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  2. S9 10回目は那珂川市に残る..
2023-12-03 29:46

S9 10回目は那珂川市に残る宰府詣り野道を紹介

那珂川市には、かつての太宰府天満宮参拝への道が今でも残っています。
まず、スタート地点はセブンミリオン・ゴルフ場の入り口、小笠木峠。
前を走る県道56号線を糸島方面から那珂川市の方へ下っていきます。
途中左へ分かれた方へ入っていきます。この辺は下り坂がずっと続きますので比較的楽に歩けます。
途中、西畑という三叉路にでます。ここの公民館に植えられているのがタラヨウの木。これは大変珍しい木でした。
別名がハガキの木といいます。
ハガキの漢字、葉書~葉ッパに書くと書きます。ハガキというのは、このハガキの木、タラヨウに語源があるのだとか。
葉ッパは10センチ程の大きさですが、この葉ッパの裏に爪楊枝で文章を書き、しばらく置いておきますと、不思議なことに文字がくっきりと浮かんで見えるのです。
ですから、葉書の語源になったんだとか。
そんな三叉路から那珂川市の方に歩いていきます。
古代の福岡を歩くリポート 
以前ご紹介したもなか「伊都の鏡」が買える店=前原商店街の「糸島のかおが見える本屋さん」。
壁一面に、ひと区画30cmの立方体が100個並ぶ本棚で、ひと区画ごとにオーナーが存在するのです。
古本もあれば新品も新刊もあり、自費出版の本もあります。
並べる物も並べ方も各オーナーの自由!運営している(株)まんまの中村真紀さんにお話を聞きました。
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古代の福岡を歩くシーズン9 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン9 この番組は
宮間市の企画協賛 餃子の山端
道の駅村方 草と共に生きるオーレックの提供でお送りいたします
こんばんは、坂田周大です 最近、那珂川天満宮にお参りに行ったんですが
参道は韓国や中国、タイ、ベトナムという いろんな国からお参りに来た方でいっぱいでした
こういった那珂川天満宮に参拝に見える方は 昔から財布参りと言って
日本国内の町や村からたくさんの方がお参りに見えていました こういった財布参りの道が今でも残っているところが
那珂川市にありました そこで今週は那珂川市に残る財布参りの道を歩いてみようと思います
ご案内は那珂川市の歴史ガイドボランティア 中川の志郎津美恵子さんにお願いしました
那珂川市に来ました ここは県道56号線と言いまして
車の激しいところなんですけども セブンメリオンというゴルフ場がありますが
その玄関のところに今立ってお話ししています
今日は那珂川市の財布参りの道を皆さんにご紹介していこうかなと思っています
ご案内を志郎津さんにお願いしています よろしくお願いします
はい那珂川市にはですね参拝の道 財布参りの道で歩けるところが比較的残っています
その道すがら歴史のなど含めましてご案内をしていきたいと思います まずこの財布参りの道の財布参りというのは
もちろん那財布の道座根っこが祀ってあります
那財布にお参りするための道ですね はいそうなんですね
財布参りとは学問文化の神様であり 農耕の神様として人々の信仰を集める
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那財布天満宮の菅原道座根っこに参経し その後那財布周辺の名所を巡ることですね
あのこの財布参りの道っていうのがいつ頃から行われてかって言いますと 戦国時代も終わって江戸時代半ばになりますと
庶民の生活や治安もずいぶん良くなりました で産金交代が行われることによって街道筋や橋宿場施設の方も整備されるようになりました
そして全国各地の有名な自社参拝と ものみ油産を兼ねた観光ツアーというものが庶民の間に爆発的に流行しました
ただですね江戸時代庶民が両国の外へ出ることは厳しく制限されておりました 特に百姓は米を作らなくてはいけないので村から出ることはほとんどありませんでした
ご法度だったんですね けれども五穀豊穣を願う自社参りと体の病や傷を治すための当時は例外として認められており
