1. 古代の福岡を歩く
  2. S9 11回目も那珂川市の「さい..
2023-12-10 29:45

S9 11回目も那珂川市の「さいふまいりの道」を歩きます。

那珂川市に残る「さいふまいりの道」はセブンイレブンゴルフ場入り口近くの県道56号を500メートル程那珂川市の方へ下ったところにきました。
別所という場所にきました。
広大な畑の中に目につくものがありました。40センチ程の平たい石が⒉枚入りの字型に置いてあります。そのまわりにしめ縄が張ってあります。
石が重なった部分を近づいてよく見てみますと、梅干しの種がたくさん置いてあります。梅干しの種を祀ってあるのです。
ここが小字で天神という地名があるところから納得しました。
天神様を祀ってあるのです。
梅干しの種には天神様がいるという信仰が昔からあります。
こういった庶民の信仰が今も畑の中に残っているのです。
古代の福岡を歩くリポート 
那珂川市の現人神社。神功皇后ゆかりのこの神社に変化がおこっています。
先代宮司のお孫さん=30代半ば=が新宮司になり、「仕事運の神様」としての存在を全面に出してきました。
インスタ映えする境内の装飾も、キュートなおみくじやお守りも、ちゃんと御神威や由来に基づいていてすばらしい!権禰宜の川添智公さんにお話を聞きました。
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00:09
古代の福岡を歩くシーズン9 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン9 この番組は
三山市の企画協賛 餃子の山鉢
道の駅村方 草と共に生きるオーレックの提供でお送りいたします
こんばんは坂田周代です 今週も先週に続き中川市に残る「さいふまいりの道をお送りいたします
ご案内は中川市の歴史ガイドボランティア中川の白鶴美恵子さんにお願いしました 先週はセブンビリオンというゴルフ場前を出発
県道56号線を中川市に向かって500メートルほど進んだ 西畑という散歩路まで歩いてきました
今週はその続き西畑の少し先の別所というところに来ています
県道56号線が横を通っておりまして
県道56号線の横に少し大きめの川が流れています
幅10メートルぐらいあります その川が流れているすぐ横の方に道路が
そうですね幅2メートルぐらいの道路がありましてこれは舗装されてない山道ですね
そのまま残っているというところですそこを今歩いています 上流へ少し向かっているようなところですね
大変道が悪いところで 落ち葉がたくさん落ちてて滑りやすい道路ですね
その道路を今白鶴さんの案内で上流へ向かって歩いているところです
ここはあの別所というんですかはい別所なんですねはいそうですね えっと別所という地名の由来なんですけれども
江戸時代の福岡藩の国学者 青柳種の分が編纂いたしました
地区全国諸区不読記周囲によりますと背ぶりの山岳仏教が盛んな頃 背ぶりの山の上宮であの東門寺という大きなお寺がございました
03:07
その別院がこの地にあったために別所とつけられたというふうに書いてありますね そしてここ今ちょっとお祭りをなさってますよ
ここは石仏ですか 別所の阿弥陀仏ということなんですが
石仏の大きさがまあ50センチぐらいの大きさかな 1メーターぐらいですか
かなり下に入り込んでますからね 高さ1メートルぐらい
あったと思います幅が750センチあります その石仏がですね
相当年代が経っていると思われるのはその石物に覆いかぶさるように木の根っこが 乗っかるようにありますね大きな木がね
この木の年輪も相当古い年輪を持つ木じゃないかと思います その横に小さな仏様が一つあるといったようなところですね
この阿弥陀の石仏なんですが中川市で一番古い石仏 で点票中にね西暦にしましたら1357年に混流されたものなんですね
その頃はですね南北朝時代で当時九州では南朝方の金吉信濃を包ずる 菊池竹光そして北朝方九州短大の一式の竜児
そして足下がただ冬についた筑前守護 承二の三社が三戸萌えに戦っていた時代でもあったわけなんですね
はいこの石仏に掘られている年号が南朝方のものであるから当時の岩戸号別書は 南朝方の支配下にあったと思われます
