1. こじらせシアター
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2025-09-11 28:38

#51 ほかの表現に憧れ、ありますか?②「湧き出すもので爆発したい!自分を表現する人への憧れ!」中井響子

響子と書いて、「ハルコ」と読みます。

サマリー

今回は、岡本太郎の作品や芸術への憧れについて語り、表現者としての限界を探ります。特に、芸術が持つエネルギーや、その背後にある思考を理解することの重要性が議論されています。このエピソードでは、自分を表現したいという欲求と、その過程での苦悩がテーマです。出演者は音楽や歌詞を書くことに対する憧れや挑戦を共有し、才能あるアーティストたちへの感心についても話します。自己表現に対する憧れが語られ、特に肉体を使った表現や、芸術家に対する敬意が示されています。また、格闘技や音楽、ミュージカルへの憧れによって、個々の欲求や個性が浮き彫りになります。

岡本太郎の影響
アートの片隅で、こじらせシアター。はい。ということで、今回のテーマをちょっともう一回、船原さんからお願いします。
はい。ほかの憧れのものありますか?ということですね。
もう一回。
ちょっと待ってください。あれ?
俺もね、忘れてたからね。船原さんに。
あれ、間違えた間違えた。
はい、すいません、すいません。もう一回、もう一回。
トークテーマは、ほかの表現に憧れ、ありますか?ということです。
前のところもしっかり使おうね。
やめてください。
しっかりとやめて。
第2回ということで、はるさんからお願いします。
はい。私はですね、大阪に行った時に、岡本太郎さんの太陽の塔の中に入ったんですよ。
入るんだっけ、あれ。
たまたま、たぶん私が行った時に入れて、命の木を生で見た時に、生きているって思ったんですよ。
本当にもう、ただその命の木が真ん中にぶったってて、それを周りから見られるっていう、それだけだったんですけども、すっごい釘付けになってしまって。
いや、そのなんだろう、この岡本太郎という人からあふれ出た、なんだろう、ものがここにあって、それを今私が見て感じるものがあってっていうのは、なんかすごいなって思って。
役者は結構、言葉とか身体表現とかで、自分も見てもらうじゃないですか、自分のひとつの表現のひとつであって、
絵とかそういう芸術は、自分というものを全く置かないというか、置く作品もあるかもしれないですけど、やっぱ目に見えるわけではないから、なんかそれすごいなって、すごい憧れなんだろうなっていうのがあって。
それは、自分を表現体として変えさない表現というか、芸術というか、みたいな感じをね。
まあ、たしかにね。絵も、でも芸術全般そうだよね。
そうですね。写真家もそうだし、書道家とか、なんとかかってつく人たちは、ほんとすごいですよね、だからそういう意味では。
いやでも、岡本太郎さんの作品とか、生田公園に岡本太郎美術館があって、あそこにもなんか塔があって、なんか、俺もそれ思った。うわーって思ったもん。
いや、たしかにこれ、芸術は爆発だって言ってもおかしくないよねって。
あの色使いとか、造形物とか、よくこれ、ほんと岡本太郎さんだなって思うよね、あるいは。
なんかやっぱ、僕も絵画好きで、芸術も好きで、例えばゴッホの絵とかをね、ひまわりとか。圧倒されるんですよ。
圧倒されますね。
岡本太郎さんの言うように、やっぱその絵とか、表現物を通してその人のエネルギーが伝わってくるみたいなことって、理解とか分析とかできねえなって思った。
表現の違い
そうですよね。
何が、この色が素敵とか、このバランス好きだなみたいなことは、なんか確かに言えるはするんだけど、そこじゃないじゃんみたいな。
そうなんですよね。ほんとゴッホもね、ひまわりとか見て、暑いのよ、なんかその塗り方が。
