1. あのさ、
  2. #17 ここはすべての夜明けまえ
2024-06-15 1:16:42

#17 ここはすべての夜明けまえ

⚠️今回は『ここはすべての夜明けまえ』の感想を語り合う会です。物語の根幹にかかわるネタバレをしているので、これから読もうと思っている人はぜひポッドキャストを聞く前に読んでください⚠️



『ここはすべての夜明けまえ』を語る会/本作がデビュー作/第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作/あらすじ紹介/読みにくかった!/ひらがな・漢字による感情表現/わたしたちの現実とリンク/SFって感じはなかった/「わたし」の感情の振れ幅/書かれている内容と「わたし」の感情表現のギャップ/すごいものを読んでしまったという読後感/いまさらの謝罪のむごさ/死ぬ権利の剥奪/人間なのか、機械なのか、人間に戻ったのか/父親・シンちゃんとの関係性/子どもから愛情の搾取をすること/気づいたときには遅いという苦しさ/他人を重ね合わせることの暴力性/「かわいい」のニュアンスの違い/相手を大切にするのではなく対価を求めた「愛でる」/外からの承認や愛情によってしか自分が生きてこれなかったということ/「わたし」が「わたし」であることってなんだろう/選択できる立場にいながらも搾取してしまった/向き合うことと見つめること/最初と最後で状況は変わらないけど方向性は違う/忘れないことでしか自分を許せない/幼少期の描写/愛されてきたという実感は何から生まれるんだろう/求めるものと求められることがマッチしていればそれでいいのか/期待像とズレたときに受け入れられない/人に期待せずに関わることは不可能では/期待しないことは悲しい/誰かを大切にするって字面より難しい/期待通りを期待することとの違い/自他の境界は大事だけど、境界とは?/境界線のズレがあることを前提に関わるってどうやったらできる?/勝手に思い込まないことが大事/安全な距離感/相手が話してもいいと思えるような聞き方をすることが難しい/聞くことには技術が必要/いかに傷を最小限にしながら聞く・聞かれる関係性を維持するか



紹介した作品📕


間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』(早川書房)



質問や感想はこちらへ。ありがとう、大切に読みます。

[収録日: 2024年4月13日]

00:09
こんにちは、りょうこです。
ぎほです。
ポッドキャスター、あのさは、日常の些細なことから、社会のこと、自分自身や人との関係性にまつわることなど、
結論も解決策もないけど、そんなグレーな話をそのままに語っていこう、という番組です。
はい。
はい。で、ちょっと、続いてるんだけど、
今回のテーマは、えっと、まみやかいさんという方の、
ここはすべての夜明けまえ、という作品を読んで、ちょっと感想を語り合いましょう、というやつなんだけど、
なんか、これがデビュー作らしいね。
そう、なんかあの、早川SFなんだっけ?
うん。
そうそうそう。
第11回早川SFコンテスト特別賞を受賞して、これ本作でデビューしたらしい。
すごい。なんかだから、全然インタビュー記事とかなくて、
なんか私もなんかいろいろ読んでみたいなと思ったんだけど、
これがデビュー作、プラスあんまりインタビューとか出てない感じだったから、すごい。
でもこれがデビュー作ってすごいと思って。
すごくない?
すごかった。
なんかすごいあちこちに積んであって、すごい人気なのは知ったんだけど、
なんか、すごい意外だった。なんかこれがすごい人気だっていうのが。
なんか結構、すごいユニークな作品だなっていうのがすごい思ったから、
なんかすごい、それぞれがすごい感じることがあったんだろうなっていうふうに思ったけど、
いまだに私の中ではどんなふうに解釈していいのかもわかって、
まだなんか自分の中で落とせてないんだけど。
そう、でもなんかめちゃくちゃ良かったから、
なんかもしこれから読もうって思ってる人は、
聞く前に、このポッドキャットを聞く前に読んでほしいし、
なんかたぶんめっちゃ私たちネタバレしながら話すから。
そうだよね、それ聞こうと思った。
なんか私たちこういう、なんだろう、一緒に読んで話す回みたいのはやったことないよね、たぶん。
ちゃんと。ちゃんとやったことはない気がする。
ちゃんとはないかな。
だからなんかどういう感じで話せばいいのか今日わかんなくて、
ネタバレしていいのかなとか、あらすじだけ読むのかなとか、
いろいろどんな感じでやるんだろうと思ってたんだけど、
でもなんかこれは重大なネタバレをせずに話すのが無理だから、
でもたぶん本当に物語の根幹というかに関わる部分をめっちゃバラしながら話すから、
03:05
これから読む人とかは聞く前に読んだほうがいいかなと思います。
はい、ということでネタバレしてます。
一応あらすじだけ軽く言うと、
その物語は2123年10月1日に九州の山奥の誰もいない場所で、
融合手術っていう、いわゆるだから細胞部下みたいなことだよね。
もうこれ以上手術を受けた時点でおいないし、
あらゆることは記憶じゃなくて、このメモリーに記録されるものっていう風に、
そういう風に体がなる融合手術っていうものを受けた私が主人公の物語で、
この私が家族が全員死んで一人きりになったところで、
これまでの自分と家族について振り返るための家族誌を書き始めるっていう物語です。
なんかどこから話したらいいかな?
難しいよね。まず第一印象、めっちゃ読みにくかったっていうのは。
でもなんか全体じゃないんだけど、
なんか私はこの物語って家族誌なんだけど、
この主人公の私が書くことよりもおしゃべりが好きな子で、
だからその、やっぱ喋ってる体なんだよね、書き言葉が。
あとひらがな。
そう、だから多分漢字を書くんじゃなくて、
喋ってるからひらがなみたいな感じで。
そうね、確かに。
で、そのひらがながこんなに連続してるとこんなに読みにくいんだっていうのをめっちゃ思った。
そう、めっちゃ読みにくくてどうしようかと思った。
なんか最初本当にマジで挫折するかと思ったもんね。
なんか最初の、しかも私はKindleで読んでたから、
最初に行間がなんかちょっとありすぎて、
なんかもうそれこそ小学生の教科書、小1の教科書みたいな感じ。
だけどひらがなめっちゃ多いみたいな感じで、
どうしようこれ読めるかな、全部こんな漢字なのかなと思って、
なんか読んでたのが最初。
だからなんか最初確かにめっちゃ読みにくかったけど、
なんか最後まで読んで、このひらがなと漢字の使い分けみたいなのが、
こういうふうに物語に生きてくるんだっていうのが、
このやっぱり実際に自分が家族誌を書いているっていう部分では、
ひらがなが対応されてるし、そうじゃない部分では、
普通にうちらが読み慣れてるような漢字がたくさん入った文章になってるし、
でもなんかひらがながさ、こんなに続いてて、
06:05
日本語って基本的にやっぱり漢字使うから、スペースがないじゃん。
その単語単語の。
だから単語を拾って読めるんだけど、
例えば何々では何とか何とかって言ったときに、
何々ではなのか、何々で、はから始まる単語が来るのかっていうのがわかんなくて、
同じ行を何回も読んで、なんだこれなんだこれと思って、
読み返すみたいなのがすごい多かった。
解読みたいな感じ。
苦闘典とかもあんまなくてさ、
ほんとこうやってひらがなっていうのがあったから、
何度も行ったり来たり、
自分の頭の中でそれこそ口に出して読むじゃないけど、
ここで切れてるのか、OKみたいな感じ。
結構あったね、特にひらがな全部のところ。
そうそう、でもひらがながいっぱいのところでも、
ちょっとメモしたとこなんだけど、
序盤の8ページのところ、
Kindleだとあれかな、ページ数がわかんないよね。
むずいんだよね、パーセンテージで書いてあるから、
ヨーカーとかによって書いてあるから。
主人公の私って、
食べるのも嫌だし、寝るのも嫌っていう人じゃん。
うんうん、そうね。
でもそんな私を、お父さんはすごい、
最後まで読むとすごい気持ち悪いと思うんだけど、
ある種、無条件に可愛がってる感じ?
