1. 心の砂地#
  2. 【過去回 S1-89】『一般男性』

※過去回の配信です。(2022年2月2日『心の砂地』にて配信。)

2021年12月に発売された、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(著:清田隆之)特集!
この番組で清田隆之さんの本を取り上げるのは二度目となります。
※前回は『さよなら、俺たち』(名著!)を取り上げています。

『この本を読んで語る言葉は、鏡のように自身に跳ね返ってくる』と冒頭から話す二人。
考えたことを互いにシェアすることで、この本が提示している何かをより捉えられると信じて、語ってみました。

『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』/清田隆之

概要:【「男の考えていることはよくわからない」のか?「感情の言語化」と「弱さの開示」の先にあるものとは?
劣等感、権力欲、マウンティング、ホモソーシャル、処女信仰、ED、DV etc.
見たくなかった自分と向き合った男たちの、切実な「自分語り」の記録。】

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【自慢話でも武勇伝でもない一般男性の話から見えた 生きづらさと男らしさのこと】特集
ということで、本日はですね、清田孝之さんが書かれました。 【自慢話でも武勇伝でもない一般男性の話から見えた 生きづらさと男らしさのこと】という本を取り上げて話していきたいと思います。
この清田さんの本ね、「心の砂地」ではですね、第24回2020年の8月の配信文でですね、「さよなら俺たち」というですね、ジェンダーに関わるエッセイ集を取り上げています。
【自慢話でも武勇伝でもない一般男性の話から見えた 生きづらさと男らしさのこと】
そうですね、やっぱりジェンダーって僕らにはやっぱり逃れられないものですから、こういうジェンダーそのもののトークテーマ以外の時、コンテンツとかを考える時にも、あの回をやったからこそ、ここってこうだよね、みたいな物差しが生まれた回ではありましたよね。
そうそうそうっていうところで、この清田さん、桃山障子っていうユニットでも恋バナを収集するユニットとして活動されていて、恋愛の話であるとか性に関わることであるとかっていうこと。
恋愛の話を聞いていったら、そういったジェンダーっていうものの問題が浮かび上がってきて、今はそういったことを書かれたりとかいうのがメインの活動というか、ライターとしてそういうことをやられたり、みたいな感じで活動されている方なんですけれども。
さよなら俺たちに書かれていたことで重要なファクターとして、今回も多分出てくると思うんですけども、DoingとBeingっていう定義っていうか、今を生きる人がBeingとDoingと人の中にあるよねっていう話があって、
Beingっていうのは出会えること、自分が何を考え、何を感じ、どんなことを思いながら生きているのかっていうことで、Doingっていうのは結果や実績、役割や能力っていう、言ったら外、社会に対しての評価される自分とか、そういったこと、することっていうことを評価されるDoingみたいな分け方があって、
さよなら俺たちっていうのはタイトル通り、男性性に関わるジェンダーっていうことをいろいろな角度で清田さんがエッセイとして書かれたんだけれども、Beingっていう部分がやっぱり俺たち男性には足りてないんじゃないのかっていう、Beingを語ること、Beingを捉えることっていうのが足りてないんじゃないのかっていうことが浮かび上がってきたり、その辺の問題をいろんな角度で捉えたりっていうエッセイでしたね。
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そうですね。そういう男性の現在地の確認みたいな要素がかなりね、強い本なのでやっぱ、ジェンダー、もともと自分、男性としてジェンダーとか考えたときに自分がどうなんやろうみたいなことを考えるきっかけとしては最高の本ですよね。
寺田君はもともとそういったジェンダーに関わる問題とかっていうことにちょっと関心があって、自分でもSNSで発信してたりみたいな時期があったりとかいうのがあって、僕も高校生のときに先生に上野千鶴子先生の本を勧められたりして読んだりっていうのとかもあったんだけど、ちょっと興味があってっていう感じで、
ただそんなしっかりと、僕に関してはそんなにしっかりと例えば本を買って読んだっていうのは、このさよなら俺たちが初めての体験だったんだけども、すごくお勧めの、本当にそういった何から考えたらいいのかわかんないとか、今の問題が何かわからないっていう人に対してすごくにもお勧めできるし、
