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この番組は、「田舎暮らし7個っ子ブログ」の提供でお送りいたします。
はい、おはようございます。東京から大島に家族で移住してライターやブログ運営をしたり、コミュニケーションを直したりしているコバナンダです。
今日のトークテーマは、「移住するときに骨を埋める覚悟で来るべきか?」みたいな話をしたいなと思います。
ツイッターでつぶやいたんですけど、結構思いのほか反応が、移住者の方ですね、既に移住をされている方からの反応が結構あってですね、
なんか僕も聞かれましたというか、「死ぬまでここにいるの?」みたいな話を聞かれたりとか、
あと実際に自然と移住者の方も、なんていうんですかね、僕自身もそうだったんだけども、
定住の意識をしすぎてなかなか決断しづらかったみたいな話があってですね、なんかみんな同じ気持ちなんだなと思っていたんですよね。
なので今回は僕もそうだし、他の方もそうだったんだろうなと思うんですけども、
骨を埋める覚悟で移住を考えないといけないのかというお話について、
実際に移住する側、僕が感じていること、その答えですよね、見解はどうなのかということを1つお話をして、
2つ目に、実際地域側とは言ってもさ、地域側ってこう思っているはずだよねっていうお話。
最後3つ目に、なんか妥協点ってどういうところなのかなっていうところ、結論のまとめみたいになりますけども、そんな3点でお話をしたいなと思います。
1つ目ですね、まずは僕自身の見解ですけれども、僕自身はその場所に骨を埋める気あるのか、そういう覚悟で移住したのかというと、
最初は別にそんなこと全然考えてませんでしたね。
地域おこし協力隊になるときも、地域おこし協力隊ってゴールとした定住というのが一応1つのKPIというか目標になっているかなと思うんだけれども、
こればっかりは合う合わないという問題、良い悪いの問題じゃなくて合う合わないの、そういう世界線の軸の話かなと思っているので、
定住できたらそれはいいよね、こっちもだって大変だし、定住できたらいいけども、地域側もそうだし僕自身もそうだし、合う合わないの問題なんじゃないかなっていう感じがあって、
そこまで覚悟らしい覚悟みたいのはありませんでしたね。ただやっぱプレッシャーみたいのはありましたよね。
地域の人とそれは接すれば接するほどやっぱりうーんって思うことはありますよね。
ただ当初のその移住前の段階としてはそこまで別に覚悟はあったかないかというとなかったですね。
覚悟がないとかあるとかじゃなくて普通になんかワクワクみたいな、移住ワクワクみたいな、今の不安もあったけどね、東京離れることとか仕事を辞めることについては不安もありました。
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ただやっぱ妻の実家は同じ兵庫県内にあるんで、そんなに家族のことは心配はなかったとまでは言わないけどね、そこまで重くはなかったという感じですかな。
なんか僕自身もなぜかワクワクのが強くて仕事もまあなんとかなるでしょうみたいなそんな感じで、
一番その収入面で言えば地域おこし記録という制度を使ってね、石橋は叩いたつもりなんですが、他の移住者の方、ツイッターでね、よく絡んでいる方とかのリプライとかを見ると結構ハード系の移住ですよねみたいな。
会社も辞めて、裸一貫で飛び込んでみたいな。地域おこし記録制度使ってるかまだマシじゃないかなぁと思いつつね。
でも転職なき移住でこと足りている人からしたらね、やっぱ大変だし、言うて脱だったら転職、脱だったら移住、地方移住ってすごい大変だなぁと思いますね。負担がすごく大きいというか、今もそれで悩んでるんですけど。
そんな感覚がありました。とはいってもですね、地域側、僕も今1年半ぐらい地域の人と馴染んできていて、実際にほぼほぼというか地域側の人の気持ちもなんとなく分かるようになってきたんですよね。
雑談の橋橋で多分こういう風に考えているんだろうなとか、やっぱり地域の人ってこういう風に考えているよなというところが感じるようになってきました。
やっぱり地域おこし協力者の受け入れ地域もそうでしょうし、実際に移住者を素直に近所の人、住人として受け入れる側、あの立場からしたら2つに分かれるかなと思うんですね。
1つはその人はいい人だったらね、移住者の人もそうだし、受け入れる側の人も普通の人ですよね。
普通って難しいよね。良好な関係が築けている、そんな間柄の場合であればやっぱりで定住してほしいなと思ったりもすると思うし、
あと農業だったり事業だったり、地域集落を維持する活動員の1人だったりとおいてあれば、やっぱり定住してほしいよなって思うんですよね。
これはちょっと難しいんだけど、良くしてくれると思うんですよ、地域の人もね。
若い人が来たりとかね、家族連れて来てくれたりとか、地域が賑やかだなーみたいな気持ちだったり、人が周りに増えてくれるとやっぱり嬉しいじゃないですか。
そういうような感じがあって、僕もそういうふうに思うようになりました。
若い人たくさんいてくれたら嬉しいなって思うしね。
やっぱりそういう感じになると、見返りを求めて良くしてるわけじゃないと思うんですよ、普通に。
でもやっぱりちょっと期待はしちゃうよねみたいな。
こんだけ良くしてくれたんだから定住してほしいよねみたいな、そんな薄く気持ちが乗るような感じはありますよね。
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変法性の原理を感じ…難しいね。
こんだけ良くしたんだから当然定住するよねみたいな感じもなくはないかなと思いますね。
これ難しいんだけどね。
もう一つが、使用対応が悪いパターンというか…難しいね。
よく来たねとは言わないタイプっていうんですかね。
来たんだみたいな。こっち移住してきたんだみたいな。頑張ってねみたいな。最初から使用対応みたいな感じだったりとか。
