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2025-11-29 1:04:00

『無機的な恋人たち』を読んで

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M38.濱野ちひろ『無機的な恋人たち』(25、⁠講談社⁠)を読んで、お話しています。人間と動物の性愛について書かれた前作『聖なるズー』から、今作は人間と無機物の性愛について、主に描かれています。人は「人以外」と愛し合うことはできるのか?というテーマから向き合った、自身の性的な行動への姿勢。
あるいは、「魂と肉体の関係性」。魂や意志が肉体を操縦しているという感覚を持つシャークくん。押井守『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(95)、『イノセンス』(04)の「ゴースト(魂)の所在」の問い。この本は、読み手の魂と肉体の感覚によって感想が大きく変わる可能性があるかもしれません。その感覚が大きく異なる二人が、考えながら話し続ける60分。
ぜひとも、お楽しみください。

・濱野ちひろ『無機的な恋人たち
《あの『聖なるズー』の著者が、ふたたびタブーに挑む。「人は無機物と愛し合えるか?」
2019年、人間と動物の性愛を描く『聖なるズー』で鮮烈なデビューを果たしたノンフィクションライター・濱野ちひろ。待望の書き下ろしノンフィクションとなる今作のテーマは、「人と無機物のセックス」。
人は「人以外」と愛し合うことはできるのか?
セックスロボットが普及すると人々のセックス観はどう変わるのか?
AIに恋をする人々が出てきている今だからこそ、「無機物とのセックス」を通して、近未来社会の「性と愛」を予見する。》


◆今回のエピソードに関係した過去の配信
第70回『聖なるズー』を読んで
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サマリー

浜野ちひろの『無機的な恋人たち』は、人が無機物と愛し合う可能性を探求し、セックスロボットやAIへの恋愛感情に焦点を当てています。これにより、愛と性についての近未来的な視点を示しています。『無機的な恋人たち』は、セクシュアリティや自己選択に対する新たな視点を提供しています。このエピソードでは、パートナーとしての人形や初音ミクとの結婚を通じて、自らの性的選択を意識的に捉えることの重要性が語られています。また、初音ミクやドールとの関係を通じて、人間と人工物の感情的なつながりについて探求されており、恋愛感情や自己表現の感覚がどのように形成されるのかに焦点が当てられています。ジョゼフというキャラクターを通じて、無機的な恋人としての人形と人間関係のロジックや感情的な側面が探求され、攻殻機動隊のテーマが人形の意識や自己認識にどう関わるのかが考察されます。恋愛や人間関係の構造についても深められています。このエピソードでは、平野圭一郎の著書『無機的な恋人たち』を通して、現代の人間関係や自己のアイデンティティについての考察が行われ、複数のアイデンティティの存在や人形や無機物への愛着が議論され、登場人物たちの感情の捉え方が深く探究されています。『無機的な恋人たち』では、読書体験と人間関係におけるコミュニケーションの重要性についても探求されています。

浜野ちひろの作品紹介
この番組、心の砂地は様々な文化や日常の築きをヒントに考え続けることで、言葉の記憶装置を目指す教養バラエティ番組です。
私、シャークくんです。 はい、そして私はてらだです。よろしくお願いします。
今回は本を読んで話してみたいと思います。 課題図書は浜野ちひろさんの無機的な恋人たちという本でございます。
以前にですね、浜野ちひろさんの本を取り上げたことがあって、それはてらだくんが選んでくれた本だったんですけど、
「聖なるズー」っていう本で、これは人間と動物の性愛を描く本というので、すごく話題にもなったし、
僕もこのてらだくんが紹介してくれたんで読んだけども、言ってしまえば衝撃を受けたというか、すごいノンフィクションだなぁと思って影響を受けた本。
本当、近年読んだ本の中でもトップクラスに衝撃を受けた本だったんですけども、その浜野さんがですね、言ったらその動物の性愛のフィールドワークとか研究をやられてた成果というのが
「聖なるズー」という本にまとまってたんですけども、その次に選んだものというのが無機的な人形、
ドール、ロボットとか、人は人以外と愛し合うことができるのかっていうテーマで、いろんな方々に話を聞いたりとかして、また書かれたという作品が今回の無機的な恋人たちという本ですね。
公式のリード文、読ませていただきましょうか。
人は無機物と愛し合えるのか。2019年、人間と動物の性愛を描く「聖なるズー」で鮮烈なデビューを果たしたノンフィクションライター浜野ちひろ。
待望の書き下ろしノンフィクションとなる今作のテーマは人と無機物のセックス。 人は人以外と愛し合うことはできるのか。
セックスロボットが普及すると人々のセックス感はどう変わるのか。 AIに恋をする人々が出てきている今だからこそ、無機物とのセックスを通して、近未来社会の性と愛を予見する。
というような紹介文になっております。 著者の浜野ちひろさんは1977年広島県生まれ、2000年早稲田大学第一文学部卒、
著者「聖なるズー」で2019年に開校たけしノンフィクション賞を受賞されているという方でございます。 だから今回が2作目ってことだね。
前作との対比
そうですね。本当にリクストステージの本を出したなっていうね。 うーんすごいよね。やっぱ今回も先んじてすごいなと思ったけど、心の砂地では第70回
全シーズンの第70回聖なるズーを読んでという回を2024年の4月17日に配信しております。 ということで賞ごとにこの本はいろんな方々にアメリカ日本中国とか
いろんなところでそういったドールをパートナーとしたり フェティッシュとして性的対象だとしている人とか
どういう関係だとかっていうことが賞ごとにいろんな場所でいろんな国でいろんな仕事で という人といろんな関係でっていう人とかと話したやつを濱野さんがまとめた本という
感じなんですけどもね。 寺津さん的には聖なるズーは寺津さんの提案だったし寺津さんもすごくいろんなこと喋ってくれたと
思うんですけども 今回この無機的な恋人たちを読んでどんな風な印象を持ったとかこの辺がすごく気になった
とか今日どんなこと話したいかなみたいなことがちょっと先にお聞かせいただければな と思うんですが
そうですね基本的には前回と同じような構成じゃないですか 個人に会ってインタビューをしてっていうのが賞が盛れていってっていう感じ
なので安心して読めた感じではあったんですけども やっぱり前回は生き物に対してっていうところがあったけど今回はそうじゃないので
なんかよりこうなんて言うやろうな 人間関係の話とか生き物同士の話なのかっていうところが
なんかね前ほど僕はつかみきれなかったとこもあったんですよねちょっと正直 ああそれは
と関係についてとか言った僕は逆にすごく自分の パーソナルなものとか愛って何なのみたいな
まあそれはそうなの本だなと思ったんだけど 前回と比べると整備隊の意思と意思と話
っていうよりは個人の話ものすごく 個人が分離して何か2つの意思になってるみたいな感じだったので
