1. 古代の福岡を歩く
  2. S9 13回目は那珂川市のさい..
2023-12-24 29:48

S9 13回目は那珂川市のさいふまいりの道の最終回です。

安徳南中学校をぬけて梶原という場所にやってきました。
ここから峠道へと入っていきます。
足下を山水が流れる中を登っていきますと、自然石を積み上げて作った灯籠がでてきました。
「見返り灯籠」と書いてあります。この峠を越えると太宰府天満宮まで11.2キロの行程。
昔、この峠道は二日市に売られていく子牛が通ったそうで、その子牛がこの峠からふるさとの町を振り返って見たところから、「見返り峠」と呼ばれたということでした。
ここで、さいふまいり道は終わり、この先に続く太宰府の特別史跡、水城を歩くことにします。
御案内は古都太宰府保存協会の学芸員 田中健一さんに代わります。
古代の福岡を歩くリポート 
太宰府散策のお昼ごはんに「さいふうどん」をオススメしたい!
木村製麺所が営むうどんやさんです。
もっちり×がっしり食べ応えのあるやわらかい麺と力強いお出汁。
最高です。季節の天ぷらがこれまた最高なので、ぜひ一緒にいただきましょう。
製麺所のお店だから、最初から麺の量が多い&替え玉あり(笑)。
福岡のうどん、茶店のうどんについて、また、太宰府とうどんの関係なども店主の松藤聡さんに伺いました。
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感想

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00:09
スピーカー 1
古代の福岡を歩くシーズン9. 遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン9。 この番組は
三山市の企画協賛 餃子の山鉢
道の駅村方 草と共に生きるオーレックの提供でお送りいたします。
こんばんは、坂田周代です。 今週も那珂川市に残る
さいふまいりの道を歩きます。 安徳から安徳南小学校、安徳南中学校を抜けて梶原という場所にやってきました。
ご案内は中川市の歴史ガイドボランティア中川の白鶴美恵子さんにお願いしました。
梶原という場所に来ました。 ここにですね、梶原影時記念碑というのがありますね。
これはどういう風なものなんでしょうか。
スピーカー 2
ここは梶原と地域で、その梶原という地名につながるものなんですね。
筑前国食不動記に梶原影時の子孫がここに住んでいたから、この村を梶原と称するようになったと思います。
この碑なんですが、明治32年に梶原東米平影の混流なんですね。
梶原影時36世の子孫で、倉手軍の勝野に住んでいると刻んであります。
梶原影時って鎌倉時代ですね。 そうですそうです。
スピーカー 1
その時にちょうど源頼朝ですかね、を助けて助けられたという、そういう風な人ですね。
スピーカー 2
本当は平家側の武将だったんですけれども、源頼朝が山の洞窟に隠れているのを、わざと見つけずに救ってあげた。
その後頼朝に重宝された方なんですね。
当国武士には珍しく教養があって、和歌を読んだりとか弁説が立ってですね、頼朝から御家人を監視するスパイ役なんかも任命されてたみたいで、
そのせいかどうか、悪評とか嫉妬とかもあって、頼朝が亡くなった後に一族の多くは、ちょっと殺されちゃったという方なんですが、
03:04
スピーカー 2
その梶原影時の36世の子孫の方。
倉手軍の勝野に住んでいると刻まれてるんですね。
この日の混流の時はですね、紅白餅を配って清断に行われたということが伝わってます。
ここにまた横に、古い古いお墓があります。
スピーカー 1
ありますね。ちょうど10センチぐらいの高さですかね。
苛たいお墓になってますね。
スピーカー 2
これ、南無阿弥と書かれてありまして、幻羅10年ですから1624年と刻まれているわけなんですよ。
やはり慶長の頃の梶原影時の子孫の墓ではないかというふうに言われております。
それから梶原の地名の由来なんですが、もう一つあるわけなんですね。
今ここにずっと上がってきましたが、梶原運動公園があって安徳南小学校がありました。
そしてその前に安徳南中学校がありましたね。
実はこの一帯はですね、15世紀中頃の中世の遺跡として、梶炉、鉄を溶かす炉ですね。
棚木出てきてるんですよ。
スピーカー 1
そうですか。
スピーカー 2
ここは忠良製鉄が行われていることが分かりまして、
梶矢の村だから梶原になったんではなかろうかという説もあります。
スピーカー 1
そうなんですね。梶原さんとちょっと違うというね、梶ですね。
そう、梶の方ですね。鉄を溶かすもので。
スピーカー 1
そういう説もあるわけですね。
スピーカー 2
そうです。
今までご案内してまいりましたが、この近辺には岩戸城市、山城ですね。
それから骨盆広陣次郎がありましたね。
そして武器を作ったであろう梶炉があるわけなんですよ。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
この地域一帯はそれこそ戦いのための要塞だったのではなかろうかと私は思うわけなんですが、
くっついてますもんね。
はい。そして財布参りの道の、この辺がもう終わりなんですか?