で、それを見た、私は4人兄弟で、上に3人年の離れた兄と姉がいるんだけど、
兄から、兄弟はみんなお父さんを嫌ってて、
で、そのお父さんが無条件に可愛がる末っ子である私、
その2人の関係線を見たときに、
本当に気持ち悪い親子だなっていうふうに、
見つけた。
吐き捨てるところがあって、
ここは漢字がちゃんとしっかりあって、
この言葉の強烈さみたいなのが、
かえって他の文章がすごいひらがなが多い部分だから、
余計に際立ってる感じがして、
確かに。
そういう意味でも、ひらがなと漢字の使い分けがすごい上手いって言ったらあれだけど、
そういうふうに使い分けることで、
読んだときの印象が結構変わるなって思った。
雰囲気全然違うもんね。
全然違う。
そこに向かってだんだん漢字とかも増えてくんだけど、
09:00
漢字にしようと決めてるとこと、
漢字とひらがなの組み合わせとかも結構、
それによって雰囲気が全然違ったりして、
それだけですごい全然雰囲気とか、
あと読んでての感じ方、
もちろん同じ文章を例えば全部漢字で書いた場合と、
全部ひらがなで書いた場合と、
どこをひらがなにしてどこを漢字にするかっていう、
判断をどういうふうにやったんだろう?
全部がぴったりすぎるっていうか、
すごい上手くできて、
どうやってこれ決めたんだろうっていうの。
そうなんだよね。
感覚で書いたのかわかんないけど、すごって思った。
あと、たぶんこの物語の私と同世代だから、
やっぱり年代的にわかるもの。
将棋の話とかあったじゃん。
うん、将棋の話あったね。
将棋の騎士?
騎士の名前私あんまり知らなかったからあれなんだけど、
何年生まれだと何歳ぐらいに社会の状況としてこういうの流行ってたよね、
こういう人の人気あったよね、みたいなのがあるじゃん。
そういう意味でも、ちょっとわかるかもって思った部分とかがあって、
全部ではないんだけど、
ボカロ曲、話あったじゃん。
この私が好きだったオレンジスターさんの曲は、
タイトル、明日の夜空紹介班とデイブレイクフロントラインっていうのが私は好きだったんだけど、
この曲名は知らなかったけど、
明日の夜空紹介班はメロディー聞いたらめっちゃ聞き覚えあって、私はね。
とか、あとは同じ当時のボカロ曲で列挙されてたものとして、
砂の惑星っていう曲があるんだけど、
これ多分ね、米津さんなんよ。
あ、そうなの?
米津さんってもともとニコ動とかで8っていう名義でボカロ曲作ってた人だから、
っていう曲とか、
そういう意味でも、徹底としてはめっちゃSFの世界観なんだけど、
いい具合に現実の社会状況とかとリンクしてるところがあって、
12:03
それも読み、そういう意味では読みやすさがあったなって思った私は。
なんかすごいリアリティを感じた。
ほんとに自分の未来がこれかもみたいのが、
すごい近くて、なんかちょっとゾワゾワしたっていうか、
映画の話もあったよね、
2年前ぐらい、1年前、ザ・ホエールっていう映画?
どこだったっけ?
映画の話をしてたところがあって、
一番気になったのがザ・ホエールという映画では、
それは太りすぎて体を壊してもうすぐ死ぬ父親が、
昔捨てた娘との絆を取り戻そうとする物語らしくっていう。
これめっちゃ最近の話じゃんとか思って。
去年とか一昨年ぐらいの話。
なんかすごい今っていうか、
主人公にとっての人間として生きてた今っていうのが、
私たちの今と重なってて、
その未来なんだみたいなのがすごい、
ここ読んだ時にびっくりした。
すごい超超未来の話として読んでたから、
急に現実に引き戻された感があって、
おーって思ったとこすごい。
そこは私がおーって思ったとこ。
おーって思った。
音楽の部分と似てて、
映画でめっちゃおーって思った。
そうねー。
そういう面ではあんま最初みんなSFって言ってたけど、
SFのショーとかも撮って、
でもあんまりSFっていう感じはなかったかな。
確かに。
なんかそのサイエンスの部分がさ、
ガッツリっていうわけではなかったよね。
やっぱ体の融合手術っていう面では多少あるんだけど、
それ以外は逆にめちゃくちゃ日常って感じだった。
家族誌だから、
いろんな家族との関係性とか、
家族に対する感情みたいな部分がメインだったから、
だからすごい普通な感じで読めたのもすごい、
なんか感覚がちょっと不思議な感じになった、自分の中で。
なんかSF読んでるはずで、
なんか出てくる、ところどころに出てくる技術は、
今がなくてすごい未来にありそうなものだなっていうのは分かるんだけど、
その家族誌の流れ的に話してる内容、
内容っていうかそのテーマ的な部分では、
なんかすごいめっちゃ人間的なものの中に、
なんかそのSF的な部分がちょっと入ってきて、
そのテーマをさらに飛躍させるみたいなところがあったりもして、
15:01
なんかすごいバランス上手いみたいな、
なんか全てがすごいぴったりはまったパズルピースのようで、
すごい読んでて、
上手いなっていうのをひたすら思ってた。
最後まで読んで、
なんかその途中までっていうか、
なんかなんだろう、
その主人公の私のさ、
感情の触れ幅がその融合手術を受ける前から、
なんかこう目立った記述がないっていうか、
すごい強い好意もなければ、
すごい強い嫌悪もないみたいな感じで、
なんかその真ん中らへんをフヨフヨフヨフヨフヨこういる感じっていうか、
状況分析じゃないけど、
なんか自分の感情がこう思ってこう思ってっていうよりかは、
なんかもうちょっと淡々としてる感じがあって、
そう、でなんか、
だからなのか、なんかその、
なんだろう、家族との関係ってやっぱ最後までちゃんと読めば、
全然良くないじゃんか。
なんだけど、なんかその良くなさみたいなのが、
なんか絶妙にわかりにくい感じ?