すごくこのドールというものを愛せる人というのは 選ばれし人なんじゃないかなっていうぐらい僕にはない感覚すぎたというか
なるほどね だから多分てらださんの話し口で恐らく読書体系みたいな結構自分の何かをぶつけていくというか
そういう自分が感じられるとこっていうのに触れたところを話してくれるっていう印象があるんだけども ちょっと言ったら
自分てらださん自身としては距離が聞き取りしている人たちとか浜田さんの言葉とかに ちょっと距離が前回よりあったかなって感じってこと
うーんそうですね何か自分と自分の関係説何かを置き換えたりすることがものすごく難しい話でも
なるほどね あったなあっていうふうには思ってて
まあ僕の中ではこれが感覚近いんかなっていうのは1個結論は出てるんですけど ちょっとそれは追い追い話していこうかなと思いますね
なるほどねなんか僕も同じようなことを感じてるけどもどっちかというと僕はこっちの方が自分の考えに近いなってめっちゃ思うことの方が多かったって感じかな
えーあそうなの? あーでもそうかもなーとか
これもねちょっと言葉の捉え方次第みたいなところではあるんだけども 自分のめり込ませてるっていうよりは
なんかわかるなーっていう感覚が『聖なるズー』の方々 動物をパートナーとしている方々の話を聞いている時よりもわかるなっていう
まあそれは多分普遍的な自分の中身とその自分に生まれる意思みたいな話がメインになってくるから
だからそこが寄せやすいっていうのが僕的にあったのかもしれないんだけど なるほど
なんかでも多分これはてらでも共通してると思うけどその『聖なるズー』の時の読書体験のなんかこうヒリヒリ感みたいな
なんかこう宗教的なタブー感みたいな感覚がすごいあったのね『聖なるズー』って読んでいて
ただその浜野さんの文体とかって結構空っとはしてるやんか すごく自身の体験とかその実際に動物性愛者の方々のインタビューとかでも割と生々しかったりとかすごく鮮明に丁寧に描かれているから
立ち上がってくるものとしては細かいんだけどでもちょっと距離があるというかあっさり書かれているところがあって僕は少し好きなんだけど
それでも漂うちょっと匂いみたいな それこそ動物の匂いと宗教的なタブー感みたいなのが『聖なるズー』の時はググッと読みながら来てたのね僕の中では
そうやね本当になんか触れたことのない触れてはいけないものに触れてるみたいな ヒリヒリは確かにありました
あるしなんかそれこそ具体的なそのセックスの描写とかまぁ実際そのいろんなね 性のあり方みたいなところの実際に動物たちとのセックスみたいな話とかっていうところの
描写とかが結構 うぉーっていう感じが僕はちょっとしちゃうんなんだけどでもなんかこの本を読みながらその時の感覚をすごい思い出し
ながらでもそれってなんでみたいな なんでそれ自分はその性的なもんにそれこそ動物性愛ってとこになったらタブーみたいなの
めっちゃ感じてたみたいな はいはいはいっていうのとかを
今の無機的な恋人たちを読んでるんだけどその時の感覚とかなんでってお前なんでそう思ってたん っていう感じの問い直しみたいなのを食らったりとかしてるような感覚があって
同じ作者の方読んでる時に前作のこと考えとかここと変えてきたなとかさ 映画にしろ舞台中もそういうのとか思い返しながら見る瞬間あるんだけど
読書でこの本当にそこがなんていうかな二重に重なってくるみたいな前読んだそれも 結構前だからさ1年前とかに読んだ時の感覚を思い起こさせながら
なんでお前そう思ったんって言われているような読書体験で これまたなんかすぐ新鮮
で面白かったっていうのがあったかなぁ そうですね実際本の中でもその聖なるズーの時と比べているような
出てくるね出てくるし構成も似てるから 感覚にも当然なるんやけどやっぱりじゃあそこの差は何だったんやろうっていうのは
頭をよぎりましたね僕もなんかやっぱ思うよね インタビューで話されている人についてこの人は何でこういう生活をしてるんだろう
そういうふうな選んだんだろうとか思いを馳せる瞬間はあるんだけど なんかそれでもこの不思議なもんでやっぱその対象が無機的なね人形
ドールとかだったりするから その聖なるズーの時のような香るようなヒリヒリ感じゃねやっぱ冷たいさ
愛と性の探求
じゃあお前どう思うこれこれ読んでみてどう思うみたいなのをめっちゃ言われてる感 があったんだよなぁ
そこはやっぱり言っちゃうと無機物なんだからっていうところなんでしょうね 多分そうなんだよね
その図の時っていうのはやっぱりその動物と恋愛するっていうことは一方的なもので 加害やっていうような視線っていうのが
脱ぎきれないからされる っていうところがあったけれども今回はやっぱ生きてないものやからじゃあ好きにしたら
いいんじゃないっていう他人事感みたいなのを結局僕は心の片隅でどっかに持っちゃっ てたかもなって思うんですよ
うーん ただそのこの浜野さんのヒッチとかでさ
これ上げ足取るつもりじゃないんだけど生きてないとか意思って何みたいな感じの 投げかけ方をずっとするやんか
はいからああまあそうかもってこう結構 読んでる時は乗っていけるんだからさ
浜野さんが実際にさ まあすごくドール愛好家のね何十体もドール持っててすごい綺麗にその修理とかもするような
紳士がね中に出てくるんだけどその人に一緒にちょっとドールと寝てみたらみたいな 感じで寝た時とかに確かにその人形が生きている
みたいな人形がの意思みたいなことを自分が物語とかストーリーをガッと一瞬で 考え込んで
その子はこう寝ておいて欲しかったみたいなことを思ったみたいな描写とかがあったり とかしててなんかそこが多分本当に実体験でその心の動きもわかりやすく書いてくれる
からあっても俺もそうなったらそう思うかもみたいなさ あーここまでは行くんだけどでもやっぱでも人形だよねっていうのがどっか
まだ違う方の反響ではそう聞こえてくるみたいな感覚もあったっていうのが面白かったかな そうですね
でまぁやっぱりずっとばっかり比べちゃうけど動物飼ってる人とかってめちゃめちゃやっぱり 知ってるし
見たことあるけど人形を持っている人一緒に暮らしてる人恋愛してる人ってマジで 見たことがないから
身近にもいないからそういった意味でもやっぱ距離感 あるよねー
しまうのはあるかもしれないですねずーっとくるん確かだよなぁ で前言ったかもしれけど僕結構犬がさあ多分人よりだいぶ好きなのね
まあ犬好きなのはなんとなく だから多分その辺とかもあるんやろうなぁ
なるほどねそうかそうかじゃあ確かにねずーの方が何かこう自分がもともと犬に抱いてる 感情に対してこうえぐり込まれるような
そうそうそう感覚があるかもしれないですねなんかでもそういうところで言うと まあドールって言っちゃうとまぁ本当等身大の人形になっちゃうけど
ぬいぐるみとかフィギュアとかそういったものに対してもやっぱりめっちゃ好きな人って いるよね
特にぬいぐるみとかも一緒に出かけたりとか 最近やとアクスターとかもあるからまぁあれはちょっとこう
おしかすできない要素もあるけどなんかでもそういったものも僕マジでほぼほぼないような気がしてて
でもなんかさてらだツイッターのアイコンさ小っちゃい頃に持ってるぬいぐるみにしてるやん
確かにそうやな
好きやったやろあれもめっちゃ
好きではありましたねだから人形好きっちゃ好きやねんけどでもね僕が小っちゃい頃は兄と一緒にずっと遊んでたんですけど
兄の方が多分何倍も人形とかフィギュアが好きなんですよね
そっかそっか近くにそういう人いるとじゃあ俺はそこはお兄ちゃんに任せとこうかなとかなるもんね兄弟とかってね
