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episode.57 前編 藏光農園 藏光俊輔さん
2024-09-18 1:06:43

episode.57 前編 藏光農園 藏光俊輔さん

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episode.57 前編


ゲスト▷ 藏光農園 藏光俊輔さん


今回のゲストは藏光農園の藏光俊輔さんです。


talk topics


毎日川遊び/自然に触れ合う仕事/智辯和歌山/京大はオススメ/着物で売る練習/30歳で区切り


どうぞお聴きください💁‍♂️


番組のオープニングのエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。


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00:20
有田市のコーヒーショップARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio第57回です。
本日は、日高川町にある蔵光農園で収録しています。
本日のゲストは、蔵光農園の蔵光俊輔さんです。
蔵光さんの生まれから現在に至るまでのルーツや、現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
蔵光さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では、まずは蔵光さんから自己紹介してもらってもいいですか?
はい。蔵光俊輔です。
和歌山に、結構珍しい名前だと思うんですけど、
本当に親戚しかお馴染みおじの人はいないです。
多分、5件ぐらいですね。
そんな人しかいない。
全国的にもかなり少なくて、
僕、お馴染みおじの人に会ったのが1回だけなんですよ。
しかも、大阪でみかんのマルシェをしている時に、
マルシェの告知をしてくれた時に、
奈良の人がその告知を見て、自分も蔵光っていう生に会ったことがないと。
どんな人だろうって言って、会いに来てくれたんですよね。
それが1回だけですね。
なるほど。蔵光さんの漢字もめっちゃ特殊ですもんね。
そうですね。これは旧字体なんですけど、
どうせだったらこのままにしておこうかなと思って、
ずっとこれにしてますね。
で、くらみつの応援というのはどういう応援になるんですかね。
僕で1.5代目ぐらいですね。
和歌山に親戚しかいないって言ったじゃないですか。
僕のひいおじいさんから分家したんですよね。
親戚の本家が収録している場所の500mぐらいあって、
うちは分家っていう感じなんで、ひいおじいさんの時に分家をして、
おじいちゃんは戦争に行ってたんで、
そこで鉄砲の弾に当たって負傷して帰ってきたんで農業はあまりできませんと。
なのでおばあちゃんが男の人を使って農業をしてたみたいな。
そこも子供がなくて、
父親が親戚のところから大人になって養子で入ってきて、
そこから父親が本格的に農業を始めた。
03:00
僕が今それを継いだっていう感じなので、
いわゆるみかん農家とかだと、何代目?
7代目とか。
そういうのが全然ないんですよ。
1.5代目。
もう使わんほうがええみたいなやつ。
刻むのもおもろいですね。
みかんをやってるのと、
あとは帰ってきた時に、
もともと父親とパートさん1人っていうぐらいの規模でやってたので、
妻も農家してるんですけども、
僕と妻2人で帰ってくると、
パートさんがもうちょっといいよってなっても、
ちょっと人数多すぎだぞみたいな面積に対して。
っていう感じになるなって思ってた時に、
ちょうど親戚が亡くなって、
亡くなった親戚が梅の専業農家だったので、
じゃあそこもやらせてもらおうっていうことになって、
梅とおみかんをやることになったっていう感じですね。
しかも父親はどっちかっていうと、
メインでやってたのが、
ハウスの中でお花のカーネーションを育てて、
それを切り花で出荷するっていうのがメインだったので、
みかんもそんなに力を入れてないっていう感じのところに帰ってきたっていう。
前回ゲストに出ていただいた中西農園の中西さんからご紹介いただいて、
今回くらみつさんに出てもらっているんですけども。
中西くんからまだこの件に関して何の連絡も来てないっていう。
あっそういうことですね。
いや、言っといたよとかなんかね、あってもいいじゃないですか。
なかったんですね。
別件でやり取りはしているんですけど、
この件に関しては何もなく。
まあ別にいいんですけどね。
僕から突然DMが来てみたいな感じだったんですね。
あれなんやなんやとか思ったんですけど、まあまあ別にそれは。
その時中西さんから農業に関して僕のメンターがくらみつさんやみたいな話をされてたんですけども、
中西さんとくらみつさんはどういう感じで出会ったんですかね。
前の和歌山県知事の三坂さんの時に和歌山塾っていうのがあったの知ってます?