なんだろう、途中まで。
なんかそうね、なんかすごいわかる。
でもなんかすごい、読んでて、
逆に私は、
気持ち悪くなったじゃないけど、
なんか書かれてる、主人公が語ってるその内容とかは、
え、やばくない?みたいな、
すごい酷い状態だよねっていうのがあるのに、
なんかその主人、
私の中ではなんか勝手に自分の中でこう、
あ、もう融合手術を受けてから書いてるから、
なんかその、何?その記憶、
なんか最初の方でさ、記憶を取り出すのと、
そうそう、思い出すんじゃなくて厳密には取り出してるだけだっていうね。
そう、だからなんかそこを読んでから、
それがすごい結構序盤にそれを言ってて、
でなんかそこから結構すごい中身っていうか、
家族心でお父さんとの関係とか、
あとなんかそのヘルパーさんとの関係とか、
いろいろ詳細を書いてたから、
なんか自分の中では、
ただその記憶を再生してる、
再生したものを眺めながら書いてるから、
こういう風なギャップっていうか、
それを見て書いてる自分、
それを実際に体験してた時は、
融合手術を受ける前か、
それかその融合手術を受けてすぐ後ぐらいの、
だからなんかまだちょっと人間的なところがある、
記憶を結構先に、
なんかもう割と機械に、機械化した自分が記憶を再生して、
18:04
語ることの変なギャップみたいなのが、
あるからなのかなと思ってたんだけど、
なんかそれが逆にこう際立ってきて、
読んでてちょっと気分が悪くなったっていうのは、
わざとなのかもしれないって思った。
なんか読んでて自分の中で、
うわーっていうのが強く出た。
確かにね。
なんか語り口調が淡々としてるからこそ、
逆に際立ってるっていうのはあるかもしれないね。
だからなんかそこはすごい、
うーっていう感じだったかな。
家族との関係、お兄さんとかとの関係もだし、
お姉さんたちとの関係もだけど、
うんうん。
なんかでも、
すごい家族との関係に書かれて、
家族誌だからだけど、
意外だった。
全然私あらすじとかも読まないで、
読んだから、
なんか全然思ってたのと結構違くて、
それが逆にびっくり、面白かったっていうのも。
ね、面白かった。
なんかすごいものを読んでしまったって感じだった。
読語感としては。
でもなんかその、
結構その兄弟関係っていうか、
上の兄弟たちはたぶんそんなでもないと思うんだけど、
私とその他兄弟の関係が、
すこぶる悪いっていうか、すごい嫌われてたじゃん。
うんうん、めっちゃ嫌われてた。
この私が生まれたことによって、
お母さんが亡くなってるから、
兄弟たちにとっては、
一番末の私が生まれてなかったら、
お母さんが生きてたっていう、
なんかそういう恨みみたいなのが、
結構あるんだろうなと思って書いてあって、
でもなんか、
兄弟関係は最終的にも全然回転はしないけど、
でもなんかその、
一番上の後お兄ちゃんっていう兄がいるじゃん。
で、なんかその兄も、
60歳ぐらいになったときに、
自殺措置みたいなのを受けたいって言って。
で、なんかその段階になって初めて、
やっぱり食べるのも、
眠るのもできなかった私が、
半ば無理やり融合手術っていうのを受けさせられて、
もう自主的に生きることをやめられない。
し、老いることもなくなった。
し、半永久的に生きてしまうっていう状態になったときになって、
で、自分がその、
21:01
お兄ちゃんは自殺措置を受けたいってなって、
なんか初めて、
なんか本当に気の毒だと思うみたいなセリフを吐いてて、
なんかでもこれもムゴイ話だなと思って、
本当だよね。
読んでた。
今かよみたいな、
一生生きなきゃいけないってなってから、
それ言われてもなみたいな。
辛かったね、あそこのところは。
私もちょっと引用すると、
生まれたくて生まれてきたわけじゃないだろうってところがすごい。
自分が死にたいと思うようになって、やっとわかった。
勝手に生まれさせられて、生涯を搾取されて、
本当に気の毒だと思う。
なんか謝って、
なんかその謝罪は誰に向けての謝罪なんだろうみたいな。
本当だよね。
自分だけ決断してさ、いけるわけじゃん。
そうそうそうそう。
もうなんか嫌だから、じゃあねみたいな。
で、お前は一生生きてろって言ってたっていう話じゃん。
その融合手術は死ぬ権利の剥奪だっていう風に言ってて、
なんかもう、生きることに私は割と無気力な感じ?
最初からね、そうだよね。
最初からそうだったけど、それを無理やり生きさせておいて、
死ぬっていうことも選べなくてっていう状態だし、
でもなんかもうこの時点で融合手術受けてるから、
その言葉をどう受け止めてるのかっていうのが、
なんていうか、受け止め方もさ、
なんか別にそれに対して、あ、そうですかみたいな感じだったよね、確か。
そうなんだよね。
なんか私も全然、自分の中で勝手に、
なんか融合手術受けたから機械化して、
なんかそういう風に自分の感情とか、
受け止め方みたいなものがあんまり人間的じゃなくなるのかな、
みたいなのを勝手に想像しながら読み進めてたけど、
最後の方でまたそれについて研究する部分があるじゃん。
自分がなんかもうちょっと、
そうなんだよね。
融合手術を受けたことによってそういう風になるっぽいんだよね、
みたいな自分で話すところがあって、
だからなんか今まではあんまりその自己認識みたいのがないまま、
なんかそれが普通だと思って、
なんか自分はまだ人間で、
そういう言葉を受け止め続けてたのかなって思うと、
なんかどの辺、人間なのか機械なのか、
なんかその記憶なのか、データなのか、
感情とかそういう思い出なのかっていう、
線引きみたいなのがすごいあやふやになってきて、
なんかどの辺からそういう機械的な状態になってて、
24:03
なんかどの辺がまだその人間的な状態なのか、
なんかそれが両方混ざってるのかっていうのがすごい分かんなくなった、
最後の方まで来て。
でも逆に途中まではやっぱその淡々としてるんだけど、
ほんと一番最後の?
そうだよね、最後の方がすごい。
最後にみんなその周りにいる当時のその人間たちが、
地球から脱出るっていう段階になって、
でも私は地球に残るっていう決断をして、
なんかその時に自分がやってしまったことを見つめないといけないっていう展開になって、
なんかそこですごい感情というか、
なんか自分がやってしまった罪の意識みたいなものが出て、
なんかすごい逆にそこだけくらい、
人間。
そうそう、すごい感情的になったなと思って。
なんか不思議だよね、
なんか逆、進み具合が逆だよねっていう、
なんか最初は人間で機械になったのに、
なんかその感情のその流れ的には、
なんか一番人間的なの最後だったみたいなところがすごいまた面白いなって、
なんかその夢を見るとこもあるじゃん、
自分ばっかり言ってるかもしれないんですけど、
またトムラさんに話すときは、
なんか自分が、
なんかそこから結構自分の後悔とか、
自分のそのなんかさっき言ってた罪の意識みたいなのについて話し始めて、
なんか最後の最後に、
なんか人間に戻ったのかなみたいなのはすごい感じたし、
なんか、
いやーなんかすごい、
すごかった最後、なんか。
ねー。
いやなんかそのさ、
やっぱ一番キーっていうか、
なんか兄弟関係とかもあるんだけど、
たぶん一番でかかったのが父親との関係と、
あとは実の老いっ子なんだけど、
恋人として過ごしたっていう、
しんちゃんっていう子?
