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#91 特別編・品川皓亮 さんに芸術と資本主義について訊いてみよう!
2026-07-02 48:38

#91 特別編・品川皓亮 さんに芸術と資本主義について訊いてみよう!

品川皓亮 さんhttps://x.com/kosuke_shina?s=20著書資本主義と、生きていく。~歴史と思想で解き明かす「構造的しんどさ」の正体 https://amzn.asia/d/011w6YEk

劇団とっても便利

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サマリー

今回の特別編では、株式会社コテンの歴史調査チームに所属し、著書『資本主義と生きていく』も出版されている品川皓亮さんをゲストに迎え、芸術と資本主義の関係について深掘りしました。品川さんは、自身が哲学や思想を深く学び、それを分かりやすく伝える活動をしている経験から、舞台芸術も人間の営みに関する知恵や学問、すなわち「人文知」の範疇に含まれると捉えています。演劇は、単なるエンターテイメントに留まらず、人間の生き方や判断に勇気を与えたり、困難な時に寄り添ってくれたりする役割を持つため、人文知的な営みであると語りました。 さらに、舞台芸術が資本主義と相性が悪い商品なのかという問いに対しては、単純な二元論では語れないと指摘。舞台芸術は、その身体性や一回性といった特性から、文字情報とは異なる伝達力を持つ一方で、資本主義的な交換原理だけでは測れない価値、すなわち「土台」としての文化や人間社会に根差した価値を持っていると説明しました。商品としての側面と、それ以前の人間的な営みとしての側面の両方を理解し、自身の「真理」を大切にしながら、資本主義の構造を理解し利用していくという絶妙なバランス感覚が重要であると結論づけました。このバランス感覚を持つことで、卑屈にならず、尊厳を保ちながら活動できると語りました。

品川皓亮さんの自己紹介と活動内容
アートの片隅でこじらせシアター。
今回は特別編として、株式会社コテン歴史調査チームの 品川浩介さんにお越しいただきました。
品川さん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。品川です。
ではすいません、品川さん、簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。
はい、ありがとうございます。
今、僕はですね、今ご紹介いただいた通りで、
コテンラジオを手掛けている株式会社コテンというところで、
歴史調査をもう3年ほどしておりまして、
コテンラジオそのものというよりかは、
女性の社会産業の大きなリサーチだったりとか、
今は今回、ちょっと今日もテーマになると思うんですけども、
ポスト資本主義のリサーチとか、
そういう結構大きめのリサーチに携わるというところをやっておりますと。
ただそれも自分の個人の活動の一つでコテンもやっているというところなので、
個人としては人文知を実践的に、
社会とか人生とかに使っていくというところのいろんな活動をしていて、
自分はずっと哲学とか思想というものがずっと好きだったので、
もう何年前、15年前、20年前ぐらいからずっと独学で勉強しているみたいな感じで、
なのでそこで発見したこととかを、
ポッドキャストを日本一楽しい哲学ラジオというポッドキャストで発信をしたりだとか、
今回テーマである資本主義で言うと、
資本主義と生きていくという本にしたりだとかという形で、
人文知をそういった形で皆さんに分かりやすく届ける活動をしておりますというところです。
哲学と演劇の意外な接点
はい。
日本一楽しい哲学ラジオ、通称田野哲と。
はい、田野哲、そうですね。
いつも楽しく聞かせていただいてます。
はい、あれももう3年くらいになるのかな。
アクアタイムズのドラマーのタッシーさんという人と一緒に始めまして、
哲学ってやっぱり人文知の中でもすごい難しそうというか、
よく分からないみたいなイメージ。
歴史とかの方がまだとっつきやすそうみたいな感じがあると思うんですけども、
僕はずっとやっぱり哲学が一番面白いなと思っていて、
その面白さをできるだけライトにというか、
でもちゃんと本質を捉えながらお伝えするっていう挑戦をしているのが田野哲でして、
それも結構大事なライフワークとしてやっている感じですね。
面白いんですよね、本当に。
特にトマス・アキナスの感情の細分化、11種類とか、
あの辺、そういうことを哲学者がやってるんだというふうに思いました。
そうですね、中世の哲学者ですね、彼は。
この後ちょっと出てくるかなと思うんですけど、
結構お芝居、演劇に言及されている哲学者も多くて、
ちょっと調べたんですけど、
プラトンなんかだとお芝居は堕落、
芸術、
これがアリストテースになると、いいんじゃないみたいなことを言ってたり、
いうようなことが書いてあったりするので、
意外と接点もあるのかなと思ったり。
そうですね、芸術とか芝居に限らずですけれども、
美みたいなものも結構哲学的なテーマだったりしますよね。
そうですよね。
著書出版とポッドキャスト出演の経緯
今回しながわさんに、
こじわせシアターにお越しいただいた経緯なんですけども、
しながわさんがご著書、「資本主義と生きていく」を出版されたタイミングです。
すごく面白く読ませていただいたんですけども、
これを出版されたタイミングで、
X城で声をかけてくれたポッドキャスト番組に全部出ますという、
テレビ番組の企画みたいなチャレンジをされていたので、
精通ながらいいですかということで声をかけさせていただいたんですけども、
これ結構出られてます?
