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2025-05-26 34:32

#97【鼻/芥川龍之介】コンプレックスとの向き合い方を名作から学ぼう

教科書に載ってたかもシリーズ/鼻はもっと知られてほしい作品/消極的な敵意の解説がこの作品の肝/人を笑った経験も笑われた経験もあるよね?/コンプレックスを受け止めるまでの過程が丁寧/おたよりありがとう!


▼今日紹介した作品

⁠『鼻』(芥川龍之介)⁠


▼キサクロではおたよりを大募集中!あなたの好きな本教えてね

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdrptC5Xic_oDRtY_J2IUyu_DHO8kV0L1o6XmTf6atulxdorA/viewform?usp=sf_link⁠⁠⁠⁠

サマリー

このエピソードでは、芥川龍之介の作品『花』を通じて、主人公の内愚が抱えるコンプレックスやそれに対する周囲の反応が探られます。内愚が鼻の大きさをコンプレックスとして捉え、その結果周囲からの扱いが変わる様子が描かれています。また、短編『鼻』を通じてコンプレックスについての理解が深まります。内愚が鼻の大きさを気にした結果、自己受容に至る過程が描かれ、自分の内面と向き合うことの重要性が考えられます。さらに、短編『鼻』を通してコンプレックスとの向き合い方が議論され、物語の深いメッセージを反映しながら参加者たちの感想や交流が紹介されます。

00:01
スピーカー 1
カランコローン、いらっしゃいませ。喫茶クロスロードへようこそ。
この音声配信は、本好きな人たちがふらっと集まり、みんなが友達になれる喫茶店をコンセプトに、店員たちが気ままにゆるーく話してまいります。
5月26日、第97回の配信です。
本日はソラヤン、ナッシー、おはぎの3名で営業しております。
久々の全員集合会です。
作品紹介と内愚の悩み
スピーカー 1
さて、今日紹介したい作品は、芥川龍之介さんの【花】という作品です。
芥川龍之介って言えば、羅生門とか、蜘蛛の糸が有名だと思うんだけど、2人はこの作品聞いたことあるかな?
いや、聞いたことはあります。あるんだけど、読んだこともきっとある気がするんだけど、
でも、あんまり内容を覚えていないっていうのが正直なところで。
スピーカー 2
やっぱ、蜘蛛の糸とかさ、めっちゃ怖いじゃん、話が。
だから、そっちの方が印象に強く残ってて、【花】はそんなに多分、当時よくわからないまま通り過ぎた気がします。
スピーカー 1
うーん、そう。羅生門と蜘蛛の糸と比べて、【花】の認知度の低さを感じてて。
スピーカー 2
なるほど。認知度の低さ。
スピーカー 1
そう、認知度の低さを感じておりましてですね、この【花】っていう作品が結構自分の中ではお気に入りで、
登場人物が抱えるコンプレックスと、それを他人から見られた時の心理状態をうまーく描いたお話で、
これ知らない人いたら知ってほしいって思ったので、今日の回に持ってきました。
スピーカー 2
認知度向上のために。
スピーカー 1
そうそう。羅生門、蜘蛛の糸、【花】みたいな感じで、この3本は有名にしていきたいなっていう気持ちがある。
いいね。承知しました。
ということで、早速紹介していきます。
スピーカー 1
この【花】っていう作品、主人公が禅知内愚っていう50歳過ぎのお坊さんなんですね。
で、このお坊さんには大きな悩みがあって、それは花の真ん中から下へまっすぐ垂れ下がる長すぎる花。
ソーセージみたいな、蝶詰みたいな太さで、それも重力に逆らわず下にまっすぐ降りてきちゃうって、
めちゃめちゃ長くて太くて邪魔っていうのがお坊さんの大きな悩みなのね。
長さ的には五六寸って作中では書かれてて、現在の長さで換算すると15センチから18センチくらいあって結構長いね。
長いね。
スピーカー 2
口埋まっちゃうね。
スピーカー 1
見た目がなかなか滑稽な感じがして、周囲の人たちからからかわれたり、影口を叩かれたりする日々を禅知内愚さんは送っていたんですね。
で、主人公の内愚さんはこの不便な花をずっと苦しく思ってるんだけど、周りの人に花気にしてるのばれたくないから、表面上では花については何も気にしてませんよみたいな感じで日々を過ごしてるのね。
こんな振る舞い自分もしたことあるから、内愚に親近感湧くなって思いながら読んでて。
なんかすごい。
スピーカー 2
あーつらいね。
スピーカー 1
つらい。