そう、なんかその関係性が、
たぶん一番こうメインというか、
大きかったなと思って、
なんか一番最初にそのしんちゃん誰だよみたいな状態のときから、
実は自分の実の老いっ子で、
本当の名前は新田っていう、
新しいって書いて新田って読むけど、
なんか自分だけしんちゃんっていう風には特別な名前で読んでいたっていう。
なんかそれも後悔の一つっていうかね。
そうなんだよね。
なんかしんちゃんじゃなくて新田さんという風に。
27:00
読んでいればよかった。
自分が勝手にそういう風な特別扱いをして、
言い続けたことによってっていう。
そう、私なんかその幼いしんちゃんから、
なんか好きだって言って告白されて、
なんかそのときにきちんと断るというか、
自分にとってはしんちゃんが大人になったところで、
大人になった人として見ることはできないからっていうのを、
きちんと説明しなければいけなかったっていう風に。
やっぱそれも後悔の一つとしてあって、
なんか一番私がうわって思ったのが、
自分が父親から愛情の搾取。
お父さんのこと好きだよね、好きだよねって言って、
子供から親に対する愛情みたいなのを搾取されてきたっていうことだったのに、
それを全く同じ仕方で、しかもそれよりも巧妙な仕方で、
親子であるしんちゃんから愛情を搾取し続けてしまったっていうのが、
なんかめちゃめちゃうわーって思ったんだよね。
そこは苦しかったね。
ね、そう。
あーってなった。
確かにそうなんだけど、
でもなんかそのサイクルだよね。
父親自身も多分そういう風に、
多分どっかであったけど、
他人からちゃんと愛されてみたかったから、
大切にされるってどんなのだろうってずっとずっと思っていたからってあったけど、
多分そういう風に父親自身も思ってて、
愛情っていうものが自分の中に不足していて、
それを自分の娘から、そこにちょうどいたからって言われてたし、
そういうところを搾取して、
結局そういう風にされた側からしたらさ、
それってなんて言うんだろう、
ちゃんとした愛情ではないじゃん。
結局自分を満たすためだけの愛情を自分から取られて、
結局自分もちゃんとした愛情というか、
人から愛されるということを、
大切にされるということをされなかったから、
やっぱりそれを同じことをさ、
自分の中でも不足しているものを、
今度は次のしんちゃんにしてしまったっていうその後悔。
それに気づくんだけど、
もう遅いっていうところがすごい苦しかった。
一番最後にみんながいなくなった後にそれに気づいて、
どうしようもないんだけど、
それと向き合うしかないっていうところが。
そうなんだよね。
30:00
結局お父さんも妻が亡くなってるわけじゃん。
妻にそっくりなんだよね、私が。
だからやっぱり重ね合わせてみてて、
親子っていうそういう感じの関係性ではない、
そういう意味での虐待があったっていうことなんだけど、
妻にする、妻にするのもどうかと思うけど、
妻にするであろう、
そういう愛を求めるみたいな感じを、
全く同じように自分の子供に対してしていて、
なんだろう、そのいびつさみたいな。
私は結構最後まで読んで、
そのいびつさがめっちゃ際立った感じがして、
特に自分の子供を可愛い可愛いって思うのは、
あると思うんだけど、もちろん親子の関係においてね。
だけど、その可愛いのニュアンスが違うっていうか、
多分違うよね。
そうなんだよね。
可愛いっていうか、
めでるためのものみたいなものとしてのニュアンスがすごい強くて、
自分がめでてる対象から、
自分が求めるだけの愛情みたいなのを示されることで、
自分が満たされるみたいな。
相手を大切にするとかではなくて、
自分がこういう形のものが欲しいからめでるみたいな。
順序が逆になってる感じがあって、
そういう意味でもすごいいびつだったし、
結構そのあたりは、
一応私が恋人として認知をしていたお一子のしんちゃん。
私はもう融合手術を受けてるから、
手術を受けた25歳よりは歳をとらないんだけど、
一緒にいるしんちゃんはどんどん歳をとる。
だからだんだんと、
しんちゃんの年齢が上になればなるほど、
もし子供がいたらこのぐらいの年齢であろう、
みたいなそういう年齢差がついてきた時点で、
そのしんちゃんも、
それまでは例えばいわゆる恋人的な関係として、
私をこう見ていたとしても、
そうじゃなくて、
それもやっぱりしんちゃんもしんちゃんで、
めでるために、
かわいいかわいいっていう風に言うようになったっていうのが、
なんかうわーっと思って。
まったく同じ道をたどったよね、
その父親との関係って。
そうなの。
そうそうそうそう。
だからなんか、
2週ぐらい同じことを経験しないといけなくて、
そこもすごい苦しかった、読んでて。
33:02
ねー。
なんかでも結局さ、
それって、
主人公が多分最後に気づくところで、
私を私とちゃんと友達になるところからで、
っていうので終わるけど、
結局その他者とか外側に愛情とか、
そういうものを求め続けたことにもよって、
もうなんか自分が自分で、
物理的に自分が自分でなくなってしまって、
同時に常に外からの承認とか、
外から何か与えられるかわいいっていう言葉だったりとか、
愛情みたいなものしか、
自分として生きさせてくれるものがなかったみたいな感じ。
そういう生き方をずっとしてきて、
でもやっぱりそういうものが全てなくなって、
最後の最後に、
やっぱり私は、
私自身が自分をちゃんと生きさせていかなければいけないんだ、
みたいなのに気づくっていうのが、
すごい自分の中では大きな転換っていうか、
やっと最後に、
めっちゃ最後だけど、
そこにたどり着けたんだっていうところは、
少し救いだったかなっていうのはあるけど、
そこに行くまでの道のり、
99%くらいめっちゃ苦しかったみたいなのがあって、
最後の本当に、
最後の本当数ページだよね、
多分本で言ったらもう数ページくらいの、
誰だっけ、トムラさんだっけ?
