そうですね。本当にリクストステージの本を出したなっていうね。 うーんすごいよね。やっぱ今回も先んじてすごいなと思ったけど、心の砂地では第70回
全シーズンの第70回聖なるズーを読んでという回を2024年の4月17日に配信しております。 ということで賞ごとにこの本はいろんな方々にアメリカ日本中国とか
いろんなところでそういったドールをパートナーとしたり フェティッシュとして性的対象だとしている人とか
どういう関係だとかっていうことが賞ごとにいろんな場所でいろんな国でいろんな仕事で という人といろんな関係でっていう人とかと話したやつを濱野さんがまとめた本という
感じなんですけどもね。 寺津さん的には聖なるズーは寺津さんの提案だったし寺津さんもすごくいろんなこと喋ってくれたと
思うんですけども 今回この無機的な恋人たちを読んでどんな風な印象を持ったとかこの辺がすごく気になった
とか今日どんなこと話したいかなみたいなことがちょっと先にお聞かせいただければな と思うんですが
そうですね基本的には前回と同じような構成じゃないですか 個人に会ってインタビューをしてっていうのが賞が盛れていってっていう感じ
なので安心して読めた感じではあったんですけども やっぱり前回は生き物に対してっていうところがあったけど今回はそうじゃないので
なんかよりこうなんて言うやろうな 人間関係の話とか生き物同士の話なのかっていうところが
なんかね前ほど僕はつかみきれなかったとこもあったんですよねちょっと正直 ああそれは
と関係についてとか言った僕は逆にすごく自分の パーソナルなものとか愛って何なのみたいな
まあそれはそうなの本だなと思ったんだけど 前回と比べると整備隊の意思と意思と話
っていうよりは個人の話ものすごく 個人が分離して何か2つの意思になってるみたいな感じだったので
すごくこのドールというものを愛せる人というのは 選ばれし人なんじゃないかなっていうぐらい僕にはない感覚すぎたというか
なるほどね だから多分てらださんの話し口で恐らく読書体系みたいな結構自分の何かをぶつけていくというか
そういう自分が感じられるとこっていうのに触れたところを話してくれるっていう印象があるんだけども ちょっと言ったら
自分てらださん自身としては距離が聞き取りしている人たちとか浜田さんの言葉とかに ちょっと距離が前回よりあったかなって感じってこと
うーんそうですね何か自分と自分の関係説何かを置き換えたりすることがものすごく難しい話でも
なるほどね あったなあっていうふうには思ってて
まあ僕の中ではこれが感覚近いんかなっていうのは1個結論は出てるんですけど ちょっとそれは追い追い話していこうかなと思いますね
なるほどねなんか僕も同じようなことを感じてるけどもどっちかというと僕はこっちの方が自分の考えに近いなってめっちゃ思うことの方が多かったって感じかな
えーあそうなの? あーでもそうかもなーとか
これもねちょっと言葉の捉え方次第みたいなところではあるんだけども 自分のめり込ませてるっていうよりは
なんかわかるなーっていう感覚が『聖なるズー』の方々 動物をパートナーとしている方々の話を聞いている時よりもわかるなっていう
まあそれは多分普遍的な自分の中身とその自分に生まれる意思みたいな話がメインになってくるから
だからそこが寄せやすいっていうのが僕的にあったのかもしれないんだけど なるほど
なんかでも多分これはてらでも共通してると思うけどその『聖なるズー』の時の読書体験のなんかこうヒリヒリ感みたいな
なんかこう宗教的なタブー感みたいな感覚がすごいあったのね『聖なるズー』って読んでいて
ただその浜野さんの文体とかって結構空っとはしてるやんか すごく自身の体験とかその実際に動物性愛者の方々のインタビューとかでも割と生々しかったりとかすごく鮮明に丁寧に描かれているから
立ち上がってくるものとしては細かいんだけどでもちょっと距離があるというかあっさり書かれているところがあって僕は少し好きなんだけど
それでも漂うちょっと匂いみたいな それこそ動物の匂いと宗教的なタブー感みたいなのが『聖なるズー』の時はググッと読みながら来てたのね僕の中では
そうやね本当になんか触れたことのない触れてはいけないものに触れてるみたいな ヒリヒリは確かにありました
あるしなんかそれこそ具体的なそのセックスの描写とかまぁ実際そのいろんなね 性のあり方みたいなところの実際に動物たちとのセックスみたいな話とかっていうところの
描写とかが結構 うぉーっていう感じが僕はちょっとしちゃうんなんだけどでもなんかこの本を読みながらその時の感覚をすごい思い出し
ながらでもそれってなんでみたいな なんでそれ自分はその性的なもんにそれこそ動物性愛ってとこになったらタブーみたいなの
めっちゃ感じてたみたいな はいはいはいっていうのとかを