そうなんか自分以上に好きな人がおったら自分の領域じゃないんかなみたいなスンってなっちゃうところがあって
だからなんかちょっと距離が空いちゃったけどでも多分人形は好きやねんけど人並みが人並みよりちょっと小っちゃいぐらいなんやとは思う
なるほどねー
その辺があって前回よりはちょっとあっさり多分ね多くの人がそう言うと思う
まあまあそうよね多分
続きでもあるから一発目の問題定義みたいなんてやっぱデカいからそれをさ一回自分の中にそれが入っちゃってるから
その2個目は1回目に比べたらハードル下がってるからさ
まあそうね応用編やからねきそうじゃないから
そういうことも思ったらするんだろうけど
でも僕の結構問題認識とか今自分が考えていることみたいなのはすごい無機的な恋人たちの方がクリティカルな感じしたんだよね
うーんそうなんやな
最近ね自分にとってセックスってなんなんやろってことを考えたりしてない
あーなるほどね
これは自分の性別としてのセックスも含むかもしれないけど性行為としてのセックスね
どっちかというとまあどっちもあるんだけど
自分の話をするしかないから自分の話をね
無自覚な行動の再認識
したくない話をしていくっていう姿勢をこれは見せなあかんなと思ってするんやけど
はいはい
これは分からへんねんけど年取ってくる
30半は今34なんですけどぐらいになって急にやっぱその
自分が何も思ってなくてした行動みたいなのが許せなくなってくるきたのよ急にね
うんうん
まあ別にそれは性的な選択とかじゃなくて
仕事だったり遊びだったり全部の行動に自分の意思みたいなものとか決定
意思決定をしてなくてなんかやっちゃったことみたいなの中に
そこの重さっていうのをすごい認識するようになってくる
はいはい
30代ぐらいになってから特に
でそれは多分ココスナやっててらと話してるのもあるし
僕の中でやっぱ20代後半ぐらいからの大きなタームっていうのは
フェミニズム的なものをちゃんと自分の中に向き合って
どうやって自分が生きていくのか
無自覚な10代20代があった中でのその大きな転換があったとは思ってんのね
うんうん
でそこはまず勉強せなあかんうわーって食らうみたいな
でそれは俺の中で好きだったロックとか映画とか最近やったら演劇とか
それぞれ新しいジャンルのものに触れることで自分の持ってたものを破壊されるみたいな感じできたから
それの一つとしてのお前の無自覚な男性性は有害だよっていうこととかを
すごい自分の中に受け止めて
でも音楽とかと同じように自分を壊してまた再構築するっていう
ある種楽しさみたいなことも持ちながらやってるんだけどね人生を
でなんかそれがだんだん30ぐらいになってさ
20代後半ぐらいからそういうのがあって多分5年ぐらいかかって
ある程度またそこでじゃあこれに対してはこう思うなっていうさ
ゼロ回答みたいなマイナスの回答しかできなかった
じゃあこうかなとかさ
自分の中でこう壊した結果答えたりこう思うねっていう言葉も獲得してきちゃったりしてるんだよね
うんうん
だからそういう中でやっぱそのそれだけじゃないと思うけど
自分が無自覚にどんな行動もやっちゃうっていうことはなしにしたいなって
すごく今強く思ってんのね
なるほどね
まあなんか無自覚にやるっていうのはある意味エネルギーの方向性に流されてる状態みたいな感じじゃないですか
でもなんかそれに抗うだけの力自分の意思で動くだけの力がやっぱ身についてきてるからこそよりそう思うようになって感じしますね
それは同じような意識としては
テラーと3つ違うから3年前ぐらいはあったと思うし取り組もうとしてたんだけど
突如として33,34ぐらいに全部そうじゃないとダメだっていう感じになってんのね
でこれはちょっと多分行き過ぎると本当に脅迫的な概念脅迫になりそうだから
ちょっとやりすぎると死ぬなって本気で思ってんの
そうやなちょっとその完璧主義な感じで脅迫性障害っぽい感じになっちゃう
俺はね結構その気はある基本的にはだから危ないなと思いつつも
でもじゃあ何もしんどいんでじゃあそれでいいですとはもう言われへんから
ちょっと気を抜いて時間をかけて改造するとか
そういういろんな逃げ道は自分の中で作りつつも
でもどんなことも決めたいちゃんと考えて決めなあかんっていうところとかが出てくるわけ
じゃあ一番正直仕事とかの選択とかは割とどうでもよくなってくる
優先順位としては下になってくるのね
そんな中で一番自分がやっちゃっててやばいかもみたいなこととかって
本能的な自分が生まれて人間としてみたいな動物としてみたいな
例えば性的な選択とかっていうのはやっぱ一番大事なところになってくるっていうのは
なんかこう今初めて言葉にしたけど一番大事な選択になってくるって
多分本能的に思ってんだよね
だからじゃあ自分にとってどういう風な性的な選択をしていくのかっていう
性的なアクションに対して選択をしていくのかっていうことに対して
考え込んでるわけじゃないんだけど不と思うときがすごいある
主体的な選択の探求
そこを刺されてるような感覚があって
でもむしろこの本読んで楽になった感じがあった
なるほどね
俺自身が思ったのは今まで自分というのは性的な行動とかのアクションとか
自分がどういう性的な思考であるかとかいうのを
言ったらほとんど受け身でそのままそれを流したりとか
性的な行為とか選択に対して主体性を持ったことがなかったんだなってことに気づいた
なるほどね
正直めちゃくちゃよくわかりますよ
それはちょっと笑っちゃうけど
ほっといても僕は勃起とかするわけよ
性的な行動とかほっといても自動的に生まれるわけ
でもそれがそういう選択だとなんとなく思ってたけど
でも実際にこのドールをパートナーにしたりとか
パートナー関係でもすごいいろいろある
自分は異性愛者だっていう認識で
この人形のことを愛してるっていう人とか
ドールの夫であるっていう人と
ドールはフェティッシュの道具ですって思ってる人とかって
いろいろやっぱりレイヤーがあって
そういう中でその人たちは選択をして間違ったりしながら
そうしてもセックス用の人形をまた別で買ってくるとか
そういう揺らぎがめっちゃあってそれも面白かったんだけど
主体的な選択をしてるんだっていうことが
当たり前に出てくるからね
その話を聞きに行ってるからなんだけど
そこに自分は主体的にそういうことを考えたことないし
この本を読んでると人形に対して
恋愛感情とか性的な欲情をするとかっていうのは
もちろん造形とかフェティッシュとしてっていう部分と
自分が選択としてとか考えてとか
っていう部分はグラデーションだから分かんないんだけど
でも行為としてそういうことをやることが少ない
少数のマイノリティの中でやってるから
主体的な選択をとってこうしようとしてる
だから自分の性的なアクションに
すごく主体的な行動をとってるっていう人たちが出てくる
それはめちゃめちゃすごい
確かにそうですよね
だから確かに人形を愛することって
モデルというか教科書がないからさ
全て自分の選択で選んでる人たちになるんですよね
結局この人たちって
でも人間を愛することっていうのは
すごく保険の教科書もあるし
コンテンツもあるし
あらゆるものがあるからなんとなくこうでしょうみたいな
選択せずにエネルギーに流されてしまえるっていうのは
確かにあるかなと僕も思いましたね今
だから主体的であるからこそ
人形を愛せるっていうことなんだなと
僕はこの本を読んだんだよね
初音ミクとの関係
