痩せたい気持ちの問題提起
カランコローン、いらっしゃいませ。
喫茶クロスロードへようこそ。
この音声配信は、本好きな人たちが
ふらっと集まる喫茶店をコンセプトに、
店員3人組がゆるーく話して参ります。
ふと一息つきたい時に聞いてくださいね。
3月18日、第38回の配信です。
はい、大変お待たせいたしました。
え、待ってない?
そんなこと言わないでくださいよ。
今回は、ずっとやりたかった文化人類学シリーズの
第2回をやらせていただきます。
おー、やったー。
やったー、ついにやりました。
ただこのシリーズ、前回はロングトークで
収録も聞く側も大変だったという裏話がございますので、
2回構成にして、今回はようやく回。
次回をテーマ討論というもんだてにしていきたいと思います。
取り上げる本は、磯野真帆さんの
ダイエット幻想、痩せること、愛されることです。
著者は文化人類学や医療人類学を専門にしており、
現在は人類学者として、また体の修練という
接触障害に悩む方に向けた
コミュニティ運営活動をされている方です。
3月のテーマは卒業ですが、
私にとってこの本は、他者の目線を過剰に気にすることから
卒業できるきっかけになった本じゃないかなと思っています。
そこの卒業なんだね。
その部分なんだけど、
でもさ、今までさ、
漁師のことを気にしない日なんて、
ぶっちゃけなかったよねっていうところもありますよね、私たちは。
気になるね。
毎日鏡見てるし、ちょっと太ったなとか、少し痩せたかもなんて
会話を繰り返しているこの私たち。
そういうことに、私は一揺するタイプなんですけれど、
でも、そもそもなんで私たちは、
どんなに痩せたかどうかを気にするんでしょうか?
そう言われてみたらね、
痩せたか痩せてないかは、
すっごい気にするポイントに、
意識しないぐらい気にする。
なんか日本語変だけど、
うん、わかる。
なんかこの場でさ、私体重何キロですって言えないじゃん。
言えない言えない。
でも、私身長何センチですは別に言える。
確かに、もうね、それぐらいね、
意識しないところですごく意識してるのがさ、
私たちの体重っていう、
体重と容姿というところだと思うんだけど、
なんで痩せているのがいいのかなって思ってみたら、
なんでだろうなってさ、
立って答えられないなっていうところもあると思うんだよね。
うんうん、ほんと、そんな問いが出てこないほど、
なんか痩せていることがいいみたいな価値観に侵食されてる感はある。
ということで、こんな痩せているのがいいってなんでだ?
みたいな問題提起もしてくれるのが、
今日紹介する本です。
日々の生活の中の一つの築きとして、
リスナーの皆様にも楽しんでいただけたらと思っています。
はい、では早速、ようやくに移っていくんですが、
この本は問題提起と問題の深掘りを行う前半部分と、
著者の主張が多く語られる後半部分に分けられています。
まず最初に、痩せたいのか、痩せたいと思わされているのか、
という問いを元に問題提起がされ、
ここで文化人類学のエピソードが出てきます。
またそれに続いて、人に認めてもらいたいという気持ちを深掘りしていきます。
人に認めてもらうっていうのは、結構自分たちの行動を規定する大きな動機だよね。
そうね。
それが痩せたい、痩せることで人に認められるみたいな話なのか。
そう、まさにリューコリンが言ってた、その痩せたいっていうのと、
人に認めてられたいっていう気持ちが絡み合ってあらたっているから、
今回ね、そういう痩せたい気持ちにどんどんさせられてるんじゃないかっていうところが出てくるんですよね。
うんうんうん。
そう、というその前半部分からようやく押していきたいと思います。
はい。
変身社会と成長社会の比較
まずその文化人類学での事例では、
子どもから大人への履行を変身と捉える社会と成長と捉える社会に大雑把に分けられるというふうにあります。
前者を変身社会、後者を成長社会と名付けた場合に、
日本は後者に属しますが、変身社会の場合は、子どもから大人への履行が急激に起こります。
日本は大人に成長するけど、大人に変身するみたいな社会があるってことか。
そうそうそうそう。
変身社会っていうふうに、文化人類学ではいろんな社会を見ていく学問でもあるから、
その社会をリスト化していって、じゃあこっちは変身社会だなっていうふうに分けられた部類に関しては、
大人になるっていう成長の段階に来たら、
