていう人もいるっていうところなのかな。
確かに10年代後半とか自分たちが20代前半から半ばだったっていうところもあると思うんだけどね。
不安で、いや俺どうやっても意味ないってことをしてもなぁみたいな感覚が、
社会とか本屋に行ってもテレビからもするみたいな。
ところよりはちょっと違うのかなっていうのは、
同時に自分たちが30代になったから余裕が出てきてるかなみたいな見方もできるかもしれないし。
その辺の現状はいろいろあると思うんですが。
なんかね、思うのは、この勉強することっていうのは、
僕のパッとした頭の中ではやっぱそのオタク・イズ・デッド的なところもあってさ。
なんか久々聞きましたね、そういう言葉。
オタク・イズ・デッドよ。
テズカ・イズ・デッドっていう本がね、出てるんですけど、僕らが高校生とかの時に。
オタクは死んでるみたいな本出してる方とかそういう論とかもあったんだけど、
それこそあずまひろきとか動物科みたいな言葉もあったし。
僕らっていうのは言ったら本当にポップカルチャー、サブカルチャーみたいな、
みんなが見るものとかエンタメの中にアニメーションっていうものがどんどんどんどん高まってくる。
それが一般化していくっていうのの盛り上がりを見てきた世代とも言えると思うんだよね。
そうですね。
それが急速に伸びていくみたいな。
アニメは卒業するものっていう感覚がもうないじゃないですか。
今はもう。
ないないない。
でも昔確かに中学生とかに、そういうのは卒業しなきゃねみたいな謎の圧力みたいなのあったと思うんですけど。
あったと思うし。
萌えっていう言葉がある種キャッチーすぎたし。
まあ電車男だったりとか。
なんかそういう弥生の大将みたいな。
オタクって言葉が一般化したよみたいな。
そういうのをめっちゃ10代の若いうちにくらってて、
うわそれちょっと恥ずかしいかもみたいな。恥ずかしいから見れないかもみたいな思いながら、
あるべきオタク像みたいなもんも触れようと思ったら触れられたりとか。
なんかそういう世代ではあるんだけど。
で、僕たちの一緒にアニメを見てた同世代とかは、今の10代とかと変わらないようなオタクみたいなものにしっかり乗ってったみたいな。
ちゃんと萌えるとか、アニメが好きですみたいな感じで走ってったやつの方が多いと思うんだよね。
それはニコニコ動画とかそういうインターネットの文化とかと一緒とともに。
多いですね。
めちゃめちゃ多いですね。もうそっちがほぼマジョリティじゃないですか。
そっちがマジョリティで、
で、ホンダ君と出会って話したりしてると思うのは、本当に戦後のオタクたちみたいな。
庵野秀明世代ぐらい的なところで切り替わるとよく言われているが、
その辺の、言ったらめっちゃ作品の意味を読み込んだり、
作品についてしっかり学んでいく、それこそ勉強するオタクであるみたいな人に、
あ、なんか同世代で久々に出会ったなみたいな。
そろそろ同い年子だったらほとんど出会ったことないなみたいな感覚がすごいあるっていう。
亡霊ですね、もうまさに。
そうそう。
あの時代の亡霊だなと思って。
同世代で確かにほとんどいないかなとは思いますね。
いないと思う。
背伸びしてね、勉強から入るとか、ゼロってわけでは全然ないと思うんだけど、
それこそそういう亡霊的な、しっかりしたオタクの人って、
なかなか出会えなくなっちゃったなっていう感覚があって、
なんかその辺話してみたいなというのが、今回のまずの思いつきみたいなところだったね。
そうですね、だから結構ちっちゃい時からずっとそういう世界で育っているんで、
前回の話とも関わってきますけど、
やっぱりネットの登場によって結構バランスブレイクがやっぱり起こるわけじゃないですか。
情報のアクセスとかそういうのが。
で、それをもちろんうまく活用してっていうところも必要なんでしょうけど、
なかなかたぶん本当にジェネレーション的には実際の、
イニシエのオタク世代の人たちとかは、
うまく付き合ってる人もいればやっぱり乗れずにっていう人もたくさんいたはずで、
なんか自分もどちらかというとあまり乗れずに、
ネット的なものとの闘争をすごい感じてた、
20年ぐらいだったかなというのが今ざっくり思うところですね。
そうね。だから本田君はインターネットの導入がちょっと遅かったよね。
そうそう。20歳過ぎてからというか。
だからそれはだいぶ…。
だから俺とかって12歳ぐらいからパソコン触ってるからちょっと違うよね、その辺はね。
そう、だから最近いろいろポッドキャストとかも聞いてて、
ゼロ年代の話とかも聞いてると、
同世代がほぼ中学生ぐらいでネットに触っててやっぱりちょっと驚愕したんですよ。
確かに。いやまあでもそうだよな。
差が全然あるのは当たり前ではあるんだよね。
そういうやつの方がよく喋るやつになってるっていうだけで。
そうですね、確かに確かに。
それこそ、光がまだうちの地方には来てないとかね。
ADSLがうちの地方には来てないみたいなことが全然あったことっていうのも逃してはいけない。
地方ではそういうことは全然ありましたよってことは言っておかなければならないことではあるんだが。
具体的にホンダ君のオタク道というか、やっぱり富野さんっていうのが大きいですか?
