1. 古代の福岡を歩く
  2. S10 12回目は四王寺山の尾..
2024-12-22 30:28

S10 12回目は四王寺山の尾根からです。

 四王寺山にやってきたのは、この山にある大野城跡をつぶさに見て歩くためです。
大野城が築かれたのは、白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に敗れ、その結果日本防衛の為に築かれた山城です。
大野城は尾根沿いに約八キロの土塁や石塁をめぐらせたものです。
そして、その中に食料などを入れる建物を造りました。その建物の跡の礎石が数多く残っています。
その尾根に沿って見ていきます。
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00:09
古代の福岡を歩くシーズン10。
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン10。
この番組は餃子のヤマハチ道の駅村方の提供でお送りいたします。
道の駅村方の山本です。
フラワー&クラフトショップ日頃ではお正月の花、締め飾り、成人式のお祝い花束の予約受付中です。
初売りは1月6日。福袋も販売します。お待ちしてます。
こんばんは、坂田周大です。
太宰府省庁の背後に見える山、四王子山は、太宰府市、大野城市、海町にまたがる山ですが、
ここは古代の山城、大野城があったところです。
高さ410メートルのなだらかな山ですが、ここにはいろんな歴史の跡があります。
その歴史を訪ねて歩いています。今回は3回目となります。
ご案内を、高都太宰府保存協会の学芸員、田中健一さんにお願いしています。
一緒に歩くのはこの番組の津川ディレクターです。
時間の関係で、前回の坂本地区の登山口から途中車で移動して、焼米ヶ原の駐車場に登ってきました。
そこで今回は登山口を歩いて登ってきた地点へ移動していきます。
ここは焼米ヶ原の近くになるんですか?
焼米ヶ原の駐車場という風に。
焼米ヶ原の駐車場に来ているんですね。
ここから大野城全体をずっとぐるっと回るという感じなんですね。
まずは、こないだご紹介した登山口から上がってきたところまで進みまして、そこからスタートして、またここを通りましてぐるっと回っていこうと思います。
はい、わかりました。
今日は大変いい天気ですね。
標識が出てきました。
九州自然保護の標識、そして蔵長天組織、左側ですというような組織も出てきましたし、
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三社門堂もある、そして大石垣があるということですね。
では、進んでいきましょう。
では、大石垣の方向になるんですか?
そうですね。まずは焼米ヶ原の駐車場から西側の方に、大石垣の方に進んでまいりたいと思います。
ちょっと坂道になっていますが、その坂道を早速登り始めます。
林の中を山道が走っておりまして、2人ぐらいは一緒に歩けるという感じの山道です。
細い山道が右から左にくねっています。
いい山道ですね。
そうですね。ちょうどこの蔵長天のあたりはきれいに歩道も整備されていますので、歩きやすくなっていますし。
歩きやすいですね。
また駐車場も備えてありますので、まず塩山、登山の前にどんなところか見に行きたいという方は、
ぜひまず焼米ヶ原周辺を今日ご紹介します。
巡っていただくと、まず塩山の最初の魅力に触れていただけるんじゃないかなと思います。
焼米ヶ原、これは一体何だ、どういう意味だというのを後でご紹介していただきまして、
今、そこへ向かって山道を登っています。
緩やかな登り口です。
現れました、ソセキが。
そうですね。この焼米ヶ原から奴隷戦場に、西側の方に進んでまいりますと、およそどうでしょう。
150メートル、200メートルいかないぐらいですかね。
そうですね。
目の前に広がってくる、こちらが蔵長天のソセキ群です。
蔵長天のソセキ群。
こちらはソセキの建物が4棟確認されておりまして、目の前に2つ広がっていまして、
さらに西側の一番低いところにもう2棟あるわけなんですね。
そうですか。
こちらは福岡県の方が整備を進めていまして、ちょうど看板とか綺麗に整備されていますので、
そちらまで進んでぜひ見ながら、それを交えながらご紹介していきたいと思います。
ソセキ群と言いましょうかね。
4つ建物があるわけです。
だいたい4、50センチぐらいの大きさのソセキが、
1、2、3、4、4つ並び。
そうですね、4つ並びで3軒掛け、1、2、3、4、5、6、6個なので、
6個並び。
3軒掛け5軒の。
3軒掛け5軒の建物のソセキですね。
3軒ですから、2、3が6メーター掛けるの5軒、10メーターというぐらいの広さですね。
そこが1区画あって、さらに向こう側に同じようなソセキがありますね。
ここに看板がありますね。
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今回まず訪れました造町展築なんですけれども、まさに大野城跡ですね。
