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古代の福岡を歩くシーズン9。 遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を尋ねる古代の福岡を歩くシーズン9。 この番組は
三山市の企画協賛 餃子の山鉢
道の駅村方 草と共に生きるオーレックの提供でお送りいたします。
こんばんは、坂田周代です。 今週も先週に続き中川市に残る「さいふまいりの道を歩きます。
ご案内は中川市の歴史ガイドボランティア中川の白津美恵子さんにお願いしました。 県道56号線を中川市の方に入ってきまして中川に到着しました。
その中川をずっと歩いてきましたら、 作田のうなでの入り口市のいでに出てきました。
作田のうなでの市のいでというところに出てきました。 こんなところに出るとは思いもしませんでしたね。
そうですね。 さいふまいりの道は橋本橋からずっと中川の上流の方に歩いてまいりまして、市のいでの方に回っているわけなんですね。
びっくりしました。 ここに出るとは。 この市のいでと言いますと中川から農業用水など作田のうなでに出水するための移籍なんですね。
今立っているところが作田のうなでに出水する出水口となっておりますね。 古い市のいでというのが今、ぺんぺんと残りが見えますよね。
3つぐらいの塊ですね。 そうですね。これがですね、もともとは長さが約150メートルで地区全国植布読記には地区全市のおいでと言われておりました。
これが川の流れに垂直ではなくて、水圧をまともに受けた斜め関になっているわけなんですね。
斜め関というのは江戸時代の初めに畜生地水土木の神様と言われる加藤清政、あの方が熊本を治めるようになった時に、
熊本にも大きな川がたくさんございますよね。特に緑川というのがよく氾濫して石を切ってたんですね。
加藤清政が困ったなぁと思いながらうたた寝した時に、ウという鳥が川をスーッと斜めに泳ぐ夢を見たと。
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それでパッとひらめいて斜め関というのを考えつかれたということなんですね。
この斜め関が江戸時代の初めぐらいに作られたものなんですが、
じゃあそのもともとの斜め関の前の一ノ井でっていうのは神宮皇后が、神様の田んぼを作るために作田のうなでにを水をひくために作られたという神宮皇后の伝承があるところなんですね。
今現在はですね、昭和62年にできた転倒式の一ノ井遺跡という風になっています。
それからですね、江戸時代の話になるんですが、井の忠敬っていって日本地図を促領して作られたという方たち。
その促領体が文化10年、1813年9月の30日に、比善相賀の神崎から博多に向かう途中、一ノ瀬を得てここで休憩を取ったということが、促領日記で書いてあります。
本体の井の忠敬は三瀬を越えて福岡城に入っているんですが、その別体が五日山から福岡道を通って福岡城に入っているわけなんですね。
その促領日記の方にも、この一ノ井でのことが神宮皇后が築いた一ノ井で、そして辰上山、今は岩戸城市っていう風に言っておりますが、古いお城があって、
そこには安徳天皇が岩戸の安徳台に来られた時に、警備の武士たちが駐在したこと、また作多のうなでのことなど書いてありまして、
促領だけではなく、その他にも住む里人からいろいろとその地のことを得ていたように思います。
ここの中川の一ノ井で、大変重要な石ですよね。これから作多のうなでずっと流れ込んでいるという、その大元になっている場所がこの一ノ井でというところですね。
ここのお話なんですが、大正時代に博多の人参畑からここまで、一日に一往復馬車が通っていたわけなんですね。
そして伏見神社の前にも旅館がございまして、昇竜館、酒屋旅館、そういうものが戦後ぐらいまで営業されていたんですね。
ここは山田っていう地区に入るんですが、南北に秘禅築禅街道、東西に財布参りの道が通っていて、それがちょうど交差するところでもあります。
ですからここはですね、多くの人が行き来していたところで、いろいろと情報とかも入ってきたんじゃなかろうかと思われます。
