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27年間、もくれんをやってきた村上さんから、見たこの 和歌山の珈琲シーンの移り変わりみたいな話も聞かせてもらいたいんですけども
やり始めた当初ってどんな感じだったんですか? やり始めた当初は、それはもう珈琲、和歌山の珈琲といえば
直売船といえばラックさん、東和歌山のラックさんと、ファイブさんがすごく
名前が出てたんですけど、その中で雑誌で、雑誌というかコーヒー専門誌で、江川コーヒー店というのを見て、県庁の裏側にあるんですけど
そのコーヒーの専門誌は全国誌なんですけど、そこに、それは広告で出してるんですけど、そういうところに広告を出してる店があるっていうのが
びっくりして、そこの店に行ったんですよ。やっぱ美味しかったんですけど
で、直売船、売船機置いてる。
で、さっきのファイブさんもラックさんも売船機置いてる。
で、なんか当時ってでも、目立ってたのってそこぐらいだったんですけど、でも目立てないところでは他にもあったんですよね。
で、自分で作るの好きな人って和歌山多いなって思ったんですよ。
手編みとか、手編みで、僕ら手編みでやってたんですけど、何人か手編みで売船してる人っていて、そういう人と集まって
なんか豆の意見交換会とかやってたんですよ。
なんか味比べ会とかっていうのをやってて、
その中からお店始めた人もいるし、でもなんかお店をするのがやっぱ目的じゃないなと思って辞めた人もいるし、
で、そういう中だと
喫茶店と
コーヒー屋さんと趣味の売船みたいな感じの感覚ってあったのかな。
僕もどっちかと趣味の、好きではじめてないけど、やってるの、作ってるの自体が面白かったね、売船が。
それはなんか趣味の延長線上なんかなっていうのがあったかもしれないですね。
でもそれで自分とかの
材料とかも作れるのは
面白いなぁみたいな感じ。
03:01
でもやっぱり劇的に変わったのって
そこからすごく飛ぶんですけど、やっぱりロースターズさん出てからかなって思う。
2013、14とか。
なんかいろいろ、
ジンコさんが来てくれたときに、話聞いたときに、実際はそれまでも来てくれたみたいですけど、僕も知らなかったんですけど、
結構行ってましたよって言われたから、結構来てくれたんですねっていう話は前回のラジオの、既成ラジオの時の
特に話してはそうだったんだなって思ったんですけど、なんか改めてマメのこととかで来てくれたときに、
こういう人が来たんだなぁ
っていうのは大きかったです。
こういう人っていうのは?
こういう人っていうのは、
あの、ロースターズさん、ジンコさんってバッハコーヒーっていう東京のコーヒー屋さんでトレーニングを受けて、
で、バッハって、僕もなんかコーヒー屋ここ来た時に始めた時に、なんか読んでた本があって、それはバッハの田口さんっていう人が書いた本なんですけど、
で、その、僕はなんか本でしか知らなかったんです。あ、でも大阪の辻町でその人の講演会があった時に聞いたりしたんですけど、でもそれぐらいだったんですよ。
でも、実際にトレーニング、そこのお店とか関係とかでトレーニングを受けた人が来た。
で、
すっごいと思って。
で、
あーなんか、めっちゃいいなって思ったんですよ。
まあでもそういうのですね。
そこってすごく、他の人から見たらわかんないんですけど、自分としては、
なんか赤山のコーヒーってすごい変わるだろうなって思って、でもそれからやっぱりそのワークショップとかそういうことも事後さんしてたし、
お店とかでもコーヒーの入れ方のやり方とかも、ああいうのとかでも、あ、やっぱそういうのだなーって。
でもやっぱりなんかテイストの違いとかで、なんかあれって美味しいの?っていう人もいたけど、でも実際なんかこう、美味しいし、
で、表現の仕方とかもまた違うし、実際にその、
例えばさっきのニオくんとかでも、水性コーヒーとかするときに、人工産とか行ってとかっていうような流れもあるし、
ああ、なんかやっぱりすごいなって思った。
あの辺は自分の中では、すごいなって思いました。
コーヒー、なんか、あ、赤山のコーヒーシーンって、
コーヒーシーンっていう言い方も、なんか最近のかもしれないけど、
06:01
あ、なんかこれからの赤山のコーヒーって、あれだな、ちょっとまた、なんかいいだろうなーとか思って。
で、だから余計に、なんかその時は、余計になんか東京とか行ってたかもしれないです。
東京のコーヒ屋さん行ってみようとかっていう。
それまでってもうずっと福岡のその美道から、元の美味だったんですよ、あれは。
でもう、東京とかも行ってみようみたいな、東京行ってみようとかみたいな。
すごいなんか外に意識が向いたっていう感じですか。
そうですね、それこそあの、向いてた意識を行動でなんか追いつけていってみたいな感じです。
あそこどうなんかなみたいな。
なんかロースターっていう存在が急にぐっと近くに来たので、余計にあれですかね、
なんか確かめてみたいっていうきっかけになったというか。
それもあるし、なんかあの、ちょっと言葉だけでめっちゃ軽いんですけど、
あ、こういう感じのが来たから、あ、そういうのもいいなーってみたいな。
なんかまたちょっと違う感じでまた行こうみたいな。
なんかまあそういう刺激というかあるんですね。
ああ、わかりました、わかりました。
大きく変わる転機というか。
うーん、そうですね。
だからなんか、その時はお客さんから、うちもなんか深入りで、その時はガンガン深入りだったんですけど、
えっと、その時にあの、中入りとかそんなもっとなんかフォーカスしないんですかっていうのはむちゃくちゃ聞かれました、言われました。
世間的にもなんかサードウェーブ的なアサイリブーが。
それはありますよね、ありますあります。
なんかほんで、でもあれ、でもうちもなんかその、茶豆さんとか、もう多分その後ぐらいに出だして、
その時ダイワロビネットのところで茶豆さんとか屋台やってて、そこをなんかやっぱり行ってたんですよね。
飲み行ってて、ああ、なんかおいしいなと思って。
で、比較的アサイリだけど、なんかあの、柑橘のシロップとか作るの上手だったから、
そういうののテイストとかってすごいおいしいなって思ってて、
で、そういうのでは、ああ、なんかアサイリもなんかやってみたら、
あとなんか、あの、えっと、やっぱさっきのテイストの違い、感じ方の違いとかで、
なんか、まあここだと深入り、僕らだと深入り好きな人多いから、
アサイリっておいしくないんだけど、あれおいしいの?って聞かれることが増えて、
いや、それでもおいしいんじゃないですかねって言ったんですけど、
でも好みと、え、好みと絶対的な味っていうところの違いってやっぱあるなって思って、
でもなんか、絶対的な味っていう風な観点で見たら、好みってあんまり入ってこないのかなと思って、
で、まあ特徴がある味って、さっきの誰かがおいしいって思う味って、
09:06
誰かやっぱおいしくないだろうなって思うなっていう考えに近いんですけど、
なんか特徴のある味って、多分嫌な人は嫌だろうなって思って、
で、僕もなんか特徴のあるアサイリって得意じゃないから、アサイリにしたやつを作ってみて、
こういうアサイリってどうですかねって言ったら、あ、これはなんか飲みやすいよねって言って、
っていうのもあったし、でもあ、じゃあこれおいしかったら、
もう一回あの店行くと、別に普通においしいと思いますよっていう風な話をして行ってみたら、
なんか行ってみたらおいしかったって言うから、あ、やっぱ慣れなんだなと思って、
とっかかりとか、で、段階ってあるなって思うんですよ。
いきなりなんかあのきついの来たら、確かにインパクトはあるけど、
それって結構古いにもかけちゃうなって思う。
でもそこも、サードウェーブとかって、なんかやっぱ勝負しに行ってる感ってあるなって思う。
それバーンってやって、これ?みたいな。
で、それで、それが受け入れられたら、なんかいいけど、
じゃああれ好きじゃなかったら、コーヒー好きって言えないのかなみたいな感じになっちゃうのもちょっと違うなって思うし、
でも、ゆるいところから始めたら、別においしく飲めるし、
それ単なる慣れかなっていう。
で、それでおいしく飲めたら、どれがおいしいというよりは、
なんかあの、例えば深入り好きなんですけど、
まあ別にコーヒー、別にって言う方ですけど、なんかこれ、
