1. 古代の福岡を歩く
  2. S10 11回目は四王寺登山の..
2024-12-15 30:28

S10 11回目は四王寺登山の入り口

大宰府政庁跡を出発し、四王寺山の入り口まで歩きました。
四王寺山は、かつては大野山と呼ばれていました。
山上憶良が詠んだ歌として「大野山霧立ちわたるわが嘆くおきその風に霧立ちわたる」と万葉集にはみえます。
その後、大城山(おおぎやま)、四王寺山と時代の変遷と共に変わってきています。
その四王寺山の登山口までやってきました。
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00:09
古代の福岡を歩くシーズン10
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン10
この番組は餃子のヤマハチ
道の駅村方の提供でお送りいたします。
餃子のヤマハチです。
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餃子のヤマハチで検索してください。
お待ちしております。
こんばんは、坂田周代です。
太宰府省庁の背後に見える山、四王子山は
太宰府市、大野城市、海町にまたがる山ですが
ここには古代の山城、大野城があったところです。
高さ410メートルのなだらかな山ですが
ここにはいろんな歴史の跡があります。
その歴史を訪ねて歩いています。今回は2回目になります。
ご案内を、こと太宰府保存協会の学芸員、田中健一さんにお願いしています。
一緒に歩くのはこの番組の津川ディレクターです。
その山の登山口の一つ、太宰府省庁の近くの坂本地区から歩いています。
この坂本地区もいろいろな文化遺産というか、いろいろなものが残っていまして
そもそもこの坂本地区、坂本八幡宮があるので坂本地区なんですけれども
地名も実は塩山に由来するそうでして
そうですか。
頼っていきますと江戸時代に貝原幸健が地区前の国俗布土記を記していますけれども
貝原幸健はこの坂本地区がですね
塩山の麓、塩山に登る坂のところにあるので坂本というと
なるほど
この坂本地区が塩山に登るための出入口に当たるのでというようなことも書いてますので
まさにこの坂本地区自体が本当に塩山と密接に関連している地区だということになります。
今小技の標識があったんですが小技前って書いてましたね。
03:02
おそらく坂本八幡宮などの前に当たるので前なのかなと
これはちょっとゆかりがわからないので
本当にこの地区、この先にも何個かあるんですけれども
以前歴史の散歩道をご案内し
本当にユニークな名前がね
そうですね
並んでますから
本当にその土地の歴史とかを伝えてくれるものがですね
そうですね
名前見ただけで大体ここは何があったのか
どんな場所だったのかというのがね
わかりますもんね
坂本八幡宮を過ぎまして
貝の木を見ながら進んできました
今度は無垢の木ですね
これが無垢の木
歴史の散歩道沿いにもありますけど
市内で2番目の高さの無垢の木ということで
太宰府市の天然記念物にもなっている無垢の木なんですけれども
本当にちょうど地区のですね
このあったお宅の肝を守るように売られたとも言われてました
まさにこの太宰府の坂本八幡宮
地区の歴史を守ってきた無垢の木
巨大な木がこれは高いですね
樹高が多分おそらく15メーターそのくらいあるから
15メーターくらいありますよね
こういった自然もあふれていますので
ぜひそういったものを見ながら
坂本地区の中へと
そうですね
道回りは3メーターくらいありますね
太宰府市と天満県さんの楠の木などがですね
皆さん印象に深いかなと思うんですけども
市内でいろいろやっぱり樹木様々ありまして
こちらは無垢の木で
ちなみにこちら坂本地区の2番目なんですけども
一番大きい無垢の木は
地区前国分寺跡の北側にある無垢の木が
太宰府市内で一番大きい無垢の木になっています
ぜひ国分寺周辺に行ってみてください
そちらも国分寺跡から綺麗に立っているのが見えておりますので
菅原さんと坂本地区を歩いてきて
まだ坂本八幡宮から700メートルも来ていないんですけども
地域の方が坂本八幡宮とともに大切にしているお堂があります
ちょっとお勝手さんと呼ばれるお堂
岸墓神をお守りするお堂なんですけど
地元の方はお勝手さんと呼んでいます
ちょうど道の左手の方に階段がありました
上がってきますとお堂がありまして
こちらに岸墓神様がお祭りされているわけなんですけど
ちょうど見ていただくと境内にはさまざまな地元の石物なども集まっておりまして