ました ででも普段自分と住んでいる地域を遠く離れることがほとんどなかった
当時の庶民にとっては自社参拝は一生に一度はと願う夢の一つだったわけなんですね あの娯楽ですよねそうですよね
一緒に1回楽しみたいということですよね 1回ぐらいはお参りしたいなっていうようなねそういう切なる希望を皆さんお持ちだったんだ
と思いますね あの今セブンミリオンというゴルフ場の前におりまして
さあここがですね沢原から中川市の西畑へ超えるこの峠岡崎峠と 岡崎峠と言います岡沢の小さい傘
はいあの竹冠に竹冠に 立つという字ですねそうですね
この登り詰めたところが沢原区と中川市の境となっております あのその岡崎の傘っていうのはね
あの昔頭に被ってた傘ですねあの傘を表すんですね はいそうなんですねはいでこの岡崎の名前の由来というものがございまして
福岡阪市の加藤一巡が編参いたしました 地区全国不読不録によりますと里人の説に菅原道真子が
打財布に赴く際当地で休息し片わらの松にその傘をかけたことからその地は 笠掛天神森と称されるようになり
これに由来して尊平を奥笠の木 岡崎と知るしたというふうに伝えておりますそうですはい
名前にもね ちゃんとそういう由来があるんですね
そう言葉にねそうですね岡崎ていい名前ですよねそうですよね はいそれからですねこの沢原区の方には菅原道真子の伝承話がかなり多く残って
06:10
いるんですね 菅原道真子がですね
天神様ということになられて 時代によってですねいろいろこう
信仰の仕方も変わってきたんじゃないかと思うんですけどその辺どうですか そうなんですねあの道真子が九州の方に流されましたのが901年になります
そして 太宰府県政庁の近くに今は絵の記者というのが祀られておりますがそこの方でまあ2年
ほど遊兵されまして亡くなられるわけなんですね 亡くなられた後に今日の都ではもうやたらめったりかも
雷がなったそうなんですよ で指針伝にも雷が落ちまして道真子を無実の罪なのに
まあそういう無本を起こしたという罪をかぶせた人たちが雷に打たれて多くなく なったそうなんですよ
そこからあの貴族の人たちは雷がなるとすごく怖がったんですが 当時はですね平安時代95%が農民なんですねはい
であの農民たちは 神様がなったら雷っていう感じを思い浮かべます雨に田んぼ
と書きますよね 神様がなっているあ雷様だ
あ田んぼに雨が降るよという非常に喜んだそうなんですよ はいそして稲妻っていうのがありますよねあれはいな稲の妻と稲の妻
と書きますはいで稲妻がなった年にはお米が豊作になるよ ということで農民たち一般庶民の人たちにとったら雷様っていうのは雨を
もたらせてくれる 恵みの神様であったわけなんですねはいだからまあ当時は濃厚の神様として
あの天神信仰というのは日本国中に広がっていたということですはい これがもし貴族の神様だったらここまで
天神信仰は広がらなかったと思いますね それからまあやっぱりあの道真子というのは非常に優秀な方でありました
でその 例えばそうですね鎌倉時代は正直の神としても祀られ
ご自身がもうそれこそ嘘をつかれてこんな風に無実の罪をかぶせられてこちらの方に 流された
だから正直になんか行きましょうねみたいな感じ それから室町時代とかなりますとだんだんと煉瓦の神様であったり
今度は教養文化の方の神様として祀られるようになってまいりました 文の神様はい
そしてその学問の神様なんですがあの学問の神様と祀られるようになったのは江戸 中期になるようですそうですかはい
09:06
あの江戸中期になりますと武士の子供っていうのは反抗その版の学校に入りますね であの一般庶民
やっぱり戦国時代が終わって平和になると読み書きソロ版が必要となってくるわけ なんです
でその読み書きソロ版を学ぶためにもお勉強しなくていい そこで庶民が自主的に立ち上げたのが寺小屋になるわけですはい
で寺小屋を立ち上げましてじゃあ学問の神様は誰にしよう ということで万丈一致で菅原光座でこうでしょうっていうことになったんですね
ですから25日この日は菅原光座猫の御縁日というふうに言われています 道座猫が生まれになったのが845年の6月の25日
亡くなられたのが903年の2月の25日 25日は御縁日だっていうことでその月に1回はですね道座猫のお軸を飾ったり
近くの天神社の方にお参りに行ったりして学問の向上を願ったということですね