スピーカー 2
いえいえ、とんでもありません。まだまだ続きます。
財布参りの道なんですが、そこ安徳南小学校がありますね。
スピーカー 1
そこから横に下っていく道があります。
スピーカー 2
これが財布参りの道ですね。
スピーカー 1
中学生がね、帰りの道を急いでるときですね。
そうですね。
じゃあ財布参りの道、もうちょっと歩きますね。
そして小学校の横から山道へ入っていきます。
薄暗い林の中へと道は続いています。
これは本当に山道ですね。
スピーカー 2
梶原峠と言います。
スピーカー 1
梶原峠。ここは梶原峠ということだそうで、本当に山道ですね。
06:00
スピーカー 1
山の中に入ってきました。
道幅が2メーターぐらいの道幅ですね。
その山道を今ちょっと登っていくところです。
横を、これは山の水が流れているという、道路は少し熟々の道路になってますね。
太陽も光もあまり当たらないような感じの、
林の中を通っている山道ですね。
少し薄暗い感じになってきました。
道の右側を、水が流れております。山水ですね。
綺麗な水です。
その山道を今、少し歩いて登ってます。
山道を登ってきまして、
ここにですね、看板が出てまして、
見返り道路、中川市指定有形民族文化財と書いてありますね。
見返り道路、括弧して人干しとあります。これはどういうことでしょうか。
スピーカー 2
これはですね、平成17年に中川市の有形文化財に指定されているんですが、
これ、人干し、灯篭のことですよね。
スピーカー 1
灯篭ですね。
スピーカー 2
よく三陰石とか、青銅で作られた灯篭というのはありますが、
これは自然石を積み上げて作っている灯篭なんですね。
スピーカー 1
そうですね、20センチから30センチ角の石が左右から積み上げてあって、
だいたい1メーター半ぐらいのところまで積み上げてあって、
上に灯篭が灯すようになっているという。
スピーカー 2
そうですね。
こちらの本は、1803年の頃に地元の梶原の人々によって
混流されたものであろうと言われているわけなんですね。
この人干しというものは、江戸時代から明治の頃まで、
太宰府の天神様にお参りするための大切な道標。
別書にもございましたよね、道標がですね。
これは梶原峠って本当に険しい峠道なんですが、
ここのところに光が灯されて、ここに茶店もあったんですよ。
そして一息をついて、さあ今から峠を越すぞというような場所だったわけなんですね。
スピーカー 2
今日はですね、岡崎峠からずっとここまでまいりました。
岡崎峠から梶原峠までが10.3キロ。
スピーカー 1
ああ、そんなにありますか。
スピーカー 2
1時間を3キロで歩いたとしましても、3時間半ぐらいなんですね。
09:02
スピーカー 2
そしてここから太宰府天満宮までが11.2キロです。
これでしたら4時間弱。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
ですからもう岡崎峠から太宰府天満宮までというのは、
約7時間半ぐらい歩いてですね、かかったんじゃなかろうかということですね。
この石道路の横にはやはり梅のマークがついているんですよ。
スピーカー 1
梅のマークがついている。
スピーカー 2
ここはやっぱ天神様は梅ですよね。
スピーカー 1
石道路の火を灯すところですね。
上の方に梅のマーク、本当だ。
梅の花のマークですね。
印がつけてあるという。
そうですか。
スピーカー 2
長橋の太宰府天満宮の道を、今回岡崎峠からずっと歩けるところは歩いてきたんですけれども、
今もこのように歩ける道があるということを知っていただけたらというふうに思います。
江戸時代はそのように人々の財布巡りの道なんですが、生活道でもあったわけなんです。
お参りだけではなく、向こうの方に歩いていく。