だから僕はじゃあ
俺が抱えてる根本的な問題
選択をしたいってなんとなくは思ってる
選択をしたいっていうより
この言葉の裏側には間違えたくないって言葉がある
間違えて誰かを傷つきたくないっていうのがある
俺は今まで間違えて傷つけた人だとかが
たくさんいるという自覚があるだから間違えたくない
でもじゃあ間違えない選択ってどうなんだろうなー
と思いながら流されている
でもなんかちゃんとしないと選択をしたいなというのが
今の自分の気分なんだけど
だから自分がちゃんと性的なアクションとかに
主体的であろうとした時に
じゃあ自分は何を選ぶのかっていうことを考えようと思ったね
それがなんかすごいなと思った
人間のそう思わせる読み物っていうのが
すげえなと思ったし
実際たぶんそこは前向きに
どうなるかわかんないよ
自分がどうなるかわかんないけど
とりあえずは主体的なものこそが本当な
エロスなのかもしれないし
コミュニケーションなのかもしれないし
本当の性的な興奮なのかもしれない
俺が選んでなかったものの先に
ちゃんとしたっていうかわかんないけど
俺が知らないセックスみたいなものが
たぶんあるんだなっていう
そういうことを思ったね
たしかにこう考えると
しかもこれをインタビュー受けて
ちゃんと話してるっていうところも含めて
とても堂々とした人たちなんやなっていう
そうだね
感じがあるね
だからさ僕もじゃあ同じ立場で
あなたはどういうふうにパートナーを
お会いしてますかとかさ
不正行為をするときどうするのみたいな
話をされたときに
どれくらい自分が堂々と答えれるやろうって
思ったら全然ダメかもな
いやいやいやそうだよね
だからたぶん選択を
しきれてないところがあるんやろう
うーん
それがさ別に俺は
そこが選びたいという今
なんかたぶん人生のタームとか
俺自身のコンディションだから
それが善だと思ったけど別に選ばない
というそれこそ児童的な
ものが自分にとっての
性的なアクションなんだっていうことでも
別にいいと思うし
それは考えないっていう人が全然いてもいいし
っていうところではあると思うんだけど
なんかね
言える人を見ちゃうと
うわなんかって思う
みたいななんかその感じ
特にさ
あのこの日本のね
初音ミクの夫として生きている
近藤さんっていう方が
出てくるんだけど
近藤さんはさみんな見てるところで
バキドーチャンネルとかにも出てる
よね
その時もスーツですげぇ紳士なの
近藤さんってこの本でも
串たる紳士具合だとは思うんだけど
そうですね
なんかそのこの近藤さんの
この堂々とし方みたいなのは
すごい
確かにねやっぱりその自分が
社会的にどう見られるかっていうのを自覚した上で
偏見がないようにっていうことを
もうすごく
意識されてるんやろうなっていうのは
感じますねこれだけメディアに
出てる人やし
たぶんダントツにそれを知られてるし
一番たぶん出てる人だから
初音ミクと結婚した男みたいな感じでさ
面白がられてもいるし
真面目な
メディアにもインタビューされてあるとも
そういうのいろいろ食らって
堂々とせざるを得ないっていうのはあるとは思うんだけど
いやでもなんかその太さ
みたいなのに
普通にそのロックスターの
かっこいいエピソードの一章みたいな
そういう
人間としての太さに
かっこよさを感じるみたいな
こんな読書体験が来ると思ってなかった
みたいな
たしかにねすごく
日本のことでもあるっていうのもあって
読みやすいよな
あと僕ちゃんと近藤さんのこと
正直知らなかったんですけど
ちゃんと経緯を追ってみたら
めちゃくちゃ自然な流れで初音ミクと結婚してたんや
っていうのを知って
そもそもそのゲートボックス
っていう会社が
AIと一緒に
AIのキャラクターで暮らすみたいな
コンセプトでやってたやつを
購入してなおかつ
その会社がキャラクターと結婚する
っていう婚姻届出すっていう企画を
やってたっていうので
そういう流れでちゃんと結婚をしてるし
それに初音ミクっていうキャラクターっていうのは
あくまで個々に
初音ミクというキャラクターを
育て上げてくださいみたいなコンセプトで
中身が確定してるキャラクター
じゃないからあくまで
自分の初音ミクと結婚しました
っていうその個人的な部分も
確立してるから
ここまでしっかりと結婚してたんや
っていうのがあったから
見出しで初音ミクと結婚した男みたいなだけで
ほんとタイトルだけを見て
もてあそばれたらたまらんやろうな
っていう
そうそうそう
今言ってる通り全部別に
裏ルートも通ってないわけ
そういうサービスがあって
じゃあやります
じゃあ僕の相手はミクさんなんで
って言って選んでるみたいな
で初音ミクとしても別に
それでいいキャラクターだからさ
それぞれやってみたいな
しかもこの我が家のミクさん
初音ミクはいろんな
初音ミクと感情の関係
初音ミクがいるから
みんなが聴いてるボーカロ曲とかみたいな
歌って踊る初音ミクみたいなイメージ
あるかもしれへんけども
多いと思うけども
でも近藤さん家の初音ミクは
歌ったり踊ったりしないっていう
我が家のミクさんはそういうのしないんです
って言ってる感じ
うーん
だからうちのミクさんはこういう人なんです
っていうのをちゃんとね決めてはるし
そこのなんか
何千回とさ
言ってきた男のさ
なんかその
重みみたいなの感じちゃったんだよな
うーん
だからこの人がすごくこう
山本に立ってることの
安心感みたいな
あとその心中もちょっと
刺してしまうというか
いやだからあの
霧島部活辞めるっていう映画でね
東江君があのさ
素振りしてるキャプテンに会うでしょ
なんかあのドラフトまでは
って言ってドラフトの話あるんですか
言わないけどみたいな
そのドラフトがあるまで
素振りをし続けるキャプテンっていうの
だよねほぼ近藤さんは
うーん
まあそうやなもう本当に
ストイックというかね
僕はやっぱりその
欧米の方ってのは割とちょっと距離感を
序盤も言ったけど感じちゃった
ですけど
そこを自分なりにこういうことなのかなって
解釈してるところとして
そのドールを恋人としてる人たち
でそれぞれ
ちゃんとそのドールに対して
まあこういう意思があって
ドールと自己表現
なんかこういうことを言い出した
とかツイッターでこういうことを
言ってるみたいな発信をしたりとか
物語性とかをすごく
出してるじゃないですか
ちょっと注釈入れると結構多くの人が
ドールのツイッターアカウント
っていうのをやってて
そこで
発信していって
その発信していったパートナーの
ツイッターっていうのを見て
彼女がそう言っているんだ
っていう風な物語
関係での言葉っていうのを
読み込んでいくって人が結構多いっていう
技術があって
そういうやり方ってことね
自分の意思とか
こういうことを言い出したっていうのも
でも本当は本人がやってるわけじゃないですか
打ってるのはな
言ってしまったらね
それって
例えば創作とかにすごく近いんかな
っていう風に思ったんですよね
絵描いたりとか文章
書いたりとか音楽作ったりとかで
例えば天からメロディーが降ってきたとか
キャラクターが勝手に動き出した
みたいなこととか言ったりするじゃないですか
だからこの人たちは
芸術家なんだって言いたいわけじゃないんですよね
ただ近い感覚としてはそういうとこなんかな
って思ったんですよ
自分の中にあるものが
勝手に動き出したりする感覚と
近いのかなっていうのがあって
それはでもめっちゃいい
例えとかで