え、わかんないです。
10回ぐらいね、1回で10回ぐらいやってて。
経営…
中西さんからそのお話聞きました。
なんかその和歌山から世界に羽ばたく人材を育てるみたいなので、
三坂知事のコネクション使って国会議員さん呼んできたりとか、
その経産省の偉い人呼んできたりとか、
そういういろんな人の講演会とかを10回ぐらい聞いて、
それでみんなで意識高めていこうみたいな会があって、
その1回目に僕もたまたま応募したんですけど、中西くんも応募してきてたんです。
06:00
で、最後にその塾生全員が1分間自己紹介みたいなのをするみたいなのがあったので、
あの丘の中西くんが来てるなっていうのが分かって、
白いスーツ着てたんですよね。中西くんが。
ヤバいね。
これは面白いと思って、積極的に話しかけに行って、
そこからなので、その1回目が多分12年ぐらい前なんですよ。
そこから知り合いになって、それからJAの青年部であったりとか、
農業関係の教育みたいなのも一緒に1回目で受けたりとかっていうので、
一番ずっと長く友達でいているのかっていう感じ。
結構いろいろ生産についても話したりとか。
そうですね。わりといろいろこんな風にしたらいいんじゃないみたいな話はするのは知ってますね。
この倉満さんは別のポッドゲストを出演されてたときに、
今地方で農業して生きていくときに必要なことを全てやってる人っていう風に紹介されていて、
地方で農業して生きるために必要なこととはっていう話とか、
いろいろ詳しく聞いていけたらと思うんですけども。
そうですね。地方でね。和歌山、地方地は地方ですもんね。
そんな話を聞くんですけど、このポッドゲストはもう生まれ育ちから
ちょっと深掘りさせていってもらってというような内容になっているので、
まずは倉満さんの生まれはどちらになりますかね。
本当にここですね。今ちょうど僕が生まれたときから建っているこれが倉ですね。
家自体は建て替えたんですけど、本当にこの倉とくっつくような感じで実家があったので、
ここで生まれも育ちもここですね。
家庭環境とかどんな感じだったんですか。
父親、母親、ばあちゃん、下に弟が2人でしたね。
3兄弟の長男で。
母親も結構しっかり仕事をしていたので、ほぼほぼばあちゃんに育てられたかなという感じです。
ばあちゃん子でしたね。
お父さんも農業をされていて、お母さんは何をされていたんですか。
母親は教師ですね。
あ、そうやったんですね。
なのでちょっと後半に続くという。
続きそうな雰囲気が出ていたので。
子供のときはどんな感じだったんですか。
ものすごい活発でしたね。
活発というか、自然の中で遊ぶのがめちゃくちゃ好きだったんですよ。
ほんのり見てもらったら分かると思うんですけど、
川がここから100mくらいのところに日高があって、
09:05
夏は毎日学校のプールには行かずに川で泳いでました。
めっちゃいいですね。
当時日高川町ってどんな感じだったんですかね。
それ言われて考えていたんですけど、
今とほとんど変わらないんですけど、
一番違うのが道がもっと狭かったですね。
今は全部2車線になったんですけど、
当時は1.5車線くらいしかなかったなというのを思い出しました。
山道みたいな感じで。
そうですね。いわゆる山にしか残っていない道ですね。
僕が住んでいる松瀬という地区は、
僕が生まれた時から大体40軒くらいで、
そこから今に至るまで、
親戚じゃない家は一軒も建っていないです。
ずっと同じ人、親戚しかいないという感じです。
10年に一軒くらい減っているかなというぐらいのスピードで、
ちょっとずつ人が減っているかな。
今だから35軒くらいかなという。
なので本当に昔からいる。
帰ってきた時も子供の時にいたおじいちゃんおばあちゃんが、
まだ大おじいちゃんくらいになっていて、
その人たちもそろそろ結構亡くなりやがりましたけど、
僕がいた時からいわゆるおばあちゃんだった人が、
帰ってきた時は10年、13年くらい前か。
結構いましたね。
その人たちがほぼほぼ、
あと一人二人くらいかな。
残ってまだ元気されているのが。
というぐらいになったんですけど。
だから結構変わらないし、
ちょうど僕の時代って、
大学の時ぐらいがむちゃくちゃ就職氷河期だったんですよ。
なので僕の周りが結構この松瀬地区、
段階の世代って言うんですかね。
結構人多くて。
彼らが結構就職できずに、
できずにって言ったら変かな。
不景気だったんで、
サラリーマンとかよりも公務員とか、
純公務員的なお仕事の方が良しというか、
いいんじゃないかみたいな風潮もあったんで、
結構帰ってきてて。
そういう意味では、
同世代も結構いるし、
上もずっといるしみたいな感じなので、
結構変わってないなっていう。
結構変わった地域ですね。
昔からメンバーほぼ一緒っていう。
いや本当に面白いですね。
不思議な感じで。
じゃあそのまま小学校も地元の小学校行ってみたいな。
そうですね。
ここから3キロくらい毎日歩いて。
めっちゃ遠いね。
12:00
でも帰りに、
それこそあれですよ。
今までやったら怒られるかしらですけどね。
勝手に人の畑に入ってみかん食って帰ったり、
道草ばっかりして帰ったりして、
楽しかったですけどね。
小学校はどんな感じだったんですか?