その前はって言ったら、それこそ軍事用の道ですよね。戦いのね。
そして太宰府政庁に行くために最短の道でもあったからですね。
もう今現在はですね、太宰府天満宮にお参りすると言いますと、
千年祭で明治の35年になりますか、二日市駅から馬車鉄道ができましたね。
スピーカー 1
できましたね。昔ありましたね。
スピーカー 2
ありましたね。その馬車鉄道で天満宮まで行く。
ただあそこのところにですね、第一経済大学、あそこは坂道なんですよ。
坂道は馬一頭じゃ16人乗った馬車引き上げられない。
で、みんな降りて馬車を押したそうですね。
そして下り坂になったまんままたみんな飛び乗りましてね、出発みたいな感じでしたね。
それからの大正2年には蒸気機関車となりました。
もうちっちゃなちっちゃな蒸気機関車で、5畳のところで線路がほぼほぼ直角近く曲がってるんですよ。
だからスピードを落とし損ねたら脱線なんですよ。
脱線したらやっぱり乗客の方みなさん降りられてよいしょと持ち上げて、レールに戻してまた乗るみたいな感じだったみたいですね。
で、今の電車になったのが昭和2年。2年に今のような電車になったということですね。
スピーカー 1
そんなような歴史のある道、西風参りの道をご紹介してきました。
最後はちょっとした山道でフッと言いましたけども、この灯篭ですね、見返り灯篭という灯篭の名前がついてますけども、なかなかいいもんですね、西の灯篭で。
12:02
スピーカー 2
実はですね、二日市の方に市場があったそうなんですよ。
で、子牛がお母さん牛と離されて市場の売られますよね、そしたらここで牛は絶対振り返って。
だから見返り灯篭という名前がついたとかですね、そういう風な言われもあります。
スピーカー 1
牛が振り返って。
スピーカー 2
そうです。市場に売られるのは嫌だと。
スピーカー 1
ちょっと悲しい言葉ですね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
ついてますね。
スピーカー 2
訳を聞くとですね。
スピーカー 1
でもこれ明かりがつくとなかなかいい感じじゃなかったんですかね。
スピーカー 2
そうですね、梶原の里人の方たちがやっぱりここのところ明かりをちゃんと灯してあって、旅人のためにですね。
スピーカー 1
それも大変でしょうけどね。
見返り灯篭という名前がついてる、ちょっと悲しい名前ですね。
そんなところを今歩いて降りてます。
大野城市に今も残る財布参りの道を歩きました。
そしてさらに田財布へ向かって歩いていきますと水城付近に出ます。
水城はかつて東と白城の連合軍が攻めてくるのではないかと思われ、九州の防衛のために築かれた施設です。
そこで今度はこの水城を隅々まで歩いてみることにしました。
県道31号線沿いにあります水城夢広場からスタートします。
次のご案内をこと田財布保存協会の学芸員田中健一さんにお願いしました。
水城夢広場というところに来ました。
ここは水城の東門というのがありますが、東門からどろいがずっと西門へ続きまして、
西門を通り過ぎておよそ歩いて10分ぐらいの水城の一番端の方に来ています。
一番端の方に水城夢広場という大きい広場がありまして、横に県道31号線が走っていますので車の音が賑やかにしています。
そういう水城夢広場から今日は田中さんのご案内で水城を深掘りしていこうということです。よろしくお願いします。
今日ご案内させていただきますこと田財布保存協会の田中でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
この水城の概要ですね、大きさとか長さとかあるいは外掘りの深さとかですね、その辺のお話からよろしくお願いします。