例えば脚本家の人とかが
作ったキャラクターとかを
こういう人なんですよねっていうことって
別に何もおかしくないもんね
そうなんですよね
そこって割と受け入れてるじゃないですか
芸術表現においては
それと
愛情が重なってる人たち
性愛とか恋愛
っていうものが重なってる人たちなんやろうなっていう
ただそこを表す表現
言葉がまだないんだ
と思うんですよね
これがまたどっちが先か
みたいなのがめっちゃ面白い
例えばあのさ
私を食い止めてとかの
イマジナリーフレンズ
みたいなのがいるっていう人は
結構いるわけやんか
それがやっぱ
具現化してるみたいな
じゃあ理想の自分が思ってる形っていうのが
本当に
30キロくらいある
超美形の人形になっている
という
形なのか
それが逆なのかみたいなさ
であってそこから生まれてるのか
っていうのはどっちも多分あるやんこれ
そうですね
これまじでほぼほぼ攻殻機動隊の話と
同じなんやけど
あの
OC版のね
ゴーストがどこにあるのか
っていう話でもあるんだけど
その辺とかって僕はすごい
昔から興味があるし
いやまあそうやんな
みたいな
ドールフェティシズムの視点
あるし
あんま分かられたことないんやけど
結構その
自分の肉体っていうのを操縦してるだけ
って感覚があるのよ
あーそれたまに言う人おるけど
僕さその感覚めっちゃ分からへん
実は
難しいのよ僕にとってはそれが
まあまあそうやんな
だいたいこうなる
結構その自分自身が
この世に生まれ落ちた
なんかその魂の
ものがなんか肉体
を操縦してるみたいな
感覚がずっとあって
そこはなんかめっちゃ
そうやんねってなるから
驚いてないみたいなとこがあるかな
なるほどね
確かにその俯瞰してみたときに
魂と箱
っていう風に切り分けてみたら
すごくこの物語は
わかりやすいかもしれないですね
うーんし
ちょっともうちょっと発展していっちゃうと
俺アイドルが好きじゃないですか
俺アイドル好きな理由とかもちょっと
分かってきたこれを考えてると
あそうな
だから俺の中でアイドルっていうのは
それこそ分かりやすく操縦
してますよって言ってくれてる
ことっていうエンタメなんだ
だからこのアイドルという
鎧を作ることで
分かりやすく
エンターテイメントをやる
偶像の肉体というのを
やりますよという
ゲーム
だから俺が抱えてるこの世に
生まれ入れてしまった魂
でこの肉体を操作してるみたいな
ものがむっちゃ最高の
エンタメとして映し出されてるのが
アイドルだから俺は好きなんだな
って思ったのだから結構俺は
感情移入しないとか言ってるけども
アイドルに対してある種それ
自分乗せてたんだなってことに気づいた
うーんだからここ
この最高のパフォーマンスという
肉体を
操縦してますよっていうエンターテイメント
はいはい
っていうのだから俺好きなんだろうな
って思ってこれはアイドルという言葉を
プロレスに置き換えても俺の中では一緒
あーなるほどね
うーんなるほどな
そうそうそうよね
だからこうパフォーマンスであり
作られたものがすごくちゃんと
作り込まれたものがシャークさんは好きや
ってイメージがあるから
それって作り込まれてる
っていうのは作り込まれてはいる
ほど
人間性から離れていく
っていうか操縦してる人が
いますよっていうことが裏返しに
見えてくる
でその
それは
人間の顔が見えてくるということに対して
喜んでるんじゃなくて
魂が透けて見える感じが俺は好きなんだね
作り込んでいるという
人間性が好きみたいなことなんですか
ちょっと難しいんですけど
言ったら人間性じゃなくて
魂が透けてる感じが好き
これ難しいね
これちょっと分からないな
アイドル論的なものを読み込んでたら
じゃないとちょっと
伝わらないニュアンスかもしれないんだけど
丸出しの魂じゃなくて
作り込んでいる
っていうものが
その魂の意思で作り込まれてるもの
肉体を作り込むからこそ
予想を作り込むからこそ
魂が見えてくるって感じかな
なるほどね
なるほどね
作り込むのにも魂の形がないとできない
そうそう
細部に神は宿るってそういう言葉だと思うんだよね
なるほどね
そこに職人とかの
細かいところにこだわりがある
っていうので職人の
魂を感じるとか言うやんか
ここに一センチ切れ込みがある
っていうところにこだわりを感じるみたいな
そこにすごい近い感覚なんだけど
いやまあ
分かりますし
すごく芸術を鑑賞する上で
大事なポイントでもあるしね
そこって
いやだからそういうのとか
もうちょっとポップな例で言うと
僕はこの話をいろんな例で出すんだけど
松浦亜弥さんは
あややきっていうのが
意外と短いのねみんなが知ってる
あややでーすみたいな
時、桃色片思いみたいな時の
あややっていう時期が意外と短いのね
数年しかないのよ
で、あややきが終わって
歌めっちゃ上手いから
ナチュラルな身体になった
あややさんという
あややじゃなくて
松浦亜弥っていう時期があんのね
最後の方って
その時期にあややきのこととかを
聞かれるとこうやって歌ってたじゃん
みたいなあややでーすだったじゃん
みたいなこととか突っ込まれたりとか
ちゃんとしたインタビューで言われた時に
松浦さんは毎回あの人はー
って言うのよ
だからそれはアイドルっていう
ものを乗りこなしてた
あややっていうアイドルを
乗りこなしてた時期と
生身の人間っていう2つがある
っていうね
なるほどね
俺どっちも好きなんだけど
それがなんか
毎回松浦さんが
あややのことをあの人はーっていうのは
なんなんだろうって
俺人生の何回もテーマとして
考える時があるのね
それって多分さっき言ったような
自分がこの世に生まれ
押し入れてしまった妖怪とか
幽霊みたいなものでたまたま
肉体を操縦してるみたいな
感覚に多分触れる感覚が
あったんだろうな
っていうことがちょっと俺の中で
今回この読書を通して
腹落ちしたっていう不思議な話
うーん
なるほどね
そうかー
でも確かにその
そういう何か別の
人格を作り込んだりとか
そういうことができるレベルの
人じゃないと
ドールを愛するっていうのは
難しいのかもしれない
そうねだから俺は
何回も繰り返してその感覚があるから
多分それが
当たり前のもんだと思ってるところが
あるからスッと入ってくるけど
多分それってそういうさっきみたいな
やってる人とか
何か対象物とかにすごい入れ上げて
自分の身体から魂がちょっと
抜けちゃったような感覚がある人とか
息まで行くところで
見えるみたいなことが
多いんかもしれへんね
なるほどね
でも何か今回
ちょっと方向性違うかもしれないですけど
ジョセフっていう人が出てくるじゃないですか
ジョセフのところやっぱ印象的だよな
一番な
ドールフェテシストですと
私は別にドールをパートナーにしてない
恋人じゃなくてあくまで人形
職人というか人形のフェテシスを
持ってる人だという風に
自称してる人なんですよね
だからそのいわゆるドールを恋人にしてる
人たちとはちょっと距離があるというか
ただそのドールを愛してる人たちの
ドールも修理したりとか
整理したりとかすると
っていう存在の人が出てくるんですけど
この人は
僕はめちゃくちゃ重要やなって
思ったんですよね
今回これ読んだときに
僕はやっぱ自分と
重なる部分ばっか探しちゃう人やから
思うんですけど
ドールを恋人にしてる人たちっていうのは
すごくエモーショナルな感じじゃないですか
特にやっぱ1章2章の
初めの人たちはこの感じ
特に前にある
