1. 古代の福岡を歩く
  2. S10 25回目は神功皇后伝承..
2025-03-23 30:31

S10 25回目は神功皇后伝承が残る神社です。

「神功皇后伝承を歩く」の著者、綾杉るなさんに話を聞いていきます。
九州にいた熊襲が叛乱を起こしたと聞き、仲哀天皇とお后の神功皇后は山口県の豊浦の宮へやってきて、軍勢を整え、それぞれの船で香椎宮へ向かいます。
今回は北九州市戸畑区の飛幡八幡宮、若松区の恵比須神社、魚鳥池神社、貴船神社といった神社に伝わる仲哀天皇と神功皇后の伝説を聞きます。
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00:09
古代の福岡を歩くシーズン10。
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン10。
この番組は餃子のヤマハチ道の駅村方の提供でお送りいたします。
道の駅村方の横山です。
ただいまイチゴ祭りの真っ最中。去年より品種も増えました。
食べ比べてみてください。イチゴスイーツも色々あります。
道の駅村方でお待ちしています。
こんばんは、坂田周代です。
今週と来週は神功皇后伝承を歩くの著者、綾杉ルナさんに神功皇后伝承が残る神社を聞いていきます。
神功皇后は第十四代忠愛天皇のお妃です。
あるとき忠愛天皇が奇襲の国に滞在中、九州のクマソが反乱を起こします。
そこでクマソを討伐するため忠愛天皇は奇襲を旅立ちます。
そして神功皇后も福井県の鶴ヶから出発。
二人は山口県の豊良宮で落ち会い、この地にしばらく滞在。
討伐のため軍を整えていきます。
そして嘉祉宮へ向かうのです。
今回はその豊良宮から嘉祉宮への忠愛天皇神功皇后のそれぞれのルートをたどりながら神社を紹介していきます。
まず北九州市戸端区の富畑八幡宮からいきます。
富畑八幡宮の御祭神はどういうふうになっていますか。
まず八幡女神ですね。
こちらは神功皇后と応神殿のお子様ですね。
それから姫女神と村方三女神ですけど。
この形は宇佐八幡宮の御祭神の形ですね。
それから名古屋の狼ですね。
名古屋城の名古屋って感じですね。
03:00
同じ寺なんですよね。
それから菅狼。
大体菅狼祀ってある場所は疫病を防ぐ神様として祀られていることが多いですね。
ここの御優勝ですけれどもどんな優勝があるんでしょうか。
この富畑という名前が地名の富畑になったんですね。
富畑が富畑になった。
それでここのもうちょっと北のところに神功皇后の時代は岬がありまして
それを知恵の岩と言っていたんですけれど
忠愛天皇がそこを通られる時に
これから船が安全に行きますようにということで
別れ道の神様を祀られたんですね。
それを船との神と言いますけど
その神様が名古屋の狼と言いまして
こちらに祀られているということです。
知恵の岩という知恵というのは船の栄光の栄ですね。
そうですね。引っ張るという字ですね。
知恵の岩。
それが江戸時代に実際に見つかりまして
それでちょうど将棋の駒のような形をした
80センチぐらいの大きな岩ですね。
それが今の富八幡八幡宮に移されて
廃殿の左側に置かれているということです。
その時の天皇の名前が霊言天皇だったんですね。
この言が元旦の元だったのを厳しいという字に変えて
霊言と彫られたものが置かれているということです。
霊言の岩という岩ですね。
ここの大岩があった名古屋の狼の岬のお話が
日本書紀にちょっと載っているんですね。
それでその話をしたいと思いますけど
当時中藍天皇の都は山口県の下関市ですね。
そこに富八幡八幡宮といってあったわけですね。
中藍7年に白城勢が攻めてきまして
将軍は神林と言いましたけれど
戦いになって大変なことになりましたよね。
たくさんの兵士が亡くなって
それで中藍天皇が敵を射て