ちょっと立体じゃないですか。あれとか見てると、エネルギー感じるって思うんですよね。
あれ何だろうね。
すっごいボコボコしてますもんね、ゴッホの絵って。
すっげえ、こんなボコボコしてる。あれはもうほんと見に行かないと分かんないですよね、教科書だけじゃ、写真とかじゃ分からないから。
大きさとかも。
大きさとかもそうですよね。
そうですよね、そのやっぱ教科書とかで想像できる範囲のものを越えてくる、もう優位に。
優位にね。
軽々と。
軽々と。
越えてくる。
情報としてはこういう色合いで、こういう構図でっていう絵っていうのは知ってるんだけど。
そんなことは。
立ち尽くすね。
そうですよね。
普通開けてアングリーみたいな感じ。
それはその瞬間エネルギーを多分受け取ってるみたいなことなんだろうけど、あれをやれって言われると、どうやってみたいな。
そうですよね。
ことは確かに思うね。
どっからスタートさせて、銅像とか作っていいかは全然分かんないもんね。
やっぱ我々俳優じゃないですか。
俳優って職業的に言うと、やっぱり自分が思ってることを表現する作業ではなくて、
逆音加が書いたセリフとか、エンス加が意図している表現を作る。
どちらかというとスタッフワークの一環で僕ら仕事するから。
例えば歌を歌う人が自分の思ってることを歌に表現として出すみたいなこととは違うことをどちらかというと突き詰めていく側の人間。
側の職業だと思うんだよね。
そういうのとは確かに、同じ表現っていう言葉を使うんだけど、確かに根源は違って、そういうのできる人できない人いるんだろうなってうっすら感じてるところはある。
そうですよね。
そういうことに憧れがあるのかも。
歌もそうですし、それこそダンスとか、自分というものを表現するっていうことにすごい憧れがあります。
それもあるな。
どちらかというと逆音加とか映画監督とかはそういう自分の思ってることを投影するが近いけど、それでも自分一人でやってるわけではないから。
自分のこう思ってるんだ、これが美しいんだみたいなあふれ出るものを何かに投影するみたいなことは、われわれ少し遠いかもしれないですね。
理解の難しさ
そうです。よく言われるんですけど、役者とアーティストって、役者だからこれやれるでしょうみたいなあるんですけど、うちらってアーティストじゃないじゃないですか。
そうね。
似て非なるもので、よくアーティストと間違われるんですけど、アーティストじゃないから、ああいう人たちの持ってくるもの、考えとか思想とか、ああいうのがほんとすごいなって思いますもん。
歌い方もそうだし。
イングランドの王立のあれもそうだけど、職人的なテクニカルなクラフト&スキルみたいなことを突き詰め方を先にやるかなって感じ。
これを表現するためにはこうしよう、ああしようみたいな感じ。求められてるものに対応するためにどうしよう、こうしようって感じが僕には少なくともあって、
たぶん古典芸能とかもそういうところに近いんじゃないかな、この表現とか思ってることをどう表しにいくか。
だから本当に、いやもちろんね、岡本太郎さんってものすごい技術的なことを研鑽してるからできるみたいなことは多々あると思うんだけど、
ただ自分の思ってることをそのままみたいなことに関して言うと、スタートは違うかなっていう感じがする。
そうですよね。
それに対して憧れはあるよね。
あるある。
すごいよね、岡本太郎さんすごいよね、まじで。あのデカさとかね。
頭の中、やっぱ分かんねえもんな。
分かんないですね。
すっごい何だろう、考えるんですけど、うちに岡本太郎名言集みたいなのもあって、それ読んだりとかして、どうしたらこの言葉が生まれるんだろうっていう、
その岡本太郎さんの脳みそを頑張って想像したりするんですけど、無理なんですよ、すっごい頑張って。