富野さんがたぶん一番大きいですね。
あれよね、ファーストガンダムから見てみたいな、そういうオタク教育を受けてみたいな話だったもんね。
そうですね。
いとこに家に遊びに行った時にガンプラとか置いてあったんですよ。
で、「うわ、このガンプラかっこいい!」みたいな。
それはたぶんガンダム試作2号機という格バズーカを撃てるすごいイカツイタイプのガンダムだったんですけど、
それが欲しくて欲しくて、これが欲しいってそのいとこにお願いしたんですよ。
たぶん小学校1年生か2年生くらい。
そしたら、ガンダムを見てない奴に渡すわけにはいかないみたいな。
いや、いいね。
確かにもう、出てる作品がいっぱいあるからね。
でも確かに、今思い浮かしたらターンAにはアクセスしてるどうせちょくちょくいたな。
あ、いましたね。
だからターンAとかが唯一、俺らにリアルタイムちょい遅れぐらいで届く、あれのガンダム、富野みたいな感じがあったかもしれない。
いや、10代でターンA見たって何もわかんないっすよ。それこそ勉強の話じゃないけど。
ガンダム自体も変なデザインだし。
そうそう、面白くないし、主人公は戦うのか戦わねえのかはっきりしろよってめちゃめちゃ思うんですけど。
めっちゃあるしね。
その葛藤が大事なのがターンAなわけなんですよね。
っていうそのテーマとかに、やっぱり10代、前半は気づけないと思いますね。
いや、あれはちょっとなあ。仕方ないからみんな我慢して見てたね。
なんか面白いかもって思ってたみたいなところは多分すごくあるんだよね。
アニマックスとかね、昔そういうチャンネルあったじゃないですか。
アニマックス。はいはいはい、一生かけてるね、そういうチャンネル。
一生アニメが昔のものも再放送されてるやつとかで、多分ターンAとかも2,3年遅れとかで再放送されてましたよね。
そうそう、金持ちの息子の家とか行くと大体契約してて見れたりするんだな。
そうそう、ケーブル契約してるところはアニマックスがあって、
でもそこで本当に無限に多分、宇宙戦艦ヤマトとか、機動戦士ガンダムとか、古いやつも多分ね、変な時間帯にというか。
あってた気する。だからそういうのを録画したVHSのテープだったりとか、そういうので見てたのかな。
あとTSUTAYAのレンタルっていうのもあったとは思うけどね。
TSUTAYAもギリVHSからDVDの流れかな?