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ここから佐久田の海辺、水が流れ込んでいますが、その佐久田の海辺については、白渦さんに何回か歩いていただきまして、ご紹介いただきました。
しかし財布参りの道がここを通っているということは、気がつきませんね。今日来てようやく気がつきました。
ここからさらに続くそうで、そちらの方へ行っています。
ということで、この番組で紹介したことのある佐久田の海辺へ入ってきました。
伏見神社の横を抜けて、佐久田の海辺の流れに沿って歩いていきます。
佐久田の海辺公園に出ました。
佐久田の海辺公園ということで、川が流れている。これが海辺ですね。
佐久田の海辺ですね。
だいたい4、5メートルくらいの幅の川です。ここへ来ました。
名の津の宮家がですね、太宰府に移ってから、中川氏は太宰府と深く関わりを持つようになってきました。
佐久田の海辺は日本遺産の古代日本の西の都、東アジアと交流拠点の構成文化財の一つとしまして、令和2年に追加認定を受けました。
これは国際交流の地であった畜種を食の方面から発展を支え続けたからと言われていますね。
この佐久田の海辺というのは、日本書紀にも書かれている今から1600年ほど前に作られたと言われる古代の農業用水路です。
全長が約5.5キロメートルありまして、130丁分の田畑を潤している、現代も使われている用水路です。
市のいでから水を取り込む量は合計250ヘクタールの田畑を潤すほどの水量です。
これは福岡ぺいぺいドームの約35個分の広さに相当します。
それからですね、佐久田の海辺はですね、平成16年から21年にかけて佐久田の海辺御岸工事を行いました。
田んぼに水を必要としない11月から3月に改修工事は行われたんですけれども、その寒い時期にここに住む生き物を全部救い出し、工事の後、再び元のところへ戻すという地道な作業、魚揚げと言うんですが、それを行いました。
それを行った方々が中川市の環境を考える会と福岡大学の博多湾開園体のサークルの学生さんたちが行ってくれたんですね。
そのおかげで佐久田の海辺には多くの絶滅危惧種の生き物が生き延びることができました。
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それからこの佐久田の海辺の御岸の漁儀はこれずっと石積みがありますね。これ全部ホーマンジャンの石です。
この石一個一個の後ろには金属の棒が入っておりまして、それを土手にしっかりと埋め込んでるんですね。
自然石でありますからどうしてもこの隙間というのができますね。その隙間に小さな生き物とか魚たちは巣を作ったりとか、何かの時には逃げ込んだりとかできる。
本当に非常に自然に優しい作り方、ダップストン工法をそういうものでやっております。
それから平成18年には日本の疎水百選に選ばれております。
疎水というのは人が作った人工溶水炉、掘り切りのことで、福岡では他には柳川の掘り割り、大石溶水、掘川溶水が選ばれております。
それから平成14年に発掘調査が行われた時に、なんとここからシャッシャンボの木の杭が見つかったんですね。
これは長さが45センチで直径が4センチ。これが16本確認されました。
放射性炭素分析の結果、1305年から1355年ぐらいのものと判定されたわけなんです。
ここのところで一番最初に作太のうなでが文献に載ったのが日本初期。これが720年にできました。
次に作太のうなでのことを書かれていたのは畜全国植不読記、茅原一見が書いた文なんですが、
それが1700年ということは千年間の空間があるわけなんですよ。
この千年間の間、作太のうなではあったのかどうかっていうのが、学者さんたちの間でいろいろと考えてあったわけなんですが、
そのシャシャンボの木が出てきたことで、その千年間の空白を埋めることができたわけなんですね。
とうとうと千年間流れていたということですね。
作太のうなで何度も改修工事を受けながら、現在まで大切に流れ続けてきたということを物語っていることがわかったんですね。
もう本当に水が流れているかどうかわからないような感じの水が4,5メートルの幅で流れているらしいんですけども、