敵将を射てようやくことが収まったというふうな事件があったんですけど
その後ですね
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ここは危険だということで
一旦鯖ですね
巣尾の鯖に移られたんですね。
そこからいよいよ予定通りに
カシグに向かう時に
クマワニが迎えに行くわけです。
温賀水軍の長であったクマワニが
わざわざ抱負まで迎えに行って
そして自己紹介というか案内するんですね。
その時にこの名古屋の大渡りは
自分が支配しているところの西の門ですというふうに出てきます。
この時は1月の4日だったんですね。
お正月の参加日の行事が終わって
それから4日にいよいよカシグに出発するということで
クマワニが清掃してきたんですね。
それが船の一番前にへさ木と言いますけど
そこにさかきの木を根がついたまま置いて
そして三種の神器、鏡とかマガタマとか剣をかけて
そしてお迎えに行ったわけなんですね。
これがよく復讐の印だと言われますけれど
めかり神社の方にこれは清掃なんだというふうに書かれてまして
クマワニさんは神武天皇の時代からずっと
代々お世話をするような一族だったわけですね。
それでその時にクマワニが鏡を取り付ける時に
鏡がピカッと光ったわけですね。
その場所が枝光という地名になったというわけです。
ああ、枝が光るから
はい、枝の白銅鏡ですから真っ白な鏡が光ったと
それで枝光という風になったというようなことです。
この後ですね、天皇と皇后は別々の船に乗って行かれるんですね。
それでこの次のお話になっていきます。
北九州市戸端区の鳥肌八幡宮でした。
次は北九州市若松区の若松恵比寿神社です。
まずここの御祭神はどういう風になってますか。
ことし色主の神ですね。
こちらは恵比寿様のことです。
それで若松恵比寿神社というわけですね。
それから竹之宿根など、竹之宿根がここに来てますから
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その地に祀られています。
こちらの御祭神はですね、天皇と皇后と別々の船に乗って行くわけですけど
天皇は響奈田の方ですね、外洋を通って
それから御河湾の河口の方に向かって行かれるわけですね。
神宮皇后はまた別の船で洞戒湾を通って
そして丘の港まで行く予定だったんです。
それで神宮皇后の船には竹之宿根が一緒に乗ってまして
いよいよ船が進んだ時に海の底に光る石が見えたわけです。
これは何だろうということで両親に命じて
その底の石を持って来させたら
光合しく光り輝く石だったと
この石は和田積みの神がこれからの船旅を守ってくださる見しるしだということで
その石をお祭りしたのがこの若松恵比寿神社ですね。
それからまた何年も経っての話なんですけれど
竹之宿根がまた再びここに戻ってきたわけなんです。
その時には小松を植えようと小さな松を植えようと思ってきまして
そして海も青々しいし松も青々しいと
私の心も若々しいと言って植えられたということなんですね。
それが小さな松若松という地名の由来になったということです。
こちらはもう海のそばにありまして
本殿の近くまで明治時代まで海が迫っていたということだそうなんですね。
それで鳥居が海に向かっているのがあるんですよ。
昔の人は船でそこまで通っていたということですね。
それでそこには灯篭が建てられていて
一晩中常夜灯として建てられていたんですけど
それが昔の人にとっては灯台側になっていたということです。
だから渓谷には羅針盤みたいなものがあったりしてですね。
海にちなむものもあります。
北九州市若松区の若松恵比寿神社でした。
今週は神宮皇后伝承が残る神社を綾杉ルナさんに聞いています。
次も北九州市若松区の漁町外景神社です。
12:04
ここのまず御祭神は?