うん。
そう、ありましたね。
確かに。
それでも見ました。そのTSUTAYAみたいな話も大事で、棚で面出しされてるとはいえ選び取るのって自分じゃないですか。
うん、そうだね。
その勉強していない自分、その前後関係がわからない人間に、どれだけそこのTSUTAYAの棚のアニメコーナーで選び取れるその選挙感があるのかみたいな。
はいはいはい、それはあるわ。
これも結構大事だなと思いますね。それこそやっぱり、
わかるわかる。
なんかドラゴンボールの劇場版とかが多分無限に面出しされていて、
そこでパッとガンダムとか、ガンダムならまだコーナー化されてるかもしれないですけど、
じゃあ全然わからないトミノのブレンパワードなんて、
たぶんもうその、
はいはい。
端っこにしか置かれてないので、たぶん取りようがないというか。
ないよね。
うん。
まあでも、絵が猪瀬実先生だから、なんかテイルズオブシリーズとかの絵の感じだなとか、
いろんな配慮は僕は聞いたことあるんだけど、
でもそういうなんか引っかかりがないと、あるなーみたいな。
そうそう、あ、アンテナがね。
でも確かに、僕もその音楽が先だから音楽聴いてっていうのに、
それこそTSUTAYANOとか、あとは行く本屋さんとか、
大学生、高校生から大学生になってのフル本屋さんとかブックオフも含めてって、
その自分がチェックできる棚が増えるってことが嬉しかったのよ、勉強して。
ここ興味なかったはずが、
あ、ここ興味あるから、あーこういう本があるんだとか、
あーこういうビデオがあるんだ、こういう映画のジャンルがあるんだ、こういう音楽のジャンルがあるんだっていう、
ここの列しか、俺にとって語りかけてくれる列がなかったのが、
どんどん店の面積の中で列が増えていくってことが、
なんか自分が広がってる感じがして嬉しかったんだよな。
これって多分TSUTAYAとか世代じゃないとない感覚なんだよね。
いやー、そうですね。
いろんなパターンで、それこそ音楽とかだとTSUTAYAとか、
映画とかアニメとかもTSUTAYAだと思うし、
例えば本だったらその図書館とか、
あとはフル本屋さんとか、街の本屋さんでもいいんですけど、
そういう膨大なアーカイブ、しかもそれがネット上ではなくて、
圧倒的に面出しされている空間というか、
それに相対してそこに挑んでいきたいみたいな気持ちが、
勉強みたいなものとひも付いている気がしていて。
そういう時に勉強しててよかったんだなとやっと思えるというか、
なので今のライフハックみたいなものとか、
スキルを取得するみたいなこととはやっぱりちょっと違うので、
そこをどう説明すべきかとか、
アピールしていけばいいかっていうのはちょっとわからないんですよね。
わかる。
大人たちが僕らも教育、学校教育的な現場とかで言われてたような、
いつかそういう役に立つ時が来るとか、
今はわかんないけどみたいなこと、
マジでピンとこなかったし、
それ言われすぎて、そんなこと言ってもなーみたいな感じ思ってたから、
でもやっぱ同じ言葉を今俺たちは浮かんでいるところがあって。
そうですね。
あのときの先生と同じこと言ったってしょうがないですけどね。
うーん、とか思うなー。
もうそうね、僕の場合は同じように、
まあいろんなもんももちろんあったし、
まあ本田くんも富野と大石本二つの盾で戦ってたわけでは多分ないと思うし。
いや、別に嘘です。
いろいろ他もあるだろうけどね。
まあその諸事漫画とかもね、姉の影響とかで読んでたとか、
他のもんもいろいろ読んでたと思うから、
いろんな影響があって、それがなんかどっかで繋がったみたいなのとか、
あったりはすると思うんですけども。
漫画ですね。
あと漫画はいろいろ読んでたって感じだったんだろうね。
そうですね。あれです、僕もシャークさんと同じく、
あだちみつるは全作品。
あだちみつる。
読んでますね。
コナンも今も好きで、みたいな話だから、
サンデー派っていうところがもしかしたら共通であるかもしれないね。
ちょっとしたサンデー派かもしれないですね。
僕、結城まさにも、やっぱり究極超人あ〜るから、
Rね、はいはいはい。
パトレイバー、そしてジャジャー馬グルーミングアップ、
この辺を楽しく読んでいたので。
確かに確かに。僕もその辺から、
僕の中にはすごい押井守という存在がめちゃめちゃでかいんだけど。
押井はね、やっぱちょっとお酒としてはやっぱり
商工種並みのアルコール度数があるので。
そうそう。
あだちみつるたかしのみ子とかは大体読んでたから、
それのさ、緩末とかにさ、
他のサンデー作品とかが載ってたりする。
それで、Rが結構よく映ってて、