深入りじゃなかったらコーヒーじゃないっていうこともないし、
まあどういう意味でもおいしく飲めたら、その時の自分の状態とかに合わせて楽しめるのがいいんじゃないかなっていう感覚ってあるから、
だから深入り飲みたい時は深入り飲みたいけど、
深入り飲みたい時にアサイリ飲んだら多分それおいしくないし、
でも逆にアサイリ飲みたい時に深入り飲んだら多分あんまりおいしくないと思うんですよ。
でも、なんか本当においしいやつは、アサイリ飲みたい時に深入り飲んでも、
それはやっぱり深入りっておいしいし、実体的においしいのってあるんじゃないかみたいな感じもあるけど、
なんかちょっとだけ、そうかなって思うところもあって、
なんかそこまでこう、人間が感じ方がその時の感情でピュアだったら、
その時においしいのはおいしいし、その時においしくないのはおいしくないだし、
それはそれで普通だし、なんかおいしいのは絶対的においしいって言わないといけないこともないし、
っていうのはちょっとありますよね。
基準ってね、どこなのかっていうのは。
でもさっきの年齢的なもんとかで、自分ではそうなんですけど、
子供の時にあんまりおいしくないなって思ったもんとかでも、
大人になったらおいしいもんとかって結構あるんですよね。
だからそういうのもあるから、なんか難しいなって思うんですよね。
12:01
だからなんか、絶対的においしいものとか、
でもなんか、自分の好きなのは好き。むちゃ好き。
なんか深入り好きだし、自分が作ってるアサイ、自分もむちゃ好き。
でもそれが、自分はおいしい。
でも自分が作ってるのは、それが飲みたい時にそれ飲んでるからむちゃ好きだしおいしい。
でも、なんか分かんない時に違うの飲んだら、
なんか味見とかだと、それの味のことじゃないですか。
これちょっと、なんかもうちょっと焙煎した方がいい。
焙煎してもいい感じなんじゃない?とかっていうのが味見じゃないですか。
でもそれと好きか嫌いかって別かなっていうところもちょっとあるんじゃないかな。
でもなんか好きか嫌いかだけで話してる方が好き。
でも、でもこんな味ってこうなんちゃうかなみたいなことを言ってる方が好きな時もある。
例えばこれに近づけるとかっていう、なんかはっきりとした気分とか好みとかで左右されるようなものでしたら、
なんかそこに近づけた人がうまい、下手とかっていう、そういうのあるかもしれないですけど、
好き嫌いってまた違う話ですもんね。
だからあれ決められてる人って大人だなって思う。
なんかちょっと偉いなって思う。
普遍的というか、試行品って言われるものってでも難しいですよね。
難しいですよね。
だってなんか順番変えたら同じもんでも味変わると思うんですよ。
下地があるから。
でも、順番変えたらっていう時の、順番変えた時の違う味見ってできないから、
なんかそこってむちゃむちゃもどかしいですよね。
これ順番変えた時の味見した時ってどんな味になるのかなっていうのは。
でもそれってホッピングのテイスティング会の時とかもやっぱ思いましたね。
なんか順番にバーって飲んでいくんですけど、スプーンでこうすくってた時に、
でも順番変えたら味が違うから、これってむちゃむちゃもどかしいなっていう。
でもそれは日常の、例えば前にオムライスを食べた、食べてきてコーヒー飲んでくれてる人と、
オムライスを食べる前に、ちょっとこれからご飯食べに行くっていう人がコーヒー飲んでくれた時の、
あの味違うんだろうなとかは考えたりはしますよね。
でもなんかそこって確認しようがないし、
そこってなんか置き換えて考えたらむちゃむちゃもどかしい。
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そうですね、確かに。
こちらがどうこうできる問題じゃない部分があるというか。
あるし、なんか自分でもこれ食べた後でこれ飲むのと、これ飲んだ後でこれ食べるって確認しようがないから。
なんかそのことって絶対取り戻せないから、どっち先に食べようかなみたいなことって思ったりしますよね。
なんか決めれないことって多いですよね。
なんかケーキ屋さんでむちゃむちゃ迷うんですけど、
今は赤浦にケイトシーっていうケーキ屋さんがあるんですけど、
あそこのケーキむちゃむちゃ好きなんですよ。
で、モンブランとかガトーフレーズとかオペラとかあって、
でもなんかどれかって言われると難しいんですけど、どれも食べたいみたいな。
でも食べる順番とかも多分あるんだと思うんですけど、
どれも食べているって言われたら、順番関係なく全部おいしいとかっていうのがあるんですよ。
でもおいしいって言ってるやつのおいしいは全部すっきりみたいな感じのおいしい。
でも他の人が食べたらどうかわかんないけど、他の人がどう感じるかはそれは置いといた方がいいんですよね。
他の人がおいしくないからって言って自分がおいしくなく感じる必要もないし、
逆に他の人がおいしいって言ってるからって言って自分もおいしいって思う必要もないなみたいなところもあるところで、
そこって、そういうところでやっときたいですよね。
そういう感覚みたいな。
でもコーヒーってそういう要素がある。足コーヒーってそういう要素があるなって思うんですよ。
で、和歌山の人って言うともしかしたら別にそんなことないかもしれないですけど、
来た時に、でも和歌山の人にそんだけいろいろ、
多分自分が世話になったんだと思うんですけど、そういう要素はいっぱい持っているのかなって。
これがおいしいって、これが好きとかっていう風なのをパッパッパって言ってくれる関係性をいっぱいくれてるんだなっていうのとか思うから、
なんかそういう感じですね。
そこを自分の中では、味作りって、感じ方って尊年の話じゃないですか、味覚がどう感じているかって言うのもあるけど、
キャッチした味を、例えば舌とかにセンサーがあってそれが解析しているかもしれないんですけど、
実際はそこがキャッチしたのを脳解析して、で脳がこんな風、自分の経験とかに基づいてこうこうですよーみたいな感じのことをまたフィードバックしてるなと思うんですけど、
それでこれこんな味みたいなことをやってるかもしれないけど、
ってことは、自分がどんな経験したかで味ってめちゃめちゃ変わるんじゃないかなっていうのはちょっと思うんですよね。
18:02
だからそういう面では、そういうところの方が面白いから、そういう風なところでやってるのとか、
やれてるフィールドって若いののフィールドってやっぱりいいなっていうところがありますよね。
でもそこもさっきのコーヒー関係で言うと変わってきてるのかなっていう。
だからもともとあったんじゃないかなっていうのもありますけど、潜在的には。そういう感じる要素ってみんな持ってて、
でも例えばコーヒーっていうフェーズがあるから出てきやすくなったっていうのも、コーヒー業界、さっきの27年くらいの中では、
もともとあったのが出てきただけなのかなみたいな。変わってきたっていうよりは、
でもそこに意識が浮いた時と浮かない時とかでも、目の前に物があっても、自分に見えてなかったらそれないって言うじゃないですか。
探し物とかしてる時に、なんかあれ見つからないなって思ってる時に、あそこもう一回探したっていうフレーズってあると思うんですよ。
探したって言うけど、もう一回見てみたら?っていうフレーズで、もう一回見たらあったりする時とか、探してる時にたまにあるのが、まばたきするんですね。
なんか一回目閉じて開けたら出てくるってあるんですよ。そこ目の前にあって見てんのに、でもあれって目に映ってるけど脳がそれを感じしてないのかなって思う時ってあって、
目一回閉じて開けたらあるから、でもあるってことは誰かがそこに置いたわけでもなくて、そこにあったのを自分が見えてなかったんだって思うんですよね。
でもそういうのって多分意識なんだと思うんですよね。そういうのも味っていうのはあるのかなって。
でもそこってコミュニケーションとかの取り方とか、そういうのとかでも変わってくるのかなっていうのがありますよね。
ロースターズができて、そのロースターズからバッと広がってやる始める人が、ニオさんとかソウ君とか増えてきて、今なんかイベントが結構、コーヒー市場があって、飲みクラブイベント的なのがあって、コーヒーホッピングがあってみたいな感じになってるんですけど、
この辺の近年のイベントの感じって村上さんから見ていかがですかね?