残ってる地球人との会話で、
ちょっと浮かんでくるそういう言葉が、
すごい自分の中では印象的で、
結局私が私であることってなんだろうみたいな問いを、
読み終わった後に書いてて、
もちろん周りで怒ったりとか、
怒りうる悲しみとか苦しみみたいな、
自分のコントロール外にあるものっていうのは、
すごいたくさんあるんだけど、
その中でも、私が私であり続けるために、
どういうものを守っていけばいいんだろうとか、
どういうものを自分として、
こういうふうに保ち続ければいいんだろうみたいなのを、
考え続けることもすごい大事だなっていうふうに思ったし、
でもそこはなかなか、
主人公自身も最初の部分で、
すごい生きる気力がないみたいな人がいたじゃん。
だからそういう状態から、
周りにそういう環境だったりとか、
そういう人がいたりすると、
すごい自分として生きるって、
すごい難しいだろうなって思った。
この弱ってる自分に突き込むじゃないけどさ、
そういうのを見て、結局お父さんは、
自分の亡き妻に出るし、
都合がいいじゃないけど、みたいな感じで結局、
そういう関係を持ち続けてしまい、
36:00
主人公自身も抜けるに抜けられないっていうかさ、
それが自分を生き続けさせてる愛情、
歪んだ愛情じゃないけど、
そういう可愛いっていう言葉だったり、
そういうお世話してもらうとか、
そういう情というか関係だったり、
っていうのがすごいあったから、
最後には気づけたけど、
そこにたどり着くまでめっちゃ苦しかったなっていうのが、
すごい自分の中で、
そうだね。
私なんかやっぱり、
私にとって、
他の親とか、兄弟とか、
人に対しては、
人に対しては、
後悔とかっていうのはないんだけど、
やっぱりしんちゃんだけ、
ものすごい後悔があるんだなっていうのが、
最後の方とか読み返してて思った。
それってなんでかな。
自分で選択できたのにしなかったからっていうことだよね。
そう思った私は。
本当は自分はそうしない道があったはずなのに、
結局搾取する側になってしまった。
後半で子供から愛情を搾取するなど、
一生一生一生やってはいけなかった。
このことはお父さんからされたことを通じてよくわかっていました。
でも私はしんちゃんに同じことをしてしまいました。
そしてより巧妙で悪質なのは私の方でした。
っていう告白があり、
その後に、
この融合手術をしたせいで、
自分はいろんな人間としての機能、
体温とか血を流すとか涙を流すとか、
そういう機能がなくなったのと、
同じように、
思慮深さとか、
大人としての自分みたいな、
そういうものも消えちゃったんだろうかとか、
消えちゃったのに、
他人からちゃんと愛されてみたかったっていうのは、
どうして消えてくれなかったんだろうかっていう風なことがあって、
こういうことをしてしまった自分は結局、
融合手術を受けたせいなのかと思ったけど、
多分私はもともとこういう人間でしたっていう風に言ってて、
私は長い間、私も含めてみんな死ねばいいのにと思っていました。
お父さんも、小兄ちゃんも、まり姉ちゃんも、さや姉ちゃんも。
だから一人ずつ死んでいった時もやっと死んだなと思うだけ、
悲しさとか辛さとか何も感じませんでしたっていうのがあって、
39:03
やっぱり前半部分で淡々と語ってた部分も、
本当はすごい強い感情があったんだろうなっていうのが、
なんとなくこの辺から推測できて、
でもしんちゃんが死んだ時だけは、
私は今まで経験したことのない感情になりました。
でも別に涙が流れるとかもなく、脳だけがパシパシしている感じですっていう風に言ってて、
やっぱりしんちゃんだけが特別っていうか、
自分がやってはいけないことをやってしまったっていう後悔がすごいあるんだなと思って、
この辺り読んで一緒に話したいなと思ったのが、
とむらさんに今までの家族誌とかを全部話して、
書いたものも読んでもらって、
結局その記憶を全部消去すれば、
そういう風につらい思いをしなくなるからどうですかっていう風に提案されて、
ちょっと考えて、
でも結局消さないことを選んだ。
それは向き合いたいではなくて、
今まで自分がやってきたこととかやってしまったことの全てを見つめたいと思ってますって言ってて、
私の中では向き合うと見つめるは若干違うっていう風に。
私は多分もう向き合ってどうとかはそういうのはできないっていうのも、
実はこの間夢を見て私がどうしたらよかったのかちゃんとわかったからですっていう風に話してて、
自分を許さないことでしか本当の意味で自分を許せないんですっていう風に言ってたのを私で印象に残った。
そうだね、確かに。
結局消すってさ、自分を許す許さないのところから完全に逃げることになるわけじゃん。
もう記憶自体ないわけだから、許す許さないとか考えなくていいし、
楽になるっちゃ楽になるんだけど、自分はそれをやってはいけないんだっていう風に言ってる。
自分を許さないことでしか自分を許せないっていう風な文章っていうか、
それって見つめるってことね。
この世で私だけは私がやったことをきちんと見つめなければいけないと思うんです。
42:04
もしも記憶を消して何もかも忘れて幸せになろうとしたなら、私はいよいよ自分を嫌いになるでしょう。
で、私はこれ以上自分を嫌いにはなりたくないんですっていう風に言ってたよね。
最初から本当に自分のことが嫌だったんだろうね。
消えたいみたいな、食べたくない、生きる気力がないっていうのは、
もう心底自分の存在自体が、なんで自分存在してるんだろうみたいなのがすごい根底にあって、
それをずっと抱えたまま来て、
それこそ今すごい後悔してしまうようなすごいこともあり、
これ以上のこういうことを選択してしまったら、
私は本当に一生、嫌い以上のそれ以上を表現できないぐらいに自分の存在を受け入れることができないだろうから、
やっぱり今ここで踏ん張らなきゃみたいなのが最後にまた戻ってきて、
最初の主人公とすごいだいぶ、同じような状態なんだけど、違う方向に向かう。
最初はもう死にたい、いなくなりたいだったけど、最後は最後で、
ここに残り続けて、ちゃんとこの記憶を持ち続けて、これを見つめ続けようっていうふうな覚悟みたいなのに転換されてるところが、
すごい最初の部分からすごい長い道のりをたどって、ここまでやってきたなっていうのは感じたかな。
たぶん本当に、あの時合わすべきじゃなかったし、この時のこの選択はこっちじゃなくて、こうすべきだったみたいなのはもう全部わかってて、
その上で、もうその後悔とともに生きるのもしんどいけど、
でも、それを忘れないっていうことでしか、残りのたぶん体が動かなくなってきてるから、
残りの最後の時間を過ごすことも、自分に対して許せないっていうのが、すごい終わり方というか、結末の持っていき方だったなと思って。
なんかすごい、読んでて、なんか読んでる間はその中身とか結構淡々と語られてるから、
まあそれこそ家族誌を読んでますみたいな感じなんだけど、最後の友良さんに出会ってからの語りのところが、
今まで読んできた部分をめっちゃ凝縮して、ものすごいその数ページの間にいろんな感情が詰まってるみたいなのが、
45:09
最初読んでる間はそこまで、まあ普通に淡々と説明文は関係性とか読んでひどいなとか気持ち悪いなみたいなのすごい思ったけど、
その最後のさ、何ページかのインパクトが強すぎて、
そうだよね。
やばみたいな、ちょっと心臓がみたいな、
すごかった最後。
なんかそんな風に来ると思ってなかったからさ、最後の方。
なんか普通に最後の方は朝ご飯食べながら読んでて、うわこれ、
朝ご飯で読む内容じゃないよね。
朝からインパクトがちょっとっていう風な、すごい衝撃を受けたというか、