ここから上から見てもよくわからないですが、少しあるかな、流れがあるかなという感じがしますね。
ここを財布参りの人が歩いていたんですね。
そうです。この作太のうなで沿いをずっと歩いていたということですね。
今、水が流れているかどうかわからないとかおっしゃいましたが、本当にもういいところを築いてくださったと思うんですが、
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実はこの作太のうなでは、100メートルに20センチ、同一勾配なんです。5.5キロはずっとですね。
すごいな。
そうなんですよ。ですから出水口の山田地区の一ノ井で、あそこで中川の水を出水しますよね。
そして5.5キロ行って、いまびつっていうところでまた再び中川に行くんですが、そこの高低差がたったの15メートル。
ですからこれだけ穏やかな勾配で流れているんですね。
これはですね、なんと現代の排水管と同じ水準で、この勾配を保ちながら水路の幅を変えるなどして、古代の用水路を作っているわけなんですよ。
すごい技術ですね。
それからですね、また地形に沿って蛇行しているこの水路は、山裾から雨水を集めて、
冷たい水がいきなり田んぼに入らないように、ゆるやかにゆるやかに流すことで水を温めて、稲の成長を促進させてあるんですね。
ですから1600年前、当時の技術がいかに高かったかっていうことが分かるところでもあります。
そうですよね。
この作田のうなでに沿って財布参りの人は歩いていったということです。
この公園のすぐ近くに城の下というコミュニティバスのバス停がありました。
近くにお城があったようで、志郎寿さんに伺いますと。
はい、あの城の下というふうに読むんですが、今正面に山が見えます。
それほど高くはありません。
標高が195メートルなんですが、実はここに山城があったわけなんですね。
山城があったんですか。
藤原住友の乱というのが941年ありました。
その時に藤原住友の乱を収めるために田財布にやってきたのが尾野義古。
その義古に従って活躍した大倉春実の子供、大倉種光が999年頃から築き始めまして、
1073年頃にできたものと言われております。
その後ですね、孟子襲来、元寇が来ましたよね。
そういう緊張を高まる前に九州の武家の総大将として、将に影助けが入った山城でもあるわけなんです。
あそこの頂上付近に一部木が切られたようなところがあると見えるんですが、
あれが本丸の跡になるんですが、
あそこから見ますとそれこそ博多湾が一部をできるわけなんですね。
そしてここは山城でも非常に戦国時代ではかなり…
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そんなに高くない山ですよね。
そうですね。
山の裾にはですね、春咲きにはどの桜よりもいち早く咲く初実桜というものが早春を教えてくれます。
結構たくさん咲きますよ。
ついでに李久梅とか土佐水月などなど、そういう花とかもその辺いっぱい咲きます。
じゃあ花の時期に来てもいいですよね。
もう本当ですね。ただその初実桜が桜の中で一番早く咲くと言われてますので、2月の終わりとか。
寒いですね。
そうですね。もう早ければ2月の終わりくらいから咲き始めますね。
桜のシーズンにはぜひ訪ねたいところです。
しばらく歩きますと安徳という場所に着きました。
ここは安徳という地域に入ってまいりました。
安徳というところですね。
その安徳の地名の由来なんですが、平安時代の末期、1183年の8月、
元平合戦で木曽の吉中に敗れ、平家はこの畜市の地に都内を致しました。
その時に平清盛の長男、茂盛の幼女の無子であった原田種直の館がそこの安徳台にあったわけなんです。
そこに仮の御舎を構えられて、安徳天皇がしばらく滞在されたということから、
安徳という地名となったということなんですね。
この安徳天皇が中川を川船で登って来られた時に、原田種直一族老党、
そして里人たちがお迎えした場所はお迎えという地名になっております。
また、現地の兵が安徳天皇を追ってきた時、知らぬ存ぜぬと嘘をついて、
安徳天皇をお守りした人々が住んでいる村を嘘の谷と書いて、嘘ん谷と言ってますね。