そういう話のスタートなんですよ。
スピーカー 2
だって自分はさ、本当はすごく気にしているけど、それを気にしていないように振る舞ってるっていうことは、すごい自分の気持ちをさ、押し殺してるんだもんね。つらいね。
スピーカー 1
そうそうそう。つらい。
鼻を小さくする方法
スピーカー 1
そんなつらい日々を過ごしていたある日、内愚のお弟子さんが、花を小さくする方法を医者から教えてもらいましたって訪ねてきます。
おー。
まあ内愚も、そんな50年生きてて、花をどうこうしようって思ったこともあったし、いろんな方法を今まで試してはきたんだけど、結局うまくいかずに失敗を繰り返してきたから、弟子がやりましょうよって言われても初め乗り気じゃなかったのね。
でもお弟子さんが熱心に説得をして、まあしょうがないな、せっかく弟子が医者から花を小さくする方法を教えてもらってきて、わざわざ自分に教えてくれたからやってみようってことで試してみることになりました。
で、弟子の協力もあって、結構試行錯誤しなきゃいけなかったんだけど、結果大成功しまして、とうとう内愚の花は驚くほど小さく、長い花が普段の定位置に収まるような上唇の上に収まるくらいの小ささになったんですね。
スピーカー 2
すごい小さくなったね。
スピーカー 1
これ本の中ではあれなんだよね、その花を小さくする方法もちゃんと何だったかとかは書いてあるんだよね。
そうそう、花を小さくする方法は、大きい花を茹でて、で、浮いてきた油を毛抜きで取るっていう流れを繰り返すっていうちょっと根気のいる作業で。
スピーカー 2
じゃあその長い花は中身油だったってことだよね。
スピーカー 1
そういうことになりますね。
スピーカー 2
衝撃だね。
スピーカー 1
油を毛抜きで取って、また油がいて毛抜きで取っていきたいな感じで。
そこの表現もちょっと癖があって面白いから読んでみてほしい。
へー、でもこれで内愚は一番のコンプレックスの元であった花とおさらばできたんだよね。
そうそう。
すごいね。
で、もう50年生きててずっと苦しんできた花が小さくなって、普通の人の花と遜色ないくらいになって、もう超嬉しいわけよ。
で、すぐ元に戻んないかなとか心配もあったんだけど、数日経っても元に戻らず、ちゃんとそのままの小さい花で嬉しい日々を送っていたんだけど。
いたんだけど。
花が小さくなって数日経ってある日、内愚のお寺を訪れる人が、前にもまして自分の顔だったり花を見るなり笑うようになったことに内愚は気が付くんですね。
というのも、前は花が長かった状態でも笑われたりしたんだけど、小さくなった今の方が笑われてるんじゃないかって内愚は気付くんです。
内愚は初め、今までずっと長かった花が普通サイズになったから見慣れてないだけだろうなとか、自分の顔が急に変わったせいもあるから笑われるのは一時的なものだろうなとか解釈をするんだけど、
日がまたぐにつれて、花が長かった時よりも小さくなった今の方が周りの人が遠慮なくつけつけ笑うようになって、え、なんで?って内愚が不快感を覚えるようになるの。
なんで?
内愚はその理由を知らないながらも、作中にはここ大きいポイントなんだけど、人間は人の不幸に同情するが、いざその人が不幸を脱すると物足りなさを感じて、もう一度不幸に落とし入れたいような気持ちになる。
それがいつの間にか消極的な敵意を抱くようなことにもなるっていう文章が添えられてて、物語の後半をより深く読み込めるように人間の意地汚い心理の解説がここで挟まってくる。
というのも、内愚の鼻が小さくなったことで、周囲の人たちがなんか物足りなさを感じちゃった。鼻の長かった時もちょっと面白かったけど、鼻が小さくなったことで、なんかもっと笑ってやろうみたいな、そういうちょっと悪い意地汚い心理が人間の中で生まれてしまったよってシーンがここになるのね。
で、ここのシーンを初めて読んだときに、自分も人生過ごしてきた中で、笑われた側も笑った側も経験したことがあったような気がして、人々のその貧のない表現もすごいあるよね、こういうのっていうふうに思って感心もしたし、
この鼻っていう作品に対して非常に感服したというか、ここのシーンでこれはちょっと面白い、すごい作品かもっていう気持ちになったんだよね。
ここがおはぎ的感動ポイントなんですよね。そうそうそうそう。でもちょっと私置いてきぼりになったかもしれないから、ちょっと確認したいんだけど、これは鼻が小さくなった後も内部を見て人々は笑っていって、それが以前より明らさまになったっていう話になってるってこと?