今の無機的な恋人たちを読んでるんだけどその時の感覚とかなんでってお前なんでそう思ってたん っていう感じの問い直しみたいなのを食らったりとかしてるような感覚があって
同じ作者の方読んでる時に前作のこと考えとかここと変えてきたなとかさ 映画にしろ舞台中もそういうのとか思い返しながら見る瞬間あるんだけど
読書でこの本当にそこがなんていうかな二重に重なってくるみたいな前読んだそれも 結構前だからさ1年前とかに読んだ時の感覚を思い起こさせながら
なんでお前そう思ったんって言われているような読書体験で これまたなんかすぐ新鮮
で面白かったっていうのがあったかなぁ そうですね実際本の中でもその聖なるズーの時と比べているような
出てくるね出てくるし構成も似てるから 感覚にも当然なるんやけどやっぱりじゃあそこの差は何だったんやろうっていうのは
頭をよぎりましたね僕もなんかやっぱ思うよね インタビューで話されている人についてこの人は何でこういう生活をしてるんだろう
そういうふうな選んだんだろうとか思いを馳せる瞬間はあるんだけど なんかそれでもこの不思議なもんでやっぱその対象が無機的なね人形
ドールとかだったりするから その聖なるズーの時のような香るようなヒリヒリ感じゃねやっぱ冷たいさ
じゃあお前どう思うこれこれ読んでみてどう思うみたいなのをめっちゃ言われてる感 があったんだよなぁ
そこはやっぱり言っちゃうと無機物なんだからっていうところなんでしょうね 多分そうなんだよね
その図の時っていうのはやっぱりその動物と恋愛するっていうことは一方的なもので 加害やっていうような視線っていうのが
脱ぎきれないからされる っていうところがあったけれども今回はやっぱ生きてないものやからじゃあ好きにしたら
いいんじゃないっていう他人事感みたいなのを結局僕は心の片隅でどっかに持っちゃっ てたかもなって思うんですよ
うーん ただそのこの浜野さんのヒッチとかでさ
これ上げ足取るつもりじゃないんだけど生きてないとか意思って何みたいな感じの 投げかけ方をずっとするやんか
はいからああまあそうかもってこう結構 読んでる時は乗っていけるんだからさ
浜野さんが実際にさ まあすごくドール愛好家のね何十体もドール持っててすごい綺麗にその修理とかもするような
紳士がね中に出てくるんだけどその人に一緒にちょっとドールと寝てみたらみたいな 感じで寝た時とかに確かにその人形が生きている
みたいな人形がの意思みたいなことを自分が物語とかストーリーをガッと一瞬で 考え込んで
その子はこう寝ておいて欲しかったみたいなことを思ったみたいな描写とかがあったり とかしててなんかそこが多分本当に実体験でその心の動きもわかりやすく書いてくれる
からあっても俺もそうなったらそう思うかもみたいなさ あーここまでは行くんだけどでもやっぱでも人形だよねっていうのがどっか
まだ違う方の反響ではそう聞こえてくるみたいな感覚もあったっていうのが面白かったかな そうですね
でまぁやっぱりずっとばっかり比べちゃうけど動物飼ってる人とかってめちゃめちゃやっぱり 知ってるし
見たことあるけど人形を持っている人一緒に暮らしてる人恋愛してる人ってマジで 見たことがないから
身近にもいないからそういった意味でもやっぱ距離感 あるよねー
しまうのはあるかもしれないですねずーっとくるん確かだよなぁ で前言ったかもしれけど僕結構犬がさあ多分人よりだいぶ好きなのね
まあ犬好きなのはなんとなく だから多分その辺とかもあるんやろうなぁ
なるほどねそうかそうかじゃあ確かにねずーの方が何かこう自分がもともと犬に抱いてる 感情に対してこうえぐり込まれるような
そうそうそう感覚があるかもしれないですねなんかでもそういうところで言うと まあドールって言っちゃうとまぁ本当等身大の人形になっちゃうけど
ぬいぐるみとかフィギュアとかそういったものに対してもやっぱりめっちゃ好きな人って いるよね
特にぬいぐるみとかも一緒に出かけたりとか 最近やとアクスターとかもあるからまぁあれはちょっとこう
おしかすできない要素もあるけどなんかでもそういったものも僕マジでほぼほぼないような気がしてて
でもなんかさてらだツイッターのアイコンさ小っちゃい頃に持ってるぬいぐるみにしてるやん
確かにそうやな
好きやったやろあれもめっちゃ
好きではありましたねだから人形好きっちゃ好きやねんけどでもね僕が小っちゃい頃は兄と一緒にずっと遊んでたんですけど
兄の方が多分何倍も人形とかフィギュアが好きなんですよね
そっかそっか近くにそういう人いるとじゃあ俺はそこはお兄ちゃんに任せとこうかなとかなるもんね兄弟とかってね
そうなんか自分以上に好きな人がおったら自分の領域じゃないんかなみたいなスンってなっちゃうところがあって