人クラス?
人クラスだいたい10から15人くらいでしたね。
僕も15人でしたね、同級生。
同級生のお父さんとかも大体農業でみたいな感じなんですか?
いや、僕のいる松瀬地区が多分5人か6人なんですけど、
そこは割とお父さんお母さん農家多いですね。
でも隣の地区が10人くらい。
その2つの地区で和佐小学校だったんですけど、
和佐地区のほうはほとんど農家はいなかったと思いますし、
今も結構農業地区ではないですね。
僕がいる松瀬地区は農業地区なんですけど、
隣は新しくアパートも建つみたいな感じで、
昔からあんまり農業は盛んじゃないですね。
兼業でみんなやってるっていう感じかな。
おじいちゃんの世代にやってて、
僕らのお父さん世代は兼業でちょっとやるっていうような感じだったんじゃないかなと思いますね。
なるほど。クラスの中では倉満さんどんな感じの子供だったんですか?
僕結構生徒会長とかしてたんですよ。
そういう感じの?
いや、めちゃくちゃ前向きな理由と後ろ向きな理由があって、
前向きな理由は、
遠足とかの班を生徒会が決めれるっていう。
班で言ってたら、川とかで芋煮会とか、
繁豪水産でご飯を炊くとかあって、
それが何班かで分かれるんですよね。
全校80人ぐらいが、多分10人の8班ぐらいで分かれて、
じゃあみんなで楽しくそこで繁豪水産しようみたいな、
それを班決めを生徒会ができるっていうのがあって、
それは自分がいいなと思うこと一緒にやりたいじゃないですか。
っていうので立候補した。
もう一個が、生徒会になると掃除をしなくてよかったんですよ。
ちょっと記憶が曖昧なんですけど、
掃除だったと思うんですよね。
なんでしなくてよかったのか分かんないですけど、
あ、違うな。修等番ってやつかな。
掃除じゃないかもしれない。謎の修等番みたいなやつをしなくてよかったのかな。
何かを免れるっていうのがあって、
それもいいなと思ったんで、
15:01
4年5年6年だったかな。
ずっと副長、長副初期とか分からないですけど、
ずっと食いつないでやってたと思います。
結構クラスの中でも中心的な校やったみたいな感じなんですかね。
いや考えたんですけどね、中心とかもあんまなくて、
みんな4年生くらいから、
当時は男子は全員少年野球に入るみたいな。
伝統で決まってたんですよね。
4年生くらいから僕あんま遊ぶ友達がいなくなっちゃったみたいな。
みんな野球になっちゃって。
僕は野球に入らなかった最初の人間ですね。
僕ね、スポーツがあんま好きじゃないんですよ。
完全にスポーツが好きじゃなくて。
その野球はみんな入ってたけど、
嫌やなと思ってそれで入らずで来てたんで、
中心的っていう感じではなかったですね。
活発だったんです。
どっちかというと山とかに入って遊んでるみたいな感じでしたね。
なるほど。
その時お父さんは仕事もちろん農業をずっとされてたと思うんですけど、
お父さんの仕事に対してはどう思ってました?
さっきも川に連れて行ってくれたって言ったと思うんですけど、
父親が川に連れて行ってくれたんですけど、
昼の真昼間に夏休み40日間、
息子を川に遊びに連れて行けるなんていい仕事なんだろうと思ってました。
毎日遊んでくれてますね。
毎日は川連れて行ってくれましたね。
なかなかそれは子供心に農業ってなんていい仕事なんだろうってかなり思いました。
その時から将来やりたいなとかちょっとあった感じですかね。
でもあんまりその時はなくて、
僕どっちかっていうと、
小さい頃になりたかった仕事っていうのは自然が好きだったんで、
自然の中で生活するような仕事がしたかったですね。
農業よりももっと自然に近いところ。
具体的にこの仕事とかあったんですか?
いや、でも子供だったんでそんなに深く思ってなくて、
でもちょっと変わった職業の人とかもいて、
それこそ夏はアユとったりウガギとったりとか、
秋はアケビとかムベとか山にあるいろんなものをとってきて、
そういうのを売りさばいて成形立てて出る怪しいおじさんみたいな人がいました。
名前は多分イチローさんって言ってました。
18:01
イチローさんって言ってました。
じゃあイチローさんみたいになりたいなみたいな。
いや、ほんのり思ってましたね。
イチローさんにちょっと俺が目をつけてたアケビさっき取られたみたいな、
そういう変なライバル心みたいなのがあったりとか。
秋とかは川にカニカゴをつけたら、
それにズンゴっていうシャンハイガニみたいなやつが結構とれるんですよ。
それとかもとったりして遊ぶのとかもめっちゃ楽しかったりとか好きでしたね。
だからかなり農業っていうよりも自然の中で遊ぶのが好きな子供って感じですね。
農業はあとはみかん取りもちょっと手伝ってた。
今はもうない畑とかで取って手伝ってた記憶はあったりはするんですけど、
それに対して良いとか悪いとかっていう感覚もそんなになかったですね。
そのままのびのびとした子で成長しそうなんですけど、
中学校からしべんわかやかにどこで勉強してたんだっていう。
路線が変わって。
結構小学校から塾行ったりガッチリ勉強してた感じなんですか?