結構出てますね。
そうですよね。
公開されているやつだけでも、
どうなんですかね、15とか20弱くらいは出たんじゃないですかね、番組で。
今収録し終わって、まだ公開されていないやつも多分3、4個あったりするので、
いろんなテーマです、本当に。いろんなテーマで話せているので。
そうですよね、ポッドキャスト番組によってテーマは異なりますもんね。
全然違いますね。
家族の話とか、子供の話とか、時間の話とか、
母親というところとか、
あとは全然違うけど、アナーキズムみたいな、
大杉坂井がみたいな話とか。
出てましたね。
本当にポッドキャスターの方々の今までやってきたこととか、
属性とか経験とか興味っていうものと、
資本主義っていうものを掛け合って、
あとキャリアの話とかもやったんですけども、
掛け合わせた時にどんな話になるかっていうところなので、
自分だけでは絶対広がらない引き出しを無理やり開けていただくみたいな。
今回も結構そっちになると思うんですけど。
またまただいぶ斬新な、彼とはない入り口なんでどうなのかですけど、
面白いですね、そういう意味ではすごく。
僕も今日品川さんとお話しするにあたってすごくワクワクしてて、
ソワソワしてたんですけど、
と同時に知識を試されるとか、テストを受けるような不安がありまして結構。
はいはい、不安、なるほど。
大丈夫かな、品川さんについていけるかなっていう。
はいはいはい、大丈夫ですよ。
基本、タッシーさんも多分僕が言ってることをそんなに多分、
よくわかってないけど、えーとかって言ってくれてるんで。
でもそこは関係ないですよね。
僕は資本主義とか人文知っていうことが好きだから、
それについてやっぱり喋りたくなっちゃうし、
お呼びいただいてる方々はその方々の深い世界があるわけじゃないですか。
それが出会ったときに何が出てくるかみたいな、そういうイメージですね。
なるほど。
品川さんの演劇との個人的な繋がり
今回、資本主義と生きていく、読ませていただいて、
みんなに密接に関わってるテーマの本だと思うんですけれど、
染み合わせて自分の生活と照らし合わせると、
いくつか疑問というか、こういうので感覚合ってるのかなみたいなことも生まれてきたので、
そういうところを今回聞いていきたいと思うんですけれども、
ぜひぜひ感想をお聞きいただければ。
すみません、まず前提条件なんですが、品川さんの舞台芸術、
例えばストレートプレイ、ミュージカル、オペラ、
この後一体接点というか、ご覧になったりしますか。
はい、実はですね、これがですね、
意外なことをこれから言うんですけど、
あるんですよ。
意外ですね。
僕基本、田野哲でもずっと喋ってるんですけど、
エンタメとかコンテンツを全く見ないという、
全く本当に知らない、純粋に知らなくて、
それ嫌いとかじゃなくて、
哲学の本とか読むのが好きすぎてそっちに時間を使いたいという意味で、
コンテンツとか漫画とか見ない、映画とかもほとんど見ないんですけど、
自慢してるわけでは全くなくて、見れてないというだけなんですけど、
ただですね、演劇はあさからぬ縁がありまして、実は言うと。
例えば、僕妻と出会ったのは学生時代に出会ったんですけど、
妻と出会ったのはミュージカルの劇団に2人とも入って、
そこで出会ったんですよ、明確に。
なんかちょっとこの後触れようかと思ってましたけど、
田野先生でおっしゃってた、大学時代ちょっとだけミュージカルのサークルにいらっしゃったっていう。
しかもそこも劇団とっても便利っていう、サークルにしてはちょっとしっかりガチでやりすぎてるみたいな、
サークルでもなくて、代表の方は大野さんという方で、結構プロでやってる方で、
勿論学生もいるんだけどプロを目指してる方々もいてみたいな、
そういうミュージカル劇団に大学生の時に入って、
僕はそんなにミュージカルをガッツリはやってなかったんですけど、
妻の方はわりとダンスがずっと好きだったんで、
ダンサーとしてもやってたりしましたね。
彼女は宝塚が好きなんで宝塚一緒に見に行ったりとか、
そういうことなんですね。
そうなんですよね。いわゆる劇団式みたいなのを見てたりとかもしましたし、
実はそこから遡った時の話は多分そんなに僕他のポッドキャスターでも全く喋ってないんですけど、
なんでそこに入ったか。
なんでそこに入ったかなんですけど、
ちなみにそこに入った後に僕は、
ミュージカルの劇団に入ったけど、
ダンスも歌も嫌いだな、
苦手だなってことに気づいて辞めたんですけど、
なんで入ったかというと、
高校3年生の時にですね、
文化祭で演劇をやるんですね。
都立高校だったんですけど、
みんな各クラスで演劇をやるっていうのは決まってるという伝統としてありまして、
そこで僕は、
今でいうと演出みたいな、脚本兼演出家みたいなことをやってたんですよ。
大体高校生がやるやつなんで、
割と感動系というか、
いわゆる高校生がやる演劇を選ぶところが多いんですけど、
なんかコメディやりたいよねって話になって、
コメディの脚本みたいなものをネットで色々探して、
それを半分以上変えるみたいな。
みんなで作って、多分優勝したのかな。
8クラスあるうちの中の、多分優勝した記憶があるんですけど。
それはすごい楽しかったんですね、演劇が。
めちゃめちゃ面白いなと思って、
なんならそういう道もあるのかみたいな。
それはないなと思ったんですけど、自分の才能的に。
でもすごい面白くて、