で、消極的な敵っていうのは、相手をちょっと下に見ておきたいというか、笑いの対象のしておきたいみたいなことを指して、消極的な敵っていう表現をしてるっていう話なのかな?
そうそうそう。ナッシーのその解釈でオッケーだと思う。この消極的な敵っていう文章表現、その国語の授業でも結構取り上げられるくらいポイントとして大きいんだけど、私はこの消極的な敵については、積極的に相手を傷つけたいっていう欲求とはまた別で、
どこか抽象的な笑いの中心でいてほしいっていう小さい願望のことを指しているっておはぎは解釈してて、悪い意味での笑いの中心になんとなくいてほしいよねっていうこの維持汚い心理を消極的な敵だなって私は思ってる。
積極的ではなくて、消極的な姿勢のでも笑いの中心に置いておきたいみたいな維持汚い気持ちなんだ。
多分そんな気がする。
確かにそうやって笑った記憶が自分にないとは絶対に生きれないみたいな、ちょっとわーってなるね。
そうそうそうそう。そらやん、この消極的な敵についてどう思う?
スピーカー 2
例えばさ、あれだよね、その、高校デビューとかさ。
スピーカー 1
おー、いい表現。
そう、いい表現、的確。
スピーカー 2
その話だと思うんだけど、ナイグ自身も気にしてないよーみたいな感じで振る舞ってたってことはさ、周りがこう笑っていてすごいしょんぼりするとかそういう表現が多分なかったんだよね。
だから多分周りもこう、笑っていていいもんだって思ってたけど、ある日そのナイグが50にして高校デビューを果たすと、急に。
スピーカー 1
すごいイメチェンしたもんね。
スピーカー 2
すごいイメチェンじゃん。
そうするとさ、理想としてはさ、え、ナイグめっちゃ良くなったね、美人いいねみたいな感じで思える人もいると思うんだけど、
相手が成長していく姿をどうも面白くないと感じるというか、ちょっともやっとするみたいな感情が多分あって、そのもやもやがより相手をこう、
いやあいつなんか調子乗ってきたよねーみたいな、いや高校デビューかよーみたいな感じの気持ちっていうことだよね、きっと。
スピーカー 1
そうそうそう、いやすごい的確だと思う、そうそれって思った聞いてて。
スピーカー 2
ナイグは成長してるっていうふうに見えたっていうか、でも自分はそうではなかった。
自分は変わっていない、でなんかちょっと面白くないみたいな気持ちもあるのかなとかちょっと思ったりすると、
スピーカー 1
その消極的な敵の裏にある、敵はさ相手に向けてる感情だけど、それが生まれる元になる自分の中の気持ちってどういうものなんだろうっていうのもちょっと考えちゃう。
そうだよね、そのナイグが鼻小さくなったことで、大勢の人が周りに抱えてる劣等感とかをすり合わせて、
大きな鼻が小さくなってなんかつまんないな、俺も耳大きいのになって思ってる人もきっと中にはきっといるかもしれないし、
って読んでて思ったのと、気にしてないふうにしてたのに次の日急に小さくなったら、なんだ結局気にしてたんじゃんと思って、そこで身内で盛り上がりたいなっていう気持ちにもなっちゃうから、
そこに悪意はないんだけど、その消極的な敵っていうのはそういうことなんだろうなって思う。
スピーカー 2
何かしらさ自分の中で正当化したい感情があるから、そういう一緒に誰かと笑いたくなったりとか、さらにナイグを笑いたくなったりとかするのかなって思って、
でもその正当化したい感情ってなんだろうっていうのを今すごい思った。
人々をその消極的な敵に向ける心の底にあるものってなんだろうみたいな。
でもそんなことね、鼻を初めて見た小中学生の時はね、そんなそこまで考えられなかった。
ちょっと難しいこの作品。
スピーカー 1
今私たちだからその問いを立てて考えられるよ。
でもやっぱりちょっと高校デビューして羨ましいみたいな気持ちもあるのかな。
そういうのはあると思う。鼻の美樹が良くなったら結構ネタんじゃうかもな私。
スピーカー 2
鼻大事だもんね。
スピーカー 1
大事そう。
印象変わるうちに。
で、ちょっと話戻ります。
はい戻りましょう。
変化と新たな悩み
スピーカー 1