いやそうでもなくて、
5年生の時はたぶん遊びたかったんで。
夏季講習とか、夏季講習じゃない絶対行ってないな。
たぶん冬講習とかそういうやつしか行ってなかったと思います。
土日は遊びたいっていうのを言ってそんな感じで。
だからめちゃくちゃガリベンしまくってたっていう感じではないですね。
6年生は勉強したような気がします。
中学受験したのはなんでなんですか?
それがさっきの話なんですけどね。
僕スポーツが嫌いって言ったじゃないですか。
そのまま地元の中学校に上がると絶対クラブに入らなきゃいけなくて、
そのクラブがちっちゃい中学校なんで運動部しかなかったんですよ。
これはちょっと野球の時みたいに逃げられないぞみたいな。
で、嫌やなって思ってて。
これまた母親が教師だったんで。
母親はこれ幸いとばかりに地元に行ったら運動部に入らなくていいよっていう甘いささやきをしてきて。
そうなんやと。
どこにある場所どことかあんまり分かってなかったんですけど。
でもそれはええなということで、あんまりどんな中校かっていうのも分かってなくて、
ただ結構勉強しないといけないぞっていうのしか分かってなかったんですけど、
それで行こうっていうふうに決めて勉強しました。
21:04
結構お母さん教育熱心な感じだったんですか?
教育熱心でしたね。かなり教育熱心でした。
そして地面に向かって。
そうですね。
結構距離ありますよね。日高川町から。
あります。電車でちょうど1時間ですかね。
プラス駅まで3キロなんで。
そっちは輪行で行けたんですけど。
だから通いの結構ギリギリかなっていう感じですかね。
5号駅からも行ったりもしてたんで。
5号だったら50分ぐらいなんで。
そこが限界とか。そこよりも南の。
南とか多分田辺とかの子とかは寮みたいなの入ってたような気がしますね。
地面生活はどうでした?
地面生活は、小学校の活発なのは全く成りを潜めました。
全く。
で、なんかね、人見知りなことが判明しました。
それまで言って知ってる人たちばっかりしかいなかったわけですよね。小学校の時。
中学校に行ったら急に和歌山県中の子たちが集まってくるわけじゃないですか。
なんかそこに入った時にめちゃくちゃ人見知りだなっていうのが自分で分かりましたね。
そこからだから人見知りなキャラクターでしたね。全然ほとんど目立ってなかったです。
ちょっとおとなし目で。
もう全く目じゃないですね。極めておとなし。
極めておとなし。
勉強とか結構ガッツリですよね。
そうなんですよ。入るのも結構大変だったんですけど、入った後の方がむちゃくちゃ大変でしたね。
想像以上に大変でした。だからもう本当に中高のエピソードがほとんどないんですよね。
勉強しかしてないっていう。本当に勉強しかしてないです。
ちょっと考えてたんですけど、たぶん中高の時テレビもほとんど見てないですよ。
だからその当時流行ってた番組とか全然わからないですよ。
もうひたすら勉強。
それだけやっても追いつかなかったですね。
めちゃくちゃみんな賢い子も周りにめちゃくちゃ多くて、
みんな余裕なのにそれになんとかついていくにはどんなやってんだろうっていうぐらいみんなすごかったですね。
だから僕はそれをなんとか追いつくためにはひたすら時間を勉強にしたくしかないみたいな感じのままで
ずっと6年間ほぼやりきってましたね。
24:04
テレビも見ずに特にそういうカルチャー的なものを摂取することもなくっていう。
カルチャー的なやつは一応摂取してます。
摂取ってあれですけど。一応摂取は知ってて。
クラスとかで洋楽が結構流行ったんですよね。
いわゆる洋楽って言っても何ですか。ヘビーメタルとかハードロックとかそういうのが流行ってて。
で僕もいいなとか思って結構聞いてましたね。
それを聞きながら勉強するっていう感じでした。
なるほど。
だからそれだけは摂取。
勉強してても耳は開いてるんで。
そうですね。英語の時から多分聞いてたと思います。
ヘビーメタルってどんな人を聞いてたんですか。
あれですね。一番有名な人は多分メタリカとか。
僕はあんまり聞かなかったんですけど。メガですとか聞いてましたね。
すごい特殊な流行があったんですね。
なんでなんですかね。でもみんなめっちゃ聞いてましたよ。
へー不思議。
そっから高1ぐらいの時からきっと始まってたはずなんで。高1かもうちょっと前かな。中3ぐらいかな。
で後半になるにつれてれっちりとかそういう風にミクスチャーの方向が出てきたりとかしてそっちの方向にもみんな移行したり。
そうですね。カーニルバーンとかですね。
はいはいはい。
ちょっとそこらへんが出てきて。