下北沢行って、小劇場行って、
僕はダンスとか歌とかよりもストレートというか、物語が好きだったんで。
だから夏休みに本田劇場とか行ったりとか。
それがそんなに長い期間ではないし、
全然浅い感じであるんですけど。
それこそ今の社会人になってから、
いわゆるストレートを見に行くとかってなかなかできてないんですけど、
でも他のエンターテイメントよりかは圧倒的に好きかもしれない。
意外でしたね。
超意外な。
多分あんまり興味ないっていうエピソードを想定されたかなと思うんですけど、
意外と結構好きかも。
でも全然見れてないですね、今というか。
30代になってから見れてないけど、
すごい好きだった。
京大行った時も西武高等とかやってるところとかも見に行ったりとかしてて。
箱があるんですけど、ちっちゃい。
でも今そう行くなら行きたいし、
ミュージカルとかも好きですけど、
どっちかっていうと、
すごいでっかいところでミュージカルでみんなで歌って踊ってよりも、
3、40人のところで見るとかの方がすごい結構来るものがあったり。
意外ですね。
想定と違う話なんですけど。
接点はちょっとあるかなっていう感じだったんですけど、
そんなに体験としてしっかり思ったとは思わなかったですね。
実はそうなんですよ、実を言うと。
作る側もちょっとやってるなっていうことは、
想定外ですね。
好きですね。
なるほどー。
舞台芸術は人文知か?
それを踏まえて今回ちょっとお聞きしたいテーマなんですけれども、
2点、僕の中で疑問がありまして、
まず1点は、舞台芸術は人文治下。
2点目は、舞台芸術は資本主義と相性の良くない商品なのか。
という点なんですね。
1点目からちょっとお聞きしたいんですけども、
これはもうしながわさんご自身の体験を踏まえて
お答えいただけるかなと思うんですけど、
舞台芸術って人文治ですか?
はい。ちなみにこれはどういう背景から
ここが気になるポイントとして浮上してきたんですか、これは。
そうです。例えば歴史とか哲学、そういったものは
いわゆる教養という範囲で元から認知があって、
今、人文治という言葉でも食らえているという感覚なんですけれども、
演劇ってどうしてもエンターテイメントの範囲にもかかっているので、
もちろん哲学的なことも歴史的なことも表現できるんだが、
やっぱりエンターテイメントだよねっていうことで
プラトンも言っているのかなという気もするし、
いや、そんなことないんじゃない?
芸術は芸術で、芸術の範囲であるんじゃない?
という認知もあるかなと思って。
なるほど。
じゃあ、人文治としてはどうかなというところなんですよね。
なるほど、なるほど。
そうですね、これは客観的な答えがあるというよりか、
僕がどう感じるかっていうところをお伝えする感じなんですけれども、
僕が考えるそもそも人文治とは何かっていうところは、
僕の意見で言うと、人間の営みに関する知恵とか学問、
全般を人文治というふうに僕はイメージをしているんですね。
これは別にそれが正解というよりか、いろんなことをいろんな人が言っているので、
様々な考えがあると思うんですが、僕は結構そう思っています。
人間の営みっていうことはどういうことかっていうと、
そこにはもちろん歴史も含まれますし、思想史も含まれますし、
哲学も含まれるし、社会科学とか社会学も含まれると思うんですね。
一方でじゃあ、物理学がどうかっていうと、
おそらく物理学は人間の営みに関する知恵ではないと思うんですよ。
そうすると、あれは人文治ではないよね、みたいな感じになっていく。
ここからは多分難しいのは、同じようなことで文学とかでも言えるのかなと思っていて、
文学も、いわゆる純文学と、なんていうんですっけ、
もうちょっとこう、エンタメ的なのとあると思っているんですけど、
僕の解釈で言うと、今回の演劇みたいなものも含めて、
それは人文治的な営みとして僕は言えるんじゃないかなと思っています。
なぜかというと、人文治って何なのっていうか、
ありて言えば何の役に立つのというか、僕らにとってそれって何なのっていうことだと思うんですよ。
僕が例えば、これは個人の体験ですけれども、哲学。
思想史が好きですと。歴史よりも圧倒的に哲学史とか思想史が好きなんですね。
それらを学んで、もちろんいろいろ知識として学ぶこともあるんですけれども、
それらを学んで、一番僕がもらってきた果実というか、
得られているものは何かなって考えたときに、
こういうふうに生きていこうとか、こういうふうに判断していこうみたいな、
そういう勇気をもらえるみたいなのが僕の中で一番大きかったんですよ。
これは哲学、思想、歴史とかもそうかもしれないとか、
勇気というのはどういうことかというと、
これはつまりHowを教えるものではないということですよね。
こうするとうまくいくよとか、これこれこういうことをするとこういう成果が得られるよとかじゃなくて、
そういう学問じゃない。
例えば建築工学とかは多分こうするとうまく建物建つよとかじゃないですか。
じゃなくて、そういうHowを教える学問ではない。
知恵ではないんだけれども、
ただ自分自身の生き方とか人生に対して、
時には方向づけをしてくれる。
こういうふうにいいんじゃないかという方向づけをしてくれるかもしれないし、
自分がこういうふうに生きたいというのに対して、
それでいいんだよというふうに後押しをしてくれるかもしれないし、