どんな人にでも勧められる本だよねみたいなことを前回、第24回の配信では言ったりとかもしてますね。
そうですね。男性自身がジェンダーを考える機会ってどうしても今、SNSとかだとフェミニズムと同調したり、対フェミニズムみたいなどうしてもそういう形でしか発生しえないことが多いんですけど、さよなら俺たちに関しては男性自身がまさにそのビーングを考えること、自発的に考えられるような本になってるっていうのが一番いいかなと思いますね。その辺りはフラットに考えられる。
というところでですね、振り返りとしては前回第24回こういうことを話しましたよということで、今回のちょっと長いタイトルなんですけども、自慢話でも無優伝でもない一般男性の話から見えた生きづらさと男らしさのことというタイトルの本なんですけど。
これは前回というか、さよなら俺たちはエッセイ集、清田さんの自身の体験とか聞いてきた話とかを自分軸でかなりエッセイとして書いていくっていうものがまとまったものだったんですけども、今回はインタビュー集なんですね。
タイトルの通り一般男性、この中だと10人、10章に分かれてるのかな?に聞いて、話を聞いて、それをまとめていった本っていう形ですね。
いやーすごいですよね。だからさよなら俺たちは言ってみれば清田さんの告白という、特白にしかかったものをやったけれども、それと同じようなことをもっと他の男性に語ってもらうみたいな。
さよなら俺たちは読んだ人は今回の本も読んだらより具体的になるし、また違った角度で見えたりとかもするので、今回もこれから内容についてとか話していきますけど、他人と話すことでよりこの本が提示してることをより考えたりとか、より自分ごとにできるというか、そういったことにも向いてる本なのかなとは思っていて。
06:17
そうですね。シャークさんがおっしゃられたように、自分ごととして本当に考えたいなっていう思いがすごく感じた本で、なんか言ってしまえばこれって本当に人には本当に言えないような自分の性的な悩みだったりとか、挫折とかいろんなものを結構セキュララに語ってらっしゃるじゃないですか。
それぞれの人がね。
それ自体がものすごく良いことだなと思うんですよね。だからそこへの経緯がまず絶対大前提にありたいなと思ってて、安全権から意思を投げるようなことは絶対したくないなと思ってて。だからなんかこういうところで良くないなこの人っていう考えじゃなくて、自分はどうなんやろうっていうふうに全部落とし込んでちゃんと考えたいなと思いますね。
ちょっと多分これからこういったところがあるよねっていうツッコミみたいなことを多分僕たちは語る立場としてしてしまうとは思うんだけども、ただ切り取ったらそこだけバッと言っちゃう言葉になったりするかもしれないんだけども、自分に本当鏡のように跳ね返ってきながらも語っていくっていう感じになるのかなっていうふうに思ってる。
そうですね。それは絶対そうですね。僕らも精錬潔白なわけじゃ絶対ないから。
もちろんもちろんもちろん。でもこうやって僕たちが語ることで、よりこれを聞いてくれてる人がこの本を手に取ってほしいっていうことと、社会の問題である個人の問題を提示してるもんなので、そういったことを清田さんが提示してくれた問題に僕はすごく、見えてなかったけどそれを提示してくれたことにすごく感謝をしているので、そういったことがより多くの人に伝えればいいかなという配信できればなと思っております。
はい。
この番組、心のすなじは音楽、漫画、映画、日常生活に潜む違和感などなど様々な物事について探求し続ける教養バラエティーです。私、シャア君です。
はい、そして私が寺田です。よろしくお願いします。
ということで本日も始まります。心のすなじ。
普通には地球を丸くしたんだろう?わかるかい?迷わずに。
じゃあ先にですね、著者である清田孝之さんの紹介をさせていただきたいなと思います。
1980年、東京都生まれ、松田大学第一文学部卒業。文筆業、恋バナ収集ユニット、尾山孝之代表。
09:01
これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、恋愛とジェンダーをテーマにフォラムやラジオで発信している。ケイクス、アンアン、スバルなどで連載中。
尾山孝之としての著書に、二軍男子が恋バナを始めました。モテとか愛され以外の恋愛のすべて。単純に、さよなら俺たち。
よかれと思ってやったのに、男たちの失敗学入門がある。ということでですね。
寺田さんはね、そういったジェンダーとかの話に興味があるときに、ウェブの連載とか、ケイクスとかかな?