なんかこれ考えなきゃいろいろ思うことがありすぎて、
今頭がパンクじそうみたいなのを朝から朝ご飯食べながら思ってた感じなんだけど。
いやでもなんかさっきもむーちゃん言ってたけど、
なんかその愛されるみたいなものを、感情を、というか欲望を、
自分以外の別の人間に向けた瞬間に、すごい暴力に転じやすいみたいなのは、
なんか思ったっていうか。
結局そういうのが作主とかになっちゃうわけだから、
なんでこうしてくれないの?みたいな、
結局それって常に外に求めてるから、
自分がその相手に対しての期待なり見返りみたいなものが常にあるわけじゃん。
私はこうしてあげてるのになんでこうしてくれないの?みたいな、
それに対しての不満だったりとか、
それが満たされないっていうことをきっかけに暴力になったり、
作主になってしまったりっていう関係性みたいなのもすごいあるし、
なんかでも最初、すごいわかんないってわけではないけど、
最初の部分、結構さもう始まったところで、
物語が始まった時点で、自分としての生きるあんま気力がなかったみたいな。
そもそもなんでそういうふうになったのかみたいのは、
すごいあんま語られてないじゃん。
そこから先じゃん。
だからそこに至るまでの、
なんかそれって母親が亡くなり、
常に兄弟から自分のせいで母親が亡くなったとか、
責められたからなのかとか、
そういうどういうふうな経緯を通って、
もう私は生きたくないみたいな状態になったのかみたいなのは、
もうちょっと知りたかったなって思った。
なんでそんなに自分のことが嫌いっていうか、
本当にもう本当に消えたいみたいな思いがあるのかみたいな。
結局その父親がそういう弱ってる主人公を見て、
48:04
ああじゃあ面倒見たげー、お金もこんなにあるし、
あなたは働かなくていいし、みたいなふうな関係になっていくわけじゃん。
その時点でもう弱ってる主人公はもちろんなんだけど、
なんでそうなったのかなっていうのはすごい思ったし、
人間がやっぱりそういう状況になった時って、
そういう作手とか、そういう関係みたいなものに取られやすい、
ハマってしまいやすい。
そこにハマってしまったら今度逃げる、
逃げるっていうか抜け出す術があんまりなかったりとかもするから、
そういうふうな面からもどういうふうにそこに至ったのかみたいなのは、
またそういう視点がもうちょっとあったら面白かったな。
あんま幼い頃の話とかも出てこないよね。
そうだよね。
結構先で起点にっていうか。
一番最初の方に、
食べるのも嫌、寝るのも嫌みたいなのは、
赤ちゃんとかはやるけど、
大きくなるにつれていろんなもの食べれるようになったり、
長い時間眠れるようになって、
それが少しずつ人間になっていくっていうことだっていうふうに書いてあるんだけど、
でもそう考えると私はどこかで人間になり損ねたのか、
食べることも眠ることもずっと嫌いでしたっていうふうに。
ずっと嫌いだったんだ。
だからずっとっていうのはどこからずっとっていう。
確かに。
どの辺から自我が出てきてずっとなんだろうみたいな。
うんうんうん。
っていうのを思ったね。
確かになんでこんなに嫌だったんだろうって思って。
書いてあったよね。
でも10歳とかその辺からそうって書いてある。
でも変な夢ばかり見て帰ってくったりして、
日の夜逆転、
家にはお父さんしかいないって。
でも10歳とか言ったらもう自我芽生えて、
数年経つもんね。
そうだよね。
だから結構もうずっとなのかな。
なんかその辺についてはあんまり書いてなかったけど、
でもなんかその最後に私も含めて全員死ねばいいって思ってたっていうふうに言うあたりから、
なんかもうやっぱりその家、家庭環境というか、
その兄弟全員から疎まれてて、
逆になんかその父親からはなんかこう囲われてる。
ある意味父親からも逃れられないみたいな状況にいるっていうこととかが、
関係はしてるんだろうなとは思うんだけど。
なんかでもそれこそ搾取だよね。
なんかその頃から結局そうだったんだよね。
だってさ、10歳の子供でそんな風になっちゃったら、
51:01
なんかお金とかもないし、行ける場所もないし、
頼る人もいないし、それこそ家族ぐらいしかいなくて、自分の周りには。
しかもなんか山奥かなといったかじゃん。
それもあって、やっぱ周りに人がいない。
学校とかも行ってないから友達とかもいないし、
なんかそういうすごいめちゃくちゃ孤独な状態にあって、
プラス弱ってるときに面倒見てくれる人みたいな感じになっちゃうよね。
兄弟もみんな家出てるし、結局兄弟からもみんな嫌われてるし、
めちゃくちゃ孤独だったんだろうなっていうのがすごい伝わってくるし。
誰かを大切にするとか、自分は愛されてきたっていう実感とかって、
何から生まれるんだろうとかっていうのをひるがえて考えて、
お父さん視点というか、お父さんは一人称になって書くことはないから、
私視点で全部語られてるんだけど、最後まで読んで、途中からもそうなんだけど、
やっぱりどう考えても虐待?
物理的暴力を振るうっていう形の虐待ではないんだけど、
でもされてきたことは虐待であって、
でも、もしかしたらお父さんにとっては、それが自分にとっての愛情であるっていうふうに言い張るかもしれないし、
自分は確かにこの子供を大切に育ててきたんだみたいなふうに思う瞬間があったかもしれない。
と思うと、誰か別の人間を大切にするとか、大切に思うっていうことと、
大切にしてるっていうつもりなんだけど、やってることとしてはすごく相手を傷つけてるっていうことってめちゃくちゃあるから、
それってどういうラインなんだろうっていうのをめっちゃ考えさせられたし、
自分が愛されてきたって、この私は愛されたっていう実感がないから、
愛されるってどういうことなんだろうっていうのを思ってきたけど、
そもそも愛されるっていうこと、その実感っていうのがどこから生まれるのかっていうのも、
なんかすごい難しい話だなと思った。
めっちゃ主観的じゃん、そんなのって。
それこそりょうちゃんちゃんみたいに、本人が愛されてるって思ってたら、
それがその人にとっての愛情の形であり、
それって多分人それぞれ違うから、与える側も勝手に何か自分の中の愛情とか大切にするっていうイメージがあり、
受け取る側もやっぱりその自分の中でのイメージみたいなものがあって、
54:03
でもそれはどこでいつ作られるのだろうかっていう意味だよね。
あんまり考えたことないかな。
なんかめっちゃでも考えさせられるよね。
そしたらそもそも主人公自身も、
愛情とか大切されるっていうのは、
自分なりの答えがあって、与えられたものがそれじゃなかったっていうだけじゃん。
だから父親側からしたら大切にしてたっていうわけじゃん。
だからそれって、そしたらなんかその、
それがマッチしてるかどうかみたいな話でいいわけっていう風になっちゃうじゃん。
でもなんかそんな風にしたら、
やっぱりみんな、え、じゃあ自分の愛情の形だからいいじゃんって思っちゃうのも、
なんか違うなっていう風に思うし。
なんかそのさ、お父さんの方は、
多分、何だろう、言葉としてそうは言ってはいないんだけど、
多分、こうあってほしいぞっていうのは絶対あるじゃん。
お母さんを重ねてる時点で。
そうだね、確かに、さらにね。
だからなんかその融合手術を受けて、
体温がなくなって冷たくなった自分を、
父親は受け入れられなかったじゃん。
だからその時点で、自分が愛するとか大切にするべき対象としての理想像みたいなのは、
とか期待っていうのはあるじゃん。
こういう相手だから、自分は自分なりの仕方で大切にする。
だけど、その期待とずれた時に受け入れられないみたいなのがあって、