鼻が短くなったことで今まで違った笑われ方をされるようになったナイグさんはですね、
日ごとに機嫌が悪くなって、とうとう短くなった鼻がかえって恨めしく思うようになっちゃいます。
なんと。
というのも、仕事をする上で人と対面して、その度に人に笑われるようになっちゃうのがやっぱ心苦しくなっちゃって、
この鼻が小さくなったせいでみたいな風に思うようになっちゃったみたいで、
そこの描写はあんまり詳しく書かれてないんだけど、
短くなった鼻がちょっと嫌だなって思うようになったよっていう描写があるんですね。
人に意地悪な態度をされ続ける日々を過ごしていたある日の朝、
いつも通り起きたナイグは鼻に懐かしい感覚が戻っていることに気がつきます。
そう触ってみると、昔のゴロクスンあるあの長い鼻が戻ってきたんですね。
スピーカー 2
おお、また油吸っちゃったんだ。
スピーカー 1
油吸っちゃったみたいで。
触ると長くて太いあの鼻が戻ってきてて、
それを知ったナイグはがっかりするわけでもなく、
鼻が短くなった瞬間と同じような晴れ晴れとした気持ちになって、
こうなればもう誰も笑うものはないに違いないと心の中で囁いて、物語は幕を閉じるんですね。
コンプレックスの受容
スピーカー 1
ここで終わりなのね。
そうここで終わりなの。
その後に人に見られてどうなりましたっていうのは読者に投げられてて、
鼻が大きくなりました鼻が元に戻っちゃいました。
でナイグは晴れ晴れとした気持ちになって、
もう笑うものはいないに違いないと思って終わりっていう感じになるんだけど、
お話読み終わった時にそのナイグの鼻だったり、
そのナイグを取り巻く環境だったりは変わってないのに、
話の終わり方はハッピーエンドで終わってて、
であんなに気にしてた鼻だったけど、
そのコンプレックスを最終的に受け入れるナイグの姿勢だったりとか、
見た目だったり周りの人からの評価よりも自分の気持ちの持ちようがポイントだよって書かれてるような結末が、
ちょっと読んだ後、清々しい気持ちもあった記憶もあってさ、
読んだ時にああこういう終わり方なんだって。
でナイグは50年以上年を重ねてようやくコンプレックスを受け入れる姿勢ができたわけなんだけど、
みんなは自分の気になっているポイントとどう折り合いをつけているかなと思ってて、
みんなにちょっと聞きたいな。
どうですかねナッシーとか。
そうか、でもなんかね、
ああそういう終わり方なんだって私もちょっと、
今ちょっとお話の余韻に若干浸ってたんだけど、
なんかすごいねナイグは自分のコンプレックスをまた受け入れて終わるっていう、
受け入れてというか、
そこで戻ってきてよかったなって気持ちで終わるのが、
面白いなって単純に思いましたっていう感想と、
私自分の体型にコンプレックスを持ってた時期はあって、
言ってみればちょっと足が太かったんだよね、私。
あっそうなんだ。
スピーカー 2
ぽっちゃり、ぽっちゃり系っていうか、
スピーカー 1
ちょっと高校受験で太ったりして、
なんかこれソラヤンに話した気がするんだけど、
一時期それをすごい隠すような服を着たりとか、
わざわざ言われてもないのに、
私足太いんですよって言ったりして、
今思うと自分が今一番気にしてるみたいな、
なんかそういう状態だったなと思ってて、
だからこそナイグがずっとそこを気にしてたっていう気持ちもよくわかるなって思うし、
でも私の別に足太いはそんな、
結構その後もずっと付き合っていくものではあったから、
そうか、ナイグはそれを受け入れられたんだなっていうことで、
多分今一番私もそういうふうに思える日が来るかなみたいな気持ちになったりとか、
やっぱ気にしてるのは一番自分みたいなのはあるから、
そこは気の持ちようだよっていう結末はわかるよって思う一方で、
でもさっていう気持ちもあるみたいなのも正直なかったかな。
そうだよね。
気の持ちようだよってなっても、
その理屈はわかるけど、
でも結局気になるものは気になるしみたいな、
その折り合いも難しいよね。
そういう意味では折り合いはつけられてないのかもしれないっていうのが答えかもしれない。
そらやんはどう?