こういう人生を送ったらとか、なぜとか考えたりするんですけど、まあなぜっていうところが最終的には。
表面的にはね、分かるし、時系列的なことでここでご結婚されてみたいなことは分かるけど、
それが実際その人にとってどうだったのかみたいなことが、分かんねえしなあ。
分かんないっすよね。
俺やっぱ梅津和夫さんの展覧会みたいなところに行って、同じこと思っても、この人の頭の中こういうことになってて、やっぱ具現化されて作品化されてるのってほんの一部なんだと。
とにかく頭の中に梅津先生の世界があって、その中の一部を僕らに見せてくれてるみたいな感じで。
この世界の全容って絶対分かんない。
分かんなくていいですよね。
分かんないのがいいですよね。
本人にもたぶん理解できてない。
たぶんそういう世界があるみたいな感じ。
それは僕にとってはすごく面白くて、梅津先生にとってはすごく面白くて、それを他の人にも見せたら面白いんじゃないかみたいな感覚を受けるんだけど、
最悪見せなくてもいい。
頭の中の世界をなんとかして想像に出したいっていう欲求と絡んだときに、世に出てきてみたいな。
世に出すときに莫大なエネルギーがいて、それどっから来てんのって思う。
母が草間弥生さんにパーティーみたいな、一般の人も会えるみたいな機会があって、会いに行ったときに同じようなこと言ってましたね。
草間弥生さんの世界があって、それを見てきた気がする。
我々俳優にとっても、全容を正確にすべて理解することはできなくても、理解しようと思うところは必要じゃないですか。
その世界観を一旦を担おうとするんだったら、少し分かろうとするっていうことは必ず必要だから、
なんでここの人こういうふうに思ったんだろう、みたいなことをね。
最終的にはわかんねえんだけど、そういう姿勢はすごく大事。
そうですよね。
なんか書いたりします?
いや、全くそういうセンスがないからこその憧れでもありましたね。
絵とかも。
絵とか、あと、習字は好きなんですよ。
あ、そうなんだ。
習字は好きで、一応小学生を教えられるくらいの段は持ってるんですけど。
すごいね。
でもそれも別に、書道ではないから私が学んできたのは、習字だから、お手本があって、それどおりに書いて。
習字と書道は違うもん。
違います。
違いますよね。
だから、書道のところに行くと、あまりほめられないです。自分たちは。
でも、習字で段を重ねていくところだと、すごくあれでしたけど。
なるほどね。
やっぱり、うまさじゃないところがあるっていうか。
道は自分で切り開かなきゃいけないみたいな。
そうですよね。
そういうところだとね。
道がついてる、ああいう人たちはすごいよね。
家道もそうだし、茶道もそうだし。
よく言う、手張りっていう。
表現の欲求と挑戦
その手のところだけでね、手習いというか、習い事としてはいいんだけど、そこからオリジナリティーを、みたいなことになってくるわけじゃない。
そういうことですね。
芸術とか、自分の内面を見て、どうやって?って思って。
いや、ほんとですよね。
そういう要求、ふなちゃんあります?
自分の思ってること、考えてること。
ありますよ。
すごい恥ずかしいんですけど。
音楽、ギターとかピアノとか、トランペットとか、やりたいなと思うんですよね。
でも、全然やんないんですけど。
作詞とかだったら、できるんじゃないかなと思って。
作詞をちょっとやってるんですよ。
すごい。
いいじゃん。
ただ、誰にも言ってないし。
まあまあまあ、趣味だからね。
めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど。
そういうのは、ちょっとやってます。
それは、いわゆるポエムとしてじゃなくて、歌詞の方?