今回ご紹介しています大野城跡、塩浜全体に広がっておりまして、
だいたいその範囲がどのくらいかと言いますと、
東西が約1.5キロありまして、南北が大体3キロぐらいの範囲になるわけなんですね。
その中でもちょうど一番南端にあるソセキ群になっております。
ここ4つ建物がございまして、少し時代がずれたり補修工事があったりすると思うんですけれども、
構造はそれぞれ全部同じでして、4つ石が並んで間が3つあります。
3軒で6つ石がありまして、5つ間から3軒かけ5軒の建物が、
4つ綺麗にほぼ方角を揃えて建てられている。
ちょうどどるい線の際に建てられているというような場所になっております。
だいたい3軒かけ5軒というのが多いですね。
そうですね。当時は建物の建て方で、やはり倉庫群がだいたい同じ跡、今のところですね。
時代もちょっとずれたりはするようなんですけれども、だいたい70ほど建物の跡が見つかっていまして、
その中でもやっぱり一番多い規格といいますか。
そうですか。
だいたい先ほど言いましたように、3軒×2×3が6メーター×5軒×2が10メーター。
6メーター×10メーターぐらいの広さということを想像していただければいいかと思いますね。
はい。
これがいくつかあるということですね。
ここの増長点というのは非常に珍しい名前なんですけれども、
これは今回ご紹介する冒頭でもお話しましたけれども、
こちら四王子は774年に四王子、四天皇寺とも言われますけれども、
その四つの神様を祀るお寺が建てられたと。
朝鮮半島から向こう側からの呪詛に対する、それを祓うためということだったんですけれども。
これはあれですか、朝鮮半島とおっしゃいましたが、
白城からの呪詛といいますか呪いを何とか防ごうじゃないか。
防ごうということで、やはり緊張関係が高まっていた時代でしたので、
まさに今で言いますと国家防衛の最重要施設ということで建てられたわけなんですけれども、
その四天皇寺、四王子ということでなじみが私たち深いところなんですけれども、
それぞれ実は方角によって守る神様がいらっしゃいまして、
その四人の神様を祀っているので四王子、四天皇寺となるわけなんですね。
備謝門典、時刻典、象徴典、項目典、この四人の四つの像が祀られたわけなんですけれども、
これそれぞれ方角が担当が決まっておりまして、
実は南側を守る神様というのが象徴典ということになっておりまして、
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こちらは南側ですか。
ちょうど大野城の南側に出すと象徴典といつの頃からか呼ばれるようになったと言われている場所ですね。
それでですね、このお寺なんですけれども四王子、四天皇寺というののありかと言いますか、
一体どの辺にあったんだろうといつも思うんですが、それはどうなんですか。
この774年に建てられたという記録は間違いなく残ってまして、
ただどこに建てられたかというのが結局まだ謎なわけなんですよね。
まだ謎ですか。
山の中で建てられる場所というのは限られておりますので、
今一番有力なお話というのはやっぱり410メートルの一番高い扇山。
扇山。
そこに今ビシャモン堂といってビシャモン様が祀られていますけれども、
そこの中心の下エリアじゃないかなというのが第一候補でして。
そうですか。
今像頂点とか名前が各所にですね、東西南北に残っていますので、
それぞれに祀ったお堂を4つ建てて祀ったんじゃないかなという説もこれまで値するので。
それぞれにね。
ここは像頂点地区というふうになっていますので、
ここに一つあったかもわからない。
わからないというところですね。
それぞれに東西南北に一つずつお祀りをしていたかもしれないということで、
なかなか使用時の実態がわかりづらいところなんですけれども、
これから福岡県の文化財保護課さんの方がこれから
御音の城跡の調査を進めていかれるということをお聞きしていますので、
これからもしかすると発掘調査あるいは調査等が進みまして、
実は使用時ここでしたというのが今後わかってくるかもしれないというところで。
それは楽しみですね。
なのでぜひ皆さん県とかですね、調査の方を楽しみにお待ちいただければなと思うところでございます。
はい、そういうことだそうです。
特別石御音城跡増長建築でした。
別川さんまた補足なんですけれども、
4つ建物が建っていてですね、
皆さんお聞きになったら何の建物だったかちょっと気になると思うんですね。
1300年前、665年に建てた御音城、
なんで70も建物がいるのかと。
実はこちらいろんな先生方が福岡県が研究されていまして、
建物の配置とかですね、
あとは発掘調査から実はこういった建物じゃないかなというのが実は復元されているわけなんですね。
ここに写真がありますけども、これは復元した写真ですね。
ちょうど目の前に広がっている組織群にどのような建物が建っていたかということで。
今のところですね、実は高枝敷の倉庫ではないかと。