スピーカー 2
なんかあったりする?
スナイグはあれだよね、
もう誰も笑うものはないに違いないって言ってるっていうのは、
自分の鼻が短かろうと長かろうと周りが何を言おうとも関係ないだろうっていうふうに息つけたっていう理解でOK?
スピーカー 1
多分その理解で大丈夫だと思う。
外見と内面の価値
スピーカー 2
だといいなって思っていて、
コンプレックスなんて死ぬほどたくさんあるんだけど、
ちょうど1年に3ヶ月前ぐらいに、
キサクロでダイエット幻想っていう本をね、
スピーカー 1
私もそれを思い出してた。
スピーカー 2
イソノマホさんっていう文化人類学者の方が、
なんで日本女性ってすごい痩せることにすごいこだわるのかっていうことを、
文化人類学的に解き明かしていきましょうっていう本で、
すっごいざっくり説明すると、
すっごいざっくりその本の主張を話すと、
なぜ女性が、日本女性が必要に痩せることにこれほどまでに固執するのかっていうのは、
痩せている自分っていうことが社会から選ばれるための条件として、
みんなが認識していて、そういう文化になってしまっているからだっていう、
痩せていれば愛されるとか、
痩せていれば学生時代のカーストの上位に選ばれるとか、
痩せていれば男性から選ばれるとか、
そういう選ばれるっていうことが、
社会で何かしらの自分が有利な状況に選ばれるっていう文化が日本の社会にありませんか?
それが日本女性を過度に痩せなきゃっていう気持ちに追い立てていませんかっていう本で、
結構それ衝撃を受けて、
私がその時に思ったのは、自分があんまり痩せよう痩せようとか、
BMI18を目指そうみたいなことを考えてると、
結局自分の下の世代の女性も、
そのループからは逃れられないっていうか、
みんな選ばれるために痩せる痩せるみたいに考えちゃうから、
まずこの考え方を改めなきゃいけないって思って、
自分にもいろんなコンプレックスがあるけど、
それこそ多分ナイグと一緒で、
周りから笑われたくないから、
この丸い顔を何とかしたいとか、
お腹を何とかしたい、足を何とかしたいとか、
あれこれあれこれいっぱいあるけど、
それを人から笑われない、
ナイグの言葉を借りるなら、
人から笑われないために、
自分のコンプレックスを直していこうっていう考え方は、
結局社会に負の連想を生み出すんだっていうふうに、
その本を読んで思うようになって、
でもそういう社会になってるから、
とはいえ、それ一人で考えてるのしんどいよねっていうのは、
すごい思うよ。
スピーカー 1
そうだよね、確かに。
ナイグが長いままであれば、
今後もしかしたらお弟子さんとかで、
長い弟子が入ってくる可能性もあるし、
その時に意気投合もできるし、
人は鼻じゃないんだぞっていうコミュニケーションも取れるから、
あんまりコンプレックスに執着しなくてもいいのかもね。
下の世代のためにも。
スピーカー 2
そうそう、そういうことを考えるようになってからは、
やっぱりでもさ、人間ってさ、
外見ってすごい視覚情報としては大きいけどさ、
人間ってさ、別にそれ以外の魅力的なものがいっぱいあるっていうか、
その人の考えてることとかさ、
その人の特技とかさ、
すごいいっぱいいろんなことがさ、
その人の魅力というかその人を作って、
それこそ何の本読んでるとかもさ、
そういうのもその人を作ってて、
そういう話をいっぱいさ、人とすればいいのに、
なんか外見の話だけで終わっちゃうと、
その人の魅力を全然、
その人何者かみたいなのを何も分からずに終わっていくなっていうのも、
最近すごいそれを考えるようになって、
そんな風にこう、結構外見でジャッジされることとかは多い、
世の中が引き続きあることは、
それはそうなんだけど、
外見だけじゃない人間の面白さみたいなのも、
いっぱいあるよねって、
人内偶はさ、すごいいろんな魅力的な側面がいっぱいあったと思うんだよ。
てかまずさ、すごい、すごい努力するじゃん。
鼻をさ、
そんな多分さ、根気よく物事に取り組める人って、
そんなに多くないはずじゃん。
その良さをみんなは知らないわけじゃん。
鼻のことに気を取られていて、
もったいなーって思う。
そうだよね。
スピーカー 1
私も鼻の作品読んで、今日みんなでお話ししてて、
弟子も内偶の鼻をどうにかするために、
人から聞いてきましたって、わざわざ言ってきてくれて、
鼻を小さくするために、
毛抜きで内偶の鼻をつかんで、
毛抜きで油取るって、
ちょっと、ちょっとキモいじゃん。
気持ち悪いじゃん。
油を取るって。
ちょっと想像したら気持ち悪い。
鼻の油を取ってるのは、
描写的におそらく弟子で、
鼻をゆがいてくれてるのもおそらく弟子なの。
スピーカー 2
すごいみんな協力的。
スピーカー 1
そういうところも内偶は、
もっと気づいてほしかったなっていうのがあるんだけど、