愛しているんだっていう
エモーションでロマンチックな感じ
があるじゃないですか
恋愛の序盤においては
ジョゼフのロジカルな愛
そういうことってめっちゃ大事やと思うんですよ
僕も人間同士の恋愛でもね
ただ人間同士の恋愛が
継続していくときに
やっぱり社会で生きている
2つの答えやから
例えば経済面とか
健康面とか
そういう論理的な部分
ロマンスだけじゃどうにもならへん部分
を思考していったり
そういったところをちゃんとコミュニケーションしていく
ロジカルな
論争っていうのがめちゃくちゃ必要になってくるんですよ
ロマンチックな部分の才能と
ロジカルな部分の才能って
めちゃめちゃ対極にあるもんやけど
どっちも必要なものなんですよ
ジョゼフは
ロジカルな部分っていうのを
すごく一人で背負ってるような
雰囲気の人やな
たしかに
もちろんそうなんだけど
このジョゼフが持ってる人形は
全員すごい
胸がめっちゃ大きくって
みたいな
フェテシスブとしては
一番極
一番言ってる感じの人
でもあるっていうところが
本人なりの美学は持ってるっていうのはね
あるんですけど
趣味趣向があるっていうのは
すごく触れてる人やから
そっち側に振ってる人やからあるんやけども
ドールを愛してる人たちっていうのは
腕が曲がっちゃったりとか
目の方向
眼球の方向がずれちゃったりとか
そういうのが多いっていうのは
やっぱりエモーショナルな部分だけでは
どうにもならないものが
ある
それが人形にもあるし
それは人間にもめちゃくちゃあることやな
っていうのが
めちゃくちゃ一緒やなと思ったんですよね
だから
そこで
それこそ別に
このジョゼフはそういうメーカーにいたとか
そういうわけじゃないんだよね
自分で明らかに研究して
直せるようになってる
だからそれは手先の清さとか
知識とかどういう風な
人生を歩んできたかとかであるとは思うけど
多分そういう風に
自分で道路を修理したりとか
どういう風な距離感で
そうやってきれいに扱うのか
っていうのは多分
道路を愛する人の誰しもにも
開かれた道ではあったはず
でもそこに行ってるのは
ジョゼフぐらいっていうのが
それは
予報の
ロジカルなところというかね
じゃあどういう風に生活の中に
落とし込むのかみたいな
ところを考えついた人の
行った先みたいな
書かれてないけどそういうのもすごく
思うところがあるんだよな
そうなんよな
だからなんか僕の中では
東京に多いような気がするけど
独身男性で
めちゃめちゃうまく
稼いだりとか生活をハックして生きてるような
そこにすごく固執してる
というか
才能を発揮してるような
タイプの人とすごい重なるなっていう風に
思ったんですよね
実際この人って会社売却して
ファイヤーしてる状態で
こういうことやってるみたいな人だもんね
そうそうそう
人間性的にも近いんかな
いや多分なんかそういう感じ
だったん
でもなんかそういう人って基本さ
俺らがさつまらんなって思うのって
そういうフェティッシュとかじゃあお前何が好きなん
っていうのが何も見えてこーへんやん
東京でいる人ってそういう人が
それが俺らつまらんなって思うやん
でもさ逆にめっちゃそういう
フェティッシュみたいなの言ってるんで面白いよね
そうねその人は
ジョゼフはロジカルさを発揮するのが
人形という場やから
より面白く見えてるけど
なんかそれが発揮する場が生活やったりとか
経済やったらなんかつまらんなって
言えちゃうっていうのはあるよね
でもなんかその
それでもすごい揺らぎがあるやんか
悩んでるところもあるでしょ
ジョゼフはパートナー
人間のパートナーの関係とかもちょっと
未だに模索していてみたいな
そういう部分で悩んでる部分もあったりとかね
ドールと人間関係
すごくロジカルのようですごく一番
悩んでる部分みたいのも
見えてくるみたいな
あーそうね
それで言ったら
ドールと恋愛してる人たち
ドールをパートナーに持ってる人とかは
ドールをパートナーにしたことによって
他の人間の関係性も広がったっていうような
そうだよね
かなり多いっていうのが
かなりこのドールに対する偏見第一関門を
スルリと抜けていくような
人間とのコミュニケーションから逃げて
ドールと一緒にいるんでしょうみたいな
ありがちな偏見
っていうところと
すごく遠いところにいるっていうのが
すごくすごく面白いなぁと思いましたね
攻殻機動隊の探求
面白い
なんかそれが本当に
反転していくみたいな
ところっていうのが
僕はあの
攻殻機動隊っていう作品がすごく好きなのね
はい
僕は原作と推し版2作
ゴーストインザシェル
95年のゴーストインザシェルと
イノセンス2004年
っていうのがもうダントツの好きで
僕にとっての攻殻機動隊っていうのは推し版2作
のみ
なんだけど
あの作品がすごい大好きで
色んな映像とかも好きだから
何回も何回も見てるんだけども
すごい実音的な問題を一緒にやってる
ゴーストインザシェルからイノセンスで
明らかに言ってることがちょっと
飛躍してるんだよね
確かにね
ちょっと軽く説明すると
ゴーストインザシェルっていうのは
草薙素子っていう
体を義体化してる
体を機械にしてる世界なんだけど
できる世界なんだけども
全身義体にしてる素子が
海の中とか潜って
じゃあ自分の魂
ゴーストっていうのはどこにあるのみたいな
自分って何でできてるのっていうことに悩んでるんだよね
いきなり悩んでいる
企画とかではそうじゃないチャントがあるんだけど
オシマンのゴーストは
それだけをやるんだけど
実際素子は
ウイルスみたいなネット上の存在とかに触れて
医師だけの存在とかに触れて
ネットは広大だわと言って
義体を投げ出して
ネットの海にいなくなっていく
という終わりなんですよね
その続編に近くにいた
バトーというね
この男もまた全身義体になっている
バトーは
いなくなったモトコをずっと探しながら
暮らしているんだけど
自分もまた
人形同じような問いに
苛まれて
バトーがどうするかっていう話なんだけどさ
ゴーストイザーシェルのモトコの問いっていうのは
それこそ10代の自分とかに
すごく突き刺さるところだったんだよね
ネット世代で生まれた自分からしたら
みんなこういうこと言っててみたいな
インターネットで自分の体持っていってるから
じゃあ
自分は何なのかっていう10代的な問いとも
一致するからすごく分かる
でもイノセンス見たときに
よう分からんかったわけ
この映画が分かりにくいっていうのは大きにあるけど
バーってなんか
会話してるなと思ったら
いろんな哲学とかの引用を
頭の中にコピペできるから
それをお互いコピペしあったやつを言ってて
そんなの頭の中に入れてんのかみたいな
そんな言い合いになるみたいなさ
だからお前が持ってること
そんなのコピペだよみたいなことを
言い合ったりする話なんだよ
なるほどね
あーそういうことか
でそのスーパーハッカーみたいなやつが
出てくるんだけどそいつはもう体を
人形にしてて
そいつのところに行ったら
意思ない方がいいんやみたいな
人形が行っちゃうんだよみたいな感じになってんだよ
それで自分も人形なバトーは
すごいこう
なんじゃこれってなるわけ
で実際これもほぼ
マジ無機的な恋人達と
イノセンスほとんど同じ話をしてて
始めに事件が起こるんだけど
セクサロイドなんだよね
はいはい
セクサロイドの人形が
急に反乱みたいな
暴走するみたいな
事件が起きていって
でなんでや
本当はそうじゃないんだけどセクサロイドとして
