コッコの言葉との出会い
また、雑談話から聞いてもらいたいんですけど、さっき、ユネズ・ケンシさんと、ただひかるさんのコラボした楽曲のミュージックビデオが発売されました。
プレミアム配信の時間が、なんかたまたま思い出して、それで見れたんですけど、すごい良くて、すごい良い音楽を聴いている人たちがいらっしゃると、本当に嬉しいです。
めちゃくちゃ暗くて、割と暗いの好きなんですけど、なんかその前にインタビューを読んだんですよ、ユネズさんの。そしたら、ダンサー・イン・ザ・ダークっていう昔の映画、ご存知ですかね。歌手のビョークが主演に出てるんですけども、
劇中の中で歌うシーンがあって、それもデュエットなんですけど、それが念頭にあって作ったって言って、ああ、なんかすごい何か似てるなと思って聞いてたら、ああ、まさにそうかと思って、暗いんですよ、それも。もう絶妙に暗いんですよ、本当に。
暗いんですよ、それも。もう絶望しかないような映画で、唯一その救いがビョークの歌声だったりとかしてて、まあ二度と私は見たくない映画なんですけど、ミュージック、ミュージックじゃないかね、ちょっとミュージカルティックなんですよ。ちょっとだからちょっとどころじゃない、ビョークが歌うところだいたいミュージカルになるんですよ、映画の中で。
だからその時だけが、あの救いな映画で、まあそれを念頭に置いて作られたって言って、ああ、私それすごい好きだし、ヨネさんもヒッキーも好きだし、いやいやいやいやすごいミュージックビデオができちゃったなと思って、まあ見てたわけなんですけども、
この間、9月の16日、アモロさんのデビュー日&引退日ということで、割とこう、なんだろうな、ちょっと感情に浸ったりとかもしてたんですけど、まあその前後でヨネさんの曲が2曲発表されたりして、
あと三浦トークさんって方が好きなんですけど、まあその人の、その人のっていうか、岩井春司って映画監督が、ラブレターっていう映画が30周年ということで、中山美穂さんが主演してたやつなんですけど、まあそれなんか岩井春司音楽祭みたいなのちょっと前に行かせていけなかったんですけど、まあそれの配信がUNIXで始まったりとか、
なんかこう、音楽が、いろんな音楽がこう、何だろう、集中しててその期間に、なおかつパフュームが活動休止を発表して、まあなんかこう、そのアモロさんが好きだった時期に、パフュームを好きな人もすごいたくさんいて、でいろいろ、ちょっといいなっていうだけでみんなこうバーっと教えてくれるんですよ、これがいいあれがいいとか。
だからよくライブも連れてってもらったりとかして、だからこう、アモロさんの楽しかった期間とパフュームが好きだった期間がすごく丸かぶりしてるから、アモロさんがこう引退するってなった時くらいから、あんまもうパフュームも聞かなくなってしまったんだけども、ものすごい楽しい時期がかぶってるから、なんかちょっとね、鑑賞に浸ってミュージックビデオ見たりとかしてたら、
今度、ヒッキーとユネズさんの曲で、なんか耳と気持ちが忙しいみたいになってたんですよ、9月の16日近辺。9月20日アモロさん誕生日で誕生日おめでとうっていう感じだったりとかね、してて、
そのあたりの日記とかも、わりと暗いっていうか、悲しんでるものもあったりとかして、今回のお守りの言葉ということで、8月の終わりに8月31日の夜にっていうNHKの企画があったって話をしたかと思うんですけども、
その時にラジオ番組で、お守りの曲っていうのを視聴者から募っているのを聞いたときに、お守りの曲っていいなーって、その言葉が、私お守りの言葉がわりとあったなーと、その時に思い出して、
時々思い出すのがあるんですよ。何回かもしかしたら喋ったことあるんですけど、それを日記の中に見つけて、そのタイトルの許すことは忘れること、忘れることはいけることっていうのは、歌手のコッコが言った言葉なんですけど、