お話が終わった後のご実談として、もしかしたら、
含みとしてあるのかなって思うと、
この続きもちょっと気になるよねって。
スピーカー 2
あるといいね。
スピーカー 1
この作品は図書館に間違いなくある作品なので、
みんなに気軽に読んでみてほしいので、
もし時間があれば、
クモノイドとラショウモンと花のサンセットで読むと、
芥川龍之介の良さをめちゃめちゃ感じられると思うので、
ぜひ読んでみてください。
スピーカー 2
このコンプレックスの話とか、
コンプレックスをみんなが抱えていて、
みんな他人の評価を気にしながら生きているっていうこととか、
消極的な敵?
ちょっと自分が不幸からちょっといい方向になった時に、
周りがそれを良かったねっていう風に思わないことがあるっていう、
残酷な人間心理みたいなのを、
文学として残して、
学校でみんなで話したりとか、
大人になってから読んだりして、
そっか、そういう、
それもまた人生みたいに感じさせてくれるのって、
いいよね、いいよねっていうか、
すごく大事なことだなって思った。
でも多分私は小中学生の時にはそこまでは追いつけてなかった。
スピーカー 1
私も全然追いつけてなかった。
スピーカー 2
至れなかった。今にしたってみると、
はー、なるほどーってなる。
スピーカー 1
この話の中でちょっと割愛しちゃったんだけど、
内部の花が太くなる、花に戻る前の晩に、
花に違和感を感じたりとか、
花に熱感が帯びたりとかっていう、
花に異変がちょっと起こってるよっていう描写があるんだけど、
ここの表現が作中の中では全く不穏な空気として書かれてるわけじゃなくて、
まるで元に、まるで元の花に戻るのがちょっといいことのように描写されてて、
そこもコンプレックスそのものは悪じゃないんだよって書かれてるような気がしてて、
その寄り添ってくれてる感じも結構コンプレックスに対して、
前向きな気持ちでいられるヒントになっているんじゃなかろうかと読んでて思ってて、
そこの描写も結構好きなので、そこもちゃんとまるっと読んでもらえたら、
おはぎ的にめっちゃ嬉しいです。
なんかそこも読んで、内部さんがどうコンプレックスを受け止めていったのかっていうのを、
ちゃんと感じたいなっていうのは私は思ったかなー。
スピーカー 2
そうだねー。
スピーカー 1
そらやんのそのダイエット幻想の話をすごい私も振り返ってみると、
みんなコンプレックスをいっぱい持っているだろうけど、
でもなんか折り合いを続けてるわけじゃないんだけど、
芥川龍之介の作品を通しての考察
スピーカー 1
でもそこを角に気にしないように生きていこうぜっていう本だったと私も思っているから。
結構深い話ができてよかったね。
スピーカー 2
深い話だね。
スピーカー 1
花好きになれました?みなさん秋田川龍之介の花。
スピーカー 2
ちゃんと読もうと思った。
スピーカー 1
本当よかった。
はい、そして今回はなんとお便りが届いております。
スピーカー 2
やったー。
ありがとう。
スピーカー 1
そらやんが紹介した本の反響とのことなので、そらやんにバトンタッチしたいと思います。
そらやんよろしく。
スピーカー 2
ではお便りを読ませていただきます。
ラジオネームディギーさんです。
わー久しぶり。
こんにちは。
久しぶりのお便りです。ディギーです。
以前そらやんが紹介してくれたようこそひゅなむどう書店へを読みました。
ありがとうございます。
なんとも形容しがたい不思議な物語。
何かに打ちのめされた人たちがそれでもゆっくりと立ち直っていく姿。
なんですけど、どうしようもなくリアルというか、意外と明るくて悲壮感がないというか、
いや実際こんな感じなんだよな。悲しみ続けるのも疲れるし。
とか思ったり、傷つきつつも日々の生活は止めどなく流れてくるわけで、
でも様々な人と出会い、考えて、何とかかんとか折り合いをつけて進んでいく様が、
読む人に勇気を与えてくれるような、とにかく素晴らしく面白い小説でした。
それで、読み終わったら本屋がやりたくなったので、
ゴールデンウィークに自分の住んでいる高川という地区の元書店だった小民家を書店に見立ててイベントすることにしました。
スピーカー 1
その名も、高川書店あらため。高川書店。
スピーカー 2
本を売るというより、本を読む空間を提供したいとか、
本を快適に読むためのアイテムを置きたいなと思って、
何冊かおすすめの本を解説付きで置いて、気になったらアマゾンとかで買ってねーという感じ。
寸読を持ち込んでもいいし、誰かと語り合ってもいいし、良い空間にしたいなぁと思っています。
今年1年は月1か月2で続けようと思います。
良かったら遊びに来てください。コーチだけど。
引き続き、新メンバーも加わったキッサクロスロードを楽しみにしております。
スピーカー 1
だって、すご!すご!すご!