今回皆さんにご紹介させていただきますこの水城跡なんですけれども、今から1350年前、664年という年に作られた日本でもかなり古い方の防衛施設、お城になるわけなんですね。
15:13
スピーカー 1
この水城、漢字で書きますと水の城と書くわけなんですけれども、そもそもこの田財布市と大野城市にまたがる地に築かれた理由というのがございまして、今から1350年前、
実は663年という年に朝鮮半島の緊張関係の高まりを受けまして、日本と区田らの復興する軍勢、そしてそれに対する朝鮮半島の白着、そして中国の大国でありましたと、この2カ国同士の連合軍の大きな戦い、
白村港の戦い、白月の湯の戦いというのが663年に行われたわけでございます。残念ながらこの戦いというのは日本と区田ら復興軍の大敗に終わりまして、日本はかなり大損害を受けますし、また続いて東野白木が朝鮮半島の次に日本に攻め寄せてくるという大変な緊張関係の高まりを受けたわけでございます。
そのためにやはり九州、最前線であります九州の国防、防衛が急がれまして、そのために築かれたのが白村港の次の都市、日本初期には畜死に大抵を築いて水を蓄えしむ、名付けて水木というふうに出てきまして、664年にこの水木に大抵、大きな包みを作りまして水を蓄えたことから水木と呼ばれるわけなんですけども、
それが今回ご紹介するおよそ1.2キロにわたりまして、高さが大体平均しますと10メートル弱、10メートルほどぐらい。
お城といいますと皆さん福岡城だったり熊本城だったりイメージされるんですけども、今回こちらの水木は太宰府へ向かって住み寄せる敵をシャットアウトする、いわゆる万里の頂上のようなものをイメージしていただくとイメージが皆さんお分かりしやすいかなと思います。
まさに福岡平野からぐっと一番地形が狭まる場所、地形学的には二日市地形帯とかそういった形で呼ばれるんですけども、まさに一番平野が狭くなって守りやすい場所、そこに水木が築かれまして、この水木の高さが10メートル、そして長さが1.2キロある土の壁で平野を塞ぎまして、
そして前面部分には一番広いところでは幅が60メートル、そして深さが4メートル近くあるような大変大きな深い堀がありまして、この水を蓄えた堀とこの巨大な土の壁、土塗りでですね、これで内陸に侵攻する敵を防ごうとした、そういった古代に作られた防衛施設、それが水木になるわけです。
はい。こういった水木がですね、ここからずっと1.2キロ続くんですね。そこを今日はちょっと歩きながら、その周りにどういうものがあるのかというのを司祭に説明していただきながら見ていこうと思います。よろしくお願いします。
18:13
スピーカー 1
よろしくお願いいたします。
それではここからパレットにですね。
せっかくなのでですね、今回もう毎回津川さんとご一緒しますとだいたいなかなか進まないよって聞いていらっしゃる方もですね、やきまきするかと思うんですが、せっかくなんでまずですね、この場所についてちょっとご紹介をさせていただきたいと。
今申しましたように敵を迎え撃つに一番狭くなった場所ということなので、実はここは古代から交通の要所でもあったわけでして、例えば歴史にあまり関心がない方も水木と聞くとですね、例えばJRの駅であったり高速道路のインターでお聞きになったことがあると思うんですけども、実はこの水木、一番部屋が狭くなった場所に作られていますので、
現在でもJR鹿児島本線、西鉄天神大本線、あるいは九州自動車道や国道3号線、まさに福岡県を南北する際には必ず通るような場所、古代からかなり重要な場所っていうところをやはり守る要として作られたところでございますので、実は福岡県の皆様、知らず知らずのうちに水木は目にしたり通ったりしていることが多いかなという場所になっております。
実はこれから行きます水木、大きな包み、大抵を築いて水木というふうにご紹介しましたけれども、実はこれから行く水木、大きい水木に対しまして、実は小水木というのもあるんですね。