もしくはものすごくつらいことがあって打ちひしがれているときに、
周りには現実の世界、例えば家族とか親とか、
現実の世界には誰も自分をそれに寄り添ってくれる人がいないなって感じるときにも、
何か寄り添ってくれる存在としてそういったものが存在するみたいな、
そういう役割だと思うんですよね。
Howを教えてくれるものではない。
っていうのを人文知って捉えたときに、
例えばさっき一番初めのテーマである演劇とか文学っていうものは、
純文学じゃなかったとしてもそういったものにものすごく資すると思っていて、
漫画でも映画でも何でもいいのかというと、
そうじゃなくて、やっぱりそれがある程度地の蓄積の上に行ってるっていうところが条件としては、
人文知っていう考えが必要かなと思うんですけど、
そこは半分ある気がしていて、
そうですね。
そこが1割でも2割でもベースとしてあって、
そこに別に7割乗っけようが8割エンタメ要素乗っけようが、
そこは何かそれはそういうふうな解釈でいるので、
いいんじゃないかなっていうふうに思ってるっていうのは、
そう聞かれたらそういうふうに思うっていう感じですかね、今は。
なるほど。
幅広い表現ができちゃう媒体なので、
全部人文知的とは言い切れないんだけども、
人文知的要素が入っていないとは言えないっていう感じですかね。
そうですね。
だからそれが人文知的な要素がものすごく入ってる演劇もあれば、
別にそうではない演劇もあるんでしょうね。
だからそういう意味ではグラデーションというか、
その中身によってっていうところだと思うんですよね。
やっぱこういう文系の学問とか人文知って何がいいかっていうと、
何というかやっぱり積み重ね。
昔の人はこういうことを言ってた、こう考えてたとか、
そういう積み重ねを知ってるからこそ、
ある深みみたいなものって結構出てくる。
これは科学とかと結構違うところかなと思っていて、
これは東寛さんとかも書いてたと思うんですけど、
どういうことかっていうと、例えば自然科学だったら、
昔じゃあアリストテレスがこう言ってました。
例えばなぜ物が落ちるかって言ったら、
物は地面に帰ってくるんだみたいな、
帰っていきたいと思ってるから落ちるんだみたいな説明を
例えばしてたとして、
それって今の僕らからしたら、
ある意味では何の意味もない意見じゃないですか。
それ間違ってるんで、科学的に。
科学的な視点で見ちゃうと、
昔誰かがこう言ってたことって、
よっぽどの専門家でない限り、
あんまり意味ないっていうか、
無駄な知見だったりするんですけど、
でも例えば人生についてとか、
国についてとか、生きるとは何かについて
過去の人が言ってることって、
結構何というか、
ゼロ百で無駄にならないというか、
積み重ね、この人はこう言ってる、
この人はこう言ってる、
で、今現代に生きる僕たちはこう考えるって、
その表現の一つが多分演劇だと思うんですけれども。
だからそういう要素を、
だからそうですね、
演劇とか舞台芸術が人文知化というよりかは、
そういった演劇とか舞台芸術に
人文知的な要素を
たくさん盛り込むこともすごくできるし、
それによってより素晴らしいものになる可能性が
あるんじゃないかなと思ってるみたいな、
そういう感じですかね、
なんか言えそうではなくて。
なるほど、確かに。
そうですね。
そうかも、だって。
そうなんですよね、
入れ物っていうほうが近いのかもしれないですね。
そうそう、そうだと思います。
だから入れ物とも言えるし、
表現方法。
そうですね。
だと思いますね。
枠組みみたいな、
伝え方みたいなことで捉えておいたほうが正確なのか。
そうそう、だっておそらく広く言ったら、
その舞台のものって基本的には
人間っていうものを描いてると思うんですよね、
多くは、舞台の多くは。
人間っていうものを描いていて、
何か伝えたいこととか表現したいことがあるから、
多分一つ一つの演劇って作られてると思うんですよ。
ミュージカルであれ、
ミュージカルで歌とかダンスも多分その一つだと、
表現方法の一つだと思っていて、
ってなったときに、
人文知ってさっき言ったように、
人間の営みに関する知恵とか知なので、
関係ないわけない気もしますよね。
そうなんですよね。
なるほど、そうか。
そういう方法として認識しておいたほうが良さげですね。
いい感じですね。
舞台芸術と資本主義の相性
そうすると本当に自分が伝えたいこととか、
表現したいこと、
自分の中では言葉になっていないこととか、
なんとなくずっとモヤモヤしてることとか、
これが素晴らしいんじゃないかっていうことを、
ある意味では哲学とか思想とか人文知って、
言葉としてこうだよねとか昔の人が言ってくれたりするので、
そこでこれなんだ自分が言いたかったことは、
みたいなのをはっきりすると、
またそれが舞台に役者としてなのか、
脚本家としてなのか、演出家としてなのかわからないですけども、
出てくるみたいなことも全然あり得る気もしていて。
そうですね。
人間って古典ラジオでよく言われる、
ほぼサピエンスってストーリー理解しかできない、
っていうようなことから、
演劇という手法とか小説とか、
理解させやすい、浸透させやすいっていう。
すごくそう思いますよ。
それはやっぱり、
まさにそう思います。
だって、同じことを、
結論としては同じこと、
例えば何でもいいですよ。
結論としてはやっぱり、
結局幸せになるためには、