よく教科書とかですね、出てまいりますけども。
ネズミなんかを防ぐ。
防ぐということですね。
実際ですね、まずその床までが結構高くて1.8メートルぐらいある。
ありますね。
成人男性ぐらいのところに床があるということですね。
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なるほど。
その全体の配置とかの構造を見られると、復元の案として全体の高さが、
結局屋根の高さが8メートルもあるということで、
ビルの3階建てぐらいまであるような大規模な。
高いですね。
思った以上に大規模なのがですね。
その高枝敷の倉庫なんですけども、
その祖籍の配置とかですね、当時の構造などから、
中にはいわゆる稲もみ。
米。
米ですね。
いわゆるもみ柄を、今で言う米は食料ですよね。
食料ですね。
蓄えていたのではないかなと。
その量とかが入れる計算があるんですけども、
建物が4つありますけども、この1つにですね、
だいたい500人から600人の人が食べれるぐらいの量が
納められていたということで、
仮に500人だとすると4つここ建ってますので、
2000人もの人が1年間、
富士の中で食べていける量の、
すごいですね。
稲柄が、もみ柄がですね、
蓄えられる。
そういった大規模な建物があったんじゃないかなと。
これはやっぱり大野城の性格としてまして、
やっぱり国防のですね、やはり北部九州の要でありました
ダザイフの北側に位置しますので、
もし外国からの侵攻があった場合に、
この山全体が大野城は土塁で囲まれてお城でございますので、
そういった大野城の中に立てこもる人々の、
そういった兵士であったり、
ダザイフの役人たちだったり、
そういう人々の食料に当てられていたんじゃないかなと。
なるほど。
兵隊たちが食べるための食料だったり、
機器に備えての食料だとか、
そういうものが蓄えられていたんですね。
そういう建物が、まず増長点ではそういうふうに調査が進んでおりまして、
他のところも先ほど言いました70ほどあるものの、
そういうものもやっぱりこういうような形で使われていたんじゃないかなと、
いうふうに考えられているところでございます。
だいたい食料品を入れると。
それから武器なんかもひょっとすると入れた建物もあったかもわかりませんね。
そうですね。建物自体もいろんな作りが考えられていますので、
食料はもちろん山城ですので、やはり当然ですね。
防衛とか戦闘のための武器っていうのはやっぱり必要だったと思いますので。
そういう倉庫もあったかと思います。
そういったここは増長点地区の倉庫群ということでした。
今週は塩寺山にある古代の山城大野城を歩いています。
ご案内を、こと太宰府保存協会の学芸員、田中健一さんにお願いしています。
この増長点を見ながらですね、先にまたちょっと池などもありますので。
あ、池があるんですか。
こんな山の上に池があるという。珍しいですね。
そうですね。なかなかこう、普通山に行きますとなかなか水っていうのはですね、限られております。
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そうですね。流れてしまいますね。下の方に。
実はこの塩寺山、小倉川崎池もございますが、滝も実はあったりするということで。
実は水源豊富な山で歩いているのがですね、現在に至るまで。
川とかまた滝などから知られている場所になっております。
滝も。
滝もいずれご紹介できればなと思っております。
珍しいですね。
この山の中で、ひょっとしたら見つかるかもわからないという。
滝もあったということです。
今、増長点遺跡の横を歩いています。
はい。増長点の建物ですね。
建物、高い方に2つありまして、低い方に2つあるとお話ししました。
低い方の2つの所、祖石群の反対側、北側を見ていただくと、そこにあるのが鏡川池になります。
本当だ。
ちょっと道を挟んで。
ちょっと気がつきませんでしたけども。
道の右側、進行方向の右側に小さな池ですね、4、5メートルぐらいでしょうか。
そういう池があって、水がそうですね、今は30センチぐらいかな。
これはない時なんでしょうね。もっとあると深い池になるような感じがしますね。
こちらのですね、すぐそば、増長点祖石群のすぐそば、北側にあるこちらの池がですね、鏡川池と呼ばれている池でございまして、
先ほど津川さんがおっしゃったように、雨が少ない時でも水を蓄えていていまして、
古くからおそらくこの山で使われて、いろんなことに使われてきただろうなと考えられている池なんですね。
古い記録を見ていきますと、江戸時代の地種類に出てくるんですね。
例えば江戸時代の畜然不動き不六とか、あるいは1806年にですね、
実は太宰府周辺の絵図を描いた大野書、太宰府旧石全図の北図という図があるんですけども、
それは大野書をはじめ周辺の史跡をこと細かく描いた絵図なんですけども、
そういったものにはですね、実は増長点の位とかですね、あるいは武具付けの位っていう、
これどうかな、どんな意味なのかなって悩むんですが、
