ぽんぽんさんからのおたよりで紹介された「母親はなぜ生きづらいのか」を紹介するよ!/イメージに囚われてしまっていることってない?/「育休復帰後には新しいことを始められない」は幻想だった/世間が自分に求めるイメージを保つことって大変なときもある
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サマリー
「母親はなぜ生きづらいのか?」というテーマの本において、江戸時代から現代までの歴史を通して日本の母親について考察されています。本では、幻想的なイメージや社会的な役割分担が母親の生きづらさを引き起こしていると主張されています。母親が生きづらさを感じる一因として、私たちのイメージと他人の期待との食い違いが挙げられています。イメージに縛られることなく、自分の楽しみを大切にすることが肝要であり、イメージと現実を区別し、良好な人間関係を築くことが良い成果をもたらすとされています。
00:01
カランコローン、いらっしゃいませ。喫茶クロスロードへようこそ。
この音声配信は、音好きな人たちがふらっと集まり、みんなが友達になれる喫茶店をコンセプトに、店員3人組がゆるーく話してまいります。
7月1日、第53回の配信です。
今日は、なっしーとゆうこりんの2人でお送りします。よろしくお願いします。
先週に引き続きまして、ラジオネームぽんぽんさんのお便りでおすすめされていました。
母親はなぜ生きづらいのか、というかやまりかさんの本について、今日は話していきたいと思っております。
このぽんぽんさんはこの本を読んで、
いや、やっぱり母親が中心すぎる子育てっておかしいよね、と感じ、
私だけで背負う必要ないと感じられて、子育てへの向き合い方が楽になった本です、というふうに紹介してくれたんだよね。
けっこう、このぽんぽんさんの前振りを読んで、どういう本か気になってたので、とっても楽しみです。
でね、ちょっと本の話に入る前に、なんとぽんぽんさんから続きのお便りをいただきましたので、そちらの紹介をまずはさせていただきます。
というのも、前回ぽんぽんさんが2年目の新人さんへの向き合い方について悩んでるので、
おすすめ本ないですか?っていう悩み相談をいただいたんですけど、
で、私たちが収録を配信する前に回答をいただきまして、いやもうお便りの回答が遅くて本当に申し訳ありません。
ということなんですが、まずその回答のお便りを紹介したいと思います。
ラジオネームぽんぽんさんより、先日お便りを出しましたぽんぽんです。
先日のお便りで、新人さんへの接し方に悩んでいるということをお伝えしましたが、
そらやんの紹介してくれた調理場という線状を読んで、ごし解決の糸口をもらえたような気がしたので、
まだ回答あるのかわかりませんが、がないけど、またメッセージ送ってしまいました。
回答は絶対ありますよ。でもどんどんメッセージくれてありがとう。ここもうれしい。
はい、続きます。
この本を読んで、さいつさんのどんな逆境も糧にして、自分の知肉にしていく姿、いつでも学ぶ姿勢に強く感銘を受けました。
私は新人さんのためにと言って、自分がなぜかいつの間にか上に立って、相手を変えよう変えたいともがき、
勝手に落ち込んだりイライラしたりしていたのだと反省しました。
本当は学ばせてもらっているのは自分で、相手をどうにかしようということは本当におこがましい考えだったこと。
自分の成長の過程の中でこの経験は生きるんだと思い、今後の希望がわいてきました。
この本の中には本当にささやかなところに背中を押す言葉が散りばめられていて、私のこれからの人生の隣に置いておきたいと思います。
紹介してくれてありがとうございます。
ちょうど嫌われる勇気会の放送を聞いていたところで、私も読んだことのある本だったので、話している内容がわかり、
哲学者と青年のなんとなく日常を超えた世界観を思い出し、懐かしくなりました。
愛についても考える機会をもらい、素敵な放送でした。これからも楽しみにしています。
というお便りをいただきました。もう本当に嬉しいお便りを。ありがとうございます。
新人さんとの接し方の解決の糸口が、なんときさくろを通じて、もうすでにつかんでくれていたとは。
嬉しいこと言ってくださいますよ。