周りの人を幸せにすることが、
その人の幸せなんだっていう、
結論としては陳腐な、
結論があったとしても、
それを、例えば僕だったら、
僕の表現者としての僕だったら、
著作として、
僕は本という表現物が一番自分と合ってると思うので、
それは小説とかではない形で伝える、
っていう方法になると思いますけれども、
それで伝わる人もいれば、
演劇という形で、
2026年の5月10何日に、
あの場所で、
あの気温の中、
そしてあの舞台に、
箱に入る前は、
ここでレストランに行って、
見た、
しかもダレダレさんと一緒に見た、
あの演劇で感じたこととかだと、
そっちの方が伝わる人もいれば、
伝わる人も絶対いますよね、
とかね。
そうなんですよね。
そしてこれで、
2つ目の質問につながるんですけど、
そういった、
舞台芸術、
舞台演劇なんかが、
これは、
資本主義と相性の良くない商品なのか、
という問いが、
芸術の価値と商品としての側面
ありまして、
これは、
本の著書の中でも書かれているんですけども、
しながわさん、
僕も、
しんどいっす。
資本主義の中で、
生きていくのしんどいっす。
みんな、
大変ですよね。
なんかこれ、
例えば、
いわゆる会社組織とかにいるわけじゃないんですけど、
我々は。
我々も物語を商品として、
世の中に提供して、
大化をいただいているんですけれど、
これ、
そもそも、
舞台芸術って、
古代ギリシャの時代からあったと思うんですけど、
今現代資本主義の中にいるんだけど、
これって、
相性が良いのかな?
どうなんだろうっていうのを、
しながわさんの視点で、
お聞かせいただければなと思うんですが。
はいはいはい。
それは相性が悪そうっていうイメージですか?
というよりは、
ほぼ、
人類史と同じぐらい歴史があると思うんですけどね。
そうですね。
そうすると、
当然、
共産主義でもあったし、
資本主義以前も、
生きてきた、
この連激というのが、
今現在、
どういう立ち位置なのかよくわからんぞっていうのが、
正直なところなんですよね。
じゃあ、
資本主義以前の、
例えば、
形が、
良いのか。
おそらくそこから、
市場経済に出ていって、
より自由な演劇を目指すような運動があって、
という発展を統計できたと思うんですが、
今現在、
それこそテープの値段が上がって、
舞台の作るお金がすごくかかってくるぞと。
そういう現状の嘆きを聞いていると、
資本主義の中で、
これ本当にやっていけるのかなという不安がある中で、
良いかどうかというよりは、
相性みたいなことで捉えたらいいのかなという気がして、
ちょっと品川さんにお聞きしようかなと思っているんですけど。
なるほどですね。
今テープの話、
ちょっとだけ広げると、
その点に入る前に。
一つ演劇の表現方法の特殊性で、
いわゆる人文知っていう観点で言ったときに、
ちょっと思ったのは、
質問に直接じゃないんですけど、
これが身体的なものであるっていうのは、
結構大きな特徴だと思うんですよね。
身体的なものなので、
1回限りのものですよね。
これは別にミュージカルとかじゃなかった、
ダンスがなかったとしてもすごく身体的なもの。
温度とか空気とか匂いとか光とか、
そのテープも物体じゃないですか。
物体とか。
っていうのは、
いわゆる僕らはよく本を読んで、
文字として来る情報との違い何かなと思ったのに、
さっきのストーリーがあるっていう話と、
身体的なものであるっていう、
結構この2つが大きな特徴なのかなと思ったんです。
表現方法として。
その表現方法として身体的なものであるっていうことは、
ものすごいアドバンテージもあるというか、
だからこそ伝わることってたくさんあるよなっていうのが、
逆に哲学とかを学んでいて思う。
哲学とかって言葉なので、
それで伝わることもあるんだけれども、
伝わらないことも結構あるなっていう感じがしているので、
そこはすごい大きいなとまず思いました。
それを踏まえて、
さっきの問いでいくと、
まずそもそも商品なのかっていう話もありますよね。
資本主義の土台としての文化と芸術
そうなんですよね。
商品なんでしょうか、舞台は。
どうなんですか、そこは。
そこが非常に、
これもだから芸術なのか、
商品なのか。
古典ラジオの資本論の回でも、
聞いていて思ったんですけど、
あれはもう完全に工場、
工場で商品を作る際の話だし、
じゃあ芸術の価値みたいなことを問われると、
人によって違うみたいなことが、
普遍的なものが見出せないっていうところが、
すごく我々を不安にさせているんだろうなというのは、
ずっと思っているんですよね。
なるほど。
だから普遍的な価値が見出せないものって、
市場で価値がつかないじゃないですか。
だからそこにあやふやさがずっとあって、
これが資本主義以前だと、
パトロンがついて、
ちょっと契約の形は分からないんですけど、
何年間、1年間、いくらみたいな形でやっていた時の方が、
表現者は安心して表現に打ち込めたんだろうか。
その可能性もありますよね。
この流動的なことと、
でも、例えばアメリカのブロードウェイとか、
エンタメに絞るとハリウッド映画とかインド映画とかで、
当たると莫大な富が発生するみたいなことを考えると、
どっちがいいんだろうなというのを考えたりすると、
相性の良い悪いがあったりするのかな、
規模によるのかな、文化によるのかな、みたいなことを考えますね。
ちなみに小松さんが、