そこが多分ずれ、生じてる気がして。
でも、そこで期待をするからダメなんだっていうのも、
言葉としてはそうかもしれないんだけど、
でも対人環境において全く期待をせずに相手と関わるっていうのも、
それはそれで不可能な話だよなと思って。
少なからぬ、例えば自分がしたことに対して、
別にこう思ってほしいとか、こう思わないからダメなんだっていう風には思わないけど、
全く自分が思ってもみなかった反応されると、
なんでこんな反応するんだろうっていう風に思っちゃう自分もやっぱりいるから、
そういう意味では相手に期待せずに相手と関わり続けるっていうのも無理。
だけど、その期待っていうのがどこまでいくと、
それが相手に対する暴力になるのかっていう、
ただ単に反応違ったって済まないラインみたいなのも多分あって、
57:04
そこが難しいなっていうのが思った考えでて。
そうだね。
でも期待しないっていうのも悲しいじゃん。
期待するっていうのはある程度その人とか相手を気にかけてとか、
相手をある程度信頼してのところから来てるのもあるから、
全くそれしないで生きてまーすみたいなのもちょっと悲しい感じするし、
でも期待の中にも期待をしたことによって生じる差みたいな、
出てきたその答えと期待との差にどう反応するかみたいなところが一番大きい、
人との関係性で保ち続けられる感みたいなのがすごく大きい気がして、
さっき洋子ちゃん言ってた米津さんの曲で、
今の自分と明日の自分が同じ曲聴いても違う意味で解釈ができるみたいな話をしてたけど、
そういう風な感じで、
その人が例えば自分の中で勝手に期待してたその人のバージョンAがあったとして、
バージョンAと自分の期待が一致するときはそれでいいんだけど、
次の日にその人がバージョンBになったとして、
自分が同じ期待図を持ってたらやっぱり結構違うじゃん、そのAとBとの差が。
でもその時もやっぱりその人自身が、
何て言うんだろうね、
周りとかこういうこと知ってるからとか、
そういうものもあって話があったりとか、
面白い関係性があったりもするかもしれないけど、
それ以上の何かでつながってるみたいなところがないと、
関係をやっぱり保ち続けるのって難しいし、
期待のずれみたいなのに対応できないみたいなのがあるのかなと思って。
でもそのレベルの関係性みたいなのが、
どこでどういう風に構築されるのかっていうのは、
自分の中でもあんまりピンポイントで思い浮かばなくて、
結構変わっていく関係性ってすごいたくさんあると思ってて、
でもそれが変わっていく関係性によって、
やっぱり期待してたものと違った答えが返ってきたりとか、
反応が返ってきたりっていうのもあるけど、
でもそれでもやっぱりこの人との話を聞き続けたいとか、
話してみたいとか、もっと知りたいとか、
じゃあなんでそういう答えが返ってきたのかとかを知りたい。
相手にそれに対してちゃんと答えを返そうとしてくれるみたいな、
1:00:01
そういう風な関係性、お互いにそういう風な努力っていうかさ、
そういうアプローチをし続けられないと、
多分片っぽの期待が、
じゃあこれでその期待に沿わなかったとか、
合わなかった、ギャップが大きすぎましたで壊れちゃうっていうか、
それこそ暴力に向かってしまったりとか、
その関係が対等ではなくなるみたいなところが出てくるのかなって思って、
でもなんかそういう関係性を築くのって難しいなって。
難しいよね。
誰かを大切にするとか、大切にされたいと思うこととか、
そういう自面としてはすごく単純なんだけど、
そこの現実ってすごい難しいなって思うし、
多分期待することと期待どおりを期待することで、
ずれもあるのかなっていう風に思って聞きながら。
この作中の中で言ったら、
お父さんとかはめちゃくちゃ期待どおりを期待してる感じ?
そうだね。
だからそこからずれたときに、なんでってなるし、
それを需要できないってなる。
期待というせいでしたよね。
そうそうそう。
だけどなんか多分誰もが誰かに対して期待しないっていうのは無理だし、
それも寂しいことだし。
だから期待はするんだけど、
別に自分が期待したとおりになることを期待してるわけではないっていうずれもあるのかなって思った。
確かに。
結局そこにギャップとか不満が生まれるのって、
期待どおりにならなかったことへの不満じゃないけど、
なんでこうならなかったんだみたいな。
怒りなのかなんかわかんないけど、
でも最初期待はしてもいいけど、期待はただじゃん。
こっち側からする分には。
相手も別にわからなくていいわけだし、
自分が勝手に期待してますみたいな感じで終わるんだったらいいんだけど、
そうだね。
りょうちゃんとみたいに期待どおりにならなかったときの怒りじゃないけど、
そういう何かが結局なんでこうしてくれなかったんだみたいなのが相手に向かうときにやっぱり壊れるよね。
関係性とか、暴力に向かってしまったりとか。
でもめっちゃ難しいね。
なんか哲学対話みたいになってるよね。
1:03:04
でも、さっきのすごい問いを愛情とか大切にするみたいなもの、
めっちゃ主観的だよねみたいなのは、
言われてみて、確かにって思ったし、
私たちすごいお父さんのこと、俺はクソ言ってるけどこの物語の中で、
でもたぶんそれぞれがそういう風な理想的な大切とか愛情みたいなものを少なからず持っていて、
でもやっぱりそれを自分で認識したりとか、
あと話したりとか考えたりすることって日常的にないし、
勝手に自動運転じゃないけど自分の中で、
こういう愛情はこんなもんだろうとか、大切にするってこんなことだろうみたいなのを勝手に自分の中で思い、
そういうものを他者に与えて生きてるんだろうなと思うと、
なんかちょっと怖くなるよね。
そうだよね。
もしかしたら相手が思ってるようなものじゃないかもしれないし、
それが暴力になってるのかもしれないっていうのを思ったりもしてしまって、
なんかすごい難しいし、
そういう会話とかテーマについて話すのって普段ないじゃん、そんなこと。
ない。
自分自身についても考えないわけだから、
それについて誰かにそういうことを聞いたりとかするのっていうこともないし、
どういう時にこういう話するんだろうとか、
じゃあってことはみんなそういう主観的な愛情とか大切にするみたいなものを押し付け合いながら生きてるのかなみたいな風に思って。
でもなんかその期待通りじゃないものが返ってきた時に、
なんかそれが受け入れられるかどうかもさ、
なんかやっぱり距離感の問題な気もしてて、
自分ではない人間が相手であるっていうこととか、
きちんとその自他の境界があるじゃないけど、
っていうのがなんかやっぱ大事なのかなとか思ったりするんだけど、
ただ一方でなんかその距離感とはみたいな、
自分が、もちろんその相手は自分とは違うと認識しているんだけど、
違うって認識することがどういうことなのかっていうのを考えると、またそれも難しいなっていうのをすごい思って。
画期的なシーンがあればいいのに、ここでエースみたいな。
ここから先、私でエースみたいな。
しかもなんかそのさ、この境界線の引き方みたいなのもさ、人によって違うじゃん。
1:06:00
そうなんだよね。
実はこのめちゃめちゃスレスレのところに引かれてるんだけど、
でも引かれてるし、その方が心地いいよって感じる人もいれば、
半径1メートルぐらい離れてないと境界線引いたことになりませんっていう人もいるから、
なんかそこはもう絶対ズレがある。
で、なんかそのズレがあった上で、
なんかその境界線を保つとか、
シーンと適切な距離をとって相手と関わるみたいなことが、
どうやったらできるっていうのが、
すごい考え始めると難しいんだけどっていうのを思ったりした。
