御徒町の宝石街の形成
はい、こんにちは、清鷹です。今日はですね、変化する者が生き残るというお話をいたします。
昨日、前回ですね、前回の配信ではですね、東京の御徒町ですね、御徒町の宝石の町ということで、
徒歩で10分圏内でですね、1800ものですね、宝石の店があるということなんですよね。
そのうち1600店ぐらいは卸売りの店らしいんですけれども、そういう形でその宝石の取り扱われる業者さんがですね、
集積している、集まっているということで、ぶらっとですね、町歩きをしててですね、そういうことに気がついてですね、
なんでそんなことになっているのかというところを、チャットGPTのウェブ検索で聞いてみたらですね、
ウェブというのか、ウェブの記事がヒットしてですね、そこで出てたのが、もともと江戸時代ですね、
この御徒町っていうのは、御徒町っていうのは下級武士ということなんで、下級武士の町なんですよね。
そこではですね、復業的、武士が復業的に帯留めとか、かんざしとかですね、そういったものを、装飾品をですね、作ってたということなんですよね。
それが、これが時代が下がってですね、昭和の以降の時代にですね、
業態転換というのか、宝石をですね、扱うようになってですね、そういう業者がこれで集まっていってですね、
一大宝石買いになったと、そういうお話をさせていただいたんですけれども、
前回はですね、そうやって集まってくるところでですね、新しいムーブメントというのかですね、市場ができるわけなんですよね。
同業者が集まって、それを支えるような関連の産業とかも生まれてきてですね、
集積することでお客さんが来てですね、またいろいろな業者が入ってきてですね、一つのクラスターを形成するような、そういう場所になったということなんですよね。
そのお話をしたんですけれども、昨日はですね、そういう形で市場を創造している、需要をつくっているという、そういう部分があるんだよと、
同業者が集まることでというお話をさせていただいたんですけれども、もう一つの視点からいくとですね、
業態転換ですよね。かんざし帯留めなんかをつくってたという、そういう技術がもともとあって、そういうのを取り扱われる業者さんがおられて、
そういう方たちがイコールじゃないかもしれないんですけれどもね。町として見れば、そういう装飾品をつくってたものがですね、そのまま違う業態、宝石を扱うようになった。
宝石も装飾品という、広い意味では装飾品ということではあるんですけれども、対象になるお客さんが違うわけですよね、おそらくね。
かぶってるのかな、一部はね。かぶってるんだけれども、似たような得意な技術、加工技術なんかを活かしてですね、宝石の方にもですね、転換をしてきたということなんですよね。
おそらくですね、町全体としては転換をしたんですけど、個別の事業者レベルになってみるとですね、転換がうまくいった事業者とそうでない事業者、おそらくあると思うんですよね。
そういう意味で言うと、多分ですけれども入れ替わりとかもおそらくあると思うんですよね。実際、御徒町、この間歩いててですね、インドの、インド人ぽい人が店の中にいてたりとかするんですけど、インドの宝石商みたいな、そんな感じの人。
おそらくそういうところは、だいぶその後になってですね、時代が下って店を構えられた方なんじゃないかなというふうに想像したりもしてたんですけれども、そういう部分で言うと、おそらくその事業者自体の入れ替わりっていうのは頻繁に起こっているということではあると思うんですけれども、
町としてはですね、うまく転換してきたということなんですかね。そういう意味で言うと、変化に柔軟に対応できるものがですね、生き残るんだろうと、そういう状態をですね、まざまざと見せつけられたなというふうに思ったわけなんですよね。
そんな話題をですね、つらつらと思い起こしながらですね、AIと壁打ちをしてみたんですよ。そしたら、前々回にですね、僕はミロの絵画展、展覧会、これがですね、ちょうど東京の上野公園の東京都美術館でちょうど今開催されているんですけれども、
それを見に行った時の話とですね、AIが結びつけてくれたんですよ。時代の潮流を捉えるっていうところでは共通してるんじゃないの、みたいな感じでですね、過去にというか、そういう話題でですね、AIが持ち出してきてくれたんですよ。
僕もそんな、全然結びつけ、頭の中では結びついてなかったんですけど、AIがこういうの関係あるんじゃない、みたいな感じで言ってくれたんですよね。
そのミロの展覧会で感じたところはですね、これはミロでないと描けない作品なのかというふうに、不尊なというか、なんていうのかな、僭越ながらですね、そんなふうに思っちゃったわけなんですよね。
要は何か特殊な技術、技法とかですね、そういうものが何かあるわけでもなさそうな感じなんですよね。あるのかもしれないですよ。僕はもう絵のことはよくわからないんですけどね。
だけど、ここまで評価されたというのかですね、人気があったのはどういうことなのかなというところで、そういう疑問を持ちながら、たまたま一緒に東京に行ってた人がですね、西洋美術を大学の時に専攻されてたということで、その人に聞いたら、時代の流行を捉えたんじゃないかなと。
そんな話をされてたんですよね。なるほどと。時代の潮流を捉えて独自の表現でやっていくということなんですけど、これはいろいろなことに応用されるのよねっていう話を前々回の配信でさせてもらってたんですよね。
それと結びつくじゃんかみたいなことを、ふとAIに教えてくれて、確かにそうだなということで、やっぱりその時代の潮流を捉えてですね、変化を。
ミロの場合は変化は、人生の中で何回か作風が変わったりとかして変化をしていってる部分もあるんですけど、そこがうまく時代に乗っかれた部分はおそらくあるんだろうなというところ。やっぱりその変化を捉えていくっていうところがですね、大事なポイントの一つだなということをこういう事例からもですね、改めて思ったなという、そういうお話でございました。
ミロの展覧会と時代の潮流
はい、ということでですね、今日はこれぐらいにしましてですね、また次回お耳にかかりたいと思います。さよなら。