そうですね、はい。
想定がね。
誰かに、この歌詞で曲作ってほしいな、みたいな。
そういうのはあります。
ただ、でも、ほんと失礼な話ですけど。
いわゆる、ラブソングとか。
星空を見ながら、君のことを考えてると、僕はどうしてもいられなくなっちゃう、みたいな。
ああいうのは嫌なんです。
なんか、こすられてるやん、それ、みたいな。
だから、なんか、変なことを書きたがる。
アンチテーゼ。
そうですね。
でも、それはあるからね。
世の中にはびこっている歌詞に対して、俺だったらこう書くのにな、みたいな。
そういう欲求。
それはわかる。
そういうのをやりたくなっちゃう。
だから、井上陽水さんの、かざがないのさ、出だしがすごいじゃない。
都会では自殺するって。
あれも、あの人もほんとぶっ飛んでるなって思うし。
中島みゆきさんとかもそうだし。
すごくないですか、あの人たちの頭の中も。
そういう風になってみたいなって思って、歌詞書いてるんですけど、難しい。
なるほど、そういうのがあるんだね。
でも、そういうのも自分の中からある表現の欲求とつながってるっぽいよね。
確かに確かに。
そういうことはやってますけど、たぶん、世には出さないです。
でも趣味ってそういうもんだから。
誰にあれしなくたって別に。
それは自己満足でいい世界だから。
金だるなー。
いやいや。
なんかがあって、ふなちゃんがもしこの世からいなくなってしまったら、探そうな。
音楽とアーティストへの憧れ
これかーって。
死ぬ直前に全部全消化して。
これかーっつって。
恥ずかしいな。
そっかそっか、スマホの中にあるのね。
そうですね。
スマホとか。
手書きとかじゃない、スマホで暇なときにお歌いにとかして。
でも、この間星野源さんがインタビューで言ったけど、
アーティストとして別に言いたいことはないんですって言ってたんだよね。
ただこの音作り面白いなとか、自分の面白いと思ったものをただ作ってるだけでっていうこともあるから。
だからそういう人もいるんだよね、アーティストでも。
そういうことですね。
そういう、例えばなんだろうな。
CM音楽を作るとかね。
そういうふうな、いわゆる技術的なクライアントワークっていうのかな。
そういうふうなので音楽もあるから、確かに全部が全部。
そっか、そうですよね。小林博史さんとかもそうですもんね。
CM音楽とかですもんね。
し、なんだろうな、現代音楽とかだとね、自己表現っていうよりはなんか、
テーゼとして生み出すみたいなこともあるから、
確かに歌が、音楽が全部が全部自己表現かっていうと、そうではないかなっていう。
そうですね。
なんか確かに、でも物を作ったりね、書いたりするっていうのはそういうのは。
いるよね、その俳優さんでも絵描くの上手い方が。
そうですね、いますね。
のりたけさんも木梨さんもそうだし。
エッセイ書いて出す。
そう、多いっすもんね。
いやすごいな。
才能がだからみんなすごい。
いや本当、思うのが漫画家さんの、例えばハンターハンターの戸橋さんとか。
絵も描けて物語も描けるじゃないですか。
すごくないっていつも思うんですよね。
漫画家さんはね、やっぱ全部頭の中で、それこそ世界が作れて、
それを全部、セリフも言って、キャラクター作って、コマ割りもしてみたいな。
すごいですよね、あの頭の中。
そうそう。で、それを全部一人でやれるから。
なんか、漫画家さんって別格?
ゆで卵さんとか、例えば作画と絵が違う人は、それはなんとなくわかるんだけど。
でも、一人で考えて、一人で描いてる人たち。
もちろんアシスタントはいらっしゃるんでしょうけど。
すごいですよね。
本当にすごい職業だと思う。
完璧に自分の頭の中に、
全部があるんだね。
それを表現して。
絵で表現できるんだ。
で、それが、例えば手塚治虫先生とかになってくると、もう手の方が間に合わねえと。
頭の中に。
マイヤーはバーゲンセールできるぐらいあるんだけど、
今度はだから、同時進行で三つ四つ。
できるんだけど、体が持たないみたいな感じ。
恐ろしいよね。
恐ろしいですよね、あの人たちを。
頭の中、本当に。
びっくりするもんな。
俺はいつ言い出したらあれだけど。
逆に俺は少なくとも頭の中に、俺の世界そんなないわけですよ。
明確なものって。
だから逆に、最初の方でも言ったように、どちらかというと、
クラフト&スキルで、職人的なことの進め方の方が好きだから。
好きだし得意だと思ってるから。
自分の中に物語を作る、
頭のあれはないんですよね。
私はないです。
私全くないです。
全くない?