使われてる人形が
インターネットと繋がってるから
意思を持ったんじゃないかとバトーは思ってるわけよ
人形っていうのに
魂が宿って
反乱が起きてんじゃないかと
実際その大落ちとして言ったら
その人形っていうのは
拉致してきた女の子とかの頭を繋げて
子供達にその人形の意思を
人形として売ってるものに
その脳を繋げてやらせてた
言ったら賠償をやらせてた
っていうことなんだよ
でバトーはそこにたどり着いた時に
人が入ってるから
そういう反乱が起きちゃったんだと
いうことがショックなんだよね
自分も人形だからさ
じゃあ俺なんなんやって
先輩の大好きだったモトコがいなくなって
じゃあ俺どうしたらいいんやって
そうだって言ったら
人間がコピーされとんかいって
ショックなわけよ
そこで
原作にいなくて
イノセンスに足されてるセルフで
拉致されてる子が出てくるわけで
テロみたいなことやって気づいてもらって呼んでるから
なんでこんなことやったんだって言ったら
人形になりたくなかったんだもん
って言っててそこでバトーは
人形がどうなるか
考えなかったのかって
言うわけ
だからやっぱ人形の方が大事なんや
って言う
なるほどね
そこが俺はほんまに分からへんかったのよ
人形がどうなるか
考えなかったのかって
本気で人形に意思が
芽生えると思ってるのは
訳分からんなって思ってたんだけど
でもこの本読んだら分かる
そりゃそうだよね
人形がどうなるのか
考えなかったのかって言いたくなるよね
なるほどね確かに
いやーそうかー
いやでもなんかその
人形というものは
動かせないもの
人たちにとっては動かせないもの
なのよなただの
そこがそこに魂を感じる人
とはほんとに
見えてる世界が違うんやろうな
さっきの動かせないっていうのは
俺が言ってるような
俺がこの世に生まれ入れて
この肉体を操作してるみたいな感覚の
動かすっていう話やんな
あーそうですね
人形に魂を持たせる
って言うことは
無理かもしれない
ですね僕はやっぱり
例えば動物でも
そうなんだけど
てらだの好きだった人形とかに対してさ
なんかさシンプルに挨拶とかさ
友達とかだったら
喋るやつとか割とポップにいたりするやん
じゃあ行ってくるねとかね
あれをやる人やらん人みたいなんて
なんとなくいるなって
多分そこに結構おっきい
何かがあるかもしれんってことでもあるよな
うーん
そうですねそれはあるんじゃないですか
僕はね怖いです
人形が意志を持ってるということは
確かにそれは怖いよな
多分そこの感覚が俺も一緒やわ
どんなに可愛くて大好きな人形でも
意志があると言われたら
怖いと思うし
なんかそこにストーリーを
例えば自分がその
人形やと思って
ツイッターするとか
そういうことももっと怖い
と思う多分自分の
魂からどんどん
分離していくというか
それをちゃんとコントロールできる人はいいと思うんですけど
自分の魂が別れること
アイデンティティの多面性
に対する恐怖感がすごい
ある
なるほどね
それこそこの中だと
みんな自分なんだっていう
自分の中のこういった面は
この子でこういった面はこの子で
みたいな感じでやってる人が出てくるんだよね
うん
それはすげー俺はよく分かると思うね
うーんそうだな
でなんかその最大
7体までかなみたいな
それ以上に自分の中にある欠片がないみたいな
はいはいはい
なるほどめっちゃ分かりやすいそれって思ったし
その感覚はすごい僕もちょっと分かる
そうなんやな
それは魂を複数持ってる人の
感覚のような
気がするな
多分そうで
まずその全部の面
俺という面は
面でしかないから
って多分思ってんのね
だから多分僕そのいろんなコミュニティとか
多分この人に見える顔この人に見える顔
みたいなのがいっぱいあって
全部統一してんのは俺だから
割とそれでいきやすいんだけど
でもなんか1個の自分を
バッと見られるよりいろんな
例えば7つの自分
7つのサメを見てもらった方が
嬉しいのね
そうなんや
そっちの方がいきやすいのよ
そうかそれはすごいですね
でも僕の中では別に無理してないのね
そういうもんだと思ってんのよ
この人と会う時はこういう感じになるなみたいなこととかさ
それは当たり前だと思ってるから
別に
こういうキャラクターになるぞ
じゃなくて自然に
変わるよね
それこそこういう話すると
平野圭一郎の分人主義のやつね
っていう人多いのね
僕知らないですけど
何回か多分話してると思うけど
分人主義っていうのが
平野圭一郎が
新書で出したやつがあるのよ
今の現代の人間っていうのは分人であるみたいな
それこそいった話
いろんな1つの自分とか
自分がどこにあるのかとか
みんな悩むけど
こういう面はこういう人で
こういう感じで人間っていうのは
分人というので
人とかコミュニティによって変わるよ
それでいいよっていう本なのね
この本が出たおかげで
じゃあそうしたらいいんだって
分人主義みたいなことを
自分の中のすごく大きい指針に
掲げてる同世代って
すごい多いのね
さっきちょっと話戻ると
分人主義のやつねって言われるけど
俺その平野圭一郎がそれ言ってること
全然別に新しくないと思ってたのね
そりゃそうだろって思ってたのよ
無機物と有機物の対比
だからそこに分人主義っていうの
じゃあこれでいいと思ったんだっていうこと
別にそれはそれでいいんだけど
俺個人としては別に
そりゃそうだろみたいな
みんなそうだろって思ってたのよ
だから多分元々
自分の魂の欠片とかを
いっぱい分けて
生きてるっていうのが多分俺はデフォルト
それこそ肉体自体が
乗り物だから
なるほどね
そういうことか
これは自分の魂と
肉体の感覚によって
全然感想が変わる本かもしれない
絶対そう
だからなんか俺は
言ったらちょっとドライなとか
いろいろ言ったけど
分かることが書いてあることが多かったと思うね
それはすごいわ
なるほどね
それは逆やな
僕はずっと
だからこそ浮かび上がっててじゃあ俺の選択とか
じゃあ俺が主体的に向き合ってなかったのって
セックスなんだなみたいなさ
何回か上の感想やん
それって
そこ行くのは多分
分かる分かる分かるだから
何回も読んでるじゃないからね
一回読んでそう思ったから
そういう感覚だったかな
この本で書かれてる内容と
世間的な距離感と
僕が取ってる距離感みたいなと
俺が持ってる感覚がちょっと違いすぎるから
だから俺の感覚の方が
特殊だっていう感覚はめっちゃある
こっちの方が少ないと思う
なるほどね
そうやなぁ
でもそれは
本当からそういう何か
似たような感覚があって
読むと
よりクリアに見える部分があるんかもしれない
僕は
この人形
恋人の人たちの感覚を
理解したり消化したり
噛み砕くことにものすごく
威撃を使ったな
確かになぁ
どれぐらい僕は寄り添える
って言い方はすごくおこがましいんですが
どれぐらい
ちゃんと誠実に向き合えるのか
っていうことを
だからなんかね僕はねズーの方が
めちゃくちゃ理解できたんですよね
なんで
めちゃくちゃ自分の心の嫌な部分で言うと
人形が
喋り出したとか人形がツイッターやってる
みたいなことに対して
自分でやってるだけですやんみたいな
冷めた目が
一番最初にバンって出てきちゃったから
僕は
今はそう思うことは
ものすごく不誠実なことなんだけども
ただ初期的な感覚というかね
初動として
そうだよね
その辺もやっぱそのさ
わかりやすく言うと
アイドルとかプロレスみたいな
たてつけこうですって言われたときに
わかってるよみたいな