いわゆる先ほどもお話ししました、戦闘に使う武具、鎧とかですね、その武具を付けたんじゃないかなとか、
なので身を守る武具を付けたい、武具付けの位じゃないかなというふうにも言われているところでございます。
洗ったりしたんですかね。
そうですね。付けてしまうと痛んでしまうこともあるんですね。なかなか難しいんですけども。
実際にですね、地元のこの塩寺地区のお住まいの方はですね、実はずっとお世話をされてこられたそうで、
かつて戦前などは日出りで雨が少ない時期もありますので、
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そういう時に雨漕いの行事なんかするときは、こちらからその水をすくって、
雨漕いの行事に使って雨を祈ったとか、そういうお話も伝わってまして、
まさにこの古くからありまして、今の塩寺に住む方たちにとっても欠かせない池だった、水源だったということがお話を聞いております。
珍しいですね、こういうところに水が全然枯れなくて。
今は20センチぐらいしかありませんけども、もっと1メーター、2メーターぐらいの深さはあったんじゃないかと思いますね。
地元の古老の方、さらに古老の方からのお話によると、実は今何も変哲なく普通の池に見えますが、
実はあの池の底には石組で組んだ井戸も埋まってるというようなお話もあるそうなんです。
実はその井戸がそこにきちっと閉じられてあるというようなお話も聞いておりまして、
ただ勝手にさらうわけにはいきません。
この辺りも今後調査が進む中で新たな発見があるかもしれませんけど、
そういうふうに地元の人たちは大切に受け継いで来られているそうなんです。
山坂さん、そういう有史ある池もありますので、ご覧になっていただきたいと思います。
そういうのが鏡川池。
鏡川池。
鏡川池。
という池です。
豪丁伝祖石群と鏡川池がありまして、
合わせてまた全然一本動かずに申し訳ないんですが、
実はこの側に見ていただくのは小さな仏様が。
お地蔵様、仏様。
ああ、これ気がつかなかった。
ちゃんとどなたかが花を入れていらっしゃる。
これはどういう仏様ですか?石仏ですか?
これが実は塩蛇部の山中には33体の石仏が祀ってあるわけなんですね。
これはどういうものかといいますと、実は江戸時代の完成年間、
だいたい1790年、1800年頃のお話なんですけども、
その際に福岡で大火事があったり災害があったり、
大雨、飢饉などがありまして、そういった災害を受けまして、
地域の方、博多の町の人であってもちろん太宰府の人、
あとは海町の海村の、当時は海村ですけども、
そういった海だったり太宰府だったり博多の人々が協力して、
この仕様全体に33体の観音様を祀って、
霊場を設置して、こういった飢饉であったり災害であったり、
そういうのを祓おうという思いで江戸時代に混流されたのが、
塩山の33石仏になっております。
ちょうど池の縁にお座りのような感じですね。
こういった形で、実は塩山の山中には33府田所、33霊場ありますので、
ちょうど太宰府の方から仏様は半時計回りに、
21:01
ちょうど今回私たちが巡るような形で1番から33番に祀ってありますので、
ぜひ塩山の山中、荒木祭にポイントポイントというか間隔を空けて祀ってありますので、
よかったらぜひこういったところを見ながら一緒に巡っていただきますと、
そうですね、散歩の楽しみになりますね。
これ何番目かな、何番目とは書いてありませんけれども、
鏡が池のすぐそばに祀ってありますね。
ということで象徴天と鏡が池と33石仏が各社に祀ってありますので、
そういったものもぜひご覧になっていただければなというところでございます。
今週も太宰府市大野城市海町にまたがる塩山を歩きました。
ご案内をこと太宰府保存協会の学芸員田中健一さんにお願いしました。
一緒に歩いたのはこの番組の津川ディレクターでした。
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです。
こんばんは。
使用時に登る前、それから登った後、どっちでもいいんですけど、
ぜひ立ち寄ってほしい場所が大野城心のふるさと館なんですが、
ここですね、大野城市内で出土した文化財をグッズにしてるんですよ。
で、これ面白いなと思って、どんなのがあるのか。
大野城市心のふるさと館ミュージアム担当の関ゆうまさんをお尋ねしていろいろ聞いてきました。
まずはこの出土品グッズの中でも結構な人気だよという、
人面墨書土器という出土品を使ったお茶碗です。
墨書っていうのは。
墨書きですね。
人面ですから人の顔。
そうなんです。見ていただくとわかるんですが、
本当に一筆でピピッと筆を書いたような。
思わず笑っちゃいましたね。
器の表にですね、味わい深いというか、落書きっぽい感じで。
そうなんですよ。無表情と笑顔のちょうど間ぐらいの人の顔が書いてあるんですが、
これ中島遺跡というところから出たんだそうなんですね。
この中島遺跡っていうのが弥生時代から奈良時代までの複合遺跡なんだそうですが、