舞台とか演劇っていうものをやるモチベーションというか、
それはプラスでもマイナスでもいいんですよね。
つまりは、ものすごい達成したいことがあるみたいな、
そういうエネルギーも人はあれば、
逆にこういう怒りとか、社会に対するみたいなのとか、
もしくは、僕はどっちでもなくて、
自分の場合は好奇心ドリブンみたいな、
面白いとか、いろいろ、もちろんお金も大事だから、
ちゃんと生きていくとか、経済的に乗っかるっていうのは大事なんだけど、
でも別にそれだけだったらいろいろ選択肢はあると思うんですよね。
言った時に、そこにやっぱり、
コミットしてるない人はせざるを得ない、ついしちゃうみたいな、
どういう点なんですか。
僕は個人的には、
物語を伝えるということにすごくキャラが出るんですね。
これはさっきも言ってたように、ストーリーで伝えていった時に、
この物語がきちんとお客様に伝わったなという時にすごく充実感がある。
その快感なんですね。
そうですね。物語を伝えるということだけで言うと、
例えば小説を一人で書くこともできるんですが、
僕の能力的には、
歌とか小説とか踊りではなくて、演技をすることによって、
物語を作るプロジェクトに参加し、
大きな一つの集団として、
お客様に物語が伝わるととても嬉しいという感覚があるので、
俳優をやってるという感じですよね。
なるほど。
なので、俳優は何をやってるかって言われると、
物語を作って、そのプロジェクトに参加して、
その物語を売っているという感覚なんですね。
なるほど。
商品としてはその物語という感覚なんですけれど、
そうではない形のエンタメ、
例えばダンスだったら、
何か言葉で説明しないけど、
そうですね。
何でかお金が発生するみたいなこともあるので、
伝わるみたいな。
伝わるみたいなこともあるので、
それは表現方法がいろいろあるんですが、
僕の場合は演技ということで、
伝えることに参加できたらなというモチベーションなんですよね。
そこがコアなんですね。ありがとうございます。
こういうのって、そのまま相性が良い悪い、
イエス・ノーでなかなか答えづらいところがあるので、
周辺から行くんですけど、
一つ思い出すのは、
こういう理論というか論があって、
そういう文化とか芸術とかっていうものは、
まさに資本主義の中で生きていけるのかとか、
もはや資本主義的なムーブの中でいらないんじゃないかとか、
そういうハリウッドみたいな、
そういうK-POPみたいな、
そういう商業的なものしか意味がないんじゃないかっていうのを
思いがちだったりするんですけど、
一つ、これポランギーとかかな、
言ってるようなことが面白いなと思っていて、
どういうことかっていうと、
実はその資本主義っていうものは単体で、
しかも普遍的なものとして、
それだけで存在してるんじゃなくて、
必ずその基礎として、
基礎っていうのは土台みたいなイメージですかね、
土台とか土壌みたいなものとして、
人間の社会とか文化みたいなものがあるんです。
つまり、資本主義っていうものは、
その資本主義的な原理、交換の原理ですよね。
お金を、放課交換をしていくっていう、
お金を払って商品をもらうみたいな、
もちろんその関係性の社会ってあるんだけど、
見た目としてはそれだけで全ていけちゃうみたいな、
そういう見た目をしてるんですよね、資本主義って。
例えば株のトレードで、
年間1000万、2000万自動で入ってくるような仕組みさえ作れば、
上がりみたいなのって、
それだけで完結してるみたいな顔をしてるんだけど、
でもちゃんとよく見てみると、
それだけでは人間とか社会って幸せになれなくて、
その中に、さっき言った身体制的な家族みたいなものが、
土台にあったりとか、
芸術とか文化みたいなものが土台にあって、
それが一体になって人間社会って実はあるよね、
みたいな話があって、
でもボランギーとかからしたら、
資本主義の原理っていうものは、
土台部分を食いつくしていくみたいな、
食い破っていくみたいな、
そういう恐ろしい存在としてあると思うんですけど、
僕がそれをなぜ思い出したかというと、
今おっしゃっていただいたような、
伝えるみたいな話で、
そして伝えることによって、
伝える喜びもあるし、
伝えられる喜びもあるわけじゃない。
伝わる。
だから多分見に来てくれる人がいると思うんです。
というのは、もちろん、
さっき言った2階部分の商品として、
投下交換としての価値もあると思うんですけれども、
その1階部分というか、
土台部分としての、
さっき僕が言った、
人文地の価値ってその辺だよねって言ったようなところですよね。
ハウじゃなくて生き方みたいなものに影響を与えて、
そっちにやっぱりすごく本領を発揮するものなんじゃないかな、
僕からすると見えていて、
だから両方にまたがる存在なイメージなんですよね、
その舞台とか芸術とか。
もちろん志望的に。
これは本でも書いたような、
価値ってやっぱり色々あるよねっていうことを
ちゃんと知っておいた方がいいよねっていう。
その商品に、
お金に監禁できるっていう価値で言うと、
何か意味あるのかとか、
全然相性が悪いって思っちゃうんだけど、
でもその資本主義の土台には文化みたいなものがあって、
そこにおいてはすごく意味がある、
みたいなことが言えるのかなって。
なるほど。
「真理」と「仮染」のバランス感覚
よくこの古典ラジオなんかでも、
OS?