なんか変な奴なんじゃないかなこいつみたいな、そういう目線で最初は見ると思いますね。
ある程度、そういう車に構える人も結構いるんじゃないかなと思うんですよね。
でもそんな中でもですね、最初使用対応なんだけど、やっぱり時間を重ねて姿を見せて時間を重ねていくと、
なんだこいつ、意外と骨のあるやつだなとかね、ちゃんと掃除しっかりしてるなとかね、草刈りちゃんとやってるなとかね。
そういうような形をしているとですね、わかんないけど自分が毎日掃除したりとか草刈り頑張ってると、
ここはこうするといいよみたいな、この草はこうやって刈るといいよみたいな、草刈り機の使い方はこうするといいよみたいな。
僕のエピソードで言うと草刈り機借りて使い方を教えてもらってやってたんですけど、
結構最初ね、混合ガソリン入れて吹かすようなタイプ、電動じゃなくて小型のエンジンつけた刈払機をやってたんですけど、
草刈りってレバーがあって、それをウワーンって音が鳴るんですね。回転数が上がって草刈り刃が回っていくんですけど、
僕もそんな意識してたわけじゃないんですけど、音が安定しない、吹かす、回転数上がってきたらちょっと離して、回転数下がってきたらまた上げて、
ウーン、ウーン、ウーン、みたいな感じの草刈りのエンジンの刈り方とか刃の回転のレバーの扱い方だったんですよね。
近所の人は音だけで判断できるんですけど、「あ、この子の下手くそやな。」みたいな。草刈り機は燃料もよく食っちゃうし、
エンジンと一緒で、車の運転と一緒にアクセル吹かして、また離してってやってるのが一定でやった方がいいと思うので、
それをわざわざ教えてくれて、音が鳴らないといけない、みたいな。
ハンドルのレバーはちょっとだけで、ずっと固定でウィーンって言ってるぐらいがよく切れるし、燃料も食わんからこういう風にするといいよ、みたいな感じで教えてくれるんですよね。
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そんな感じで、見ていない風でも見聞きしてるんですよね。よく見てます、地域の人は。
っていう話でちょっと脱線しちゃったね。そんな感じで、段々と心よく対応してくれたりもすると思うんですよね。
それが信頼関係を積んでいくってことだと思うんだよ。
で、結論から言うと地域の人はやっぱりその定住した、移住してきた人がいい人だったら定住してほしいよねって思って、いろいろよくしてくれるっていうことですよね。
3つ目、これを受けて僕たちはどういう風に考えないといけないのかってことなんですね。
やっぱり最初は骨を埋める気、ないかもしれないのが普通だと思うし、一旦行ってみないと分かんないこともたくさんあるから、
一旦行ってみるというフットワークを軽く行くんだったら、やっぱりあんまり定住は意識しなくていいと思います。
ダメだったら戻ろうとか、ダメだったら別の地域に帰ろうとか、そういうことでもいいと思うんですね。
行ってみないと分かんないからさっていう気持ちで行くのがやっぱり一番ベストだと思いますね。
僕自身もそうだと思うので、そこは全面賛成ですね。
まず行ってみないと分かんないからまず行ってみようよみたいな、地域の人もまず受け入れてみたらみたいな感じですかね。
それでストレスとかたくさんかかったりもすると思うんだけども、やっぱりそのままじゃよくないかなと思いますね。
いろいろチャレンジングなことをやっていかないと地域側としてもやっぱり難しいのかなと思いますね。
変化を享受していかないと僕たちは廃れていってしまうっていうところがやっぱりあるのかなと思って、
それはもう都会であろうが地域であろうがそんな変わんないかなと思います。
ただですね、移住した側の人間としては、そういう地域の人の気持ちを汲み取っていくっていうこともやっぱり大事かなと思いますね。
こんな記憶してもらってるし、それが必ずそうしないといけないってことじゃないんだけど、
気持ちを汲み取る、共感するっていうところはなくしてはならないのかなと思いました。
これはね、美しい言葉みたいな感じなんですけど、やっぱりそういうのが必要かなと思います。
コミュニケーションの端々に結構出たりすると思うんでね、そういう気持ちはあった方がいいかなと思うんだけども、
でもね、言っても、定住するっていうのはその場所が居心地が良くないと定住しないし、居心地が良かったら勝手に定住するからねっていう結論です、僕的には最後には。
最後、いろいろね、移住する前は気軽に来るでもいいし、体験するっていうことですり合わせをしていくってことが重要だよ、だから復活でいようねっていうことを個人的には推奨するし、
地域に入ったら入ったで、地域の人の気持ちを汲み取るとか、やっぱり大事だよっては思うんだけど、定住って結局居心地が良かったら定住するんで、結果的にね。
そういうところなんですっていうところがですね、僕の見解というかスタンスかなと思いますね。
だから自分自身も居心地が良くなるような働きかけというか工夫っていうものをしていくし、そういうスタンスっていうものを持って一定の線を引いておくかなと思いますね。
居心地良かったら定住しますよみたいな感じでね、言い方は考えないといけないんだけども、そういうスタンスかなって個人的には思ってますね。
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僕自身も地域にできることっていうのはガンガンやっていくし、そこで飯が食えるように頑張っていくっていうような感じですかね。
今もライターやってるとか、地域の飲食店のマーケティングを手伝ったりとか、おじいちゃんが経営している観光農園のイベント企画したりとか、
キャンプ場の経営のホームページ作ったりとか、そういうことをやっていますということですね。
今日はですね、骨を埋める覚悟で移住しないとダメなのかというお話でございました。
これからね、移住をする人だったりとか、今移住してきた人とかね、そんな方の参考になれば幸いです。
また次回の収録でお会いしましょう。バイバイ。