その養子の変化がまずあって、その日を境に大人とみなすっていう文化があるっていう、
そういう文化がある社会を変身社会ってくぐっているんだよね。
で、日本は今そんなことないじゃん。大人になるから何かをしましょうっていうような養子の変化はないので、
そうすると、日本は子供から大人への成長が起こっている成長社会であるっていうことに、
この分類だとね、分けられるっていう話ですね。
なんか分かるような分からないようなって感じだと思うので、
逆にその変身社会の例を挙げてみると、文化人類学では有名なヌアーという民族がいて、
成人男性の頭にぐるっと一周する3本の線があるっていう養子の変化がある社会です。
で、この社会では男の子は大人になる準備ができた時に、大人になるための儀式を行って、
この3本の線を頭につけてもらうっていう。
おー、そこで変身ってなるんだね。
変身っていうからなった大人です。3本の線がついたら大人ですってなるのがヌアーです。
日本はね、分かんないもんね。
日本にはそんな線はついてない。成人式とかはあるけどね。
別にそこで養子の変化があるわけではないなっていうところがあるけど、
でも、日本もかつては変身社会だったっていう風に本の中でも続けられていて、
平安時代とかは、成人した女性はファグロで歯を黒くしていたりだとか、
男子は原服をして、ご串をあげるみたいなことがさ。
分かりやすい。
そうそう。あれはもう本当に日本は変身社会だったんだね、昔は。
大人になるっていう養子の変化があったんだけど、今はそれがなくなっている。
だから日本は成長社会であるっていう風に分類されますけど、
つまりですね、ここで言いたいのは、一つの国の大人のあり方、
大人だよっていう巨別なあり方ですら、
社会とか時代によって変わってしまうっていうことが、
今挙げたエピソードから分かることだと思うんですよね。
そうだね。
痩せることと他者の認め
そう。だからさ、今自分たちが持っている気持ちって、
もしかしたら周りの環境がそうさせているっていう側面があるのかもしれないっていうことに、
私たちはここで気づくんですよね。
例えばさ、お歯黒がかっこいいっていう社会だと、
白くて綺麗な歯が素敵っていう価値観を持てないわけですよ。
確かにね。
でなったら、私たちが気づかないほど気にしている、
痩せていることが一番いいっていう価値観も、
そういう社会だから、痩せてないと自分はダメっていう気持ちにさせられてるかもしれないっていう、
そこで対比させると、あれ痩せたいって本当に自分の気持ちなのかなっていう気づきポイントがあるっていうのが、
この一番最初の問題提起の部分です。
おー、そうだね。なんか、こう、飢えてた時代とかは、
けっこうさ、ふくよかな女性のほうが、健康的だからみたいな感じで、
良い養子だと思われてたみたいなの聞いたこともあって、
確かになんだろう、社会の環境とか状況によって、全然価値観違うね。
そう、そうなの。本の中でもその話も出てきたなと思ってて、
やっぱり女性だけに限らず、太ってる人って、たくさんの食料にアクセスできるっていうのは、
まさにその特権階級のある意味ステータスだったから、
要するにでっぷり太ってる人は、社会的地位が高いっていうことに結びついて、
要するに太ってる人はかっこいいみたいなこともあるわけですよね。
おー、なんか今の価値観だと、にわかに信じがたいけど、そうだもんね。
でもそうだよね。
それがたぶんそこまで昔の話じゃないと思うと、価値観ってコロコロ変わるね。
ほんとだよね。
うん。
だってきっとそれもさ、何かね、数百年とかまでいかない、たぶん昔の話だとしたらさ、
急激すぎるよね。平安時代とかさっき言ったけどさ。
眉毛ないのがたぶんいいんだもんね。平安時代は。
そうそうそう。眉毛このちょびんってやつがね、よかったりするもんね。
そうそうそうそう。
そう、ここまでで痩せたいっていう気持ちは、
その社会においてある程度強制的に持たされているかもしれないということを、
文化人類学の視点から考えて納得してきました。
うんうん、納得。
で、この本はその前提を設けた上で、
痩せたいっていう気持ちが他者に認められたいということとリンクする話が続けられていきます。
いやー、そうだね。
こっから先がね、私的にはグサグサ刺さるポイントがめちゃめちゃ多かったから、