なんか絵柄気になるから、
それで、なんか借りて読んで、
誰か、姉ちゃんのとこ借りてきたのかな。
なんかそんなんで読んで、面白いなとかで、
原作のパトレイバー、
で、パトレイバーのアニメ借りに行って、
劇場版とかって感じかな。
で、そこで押井守に出会う。
すごい。
そんな出会いを同世代でしてる人は本当に数少ないと思うんですけどね。
で、その劇場版のパトレイバー見て、
話が違いすぎるってなって。
テンションが違いすぎる。
そうですよ。
なんじゃこれってなって。
でもなんかそれこそ、エヴァとか同時期くらいに読んだから、
なんかその、映画とかになるとかっこよくなるんだみたいな。
なんかそれで監督の名前とか、
ガンダムは富野さんっていう人が作ってるみたいな。
で、パトレイバーはこれを押井守っていう人が作ってて、
で、周りにガンダム好きな子はさ、
スーパーロボット大戦とかGジェネレーションとかあったりとか。
ゲーム通して。
ある程度いるけど、
その押井さんが好きって子はいなかったから、
じゃあ俺こっち行こうかなみたいな感覚があったかな。
押井好き。
あったことないですね。
パトレイバー見てる高校生とか、
確か僕は当時、僕だけのものだと思ってパトレイバー読んでた。
パトレイバーね。
原作も面白いし。
でもね、原作はね、そんな読んでなかったと思うんだよな。
1巻から5巻くらいちょろっと読んで、
読んだことを忘れてたくらいの感じ。
ぜひ読んでほしいというか、
押井あるあるなんですけど、
高橋るぼくさんしかりですね。
パトレイバー自体もやっぱ当時では珍しい、
原作というかチームで作っていて、
で、その漫画版を担当してるのがゆうきまさみさんだったんですよね。
で、その漫画版の原作版みたいなものはどちらかと言うと、
結城さんの作家性がよく出ていて、
戦う公務員みたいなものが結構主眼を置いてるんですよね。
そうなんだよね。
職業陣としてどうかみたいなのは、
結構究極超人あ〜るの時の、
満犬のサークルのノリみたいなところから繋がってるところがあって、
それがいいという人もいるし、
やはり推し節ということに、
やっぱりもっと盛れていく。
で、押井の劇場版で言えばやはり戦争っていうものを、
どれだけ今の90年代の、
全て戦争から遠ざかってしまった現代人が、
何をどう思ってリアリティを戦争に描いていくのかっていうのをテーマにしてるみたいな、
もうパトレイバーではないんですよ、それって。
いや、それって本当にずっと日常を繰り返してる、
ルーセイ奴らでビューティフルドリーマーをやるのと同じことをやる。
同じことをやって、
で、本当に押井さんはやっぱりもう、
本当に昇降し並みのアルコール度数で僕らを殴ってくるので、
そうそう、これやるんだっつってね。
それがやっぱりパトレイバーとかまでは、
すごい成立してるんですけど、
イノセンスとか、
攻殻機動隊から始まる、
押井さんの思うままみたいになっていくと、
途端に見ても分からない分からないってやってくるんですよ。
確かに確かに。
世界観がきっちりしてたのが、
だんだんSA不動が上がって、
攻殻機動隊になると、
攻殻機動隊時代って言ってることがあんまみんな理解できてないまま、
ここの元々の実音的な葛藤だけやります、
みたいな感じでストリート・イン・ザ・セールを作るから、
意味分かんないんだよね。
でも、その意味分からんさが、やっぱ良かった。
意味分かんねーな、なんかかっこいいなっていうだけがすごい僕は好きだった。
意味分かんなさに出会った時に、
具体的にはどうしていくのがいいんでしょうね。
さっき言ったみたいに難しいじゃないですか。
簡単にすぐ分かるようにはならないし、
かといって世の中には考察的な、
こうなのであるみたいな解説が、
分かったような気にさせるだけの解説が、
しまたに今多くある。
実際に押井の攻殻機動隊みたいなものにぶち当たって、
分かんねーってなった時に、
今何をしていったらいいのかなっていうのはどうなんですかね。
確かにね。
だから当時僕はさ、
押井さん自体のアーカイブにアクセスするわけ。
押井さんの過去作とか、
押井さんの発言っていうことを、
じゃあ追っていくしかないんかなっていうことしかなかったんだよね。
それこそエヴァとかは謎本みたいなものが出てて、
それこそブックオフとかで100円で買おうと思ったら買えたし、
ただそこがすげえ時間もかかるし、金もかかるし、めんどくさいしっていうのだし、
体力あるやつじゃないとダメだし、男性性的なマッチョ性ともう引っ付いてくるから、
うーんと思いつつもって感じかな。
まあ、でも一つは、その、