その頃どんなことして遊んでたとか。
そんなもん遊んでなくて。
音楽のみ。
音楽と勉強。
本当に土日とかは何も遊んでないと思います。
なんかしたかって言われたらした記憶ないですか。
ひたすら勉強して大学ちょっといいところ目指してみたいな。
そうですね。
何になりたいかというのは結構決めれなくて。
文系理系をどっちにするのも決めれなくて。
なぜか僕の言ってた時は地面は理系の方が圧倒的に多かったんですよ。
普通文系の方が今は多い。
理系が4クラスで文系が2クラスぐらいの感じ。
それもよく分からず。
理系の方が多いから俺も理系にしておこうかなぐらいの感じで理系にして。
27:01
じゃあそこから受験するってなると。
例えば工学部とか理学部とかあるじゃないですか。
その学部がなかなか絞れなくて。
農学部もなんかちょっと僕の中でピンときてなかったです。
そういうのもあってなかなかどの学部って決めれやんなって思ってた時に
東京大学はざっくり理系でも理科1類、理科2類、理科3類っていう
その3つのざっくりした、とりあえず入学の時は空文しかなくて。
その後途中で農学部とか工学部とかが細かく分かる。
じゃあこれは自分にピッタリなんじゃないかなって思って。
東大が自分にピッタリ。
伸ばせるみたいな。決定を先に伸ばせるみたいな。
それもあったし、とりあえず東京大学って言っとけば誰も文句は言わない。
一番文句ないですね。
結構そういう単純な理由で東大に行こうってずっと勉強しました。
で、受験ですか?
受験したんですけどね、これまたなかなか厳しい話で
僕はそんな思ってた東京大学に3回振られまして
現役の時の前期で落ちて、後期も落ちて。
で、浪人してた時の前期も落ちたんですよ。
3回。
そうなんですね。
1年浪人するんですね。
そうですね。1年は東京で浪人しました。
東京で?
その時もう絶対に頑張ろうと思って。
その時はさらに酷くて誰でも口を聞かずに勉強してました。
ほぼ誰でも口を聞かずに勉強してました。
東京の予備校行きながら下宿してみたいな?
そうですね。予備校専用の寮みたいなのがあって
ずっと予備校に行きながら勉強してました。
おーすげー。
じゃあその1年間も特に遊ばずにひたすら勉強?
いやーほぼ勉強しかしてなかったですね。
さらに厳格に勉強しかしてなかったですね。
すごい。
で、大学はどこに?
いわゆるセンター試験みたいな。浪人の時のセンター試験の点がよくなくて
そのままだと東京大学の後期が出しても足切りになるかもしれんみたいな。
だってこれもうウケるやんっていう事態が発生して
じゃあどうしようかなと思って
まあとりあえず京都大学は農学部っていうのがあるからそこにしようかなと思って
30:06
おーすげー。
それもね、詳細は全くなくて
マニアックな話になるんですけど
東京大学の試験の内容と京都大学の試験の内容って全然違うんですよ。
極端に言うと東京大学ってセンター試験がめちゃくちゃ難しくなったら問題が出るんですけど
京都大学って大文が3つしかないみたいな。めちゃくちゃ長い大文が3つしかないぞみたいな。
で、その3文をひたすら考えさせるみたいな感じのスタイルなんで全然違うのは知ってたんで
いやーでも多分もう何も考えてなくてとりあえずもういいやと思って
ガチョ出してで受験したらまあ通った。
おーすごい。
あーよかった。ほんとにね。僕ね、生まれて初めて浪人になった時に
東京大学を受けるっていう前にお墓にね、自分の家のお墓に手を紙タオルにしたんですよ。
先祖の力で。
もう何でも使おうと思って。
で、落ちて。何やと。この程度のあれだったんやと思って。
で、後期の時はもう行かずに自分で頑張ろうと思って。自分でやったらよかったんで。
いやーもうちょっとしっかりしてお先祖様と思いながら。
いやーでもまあよかったですね。
でもまあそれはね本当にラッキーというか受けた瞬間なんかよかったなっていうのがあって。
結構その頑張って勉強してた同じような問題が結構出たんですよ。
で、だいたい6割ぐらい平均6割ぐらい取れたらだいたい受かるんですけど
なんかそれでこう結構いい問題が、いい問題というか自分でもできたなっていうのがあって
なんか終わった時にこれもう受かったんじゃないかと思ったらやっぱりよかったんで。
いや6年か7年か。
いや7年間の修行はそれなりの形で落ち着いたなみたいなのはよかったですね。
なるほど。そして京都生活が始まるわけですね。
そうですね。バタバタで京都生活になりましたね。
速攻で寮を開け渡して、後期だからもう多分3月の10日とかから引っ越しして帰ってきてすぐ京都に行ったな。
33:11
京都大学はどうでした?