ちょっとね、この問題の深掘りの部分は、私めっちゃ語るんですけど、
いろんな事例があったしね。
語ってください。
いろんな事例があったので、いろんな事例を紹介するんですけど、
まず、その承認欲求を比較的簡単に手っ取り早く満たされるのが、
痩せるっていう行為であって、
痩せたら急に周りの評価が変わったっていう経験がある人もいるかもしれないんじゃないかなと思います。
いや、見た目って一番わかりやすいもんね。
そう。
願望とこだわり
例えばさ、なんか成績上がったりとかしても認められたりするけど、
それって見た目じゃわかんないもんね。
そうね。こいつの成績、こいつ頭良くなったなっていうバロメーターは出てないけどさ、
こいつの見た目変わったなっていうのはさ、見てすぐわかる。
そうだよね。
本の中でも紹介されてたのは、
スクールカーストの上位のグループに痩せたら入ることができたとかさ、
今までちょっとぽっちゃりしてたから地味なところのグループに入ってたんだけど、
痩せて、ちょっときれいになったら、カースト上位の男の子だったり女の子だったりに声をかけられるっていうのとかもさ、
理解しやすいというか、よくあるよなみたいなさ。
なんかさ、周りからの評価もそうだし、この価値観の中でいると、
痩せると自分に自信が持てて、自分でも大胆に振る舞えるというか、
自己肯定感上がるというか、そういうふうになれるよね。
そう、なれちゃうよね。
この本の中で出てくる、仮名で結城さんっていう女性も出てくるんですけど、
さっきまさに言った通り、彼女は3つ上の姉と比べて、
容姿が良くない分、勉強を必死で頑張った。
頑張ったけど、それでも姉の方が勉強ができたよって言ってくる人がいたりとか、
容姿が良くない自分は勉強ができたからって言って、
自分の評価が上がるわけでもないんだなっていうことに気づいたみたいなエピソードが出てきたりだとか、
あとこの本の中で紹介されている調査の中に、
厚生労働省の行う出生動向基本調査の中の結婚相手に求める条件について、
女性は男性の経済力を注視する傾向がありますっていう結果が出ていて、
小さい頃から真面目に勉強することを推奨されるじゃん。
それと経済力は比例するというか相関性があると思うので、そういうのは矛盾しないんですが、
男性は女性の見た目を注視する傾向があって、
女性に関しては経済力と外見のダブルスタンダードが課せられていることを示していると筆者は解釈しています。
なんか、私女性として生きてきたから、あんまり男性と比較が難しいけど、
女性の方がこれでいくと、容姿を気にせざるを得ない状況に陥りやすいのかな?
私結構これわかるなって思ってさ、
大学受験ぐらいまでは男女平等に一緒に競争させられるというか、競争できる社会にはなっていると思うんだけど、
結婚ってなった時に、あれ?今まで同じ土俵で戦ってきたつもりだけど、どうなんだろう?みたいな。
どうなんだろう?っていうと、あれだけど。
男は経済力だけで評価されているのに、なんか私たちは容姿も評価軸に加えられているぞ、みたいな感じがするってこと?
うん、そうした。すごくした。
同じ経済力があったら、きっと容姿がいい方が選ばれるな、みたいなさ。
もちろんそれは男性でもあるのかもしれないけど、逆もあるじゃん。
女性の方はもしかしたら容姿が良かったら、経済力が低くても選ばれる可能性はあるとかさ。
ありそう。
むしろ経済力は低い方が望ましい、みたいな状況もあるなって。
ありえそう。
これは私の本当に個人的な考えだし、でもそういうことを思った瞬間が確実に過去にあったなっていう。
あるある。私もある。みんなあるかも。どうなんだろうね。
あーみたいなさ、ぐさぐさポイントね。
ほんとだね、ぐさぐさくる。
かわいさのダークサイド
あと、かわいいのダークサイドっていう言葉もこの本の中に出てきてます。
かわいいにはどんな要素が含まれるのかっていうことを分解しています。
この時には何があったらかわいくないのかという逆の問いを立てて、かわいくなくなる要素を挙げていきます。
で、この本の中では、かわいいは子供っぽさと高い親和性があって、しかも自分を傷つけない従順さや素直さがあるという条件付きの子供っぽさを、私たちはかわいいと言っているのではないでしょうかと、フィッシャーは結論づけてるんですよね。
いや、かわいいってダークサイドを考えたことなかったけど、そう言われてみれば、なんかかわいいって言う時に、なんか上下関係が発生してるような気がしてきた。