明治の頃から昭和の途中まで行われて
平成の頃まで行われていた竹志四国の札所巡りとか
そういったところの札所になっていたそうで
春とか秋のお彼岸にはたくさんの方がお祭りされていたそうなんです
一番本殿に近いところに飾ってあるこれは竜神ですか
06:02
そうですね右側は竜神で左側が領明王さんです
竜神の像もこれすごいですね
そうですね彫り方が本当に躍動的に彫ってありまして
竜がとぐろを巻いているという感じがしますけど
躍動感のあふれるようになっております
こういったふうにたくさん祭ってあるわけなんですけど
反対側を見ていただきますと
供養塔といわれてたくさんの石物が集められているんですけども
実はこれがまた始王寺山に関連するものでして
古代からずっと始王寺が建てられて以降
信仰の山としてずっとさまざまな信仰があったんですけども
実は今の時代近代近現代に入っても
実は始王寺山標高はそんなに高くないんですけど
実は水量が豊富でしていろんなところに滝があるんですね
それぞれの沢の滝でお滝場ということで
近代に入ってからいわゆる明治大正昭和のかけて
そういう場所が実は修行の場ということで
お滝場ということでたくさんの方が修行されるような場にもなっていたそうなんですね
実はこの坂本地区を遡っていきますと
半土の滝っていう滝がありまして
そこも修行の場になっていたそうなんですけども
昭和の大水害がありまして
そこに祀ってあった仏様ですね石物たちがもう大雨の土砂崩れで
この坂本地区まで流されてしまったそうなんですね
そういった流されてしまった石物を地域の方が一体一体丁寧に掘り上げまして
今お勝手山の境内に集めてですね
供養塔ということでその周りにたくさん大切に祀ってあるというところになっています
お勝手山っていうのは何か意味があるんですか
そうですね私も地元の方から名前もお勝手山お勝手山ということで
キシボジンのヒンドゥ語ですかね
カリティアなどと言いますので
そういった元々の神様の名前も引っ掛けてあるのかなという風に
地元の方から教わったんですけれども
ちょっと特徴的なお名前ですけども
地元の方はキシボジン様またお勝手んということで
お勝手ん様ということで大切になさっていらっしゃるそうです
だいたいキシボジンって安山の神様ですね
そう言われてますよね
そういった面でも坂本地区の皆さんの大切な信仰の場ということで
境内には万葉花碑もあったりしますので
ぜひしお邪魔に向かっておいてお立ち寄りいただいて
ぜひ手を合わせていただければなと思います
供養塔にも1,2,3,4体の仏像が掘ってある供養塔がありますね
その前に小さなお地蔵さんですか
09:00
それもありますしたくさんありますねよく見たら
そうですねもともと滝の方にかなり祀ってあってですね
それが本当に地域の川とか池に流されてしまったのを
一体一体引き上げてですね
こちらの方にお祀りしているということで
そのお滝場の信仰もすごかったんだなとですね
これだけの石物がやっぱり祀ってあったということですね
そういうところです
それではまた今筋に戻っておきましょう
ここにキシモ神が祀られたわけというのがあるんですか
もともとですね
実は今道沿いにお勝手様のお堂がありますけれども
地元の方にお聞きすると
実はもともと使用時代に向かって
北西の山地にもともと祀ってあったそうなんですね
ちょっと山にあって地域の方もお参りするのが大変だし
お堂なんかもいたんだそうなので
ある時こちらの地区のですね
相場の方に移されたということでして
どうしてそもそもキシモ神がここで祀られるのかとか
その由来なんか詳しいことはわからないそうなんですけども
もともと古くから地域で大切にお祭りされていたという話が聞いています
安山の神様でしたからね
やっぱり地域にとってなくてはならない神様だと思います
そういうキシモ神が祀ってあるという場所でした
このお勝手様出ましたけども
目の前にまた小技があって
花屋敷という非常に
花屋敷いい名前じゃないですか
ということは花がたくさん植えてあったと
そういう形でおそらく何か花とか植物にまつわるようなものだったかなと思うんですけども
詳しい由来もこれ自体にはわからないんですけども
王子の華やかさを伝えてくれるような小技が立っております
いいですね
これは歩く人の心を和ませてくれますね
坂本地区は昔ながらの地域なんで
雰囲気が落ち着いた昔の街並みを感じさせてくれる
黄色が水が
道路の下に流れている
暗虚になっている
なかなか使用者も水が豊富というイメージがないんですけども