南北朝時代の約60年間は全国が戦乱に明け暮れた時代ですので この石仏は戦で亡くなった方々のお弔いと救済を願ってのことだったのかもしれません
この阿弥陀仏様の霊祭はですね毎年4月に別書の役員さんたちによって行われております あの昔はですねここにツヤ堂もあったということです
あのツヤ堂と言いましたら夜通しお勤めをするお堂のことですが まあここにあったんでしょうねはいそれからですね
まあ今通ってきましたこの道 これがもともとの財布参りの道だったわけなんですね
けれども昭和3年に沢原郡脇山村が築地祭典に選ばれた時にこの阿弥陀仏堂の前の道が廃止になりまして
今横に西旗川が流れておりますねそれの対岸に今の県道56号線ができました 築地祭典っていうのは新しい天皇様の即位の例で
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打錠祭で献上される新米を作る名誉ある田んぼのことですね はいもうその時この道廃止されましたのでそれからはねあまりこう
地元の人ぐらいしか通られないないかなというふうにね思います でここを昔財布参りの道があったということですね
もうここをね財布参りの道を通られる方は皆さんこの石仏に手を合わせて通られたことだと思います そうですね
そういう道路です 別所という場所の川沿いにある石仏でした
ここからしばらく歩きますと目の前に広大な畑が広がってきました この道が田んぼの中通っておりますがこれが財布参りの道なんですね
先ほどの 川口からちょっと入ったところですね
川が流れるところから少し入ったところですけど静かな田んぼが広がってますね 別所というところですね
でここは財布参りの道と言いましたがここにも天神様が祀られてあります この田んぼの中を通っていたんですね
見渡す限り田んぼばかりという感じですね
ここで気づいてほしいのがこの石なんですね 何かありそうな石ですね
津川ら道座猫を祀っていると伝わっているわけですよ 石の大きさがですね1メーター
掛け450センチ 幅がですねそういう風な石で厚さが
20センチぐらいの平たい石ですねそれが2つあると その周りを締め縄で飾ってあるということですね
ここ田んぼがございますね この田んぼのあざめが天神なんですよ
そうなんですこの締め縄 天神っていう田んぼなんですよ
この締め縄を飾っている石が天神様なんですね その昔はですね
祠があってそのそばに大きなタブの木があったそうです 里の人たちは食べた梅干しの種を粗末にしないように
タブの木の根元に埋めていたそうです 今は祠もタブの木もありませんけれども石の下には今も梅干しの種を
収められてあります 見られませんか
梅干しの種ってあの天神様ですもんね
ということは本当だ こういうことなんですね
09:00
見えますね
本当だ梅干しの種ですね たくさんありますね
那宅天満宮の本殿の裏の方に 梅干しの種の収めどころというのがございますよね
私も幼い頃田舎育ちです 祖父母と一緒でした
そしたらですね梅干しを食べたら食べた種は人の足が踏まないところに捨てなさい ということで家の裏の土手にいつも投げてたわけなんですよ
もう梅干し食うても種食うな 中に天神根でござるというような梅言葉がありましてね
あの梅干しの種の中には神といって白いものが入ってますね あれが菅原道真子がアグラを描いてある姿に似ている
道真根公は梅が好きだったよねっていうところで 梅を食べた後もその種は粗末にしなさんなと
それだけ天神神公が皆さんの間で広まって深かったんじゃないかなというふうに思われ ますね
そうですね 面白いですねちょうど石が2つ重なるように置いてあるんですけども
その2つの石の下 間ですね間に梅干しの種ですね
が置いてあるというか捨ててあるんじゃないですねこれはね 飾ってあるというような感じがしますね
家で食べた種をもう粗末にならないようにして別所の方々はこの下に入れてあるんでしょうね
ちなみにこの藁の締め縄なんですが これはですね今年の10月稲刈りをした新米の藁だそうですよ
でもねやっぱり雨風が当たるとどうしてもね藁手の痛みがね あのあるんですけれど
ちなみにですねあの藁の木って先ほど言いましたねここであったのが 藁の木っていうのは魂が宿る木とされていくかのことから