いかがですか?非常に良い経験になってます。
いいですよね。ただなんか、業界にとって良いかっていうことよりも、そういうのってむちゃ良いなっていう。
21:03
なんかそういうイベントが起こってるっていうのが起こしてる人もいるし、そういうのが良いなって。
できる。こういう風なのをしよう。じゃあそれをどうしようか。できる。
っていう風な流れ、やってるんですけど、本人とかもやってるし、
でも年齢が違うとか、タイミングが違うとかだったら、多分できなかったりするのかなっていう。
なんかそういうのって、作業的な共有っていう意味じゃなくて、時代的な共有できてるのは良いなっていう。
なんか今じゃなかったら、多分そのイベントにも見れてないし、
なんか多分、違う感覚だったら、イベントとかってそこのイベントにフォーカスしてなかったら、あんまり別に見ないかな。
なんかイベントっていっぱいあるけど、
目にしてるイベントのことは見てるけど、でもその周りでもたくさん同じ日にイベントがいっぱいあるけど、他のイベントはしてられないこともあるし。
でもその中で意識する中でも、こういう日のイベントは自分でも意識してるんだなっていうのとかも思うし、
なんかその時代的な共有感って本当なんか、どうしてもやっぱり僕の場合ってどうしてもさっきの美美さんの話なんですけど、
なんかタイミングずれてたら合わなかったし、
なんかそういうのは、なんかいいなみたいな。
でなんかそういう時に、例えばさっきのジェイコさんの話とかでも、そういう時になんか自分が若いまであの喫茶コーヒーの自家配線やってて、
なんかタイミング的に良かったなみたいな。
違うとこでやったりとか、普通に飲食店やってたら、来た時にもあ、そうなんですねって普通に終わってて、何も思わなかったし。
コーヒーやってたから多分来てくれて、でコーヒーやってたんで、え、バファの、え、みたいな感じでも自分が思ったし、
だからそういうのが良かったなって。
だからなんかこう、あったことに対して良かったっていう、なんかそういうことを、結局なんか手前事ですけど、
なんかそういう風に感じれる風にしときたいなっていうのはあるから、感じれてて良かったみたいな。
世間的にもコーヒーの関心はすごい確実に高くなっていると思いますけどね。
そうだね。
昨日までもね、スタバもやっぱりあったし、4日目だったらダートコーヒーとか、そういうメーカーさんとかね、マルキさんとか、ずっとやってて、
24:08
とこで流れもあるし、なんか、でもそういう意味ではほんとなんかあの、乗っかってるだけだし、
いやいやいやいや。
なんかその、そこがあって、そういうことが、なんかそういうのって下地だと思うんですよ。
下地っていうか、なんかその人たちの中ではリアルな時間だけど、でもその人たちはないから、自分が。
でも、そしたら結局その人たちとか、その人たちの親とかおじいさんとかがやってきたこととか、
の上に乗っかってるだけだなっていうところもちょっとあるんですよ、自分としては。
そこをなんか、さっきのビミーのマスターとかでも、なんかその、全体、日本全体とかのコーヒー業界とかだと、
なんかまあ、ずーっと自家焙煎とか始めた人とかのことの、下地作ってきてくれた人の、なんか上に乗っかってるだけ、上っていうか下にぶら下がってるだけなのかな、
上に乗っかってるだけだから、なんか下にぶら下がってるだけかもしれないし、
なんかでもそういうのって、なんか着替えがないねみたいな感じで言われることもあるんですけど、
なんかもうちょっとこう、なんか、やっていくみたいなのとは別の話で、
なんかそういう人がいたから、だなあっていうのはあるけど、
だからといって、自分がいたから次の人たちがっていうわけじゃなくて、味方が自分中心だから、
前の人たちがいたから自分もその上に乗っかってるけど、
なんか、まあ後から新しく出てきた人たちもいるから、今の自分って引っ張ってもらってるなとかいうのもあるし、
でも多分、なんかの受け取り方とかで、多分その辺って受け身なんでしょ、多分。
受け身だから、受け身じゃなかったら、まあ自分がいる、全然違う感覚だったら、自分がいるから過去の人たちも引き立つし、
これからの人もやっていけるみたいな感覚にも、なんか全然逆のこと言ったらそういうことなんだろうなっていうふうなことを、
自分でも思うからそういうふうに受け取られないように気をつけないとなっていうのは思います。
だいたい逆であるから、絶対。
でもなんかやっぱりそこは、さっきのなんか、ファンじゃないけど、
なんか昔出会ってた人、美美のマスターとかみたいな人のファンだからよかったんだろうなって。
27:00
一度目なんか、いい意味でライバルシーはしてたんですけど、
だからといって、なんかライバルだから、なんかよくあるじゃない、ライバルに勝とうと思ったらみたいな。
ライバルに勝とうと思ったら倍以上やるとか、もっとやるみたいな。別にそんなこともないし。
そういう感じです。なんかいたからよかったなみたいな。
逆になんか、亡くなっちゃってからは、なんかちょっとあんまり、言っとき、言っとけって、なんか難しいんですよね。
そこって、なんかどうしたもんかなみたいな。半分あって、まあ正味な話で。
なんか、美美のマスターいないしな、とかちょっとあるんですよ。
飲みに、また飲みに行こうかなみたいな感じで思ってるみたいな話もちょっと出てたけど、結局飲みに来れてもないしな、みたいな。
とか言うのって、でもそういうのはさっきのと同じで、戻らないし、戻らないっていうのは別に死んだ人が戻らないっていうんじゃなくて、
まあ、まあそれってどうしようもないしな、みたいな。
でもなんかどうしようもないことが、自分の中でどうしようもないなって思ってることがあるのが、ちょっとだけよかったなって。
まあいいかって思うことじゃなくて。
それも確認みたいなもんですかね。
そうですよね。
なんかあの、さっきの昔の話とかで、ああいう、え、なんかノートの順番とかの話とか、
なんかああいうの一個一個って、やっぱあったからよかったな、みたいな。
多分なかったら、全然違うだろうなって思うし。
ちょっと答えが難しい質問かもなんですけど、
なんかこの先、和歌山のコーヒーシーン、こんな風になっていってほしいなとか、こうしたいなとかってありますか。
和歌山のコーヒー、ああでもなんか、そうですね。
こうなんか現状って理想的なのかなって。
なんかあの、えっと、ちょっと閉塞感ある感じ?
今が?