私はこれを18歳、19歳ぐらいの時に、ラフォーレ原宿でコッコの言葉展みたいな、コッコのなんかやってたんですよ。それを見に行ったときに見た言葉だったんです。
この言葉を読んだときに、なんかすごいね、その時どう思ったか忘れたわけじゃないんだけど、お父さんが16歳で死んで、その後にお父さんの方の兄弟とかおばあちゃんとか、そのあたりといろいろ争っていくわけなんですけども、
すごい怒りがあったんです、その人たちに。なんかこう、亡くなったすぐにこの家をどうする、仕方ないと思うんだけどこの家をどうするかとか、お金の話ばっかりしてたりとか、なんかこう、借金がすごいたくさんあったりとかしてたところで、全部返したらじゃあ家を売るだろ売らないのみたいな話とか、なんかこう争う要素しかなかったことがあって。
で、もちろん会ったりはしてないんだけども、寝ても覚めてもその人たちへの怒りが収まらなくて、で、あと悲しみもすごいあふれるわけだし、その時にこの言葉を読みました。
忘れることは生きることっていう言葉で、私はこれから長い人生生きていかなきゃいけないんだしって、なんか思ったような気がするんです。だからこう、何か嫌なこととか、小さいことだったら許すと思うんですけども、
記憶と感情の葛藤
小さいことだったら許すとか、そんな大げさなことは思わないけど、それでも断るごとにこの言葉を思い出していました。で、その後にこの言葉って一体どこから出典があったんだろうっていうのを調べたんですよ。
そしたら、その1997年2月に発売されたインナチュラルっていう本の中の眠りっていう文の中から撮られた文章だったと知ったんですよ。その本はね、探したんですけど、昔すぎて全然買えなくて。
ただ、この写真を撮った人のサイトなのかな。文章と写真家さんの言葉だけが残っているサイトがあって、それをちょっと今日は朗読をして終わりにしようかなと思っていて。
なんかこう、結構長いんですけど、すごい自分のあの時の気持ちだったりとかがちょっと蘇ってくるような、全部がもちろん全部じゃないんですけど、あと読んでみたら、私と同じ年代ぐらいの時の文章で。
というので、結構生々しかったりする文章もあるので、あまり私のこのポッドキャスト、最初にあまり申し上げてないのは大変恐縮なんですけども、辛くなったりとかする内容だったりとかすることってあると思うんですね。
自分のことを重ねてしまうとか。ので、ちょっとその辛くなったらすぐに止めていただくだったりとかしていただければなというふうに思っています。
それではちょっと朗読をしたいと思います。
タイトルが眠り。
私の体はもうクタクタに疲れ切っているというのに、今も眠ろうというベッドの上で残酷なほどに蘇る記憶たちがいる。
そして、馬鹿なことに一つ一つそれを巡る私がいる。
めまぐるしい毎日の中でぼっかり空いたそういう瞬間、私はいつもめまいを覚える。
今まで歩いてきた道や、おびただしく流れた血や、痛みさえもすべて歩く力に変えるために、私は19年間の一日一日を誇りにしようとしてきた。
何一つも後悔で終わらせないために、今の私が存在するための過程たちを一つ残らず手首に刻んできた。
両手に抱えきれないものは背中に背負ってそれでも歩いてきた。
むき出しの肩に食い込む記憶たちに押し潰されても、それは私の生き方だと思ってきた。
心から愛した人がいた。私を抱いてくれた人がいた。苦しいほどの時間があった。
耳を澄ませば息づく生命の予感があった。優しい嘘がこぼれて皮を作った。
深くうねる海の上を私は何度も飛んだ。残酷なほど鮮やかによみがえる記憶たちは、私が私であるための大切な誇りだと思ってきた。
でも時々、私はすべてを忘れたくなる。今まで歩いてきた道も、その足跡も、流した血の匂いも、その色も、すべて跡形もなく消えてしまえばいいと思う。