藁の木と呼ばれたそうです それが次第に藁の木が藁の木に変化していったということなんですね
で藁の木の木の皮の粉から汚染口が作られているということです
そういうことでここの地名が天神というんですか この阿佐名がですね田んぼの阿佐名が阿佐天神
だいたいそのね阿佐というのでそこの地名でだいたいわかりますよね何があったんだろう っていう
ここにということで昔から天神信仰が盛んだったところかもわかりませんね そうですねもう民間の間にその天神信仰が広まってそして固まって未だにまだそれが
ずっと守り続けられているということですよね それからちょっとあちらの方を見ていただきたいんですが
田んぼの中にちっちゃい小山みたいなものがございますでしょ なんかあのなんていうかかんむり形としてはね
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かんむりみたいな木が生えてますからね 周りに木が生えてますね
あれはですね地元の方たちは京塚というふうに京塚ですね やはりあそこにある田んぼの阿佐名
京の熊という田んぼの中にあれがあるんですよね あれはですね三段の塚になっています
はい塚なんですよ地元の人々は丸馬鹿とか丸山とか呼んでいます 伝承にはですね
九千歩山というものがありますよね そこの由来とも関係しておりまして
小空上人が教文1万本を読もうと山に入りましたが 千歩を九千歩を読み終えて残りの千歩をここで読んで埋めたと
京都市中川の方には書かれております ああそうですかはいそのことから京塚と呼ばれるようですね
お経の経 ただ今字はですね京都の経の塚
本当はお経の経だったんじゃないかなとは思うんですけどもね そして九千歩の由来説もいくつかあるようで今から行きます梶原っていう地域の
浄土神宗のお寺さんも3号が千歩山 神経寺って言うんですよねそばを梶原川が流れているんですが梶原川の源流が
九千歩なんですよ だからその九千歩とその3号である千歩山何か繋がりがあるようですね
また佐賀の方でもまた違った九千歩の由来がありますね ああそうですか
地元の方が天神様とおっしゃってるその石が2つ置いてあるところからですね 遥か50メートル100メートルぐらい先になりますかね
大きさは結構ありますね 40、50メートルあると思います広さが
それが峡塚という 高さは4、5メートルありますかね上の方に今木が生い茂ってると
それが峡塚という 九千歩さんの由来とご関係があるということですよね
そういうのがここにあります 同じ別所の広大な畑の中を少し歩きますと四つ角に何やら
4、50センチくらいの高さの道しるべらしきものが見えてきました これもう偉く傾いてますけれどもここに財布舞いの道ありましたよという証拠です
この道標がですね大きさは4、50センチぐらいの
棒状のものですけどもそうですね幅が20センチぐらいあるかな それに間に
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なんか傘みたいなのがついておりますがこれが傾いているという 別所の財布道道しるべについてという風に書いてますね
ここは四砂路になっているわけなんですよ
ここは明治の初期までは別所の中心地で三本垣という風に呼ばれて
それこそ博多と太宰府への分岐点だったんです
だからここにうっすらと左博多なんですよ
左博多はちょっとね今も見えなくなってますが 裏には右財布と書いてあるんですよこの後ろ
斜めになって非常に見づらいですけども
左財布ですか
そう言われてみるとわかりますね
これはですねあのしばらく行方不明になってたんですね
水道の施設工事とか道路の拡張工事とかで行方不明になってたんですが地元の人たちと
あと郷土市の愛好家の人たちで20数年ぶりに見つかって今こちらの方にまた置かれているというものなんですね
この三本垣明治の頃ですよね多分この名前からして三本の大きな垣の木があったと思われます
この別所の村の方々はですね待ち合わせの場所三本垣に何時ねと待ち合わせの場所にもなってたんですね
そうですか今ちょうどここ駐車場になってますよね
車がたくさん停まってますねここが待ち合わせ場所