パソコンにおけるOSみたいなことの比喩をされるんですけど、
そのOSに色々な、
OSだけじゃなくてパソコン本体みたいな。
そうかもね。
メンテナンスもする。
そうそう。
まず商品見えますっていうのが一つ。
とはいえ、
そういう活動をしていくためにも
お金が必要だよねとか、
よりちゃんと経済的に回る方がいいよねってのは
もちろんそうだと思うので、
そこはモードとして、
それをちゃんとお金に変えていくっていう方法も
もちろん考えていったほうがいいと思うんですけど、
でも、
商品として、
この自分がやってる行いを、
営みを、
資本主義的な商品とだけ見て、
もっと売れるようにとか、
もっとお金を稼げるとか、
稼げないからダメなんだって思ってる場合と、
本当の価値はこっちなんだっていうことを
自分の中ではしっかりと理解をしておいた上で、
でも、もちろんね、
生きていくためとか、
少しでも豊かになっていくために、
換金もしていくんだっていう、
ある意味それは、
二次的なものとして、
心の中では思っていて、
やるときで、
心の持ちようが違うような気もしていて、
そうですね。
結構、
今、僕自身の活動とも重なる話をしてるんですけど、
つまり哲学なんて、
結構似たような話じゃないですか。
スペースはこう言ってて、
即活性はこう言っててって、
これお金になるんかみたいな話があって、
だから、僕の中ではそれは、
いや、ものすごく、
さっき言った人文知的な前半で話したような
価値があるとまず思ってます。
でも、これをやっていく中で、
お金にもしていければ、
それはもっと素晴らしいなとも思っている。
なので、そこは合理的に考えて、
自分がやりたいこととか価値があることが、
お金にも変わるような工夫をしていくっていう、
その試行錯誤が結構人生みたいな感じなんですよね、
僕の中では。
今ちょうど、
例えば、その試行錯誤の、
いわゆるお金を稼ぐということだけに焦点を当てて、
キングコングの西野さんなんかが、
プペルの映画で演劇の、
エンタメの素人だけど、
きちんと枠組みを作れば、
お金が稼げるよっていう仕組みを作る、
チャレンジをされてるっていう感じはするんですよね。
それと別にきちんと、
じゃあなぜ演劇をやるのかっていうことを、
深く考えている人がやる活動みたいなことも、
同時進行で、
すごく必要っていうことも思っているので、
うまく両輪がはまればいいなっていうのを、
常々思っているんですよね。
はい、はい、はい、そうですよね。
だから、資本主義と相性が良いか悪いかというよりかは、
まさに資本主義と生きていくっていう、
まさにそっちに僕のタイトルに、
修練していくんですけど、
やっぱり僕は、
これは聖徳太子の言葉みたいな感じで残ってるんですけど、
世間苔、唯物是真っていう言葉があるんですね。
ちょっとググっていただけると。
世間苔ってのは何かっていうと、
世間っていうのは世の中一般みたいなものは、
仮染であると。
苔っていうのは仮染っていう意味なんですけど、
仮のものであると。
唯物是真っていうのは、
ただ仏だけが真である、真理であるっていう、
そういう教えなんですよ。
僕は結構これすごい面白いなと思っていて、
自分にとっての唯物是真は何なんだろうっていうのが、
まず大事だと思ってるんですね。
それは自分にとっては思想とか哲学とかの価値だと思っていて、
それを自分が好きなことをやるっていうのは、
唯物で是真、正しい真理なんですよ、自分にとって。
でも、人生の総体ってその真だけでは生きていけなくて、
苔の部分もすごく大事で、
だから、例えばメディアに出るとか、
まさに稼ぐみたいなのも、
苔っちゃ苔なんですよね。
仮染っちゃ仮染。
なんだけど、すごい絶妙なバランスなんですけど、
これは仮染だと思ってやる。
だけれども、仮染も結構大事だよねって思ってやるみたいな、
絶妙なバランスなんですよ。別にバカにもしない。
本気でそれもやる。
でも、これは仮染なんだ。
自分の真はここなんだっていうのを持っておくっていう感覚を、
僕はこの8文字から結構もらっていて、
これはどこまで伝わるか分からないですけど、
ネットとかで世間古今唯物で真伝ってやると出てくると思うんですけど、
だから、お金を稼ぐっていうこととか、商品として売るっていうことも、
仮染なんだけど大事っていう感覚なのかな、僕にとってはって思いました。
そこは資本主義の、
それはもう大いに資本主義の構造とかを理解して、
だから、Xとかでよく流れてるSNSのマーケットXを攻略せよみたいなのも、
仮染だけど別にいいんですよ。
そこから研究して頑張って、
少しでも自分の方にお金が流れるように工夫するのはすごい大事なことだと思いますし、
でもそれは仮染であるっていうことを理解しておくみたいな、
その感覚ですかね。