まあそういうふうにあの時代によって天神様の信仰というのは少し変わってきた それがずっと今も続いているというようなことでしょうね
そうですねそしてやっぱりもうなんて言いますか 天神様って言ったらオールマイティの神様なんで何でもお願いを聞いてくださるそしてご利益っていうのは必ずある
そしてやっぱりもう農村はやっぱり天神様って言ったら天の神様 ですのでそういうのを多く祀ってありましてこの沢楽の方に多く残っているのをいくつか
取り上げてみますと 沢楽にあります及松神社は菅原道座猫が今宮神社に参拝したことから起源を持ち
ます 沢楽役所イルベ出張所の裏に菅原道座猫が
太宰府への殺戦途中に手を清めたと言い伝えのある 松金の井がありますこの井戸の水は昭和初期まで飲料水や酒作りに利用されていました
そこで手を清めた道座猫は道を挟んで向かい側にある 今宮神社に参拝され松を植えられました
この松が一夜のうちに成長し古木となることがあれば後に自分の無実が晴れる であろうと念じながら植えますと一夜で置いた松になったと伝わっています
この松は飛び松と呼ばれこのはいそうなんですね この地の呼び名になったといういい伝えがあります
道座猫が亡くなられた後に今宮神社の偶事さんが病気回復祈願をこの松にしたところ 全開したためにその傍らに車殿が建てられました
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これが今日の追松神社の由来となっております そしてもう一つ沢楽の板屋には真子製の方がおよそ70人ほどいられます
道座猫のサネ真実の真ですねそれに子供のこと書いて真子さんと言いますね 道座猫が藤原市の支客から逃れるために背振りの頂にある
板屋まで逃げてきたことがありました 数日後田財布へ立つ際に親切にしてくれた
板屋の民家に同伴の子供を預けました 道座猫の子供という意味の真子これが板屋の真子製の始まりとされています
そのご子孫が放納したという菅原道座猫とそのお母様 そして奥様二組の像が北山神社の御神体となって今も祀られています
といったようなことですけども あの
ここですね岡崎峠と言いますか ここから
大体その大まかに言いましてね 田財布天満宮まではどういう風なルートで歩いていったんでしょうか
まあここの岡崎峠を通りましてあの中川の方に入ってまいりましたね そして西熊という地域を通って別所それから山田地区
それから安徳地区それから梶原 そしてその梶原の一番端に梶原峠というのがあってそれが中川市に
ある財布参りの終点となります ああそうですか
そこから先はまあいろんなルートで田財布天満宮を目指したということでしょうね そうですねはいでも今はですね
菅氏大野城氏田財布氏ともうほぼほぼ財布参りの道は残っていないようですね もうやっぱりあの住宅開発とかですね
この中川市はあのまだまだ実際に歩いていけるところがありますのでご紹介しますね はいそういうことでここを起点に今からですねちょっと
歩いていって皆さんにご紹介していきたいとおもいます 7ミリオンというゴルフ場の入り口を出まして次へ向かいます
岡崎峠から中川市の方へ向かって200メートルぐらい 歩いたところに来ましたはいここはどういうところでしょうか
あの古代の財布参りの道の上にほぼほぼ 剣道56号線がまさがさなっている状態ですね
15:07
はい今ここにあの岡崎峠から200メートルほど行って左に入るこの小道があります これがもともとの昔の財布参りの道なんですね
だから道自体を見ますと当時の様子がわかると思いますがほぼほぼ一軒 ですね広さそうですねはいはい
ほぼ2メーターぐらいですねはいそうなんですね 昔はですねこの岡崎峠には追い剥ぎが出ていたそうです
そう考えられますねもうそれだけ山深かったのだと思われます でそこで多くの人々が行き交う岡崎峠には邪悪なものを防ぐ
鞘の神が祀られていました 旅行く人々は鞘の神に
旅の安全を願って手を合わせたことだと思います ただ残念なことにその鞘の神は道の克服工事などでいつのまにか行方不明になって
しまったということなんですね そうですか今車の音が少し聞こえると思いますが
剣道56号線からほんのちょっと入った小道ですね 左の方に入った小道ですけども
そこに今昔の道路があったということですね ここは小中という集団という集団ですね