御祭神は神宮皇后とスサノオの御徒ですね。
ここは日本書紀に出てくる有名なところなんですね。
日本書紀によりますと神宮皇后が天皇と別の船で同海湾
昔は茎の海と言っていましたけど
そこに入って行かれた時になんと潮が引いて
それで船が進まなくなったというわけなんですね。
神宮皇后の船も外洋船でしたからかなり大きな船だったわけです。
それで本当なら一気に道潮の間に通り抜ける予定だったのが
途中で座礁してしまったと。
すでに熊谷は忠愛天皇と一緒に恩賀川までたどり着いてたんですね。
それで船が進まなくなったというのを聞いてですね。
そして急いで沼とか池を掘ったんですね。
そこに魚とかあるいは鳥が飛んできて
皇后の怒りの心も解けたというふうに書かれています。
そして潮が満ちるのを待って
それから恩賀川の方に着いたというふうなお話なんですね。
その場所が今広々とした田んぼのとなって残っています。
その中央には大きな石碑が遠くからも見えるんですけれど
これが昔の宮司さんがここに記念に建てられたということですね。
それで江戸時代まではやっぱり海だったそうなんです。
それを完沢して今は田んぼになっているわけなんですけれど
そこに立ちますと丘が見えるんですね。
神宮皇后は船が止まっている間は船から降りて
そして見越しに乗ってそしてその丘の方に行って
次の死を待たれたというようなことなんですね。
そこに漁町が池神社というのが祀られています。
それで考えると1月の4日なんですよ。
寒いですね。
あと6時間くらい待たなければいけないということで
非常に厳しかったんじゃないかなと思いますけど
なぜ茎の実を通って行かれたのかというのが
15:06
神宮皇后と二つに合わせて
女性だからとかいうのはあまり理由にならないんですけれど
前に紹介した一宮神社ですね。
あそこに神武天皇の宮石がありましたよね。
神武天皇が祈られたという岩坂がありまして
岩で丸と四角を作ってそこで祈られたという
そこに最後の最後にまた行ってらっしゃったんですね。
それでまた自分ももう一度その
戦勝祈願したいということで
そちらに寄られたから遅くなってしまったということなんです。
それでそこもずっと熊谷一族が守り続けていまして
それでそこの地名が神戸崎となったのは
信号機に神戸崎と書いて神戸崎と読むところがありますね。
あそこはだいたいは熊谷一族の港があったところなんですね。
神武皇后がそこを利用されたということから
神戸崎という神戸崎になったということです。
北九州市若松区の御町街系神社でした。
次は北九州市若松区の木舟神社です。
まずここの御祭神はどうなってますか。
倉御神と高御神という珍しい神様ですね。
御神というのは水の神様ですね。
龍神のことも指したりします。
それで倉といったら
峡谷の形をしたようなところに祀られている水神様ということですね。
あと高御神というのが龍神を指したりします。
神社の名前が木舟じゃないですか。
木舟というのが水の神様を祀っているところを言うんですよね。
それで実は神宮高号の船が進まなくなったのは
遅れたのも一つ理由があるんですけれど
占いをしたら木舟の神様が祀ってほしいと
そういうふうな作戦が出たわけなんです。
それでそこに行きましょうということで移動されたんですけど
実際行ってみましたら
漁場街系のコースを離れてですね
18:02
北へ北へと行くわけですね。
確かに右も左も谷みたいになっているんですよ。
その間を抜けていきまして
左に大きな丘があるのをぐるっと回って
そしてまたもう一度回ってというふうに
もうUターンするようなところに
この木舟神社があったんですね。
で行ってみますと
今は家とか家庭祭がありますけど
昔はここはもう白沢清少の綺麗な入江だったんだろうなっていう
そんな形をしてまして
そこにこんこんと水が湧いていたわけなんですね。
それでそこに神宮皇后が行かれて
そして松の木を植えられたと
それで船止めの松というふうに呼ぶようになったということです。
実際行ってみるとこんなところまで船が来れるのかな
っていうふうに思うような場所なんですけど
神宮皇后の時代というのは
だいたい海の深さが今よりも
水面が4メーターから5メーターぐらい上のところにあるんですね。
ですから小舟だったら
悠々と来れるなというような地形でした。
でやっぱり小舟ということですから
身の安全が保障されないと
なかなか皇后様ですから乗るわけにはいかないわけですよね。
ですから恐らくやっぱりここも熊谷が小舟を操って
神宮皇后を先導したと思うんですけれど
そういう意味ではですね
神宮皇后が熊谷を大変信用していたというんですか
絶対的に信じてあったと
それでこんなところまで行かれると
そうなると案内する方って感激しますよね
それで2人の間にはすごく強い絆が生まれてですね
それで神宮皇后がまた帰って来られるときも
もう大慣体するわけなんです
そういう2人の深い絆が
こういうところでもですね
結ばれたんじゃないかなと
そんなことを考えさせられるような地形でした
そうですか