なるほどな。
そうですよね。
やっぱりそこに資本主義に飲まれてっちゃうんですよね。
仕事をしてると。
我々が仕事をするっていうのはちょっとあれかもしれないんですけれど、
そういうのが特に俳優って個人事業主ですから、
そういうのに飲み込まれると立ち止まったりするのは結構難しいんですよね。
これでいいのかなっていうのは本当に難しいので、
やっぱりどっちが死んでどっちが仮染かっていうことをきちんと認識しておくっていうことが大事で、
これ資本主義を利用するっていうのはいい感じなんですかね。
いいと思いますよ僕は。
資本主義の構造を利用してっていうのもすごく大事だと思うし、
あとこれごめんなさい何回もややこしい話をするんですけど、
だからそういう仮染なんですよね。世間の話は仮染なんですけど。
でも一方で人間として一番大事なことは何かって言ったら、
日々今日を食べる糧を得る。
そしてそのために、本にも書きましたけど苦しい労働をする。
そして苦しい労働をして今日も糧を得るっていう。
実はこれもものすごくTHE人間の営みなんですよね。ずっと繰り返してきた。
だからこれはすごい正反対のことをさっきから言ってるんですけど、
本当の真は、例えば舞台でこういうことを伝えるとか、
僕だったら哲学失踪なんだっていう思いもあるし、
一方で自分が生きるために嫌なこと、苦しいことを労働としてやる。
これもすごくものすごく人間的な営みであるとも思う。
いや分かりますすごく。
だから両輪というよりかは両方ともやっぱ真なのかもしれないなと話しながら思いましたけど、
でも自分ではこっちが真なんだと思いながら、これは仮初めなんだ。
でもその仮初めにおいては大いに資本主義を利用してやろうって全然いいと思いますよ。
めちゃめちゃいいと思う。
僕もある意味個人事業主なんで、
どうやったら自分の発信をより多くの人にちゃんと広がるかなとかで、
こういうふうにやるとインプレッションを稼げるんだとかも全然見るし、
これは全く悪くなくて、
これは二面あって、
それはザ・仮初めでもありますよね。
ザ・世界、ザ・時計、ザ・仮初めでもあるとも言えるし、
ここでお金のためにとか明日食うご飯を稼ぐためにやる営みっていう意味ではすごく人間的とも言える。
両方あると思うんですよね。
っていう感覚でやると、
僕は絶妙なバランス感覚の中でいるんですけど、
一番大事なのは卑屈にならないみたいなことが大事なのかなって話して思って。
僕と資本主義とどっちも別にどっちが偉いとかないし、
飲み込まれないし、
それが雑生きるみたいな。
そんな感じで思ってますかね。
ちょっと答えなのかどうかわからないですけど。
いやー、とってもいいお話を聞けた気がします。
ちょっと自分で言ってもわけわかんないですけど。
でもそう思ってるんですよ。不思議なもんで。
これなかなか伝わりづらいんですけど。
でもすごくよくわかります。
本当ですか。良かった良かった。
両方なんですよね。
そうですね。だからその主体性を失わずにっていうところもすごく感じますし。
それが一番卑屈にならないとか尊厳を失わないっていう。
それはやっぱりさっきの仮初めの方だけで頑張っていると失われる可能性が非常に高いと思います。
芯があるという物で芯の方があるってわかっているから卑屈にならないとか、
尊厳を失われないような気がしてます。
それが人間なんだと思うんですけどね。動物とは違うところな気がしていて。
そうですね。
そうなのかな。わからないけど。
でもそう思ってるんだよな。
まとめと感謝
すごい良い話続きをすごい話したいんですけど、お時間になってしまいました。
今日もそうですね。
ありがとうございます。引き出していただいて。
とんでもない。最初想定していたとは違うんですけど、
すごく明確な考えが僕の中に入ってきたんですよね。
本当ですか。
とても勉強になりましたし、面白かったです。ありがとうございます。
ありがとうございます。
今話しながら言ったことなんで、これが正しいかもわからないし、
根拠になっているのかわからないんですけど、
でもそういう矛盾する中で尊厳を失わない、卑屈にならない。
そのためには自分にとっての仏とか芯があるということがすごく大事。
だけどもかといって仮初めとか世間とか苔の部分を普通に頑張ってやるみたいな。
それが大事なのかなって話しながら思いましたという感じで。
ありがとうございます。引き出していただいて。
本当に何回も聞き返したいと思います。
ありがとうございました。
今回特別演のゲスト、品川浩介さんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
ここが揺れる度僕は生きてる
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