小さい中小中という集団ですね ここからはですね道路が上の方に
56号線が見えておりますけどほんのちょっとだけ下ったところですね この道をさらに中川市の方に下っていきました
少し中川市の方へ下ってきました まし500メーター北かなというところですけども
ここは西畑ということですねはいそうですね 西畑公民館という
まあ交差点なんですが3サロになっております そして中川市に下っていく方から見ますと左手の方に曲がる道がございますよね
はいこれはですねあのこの先には福岡市が運営する 油山市民の森通称モーモーランドの方につながってますそうですか
はいそうなんです実はその道も江戸時代には 福岡界隈から財布参りの道として多くの人々が産経のために利用していった道でも
あるわけなんですね
福岡市の方がこっちの方へ
ちょっとこの道を通ってここでぶつかるとそこで合流するわけになるんですね はいでここのここからですね
だいたいそうですね4500メートルぐらい行ったところに萩の春っていう集落があります そこは平家の落武者の屋敷屋との伝承もありその
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松江が萩の春の里人として根付いたのではないかと 京都市中川に記されております
そうですはい 実はこの萩の春にはですねもうちょうどたけのこが出てくる時期ですから4月の
終わりぐらいですかそこにお住まいの方個人の方がですね 山の谷に尺投げをたくさん植えてあるんですよ
で最近はツツジも植えていらっしゃいます ですから知る人ぞ知る花の谷があるところでもあります
そこの道挟んだところにはやはり 財布周りの道ですよね健人者の方が祀られております
そうですか
ここの今私たちがいるところは西畑公民館というところにおります ここは昭和40年まで西畑小学校があったところです
終わったはいそうなんですねここには珍しい手紙の木 タラヨウがありますタラヨウという木があるんですはいこれはですね
葉っぱの裏に先の尖ったもので文字を書くとその部分が黒くなってその文字を残す ことができます
戦国時代にはこのタラヨウの刃の裏に文字を書いて情報のやり取りをしたという話もありますし
タラヨウの刃の裏に教文を書いたり刃を炙って占いにしたり使ったので多くは自社に 植えられていたようですね
刃書きという漢字をちょっと思い浮かべてください 葉っぱに書く
そうなんですよこのタラヨウの刃そうなんです 刃書きの語源になるようなんですね
このタラヨウの葉っぱなんですけれども実際に宛先を書いて定型外の切手を貼れば輸送する ことも可能なんですね
郵便局の木として東京中央郵便局にも植樹されています
それですか
ここにそれがあるということは小さい木ですね 大体そうですね大きさは4、5メーターぐらいですかね
ちょうどあの美輪の木みたいな感じがしますね 葉っぱを今
一枚だけですね
見せていただきまして 割り箸で何て書きましょうか
古代の福岡 古代の福岡ですね
なるほど 葉っぱの裏側に古代の
福岡を歩くというふうに書いていただいてますけども これはよく見えますね
これからますます見える真っ黒になるんですよこの地が ですから昔紙とか炭が貴重だった時にはですね
21:07
これを紙と炭の代わり
なりますねこれが何枚かあれば 手紙のやり取りができるというそんな感じがしますね
珍しい手紙の木 タラヨウがあるという西畑公民館でした
今週は中川市の財布参りの道を歩きました
ご案内は中川市の歴史ガイドボランティア中川の白渦美恵子さんにお願いしました この続きは来週お送りいたします
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島リエさんです こんばんは今日は2週間前のこの時間にご紹介した
モナカの糸の鏡が買えるよっていう本屋さん あーそうでしたね本屋さんで買えるって言ってましたね紹介しようと思います
面白い名前なんですね糸島の顔が見える本屋さんっていうのが店の名前 顔が見える本屋さん
前原商店街にあるんですが元洋服屋さんだったところリノベーションして本屋さんにしました 壁一面に一区画30センチほどの立方体が
ババババッと並んでいる本棚があるお店なんです この立方体はおよそ100あるんですね