今が。
今がって、なんかめっちゃいいなって思うんですよ。
なんかみんな何かを考えないといけないから。
で、まあ考えなくてもできるし、でも考えたら考えたなりのやり方ってみんな自分なりに動けるし、
動けるから、考えたら考えたなりのやり方で。
30:02
なんかちょっと前だったら考えても、なんかこう動けない社会的状況とかも、
なんかタイミングによってはあるかもしれないけど、
今って、自分のモチベーションとかで動けるんじゃないかなと。
自分もそうだし、なんかやっぱり理由付けて動かない時ってあるから、
まあ結局動かないの、自分みたいなもんだけど、
いやそれはまあ、なんか悶々とこうと思ったら悶々とできるし、
そういうのってなんかこう、生活の中に無理矢理コーヒー入れてないなって思うんですよ。
だから生活もちゃんとあって、その中でコーヒーもやってて、
なんか産業としてのコーヒーってちょっと思ったりするんですけど、
でもなんか産業の形って、工業的な産業って、さっきのキシューネルの話とかでも、
中山の元々の主幹産業だったみたいなんで、繊維業って、
そういうのですごい経済を動かしてたっていうのもあるけど、
そういう工業的なこともあるけど、工業的な中身って、なんかやっぱ生活あるし、
どんな風に生きていきたいかみたいなのもあるけど、
どんな風に生きていきたいかって、なんか無理な時代って全く無理だったと思うんですよ、昔とか。
やりたいことがあってもできなかったかもしれないし、
でもそんなこと言わされるってもしょうがないし、
しょうがないけど、だからといって、
その時はしょうがなかったよねってこっちから言うのもなんか変な話だし。
自分がいいなって思うことをやっていけるような感覚のコーヒー業界であってほしいなって。
なんかこう、正解とかっていう考えって言うみたいな。
自分がいいなって思うことと正解って合わさってると限んないじゃないですか。
その時にでもなんか自分がこれはいいなって思ってるけど、
でもなんか一般的な正解はこっちだしとか、この人の正解はこっちだとか、
人と答え合わせするのってめっちゃ難しいと思うんですよ。
自分がこれがいいなって思ってるけど、
この人の答えはそれは正解じゃないから、それ違うんじゃないのって言われた時に、
でも答え合わせするんじゃなかったなみたいな感じになることもあるけど、
答え合わせした時にディスカッションできるのもいいし、
その時にでも自分がいいなって思っててるのって、なんかいいなって思うんですよ。
33:01
例えば僕とかでもずっと不買入りやってるねとか、
豆だけ東京に送ってイベントとかで使ってもらった時に、
めっちゃ不買入りだから一番評価低いんですよね。
会場の中で一番評価低かったみたいな。
でも会場の主催者はうちが不買入りだから声かけてくれて、
絶対不買入りで送ってくれたからよかったっていう。
でも他の、その人が不買入りだなと思って声かけたところは、
やっぱりちょっとそういうところに出すからと思って、
ちょっとローストが浅くなってたりしてて、
美味しく飲んでもらったけど、その人は年配の人だから、
自分が思ってる不買入りで出してくれたんで、
もっかいさんには悪いけど、個人的にはよかったっていう。
でもそういうのってちょっとあるなって思うんですよ。
なんかあの、時代変わっちゃうと多分なくなっちゃうから。
でも誰かがやってたりすると、
誰かがやってるって無理矢理やってるのってそれも違うと思うんですよ。
これは残しといた方がいいなって思うこと。
残しといた方がいいなって思うのは、
いいなって思うからだと思うんですけど、
なんか難しいですよね、そういうのって。
なくなっちゃうのは多分なくなっちゃうと思うんですけど。
だから恣意的にするというよりも、
自然とあるっていうのが理想ですよね。
理想ですよね。
不買入りとかでも、
今度銀座でコーヒー入れるんですよ。
それも、あんまり最初気が済まなかったんですけど、
不買入りだし、
ここ行ってもそんなになぁっていうのもちょっとだけあったんですけど、
スタッフもちょっと、
そういうのってないと思うから行ってきた方がいいんじゃないですか、
みたいに言ってくれたのもあったし、
行こうかなぁみたいなのもあったけど、
もう一個気になったのが、
去年ぐらいに、別にやっぱり東京でネルドリブの教室でやった時に、
やっぱり自分も日寄って、中入りぐらいの場面を持って行ってたんです。
でも念のため不買入りも持って行ってて、
中入りでずっとやってたんですよ。
中入りって言ったら中不買入りぐらいでやってたんですよ。
それで終わりましたってなった時に、
不買入りもあって、不買入りで言ってたら案外受けが良かったんですよ。
あれ受けいいなと思って、
そこで受けがいいなって思ったところもあるけど、
その後で別の人から、
36:01
お店で飲んだらこんな感じなんですねっていう話聞いて、
お店で飲まなかったらどんな感じなんですかって言ったら、
入れ方難しいですよねって言って、
入れ方で味が変わるかなって言ってて、
入れ方で味が確かに変わるなと思ったけど、
作り手側ってそんなにあんまり変わらない方がいいなと思って一応作ってるんですけど、
それでも変わるんだなと思って。
入れ方で変わるってことは、
やっぱり自分で入れたやつ飲んでもらった時に、
やっぱり違うんだろうなっていう風なこともあったりするのも、
最近はちょっとそういうのってやった方がいいのかなって。
でもそこって、
でも直前線で言ってもそういうのなんだろうなって思ってて、
その人の個人の個性とかも出るし、
自分はこれがすんなり入れて入れやすいと思ってるけど、
自分の入れやすいだから結局。
他の人が入れた時に、
いい感じにしようと思ったら、
ちょっとだけ抑えるっていうか、
入れた時に、
この味が出るといいなって思うけど、
この味が出るといいなっていう味は、
美味しくないって言ってる人からすると、
そこの味が美味しくないんだから、
じゃあこの味が出ないように焙煎したらいいのかなっていう。
でもそれをやっちゃうと何でもない普通のコーヒーみたいな。
それは自己焙煎によって意味があるのかなみたいな。
意味あるんですけど、
意味あるんですけどっていうのは半分半分で、
意味あるのかなってところもちょっとあって、
正確にやるんだったら、
自分の持ち味とかっていうのを感じてもらえる方がいいんじゃないかっていう。
でもさっきおっしゃってたみたいに、
これが正解のやつとかっていう風に出せるのって、
他のことに目をつぶったら出せると思うんですけど、
それって自分の持ってるマーケットにだけ渡してるだけで、
それ以外のマーケットは見なくていいかみたいな感じになっちゃう。
でも見なくていいなって思うところもあるし、
もしくは違うマーケットに持って行った時に、
これ何なのって言われるコーヒーって、
その人の別な表現とかを誘発できるから、
それはいいなって思うんですよ。
そういうところのコーヒーが出揃ってる今の状態は面白いなって思う。
他種多様の。
細分化されたっていうのはある意味シーンが成熟していって、
そこを楽しめるというか、人も増えていったっていう証拠でもありますもんね。
39:01
楽しめる人もいるけど楽しめない人もいたら、
楽しめない人の中にもむちゃヒント多いと思うんですよ。
なんで楽しめないかとか。
じゃあどういうところが楽しめるのかっていうよりは、
どういうところが楽しめないのか。
それを外したら違う楽しみが生まれるんだったら、
そこってまた新しいマーケットの構築とかにもつながってくるのかなって。
そこって何かの交流とか、
先代的に違うなって思ってるところの誘発とかできる方が、
ヒントもむちゃ多いのかなっていうのは思いますね。
それがさっきのコーヒーホッピングの外野の感じみたいな。
同行のシーンっていうわけじゃないけど、
人が集まってると確かに結束固いし、
コーヒーのシーンとして盛り上げてきないなっていう気持ちが強いし、
でも、じゃあ何かのカテゴライズでその感覚になってるところだけっていう風に見る人って絶対いるのかなっていう。
そこで集まってるところを外して見れる人ばっかりだったらいいですけど、