実は先ほどお話ししたように各方面にお焚き場なんかが作ってあります
実は水量は私たちが思っている以上に
城内には豊富な水量があるようなんですね
そうなんですか
本当に道路の下
真下です真下
この水を聴いてください
12:04
こんな清らかな水が流れています
坂本地区には街の中を清らかな水が流れ
その音を聴いているだけで癒されます
徐々に道の傾斜も厳しくなってまいります
ちょうど坂本地区の街並みが最後のあたりでも途切れるぐらいですけども
ちょっとここを左手の方に分岐する道がございます
これが九州自然歩道になっておりまして
実は真っ直ぐ行きますと
市長邪魔でございますが
ここから左の方に曲がっていただくと
地区前国分寺であるとか文化ふれあい館
ちょっと行けば水木屋との方に行きまして
太宰府の北西側の市籍の方に向けられますので
ぜひこちらから行っていただければなと思うところです
抜け道があるんですね
足元にはちょうど看板の下には昔からあります
実は追い分け石もありまして
追い分け石ですかこれ
もう封鎖して見えないんですが
実は右側は潮山と
左側は国分地区に行きますという
実はもう50センチもないぐらいの石です
実はそういう追い分け石もあるということで
追い分け石ですかこれ
分岐をします看板の下には
昔は貴重な石だったんですよね
昔の人々はどちらに行くかということで
それを参考しながら進んでいたようなんですけども
だいぶ坂道を登ってきました
生タカワラシがたくさん咲いてますね
じゃあですね
深本集落の道を歩いてきますと
実は津川さん左手をちょっとご覧いただくと
実は塔と石物がついてあるんですけども
ちょうど道から田んぼを挟んで向かい側なんですけども
あちらが実は古代の潮山
ダザイフに関わる人物のお墓なので
ちょっと寄り道してもよろしいでしょうか
寄り道してばっかりだなって多分突っ込まれてると思う
なので向かって潮山に向かって
ちょっと道を左手にあぜ道ですね
ちょっと履いていただいて
小さなあぜ道に入ってきました
その先に玉垣に囲まれた石塔かな
石の塔が二つありますね
ということでちょうど道の向こう側
ちょうど田んぼを挟んで向かい側に見えてたところにやってまいりました
石塔の方には大きく原生法院の墓と書いてありまして
実は古代に活躍しました原生法院という僧侶の方のお墓が
実はこの坂本地区に残っているわけなんですね
立派な看板も設置してあるんですけども
15:02
そもそも原生法院がどういう方かと言いますと
766年にこの太宰府地元でお生まれになりまして
ただ若くして17歳の時に失明をされてしまいまして
ただずっと僧侶として修行に取り組んでおられましたので
美夜などを引きまして安寧を祈ります
妄想になられまして
ずっと城邪魔などまた都などに上がって活躍をされたそうなんですね
時の天台宗の有名な最澄がいらっしゃいますけども
この最澄が比叡山に建物を
相庵を建てようとしたところ
実は毒蛇に邪魔をされて
建てられない状況があったというふうに伝えられてまして
その状況下で厳正法院が美夜を鳴らして祈りますと
立ちどころにそういった毒蛇たちが退散して
無事に工事が進んだと
ということで最澄はそれをねぎらいまして
厳正法院に常住院という号を与えたそうなんですね
このように都でも認められて大変活躍した厳正法院なんですけども
亡くなりまして
そのお墓がどこかなということがずっと
皆さん関係される方が探しておられたそうなんですね
またそのお墓がなかなかわからなかったそうでして
かつて江戸時代に大祭をなくなってから千年の奉養をしようと
ただお墓がわからないので実はこれから津川さんと行きますと
四王子山の山頂に実は同じ厳正法院の墓が建てられてるんですけども
実は二つあるわけなんですね
実はその四王子山の山頂に千年記に合わせまして
実は江戸時代にそれを建てまして
その後改めて実はですね
ここ坂本地区でお墓がこちらでわかったということで
現在は山の上にはその記念した供養堂がそのまま残されて
そしてこちらの坂本地区には厳正法院の見つかったお墓ということで
今も関係されます皆さんがですね
大切にお祭りをされているところでございます
何らか通っている町並みの中に実は古代の活躍した人物
四王子山に特に愉快なある方の場所があるということなので
ちょっと寄り道してご紹介をさせていただきました
この厳正法院妄想部屋というのが福岡県の無形文化財になってるんですね
そうですねこの厳正法院が伝えてこられまして
最澄から常住院というですね号をもらいまして
その名前のお寺が今の福岡市の南区の高宮の方にですね
常住院さんがございますけども