そうですね。
木下さんの記事を見て、読んでいて知ったっていうところがあったりとかで。
僕はですね、富山由紀子さんというですね、結構少女漫画のライターとかでもあるし、少女漫画、労働女子っていうところから、
最近は結構それこそジェンダーに関わる問題とかっていう話とかを書かれているライターさんが、富山由紀子さんというライターさんがいるんですけども。
との強調で、大学1年生の歩き方という本を読んで、その中での木下さんのコラムみたいなところにすごく衝撃というか、少女こそジェンダーに関わる話みたいなことを書いてあるんだけども、
そこにすごくパンチをもらって、この人の書くこと面白いなっていうことで気になっていたっていうところで、さよなら俺たちが出たっていう感じですね。
で、今回自慢話でも母優伝でもない一般男性の話から見えた生きづらさと男らしさのことというタイトルの本なんですけれども、先に概要みたいなのをちょっと紹介しておきましょうか。
はい、お願いします。
男の考えていることはよくわからないのか。感情の言語化と弱さの開示の先にあるものとは。
劣等感、権力欲、マウンティング、ホモソーシャル、諸女信仰、ED、DV。見たくなかった自分と向き合った男たちの切実な自分語りの記録ということなんですけれども。
はい。
今回はインタビュー集です。プライベートのことなんでいろいろフェイクを混じってあったりとか、ちょっと事実を変えてたりとかいうことはしてあるんだけれども、自分の生きてきたことみたいなことを語っているんだけども、どのように生きてきたかっていうところとジェンダーの問題みたいなのがすごく重なっていくというか。
それぞれ全然立場も違うし、年齢も違うんだけども、浮かび上がってくるのは男性性っていう問題とか社会の構造とか、その人自身じゃなくて何か大きな壁みたいなのがすごく立ち上がってくる感覚になるよね、この本を読んでいくとっていうのは思っていて。
そうですね。やっぱり男性同士の付き合い的なものがいかに男性の人生に影響しているのかみたいなところが結構いろんな出来事のトリガーになっているのはやっぱりそういった男性性によるものが多いんやなって改めて気づかされるシーンが多いですね。
12:13
何度も言ってますけども、清田さんの前兆からのさよなら俺たちっていうのは清田さんが自分視点で語ってくれているエッセイっていう感じの本であったんだけども、今回って前後に清田さんの導入と終わった後に後書きみたいなのがついてるんだけども、それぞれに委ねてるところがある本だなと思ったのね、今回の本は。
確かにね。結論というかさ、話の進んでいく方向っていうのは結構変化していく人もおれば結構一定でずっと終わる人もいるし。
そうそうだね。
あと清田さん自身が後書きで中々内面のことが引っ張り出せなかったみたいなことを書かれているところもあるし、だからやっぱりそれぞれが個人に委ねられてる感っていうのは読んでてすごく思いますね。
そうなんだよね。だから多分これって、例えばインタビューってドキュメンタリーは嘘をつくじゃないですけども、言ってほしいことを誘導するインタビューってあると思うのね、その人が語っていることでも。
でも多分これってすごく本当にそれこそ一般男性の語りっていうことに多分重点を置いて、その事実関係とかはちょっと多少脚色していてもそこをかなり大事にしてるから、だから過剰にパンチラインみたいなのを入れようともしてないし、すごく起伏がある人もあればさっき言った通りずっとずっと語っていくっていう人もいたりっていうところの。
だからすごく紳士的にその一般男性っていうのに向かい合ったインタビュー集だと思うのね。だからそれこそこれが語るのに適しているって言ってるのは、それぞれ多分思うこととか考える問題っていうのがかなりずれてくるんだろうなっていうところが、この言い方が正しいのかわからないけど面白い本だと思うのね。
そうですね。それぞれみんな刺さるところとか、衝撃を受けるところとか共感するところとかが全部別になると思いますね、確かにね。
そういったことをしてくださいって言われてるようにも僕の読み取りでは感じた気がした。それをさらに読んだ人で共有することで発展していけるように、バシッとこうだっていうんじゃなくて、投げることで議論じゃないけど話とか、自分自身とも対話してくださいみたいな投げかけがされてる感じがしているので。
この本を手に取って、もやっとすごくする気持ちをその後でクリアにしたいならさよなら俺たちをこの後読むっていうのもありかなと思ったりとかしていて。
15:00
まあそうね、その順番は確かに色々人によって合うところがあるかなと。
話ちょっとずれますけど、こういう色んな人が一つなことに対して語ってインタビューしてみたいな本ってすごく好きなのね。それこそプロレスとか格闘技で証言シリーズってありますけど、なんかそういったものはね、この時何だったんですかっていうと、それぞれのこっちの団体の人、あっちの団体の人、セコンドの人、この人と仲良かった人とかに話していくと、なんか一個の何かが立ち上がってくるみたいな。
たとえていいのかわからないけど、そういった本に構成が近いなと思ったのね。
そうだね、キリシマとかもそうですけど。
そうそうそうそう、キリシマシステムというかさ。
やっぱその多面的に見ることによって、なんかこう一個のものが見えてくるし、なおかつ多面的やからこそ視聴者側も一個の何か意見を持つことができるっていう、どれか一つが刺さることによってっていう良さもあるしね。