でしょ。
かわいいって言う側が上で、上、上というか、さっきの話でいくと、
女性は経済力がない方がかわいいって言われそうみたいな気がした。
いや、それなんだよね。そこにつながってくるよね。かわいい、自分よりも明らかに下のものだから、みたいな要素がかわいいには含まれてるんじゃないのかっていう、まさにね。
ああ、そうかもしれない。
いや、なんか純粋にかわいいって言われることに喜びを感じてた自分がなんかいるけど。
でもさ、じゅうじゅんさんみたいな子供っぽさとか、じゅうじゅんさんがかわいいっていう場合もあるんじゃないですかっていうさ、なんかフィッシャーの意見ではあると思ってて、それが全部ではないと私も思うんだけど。
ああ、まあそうだね。
でもそういう面は確実にある。確実にあるっていうか、ここで納得できる部分は確実にあるなと私は思ったんだよね。
いや、確かに。かわいいっていう存在が自分を傷つけないっていうのは確かになと思って、かわいい存在って自分の脅威にはならないなと思って。
かわいい人は私を傷つけないってことですね。
そんな気がした。
さらに女性が選ばれるせいであるという話も出てきて、男性という選ぶ側の人に選ばれる人とそうでない人がいた時に、選ばれる組とそうでない組で対立が起こったりとか、
その間に競争が生まれたりする様子っていうのは、いつの時代も女の戦いとして描かれることもあるほど、女性としては意味覚えのある経験かと思うんですけど。
この原因は、女性が愛される立場を未だに捨て切れず、そこに甘んじているという指摘も含みながら、やはり女性は歴史的に見ても選ばれるせいであったことが紹介されています。
ここがナッシー的に刺さったポイントを一気にご紹介した次第なんですけど。
歴史的に見ても選ばれるせいっていうのは、女性って経済力がなかったじゃん。
それがゆえに、経済力のある男性に選ばれようとするのかな。
そうだと思う。だって選んでもらわないと、自分は生活できないから、経済力のある男性に選んでもらって、配偶者なのに妻なりの位置を獲得すれば、一生が安泰ですよねっていう価値観もあると思うんだよね。
そうだよね。昔はきっと生存に直結してたんだね。たぶんね。選ばれることが。
そうだよね。そうだね。
ただ今は、そこまででもないにしろ、確かに選ばれるっていう感覚はわかる気する。
わかる気するように。
なんかさ、高校時代とかって、なんか彼氏いる子とかって、なんかちょっと選ばれたんだなみたいなイメージで見てたかも、私。
あるね。なんか選ばれた彼氏持ち組と、選ばれてない彼氏いない組みたいなね。
でね、彼氏いない組にいた私もさ、なんか彼氏いる組に行くことを憧れてた。
憧れるよね。純粋に彼氏欲しいっていう気持ちもあったと思うけど、その中にはきっと、あの子選ばれたんだな、いいなっていう気持ちもきっとあった。
そうそうそうそう。あったあったと思う。
はい、というわけでここまで、なぜ痩せることや愛されることにこだわっていくのかっていう原因を、このように、
著者はいろいろな例を挙げて覚えてくれた後、本の中では、著者の主論が展開されていく形になります。
身体と評価
過度に見た目や数字に固執していくことが危険なのかと、著者が絶食障害につながるような過度のダイエットに提唱を鳴らしていくのが、こちらの著者の主論の部分であって、
数字に縛られた理想体重とか、理想的な食事のエネルギー値、そういった数字が私たちから普通に食べるという日常を奪っていく。
その怖さを、著者は自分の活動も交えて話してくれるのが、この主論の部分で。
この著者の主論の中では、現代の日本の痩せっていうふうに求められるレベル、痩せって言われるために、
必要な体重っていうのが、そのレベルが異常なんじゃないかっていう話を話してくれているんですけれど、
こう、シンデレラ体重っていう言葉がこの本の中には出てきて、
BMIが18とかっていう体重なんだよね。
モデルさんの体型みたいな。
でもそれって結構、健康な人がさ、22とかだからさ、
18って、すごい体重を落とさないと、シンデレラ体重にはなれないんですけど、
シンデレラ体重になれたら、私シンデレラになれるみたいなさ、
そういう体重じゃん。
そうだね。それも王子様に選ばれる体重っていう意味合いなのかな、シンデレラってつけるのって。
そういうこと?そういうことにつながってしまう?