やっぱり固まってると。
あれがシーンみたいな感じじゃないですか。
そうそう、なっちゃうかなっていう。
そういうところでは、外野でヤイヤイやってる方がそういうところも紛れるのかなみたいな。
違う正解もあるよみたいな感じなんですか。
違う正解とかもありまくると思うんですよ。
正解って人の数あると思うし、
でもやっぱり一個の正解の方が安心感もあると思うんですよ。
それで、もう一個の正解があって、それが正解ってみんなで言ったらそれはみんなで安心。
みんなそれが正解だよねっていう風に興味がかかってるし。
でも、本当みたいな。
いわゆるコンテスト的価値観っていうか。
あるし。
それもあるけど、コンテストっていう空間だったらいいと思うんですよ。
でも、実生活の中でそういう感覚になっちゃうのって、
大丈夫?みたいな。
それはちょっとあれかもしれないけど。
そういうのも正解だけど、自分はこう思うし、みたいな。
もっと自由でもいいんじゃない?みたいな。
確かに。
ただ、自由じゃないところに安心感ってあるところもあるじゃないですか。
そこを抑えてるから、
共有できたりとか共存できたりとかっていう風な場っていうのが作れるっていうのもあるし、
42:03
難しいなって思う。
そういう意味ではコーヒーってすごく平和的な飲み物かもなって思うんですよ。
アルコールみたいに酔っ払わないし。
で、比較的ノンアルコールだからみんな飲めるし、
薄めたりしても味わえるし。
そういう意味ではそういう風なコーヒー。
コーヒーってさっき言ったキシュネルとかでも、
メンネルの材料って岡山市が発祥だから、
そこの部分と、
たまたまというか幸いというか、
ネルドリップっていうのがなんとなく日本的なコーヒーみたいな、
元々の伝統的なイメージとかもあるかなっていうのがあるから、
それが岡山市、材料、素材が岡山市発祥っていうところでは、
コーヒーっていうこととネルドリップのメンネルっていうところをくっつけて、
それが岡山市で起こったっていうところは、いいなっていうか。
確かに必然性がありますね。
そうですよね。
ドコゴヨシムネとかが、
麺の素材の栽培の奨励とかをやってたっていう流れとか、
もともとケダシモメンっていう伝統産業があったとか、
もともとケダシモメンって別のものなのに、
向こうの外国から入ってきたフランネルに似てるっていうだけで、
これをネルって言ったらどうかっていう風に言った知恵とか、
全然違うものだけど、言い換えるっていう言葉を変えるだけで、
同じような効果が得られるんじゃないかって思った発想とかっていうのも、
岡山のコーヒーの中にはこれから入っていく価値ってあるのかなって、
岡山屋からこそみたいな。
そうそう。
そういう繋がれない発想とか、
似てるからこれ使えるよねみたいな。
作られちゃいますみたいな。
そういうの。これはこれだから、これはこれだからっていうよりは、
じゃあ言い換えたらいいんじゃないかとか。
でも言い換えたらいいんじゃないかっていうところは理論的だし、
なんとなくでやってない。
これをこれにしたらどうかって。
すごいディスカッションしてるなみたいな。
話を聞いてたら結構とんでもない時間になってきてるんですけど、
ちょっと終盤になってきて、
木蓮の話に戻しまして、
コーヒー木蓮の中、今後どうしていきますかみたいな木蓮の未来について
45:05
教えてもらいたいんですけども、
今はどんな感じで考えられてますか?
特に何も展望がないんですけど。
年々、でもなんか、
木蓮というより、寝るのこともあるんで、
アメリカでコーヒー入れたいなとかあるんですけど、
カナダとリッチモン都市かな。
若山市と姉妹提携してるんですけど、
僕は村上って言うんですけど、
向こうにも村上ハウスっていう家があって、
そこの村上ハウスは、
リッチモン都市で若山市と姉妹提携してて、
村上ハウスっていう家があるけど、
そこの村上さんは山口県の村上水軍の末裔が向こうで造船業をやってるんですよ。
で村上ハウスになって。
勝手に親近感を覚えて、
そこに木シューネルを送ったんですよ。
若山市と姉妹提携してるっていうのも、
神話性があるし、
僕も村上って言って、
村上ハウスと名前が一緒だから、
勝手に親近感を覚えて、
若山市発祥の木シューネルっていう素材があって、
僕はそれでコーヒーを入れてるもんなんですけど、
それを送りたいんですけど、送っても大丈夫ですかってメールを送ったら、
面白いから送ってみたいな感じで送ったんですけど、
そこはコーヒーっていうよりは、
若山の人も移民で行ってるんですよ。
そういうところとかで、
コーヒー入れれたらなとかっていうのもあったでしょ。
そういうのはなかなかあるんですよね。
そこ行って、若山の地ついでる人とかが絶対いるから、
そこの人に若山の素材で入れたコーヒー、
飲んでもらったりするのとかってしてみたいし、
でもそういう人が来た時にも、
木蓮としても、
ネルドリップでコーヒー入れてるのって、
これ若山市、たまたまなんですけどね。
たまたまなんですけど、
これ若山市で生まれた素材で入れてるコーヒーなんですよっていう風なのを、
言える場所にしとけたらいいなっていうのがあるんですよね。
そうやって若山の人って、
結構外に出てる人も多いのかなって思うんですよ。
県外とかで。
東京行った時も結構世話になった人だから、
でもそういう人が若山に帰ってきた時に、
若山の素材でコーヒー入れてるんだなって思う。
もともとネルドリップって日本のもともと、
48:00
昔からやってるやり方でしょみたいな。
でもその素材って若山発祥なんだみたいなのって、
めっちゃいいなって思うんですよ。
そういうのって、
うまいこと言う必要もないんですけど、
そういう感覚っていいなって思う。
興味あることに対する行動に、
下心がないっていうか、
初期のフリーペーパー取り寄せ、
繋がってとかって、
ちょっと下心も感じることだと思うんですけど。
そんなこと言ったら、
カナダのそこにいろいろ贈るのとかでも、
若山のことを、
若山のことっていうよりは、
そこと繋がったら面白いという下心はあります。
なんて言うんですかね、その下心が、
なんなんですかね、
自分の商売的な売り上げであったりとか、
その下心を大きく見せるっていうことに、
あんまり直結しない行動っていうか。
中央が村上さんとしてとか、
木蓮としてではない、
もっと大きな主語になっている感じがしますね。
でもそれ結果的にかも。
商売的に全くないかっていうと、
行動していることは、
全部商売に絡んでいるなって思うんですよ。
個人事業主だから、
法人感覚というよりは、
個人事業主だから、
個人の動きって全部商売に絡んでいるんじゃないかって思って、
自分が外に行って食べるとか。
支出だし、経費にならなくても支出じゃないですか。
何かを買うとかっていうことは、
例えばそれが木蓮のことに直接関係がないっていうこととかでも、
木蓮のことをやっている自分には関連してくることだから、
感性とかが変わってくるから、
このおもちゃ面白いみたいな、
共同玩具とかおもちゃっていっても、
おもちゃもいろいろあるけど、
この絵いいなとかって感じるのって、
その感じる感性の部分は、
結果的に自分がやっているのが商売だから、
商売には関係してくるなっていうふうには、
前提としては思っているんですよ。
ということは逆にあれですかね、
全てが村上さんであり、
木蓮でありみたいな感覚っていうことですかね。
僕がさっき言った、
言わせてもらったことと真逆というか、
そこに村上さんとかの気持ちがすごい、
あまりなく見えたというか、
51:01
もうちょっと広い意味でみたいな感覚だったんですけど、
実は村上さんの思い出もあり、
木蓮とすべて繋がるという思いがあるみたいな感じで。
前提としてはあるなというふうに、
思わざるを得なくなっているところもあって、
かなり木蓮と村上さんというのが、
限りなく同じになっているという感じですかね。
それはありますよね。
それって店やってたら、
仕事してたらそうなんじゃないかなって思います。
本人が意図的に切り離しているだけで、