全体的に浮かび上がってくる何かっていうのが、僕はすごくその大きな壁みたいなのをすごく感じた本で、それが多分ジェンダーに関わる問題とか、つまりは一般男性の無自覚なビーング性というかっていうところなのかなっていうふうには僕はすごく思って。
寺津さんはどうですかね、響いたところっていうか、具体的に何章でっていうところでもいいし、全体の雑感でもいいしっていうところなんですけど。
そうですね、僕が結構響いたところで言うと、じゃあ具体的に言っていくと、ペックの影山では負けない、東大生の僕が経験した挫折と恋愛と諸女信仰っていう。
ここか。
ここを読んだ時にすごく懐かしい感覚を覚えてしまって、っていうのも僕高校時代はリケート進学クラスみたいなところに合格したので、そういった特別なクラスのところにいたんですけども、それこそ本当にここで語ってらっしゃるような東大とかに行くような子もいるようなクラスの中にいたんですね、その時はたまたま。
で、その時に見た人たちの正体を見たと思って、この章を読んだ時に。同じクラスの中に当然皆さんそれぞれ勉強できる人が多かったんですけど、なんか2種類いるなって僕その時から思ってて、頭いい人って2種類いて、1つ目は本当に学問が好きで勉強してる人。興味があることを勉強したくてやってる人ね。
僕の友達で結構本当にもう帰り道に赤チャート開いてさ、なんかオイラーの公式がいかに美しいかみたいなことを語り出すような子とかね、そういう子がいる一方で、別に勉強全然好きじゃないんですよ。勉強、何か学問に興味があるわけじゃないけど、勉強ができる人っているんですよね。そういう人ってなんてこんなに原動力を持ってるんやろうってずっと思ってて。
で、それをこの章を読んだ時にすごく答えを見たなと思って。プライドなんですよね、これ要するに。ここで語られてる現役の東大生の方ですね。最初の方で本当にまさに勉強を頑張っていって、センターとか失敗してっていう挫折とかの話をされてるんですけど、ここの中で一切何を勉強してたかみたいな話出てこないんですよね。
18:19
何に興味があったから必死で勉強したとか、どういうことがやりたかったからとか出てこなくて、プライドの話をずっとしてるんですよね。悔しかったとか、友達に負けたっていう話をずっとしていて、自分のプライド、負けず嫌いみたいな原動力なんですよね。
だからそれ一点でやってる人たちってすごいなと思ったし、男性ってやっぱそれを得ることができるじゃないですか。勉強は当然男女平等にできるんですけど、社会に出た後もそれをそのままパワーとして保障されてる部分ってあるじゃないですか。
それは学歴とかそういった勉強していくっていうことが直接評価につながるっていうことって感じかな?
そうですね。引っかかりがないというか。清田さんのあと書きでも書いてあるんですけども、そういう勉強っていうものが男性にとって勉強ができるとはどういう意味を持つのだろうかっていう問いかけが書いてあるんですけど、テストや順位や偏差値という軸が入ってくるや否やそれが凄さを示す指標となったって書いてあって。
学問っていうものと関係なくパワーみたいなものになるんですよね。
ああ、そうだね。
だから負けず嫌いの人はパワーを得るために勉強するっていうことになってて。
あれだよね。本当に筋トレみたいな感じだよね。
本当に本当にそんな感じ。
体を無理やり作っていくっていう感覚だよね。
数字化されるわけじゃないですか。点数っていうのは。
ゲームみたいなもんでテストで95点取ったやつと97点取ったやつがいたら、97点の方が強いわけなんですよね。凄いわけなんですよね。
攻撃力97の俺の方が95のやつより強いみたいなね。だからそういう感覚でやったんやと思ってさ。
これってすごいなと思ってて。
なおかつ、この人は東大の人だよね。
だからこそこういうプライドっていう一点、興味とかいう原動力じゃなくて、負けたくないっていう一点で上に来た人たちがマッチョな考えになるっていうのをすごく理解できるなと思ったんですよ。
だってそもそも負けず嫌いな原動力でもってやってきた人。
この人も本当に血の滲むような努力をしたっていう話をまさにしていて、だからこそそういう人たちが社会に出た時にすごくマッチョな考えに染まるっていうのは当然の流れやなっていうことも見えてきたんですよね。
そういうふうに勉強して、そうしていったら視力というものを鎧のようにつけるっていうことが正しい道だっていう。
21:01
それしかしてこなかったっていうふうに語られもしていて、勉強しかしてないからっていう。
だからそこが自分のアイデンティティーみたいな感じになっちゃうっていうことなんだよね。
この方はまだ大学生やけど、さっきも言ったけど社会に出ても引っかかりがないからさ、その思想が否定されることもないわけなんですよね。
これだからすごくさ、後半に恋愛の話になっていくやんか。
そうですね。
語られてないことと語られていることっていうのをこの本が浮かび上がってくるとか、そのモヤっとするとか、そのまま言っちゃうけどハッと気づくみたいなことが多いっていうところが醍醐味って言った通り、
勉強してこういうふうな時でこう何時間やってっていうとかすごく理論整然としていて語っているんだけども、
後半、恋愛の話が誰々とどうのこうのっていうふうに話していくんだけども、そこと語り口が完璧に一緒なんよね。