でこの一枠が一人もしくは一グループでオーナーになっているんです オーナー制なんですねその通り
だから並べる本も並べ方もオーナーさんの自由なんです あじゃあその四角い空間は自分だけの本屋さん
そんな感覚ですねその通りです私の本棚がそのままお店になってるって感じなん ですね面白いですね
だから絵本もあれば小説もあるし歴史書もあるしお料理の本もあったりと さらに古本もあれば新品もあったり新刊本もあったり
あと自費出版のものもあったりするんです でこの100人分のオーナーさんの本屋さんの集合体まで本型
本棚シェア型本屋とかブックマンションなんていう言い方をされることもあるそう なんですがこの
いとしまの顔が見える本屋さんお店の見せ番はこのオーナーさんたちが日替わりで担当 してるんです面白い
でしょこの運営をしている株式会社マンマの中村真樹さんにこの 伊東島の顔が見える本屋さんって名前を使ったつけた理由を聞いてきました
本棚って結構その人のキャラクターというかパーソナリティが出るものかなと思っていて 実際本当に皆さん本当に好きな方ってこう
お客さんでもすごい時間かけて一個一個見ていく本好きな方 そうすると同じ本もあるんですけどこのこの中にあるこの本てこの人のやっぱり
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なんか顔が見えるっていうか こんな人なんじゃないかとか棚のファンの人とかもいるんですよね知らないんだけど
この人のこうセレクションがすごい好きだから この人が進めるなら読んだことないけど読んでみようかみたいな
なんかそういうことで顔を想像しながら オーナーさんの顔が見える本を通じてみたいなそういう意味で
なるほどね面白いですね 自己表現の場であったりお仕方の場でもあったりするわけですよ
オーナーさん学生さんから高齢の方までいろいろいらっしゃるんですが この本棚の場所4ヶ月に1回場所替えが行われそれは公平でいいですねね
中にはこんな面白いオーナーさんもいるんですよ 糸島高校の14回生
で多分70代半ばぐらいの方たちが同窓会的に ここはだからみんなで一人っていうこの14回生の人の出したい本が
でなんか毎月14日にここお店版も交代でやっていただいているので本棚のオーナーさん 毎月14日は糸高14回生の日みたいな感じで
プチ同窓会を 同窓会って普通なんかレストラン予約したり出血とったりしなきゃいけなくて面倒くさいんですけど
ここは14日に暇な人が来ればいいってことでとても気に入ってますっていうふうに感謝されて
横のつながりが そして世代の特徴が出そうですね
でこの運営している中村真樹さんご本人は東京からの移住なんですよ でお仕事はオンラインで東京とやってるんだけど
糸島の人と物理的に触れ合える場所をやりたかったなっていうのがこのきっかけだったんだそうです でそのオーナー同士が集まってくれればその人たちのコミュニティができるかなぁと思ったら
実際にこの本棚のオーナー同士が他の活動を一緒にやり始めたりとか 友達になって飲みに行ってるとかしょっちゅうあるそうなんですよね
さらに前原商店街の1階にあるからこそのこんなこともあるみたいです ここはこの商店街の1階にあるからなんか井戸畑会議の場所みたいに
本が好きな人ももちろんいらっしゃるんですけどここに来てモナかかったりだとか お茶飲んだりだとか
あとお店晩餐がやっぱり日によって変わるからその友達がいるとそこに来てこう 井戸畑会議するみたいなまあそういう場所になってて
それはそれで何か糸島らしくていいなぁと私ははい 活気が広がりますね
さらにね学生さんでオーナーになって今この上で古着と古本屋さんを始めたっていう 旧大生とか主婦で参加してあの絵本展開してたら人気が出ちゃって
移動絵本屋さんを始めた人とかなかなか夢を叶えるきっかけにもなっている 糸島の顔が見える本屋さんです中島理恵さんでした
27:03
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この番組は 三山市の企画共産
餃子の山鉢道の駅村方 草と共に生きるオーレックの提供でお送りいたしました
ご案内は坂田周大でした
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