意図的に切り離していても、
周りから見たら、
いやあそこに勤めている人でしょっていう。
いやあそこの人でしょみたいなのってあると思うんですよ。
でも本人が、
いやいや今はそこじゃないからというふうに言っているけど、
いやいやそこの人じゃないですかみたいな。
でもそこに自分が、
周りからそこの人で言われても、
いやあ今はそこの人じゃないというふうに
切り分けられる人っているじゃないですか。
感覚が変えられる人。
私みたいに感覚を変えるのが下手なのかもしれない。
そこがさっき植田さんが言われたように、
嘘がないというか、
こう見せるためにとかじゃなくて、
全部ちゃんと中から出てきた思いで動いているので、
そういうふうに見えるのかもしれないですね。
演じている部分がないというか、
よく見せようとかという部分がなくて、
全部自分自身の興味から出てくる思いというか、
衝動というか、行動というか。
そこって結構難しいですよね。
演じるとかって、
若いまで表現教育科という仕事をしている人がいるんですけど、
演じるって、
すごい二次的とか三次的な作業だと思うんですよ。
でも元々の自分ってどうやってできたのかって、
元々の自分って言っているのはどうやってできたのかって言ったら、
多分生まれた状態で、
一番何もない状態から周りのことを見て、
それを真似して演じているところからが、
自分って思い込んでいる自分、
一時自分みたいな。
でも一時自分が、それからまた周りを見たときに、
これがいいなみたいな感じのことをやっているのが、
二次自分みたいな感じだから、
その感覚ってあって、
そこって難しいなって思いますね。
そういう意味では、
54:04
自分の欲で動いていますよねって言われたら、
ああそうですねって言うし、
でも自分の欲で動いていないですよねって言われたら、
ちょっと答えにくいですけど、
全く自分の欲じゃないかって、
そんなことはないですけど、
そこまでそういうのじゃないかもしれないですね、
とかいうのもあるし、
難しいですね。
でもさっきのキャラクター設定とかが決まっていたりすると、
全然自分の欲じゃないですよ、
とかいうふうなこともあるけど、
自分がどこまで知っているかで、
でも自分がそういう気持ちを欲しているってことは、
これも欲だしって感覚があったら、
いや、欲ですみたいなことを言うと思うんですよね。
でも自分が欲するとかいう気持ちが当たり前だったら、
いや、別に欲ないですみたいな感じにはなると思うんですよね。
そこって、
でもその時って、
自分がその会話の流れとかの中で、
どういうふうに思うかっていうのも、
ちょっと変わったりするって感じですよ。
多分ムラがあるから、
感じ方で。
とかその日ごとにちょっと違う時もあるので、
そういうのが変わるところですけど、
なんかコーヒーやっていると、
別にそのことも決めなくてもいい時も多いかなっていう。
コーヒーやっているとってあれですけど、
決めている方が安心感もあるけど、
そこも決めている方が安心感がある関係の時と、
そうじゃない関係とかもあるのかなみたいな。
でもそういうのですよね。
そういうので流動的に答えがパッと出なくてもいい状態。
多分今の状態だと答えが出た方がいいと思うんですけど。
ですけど、
でも自由な感じで見ているのがこれからはいいのかなみたいな感じかもしれないですよね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
最後にゲストの方皆さんにお伺いしているんですけども、
村上さんが今和歌山で気になっている人とか、
この人の話を聞いてみたいなって人とかっていますか?
そうですね。
さっきの和歌浦のKとCのケーキを作っている竹田美齢さんとかは?
57:09
気になりますね。
ありがとうございます。
KとCのケーキおいしいですよね。
おいしい。
昔あそこのモンブランを食べていて、
食べながら泣いていたことがあって、
その時ドハマリして、おいしいなと思って。
それまでも食べていたんですけど、あれもタイミングなんだよなと思うんですけど、
その時はさっきの選べないので、
全部選んだらいいんじゃないって話になって、
5個くらい選んでいて、
5個くらい選んだけどモンブラン食べていて、
めっちゃおいしいなと思って。
でもあれモンブラン1個だけだったら分からなかった。
ぜひ話を聞きに行ってみます。
最後に村上さんから何か告知とかありますか?
一応あと動画から、コーヒーホッピングという、
僕は参加しないんですけど、
和歌山でそういう、和歌山と熊取のお店でそういうイベントが行われますので、
それはきっと、ちょっというか、参加していても楽しかったですし、
楽しいのでよろしくお願いします。
ホッピングを通していろいろ考えるきっかけとかにも。
そういうのもありますよね。
回るだけでもいろんなコーヒーがあるし、
移動する中でも、それもお客さんの声とかで、
巡っている中でも場所が違うから、
行くまででもいろいろ思うこととか感じることがあって、
それもすごい自分の中でも面白かったですね。
そういう話もやっぱり聞くし、
そういう機会でもないと、
比べるっていうことをそもそもしないとか、
そういうのも発見につながって面白いのかなという。
ありがとうございます。
皆さんぜひホッピングしてみてくださいって感じで。
あと個人的に、2月の20日に銀座の三越でコーヒーを入れます。
それはその辺の1週間くらいで、4日間で、
金座コーヒーフェスみたいなのがあるんですけど、
その中の20日の金曜日だけコーヒー入れに行ってます。
よかったらよろしくお願いします。
ありがとうございます。
それでは最後に事務連絡させていただきます。
キセンラジオはスポティファイやアップルポッドキャストなど、
各種音声配信サービスで配信しています。
スポティファイで番組をフォローしていただけたら嬉しいです。
この人の話を聞いてみたいというリクエストや、
1:00:00
番組改善のためのフィードバックも募集中です。
番組のオープニングとエンディングの楽曲は、
お寿司のともみさんのOur Youngです。
お寿司のともみさんの楽曲はスポティファイで聴けるほか、
お寿司のともみ通販サイトでCDも購入可能です。
こちらもぜひチェックしてみてください。
というわけで本日は、コーヒーモクレンの村上さんにご出演いただきました。
村上さんありがとうございました。
ありがとうございました。
すいません、お疲れのところ長時間ありがとうございました。
すいません。
本編に入りきれなかったんですけど、
美味しいコーヒーとは何かということとか、
いいお店とは何かというような話も聞けたらと思うんですけど、
今サクッと聞いちゃっても大丈夫ですか?
美味しいコーヒーとは。
美味しいコーヒーは、さっきの話みたいな感じなんですけど、
飲んだ人が美味しいと思うコーヒーですよね。
あと他人と答え合わせしないことですよね。
これは結構お客さんにも言うんですよ。
他人と答え合わせしないほうがいいですよって言って。
他人と答え合わせしちゃうと、
自分の美味しいが美味しいじゃなくなっちゃう時もあるんで、
自分の美味しいは大事にしておこうほうがいいかもっていう。
言われたらちょっとブレちゃいますもんね。
ブレるし、
感情もあるし、気遣いとか。
この人がこう言ってるから、
こういう風に言っといた方がいいかなみたいな気持ちで働く人もいるし、
でもそこで、私はこうだからってなっちゃう人もいるけど、
その状態になると、
我の張り合いみたいな。
我の張り合いになってくると、
美味しいコーヒーが何かの話から、
自分の意見が変わっちゃうんですよね。
どっちの意見が正しいかになっちゃうから。
美味しいコーヒーがどうでもよくなっちゃってるから、
美味しいコーヒーは自分だけのものかなって。
確かに。
でもそれ言っちゃうと、産業止まっちゃうと思うんですよ、経済が。
今のそういう競争意識とか、
比較してることってちょっとやっぱり、
旧大衆での経済の横断し方の一個ではあるかなって思って、
難しいところですよね。
村上さんとしての美味しいコーヒーって、どんなコーヒー?