勉強をやっていると、それって何の役に立つの?みたいなことを聞いてくる人って結構いたりすると思うんですよね。
今特に多いしね。
そういうことじゃないんだよ、好きでやってるんでって言えるマインドかどうかで、
さっきシャークさんが言ってたこともすごく変わってくるというか。
確かにそう。
つまり、私は年間100冊読んでいるので、ゴールドセイントですとか、わかるんですか?シルバーセイントですみたいな、
セイントセアね、これはね。
セイントセアみたいな位置づけをしてくるものなのか、
今日の1冊が明日のランキング1個上げることにつながってるわけではないと思うことが、
やっぱり一番マッチョリズムからは離れられるというか、
確かに。
し、勉強って言われるとどうしても学校教育を受けてるからね、僕ら。
机の上でメモを取って講義を受けて、コツコツやっていく、コツコツ数をこなして、
それはやってることとしてはそうなんだけど、
勉強って別に好きなことの勉強って楽しくできるから、
楽しい勉強の仕方みたいなことを提唱していくっていうのがあるのかな。
いやー、たぶんみんな学校教育嫌いなんでしょうね。
いや、学校教育嫌いすぎる。やっぱ俺も好きじゃなかったもん。
だから学校教育的なものに少しでも近づくと、
いやもうそれはもうしんどいんで、受験まで頑張ったんでいいですっていうのがまず、
それを先に言うっていうのはもうこれはもうみんなの認識だと思うね。
そうですね。だから学校教育を楽しかったと思えるかどうかは結構この薄い例かもしれないですね。
そうそう。だから大学とかそれこそ高校の時とか好きな教科があったとかね、
別になんでもいいんだけど、
勉強が楽しかったっていう経験を持ったことのない人の方が多いんだよ、圧倒的に。
僕は学校教育的な面ではほんまにない。大学でもない。
もっと興味のある学部とか行けばいいのに、そういうの行かへんかったから。
今僕が好きなことに勉強勉強って言ってるのは、やっと自分で自習みたいな。
自分学校と大月賢治が言ったりしてますけど、自分学校を開催した時に、
自分学校だったら勉強超楽しいじゃんみたいな。
一人でビデオを見ていくとか、自分で好きな作品について考えるとかはめっちゃ楽しいじゃんって、
たまたま割と10代後半とか20代初めのうちに思えたから、勉強面白いじゃんって言えるけど、
でも学校教育の中では一切出会えなかったから、その気持ちもめっちゃわかるみたいな感覚なんだよな。
そうですね。難しいな。僕も両方わかるというか。
いわゆるの学校教育や受験みたいなものは本当に乗れなかったというか、無理だなと思ったんですけど、
一方で延々と無駄話をする先生の話とか。
そういうのは俺も好きだったわ。確かに。
そうですよね。物理の先生で、タイムマシンって実現できると思いますか?みたいなことを、
結構3、4時間ぐらい分かけてやらなきゃいけないことをスキップして語った先生とかいて、
そういう話は僕だけじゃなくて周りの全員が楽しく聞いてたし、
あとは僕は異常に世界史の資料集とか国語弁論を1から10まで読む人間だったので、
そういう勉強の外側にある勉強みたいなものはすっごい好きで、
ずっと世界史の資料集とか今でも持ってるし、
国語弁論とかもすごい光る君への時とかに読み返したりして、なるほどとか思ったんですけど、
ということが一つあるのかも。それを体験できたかどうか。
あとは面白いと思えるかどうかもあると思うんですけど、全員が全員それを面白いと思わないと思うんで。
まあ確かにそうね。
なんかそういう知的な、知らんことを知れるのがおもろいっていうのは当たり前だと思ってるけど、
そこもある程度の自分の能動性がないと、まずは乗れないから、
そこのやる気を出させるっていうのが結構難しいって話でもあるから、
そういうとこに関しては僕は、じゃあこういう面白さはあるんちゃうかとか、
人間同士のコミュニケーションしてくれたら、俺はそいつを見て、
これなら興味あるんちゃうっていうことはできるし、
ココスナでやってるのもそういうことをやりたいと思ってるから、
いろんな人に響くようにいろんな視点を取ったりするんだけど。
本当にココスナはそれを意識してるなってすごい思うから、
僕もシャーク大学じゃないですけど、シャークさんがやってる映画をとりあえず見てみるみたいな。
ありがとうございます。
それは多分ある、発生しているから、そういうことなんだと思うんですけどね。
心の砂地はどっちかというと、私塾なんで、等身とかに近い形で、
好きな科目をとっていただいてみたいな感じでエピソードを俺は配信してるつもりではあるから。
等身いいですか?