あと、愛について考えてくれたっていうことも、嬉しい限りです。
このお便りを最初に読んだときにさ、やばい、ぽんぽんさんのお悩み解決してしまったみたいな感じでさ、
ちょっと内心焦っちゃったよね。焦っちゃったっていうか、でもさ、改めて考えてみれば焦ることでもなんでもなくて、
本やいろんな気づきから、視点を変えて向き合い方を考えてくれて、
で、またそのことをお便りにして教えてくれたっていうのが、本当に嬉しいなと思って、ぽんぽんさん、ありがとうございます。
そう、ちょっとね、なんか焦っちゃったんだけど。
でもなんかそう、お悩み投稿はこんな感じで、ちょっと掲示板みたいにこう、
速レスみたいなことはやっぱり制作工程上難しいと思うんですけれど、
なんかこういうときどう考えるの?とか、どんな本がいいかな?という一意見がもらえる場所だと思って、
これからもきさくろに投稿してもらえたら嬉しいなと思っております。
本当ありがとうございます。
ね、嬉しいよね。
それでは、今回のテーマ本、「母親はなぜ生きづらいのか?」について紹介します。
江戸時代から現代までの母親像の変遷
この本は、著者である精神科医のかやまりかさんに、NHK制作局の村田ディレクターから、
日本の母親について歴史を通して考えてみませんか?という連絡が来たところから始まっているそうです。
で、制作されたNHKの番組をもとに構成されている本となっています。
で、まずは江戸時代の子育ての話から紹介されておりまして、
で、著者によると、日本では子育ては母親ひとりでという考えが定着しているんだけど、
それは近代になってからのことだよと。
江戸時代には、家庭教育は父親がになっていて、
父親向け子育てマニュアル的な本もいくつか出版されていたそうです。
それがね、明治維新ですよ。
革命の明治維新で、社会が大変革を遂げることで変わっていきました。
ここのタイミングで、母親ひとりになったってこと?
そう、このタイミングで大変革。
国家にとって都合がいいように、巧妙に誘導されていったということで、
国家にとって都合がいいっていうのは、
すなわち、これまでは父親も家庭や地域に関わってきましたが、
男性はとにかく外で働いてください。
女性は将来国家にとって有益な働きができる優秀な子どもを家庭で育ててください。
こんなふうにね、直接的には言わないんだけど、
巧妙に誘導されてきたっていう背景を、
本の中では文献やデータなどの根拠をもとに説明してくれてます。
へー、なんか私たちがなんとなく頭の片隅で、今もとらわれている。
固定観念になってさ、男は外で女は中でみたいな、
ちょっとその言い方も不利かもしれないんですけれど、
そういう固定観念にも、こういう背景や歴史があるっていうことを教えてくれる本なんだね。
そう、まずはさ、明治の頃だから、戦争で戦えるのは、やっぱ男の人じゃん。
戦える、外で戦ってこいみたいな。
そうそう、そういうのもあって、家庭はいいから外で戦ってとか、働いてとか、
そういう感じで、男の人が家庭から離されていったみたいですよ。
なるほどね。
なんか国家にとってとかって言われるとさ、
国の偉い人がちょっと企んだみたいな印象を持ってしまうなしなんですけれど、
いやでも、そういうビジョンを描いて、
不国共兵のあれだよね、あそこで国民を誘導していくっていう使命もあったんだろうなと思ったりもするけれど、
なるほど、ここで要は父親と母親の役割を分けるっていう方針が、
近年にできて、それが今もなお続いているっていうわけですね。
そうそう、結構近年といえば、近年だよね。
で、男は外で働き、女は家庭と誘導される中で、
母性あふれる母っていうイメージも捏造されたのでは、
と筆者は言います。
でね、筆者の考察で面白いなと思ったのが、母性のイメージは国家の都合もあるけど、それだけではなく、
母親にはこういう人であってほしいという息子たちの幻想も深く関係していたのではないかと言います。
っていうのも、筆者は精神解散なんですよね。
で、診療室で夫が妻に理想の母親幻想を抱いていて、
で、それに悩まされる女性と出会ってきたとのことで、
例えば、結婚前は個人の自由を認めるというタイプだった男が、
子供ができて、ちょっと手が離れてきたと。
そうなったときに妻が、ちょっと仕事を復帰しようかなっていうと、