そして、現地の兵がここまで追ってきたのにということで目印に松の木を植えました。
その松の木を植えた場所を追い松、追いかける松という地名になっております。
今、作田神社の前に立っているのですが、御祭神は神宮皇后です。
この神社の裏手に、作田の裏手の由来の場所があります。
市の入れから引いた水をずっと通す用水路を作っていると、大きな岩盤に遮られてしまいました。
そこで神宮皇后は、佳心の竹の内のすくねに命じて、
剣と鏡を持って丘の上で祈りを捧げた時に、丘が大きく轟いたかと思うと、大きな岩盤が蹴り裂けた。
蹴り裂けたで裂けたの裏手が作田の裏手になったようなんですね。
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日本書紀に記載されるぐらい、大岩手のところでの岩盤の掘削工事というのは非常に難工事だったということが推測されますし、
この工事は国家を挙げての大工事だったということも分かります。
安徳台がすぐ横にございますが、ここの名称は日本書紀にはとどろきの丘と、江戸時代には御所ヶ原、その後安徳台というふうに呼び名が変わっていきました。
ということでここは作田神社の前に来ていますが、この作田神社に作田のうなでの川がぐるっと回りながら流れているということですね。
この作田神社がちょっとした起点になっていますよね。岩が大きな岩がこの神社の裏側にありますよね。
この大きな岩が水路を掘るのに邪魔をしたということで回り道をして水が流れているといったような感じです。
この作田神社の横をですね、財布前の道がずっと通ってまして、安徳村の方へ続いているということです。
そしてさらに流れに沿って歩いていきます。
作田のうなでの下流の方にやってきました。
ここはですね、張りの口と呼ばれている、はいそうなんです。
今ここ作田のうなでの水がこっち側から流れてきていますよね。
で、こちらから流れている川、これは城の谷川、そこまた川が小さい川が流れ込んでいますね。
これが平蔵川。
この作田のうなで城の谷川、平蔵川、この3つの川が一色体になっているところは張りの口なんですね。
だからこの雨が降ったときなんかは水位が結構上がりまして、
こういうトンデルと言いますか、そこに響いてワンワンと音がするから地元の人たちはワンワンって言う。
このことは張りの口じゃなくてワンワンって。
ワンワンって言うんですか。
はいはい、都会おっしゃっているってことですね。
で、今から財布前の道はここの城の谷、こちらの右に曲がっていくようになっています。
ああ、そうですか。
そして正面に新しい住宅地が見えますよね。
あそこ今はコットンヒルズというふうに言っております。
そこを開発するときに発掘調査が行われまして、中世のジンジロ跡っていうことがわかったんですよ。
ジンジロというのは戦のために臨時的に構えられるお城で、山を切り盛りして古留を作って、
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そういう土の城をジンジロと呼んでいるわけなんですね。
その跡が見つかったところですね。
今から財布前の道はこちらの右の方にどんどんと登っていくことになります。
中川市に残る財布前りの道、もうしばらく歩きます。
ご案内は中川市の歴史ガイドボランティア中川の城津美恵子さんにお願いしました。
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです。
こんばんは。中川歴史散歩してたらぜひお菓子屋さんに立ち寄ってほしいと思うくらいおいしいお菓子屋さんが多いところなんですよ。
その中の一軒、今日はパティスリー・シェ・ササハラというところをご紹介します。
新幹線の博多南駅から歩いて5分ほどのところにあるんですが、このシェ・ササハラという名前になる前、2000年にサブリナという名前でオープンしたんですね。
その後ちょっとした移転を機にこのシェ・ササハラってシェフの笹原賢治さんの名字を取ってお名前変わってるんですが、
サブリナの星野村の抹茶ロールケーキって聞いて、あって思い出した結構人生ベテランのお菓子好きが多いかも。
と言いますと?