このお茶碗使われてたのは奈良から平安っていうふうな設定なんだそうなんですよね。
意外とちょくちょく売れているというこの人面墨書土器茶碗。
もうなんか出土品だからうやうやしいものをイメージしたら全然そんなことないです。
もう子供の落書きっぽいです。
かなりお茶目が一品になってるんですが、関さんもこんな話を聞かせてくれました。
もともとこの人面墨書土器って、
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病気になった人とかがそれに息を吐いて川に流すみたいな悪いものを取り払うものだったらしいんですよ。
それにご飯をよそって食べてるのはどうなんだみたいなところもあるんですけど、
けど結構かわいい感じで日常生活の中に取り入れられるような形で出土品をグッズにしてみるっていうところは結構ウケてるのかなとは思います。
だからほら、気もかわいいとかいうそういう価値観にマッチするんでしょうね。
そうなんですよ。だからスタンプも作られてたりとか、刺繍を施して人面墨書土器の人の表情、目、鼻、口をですね、作ったバッジがあったりとか結構使われてます。
ポストカードにもなってます。
ヒットするかも。
これは一目見るとハマるタイプの顔なので、人面墨書土器の顔ぜひ見に行ってほしいんですよね。
あとですね、中国のカフっていうのが日本の中島遺跡から出てるんですけど、これをポストカードにしたりとか、あと関さんのおすすめとしては一筆線を作りました。
シンプルな線書きをしてある感じになってまして、使いやすいので超おすすめという。
それから、またちょっとお茶目シリーズでいくと、牛首本堂遺跡から出土したというですね、その名も呪符木冠っていう木冠。呪うに符面の符を書くんですが、この呪符木冠というものに書かれていた文字と、そして絵を絆創膏にしました。
絆創膏手元にありますけれども、ちょっと木目調の絆創膏ですね。
これね、木冠のまんまの見た目なんですっておっしゃってました。
人の顔が、髪が逆立ったつり目のちょっとコアモテ系の、鬼までいかないんですけど妖怪っぽい顔がついてるもの。
落書きっぽいです。
そうなんですよ。
それから髪の長いちょっと斜め向こうからこちらを見て嘲笑ってるかのような、その独特のにやりとした笑顔の人物が一緒に描かれているわけなんですが、これ絆創膏にするとちょっと治らなさそうな感じもするよねって言ってたんですけど、ちゃんと意味がありました。関さん教えてくれました。
なんか意外とこんな見た目してるけど早く治ってほしいって願った絆創膏で、中身的にはいわゆる薬払いを意味するものですね。
実はこの木刊の絵の文はさっき説明しましたけど、文字が救急如律令って書いてあって、すぐにこの法律、律令を行いなさいという風な文字が書かれてあって、とにかく早く早々に退散せよという意味もあるんだそうです。
だから傷早くいっちゃえ。亡くなっちゃえ。
絆創膏にぴったりですね。
考えてますよね。考えついたのもやっぱり学芸員さんだったそうなので、やっぱりこう意味があるしなじな面白いんですよね。
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まあでもこういう風に開発するのなかなかすごいんですが、こんな気持ちがあると関さんおっしゃってました。
やっぱりふるさと館として、この大野城の歴史をいろんな人に知ってもらうというところはすごく大きい部分ではあるので、それでやっぱり博物館に来て、2階の展示とかで実際にこういうのが見れたりするんですけど、そういうのをショップで販売して、いろんな人に知ってもらおうというので、出土品を模したものをたくさん作っているという形になります。
すごい一品、大野城心のふるさと館で見つけてください。
中島リアさんでした。
ここで番組ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの、古代の福岡を歩くのバナーをクリックしてください。
また、ラジコ、アップル、スポティファイ、アマゾン、YouTubeなど各ホッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組は道の駅室方、餃子の山鉢の提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田秀大でした。
卓語家の立川翔子です。
1週間のニュースの中から気になる話題を題材に、新作落語をお送りしているポッドキャスト番組、立川翔子のニュース落語。
もう聞いていただきましたか?
政治家の問題発言や、動物たちの微笑ましいエピソードなどなど、落語の世界でお楽しみください。
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本と音声、両方で立川翔子のニュース落語、どうぞご引きに。
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