子供がかわいそうだと思わないのか?と激怒と言ったような、
そう、子供ができてから夫が変わってしまったというようなエピソードがあげられてて、
筆者は、そういう母親幻想をしてることが、まずしなければいけないことではないかと主張しています。
男性の幻想と母親の生きづらさ
この本の主張は、それなのかなと私は読んだんですけど、
どこかにいる万能のやさしいお母さんっていうのは、どこかにいるものであって、
目の前の母親や妻が、それとかけ離れていたとしても、
失望しなければならない必要はまるでないんですよと。
母親っていうのは二人います。
一人は幻想ですよと。
で、もう一人は現実で、
この自覚を持たない限り、現実の母親たちの生きづらさを解決する道は、
永遠に見つからないんではないのかと筆者は言っております。
はい、とってもざっくりなようやくでしたが、興味持った方は、面白いのでぜひ読んでみてください。
なんかあれだね、イメージというか、
さっき男女の役割が分けられましたっていう中で、
特に著者は、母親の理想のイメージっていうか、
もはやあれだよね、幻想レベルっていうか、
本人がこうあってほしかった希望みたいなのが消化されてできた幻想というもので、
イメージができあがっていって、
それが今の女性を苦しめているっていう構図になっているっていうことを、すごく主張したかったというか、
まゆこりんはそこが主論なのではないかっていうふうに受け取ったっていうことだよね。
そうだね、なんか読んでて思ったのは、
私も幻想を持ってたなっていうのが、
なんか母親ってすごい神聖視されるときとかない?
それはわかる気がする。
っていうのをすごく気になったから、この主張はちょっと私は気になりました。
なるほどね。
もちろん男性のそういう幻想が、社会的なイメージになっているのではないかっていうのもありつつ、
女性にもそれは、それをちょっと実感するというか、
共感できる部分あるなっていうことをゆうこりんは感じたってことだよね。
そうなの、そうなの。
イメージって厄介だなって思って、
だってさ、人によって違うじゃん?
人によって違うけどさ、いいとこどんどん出したらさ、どんどんふくり上がってってさ、
だから神聖視というかさ、
ものすごくいいもののようにまついあげられてってしまって、
現実とかけはなれたものになっていってみたいなことになってたら、
それは苦しいよってね、
それは母親苦しいですよって、今なしはそれをイメージしてて思いました。
個人のイメージと現実のギャップ
いや、私、母親イメージもだし、さらには父親イメージも結構あったなって振り返って思って、
なんかうちの父親、たばこ吸ってたんだけど、
私がめっちゃ嫌だって言ってたら、
こんなに、なんていうんでしょう、マナ娘が言ってるんだったら、
やめるのが父親だろうって思いこんでたんだけど、
まあ、やめてくれてはなかったんだけど、
私がいるところでは吸わないようには頑張ってはくれてたと思うけど、
なんかイメージ押しつけてたなと思って、
理想の父親のイメージを。
そうそう、でも今自分が親になったじゃん、
ってなったら、
たばことかも趣味の息だったりするのかもしれないし、
ストレス解消にはこれがいるだったりするのかもしれなくて、
子供が言ったからと言って、
やめられるもんではないっていう領域は、結構あるよと思って。
なるほどね、自分が親になって初めてそこは、
切り分けて考えろよって思えるようになった。
そうそう、なんか勝手に私は、
お父さんたばこやめてくれないんだって失望してたけど、
親になってみると、やめない気持ちわかるよって思った。
そこはね、自分が経験できるんだったらいいんだけどね、きっと。
でも、父親と母親で分かれてるものは、きっとさ、
お互いに交換こした経験とかってのがさ、
どこまでかはできるけど、どこからかはできないラインがあってとかってあるから、
なのかね、この本の中で母親のほうが、
よりフォーカスされていったのはそういうことかな。
そうかもね、なんかどうなんだろうね、
母親って尊いものとして、
イメージされがちな気もしないでもないよね。
いや、でもそうだ、ちょっと話を戻して、
この本を土台にして、ゆうこりんが話したいことがあったんでしょ?