勉強で何時間っていうのと、誰々とこういうふうでしたっていうので。
それこそ言ったらビーイングの部分。
なんでこの人のことが好きなんかとか、自分はこういう気持ちでこう彼女を思っていて、彼女は多分こう思っていて、こういう関係でっていう話が一切ないんよね。
こういったことをした、自分がした、彼女がこういう人だった、それはこういった行動からとか言う。
言ったらすごくビーイングの部分を言ったら、さっきゲームっていう言葉が出たけど、すごく恋愛に関してもそういったゲーム的にこういったことをすれば帰ってくるものっていうふうに思ってるんじゃないかなっていうようなものが浮かび上がってきて、
ちょっとこうヒヤッとするんだよね、ここが。
そうですね。で、なんかそれで結構最後の方でさ、結局その高校生の時のようなピュアな恋愛がしたいっていうふうな考えになって。
だからまあ要するにそういうところに立ち返ってるんですけど、なんかそこって、なんか言い方悪いけど、もっと早めに培っておくべきところでもあるんかなと思うんですよね。
だからそのドゥイングで考え続けてて、ビーイングを、やっぱそういうピュアな恋愛っていうさ、ところをやり直したいみたいなところっていうのは、やっぱそこをずっとやってなかった人やからこそ湧く感情なんかなと思うしね。
なんか難しいよな、ここが言ったら、高校の時に恋愛してなかったからやって言い切っちゃったら話は簡単なんですよ。
あーでもそれは言いたくない。
そうそう、それって結果として、そうしてないから言ったらそれがこじれて諸女信仰性みたいな。
それは一つのことを何かを捉えてるとは思うのよ、そういう言い方は。それはそれで捉えてる何かあるんだけども、ただもう一個それは踏み込んで考えてほしいっていうかね。
24:03
これを言ったらこうさーっと読んで、読み流してしまったらそういう風に受け止めてしまうのかもしれないっていうさ。
言ったら勉強で、自身でもガリ弁でみたいな。ガリ弁でやってきて、だからその3年間がなかったからそういった思想になって、
高校生の時に恋愛しなかったから大学入っていろいろ失敗してダメだっていう、この諸女信仰性がダメだってことも自覚してるけど、高校生みたいなピュアな恋愛がしたいって言ってしまってる。
それをさっき言ったような風に片付けることって一つあると思うんだけど、なぜそうなっているのかっていうことをより考えてみたいなと思ったんやけど僕は。
なぜ勉強しようと思ったかっていう、好きではないとは思うんだけども、できるっていうタイプではあると思うんだけども、そこになぜそうなのかっていう、自分がなぜ頑張るのかっていうところが欠けてるっていうところがやっぱりめちゃめちゃでかいとは思うんよね。
それはそうですね、確かに。でも、そんなに本当に何か一つのことに興味があってそれについて学び続けるっていう好奇心を持ってる人って真例だと思うんですよね、やっぱり。そこまでわかりやすい興味、関心があって衝動っていうものがあったら自分の感情ってわかるわけじゃないですか。
でもそういうのがない人が大半なわけで、自分に立ち返って考えたときに、例えば僕さっき理系の新学校に行ってたわけなんですけど、そこをなんで行こうかとじゃあ僕が思ったかっていうと、まさに学力ならそこ行けますよって言われたから選んだだけなんですよ。
だから僕自身も全然考えてなかったんですよね、そういうこと。だからさっき言ったことって全部僕に降りかかってくるわけで、それで結局行ったけど本当にそういうプライドで戦ってる人らと興味関心っていうものでちゃんと原動力がある人らしかいなくて、僕みたいになんか行けますよって言われたからじゃあ受けようってたまたま受かったようなやつなんて落ちこぼれていくんですよ、どんどん。
だからやっぱり戦いなんですよね、そのあたりって今どうしても。パワーの戦いになっちゃってて、本来の目的を見失うというか、自分の感情がどうしても置いてけぼりになってしまうものなんやなって思うんですよ、学歴とか学力みたいなものって。
俺も本当なんとなく大学行くんだみたいな、なんとなく俺も一応進学クラスみたいなの行ったんだけど、自分の話をするとね。それって多分俺の場合で言うと親がそうした方がいいでって言ってたからっていうだけなのね。
あとめちゃめちゃ田舎だから選択肢もほぼほぼないんだけどね。
なるほどね。
だからこの話とか今の話とかも聞いてて思ったのは、自分で選択するみたいなことを10代のうちにどれだけできるかみたいなことっていうのはかなり自分の思想の幅を広げるかいないかっていうところに関わってくるんじゃないのかなと思っていて。
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それはめちゃくちゃありますね。
この話もちょっと気になってるのは、家庭環境の話がないんよね、受診の。
まあまあ最初の方とかは。構成とかはありますけど、そこまで多くはないですね、他の語りと比べると。
その辺の話とかも本当は結構関わってくると思うのね。
それこそずっと勉強好きだったらさ、結構家庭の割合ってでかかったと思うの、いた時間とかさ。
でもそういったところでも、多分そういった自分が何がしたいかとか、どういったことを考えてるかっていう会話とかもあんまりできる環境でもなかったんじゃないのかなっていうふうには。
これは書かれてないことだから、僕の読み取った想像でしかないんだけども。
そういったところでのケアじゃないけど、対話?