番組って言われば、サテライト放送してる私塾って感じの。
懐かしいね。
そういう感じでございますけども。
でもそこがあるんだよな。
それこそ僕らは4年生の大学にどちらも行って卒業してるから、
嫌が多にも勉強的なものに向き合って、
どう自分が楽しくやるのかみたいなことは考えたりする時間が結構あったっていうのは、
結構そこはまず特権的な立場ではあるってことはあるんだよな。
つまり4年間ぐらいの余ってる時間があるからっていう意味ですか?単純に。
あるし、高校までの学校教育と大学の教育っていうのは全然違うやんか。
能動的にやればいくらでもやれるし、やらんかったらやらんってことを選べるけども、
ただ能動的にやってるやつみたいなのは教室、ゼミみたいなのは少なくなくて、
100人とか入る教室とかでも能動的にやってるやつの背中とかも見えるし、
勉強することっていうことに自分から前向きなやつにすごく出会いやすいと思うんだよね。
高校の時にも出会えるんだけど、大学になったらより前向きな人とか、
ゼミとか小人数の授業とかになったらより思うとは思うんだけど、
学びにいい感じに向き合ってる人みたいなのを間近に見たか、
そういう世界が一切なかったかっていうのはまず全然違うから。
僕は勉強をみんなしようぜ、楽しいぜ。お前がお前なりに掘っていこうぜみたいなことを言いたいんだけど、
そこは、まあまあ、私はそういうことを経験したから言えるよねっていう立場であるってことは忘れずにはいたいなと思いつつ、
偉そうだなと思いつつ今も言ってるみたいなところはあって。
確かに単純な暇な4年間というよりは、やってるやついるぞとか、
自分もやってみたらどうなるんだろうとかっていうのを試行錯誤できる期間っていうことですよね。
そうそう。
確かにな。
もうちょっとその針を進めるならば、やっぱり働きながらね、本が読めなくなる。
まあこれ三宅カフさんの本でもあるし、やっぱ。
これわかんないんだよな。
働きながら勉強するっていうことに対してぶち当たってるやつがめちゃめちゃ多いっていうさ。
あれって言ったらタイトルで30万部ぐらい売れてるでしょ?
いやそうですね。本当にそんな人がたくさんいるってことですもんね。
そうそう。
本だくんはでもその感覚ないんやもんね。
ゼロですね。
本当に働いてる時が一番本読んでたかな?
大学の時より読んでるぐらいはあるかもしれないですね。
その辺ちょっと詳しく聞きたいとこあるな。
会社員始まり編の22、3ぐらいの本だくんのどんな感じで読んでたかみたいなのとか。
そうですね。一番僕大きいのは、
配属が地元でもない地方の配属だったってことが大きいと思うんですよ。
つまりその大都会で誘惑っていうか遊ぶあれがあるわけでもなく、
かつ地元でずっと今までの友達と土日集まるっていうのもどちらもないと。
言ったらやることないですよね。
で、やることない時に何しようかと思った時に、
田舎なので本屋すらなかったんですよその時は。
本屋すらないって、
僕なんか本屋を買わないのに回遊するのが趣味の一つなのに、
どうやって僕生きていけばいいんだろうと思って電子書籍をついに買うんですよね。
もうちょっと早いよね、その段階だとね。
ちょっと早いですかね。
でも結構友達とか持ってる人も多くて。
大学ぐらいから出だしてて、ちょっと早いやつ電子書籍しだしてんなみたいな感じだね。
給料が入るのだから電子で買えて、
こういうのをどう伝えていくかっていうところが、
立ち返って難しいかなと思いつつ、
でも線でつなげていくっていうのは、
やっぱり面白みがあるなっていうのは思いますね。
なんかそういうね、
だからそういうものを書いてる音帯みたいな、
そういう芝音帯みたいな、
どでか線を引く人が、
現代の作家の少なくなってるから、
まあ難しいんだろうな。
扱いづらいですからね、
司馬遼太郎も、
まあ大西もそうですけど。
でも確かに、
でもわかりやすいところで言ったら、
よしながふみ多くって、
まあそういうところでもあったと思ってるんだよね、僕は。