全くないかも。
逆にすると、こうやってって言われたら素直にそれに従えるみたいな。
自分の世界があると、ほら他の人の世界と融合させるのが難しくなってくるじゃん。
そうですよね。
そういうのが結構、俺も困ったことがあって。
俺だったらこのシーンこうなんだけどなっていうのと、
求められてることが違うと違うって言われて、
みたいなことは発生するじゃない。
だから、星野源さんの例で言うと、
自分で発信したいものは特にないから、
タイアップとかのことが来てもすぐ作れるみたいな。
ことに近い。
すごいタイアップ曲多いじゃないですか。
星野源さんもそういうふうなことをしちゃったんだけど、
音で作るのが楽しいということ。
こういうテーマで、こういう作品に合うのをお願いしますって言ったら、
それを受けれるみたいな感じがある。
自分の主張が強いと、そういうのとバッティングしちゃうってことはあるんじゃない?
そうでしょうね。きっとそうでしょうね。
アーティスト同士がぶつかっちゃうってことはあるから成り立ってんじゃない?
ということとは何か考えるかな。
世界があるないに関して言えば。
俺はない方だと思う。
というか、作れないから。
全くですか?歌詞を書いてるとか。
こっそり。
劇団時代とか、妖精の時代に、
トレーニングとして脚本書いてみなさいとか、
書きたくてもいいから、演出してみなさいとか、
詩を書いてみなさい、絵を書いてみなさいってやるじゃない。
つまんないなとは思わないんだけど、
これを膨らませていけるかどうかってなったら、
自己顕示欲と評価
無理かなって思っちゃう。
面白いと思うし、勉強にはすごくなったから一生懸命やったんだけど。
絵を書いても、模写するのはすごい面白いんだけど、
頭の中にある空想、
頭の中にあるものを絵に落としてくださいって言うと、
超自然的なものができる。
犬描いても同じところから足が生えてるみたいな。
全然具現化できない。
あれ?
何も見てないところにパーって描けるじゃない。
すごいですもんね。
それは自分の頭の中にある絵をそのまま絵に落とし込める。
二次元とかに落とし込めるんだけど、
全然それができないから。
それと同じようなことが多分、
こういう話面白いんだろうなと思っても、
脚本に落とし込めないとか。
言うのはその得手不得手があって、
どちらかというとそれは自分で喋っちゃったりとか、
このシーンを演じる方が早いみたいな感じには思ったりする。
だから向き不向きで言えば向いてないんだろうなっていう感じがする。
とか見て、ああだこうだという方が好きなんだろうなって感じですね。
そうですね。
感じはあるかな。
確かにそういう表現、何か表現しようっていうのはあんまないかな。
難しいですよね。
でも自己顕著欲があるみたいな。めんどくさい。
だから舞台には出たいんだけど、
別に小松大輔で出たいっていうわけじゃないというのはあるかな。
小松大輔で出て評価されたいっていう欲求はそんなにないかな。
小松さんのあの芝居良かったですよとか、
あの役良かったですよとか、あの作品良かったですよって言われた方が、
いいなっていう感じはあるかな。
ああ、なるほど。作品全体を。
そうそうそう。
そうですね。
自己表現への憧れ
だから絵描いてみたいなことはあんまり欲求としてはなかったかな。
それで満たされる感じはなかった。
そういうのはあるかな。
それは人によるんじゃない?