異常なほどだね、シンデレラ体重って、そう言われると、BMIが。
そう。自分で計算したらさ、ちょっと、いや、無理だわ。
そう思うぐらいのさ、体重にはなってくるから。
そうだね。
数値でわかるじゃん、体重って。
で、その重力っていうものは、誰にも平等じゃん。
そうね。
ね、その、なんだろう、客観的数値みたいなものを与えられると、それこそさ、他者と比較できちゃうから、
なんかこう、それに縛られて、がんじがらめになる気持ちというか、追われる気持ちというか、
苦しいな。
苦しいよね。
いやでも、なんかね、痩せられない自分が悪いみたいな。
痩せたら自分の自己肯定感は上がるけど、痩せられなかったら、肯定感はむしろ下がるみたいなね、状況になっていって、
普通に食べることができなくなっていく人がいるっていうことを、すごい著者は失敗してるんだね。
そして終章では、私たちの在り方について、著者が提言してくれていて、
結局、今の私を見てもらったところで、人は自分の中の一部分しか出せないし、
見た目での判断
それは点としての関わり方なので、ライン、つまり線で関わっていく人との関係性を作っていこうね、という話で、この本は締め付けられています。
そうだよね。確かに点で関わる場合って、一番に入ってくるのが見た目じゃん。
で、その見た目を見た結果、自分の経験値に照らし合わせた価値観から、こういう人だ、みたいなことを一旦判断しちゃいがちだもんね。
中身とかをそこまで知らないままに。
いやでも、結構見た目で見るじゃんって思うじゃん。
でもとはいって見た目大事じゃん、みたいな気持ちもさ、ありつつさ、ありつつな、ありつつなね、こうね、
私は人の見た目を過剰に気にすることから卒業するって言ってるけど、
なんかそう、ぐるっとこう言ってて話はわかるが、しかし、みたいな気持ちにはね、なっていくんですよね、この本は。
まあね、まあねって言ったらあれだけど、確かにね、見た目で、なんかこう判断を決めつけすぎない思考の仕方みたいなものは重要だなって思った。
今ではさ、見た目が女性のように見えても、心は男性みたいな人もいるっていう情報も知ってるし、
なんか、女性だからこう、この人はこうなんだろうみたいなこととか、勝手に決めつけると良くないもんね。
そうだね、これはちゃんと知ってるし、わかっているから、じゃあ見た目じゃない情報で、ちゃんと見てみようって思うのは大事だよね。
まあ、というわけで、なかなかボリューミーな話を予約したんですけれど、
来週はこの本をもとに、私たちが感じたことや考えたことを語る討論会にしたいと思います。
とはいえ、人の目線を気にするのはなかなか卒業できないよね、という、
危ない話を含んでいるかもしれないテーマ討論です。
楽しみにしててくださいね。
はーい、楽しみ。
朝の散歩とキサクロ
よし、じゃあ最後、お便りの紹介に移りたいと思います。
ラジオネーム、たかなのよるいさんからのお便りです。
みなさんこんにちは。
エピソード33で、「どんなときにキサクロを聞いてる?」という話題がありましたので、お送りします。
私は朝の散歩のときに聞いています。
もともといろんなポッドキャストを朝の散歩で聞いていたので、その流れです。
ビジネス本や人間関係の話だと、仕事を始める前のいい準備体操もになったりします。
ところで、SNSにキサクロのことをポストする際のハッシュタグってあったりしますか?
というお便りです。
ありがとうございます。いいね、いい習慣だね。
そうなんですよ。朝に散歩する習慣っていうのがね、あるのいいよね。
素敵。
私はね、ちょっと自分で言うのもなんなんだけど、声のテンション高めだから、夜21時配信のキサクロには向いてないんじゃないかなと、人知れずな悩みがあったんですけど。
あら、そうなの?
そうなの。でもさ、魚の魚類さんは朝の散歩のときに聞いてくれてるっていう、だったら全然このテンションで行ってもいいかなって思って。
素敵だよ。
すごい勇気づけられたっていうことも、魚の魚類さんにお伝えしたいっていうのと、このまま行こうと思ってるので、本当にお便りありがとうございます。
嬉しいね、お便り。
質問いただいた、そのキサクロのハッシュタグについたんですけれど、こちらはカタカナでキサクロとしていることが多いので、ぜひポストしてください。よろしくお願いします。
はい、ここまででトークテーマは終了ですが、キサクロではいつでもお便りを大募集しています。
トークのご感想や本にまつわるお悩みなど、ぜひご投稿ください。
ポッドキャストやノートにお便り投稿フォームのリンクをご用意しておりますので、そちらからご投函いただけると嬉しいです。
今後もキサクロスロードは、毎週月曜日と木曜日、夜21時よりゆるゆる営業していきます。
本日はお越しいただきありがとうございました。またお待ちしております。バイバイ。