京都大学はね、おすすめですね。
めちゃくちゃおすすめ。
京都大学、おすすめされてもなかなか英語難しいですけど。
いやでも本当におすすめしたいですね。
どういうところがおすすめですか?
やっぱりね、やっぱり変人な人が多い。圧倒的に変な人が多くて、刺激されましたね。
いろんなことに刺激をものすごい受けましたね。
で、中学校と高校の時はどっちかというとオタ系だったんですか。
大学に行って面白い人に出会って今みたいな性格に変わりました。
なので高校とか中学校の時の人が僕のことを見たら多分別人だと思うと思います。
え、それは何か具体的にこんな人に出会ってとかそういうのあったんですか?
NPOをやってる時の部長がすごい面白い人で、僕NPOをやってること自体にはあまり興味なかったんですけど、
その人が面白すぎて、この人みたいになりたいなと思ってそのNPOに入りました。
え、学内にNPO団体があった感じなんですか?
学内というかインカレスみたいなところで、海外インターンシップを受け入れるのと送り出すのをやるっていうのをやるNPO。
なので海外のどこかの国でインターンをしたいっていう人を募って、
行きたい国の先にも同じNPOがあるんで、ちょっと日本人で行きたいと言ってるから先の企業探してくれみたいなことをやるところと、
逆に海外から日本で働きたい、研修しに来たいっていう依頼が来た時に、
僕らだったら地元が京都なんで京都の企業を当たって、海外からこんなこと勉強しに来たいよって言ってるけど受け入れてもらえませんか?みたいなことをやるっていうのが
日本にも多分10大学くらいかな?あって、それの京都支部っていうかそういう活動をしてる。
36:00
結構難しい。でも聞くと真面目な感じに聞こえるんですけど、その部長は全然真面目な人ではなかったです。
どんな人やったんですか?
真面目にこんな研修プランを立てようとか、そんな風なことを普通はするんですけどね。
その人だけはそんなこともせずに一人で海に行くぞとか言って遊んでたりとか。
え?その人のどこに惹かれたんですかね?
いやー、僕なんかそれまでオタク時代も含めて自分のことだけ何とかしようみたいな感じだったんですけど、
その人は全然自分のことは何にも、自分に何かしようというのは全然なくて、いかにしたら一人一人が面白くなるかなみたいなことばっかり考えてる人だったんですよ。
ああ、はいはいはい。
で、救っていくのか、そういうのが僕には全くない考え方だったんで、
どうやったらこんな風に自分のことは後回しというか何もせずに人のことばっかりできるんだろうなっていうのがすごく気になって。
えー、その人に影響を受けて。
めちゃくちゃ影響を受けましたね。影響を受けすぎて、僕も3回戦の時に部長になるって言って、部長に立候補して。
部長になったらそんなになれるんじゃないかみたいな。と思って立候補して部長になって。
それを部長の一年の時はその人っぽく頑張ろうと思ってた。
結構頑張りましたね。そんなことをずっとしてると性格がそっちの方に変わっていったみたいな感じですね。
そっから基本的にその性格で。
人のためにとか。
そうですね。自分のことだけやるのは結構難しくないなみたいなのがあって。
人をうまく輝かすのがもっと難しいというか楽しいというか。
だからそういう方が面白いというか。
そういうのを思って。そっからそう思って、ずっとそれからそういう感じになりましたね。
ちなみに勉強の方はどんなことをやってたんですか?