私の生まれた土地や育った町や愛した人の記憶からも消えてしまいたいと思う。私の両腕を離さない残酷な記憶たちから逃れたいと思う。
そこに存在するすべてのものから逃れたいと思う。だから私はひたすら歩いて、歩いて、疲れ果てて、そして眠ろうとする。
でも眠りは私を休めようとはしない。人間が忘れた出来事はきっとたくさんあって、時間が洗い流した脳裏の記憶もきっとたくさんある。
私たちの脳はたぶん小さい。時間の流れの中に漂う小さな砂でしかない。私が抱えきれずに落としてきた記憶は思っている以上にきっとたくさんある。
その拾い損えた記憶たちは気づかないうちに私の体が覚えてしまっていたりする。体と脳を休めても深い眠りに沈もうとしても残酷な記憶たちは私を離さない。
ひたすら歩いて歩いて疲れて疲れ果てても眠りは私を癒そうとしない。私はいつの間にか思い出に支配されて張り付けにされていた。
思い出と解放
今にも眠ろうというベッドの上で私は枕元のぬいぐるみを抱きしめてそれを壁に投げつける。倒れた写真盾を床に叩きつけ手荒れたり次第のものをベランダから投げ捨てる。
そしてタバコを吸う。お風呂に湯を張ってロウソクを灯し泡風呂に浸かる。裸のままで冷蔵庫を開けて何か食べるものを作り、くだらない深夜番組を見てカーテンの向こうで明るくなっていく空の気配を気にしながら髪を溶かす。
一体どれくらい時間が経って、どれくらい愛されて、どれくらい抱かれたらゆっくり眠れる夜が来るのだろうと思う。いつまで歩き続けたら休んでいいのだろうと思う。きっとみんなが笑いながら同じことを祈っている。雑踏の中で一つ一つの足音がきっと同じことを祈っている。それでもまた夜が来て朝になる。
静かな朝なぎの中で記憶を祈りに変えて歩き出す誰かの匂いがする。私は目を閉じて私を解放してあげたいと祈る。私は眠ったふりをして私を逃してあげたいと願う。残酷な記憶たちから離してあげたいと思う。せきららな傷跡たちを消してしまいたいと思う。ちぎれたちぶさに温かいスープをかけてあげたいと祈る。
遠い昔、家族と暮らした部屋がなくなることになった。愛した記憶と愛された感触とあの頃の匂いに宿る空き家がなくなることになった。荷物を何一つ持たずに飛び出した部屋には私をくじしめる記憶たちがひしめき合っている。
すべてを閉じ込めてきた私の部屋には壁の落書きと愛おしい思い出たちと愛したものと愛されていた証と苦しいほどの時間がまだ私を待っている。
大切にしていたその部屋の鍵をなくしてしまった今も抱えきれずに背負った記憶のすべてがまだそこにあって私が帰るのを待っている。
手首に刻んできた家庭たちがむき出しのまま血を流して私を待っている。何度蓋をしてもこの腕をつかんで離さない。
19年間の埃たちが私の名前を呼んで、一日一日の家庭たちが私の髪をわしづかむ。そして私を眠らせてはくれない記憶たちが痛々しく張り上がっていく。
私は私のためにあの部屋に帰らなければならない。もう潮時なのだと思う。背負ってきたすべてを歌に変えて吐き出し、そしてそれを埃にして生きていく道を選んでも体からあふれ出てこぼれ落ちる痛みたちはとても追いつかない。
体中からポロポロこぼれ落ちる鮮やかな記憶たちを拾い集めて、眠ることさえ忘れる私をもう許してあげたい。もう離してあげたい。この手で残酷な記憶たちを遠くへ離してあげたい。すべてを燃やして許してあげたい。
私はもっと自分を許してもいいと思う。人間はもっと自分を許してあげてもいいのだと思う。たぶん許すことは忘れることで、忘れることは生きることなのだから。そしてゆっくりゆっくり眠ればいい。明日目覚めるために眠ればいい。
すべてを忘れることが誇りとして残るのではなく、つなぎ合わせた毎日を越えて今ここに存在する自分だけを誇りにしてもいいのだと思う。嘘の綴られた手紙も幼い足跡も開いたままの本も足踏みしている温度もすべてをもう許してあげたい。