人と話すことでわかる自分のことっていうのってあるし、なかなか難しかったんかなーとかいうこととかに最後僕は落ちたっていう感覚がある。
そうなるとやっぱり繰り返しになるけど、これは他の章とかでも立ち上がってくることなんだけど、すごく頑張って理路整然としている。
で言ったら、ドゥイングの部分がめちゃめちゃしっかりしている。
それを感情とか人との関係とかに対しても、全部それが機能するカードだと思ってしまっている男性たちっていうのはすごく浮かび上がってくるなと思っていて。
そうですね。社会で生きていく上で引っかかるところがないから、それが当然恋愛にも通じるだろうと思うだろうし、家族関係にも通じるだろうと思っちゃうっていう節はやっぱあるんじゃないですかね。
ちょっとこれは表現難しいけど、ゲームの攻略法みたいな感じの、一つの攻略法を全部にゲーム的に当てはめてしまっているみたいなさ。
マッチングアプリをめっちゃパターンでやってる人、めっちゃやっていろいろ出会うけどみたいな人からもそういったことを感じたりもしたし、全てにそれがはめようとしてるんじゃないのかなっていう部分。
これは僕もやっちゃうことだからすごく分かるんだけど、自分のことでもあるし自分が関わることだから、気持ちとか感情が乗っていっていい部分だし、プラス相手の気持ちとか感情とかを乗せないといけない部分なんだけど、
自分から離れて問題を外部化して整理してしっかり渡すみたいなさってすることで、たぶん上手くいくことってめっちゃあると思うんだけど、そこが自分と外部の問題ですよ。
本当は自分の問題なのに、外部の問題ですよみたいな感じで掛け話すことで、言ったらビーング。自分が出会うことと離れてしまっているから、全然掛け合わない。
それってコミュニケーションじゃないよっていう。コミュニケーションじゃないし、ちゃんと話ができないよっていうことに陥ってしまっているのかなーみたいなことがすごく散見されたっていう。
30:06
そうですね。でもその状態にすら気づけてないっていう感じになっちゃうよね。
そうそうそうそう。っていうところが思ってたりとかしますね。
心の繋ぎ。
じゃあもう一章ね。これいろんな章であるんですけど、あと一章だけちょっと僕から紹介させていただきたいなと思うんですけれども。
自分は何者でもないコンプレックスとかが語られている話なんですけれども。
これだ。タイトルの名前がね。
賢い男だと思われたくて、借り物の言葉でマウンティングしていた僕が自分の言葉を獲得するまで。
吉原拓哉さん。20代外資系IT企業勤務。これ仮名ですけども。
いやーこの章の殺傷能力はちょっとエグすぎるよね。
これはすごくて、それこそ清田さんも一番自分が話しているんだろうかと錯覚するぐらいみたいなさ、後書きを書かれているんだけども。
これ最終章に来てるんだけども、大学生時代とかに何者かになりたいみたいな話っていうのは。
これ前回の配信でもさよなら俺たち。そういった問題が浮かび上がってて、寺田さんからもそういったさ。
自分は何かになりたいみたいなコンプレックスがひねくれちゃって、マウンティングであるとか、マウンスプレーニングって言われるようなことになってたりするんじゃないかっていう話をしてたりもするんだけど。
そういった話を語ってくれてるって感じで。
これはめちゃめちゃ自分でも見覚えがあるし、実際に何かさ、例えばTBSラジオで小木上知紀さんの番組を聞き、豊富な知識や鋭い分析、そしてニュースに対してはっきり意見を輸出せいなど、そういうものものがとてもかっこよく憧れを抱くようになりました。
まあ小木上知紀さんの名前は出たこともありましたけど。
そこからポッドキャストでサブカルチャーや社会問題を扱う番組を広く聞くようになり、自分の新たなキャラ作りじゃないですけど、社会や文化について一加減ある自分になりたいという思いが芽生えたきっかけだったように思います。
もう身に覚えがありすぎてさ、このあたりはね。
うーん、そうだよなー。
まあそれこそ僕、前サブカルになんでたどり着いたか、サブカルっていうものをなんで僕が愛好するようになったかっていうところで語ったこととすごくクロスする感覚があって。
これまず先に自分の話をしちゃうと、僕も本当そういった感覚、何者かになりたい。
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僕は音楽やりたいと思ってたけども、でも実際そこには才能がないっていうことに気づいて、ダラダラとやりながらなんとなく諦めつつあるっていうところで、自分は批評とか、それこそ今やってます、語ることとか。
なんかそういったところの視点は向いてるなーと思って、それこそ今こうやってポッドキャストをやるように至ってるし、そういったところをすごく愛好すること、捉えることっていうのが得意だっていうので、
そういったところを許容してくれるサブカルチャーっていうものに浸ることでなんとか生きてこれたっていう話をしてるんだけども、でも僕は自分を語ることが上手いから、そういった良い部分にある種美談的に語っちゃってるんですよ、あの回っていうのはね。
まあ、それを美談とする能力が自分にはあるからってことね。
でもこの章で語られてることと一緒だと思うんですよ、僕もね。