自分のコーヒー。
木蓮ブレンドが一番、村上さんのど真ん中っていうか。
今はそうですね。
ちょっと前まではマイルドブレンドでした。
でもその前はアルマティックブレンドでした。
でもその前はマンデリンでした。
1:03:03
でも平均したら自分のコーヒーだなって思う。
でもそれはさっきのViviのマスターのおかげでだったりするし、
Viviのコーヒー、ファンだから買おうとするときに、
なんでうちのコーヒー買うのって言われるんですよ。
飲みたいんでって。
飲みたいコーヒーがあるんだったら、自分に売れたらいいじゃないって言うんですよ。
そのために自家配線やってるんでしょってよく言われてて、
それって最近身についてきたなって思う。
味が近づいてきたって。
その感覚が自分にちゃんとしっくり身についてきた。
自分の飲みたいコーヒーをご自身で配線する。
前はそうは言ってても、そこってちょっと欲が入ってると思うんですよ。
それを飲んで買うことで勉強にもなるし。
あとそことの繋がりとか。
でも味とは関係ないですよね。繋がりとかって。純粋には。
でも確かに自分がもっとこんな感じにしたいなって思うのがあったら、
それやったらとか、やったときにそうなるのかなっていう。
やらないと結果変えられないから、やってみたときにそうなったら、
あ、なった!だし。
でもあれって難しいのが、一瞬なっても継続してそれが続くかっていうと
結構難しいんですよ、味って。
モクレンとかでもそうなんですけど、パシッてはまってる味って
もうちょっとメッシュも細かいんですよ。
ちょっとうち今荒引き。気持ち荒引きなんですけど。
こっちはいいけど、気持ち薄いんじゃない?みたいな感じのところもあるんですけど
そこの部分ってちょっと残しておきたいなっていうのがあって。
なんでかっていうと、パシッてはまってる味っていうのを
やってみてる時期ってあったんですけど、すぐ飽きるんですよ。
飽きるんじゃないか。続けて飲めなくて。
今のやつだと、ずーっと飲んでるんですよね。
でもそういう意味では、お客さんのために作ってないなって思うんですよ。
なるほど。
お客さんのためにやってるんだったら、パシッてはまってる味を
普段だったら1日1回とか1日2回とか3回とかだから3回くらいだけど
ずーっと飲んでて美味しいのとかって、こういう味だったらいらなくなっちゃう。
当然だなって思うんですよ。
それって全然お客さんのこと考えてないなって思う。
でも考え方によったら、嘘がないというか
1:06:02
美味しい、村上さんが美味しいと思うコーヒーをお客さんに提供してるっていうのは
そういう意味では嘘がない気もしますね。
それはそうなんですよ。
そこのところでお客さんから聞かれるので、一番ちゃんと答えたいなって思うのが
これもやっぱりお店の人が美味しいと思ってるんですよねって言われたときに
はいっていう風に言えるコーヒーかどうかってめっちゃ大事だなって思うんですよ。
でもその時に、本当はこのコーヒーの方が美味しいと思うんですけど
でもこれだと飲みづらいかなって思って焙煎アタックして待つ。
え、じゃあこれじゃない方が美味しいと思ってるのを出してるんだっていう風に思ったところに来るのって
めっちゃ嫌だろうなって思うんですよ。
なんかそういった毛差もあって、これもネタ的には面白いんですけど
今うち玉林園さんにコーヒーのアイスをお願いして作ってもらったんですよ。
その時に作ってもらったんですけど
サンプルでグリーンソフトみたいなやつを作れないかなと思って
コーヒーアイスで。
だから玉林園さんってグリーンソフトって和歌山じゃないですか。
で、東京とかにもドリフトパック出してるから
そことかにもこんなの作ったら置いたりしたらどうですかねって聞いたら
いや面白いですねみたいな感じがあるんですけど
作ってもらってる時に原料で作るコーヒーの濃縮液とか
インスタントのコーヒーとかも別の会社に作ってもらって
それを玉林園さんに送って作ってもらって
確か美味しいんですよ。美味しいけど
それって今うちがコーヒーロッカーとかパフェとかに使ってる
コーヒーのアイスと全然違うんですよ。
で、今使ってるコーヒーのアイスを
玉林園さんとコラボして
こっちは川に作ってもらって
川に作ってもらってる
すごいっすね。
コーヒーアイスを玉林園でああいう形にして売れないかなって
最初考えたんですけど
こっちは全然玉林のコーヒー使ってないんですよ。
使ってないけど
最初作ってもらえないかなと思って川に連絡したら
うちが使ってないコーヒーアイスがあるんで
それちょっとアレンジしながら使えないですかねって
提案客にしてくれて
じゃあそれでいいって言ってやったんですけど
それでやってて
作ってもらったけど
今朝ちょっと妻と話してて
今は木根でやってるコーヒーアイス
あれそのままグリーンソフトみたいなの作ってくれたら
それがいいんやけどねって話をしたら
それでもおかしくないって話になって
何がおかしいんですよ。あれ美味しいし
お店に乗っても美味しいって言ってもらってるでって話をしたら
1:09:02
いやよく考えてねって
それってお店の中だから
木根の中で食べてるからみんな言ってくれてるけど
外に売ろうとしてるんでしょみたいな
外で売った時に
何にも知らない人が木根のって書いてるやつを食べて
木根のコーヒーアイスなんやと食べた時に
美味しいかもしんないけど
木根のコーヒー全然使ってないと思ったら
どう思うって言われたら
ユーザーとしてはがっかりやねって言ったら
そうでしょって言われて
それってむちゃむかしいでって言われて
確かにって思って
今日夕方ぐらいに
母さんに連絡してて
あれ作ってもらってるコーヒーアイスって
木根のコーヒー入れることってできるんですかねって
できますよって言われて
1回目の時は
できますかって話はなかったんですよ
でもなんか
昨日たまたま
母さんと挨拶来てくれて
その時に
いろいろオーダーしてくれてて長いんで
いろいろまた違った展開もできますよって
言いに来てくれてたんですよ
その話を今日相談したら
全然できますよこんな方法があって
できるんですねって言って
でもそれってやっぱり
続けてたから良かったのかなって
思うところがあって
気に入ってる味だし
多分コストとかも
作ろうと思ったら
ダサン的な話で
コストとかも考えるから
外部でインスタントコーヒー作って
それをこっちに送るよりも
こっちにあるのをこっちでくっつけられる方が
おまけに木根のコーヒー使ってくれるんだったら
そっちの方がいいのかなっていう
おまけに両方とも若いものの企業だし
そこでコラボできたりするのがいいな
という話が今朝あったんですよ
そこも最初の話では
結構勘違いすることが多くて
プロセス重視で考えておきたいんですけど
どうしても結果重視になりやすいところがあって
美味しかったらいいんじゃないみたいなことを
さらっと言っちゃって
嫁さんからそういうのおかしいよって言われて
それで修正することって結構多いんですよ
コーヒーの企業とかでも買おうと思って
それでコーヒー美味しくなるの?
木根のって言われて
美味しくなるって言い切れないやつは
それ買わない方がいいんじゃない?