こちら、今回津川さんと歩きますこの1.2キロの水木というのは、もちろん福岡部屋から南へ向かう、ダザイムなどに向かう敵の正面を防ぐわけなんですけれども、当然脇道がありまして、横から少しの軍勢が通れるような谷合いがありますので、そこも防いでおかないと裏に回られて攻め通られてしまいますので、
そういった真正面の水木が作られた以外の道を防ぐために、水木に対して小水木、小さな水木というのが築かれております。それが、かすがしですと天神山であったり大戸井であったり、今も残っているんですけれども、この水木有名広場から実は福岡方面に500メートルほど行っていただきますと、上折りの小水木跡というのもあります。
こちら有名当たり広場ということで整備されていまして、現在もこの大きい水木に対しまして上折りの小水木は高さが2メートルほど、幅が15メートルほど、長さが80メートルほどの、これも同じ時期に作られた水木が残っておりますので、ここをスタートすれば是非合わせて、この上折りの小水木の方も500メートルほどのところですので、合わせて見ていただくと水木のことがよりわかっていただけるのではないかというところです。
ここがまさにスタートしてに打ってつけた場所は、実はそういう上折りの小水木も近いというところがございます。
21:01
スピーカー 1
そういった有名広場ですけれども、ではこれから出発していきたいと思います。
今週は財布参りの道を歩き、さらに水木を歩きました。
財布参りの道のご案内は、中川市の歴史ガイドボランティア中川の城津美恵子さん。水木のご案内は、こと太宰府保存協会の学芸員、田中健一さんにお願いしました。
一緒に歩いたのはこの番組の津川ディレクターでした。
来週も水木を歩きます。
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです。
こんばんは。
スピーカー 2
今日は太宰府天満宮のすぐ近くにあるうどん屋さん、財布うどん、ご紹介しようと思います。
財布参りと来たら、じゃあ財布つながりでとここに来たんですけど、この財布うどん、実はお店11年目なんですが、もともとは正面所、昭和23年からやってらっしゃるんですよね。
かなり長いんですが、この財布うどんの財布、福岡の人だったらみんな知ってると思うけどねって、店主の松藤悟さんがおっしゃるんですが、太宰府のこの財布、太宰府天満宮のあるエリアの住所でもあるんですよね。
ただ県外の人からすると、この財布ってお財布の財布ですか?とか聞かれちゃうんですって。
スピーカー 1
そうなのねと思ったんですが、この財布うどん、木村正面所、お店の中に入るとL字型のカウンターで8席ぐらい座れるのかな、割とこじんまりしたお店なんです。
スピーカー 2
で出てきました財布うどん。福岡のうどんって割とふっくらしてますが、あれを思い浮かべていただく麺よりももうちょっと太めです、麺が。
上にネギとわかめと貝割れとかまぼこが2枚乗ってます。まずはお出汁をいただいたんですが、結構力強い風味で塩味もしっかりしてます。
スピーカー 1
あごとうるめうやしと鯖をベースにとってます。やっぱり正面業務が本業なんですけど、出汁もその日の出汁にこだわってますんで、出汁と麺が終わったらもう店を閉めると。
もう聞いてるだけで食べたくなりますね。でしょ。お出汁だけだとちょっと強いかなと思ったんですが、いざうどんと一緒に食べると、うどんがもっちりしててちょっとガッシリ食べ応えがあるんですよ。
スピーカー 2
この麺が財布うどんの最大の特徴なわけです。
スピーカー 1
一番はイシウス挽き、全粒粉をイシウス挽きで挽いてます。
田財布の完全音寺ってありますけど、あそこに日本最古のイシウスがあるっていうのもあるんで。
イシウスにこだわってるんですね。