この熊谷の神宮皇后に対する気持ちというのは
後々軍船建造とか
そういうものに貢献していくわけですね
そうですね
軍船も作るし
神宮皇后の船の歩柱がひびが入ったときに
終了したのも熊谷一足なんですね
21:01
それから赤ちゃんのために
素敵なプレゼントを用意してくれたという
後の話ですけど
神宮皇后が赤ちゃんを連れて
ここに戻って来られるじゃないですか
その時に一番女性が喜ぶプレゼント
うぶぎですね
なかなか当時
うぶぎが手に入る時代じゃないので
特別なものを準備してくれていたと
そんな二人です
気持ちいい方ですね
そうなんですよね
素敵な方です
ということで
北九州市若松区の熊谷神社でした
今週は神宮皇后伝書を歩くの著者
綾杉るなさんに
神宮皇后伝書が残る神社について伺いました
来週もこの続きをお送りいたします
ここで古代の福岡を歩く
リポーターの中島理恵さんです
こんばんは
神宮皇后も渡った船旅
私たちも今できるわけですよ
北九州市の若戸都選
若松と戸端を結ぶ都選ですけれども
ちょうど若戸大橋の真横を通るんですよね
行ってみましたら
私が乗れる船は第18若戸丸という
2階建てのクルージング対応もできるような船が
今あって立派なんですね
若戸大橋や若戸トンネルは自転車で通れないので
自転車がこの都選に乗るわけですよ
自転車を乗せて渡ってるわけですね
日常的なそういう風景もあったりするんですが
せっかくの船旅なので案内をお願いしました
同海湾クルージングなどのガイドもなさってます
若松再発見の会事務局長の山田康春さん
待ってる間も
戸端の渡し場って若戸大橋の土台
橋台っていうんですがすぐそばにあって
橋全体が見えないぐらい近いんですよね
この橋台部分は昭和15年くらいまでは
周り500メートルぐらいある島だったんだよ
江戸時代の初めには若松良かったんだよ
なんて話も聞かせてくれました
では山田さんの案内で
戸端から若松まで3分間の船旅です
目指す若松は本当に見えてますね
もうわずかな距離ですもんね
だいたい600メートルぐらいですよね
同海湾の入り口はこちらの東側
24:01
軍艦防波堤とか風車が見えます
船がぐるーっとUターンしましたね
今から若松渡し場に向かってまいります
左に見えてるのが日本水産ですね
古い建物ですよね
あの建物は昭和11年にできた建物ですね
そして上にあるアンテナも同じ昭和11年で
日本で初めての民間漁業を短波無線で
東区南平洋まで信号を送っております
ここにたくさん船がいましたけど
今はもう全部福岡の方に行っております
そしてですね
もうすぐ4月頃になりますと
イルカがここにね
10頭ぐらい現れて小魚を食べに行きます
向こうの方にですね
左側の方の勝田島のところには
スナメリ
ちょっと頭から呼吸するね
ピンク色の動物ですけど
それが現れます
1週間前まではウミウムが降りまして
上空300%ほど東の方に向かっております
そういう風情も楽しめるこの若戸島線であります
間もなく若松渡島に到着すると思います
今度は若松の方に
あそこに巡視堤の前に
左側に見えてます建物のね
あれが若松石炭海間と言いましてね
明治38年の建物で
若松で一番石炭が栄えとった頃の建物であり
1階にはクロワッサンで有名な三日月屋があります
私も近くなるとレトロな建物が並びますね
左側に三菱マーク見えてますよね
あれが旧三菱 郷志 若松支店で
上野海運と書いてますけども
石炭を取り扱った会社となります
はい 若松渡島に着きました
でも若松屋に来ると若戸大橋がすごい
全景が見えますね
これノーカットですよね
ノーカットです
着いちゃいました
あっという間でしたね
たった3分の中に見所がいっぱいあって
ずっと距離からできる楽しい船旅なんですよ
イルカスナメリは知りませんでしたね
知りませんでした
これは春見なくちゃって思ったんですけどね
日常もあれば自然の豊かさ
そしてレトロな建物も楽しめるんですが
27:00
この若戸戸線の魅力について
こんなふうに山田さんおっしゃってました
やっぱり人と人をつないでくれる
若松から戸端 戸端から若松ね
みんなの足
それが一番じゃないですか
でも明治維新からつないでる歴史を
今までつないでいる
これをなくしてはいけない
やはり若戸の誇り
そうなんです
戸線の料金は100円です
3分間の船旅なんですが
夜はライトアップされた若戸大橋が
すごい綺麗でいいですよっておっしゃってました
神宮高号の後は菅原道真そして
豊臣秀吉も通った海をプチ旅できます
若戸戸線おすすめです
中島リエさんでした
番組ホームページのご案内です
これまでの放送内容と
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この番組は道の駅室方
餃子の山鉢の提供でお送りいたしました
ご案内は酒田秀大でした
×少女隊の春野きいなと
青井リノアです
RKBラジオでお送りしている
ガールズパンチ×少女隊の×ラジオ隊は
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