勉強ですか。あんまりしてなかったですけど、しなくてもいい大学だったし。
そうなんですか。
教授とかもみんな単位あげるからめっちゃ興味ある人だけ来てみたいな。
そんな教授もいたりしてるし。
39:01
僕のゼミとかも農業の歴史みたいなのをやるゼミだったんですけど、
そのゼミの先生とかも自分の好きなことやってくれたらいいよみたいな。
別に歴史に関係することは全然やらなくてもいいしみたいな。
学生の大人として扱うというか、そういうのが教授とか学風というかすごくあって。
それに甘えてあまり勉強はせずに。
勉強の方はあんまりやってないですけど、農業のことやろう。
大学の時、ちょっと話戻して。
大学に入った途中ぐらいまでは自然に関係することがやりたくて。
NPOにも入ってたんですけど、そもそも昔を思い出して探検部とかに入ったんですよ。
それで無人島みたいなところでカヌーできたりとか。
川が枯れるまで山をずっと登っていくみたいな。
そういうのをやったりとかしてたりもして。
そんなのしてる中で将来の職業として大学教授になって、
Amazonとかジャングルとか。
そういうところに行って研究するのが小学校の頃の感じから見て一番フィットするんじゃないかなとか。
そういうのをやっと思ったんですけど。
でも3回生4回生ぐらいになってきて、教授とだんだん近くなってくるじゃないですか。
いろいろ話を聞いてたりすると、なかなか教授になったら肝心の研究があんまりできないみたいな。
結構お金引っ張ってくるとか、学会がどうやらこうやらとか。
そういうのもあって、かなり制限される。
実際のところは結構制限されるみたいな。
僕らの時代からもう結構少子化になってて、大学の教授になるのがすごい難しい。
助手とかど真似の人とかがものすごい強烈でめちゃくちゃ待ってて。
あれ、この人もうすぐ40歳になるのにまだ助手だぞ。
ん?って。
それもちょっときついなみたいな。
あって、一回この路線はやめようってなった時に、じゃあ次自然に近いっていうのだと、
42:05
小さい頃からある程度慣れ親しんでた農業っていうのは農学部にもいたし、これいいんじゃないかなみたいな。
そこで思いました。
なるほど、結構兄弟とかやったら、周りの同級生とかも結構就職でめっちゃ一流企業行ったりとか、
そんなの狙ってる人とかも多いと、そうでもないんですかね。
でもどっちかというと、僕が入ってるNPOのメンバーはそういう系ですね。
商社とか、リクルーティング会社とか、銀行とか、そういう花形のところもみんなバンバン。
今でも結構連絡は取るんですけど、みんなそういうところにいて。
そういうところから世の中の今を教えてもらうっていう感じですね。
クラスは結構農学部なので、わりと農水省の官僚になるとか。
なるほど。
あとは教授系とか大学にまだ残ってるのが、その二つが結構多いかな。
いわゆるは、とか、そうですね。
わりと変な、ちょっと悪いけど、アフリカの国とかに行っていろいろ援助活動してるとか、
そういうメンバーの方が多いですね。
一人くらいか。一人くらいですね。いわゆる花形職業にパッと思えるかどうか。
くらみつさんはそっちに流されるというか、一流企業、官僚とか、そういうのは行きたいなとかはならんかったんですか?
それも、基本的に京都大学にいた時点で、官僚という選択肢はなくなりますね。
へー。
反体制。
なるほどね。
そういうのはまず選択肢は消えますね。
で、一流企業的なので働きたいかっていうのは、あるにはあって、
で、部長が当時、部長も某伝通さんとか行って、
いやーやっぱり俺も行かなきゃいけないと思って受けたんですけどね。落ちましたね。
一応受けたんですね。
ガチに受けました。ガチに受けたんですけどね。落ちましたね。
部長にまで自己PRを全部見てもらって、万全の状態でやったんですけどね。
ダメでしたね。
そこは行きたかったんですけど、後は、割と服が好きだったっていうのがあって。
45:07
えー、いつの間に?
あ、いつの間にっていうか、さっき言い忘れてたんですけど、
高校の3年ぐらいの時からファッションに興味が出始めてて。
で、それがさらに大学時代にはコウジってめちゃくちゃ服買ってましたね。
へー、どんなの買ってたんですか?
基本的にはギャルソンですね。ギャルソンかヨージャマとかそういう。
なるほど。京都にありますもんね。
で、その流れでそういうところも受けてみようかなとか。
でも、あんまちょっと辞めましたね。
言ってたら多分変わってたよな。
へー、そうなんですか。で、就職はどうするんですか?
あ、そうなんですよ。で、就職はっていうよりも、
なんでそんなに一般企業に惹かれなかったのかわからないんですけど、
農家になろうと思ったんですよね。
農家になろうというか、農家がいけると思ったんですよ。
おー、いける。
これちょっとここから大事な話ですよ。
じゃあ、小殺して。
いや、ほんま僕結構これ自分でもちょっといい目のつけどころだったかなって思うのが、
1個が大学に行ったら初めていろんな地方の子が来てるわけじゃないですか。
だから、その地方の子たちがみかんを持ってきたりとか、
なんかで机の上にみかんがあったりして食べるタイミングってやっぱあって、
それまでって基本的に家のみかんしか食べてないじゃないですか。
ほんで、たまたま他のやつとか食べると、これが言うたらなんですけどね、まずい。
めちゃくちゃまずくて。
一般の世間にこれをみかんと言ってるのかと。
こんなまずいもの食ってみかんと言ってんねやみたいなのが1個あって。
あれ、いいみかんって全然、おいしいみかんって全然出回ってないんだなっていうのを実感したんですよ。
それが1個と、もう1個がちょうど僕が大学時代の時にヤフオクがスタートしまして。
ヤフオクってわかります?