なるほど、本筋は一緒なんや。
ぜひ読んでほしいなと思うんですよね、ここをね。
これは、しかも発達障害っていうことがわかるっていうところとかも含めてですね、僕の身の回りでも本当にそういう方ものすごく多いし、そういう苦しみとかが付随してくるっていうのが、本当に僕何人も会ってきたような人たちなんですよ。
僕自身もその辺には当然あるし、だからこそなんかすごく読んでいて辛くなったね。
なんか、何やろうな、悪意があるわけじゃないじゃないですか、変な話。
そうだね。
なんで自分がさ、そういうマウンティングとかをしちゃうんかっていうこととかに気づいてどうするかみたいなさ。
最後はさ、どんな内容であっても自分が感じてることを正直に言語化するのが気持ちいいっていう言葉が出てきたりするっていうさ、どこまで至るんだか。
いいですよね、そこは。
でもそもそもこの人が抱えてる、さっき言った何者かにならなくちゃいけないみたいなところっていうのが、欲求であると同時にそれがだんだん義務みたいになってくるというか、圧として仕掛かってくるっていうところもあって、この方が語ってる言葉で言うと、相手の役に立たねば賢くあらねばっていう意識が働くようになっていく。
そもそも自分の欲求だったものがどんどん自分を追い詰めることになっていくみたいなことってものすごく多くあるじゃないですか。
男性性の話で言うとなんかあんまり許されない気がしちゃうんですよね。甘えだったりわからないっていう状態が。
もちろんなんかこれそれを助言するっていうマウスプレーニング的な気持ちよさもある、良くない気持ちよさもある一方で、自分の中ではでもそれはお前らが求めるからやってんだみたいな被害者意識的な感情になっていくっていうところがすごくよくわかるというか。
36:02
だって頼りたいでしょみたいな、頼ってくるじゃんみたいなさ、そういう意識になっちゃうんですよね。
そこを本当に噛み砕くというか、あれ本当に周りの人たちってじゃあどう思ってるんだろうっていうことを、この人は結構上から目線だとか助言ベースで話す節があるよねみたいなことを言われて気づくっていう。
でもなんか実際生きててさ、そういう人ってそういうことちゃんと指摘してくれる人あんまりいないと思うんですよ。だんだん孤立していくパターンの方が多いと思う。だから気づいてない人たぶんめっちゃいると思うんですよね。
いるだろうな。歳を重ねるごとにさ、そういったことも立場とかも出てきて、余計下の人からとか言えないだろうしさ、よほどかのことじゃないとさ。
だからこの人が最終的に自分の心、感情を素直に言うことが一番気持ちいいってことにたどり着いてることもすごくいいことやし、これを読むことでそこに気づける人がいっぱいいたらいいなって思いますね。
そうね。最終章に配置してあるっていうところで。もう一個踏み込んで俺が思ったのは、こういった何か言語化、正直に話すってことが気持ちいい。そろそろ自分のbeingに気づいてそこを大切にしようっていう感覚っていうのはめっちゃ素晴らしいし、大事なことだと思うんだけども、そこが裏返って変なことにこじれてしまうっていう怖さみたいなのがすごくあるなと思っているのね、僕は。
あー、なんか気づきみたいなこと?
そうそうそう。だから、どんな内容であっても自分が感じていることを正直に言語化するのは気持ちいいっていうのはすごく素晴らしいことではあると思うんだけども、そこがそれこそマンスプレーニング的なところと、結構境界線というか、ニアリ言語化、感じていることを正直に言語化するっていうことと、それを思っているよっていうことをバッと伝えちゃうっていう、自己開示することと、
そこの相手にこう、なんていうかな、説明しちゃうっていうところっていうのは結構ニアリだなと思っているのね、僕は。
全然共存する概念ではあると思うんですけど。
そうそうそう。だから、ひとつ、それこそゲーム的な考えじゃなくて、ひとつクリアしたから、じゃあ気づいたからこういったこと言っても大丈夫とかいうわけではないやと思っちゃうんですよ。
でもなんかそうなっちゃう怖さみたいなんてすごくあるなって思ってて、最近そういったいろんな動きみたいなのを見てても。
あとプラスで、言ったら自分が弱いっていうことを自覚するっていうことは大事。これも何回も繰り返しになるんだけど。
でも、それをお互い、「弱いよね、俺たち。」っていうふうに共有してしまったら、それこそ俺たちになっちゃうみたいなさ。
弱いんですっていうビーングをさらけ出してしまう大会みたいな感じになっちゃうこともあるよなっていう恐ろしさみたいなのをちょっと想像して考えたりとかしたんだよね。
39:06
あー、なるほどね。特にさ、そういう弱いんだよね的なことをちょっと面白おかしく内省的に語るっていうものすでにホモソーシャルの中であるじゃないですか。
だからそれになっちゃうことあるよねっていうことだよね。
でも、そこって一つ本を読んだ、こういうことに気づいた、学んだっていう自負っていうのが、さまざまな問題とかを学んだっていう自負がかなり厄介ものだなって最近すごく思ってて。
あー、そう。だからさ、「俺は気づいてるぞ。」的なことになっちゃうのよ。何回かここでも言ったかもしれんけどさ。結局、ジェンダーに無自覚な人を見下しちゃうみたいなことは絶対避けたいんですよ。