そちらの方がいわゆる厳正法院の美話ですね
厳正法院理由ですかねそういったものをずっと大切に伝えておられまして
18:03
こちらの御所も坂本地区の方そしてこちらの常住院の皆様が
大切にお祭りをされているそうなんです
一度そういう美話を聞きたいですね
ぜひ何か法要の際に
ということで厳正法院の墓ということでした
そしてさらに登山口目指して歩いていきました
結構本当に登ってきてますね
いよいよ道が折れ曲がって車止めがありました
右に折れ曲がって車止めがあって
ここからいよいよ登山道に本格的に入っていくところでございます
さあ坂本地区をですね抜けてきまして
ちょうど道がですね行き当たって突き当たったところに車止めがありました
ここからがいわゆる登山道に入っていくところになっております
おおよそですねこの坂本の麓から
ここから九州自然歩道を登っていきますと
この登り切った先には大野城のですね石垣の一つである大石垣が多いですけど
大体ここから登って1キロちょっとで
大石垣に到着するということなので
これから登っていって大野城に上の方に上がりまして
そこからぐるっとほぼ一周しながら大野城などのいろんな魅力をお伝えしていこうと思っております
さあここから津川さん登山道を登っていくわけなんですけど
この九州自然歩道は当然今の最近の道筋でして
実はかつですね古い例えば江戸時代とか古代まで盛ん登る川あれなんですけど
実は昔の登山道って実はこれより一本西側沢の方をちょっと行ってたそうなんですね
地元とか記録を見ますとそちらは車道と
いわゆる自動車の車に道と書いて車道と呼んでたそうなんですよね
古い道で何で車道なのかなって言いますと
実は明治時代に福岡県の地理をまとめた地理禅師など
地理禅師っていう志士があるんですけども
そういったことでは古くから
実はここに太宰制庁があった頃からこの坂本地区を越えて
その今車道と呼ばれる道は上の塩地に行く重要な道であったと
漢人たちとか僧侶たちなどがいわゆる車に乗って
今の車ですが当時の義者とかあれだと思うんですけど
そういった車に乗って行き来をしていたので車道と言うと
なので今の名前のような気がします
実は古代そういう人々が往来していたという名残が
実は今も古い道になってまして
当然だから今もこの立派な登山道ができてますので
21:02
もうその一本西側の道っていうのは通る方がいらっしゃなくて
荒れ果ててしまってるんですけども
実はそういう名前のついた道があって
昔はそちらがメインの道路で
ちょっと義者とかが通れるような道じゃ私はないんですけども
でももしかすると当時の人お越しかもしれませんね
なんかそういうのでやはり先ほど雑のお話もしましたけど
役人の偉い方であったりあるいは僧侶の雑であったりが
行き来するときに使っていた
そんなのがそういう道の名前なんかにも
伝えられているということでございます
ここから山道の先の方を見ますと半分薄暗くなってますよね
やっぱり光が入らないというそんな感じがしますが
林の道がここから続いてるんですけども
そこを贅沢に車に乗って通るという
そういう方がいたという車道という
そうですね
現代の私と津川さんは歩いて行きますけど
古代はそういう方たちはそういう風に行ってたというのが
伝えられているところでございます
令和ゆかりの坂本八幡宮にお参りし
いよいよ塩寺山の登山口に立ちました
ご案内を古都太宰府保存協会の学芸員
田中健一さんにお願いしました
一緒に歩いたのはこの番組の津川ディレクターでした
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです
こんばんは
塩寺にあります大野城跡なんですが
実は百名城カードになってるんですよ
お城カードですか
そうなんです
江戸時代のお城ばかりじゃないという
イメージそうでしたでしょ
いやいやすごいんです
この秋デビューしました
海町と大野城市と太宰府市
それぞれにデザインを違って出してるんですよ
その中でも海町では百軒石垣のビジュアルを
この百名城カードにして出してます
その理由について海役場のシティプロモーション家
文化財町の魅力PR係係長の松尾直弥さんが
こんな話をしてくれました
海町が大野城跡の80%以上
海町の町内にありまして
この大野城最大の石垣の百軒石垣も
海町内にあるんですね
なのでシンボル的なものなので
海町のデザインとしてこれを採用したということですね
そうなんですよ
海町の歴史民族資料館というところがあるんです
ここで販売してるんです
売上どうですか?売り行きがどうですか?