スピーカー 2
そうなんですよ。だから小麦の味がわかりやすいと言いますか、なんとも言えない風味が口の中に広がるんですね。
24:03
スピーカー 2
白というよりもちょっと薄い小麦色が混じったような、そんなのが感じられるような白なんですよ。
本来の福岡の柔らかいうどんっていうのはこういったのだと思うんだよねって店主の松井さんおっしゃるんですが、さあお客さんの反応はどうなんでしょうか。
スピーカー 1
その昔、田財布で食べられたうどんがこういった感じだったのと復元して作ってます。
スピーカー 2
お客さんの反応ってどうですか。
やっぱりおばあちゃんとかだと、なんか昔のうどん懐かしいとか言われますね。
スピーカー 1
でも本当若い方はまた別問で、今やっぱりカップ麺とか冷凍麺ってもう主流になってるんで、
なんかこれがうどんなんですかっていうのも多少ある部分もあるんですけど、
ただやっぱり年配の方が来られたとき、懐かしくてこれがうどんよねって逆に言われると、ちょっと僕らも嬉しいかなと思いますね。
わかります。ほっとするんです。落ち着くんですよ。
スピーカー 2
福岡のうどん肌坂田さん。もうそんな人絶対お勧めしたいんですけど、
もともと昔お寺とか神社、山道にはうどんや蕎麦を出す茶店がいっぱいあったんだけど、今その山道の様子も変わってきたからねっておっしゃるんですね。
でもメニューのパッとメニュー見たらですね、すっごい気になるワードがかえ玉。
スピーカー 1
あ、かえ玉あるんですか。
スピーカー 2
ちょっとびっくりしたので聞きました。
スピーカー 1
やっぱり製麺所のあれですね、製麺業が本業ですから麺はありますんで。
スピーカー 2
でもこれ斎藤うどんかえ玉したら正直お腹パンパンですよね。
スピーカー 1
いやちょっとこれまた製麺所なんで普通はだいたい200グラムなんですよ。
ちょっと230ちょっと麺の量もちょっと多いんでですね。
スピーカー 1
その辺をやっぱり製麺所の武器としてやってます。
スピーカー 2
普通のうどんよりもちょっと2割ぐらいお腹がいっぱいになる感じだなと思ったら案の定でした。
だから子供さんは最初から一杯は半分こにしてねとかっていうのもちろん松内さんが案内を入れてくれるんですけどね。
スピーカー 1
この斎藤うどんで絶対に食べてほしいのが季節の天ぷら。
スピーカー 2
今どきだとブロッコリーとか菜の花。
製麺所だから道の駅とかに卸してらっしゃるんですよ。
その時に仲良くなった農家さんから取れたてのお野菜とかを仕入れてきて出すので、
すごい美味しい天ぷらが一緒にいただけるんですよ。
2月になったらアスパラガスとか。
あと竹の子の時期になったら製麺所の釜で炊いたものを天ぷらにしたりとか。
ラッキーな日は天然のたらのめが出たり。
スピーカー 1
すんごいいいおうどん屋さんなので。
スピーカー 2
西鉄の太宰府駅から山道に入って最初に交差する小道、小鳥居障子を左に曲がって先の方にありますので、
ぜひ斎藤うどんで温まってください。
スピーカー 1
中島アリアさんでした。
27:17
スピーカー 1
番組からのお知らせです。ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くシーズン9のバナーをクリックしてください。
また、ラジオクラウドという無料アプリをダウンロードすればスマートフォンやタブレットでもお楽しみいただけます。
この番組は三山市の企画協賛、
餃子のヤマハチ、道の駅村方、草と共に生きるホーレックの提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田周代でした。
29:48

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