そしてあの昭和の中頃ぐらいまで八木堂病院という病院がありましたしあの国旗 慶応台があってお正月とか祭日には日の丸を挙げていたということですね
ちょうどこの道路がまあの 三本垣というね3つの3本の垣の木があったんじゃないかというところですね
そうですねまあ4本の道が交わった場所ということが言えるんですね
そしてここが博多に行く人と西府の方に参りに行く人との分岐点であったと言うことですね
その分岐点に 道標が少し倒れかかって
あるという感じですね しばらく畑の中を歩くと大きな川が見えてきました
中川に出ました この川にかかる橋本橋に立ちました
橋本橋というところに行きました ここは橋本橋というところに出てきました
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西府前の道で岡砂木峠とか萩の春峠を越えてきた人たちはここでほっとしと休みをされたんですね
ここもあの川はですね 幅20メートルぐらいある
まあ浅いですね 水かさがね
10センチか20センチぐらいの水かさになってますが それが流れているという
ゆったりした気分がありますね 今見られると何もないですよね
何もないですよね ところがですねここは繁華街だったんですよ
信じられないでしょうが そうなんですよ昭和30年頃までですね非常に賑わった場所で
酒屋さん、五福屋さん、豆腐屋、和菓子屋などの店が軒を並べていた場所でもあるんですね
そういえば人火が多いですよね 畑の中にね
かなりありますね そして岡砂木峠とか萩の春峠を越えてきた人々はですね
ここでほっとしと休みということで一杯飲むわけなんですよ そして一杯飲んで大切な牛とか馬を
ろ方の木につないだまま忘れて帰って翌朝目覚めて慌てて迎えに行くという人もたくさんいらっしゃったということなんですよ
それから今はですねあの平成28年にこういうふうに立派な橋がね できましたがもともとは飛び石
橋じゃなくて飛び石だったんですね それからあの橋の板
板の橋になったんですね それからまあ土台石の上に桐石を並べた時もあったんですが昔のその
あの橋板の時にはですね欄間をつけていませんでした 中川は結構あの氾濫を起こす川でしたので欄間つけてその欄間に木枝が引っかかると橋が
流れてしまう もうだからもう欄間つけずにどうぞもう上を流れてくださいというずぶ入り橋でもあった
わけなんですね はいはい
そしてですねこの土手今ずいぶん高くなっています5番工事などを行ってですね もっと昔は低かった
そしてここまっすぐ道が中川沿いにありますよね ですから小学校の子どもたちの運動会の駆けっこの練習場でもあったわけなんですねこの道が
ですねああ今ます スーナーねすぐあるんだろうね
昭和区メーター先まで見えますねこっからね もう中川にはですねあの源流の方に3つもダムができておりますのでセブリー
ダム5日山で南旗ダムですね である程度川の水てが調整してこのようにね緩やかな水の流れになっておりますね
そういったところです 今夜は中川市の財布参りの道を歩きました
21:07
ご案内は中川市の歴史ガイドボランティア 中川の城津美恵子さんにお願いしました
この続きは来週お送りいたします ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです
こんばんは中川市に行ったらぜひ行ってほしい場所の一つに荒人神社という神社があるんです 漢字で書くと現れる人って書いて荒人神社なんですけど
実はですねこの荒人神社5年くらい前からかな変化が行われてまして 昔私の知ってた荒人神社と違ってるんですよ
先代のグージーさんのお孫さんが新しくグージーさんになられてこの方が30代の半ばなんですね
でこの影響もあるんでしょうちょっとねキラキラしてきました 仕事運の神様としての存在を全面に出してきてるんですね
詳しいお話を荒人神社のゴンネギの川添智さんに聞いてきました この仕事運の神様を全面に出してきたのはこの荒人神社の由来に関係してるんです
この住吉祭神と神宮皇后をお祭りしている神社なんですけれども 神宮皇后が朝鮮半島に遠征した時に荒れ狂う荒波に悩まされていた
その時に起こった出来事がベースなんです
その時に船のへ先にですね 当社の御祭神がお現れになって無事に行き帰りを導いていただいたということがあったんです