なかなかいいんですよっておっしゃってて
もうかなり三市町の中では
24:01
今トップかなっていう感じでおっしゃってたんです
コレクターとして欲しくなるでしょうね
三市全部欲しいですよね
確かに百名城カードが意外でしたって言ったら
日本初期に通された文献上
日本最古の古代山城なんですから当然ですよ
という答えが出てきたんですよね
この海町の歴史民族資料館にも
この四王子に関する展示コーナーがあるんですけど
その中でこれがちょっと珍しいかなっていう
一品を聞きました
一番珍しいのはこれですね
これは文字が書かれた末期なんです
土器に文字が書かれてある
これも何て書いてあるかというと
太刀ですね
館っていう文字が書いてあって
見えますね
見えますね
書いてあるんです
時代的にはいつ頃見られるんですか
当時の記録から言うと
8世紀代の世紀とともに発見されたという風にされているので
そのくらいの時代かなと思うんですけど
すごい滑らかですよね
そうですね
面白いのはこの館っていう立ちですね
この忌み合いですけど
大野城跡の建物っていうのは
ほとんどがお米
稲を貯める米ぐらいですね
っていう風に言われてるんですけど
この館っていう立ちっていうものは
役所とかそういった忌み合いを持つ
っていう風に言われてるんですね
だから大野城跡の建物といっぱいありますけど
稲を貯める蔵だけではなくて
こういったお役所的な
ちょっと何て言いましょうか
役所的な建物があったんじゃないか
っていう風に言われてる
それをちょっと証拠
根拠となるような資料ですね
ただ大野城跡正直まだ10%も
発掘されてない状態なんですね
なので実際その城の中がどういった構造か
っていうのはまだ未解明な部分が多い
楽しみでもあるわけなんですよ
この城跡の跡
ここには指定農地使用員という寺が作られたんですが
その時にあったであろうという
文字が関数字のように王様の王って書いてる
瓦が置いてあったりして
ほうほうっていう話も聞けたんですよね
こうやって城跡があってお寺ができて
その後江戸時代には
33体石物っていう仏様が
それを回っていく信仰の山にもなって
大正の終わり頃からは
今度は観光の山に姿を変えたという
その流れがあるんだと
そういうことについて
さらにこんな話を松尾さんがしてくれました
戦いの守りとしての城から祈りの山になって
観光としての山の時代もあると
その祈りの信仰というのが
今も1月3日に
この塩寺山の備謝門堂というところで
備謝門参りというお祭りがあっているんですね
27:00
そういったことで
今でも信仰の山として生き続けている山
とても歴史的に重層性がある
厚みがある山というふうに思っています
ちょうど1月3日
もうすぐですね
もうすぐなので
お祭銭を借りてきて
借りた金額の倍額
翌年の1月3日にお返しするんですって
そうすると金運が上り続けるそうなんで
10円、100円、1000円
その辺は自由なんですよっておっしゃってました
ぜひそういった意味でも
塩寺楽しんでみるのおすすめです
中島理恵さんでした
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道の駅村方
餃子の山鉢の提供でお送りいたしました
ご案内は坂田周大でした
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