私もどっかで見た自分の好きなものを一つに詰め込むのが好きなんですよ。
だからそれっていうのも別に自分の中から生まれたものじゃないじゃないですか。
だからこのシーンのこの人好きだからこの人の写真、コラージュするとか。
アンソロジー作るみたいなやつね。
そういうのは好きなんですけど。
わかるわかる。
だから結局自分から湧き出たものをグワーってやってみたいっていう。
お気に入りのプレイリスト作るみたいなことはすげえ好きなんだけど。
そうですそうです。本当にそうです。
そうやってすげえ満足して、じゃあ自分で曲作りたいかっていうと別にいいみたいな。
はいはいはいはい。
そういうのって本当に個性なんじゃないかな。
なるほどね。
そっかそっか。
それで別に何か表現者として劣るかっていうとさっき初めて言ったみたいにそういうわけじゃないから。
それ個性だと思うんだよね。
そのレベルも趣味でやったり、見せたいっていうのも別に個人差だと思うしね。
でもそういうのができる人に憧れはあるのはすごくよくわかる。
憧れね。ありますよね。絶対できないもんな。
スポーツと欲求
やだよ。できないよ。
絶対できない。
うちら芸術家の人からしてみたら役者なんて絶対できないとかって思われるんでしょうけど、できないよね。
特にやっぱ肉体を使って、絵とかもさ、陶芸とかもさ、ちょっと肉体が関与するものに関して言うとやっぱりちょっとね、技術があるものに関しては、これはできねえなと思っちゃう。
そうですね。
なんかそこに肉体が介在すると余計にね、感じるので。
男の子だったら、プロレスラーとか格闘家になりたいなって思うんだけど、
ジムとかガチの見ると絶対無理。
そうですよね。絶対無理っすよ。
めちゃくちゃ鍛えてめちゃくちゃ痛い思いしてるでしょ。
でも憧れはあるじゃないですか。
ありますね。
そうですね。
思うんだけど、見てるときはさ、俺ワンシャンいけんじゃね?ってさ、
いや、そうなんすよ。
世界一強くなれんじゃない?と思うんだけど、そういう欲求と近いかもしんない。
でも一応、憧れてあるから体鍛えて、ジム行ってみたいなことはするみたいなことはあるかもしれない。
そういうのに近いかもな。憧れの欲求は、春さんが言うのに近い。
そうですね。憧れ。
そうですね。欲求を満たしたいですもんね。
その欲求には確かにあるかもしんない。
もうサンドバック蹴ってるときは超強い気持ちでいるんだけどさ。
そうなんすよ。
めっちゃキックボクシングやりたいんです、私。
俺キックのジム行ってる。トリカス行ってる。
そうなんすか。
そう、見て。
女性も結構いて、
エクササイズ系の人もいますもんね。
いるし、やっぱ蹴るのが非日常で面白いっつって。
全身運動だし。
そういうのも結構欲求として個性が出るかなって思います。
そうですね。
でも、自分もミュージカルと出会ってなかったら、
ムエタイ選手になりたかったですもんね。
すっごい今、すっごい自然に降りてきました。
ムエタイ選手の船原さんに。
すごいスムーズに出てきた。
青のパンツでした、青のパンツ。
青のパンツ。
こうやってやって、もじゃもじゃで。
すごい、声がびっくりしちゃった今。
すごい今、春さんの頭の中で作られたね、今。
作られたね。
ムエタイ選手の。
春さんの世界、頭の中の世界に、
青いトランクスを履いた、
くらちゃんがムエタイやってる姿が生まれたんだね。
生まれた。
グローブつけて、ハチマキみたいなやつつけて。
生まれました。
マイクを落として。
私もレスリングとか、やりたかったなって思うんですよ。
全然やってない、格闘技は。
やってないですね、砲丸投げしかやってないですけど。
砲丸投げの選手だったんだね。
すごいね、砲丸投げ。
そういうスポーツとかね、憧れに近いのだろうね。
表現とか、そこにエネルギー使えるみたいな。
そうですね。
確かに確かに。
確かに。
近いかもね、他の表現に憧れっていうのはあったけど、
確かにスポーツも含めてね、同じあれかもしれないですね。
そうですね。
なりたい、すごいなとか。
ああいう風になってみたいなっていう。
確かにほぼ欲求としては同じ感覚があるね。
こんな感じで。
そんな時間ですか。
ありがとうございます。
第2回目こんな感じで終わりたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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