でその時にその無事に行き来ができたということで皇后様大変お喜びになられて感謝されて でその時に人の形となって現れていらっしゃるので
荒人大明神ということで そういう尊号お名前を授けられてお祭りしなさいというふうにおっしゃったんです荒人神社
でこれがどう仕事運につながるかといいますと 荒波島を無事に乗り越えてお導きをされるお神様ということで
で今の時代にも いつの時代でもお仕事とか恋愛だとかそういうご生活の中でいろいろな困難とか
まあその支障とかですね苦難を乗り越えて導いていただけるということで仕事運向上というふうな ご利益でお参りされている方がいらっしゃったということですね
プロジェクトがうまくいきますようにという願いが かなりそうですね
元々そうやってお参りしてた方がいらっしゃるんでじゃあこれをもっとわかりやすく 全面に出していこうということだったんですよね
でもこうしたことによって初めて荒人神社の由来ですとか あと神宮皇后のことを知ったっていう人も出てきているわけなんですよ
24:07
でやっぱりお守りも充実してました 仕事運の向上とか就職成就のお守りなんていうのもあるんですよ
でも私が一番心を惹かれたのがあの神宮皇后をかたどったというかイラストにした ステッカーができてたんです
これはあのちょっとこう現代風のポップなキャラクターとして描かれてますね そうなんですよ軍銭奥義を持ってリリシュク戦いに出かけるかのような美しい女性の映画
そうですね手のひらサイズのだから高さ56センチ 7センチあるかなぐらいのステッカーになってるんですかもシルバーでキラキラ輝いてます
そうなんですよなかなかすごいなんでステッカーにしちゃったのか嬉しくってこれも 川沿いごねぎに聞きました
あの無事にお導きをいただいたということでその神宮皇后様のお姿をかたどった ステッカーで道中安全ということで
そのステッカーにするしてお分かちをしております 道中安全?何用にお張りすればよろしいんですか?
あのお車にお張りいただく方もいらっしゃいますし あとは旅行の際ですねあのスーツケースなどにお張りいただいたりとか
あとはタブレットとか pc パソコンにお張りいただいている方も多くお見消ししますけど
川沿いさんご自身はってきたら僕はタブレットに貼ってますっておっしゃってました
あのこれあのイラストも地元の中川出身の伊勢山直屋さんという方がお書きになったそうなんですが
こうやってこう地元にこう盛り上げムードが持ち上がっているんですけど
さらにあのお導きの神様ということで若い女性は恋愛に対してのお導きって言っていろいろ足しげく通ってらっしゃったりとか
私が行った時にはですねあの仕事のことをお願いしているちょっとお姉さまっていう感じの方もいらっしゃったりしたんですよ
で恋愛でいくと恋の木っていうのを境内に作ってて恋愛用の鯉魚の鯉ですね
可愛らしいなんでしょう形の中におみくじが入っている恋みくじっていうのがあってこの外側を木にぶら下げて
あのより恋が実りますようにっていうふうにお願いができるような仕掛けもしてあるんですがこれが可愛くって他にもですね
あのえとみくじのえとを並べておいたらお客さんが参拝客が勝手に可愛らしく並べ直してハート型にしたりだとか
20丸にしたりとかインスタ映えすることになっててますます荒人神社は可愛いことになっています
中島リアさんでしたここで番組からのお知らせです ホームページのご案内です
27:05
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます rkb ラジオのホームページの古代の福岡を歩く
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宮間市の企画協賛
餃子の山鉢 道の駅村方
草と共に生きるオーレップの提供でお送りいたしました ご案内は阪田集大でした
パッテン少女隊の春のキーナと青いリロアです rkb ラジオでお送りしているガールズパンチ パッテン少女隊のパッテンラジオ隊はポッドキャストでもお楽しみいただけます
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