タコツボ化の現象
こんにちは、清鷹です。今日はですね、広い海の中でのタコツボ状態というお話をいたします。
どういうことかと言いますとですね、このネットでですね、いろいろなものがつながって、いろいろな情報が入ってくるこの時代なんですけども、
一方でですね、これはものすごく一人一人はですね、知り得る世界が狭くなっているというかですね、そういう話なんですよね。
これはまあよくSNSでも言われてますよね、エコーチェンバー状態とかって言って、
サジェストで、自分の気に入ったものというか、それから自分が好むものにですね、かなりパーソナライズされて、
目に触れる情報とかですね、商品とかもそうなのかもしれませんけども、
全部自分の興味、関心があるものだけがですね、目に留まるというようなことが、
SNSなんかでもアルゴリズムでですね、そういう記事ばっかりが表示されるとかですね、そういうことになってきているわけなんですよね。
これはエコーチェンバー状態って言って、部屋の中でですね、チェンバーですよね、部屋の中でエコーというのがですね、
同じことが繰り返し反射し続けてですね、同じことばっかりになってしまうみたいなそんな話、いわばタコツボ化ですよね。
すごいネットには広い海が広がっているのにですね、本当にそのタコツボ化がですね、
おびただしい人たちがですね、よりそのタコツボの中に入ってこもってですね、自分の見たいものしか見ないみたいな、そんな感じ。
AIによるパーソナライズ
だからこそそのSNSでですね、なんかわーっと誹謗中傷したりとかですね、なんか選挙でもですね、わーっとこう盛り上がったりとかですね、
そういうことがちょこちょこ起き始めてきている、そういう時期ですよね。
僕がですね、つい先日からですね、AIでつれづれ草的な記事を書こうみたいなことでですね、出力をいろいろプロンポと工夫してですね、
データも読み込ませたり、それからつれづれ草の構造ですよね、文体というのかですね、世界観とか文章の構造、フレームワークですよね。
例えば身近なところの事象を見てですね、それを中傷化して、よりその広いテーマに持っていって、あとそのまた身近なテーマに戻ってくると。
身近なテーマに戻ってきた時には最初からですね、視点が変わっているというかですね、その循環構造であったり、螺旋状に発展していく構造であったりとか、あるいはネガポジ変換というか、
ネガティブなことをですね、見方を変えたらですね、それがポジティブに変わるとか、逆にそのポジティブなこともですね、見方を変えればネガティブに見えてくるとかですね、非常にその一歩のいった状態というか、俯瞰した状態でこの物事を見ていくような、そういう発想ですよね、意外な発想とか、そういう部分が僕は好きなんですよね、
つれづれ草の中でですよね。そういうフレームワークを使って価値観が変わるとか発想が変わるような、そういう記事を書いてほしいなというか、僕が読みたいなという、コンセプトは僕が読みたいつれづれ草なんですね。
僕が読みたかったつれづれ草というのを現代のテーマで再現する。なおかつそれは僕の文体をですね、文章の言い回しとか口調とかですね、そういうのを覚え込ませて、僕が僕の文体で書くみたいな、そんな感じなんですよね。
だから吉田健康、AI吉田健康の例が乗り移ってですね、僕に。僕は自動書記を、自動書記というのかな、自動で喋らせているみたいな、そんな感じ。どっかの、ありましたよね、某宗教団体の教祖、もう亡くなりましたけど、いろいろな世界中の偉人が乗り移ってですね、それを言葉にしていって本になるみたいな。
まあまあまあまあ、それに近いようなノリになんですけど、吉田健康が僕に乗り移って、僕を喋らすんだけど、その口調とか、トーンとかですね、そういったものは僕なんだと。発想自身は吉田健康なんだけどもと、まあそういうコンセプトなんですよね。
それはとにもなさず僕が読みたかったツレツレ草なんですよ。結構いいことを言っているんですよ。例えばね、やろうと思っていたことができなかった時こそ人生が面白くなるんだとか、落ち込むのが怖いと思っている人こそ落ち込んだ方がいいよとかね。
あるいは昼休みを休もうという発想から呪縛から解き放った時に何が見えるのかとかね、そういう記事を書いてくれるんですよね、これが。
ノートという記事を掲載するプラットフォームがありますけれども、そこで順次アップしていっているんですよね。
それをやっていて、ふと思ったんですよね。自分が読みたいものを書かせて、結構いいことを言っているし面白いのでノートで出しているわけなんですけれども、
この先ですね、AIが進歩していけばですね、オーダーメイドの小説とかエッセイとか図筆とか文章とかもそうなんですけど、音楽もそうでしょうし、
いろいろなものがですね、自分好みにパーソナライズされるというのがですね、今みたいに広告とかがパーソナライズされているように、
エコーチェンバー状態でSNSとかもパーソナライズされてきている、興味関心があるものばかりが目に映るような、そういうことになってくる。
もともと音楽とか文章とか記事とかも自分の好みのものが集まってくるわけなんですけれども、
それはですね、より一層加速してですね、もしかしたら自分の興味のあるものをAIに書かせてですね、そればっかり読んでいくとか、
自分の興味のある音楽をですね、AIに演奏させて、そればっかり聴いてしまうとかですね、
なんかそういうことになってきかねないなと。まあまあ多分人間なんで飽きは出てくるとは思うんですけど、
でもなんかそういうのがグルグルグルグルと、タコツボの中でですね、読みたいものを生成されて出てきてそればっかり読んでいるとかですね、
なんかそういうことになっていく世界が見えてきてしまったんですよね、僕。
未来への展望
なんかタコツボの中でですね、それって楽しいのかなと思った。
まあ楽しいんでしょうけどね、楽しいんでしょうけど、なんか裸から見たら面白みがないなという感じにもなるんじゃないかなと思ってて、
なんかその異質なものに触れること自身が面白いわけであって、
あのね、どうなんだろうなって、ちょっとふとこう思ってしまったんですよ、それが何というのかな、
ディストピア、タコツボ状態のディストピアみたいな感じなんですけど、
まあそうならないようにしたいんだけども、世の中ってそうなってくるのかなと。
一方で新しいものとか、違和感のあるものとかそういうものに触れていってですね、
常に自分をアップデートしていくというのか、そういうことがですね、これから先大事になってくるんじゃないかなというふうに思ったりするわけなんですよね。
ということでですね、ちょっと長くなりましたけれども、大きな海の中でですね、タコツボ化が一層進んでいると、
そういう中でですね、やっぱりその大きな海にもですね、目を向けるというのか、思いを馳せるというのか、
そういうことがよりこのAI時代にですね、重要になってくるんじゃないかなというようなことを思いましてですね、
今日はお話をしてみました。はい、それではですね、今日はこれぐらいにしてまた次回お耳にかかりたいと思います。さよなら。