っていうのって結構あるんですよ
そういう感じですよね
美味しいってそういうのありますよね
そういう意味でも
美味しかったらっていうのが
がっかりするのって
美味しいのと美味しくないのと
関係ないけど
がっかりするのって論外な部分って
あるじゃないですか
そういう意味ではさっきの
自分が思っていることを言っていないのは
自分としては論外だなって思うんですよ
でもそれで仕事できるフェーズまで
1:12:03
できている人たちもいるし
でもそうじゃないと
できない仕事とかもあるんだろうな
でもできたら
その状態で
そういうフェーズまで持ち上げたいな
っていうのがありました
理想は嘘がなくて
しかもそれが美味しいというか
自信のある商品やったら
一番最高ですよね
最高
こだわって美味しいものを出すのは
またちょっと違う気もしますし
かといって全く関係のないものを出すのも
お店の商品としては
言えるかって言ったら
ちょっと違う気がするんですよね
この前さっきの
ケシューネルの関係じゃないですけど
繊維の関係で
ブランドっていう言い方の
違った言い方で
メゾンっていう言い方をする
っていう話をこの前聞いて
メゾンって何ですかって言ってて
メゾンって言ったら
ちょっと格上の
ブランドの言い方って書いてて
そういう設定のところを見てたら
やっぱりこだわりもあって
作ったりするところを
展開ちゃんとしてるところが
メゾンとして成り立ってるなとか
そうじゃないものも作ってる
けど
役割分担もちゃんと全部に
持たせてるなっていう
ところまで
持ち上げられたらいいな
っていうのがありますよね
ブランドって言われた時に
ピンとこないこと多いんですよ
多いけど
どういうのなんかなみたいな
でも
どういうふうに使い道があるのかな
って思われるのかなっていう風なのには
興味があるんですよ
例えばモクレンがこういうふうにやってて
それを自分以外の人が
モクレンってああいうのやでとか
モクレンってこういうのっていうふうに
もし言ってくれるんだったら
どういうふうに言ってくれてるのかな
っていうのは興味ある
それって自分じゃない味方の
表現の仕方を知ってくれて
紹介してくれてるってことだから
そういうのって
多分自分よりも
モクレンのことを感じてる人の
表現だなって思うんですよ
それはちょっと興味ありますよね
でもそういうふうに
感じてもらえるようにやろうと思ったら
さっきみたいな思ってること
やっときたいなって思います
確かに確かに
他者評価って
そこに自分の話しといてよかったとか
1:15:01
後ろめたさみたいなのがあると
後悔になるというか
後ろめたかったことは
後ろめたかったですって言いたい
あれは本当に後ろめたかったんですよって
言いたい
あの時あれはみたいな
あの時ああいうふうにしてたら
って思うんですよね
じゃあやったらええやん
っていうふうに言う人もいるけど
ああいうふうにやっときたかったんですよね
っていうふうな状態です
っていうふうに言っときたい
言いたい
認めるというかね
中見さんのモクレンの評価っていうか
どういう店になってると思いますか
やっぱりカバー衛戦の
深襟中心のコーヒー屋
全然専門店じゃないけど
コーヒー専門店っていう
ふうになってるだろうな
でも自分としては今のほうが
なんかコーヒー喫茶
カバー衛戦のコーヒー喫茶店
コーヒー専門店より
また喫茶寄りに戻ってきてるみたいな
戻ってきてますね
なんか専門店って
なんかコーヒーしかない
コーヒーとか
だから専門店って
むちゃ難しいなって
ケーキもあるし
トーストもあるし
全然専門的じゃないし
自ら寄せていったというか
戻していったみたいな
感覚なんですか
いやなんか
元々そのスタイルって変わってないけど
途中って
トーストとかサンドイッチとかは
必要だからやってるみたいな
感じがあったんですよ
意図的に必要
これは運営のためとか
経営のために必要
売り上げのために必要
だったけど
なんか最近は
これもあるからコーヒー生きてるよな
っていうのって結構あるなって
思い直してますね
あるべくしてやるみたいな感じですか
そんな感じです
それってなんかさっきの途中の
なんか一時
コーヒーがシューみたいなときがあったんですよ
寝てるお客さん起こすみたいな
なんでやねんみたいな
そののがあって
そういう風になってるときって
喫茶店だから
疲れてる人とか来たら
ちょっとうとうとうって
したりするじゃないですか
その人一人だけなんですけど
寝てる人のときに
すいません
コーヒーどうしてたんで
1:18:00
寝てたんですよ
その人に起こした後で
さっきのって無茶ないよなって思って
なんかもう
何してんのかなって思って
それは村上さんが
本当に思ってそうしたというよりも
今はこういう店として
コンセプトでやってるから
こうすべきやっていう感じで
声かけたのが
結果的には
本心でやったわけじゃないから
後悔したってことですか
後悔しなかったらしない
その時はそう思って声かけたけど
そうそう
コーヒー出てきてるけど寝てるから
すいませんコーヒー出てきてる
コーヒーを
多分自分のコーヒーにも
自信がなかったのかも
自信がなかったから
コーヒー出てきてるのに
なんか全然起きないし
この人ってコーヒー飲みに来たわけじゃないんだな
みたいな感覚になってるのが
自信の無さの現れ
なんか
プライドとはまた違ってて
こっちも一生懸命
コーヒー入れてるのに
しっかり飲んでよというか
そんな感覚じゃないですね
飲んでよとかじゃなくて
なんでこの人寝てるんだろう
みたいな感じ
もっと悪い
そっちのほうがまだ
そういう感覚のほうがまだ
ちょっと可愛げがあるじゃないですか
なんでこの人寝てるのかな
みたいな
起こした後で
いやーやっぱり
仕事で
その人がすいませんとか言って
コーヒー飲んで帰ってったけど
なんかすっごい
自分で気分悪くて
なんか
もともとその仕事
もともとの飲食とかって
自分も仕事してるけど
他の働いてる人のサポートみたいな
意識もちょっとあるんですよ
役割として
あの人働いてたの
映像とかで回ってて
なんか疲れて
座ったから
座ったら眠たくなるよなと思って
で、ゆっくり
せっかくゆっくりしてたのに
なんか
ゆっくりできるところで起こされて
あれって
何してんだろうと思って
なるほど
喫茶店として
乗って感じですか
そうそうそう
そういう意味では
回転率とかあんまり考えてないんですけど
そもそも今の状態に広げたのが
前が7席
カウンター7席で
一応2階にも席あったんですけど
なんか靴脱いで
上がってみたいな感じでやってて
それでやったから
ほとんど1階席しか
使ってない状態なんですね
あんまりお客さんが入れないから
1:21:02
回転率とか
もともと座ってる人が
出ないといけない
でもそれって回転してるから
いいことなんですけど
それってどうなんかなって思って
痛い人
まだ痛い人
履けてもらおう
そうそう
で、なんか
ここの場所でできる広さとかで
もし自分が最大限やってたら
それだったらしょうがないけど
なんかその時のお客さん
狭い場所でお客さんが来て
広げたらええじゃんって
広げたらいいのかと思って
ここの壁抜いたんですよね
席数増やして
それだったら
結構今
人が来ても
すいません今満席なんですって
スタッフは結構気使いながら
すいません、満席で
座れなくって
満席でっていう感じで
言ってくれるスタッフだから
それもまたいいんですけど
僕は結構今満席なんで
すいませんって言って
それだけなんですよ
どれくらいで空きますかねって
制限時間とかも設けてないから
それ分かんなくて
そうなんですね
他のお店とか1時間で
帰りたいとかって
それないんですかねって
それないんですようち
っていう風にやってる方が好き
でも多分
そっちはそっちで
自分としては経営を考えてるけど
違う経営の考え方だったら
例えばよくある
混んでるときは
1時間半で交代お願いします
みたいなこと書いてるお店とか
それはそこのお店のやり方だから
別にそれはいいんですけど
自分のお店だったら
難しいなって思う
難しいし
あんまり外食しないんですよ
しなくて
友達と外食行ったときに
ずっと喋ってたら
ラストオーダーのときまで
いたんですよね
そこのお店にいて
すいませんラストオーダーで
って言われてそれ分かりました
って言ったけど
喋ってるんですよ
喋っててラストオーダーだしな
と思ってラストオーダーだしな
喋ってたけど
減ってん時間だなって
出るんですけど
やっぱり喋りたいときは
喋りたいなって思って
話の
でもそれもノリですかね
その場のフィーリングとかノリとかで
話が続いちゃうことってあるじゃないですか
ああいう状態って
またそういうときに
時間が押してからも
片付けとかやったら
そのまま別にちょっと
放ってるときとかあるんですよ
自分の中で
1:24:00
もうそろそろ変えようかな
そろそろ閉店でするとか
言いに行くんですけど
言いに行ったときに
すいませんごめんなさいね
閉店時間過ぎたけど
久しぶりに会って話ができて
よかったですとか言われたら
やっぱりあそこで切る中で
よかったとかって思ったり
するのとかっていうのも
多分経営的には
あるんですけど
自分としてはいい経験してるなって思うし
そういうの
そうですね確かに
別ですよね
経営と自分の
やりたい形とっていうのは
イコールじゃないことも
いっぱいあると思うんで
自分にとってストレスないのは
やっぱりやりたいようにね
だから10時来たらすぐ
すいません今日閉めますって言って
すぐにあるし
今日はむちゃむちゃ長く
待ち待ちなんですよね
必ずこの時間が来たら
嫁さんとかやったら
そんなの言ったら
それで閉めたらいいのに
それは決まってるし
なんかそこも
確かにそれは楽なんですけど
その楽さって
どうなんかなって思うときとかもあって
そうですよね
でも楽なんですけどね
でもその辺ちょっと多分Mなんですよ
経営的に
そういう状態で
悪く言えば
自己倒水
そういう自分がいいみたいな
それはあるな