わかってるけど
ツッコまないというもの
の中でのめり込むみたいな
俺とかは慣れすぎてんねん
だからそのツッコむっていうのが
浮かぶんやけど
それをたぶんスッと消せる
じゃなくてはい
この世界観ですねっていう
訓練をたぶんやりすぎてるから
スッと入れるみたいな
僕もわかりますよ
言うなら乗るぜとことん
っていう感覚は全然僕もあんねんけど
なんかたとえば
僕が思ったのは
自分の友達が同じような
たとえばここに出てくる
デイヴキャットと同じような人やったとしても
たぶん全然何の偏見もなく
接することはできると思うんだけど
自分のめっちゃ嫌いなやつがドールを恋人や
って言ってたら
何言うとんねんって思っちゃうんじゃないのっていう
なるほどね
だから
本当にお前は人を選ばずに
そのセクシュアリティを
フラットに見れてんのかって
自分を問い正したときに
あ、ダメかもって
自分に対して思っちゃったから
だからなんかズーに関しては
僕はなかったんですよ
でもなんかドールに関してはあったから
たぶん僕の中にはそこに対する偏見が
ちょっと距離がね
人形との関係性
すごくあって
あとすごく僕は有機物信者というか
無機物信者なんやなって思ったね
改めて
確かにそういう意味では俺たぶん
無機物好きだもん
いやそうでしょ
僕はなんか生感みたいなものめっちゃ好きやけど
シャープさんは作り込まれてる
でもそこに意思が見えるみたいなもの
の方が
好きやと思うから
それってやっぱ有機物より無機物よりやと思うんですよね
そうそうそう
だからそれこそ安定している
携帯が安定している
ということは解釈の幅が広い
その動かれると
やっぱその
俺が見るレンズ
自体も動いちゃうから
それが面白いよね
っていうさ
それこそ最後にある嘘をつかない裏切らない
去っていかないみたいなことを
それは動物を愛好している人も
人形を愛好している人も
どっちも言うフレーズだみたいな感じで
出てくるみたいな
でもなんか動物も意思があるから
動いちゃうやんか
嘘とか裏切らない
去ってはいかないけど動くっていうところやんか
動くから動物なんだけど
そうなると俺は
止まっといてくれたらいろいろ見えるのにな
みたいな
だからそれこそ自分で
完結してるから
解釈とか
どういうのが出てくるかなっていう楽しみ方とか
そういう関係性を作ってるから
うん
なんかそうなんだろうな
人間のことめっちゃ好きやけど
会わん時間も割と結構好きみたいな
あの人ってああいう人やな
とか考えるのとかが好きだったりするから
なんか会いすぎちゃうと
動きすぎて
俺がその人を好きな理由とか
そういう幅みたいなのが
狭まっちゃってあんまうまいこといかん
みたいなのがあるので
それがありすぎるからいろんな人と会うし
いろんな場所に会うし
いろんな面で生きてるんだと思うんだよね
うん
そういうのも気づくところがあるね
うん
そういうことかめっちゃ納得がいきました
うん
なるほど
ドールは究極のところを
動かないから
いやほんとそうだね
だからそれこそエモーションに
自分でどんどん読み込んじゃえるっていうさ
あんまり俺はそっちに興味ないけど
それの究極の形だよねドールって
一生読み込めるみたいな
どんな魂でも入れられるもの
そこには
俺はさっきから言ってる
動かんほうがいいなって思うときあるけど
たまには動いてくれる
その人間のままならなさの
っていうもので
俺愛してるとこがあるのね
自分が動かないから
動かない動かないだとそこでずっと
煮詰まってくることが見えてるから
多少動かしたり
じゃあお前も踊ってみるみたいな感じの
人間の移動したみたいなのも
俺同時にあるのね
人間のことを嫌だなって思いつつも
愛してる部分がすごくある
そこが自分が好きなポイントとか
許せるポイントとかが
見えてくるっていうのがすごくあるね
なるほどなそういうことか
そうそうそう
これはね本当に読み込む人によって
すごい多分
広いと思う
俺はやっぱずーはもうちょっと
まっすぐバチンとくる
パンチだったから
クラウドコードとかは
近いところがあると思うんだよねみんな
うーんそうやな
ずーの方って動物
っていう明確な生物やったから
正解が
ある話なんですよある意味
じゃあ動物はどう思ってるのかっていうのは
脳みそが本当にある有機物やから
正解が確実にあるもんだけど
ドールって正解がないから
だから無限に想像も
語ることもできてしまうっていう
だからここにあるよっていうさ
それこそ生命的な倫理の線みたいなのが
動物がギリギリあって
そこを踏み越えるか踏み越えないのか
っていう話でもあるやんか
だから見てる方向はみんな一緒なんだけど
そのドールの場合はその線がないから
みんなこう360度ぐるっと見えるから
そうやな
その表現は確かにすごくしっくり
そうそうそう
で多分俺はそういうもんな方が好き
なるほどね
確かにな
はい
そんなところですかね
非常にいい回になったと思います
この本まだ出たばっかりですから
ぜひとも
あといろいろ喋ってるけど
これ文量とか
マジ読みやすいよね
そうですね
200ページくらいだし
読書とコミュニケーション
読みやすいし
こんだけ喋れますんで
まだまだ喋ってないこともありますんで
ぜひね
最近っぽいこと言うと
読書界向きこの本
誰かと読んだ方が絶対に面白い
ショーも別れてるしいろんな人が出てくるし
うーん
あんま触れなかったけどラフドールのところとかね
あったもんね
後半のね
東大阪のさ
新田レイヤーさんだっけ
人間を
ドールにするっていうサービスをやってる人がいるんですよ
俺に変身できるっていうね
そうそうで写真撮ったり
これもなんかすげーよかったんだよな
そうやな
語れる人はもっと語れるんやと思います
でね
その辺もあるんで
すごいいいし
これどうなんだろうね
読書界向き
それこそさパートナーで読み合ってどう思ったとか
喋ってほしいなとか
そういうのもオススメですとか
言いそうになったんやけど
俺は話した方がいいと思ってるから
読めと言うけども
なんかさ決定的な違いを見つけて
別れたりする人が出てくる
トリガーになる可能性は
ないことないよね
うーん
あるよね
でもそれはさ
俺は7でもいいじゃん
と思ってる部分もあるの
理想論者だけど
人生そうじゃないし
人間関係全部そうじゃないよねみたいな
でも7でベストじゃないけど
それがベストだよねってことがあると
俺は思ってるから人間関係とかにおいてね
だから
うーん
オススメですって言い切れない気持ちもあるが
でもそれで
別れるカップルは別に
別れることは後悔しないと思うけど
そうやんな
そこまで突き詰めて考えるんやったらどっかで
結局突き詰めるトリガーを踏むよ
この先
じゃあパートナーの方々も
ぜひ読んでください
感謝の気持ちと終わり
話してくださいと思っております
はい
ここまで聞いていただきまして
誠にありがとうございました
各社SNSでの投稿は
ハッシャグKOKOSNAです
ぜひともシェアしてください
Apple podcastSpotifyナーの評価
番組のフォローもぜひともよろしくお願いします
Spotifyでは
概要欄から押せますので
欲しい方はぜひ番組情報から
押してみてください
ということで今回は
てらださんありがとうございました
ありがとうございました
それでは皆様
ごきげんよう
01:04:00

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