そっちに行こうか。
世間のイメージと自分が作るイメージとか、
実体のないものにとらわれることがないですかってことを、
私は話したくて、
それなんか、こないだはって思ったのが、
こないだ1周年で、そらやんがフルタイムで復職すると同時に、
このキサクロという音声配信を始めたっていう話を、
改めてすごいなと思って、
なんか私だったら、
育休復帰って大変じゃん、みたいなイメージがめっちゃあって、
なんかそれに邪魔されて、
新しいことをそんなタイミングでするなんていうか、
イメージとのズレ
そういうのイメージでできなかったなと思ってて、
子育て以外のことにウェイトを置くのをセーブした方がいいかな、
的な思っちゃってたんだけど、
でもね、やってみると本と深くつながることで、
子どもに対する向き合い方もね、
考えが及んで、
子育てに対しても、
良い方向に進んだような気もして、
そんなイメージとかなく、
新しいこととかもね、始めたらよかったんだなって思った。
なるほどね。ユコリンの場合は、
イメージが足枷になってたけど、
意外と行動してみたらそうでもなかったっていう、
そういうパターンがあったかよって話だね。
確かに頭の中にあるイメージというブロックのせいで、
チャレンジできなかったりするのは、
もったいないなって思うけど、
やっぱりそうやって危険予知みたいな感じで、
これやったら結構私パンパンになりそうみたいな、
危険と思って回避する、
回避するっていう能力も備わってきたからこそ、
ブロックを外すのが難しいわけでさ、
でもそういうのを越えていくっていうのは、やっぱりすごいことだし、
でもユコリンもやってみたらできたし、みたいなのって、
たぶん次からはできるんだろうなとか思うと、
一回越えてみるのはありだよね。
そうだよ。でね、そらやんからこれについてもコメントもらってるんだけど、
そういうそらやんからもらったコメントも紹介するね。
そらやんです。
つい最近も仕事と育児しながら、
ポッドキャストやっているの勇気もらえます。
と、大学の後輩2児のママに言ってもらえて、ちょっと嬉しかったです。
私も世間のイメージ差分的なところで悩むことはいっぱいあります。
でもこういうママたちのちょっとしたチャレンジが、
周りのママにこういうこともできるんだと思ってもらうきっかけになったり、
世間のいわゆる母親イメージを崩す一助になるのだと思っています。
なので、どんどん自分の楽しいを大事にしていこう。
もちろん無理は禁物だし、逆に、
私何もできてないなというネガティブイメージや、
変な圧になっていないといいなとも同時に思います。
というコメントをいただきました。
これ教えてくれたの、すごい嬉しかったよね。
ほんとほんと。圧にならないくって、
勇気を与えられたら、嬉しい限り。
励みになってほしいけど、圧にはなりたくないっていう、
この絶妙な感じも共感できるよね。
イメージを、そうだよな。
こういうチャレンジはできるよ、みたいな。
もっとポジティブにやってっていいんだよ、みたいなのは、
たしかにどんどん伝えてったほうがいいイメージだよね。
ちっちゃいことでいいから、どんどんとらわれていたことから、
突破していけたらいいよね。
ナッシーはイメージにとらわれてたとか、
とらわれてるなとか、何かないですか?
イメージという言葉でまとめていいのかはちょっと悩んだんだけど、
さっき紹介してくれた本も、
自分の持ってる理想と、他の世間からの期待みたいなのとのズレが、
結構やっぱりポイントなのかなって思ってて、
もちろんそれが、母親が侵略された幻想みたいなものだったら、
ものすごい圧になるし、
私自身も理想としている姿みたいなのを持って、
職場復帰したんだけど、
その姿いいよねって言われて、
そういう理解も得られたなって思う一方で、
いいねって言われるたびに、
100%ナッシーを維持し続けないといけないのかな、
みたいなことを思ってしまったことが、
自分で自分にちょっと変なプレッシャーかかったなって思った瞬間があって、
感覚理解できるかな?