そうそう。はじめに鏡として自分に跳ね返ってるってことを僕たちが気をつけながら、自分に言い聞かすように言ってるのもそこが怖いからだと思うのね。
でも、書いてあることがすごくなかった視点だから僕もこうやって取り上げたいっていうところを持っているし、シェアしたいっていう。ある種、興奮してるよね、それは。
それって、学んだっていう興奮もあるし、語るっていう興奮もあるのよ。
でも、この興奮って相当厄介だなって思ってるのよ。
そういう気持ちよさって危ないんだよな、結局。だから本質がブレるから。
そこで、俺の持ったその興奮でそのまま大事なとこも塗りつぶしてしまってるとこ、絶対出てくるんやろうなって思ってすごく気をつけたいなって思ってるのね。
言ったことも気をつけたいなっていうところも、俺は最終章の正直に言語化するのが気持ちいい。自分が感じていることを言語化するのが気持ちいいって素晴らしいことだと思ったけど、
そういったことを思った。それこそすごく自分に照らして読んじゃったから、特に最終章は。
そうですね。だから本当に、ここにはいろんな一般男性の話が順位に載ってるわけですけど、
この世界にいる何億人の人の10人分を見させていただいただけであり、知った気になりたくないというか、
そこはやっぱり体系的にすぐに落とし込んで考えたりとかしたくないなーっていうところはずっとあるかな。
だからジェンダーのこととかを語ってたら絶対最終的に学び続けていきたいですねっていう結論になっちゃうのがそこなんですよ絶対に。
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ここでこうだっていう、それこそ決定、エンター、終わりみたいなのにしちゃダメなんだよね。ダメだって言い聞かせなあかんから毎回そういうこと言うんだよね。
結論ってないので、結論を出しても明日には変わってるかもしれへんし。
そうそう、もちろん。
もちろんそれと人によっては結論が違うわけで、考え続けていくことのすごくいいきっかけになるっていうところなんですよね結局こういう話って。
そういう問題の特効薬みたいなもんって多分全てのものにないし、問題が起きているっていうことに関してはね。
いやーそうですね。
こうできるだけ細やかに見れるようになりたいし、でもヒントにはなるかもしれへんと思っていて、勉強することは。
で、勉強することでさっき言ったような興奮することとか、自負、生まれる自負がまた厄介物であるけれども、ただ学び続けるしかないよなとは思ってるのが僕の態度としてはさ。
あとなんか僕が結構これまで生きてきてよくあるパターン、よく見るパターンとしては、今僕らはすごく少しずつやけど結構そのジェンダーだったり男性性っていうものを自分の中で特許しながら考えてるんですけど、
そういったことに一切触れてなかった人が触れた瞬間に僕らよりはるかにグワーッといろんなことが柔軟に考えられるようになることとかあると思うんですよね。
なんかそこの進むスピードってずっと止まってた人がガッて進むこともあれば、一歩ずつ進んでいく人もいるし、だからさっき言ったようにあんまり関係ないんですよね。
今どれだけ知ってるかっていうことよりも、これから知っていくきっかけになるっていうトリガーが一番重要であって、だからそういうものを増やしていきたいっていう考えなんですよね。常にこういう問題に関わる。
関連して言うと、もし僕たちが喋っていたことがこの本を手に取っても、さよなら俺たちを手に取っても、以前手に取った例えばこれからの男の子たちへとか、竹田さんのマチ相撲を削り取ってとかを手に取ったとしても、分かんないっていう人もいると思うの。
それこそスピードが違うからそれぞれの、それこそ学ぶときのスピードと入ってくるスピード、タイミングとか環境とかいろいろにもよるから分かんないっていう人もいると思うの。
でも、その学ぼうという姿勢があるだけで僕は素晴らしいと思うし、そこはゆっくりでもいいと思うとは思うね。その気をつけながらもね。
そうですね。だからこういう話をしてるとさ、本当にもっといろんな人とこれについて話したいなって気分に最終的にあるんですよね。
そうね。
じゃないとさ、固まっていっちゃうねんな、頭の中で。
そう、俺と寺田で同じルートで同じような本を読んでっていう感じだからさ、すごく近しい、コミュニティとか生活圏内とかちょっと別だけども、
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でも東京っていう町に住んでるってところで多分かなり大きいものをシェアしているしっていうところがあったりとか。
人間の脳みそって厄介なもんで、本当に結論をすぐにつけたがるっていう習性があるからさ、それが固まる前に本当にいろんな人と話し続ける、
学び続けるっていう、頭が固まる前にね、そういうことをやっていきたいですね。
ということでですね、本日は以上です。
はい、心の砂地は引き続きお便りをお待ちしております。
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ごきげんよう。
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