スピーカー 2
めちゃめちゃすご!
読み終わって本屋やりたくなって、本屋やるってすご!行動力がやばい!
スピーカー 1
すごすぎる!
でも面白いよね。ディギーはいつもいろんなことをひょいって始める人っていう印象なんだけど、
まさかこのキサクロで紹介した本をきっかけに、書店を始めてしまうとはと。
スピーカー 2
めっちゃ行きたい!めちゃくちゃ行きたいなぁ。
めちゃくちゃ行きたい。
スピーカー 1
行きたいね。
スピーカー 2
月1月2はやってくれてるんだもんね。だからどっかのタイミングで。
スピーカー 1
ちゃんと狙ってかないとね。
スピーカー 2
どっかのタイミングで行きたいなぁ。
スピーカー 1
行きたいね。
スピーカー 2
いやー嬉しいなぁ。
私たちもやるか、本屋。
スピーカー 1
本屋。
スピーカー 2
いいかもね。
なんかね、イベントとかでさ、1日ね、そうしよう。
スピーカー 1
なんかその構成もあったもんね。
スピーカー 2
うん、そうしよう。
やっぱ、フットワーク軽くしてこ。
おー、それにも熱が入った。
いやー本当に。
スピーカー 1
ディギーさん、初めましてだなと思って。
初めましてー。おはぎでーす。
スピーカー 2
自己PRしとこ、おはぎさん。
スピーカー 1
自己PRしとこ、そう。
教科書に載っていたかもな作品が好きなおはぎでーす。
めっちゃ行きたいんで、もしホームページとか公式のSNSとかがあったら拝見したいので、できたらお便りで教えてくださーい。
スピーカー 2
そうだね、うん。
ありがとうございます。
スピーカー 1
ありがとうございます。
いつか行きたいと思ってますので。
うん、行こう行こう。
スピーカー 2
我々も本屋やろう。
確かに。
スピーカー 1
はい、というわけで、来週は何かな?
スピーカー 2
来週はですね、東京にまつわる小説を2つ紹介したいなっていうふうに思っていて、
青山美智子さんの人魚が逃げたっていう最近出たばっかりの小説で、
もう一個が、あざぶ競馬場さんのこの部屋から東京タワーは永遠に見えないっていう、
どっちも群蔵劇の小説なんだけど、東京の陽と陰を描いてるなって私は思って、
やっぱ東京っていろんなものがね、詰まってる面白い街だなっていうのはずっと思うんだけど、
その明るい側面と、なんとも言えない暗い側面を、
どっちもこの2冊の小説で味わいたいなっていう、そういう話をできればと思っています。
スピーカー 1
楽しみですね、来週も。
リスナーからのお便り
スピーカー 1
はい、ここまででトークテーマは終了ですが、
キサクロではいつでもお便りを大募集しています。
トークのご感想や本にまつわるお悩みなどをぜひご投稿ください。
ポッドキャストやノートにお便り投稿フォームのリンクをご用意しておりますので、
そちらからご投稿いただけると嬉しいです。
今後もキッサクロスロードは、毎週月曜日夜21時よりゆるゆる営業していきます。
本日はお越しいただきありがとうございました。またお待ちしております。バイバイ。
バイバーイ。
34:32

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