なんか勝手に、なんか思い込まないのが多分一番大事だよねって思った。
すごい、さっきりょうちゃん出たけど、
結構みんなさ、この相手はこういう人だからみたいなのを勝手に自分の中でイメージ、
その人のイメージみたいなのに何なりを作って、
その人と関係してるかもしれないんだけど、
なんかそういう思い込みって結構危ないなと思ってて、
なんかその思い込みによって、
この人の多分自分の中で勝手にそういう距離感みたいなのも計算してるんだろうけど、
それがもしその思い込みがめっちゃ間違ってたら、
多分その人の距離感とか、
自分が勝手に抱いてるイメージみたいなものと、
その本人自体のギャップがありすぎて、
もしかしたら本人にとっては自分のその、
私がその相手にとって持ってるイメージと、
相手が自分と思っているそのギャップの差に苦しんでるかもしれないっていうのは、
すごい考えてしまうし、
なんかだからやっぱり、聞くこととか、
どうやったらうまくその相手が自分自身のことについて、
うまくちゃんと話せるとか、語れる。
もちろんみんながみんなそういうふうにうまく自分のことについて話せたりするわけではないけど、
そういうふうな安全な距離感とか、
安全な場みたいなのをどうやったら作れるかなみたいなのはすごい思うし、
なんか私はりょうちゃんと話してて、
すごいその距離感があると思ってて、
その安全な距離感とか、
安全な場所みたいなのはすごい感じるのね、話してて。
で、やっぱりそういう場所を一度こう経験すると、
なんかそうじゃないところに行った時のダメージとか、
なんかそのすくすく入ってくる感じが、
うっきつ!みたいなのがあって、
でもだから逆にでもそういう場所を一回体験す、
みんなが誰ね、多くの人が体験できれば、
なんかそういう場所とそうじゃない場所の差をこう感じることができ、
1:09:00
なんかもうちょっとそういうふうな相手に対しての配慮みたいなのもできてくるのかなと思ったりもするんだけど、
なんかそういうのってでもなかなか難しくて、
特に社会的にはめっちゃそういう場所少ないみたいなのがあるよね。
ある。
ねー、だからなんか難しいなと思った。
ねー、なんかその話すのもさ難しいけど、
たぶん聞く方というか、相手が話してもいいと思えるような聞き方をすることの方が難しいなっていうのを近年思っていて、
なんか聞くって受動的な言葉ように一見思えるけど、
結構技術が必要というか、その聞き方一つで相手が話せること話せないことってどんどん決まってっちゃうから、
そうだねー、どうしたら話せるのかな、
なんかどういうふうな構え方をされたら自分は話せるんだろうっていうのを思うけど、
でもやっぱりそれも人それぞれだからめっちゃ難しい。
そうなんだよねー、だからそういう意味で完全に誰かを傷つけないとか、自分も傷つかないとかっていうのができないんだけど、
でもいかにその傷を最小限に抑えながら、お互いに聞かれる話すとか語られるみたいな関係性を維持しながら、
その可変的な関係性を受容しながらずっと一緒にいられるのかみたいなのを考える必要があるんだろうなと思うけど、
難しいって思う、いつも。
ねー、難しいよね。
なんかこの本もさ、トムラさんと主人公との会話がすごい、
トムラさん側はすごい発達した人類で、全て論理的に処理する、
AIと融合してるんだっけ?
そうそうそうそう。
なんかすごい論理的に、情報的にこういう会話とかも処理して、すごいロジカルな形で会話を収めていくんだけど、
なんかそれがなんかでも違和感がなくて、相手をジャッジしてるわけではないんだけど、
自分たちは自分たちのこれが一番効率的で、いろいろAIのプロセスを通って適切とされた答えみたいなのが返ってくるんだけど、
そこにその相手に対してのこうであるべきみたいなのはなかったりして、
だから多分その主人公側も話してて、
この人なら話せるみたいなのをすごい言ってたじゃん。
相手ができたっていうのもあったけど、その人にずっと話してたからね。
1:12:00
相手ができて嬉しいっていうのもあるけど、
このトムラさんになら話せるみたいなのを言ってたっていうか、
そういうの読んでても、
ある程度多分自分の思ったこととか意見を、
ただうんうんそうだねって聞くんじゃなくて、
相手に対してジャッジをしてるわけではないけども、
自分のこういう意見だったりとか思ったことっていうのはやっぱりある程度ちゃんと表明っていうか、
相手が傷つかないような形をちゃんと意識しながら言うことは結構大事だと思ってて、
ああそうだね、うんうんいいねみたいな感じの、
ただのうなずきとか、
共感を示すだけの会話だと、
会話だとやっぱり相手側もまずこの話聞かれてるのかもわからないし、
何かが返ってくるってやっぱり自分の話を聞いて何か考えてくれたとか、
あと何かを思ってくれたからこういうふうな、
相手が思ったことみたいなのが返ってくるっていうのもあるから、
そのバランスみたいなのもすごい大事だなって思って、
さっきリオちゃんとみたいに聞くってめっちゃ難しい、
ただそこに使っていればいいんじゃないんだみたいな感じ。
そうなんだよね。
何かその、聞いてるんだけど、
何か相手がこの人は聞いてくれてるなって、
判断できるかどうかっていうのも結構大事な気がして、
でももちろんそれこそ気のない返事されたら、
聞いてないからもう手短に済まそうみたいになるし、
そうだよね。
なんか逆にすごい聞き上手な人とかだと、
何か自分が話してて、
何かこんなことまで言うつもりなかったのにポロッと出ちゃったとか、
何か自分でもそんなこと、そんな真剣に考えたことなかったけど、
何か相手が聞いてくれたり、それに対する応答してくれるから、
何か自分がまた、何か自分も知らなかったようなことを口走ってたみたいなこととかあるし、
そうだね。
確かに。
なんか、
いいよ。
いやいや、どうぞどうぞ。
あ、もう言うこと忘れた。
いや、なんか、
結構なんか最近ポツポツだけど、
聞くっていうことに対する本とか出てる気もしてて、
そうだね。
特にやっぱりカウンセリングとか、
そういう分野、心理学とか精神医学とか、
そういう分野の本とか多いと思うんだけど、
あとは福祉とかそういう分野でもあると思うんだけど、
何かそういう本とか読んで話すのも楽しそうと思った。
そうだね。
1:15:00
この間読んだその句点に気をつけろのやつも、
何かちょっとそういう感じとつながってるかも。
何かどうやって人の話を聞くか、自分の言葉を探すかみたいな。
だから書かれてるから。
何かでもそういうのをみんな意識し始めてるのかもね。
ね、そうかもって思った。
自分もそうだし。
うん。
何かこういう話してると、
何かりおちゃんと話したことどんどんテーマが広がっていく感じがすごいするし、
多分何かそういう風にテーマが広げられるとか、
飛んでいけるっていうのもやっぱりある程度こう、
相手と話しながらいろいろ模索してるじゃん。
何かそのりおちゃんの応答からまた今度、
そういえばこういうこと考えたんだよねみたいな。
そこからまたりおちゃんが応答して、
お互いにそういう関係を続けていくことで、
何かどんどんどんどんテーマが広がっていき、
いろんなことが話せて、
何かそれこそ自分たちが想像もしなかったところに辿り着くみたいな会話的に。
何かそういう風に話していけるといいよね。
聞けるようになるといいよね。
そうね。
こんな感じかな。
こんな感じかな。
じゃあ、終わりまーす。
終わりまーす。
また次。バイバイ。
01:16:42

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