はいはいはい。
そうですね。
設定ごと変えてしまってるけど、
本当にすごい作品だと思うけど、
まあこういう見立てで、
世界ごと変えちゃったらこうじゃないですかっていうさ、
話で。
うんうん。
でもなんかあの作品素晴らしいのは、
最後はなんかちゃんとつなげてくる、
辻褄合わせてくるから。
よしながふみ多やっぱすげえなと思ったけど。
よしながふみ多もすごいですね、やっぱりね。
すげえよな。
でもあれも、
そういう変な参考文献とか使ってなくて、
山川の日本史に載ってることだけで膨らましてるって、
よしながふみ多がインタビューで言ってた。
あ、そうなんですか。
うんうん。
だからあれだけ、
そっからずらすってことは特にやんないみたいな。
ここに書いてある事実だけで、
どこまでフィクションでやるかっていう感じで書いてますって、
一回言ってて。
なるほどな。
なんか一応あれらしいですよ、
三谷幸喜も、
新選組書くとき、
そういう感じで、
中文を書いてあることから、
反らした演出とか脚本はしないって決めてたらしいですよ。
なるほど。
ずらしの天才だからね。
まあでもそうなんですよね。
オフビートの天才だからあの人は。
だから、
ベースはそこからで、
演出していくとあんな感じになるっていう面白さなのかな。
そうですね。
いやいやいや。
なるほどな。
まあそんなどっかな今日は。
ですかね、はい。
何か勉強することのヒントにはなったんかなと思ってます。
ただ、
まだまだ話していけると思うんで、
また近日やりましょう。
そうですね。
勉強についてエピソード2、3になるのか、
また何かこんなテーマで話したいのがあればみたいなのがあったら、
本田くんからあっても、
って思いますね。
何か思うことがあったら言ってください。
そうですね。
普段のガチガチに固めたポッドキャストをやっているので、
なんかこう横道にそれて語るっていうことが少ないので、
ちょっとぜひこれについて話したいっていうのがあれば、
はい、ご相談させてもらいます。
し、何か小太りさんとかとも話してって思ったけど、
今日の話を思ったけど、
結構本田くんから聞く地方である、
地方出身者であるみたいなこととかもっと聞いてみたい気がしたな。
そうですね。
確かにこの間の小太りさんの回も楽しかったですね。
ちょっとニヤニヤしながら聞いたところがあったんですけど。
そうそうそう。
僕はでもあれですね、
言っておくと20歳以降ぐらいから、
地方出身であることの方がなんかイケてるのでは?
って思い始めてますけどね。
いや、僕も基本はそうよ。
やっぱずっと東京にいた人羨ましいなって思いながらも、
でも同時にちょっとずっとここだとなんかあれだろうなって思ったことをめっちゃ思ってて、
それが年々大きくなってるから。
なんかね、そのいう話とかもあるね。
僕も本当にだから恵まれてることが多いので、
地方であっても周囲で何かこう非常に厳しい思いをしたみたいなものは少ないかなと思うので。
なるほどなるほど。
伸び伸び地方を全部吸収したというか。
しかも18ぐらいからはどんどんどんどん全然関係のない土地に何回も連れ進んでいるので。
それがいいとこだよね。
それもちょっとあるかもしれないですね。
大学また違うとこ行きで、社会人になってまた違うとこ行きで最後東京も経験し、みたいなね。
あと今はね海外在住なんで、海外話も聞かなあかんね。
もうちょっと落ち着いたら。
ドイツからお届けしてます今日。
聞き切れんかったけどドイツ。
今同い年で30半ばで急に海外行くっていうのもまた、
それは勉強の意識がないといかないよねっていう話だと思うんで。
次はその辺も聞けたらなと思っております。
はい。
はいそんなところですね。
ここまで聞いていただきまして誠にありがとうございました。
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ということで今日はホンダくんありがとうございました。
ありがとうございました。