そんなふうにすべてを焼いて土に返して部屋の鍵をなくしても、それでも私は体に刻まれた記憶を忘れることなどできるはずがないのだけれど、それでも時々私はすべてを忘れたくなる。
もしあなたが私を愛していたならば、私を忘れてほしい。眠ったふりをして私を逃してほしい。眠ったふりをして私を遠くへ離してほしい。眠ったふりをして私はあなたを逃してあげる。ぐっすり寝たふりをしてあなたを離してあげる。
この腕を離さない記憶たちをもう許してあげましょう。この肩に食い込む思い出たちをもう離してあげましょう。むけ出しの痛みたちをもう離してあげましょう。そしてすべてのことから私を遠くへ遠くへ離してあげましょう。
自己許容の旅
すべてがゆっくりゆっくり眠りにつけるように。眠れぬ夜に泣かないように。森の奥深く静かに静かに眠れるように。あなたと私が眠れるように。許すことは忘れることで忘れることは生きることなのだから。眠り、そして目覚め。
これから歩いていくために記憶たちを忘れてあげよう。私を癒してあげよう。残酷なほど愛おしいあなたをもう許してあげましょう。冬の空へ離してあげましょう。むけ出しのままのあなたをもう許してあげましょう。そして罪深い私をもう眠らせてあげましょう。
今にも眠ろうというベッドの上で、私はめまいを覚えながら静かに眠る。コッコ。
静かに眠るコッコ ということで
写真家の方の感想があって
レンズをまっすぐ見つめる目を潤ませ
胸に手を当てているショット
視線を下に向け 涙をポロポロ流している表情は
かなりのアップで捉えた写真があったようで
自分が目にしたコッコのことの中で
最も印象的だったということで
写真があったようで
この全部の文章を読んでいると
コッコが発表してきた
音楽活動を休止する前の曲が
詰まっている感じの文章だなというのを思って
コッコの過去のことって
私はどこかに書いてあるのかよく分からないけども
ただ出てきた時とか
すごい衝撃的なものを覚えていて
腕とかにリストカートの跡があるのも
見えてたりはしてたり
なんかの歌番組で歌った後
すぐに飛び出してしまってたりとかするのを見て
なんか痛々しいなというふうに見ていたり
私はレイニングかな
ちょうど19歳20歳ぐらいの時にレイニング聴いて
なんか自分のことをすごい思ったりしたんですよね
今もこの文章も
なんかこう記憶に
記憶が苦しめるみたいなことを話しているのがすごい
自分にも体感として分かるなと思って
すごい自分のことを
どちらかというと私は親戚たちが許せないだったけど
コッコもそうなのかも分からないけど
自分のことを許そう許そうってしてて
まあ私もまあそうだよねと思って
お父さん死んだの自分のせいかもしれないって
あの頃やっぱすごい思ってたし
それをこう誰かに
誰かのせいにしたかったっていうところの
ココ先が親戚だったっていうことも
まあなけにしもあらずで
この文章を見つけたのは
多分そのコッコの展示見に行ってから
多分数年経ってからだと思うんですよ
そのインターネットが割とできたの
私が使い始めたのって
それから1年か2年後ぐらいだったりしてたから
すぐに検索してない気もするんだけど
まあ今思うとね
19歳でほんと同じぐらいの年の時に
痛みを抱えて眠れないっていうような
感覚の人がいたっていうのを
リアルタイムでこう知ってたら
ああこんな人もいるんだってきっと思えたんだなぁと思って
この本文が書いてあった日記というかそのメモが
数年前の9月の巡覧日とかだったから
改めて読んでみたら
すごい自分と重なるところがあるなぁと思って
もう数十年の間に
許すことは忘れること忘れることは生きることっていう言葉に
何度も思い出す機会もあって
助けられたこともあって
それでその前後どういった文脈だったのかっていうのを
お話ししたいと思って
今日朗読ということをしてみました
ということで今日はこのあたりで終わりにしたいと思います
またねー