別に自分が理想としてた姿を、
いいねって言ってもらえて嬉しかったんだけど、
それはそれで、期待になってしまうと、
ちょっと重りに感じるみたいな、ちょっとわがままなんですけど、
っていう部分もあるんだなっていうのを思って、
自分で持つこういう姿でありたいみたいなイメージは大事だと思うし、
そういうのがあったほうがいいなって思うし、
それで自分にブロックをかけてやらないよりも、
できる姿をイメージして、どんどん頑張っていく姿も大事だなって思うけど、
それを周りの人に、
多分、押しつけられるわけじゃないけど、
こういうふうだよね、みたいな感じで、
固定されるとしんどいみたいな。
固定されたイメージに対する調整
なんとなくわかる気するよ、ナッシーとかさ、
わかる気する?
常に明るい人みたいなイメージ。
常に明るい人でいるわけじゃないじゃん、みたいなさ。
そういうイメージを持ってもらいたいけど、
なんかひとり歩きしちゃうというか、
現実の自分とあってないイメージを、
周りの人がいだいちゃうというか、
いだいちゃう?
そこね、むずかしいんだけどね。
なんかでも、イメージってそういう力があるなって思って。
いいイメージだからうれしいんだけどね。
そうそうそう、いいイメージだからうれしいんだけど、
それがどんどん圧になってくる感じもあるなって思って、
いやだからそこのイメージの調整ができたら本当はいいんですかね、とか。
なんかでもそのさ、世間の母親像ともさ、きっとさ、
調整がさ、いや実際こんな感じじゃんみたいな、
世間ギャップこんなんでしょみたいなさ、
このギャップのさ、画像がさ、こう流行るのとかもさ、
きっとさ、なんかそこをさ、差分を頑張ってさ、
いやこんなもんでしょって、
調整してる力だと思っててさ、
やっぱ強いからさ、イメージでやると、
そのあと苦しくなってきちゃう気持ちもあるから、
そこはちょっとなんか、ちょっと調整させていただいてもいいですかみたいな、
わがままなんですけど、
こんなことも、この本と一緒に考えていたらしいでした。
イメージとリアルの区別
そうだね、でも母親っていうね、名前がつくとさ、
いろんなイメージつきまとうもんね。
そうそうそうそう、なんかね、私の場合はなんかその、
個人的なそのイメージの話をさっきは出したけどさ、
母親はもうなんかもう、てんこ盛りだもんね、イメージのてんこ盛りだから。
そうだね、あ、いやナッシーが言うように、
いっぱいあるもんね、と思って、
そのナッシーのパーソナルなイメージもあるし、
それに属性がもたらす相手のイメージもあるし、
なんかいっぱいイメージってきっとついてまわるなと思ったし、
逆に私もいろんな人に対して、
いろんなイメージをこう持っちゃってるな、みたいな部分もあるかなと思った。
そうだよね、でもそれはさ、なんか悪いことじゃなくてさ、
なんかそこをイメージとのさ、
差分があることを理解していただければきっとさ、お互い、
いやまあこれはここはイメージなんで、みたいな。
ちゃんとこう、実感としてというか、
リアルなのはこのへんなんでっていうことを大事にして、
そうだねそうだね、ほんとだ。
お付き合いとか、人間関係を構築していきたいですね。
ほんとほんと、イメージとリアルとそれを区別できると、
一番いいのかもしれないね。
こんなまとまり方でよろしいでしょうか、よくね。
ありがとうございます。
次回は、次回のお知らせをしたいと思います。
なんとゲストをお迎えしますよ。
らしい紹介をお願いします。
今回は、木桜と同じく、4月からリニューアルと再スタートを切った、
エッセイ朗読の音声番組、ほどくから、
朗読担当のにじちゃんにインタビューをします。
にじちゃんとは、窮地の中でもあるんですけれど、
そのにじちゃんの朗読にかける思いや、
音声での表現での魅力を語ってもらう予定となっておりますので、
ぜひお楽しみに。
ここまででトークテーマは終了ですが、
木桜ではいつでもお便りを大募集しています。
トークのご感想や、本にまつわるお悩みなどを、ぜひご投稿ください。
ポッドキャストやノートに、お便り投稿フォームのリンクをご用意しておりますので、
そちらからご投函いただけると嬉しいです。
今後も喫茶クロスロードは、毎週月曜日、夜21時よりゆるゆる営業していきます。
本日はお越しいただきありがとうございました。
またお待ちしております。
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