だからなんかちょっと距離が空いちゃったけどでも多分人形は好きやねんけど人並みが人並みよりちょっと小っちゃいぐらいなんやとは思う
なるほどねー
その辺があって前回よりはちょっとあっさり多分ね多くの人がそう言うと思う
まあまあそうよね多分
続きでもあるから一発目の問題定義みたいなんてやっぱデカいからそれをさ一回自分の中にそれが入っちゃってるから
その2個目は1回目に比べたらハードル下がってるからさ
まあそうね応用編やからねきそうじゃないから
そういうことも思ったらするんだろうけど
でも僕の結構問題認識とか今自分が考えていることみたいなのはすごい無機的な恋人たちの方がクリティカルな感じしたんだよね
うーんそうなんやな
最近ね自分にとってセックスってなんなんやろってことを考えたりしてない
あーなるほどね
これは自分の性別としてのセックスも含むかもしれないけど性行為としてのセックスね
どっちかというとまあどっちもあるんだけど
自分の話をするしかないから自分の話をね
したくない話をしていくっていう姿勢をこれは見せなあかんなと思ってするんやけど
はいはい
これは分からへんねんけど年取ってくる
30半は今34なんですけどぐらいになって急にやっぱその
自分が何も思ってなくてした行動みたいなのが許せなくなってくるきたのよ急にね
うんうん
まあ別にそれは性的な選択とかじゃなくて
仕事だったり遊びだったり全部の行動に自分の意思みたいなものとか決定
意思決定をしてなくてなんかやっちゃったことみたいなの中に
そこの重さっていうのをすごい認識するようになってくる
はいはい
30代ぐらいになってから特に
でそれは多分ココスナやっててらと話してるのもあるし
僕の中でやっぱ20代後半ぐらいからの大きなタームっていうのは
フェミニズム的なものをちゃんと自分の中に向き合って
どうやって自分が生きていくのか
無自覚な10代20代があった中でのその大きな転換があったとは思ってんのね
うんうん
でそこはまず勉強せなあかんうわーって食らうみたいな
でそれは俺の中で好きだったロックとか映画とか最近やったら演劇とか
それぞれ新しいジャンルのものに触れることで自分の持ってたものを破壊されるみたいな感じできたから
それの一つとしてのお前の無自覚な男性性は有害だよっていうこととかを
すごい自分の中に受け止めて
でも音楽とかと同じように自分を壊してまた再構築するっていう
ある種楽しさみたいなことも持ちながらやってるんだけどね人生を
でなんかそれがだんだん30ぐらいになってさ
20代後半ぐらいからそういうのがあって多分5年ぐらいかかって
ある程度またそこでじゃあこれに対してはこう思うなっていうさ
ゼロ回答みたいなマイナスの回答しかできなかった
じゃあこうかなとかさ
自分の中でこう壊した結果答えたりこう思うねっていう言葉も獲得してきちゃったりしてるんだよね
うんうん
だからそういう中でやっぱそのそれだけじゃないと思うけど
自分が無自覚にどんな行動もやっちゃうっていうことはなしにしたいなって
すごく今強く思ってんのね
なるほどね
まあなんか無自覚にやるっていうのはある意味エネルギーの方向性に流されてる状態みたいな感じじゃないですか
でもなんかそれに抗うだけの力自分の意思で動くだけの力がやっぱ身についてきてるからこそよりそう思うようになって感じしますね
それは同じような意識としては
テラーと3つ違うから3年前ぐらいはあったと思うし取り組もうとしてたんだけど
突如として33,34ぐらいに全部そうじゃないとダメだっていう感じになってんのね
でこれはちょっと多分行き過ぎると本当に脅迫的な概念脅迫になりそうだから
ちょっとやりすぎると死ぬなって本気で思ってんの
そうやなちょっとその完璧主義な感じで脅迫性障害っぽい感じになっちゃう
俺はね結構その気はある基本的にはだから危ないなと思いつつも
でもじゃあ何もしんどいんでじゃあそれでいいですとはもう言われへんから
ちょっと気を抜いて時間をかけて改造するとか
そういういろんな逃げ道は自分の中で作りつつも
でもどんなことも決めたいちゃんと考えて決めなあかんっていうところとかが出てくるわけ
じゃあ一番正直仕事とかの選択とかは割とどうでもよくなってくる
優先順位としては下になってくるのね
そんな中で一番自分がやっちゃっててやばいかもみたいなこととかって
本能的な自分が生まれて人間としてみたいな動物としてみたいな
例えば性的な選択とかっていうのはやっぱ一番大事なところになってくるっていうのは
なんかこう今初めて言葉にしたけど一番大事な選択になってくるって
多分本能的に思ってんだよね
だからじゃあ自分にとってどういう風な性的な選択をしていくのかっていう
性的なアクションに対して選択をしていくのかっていうことに対して
考え込んでるわけじゃないんだけど不と思うときがすごいある