TBSの花丸マーケットのお目座で超人気になった一品なんですよ。
そうでしたか。
それを作った笹原さんのお店なんですけれども、
今回おすすめしたいのは中川市で作られているこだわりの卵、金太郎卵を使ったプリン。
せっかくなんでちょっと食べてみていただけますか。
はい、プラスチック容器にね、透明な容器に入ってますけど。
いただきます。
うーん、なめらか系。
とろとろ系。
あ、卵の風味が豊かですね、これ。
やっぱりわかる。縦にずっと折っていくとカラメルと合わさったところとかもう最高なみたいになりますけどね。
あー、まだそこまで行き着いてません。
この金太郎卵、町内環境、鳥の良くなるようにって言って混ぜてる金太郎っていうものがこのおいしさの原因、元気な鳥が生まれる原因なんですけれども、このプリンのおいしさ。
おいしい。
でしょ。
カラメルまで行き着きました。これですね。
幸せな味がするんですよ。
近年、指より片手に入るぐらいのおいしいプリンなんです。
さらにプリンだけじゃなくて笹原さん、この金太郎卵を使ったレモンケーキっていう焼き菓子も作ってるんですよ。食べてみちゃいます?
レモンケーキですね。
レモン型の焼き菓子です。
これを丸い半球形の。
そうなんですよ。あ、大きく食べた。
あ、こちらもしっとりと中までバターの風味と、これなんだこれ。レモンですか?
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レモンピール入ってるんですよ。
で、それだけ主張が強いものがあるにもかかわらず、卵がグイッと出てくる感じ。
やっぱりこの卵の濃さが最高なんだっていう話だったんですよね。
なるほど。レモンの風味が後から来ますね。
でしょ。でも笹原さん、いや、実はこの黄身だけじゃないんだよっていう話を聞かせてくれました。
そのプリンに卵ばっかりじゃないので、卵白を取る分があるので、その卵白を使ってチーズケーキを作ったり。
卵白がですね、ものすごく強いんですよ。
コシがあって、藤野さんって言われるんですけど、作られてるのは、その卵白が濃厚で味が濃いっていうことも言われてるんで、その卵白でチーズケーキ作ってるんです。
卵白なんですね。
それもね、めちゃくちゃおいしくて、ひもちの関係力を持ってこなせんでしたけど、なんとも言えない、口どけふんわりなのにシャンとした食感で、
甘いんだけれども軽いという。
豊かですね。
いろんな感想が混ざるようなおいしいケーキだったんです。
あとね、山桃のワカロンなんかがあったりするんですけれども、この地元のことについてこんな風に申し上げました。
中川ってそんなになんでもないですけど、なるべく地元のものを使おうと思って、地産地消はもちろんですけど、
あとはチョコレートとかは輸入物になりますけど、なるべく自分が使いたいものを。
そうなんですよ。だからイタリアンシシリーさんのローストピスタチオとか、ヨーロッパのビター味が違うアーモンドとか、一品にすごいこだわってらっしゃるんですよね。
さらにこんな風にもおっしゃってました。
そういうものを使わせてもらっているからですね。
だから自分がこだわってどうこうというよりも、そのまま食べたらおいしいものを自分たちはそれに手を加えて、そのままじゃ何もならないから、それよりももっとおいしくて、
自然になっていたものを手を加えてもまだ自然を感じられるようなものとか、
例えば必要ないのに火を入れる必要はないと思うかもしれませんけど、火を入れたらもっとおいしくなるんだったら火を入れて、
それはですね、僕が二十歳の頃に料理人の人の本を見てて、手を加えて自然、火を加えて新鮮ということが言われていたんです。
最初に見たときにああと思ったんですけど、ずっとやっているうちに本当にそうだなと思って。
職人ですね。そして謙虚ですね。
65歳、今が一番勉強している気がするんだよね、とおっしゃる笹原さんのお菓子。
ぜひ中川に出かけて、笹原のおいしいお菓子を食べてください。
中島リエさんでした。
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番組からのお知らせです。ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を一回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くシーズン9のバナーをクリックしてください。
また、ラジオクラウドという無料アプリをダウンロードすれば、スマートフォンやタブレットからもお聞きいただけます。
この番組は、宮城市の企画協賛、餃子のヤマハチ、道の駅村方、草と共に生きるオーレックの提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田周代でした。
地下鉄祇園駅から徒歩2分、RKBスタービル博多祇園スタジオは、
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