わかります。
一応言ったんじゃないですよね。
メルカリじゃないですよ、ヤフオクが。
これはね、当時は一応パソコンは持ってる人と持ってない人がいて、
大学にもパソコン室があるぐらい。
で、基本的に大学に入ると携帯電話を買うぐらい。
で、僕が大学1年ぐらいの時に、たぶんシャメールっていうのが。
48:00
時代ですね。シャメール。
その時2000年前後ぐらいですかね。
僕が2000年に入ったと思います。
たぶんね。
ノーストラダムスに対応金外れたとか思った。
ヤフオクがサービス開始して。
これめちゃくちゃ画期的なことだったと思うんですけど。
僕もね、自分で自分の服を出品したら売れたんですよ。
これってすごいことで。
当時はまだそんなネット通販で物を買うっていうのも全然一般的じゃなかったんですよ。
もし、よしんば買うとしても、携帯の中、キャリアの中にある変なサイトみたいな。
ドコモのサイトの中にあるドコモなんとかとか。
そういうのとか、それかパソコンで買うにしても。
Amazonもなかったです。
または自分のサイト、決済とかちゃんと仕組み整ってなかったんじゃないかな。
たぶんヤフオク、銀行振り込みとかやったような気がしますね。
一応買えたとしても、僕ら買うとしたら企業から買うっていうパターンはある。
買うことはギリ。ギリできたけど、一般の人が物を出して、どうも誰とも分からない人がそれを買ってくれるっていう。
これは僕ね、かなり新時代を感じて。
ということはですよ、うちには一般の人が食べたことのないような美味しい味覚がある。
そして販売するツールとして、これからは個人でもうまくお客さんを見つければ買っていただける。
つまりは可能性があるんじゃないかみたいな。
これはめっちゃ思って、で農業しようと思ったって感じです。
なるほど。
その時から農家になるっていうのは、いつかじゃなくてかなり具体的に農家になろうっていうのは決まってましたね。
大体3年?
そうですね。3年の秋冬ぐらいから就活し始めてるんで、その時にはもう決めてたんで。
たぶん3回戦の時に決めた夏とかだったかな。
それで卒業して速攻農家ですか?
とはいえ、なんとなくいきなり農家になるっていう選択肢はあまりなくて。
僕は京都生活も結構楽しくて、自然は好きだったんですけど、京都みたいな都会生活も楽しいなみたいなのがあって。
51:09
これはもうどうせだったら東京まで行きたいなみたいな。
東京ライフを満喫したいなみたいなのがあって。
だからいきなり帰るよりは東京見に行った方がいいなって、自分としてもその方がいいような気がしてて。
NPOで海外の研修生を受け入れたりとか、日本の人が海外に行くのをお手伝いしたりとかって言ったじゃないですか。
それを京都でやってると必ず着物っていうのが結構キーワードで上がってくるんですよね。
向こうから来た人の着物、浴衣着てみたいとか。向こうに海外に行ったとしても着物持っていくとか、着物ぐらい着れるようになってから行きたいとか。
そういう話もちょいちょいあったりしたのもあって。
自分もファッションが好きだったっていうのを延長で、着物これ着てみようみたいな。
NPOの中で現代版の着物を作るとか着るとかっていうようなプロジェクトをやったんですよ。
大学の授業に着物を着て出て行ってみたりとか。
車輪庫で着物が焦げるのかみたいなのをやってみたりとか。
そんな風に昔の着物を着るし、それをちょっと改良して、より現代風な着物ができないかなみたいな。
いうような活動をしてたっていうのがあって、着物にわりと興味も自分自身があって着てたし。
また来てたんですよ。
就活の時に電通も受けてたんですけど。
一つ着物路線もあるなと思って、自分の中で。
着物を扱っている会社を受けたいなと思って。
その時に、自分がその会社に入って、めちゃくちゃ着物を売って、そのおかげで。
日本の人たちが洋服だけじゃなくて、もう一回着物を週に一回ぐらいとか着るような世界になったら結構夢があるなみたいなことを思って。
あとは、着物って販売するのがめちゃくちゃ難しい部類に入る。
54:03
結構だと思うんですよ。
難しいけど売れてるし、値段も高い。
そういうものを売るっていうことに、という能力を身につけたかったんですよ。
着物好きだし、一般的にはそういう風に言われてるものだから。
売れるような力をつけたら、その後帰ってきた時にきっとみかんも上手に売れるんじゃないかなみたいな。
そういう結構長いスパンで考えて。
そういうのもあって、着物会社も受けようということで。
受けて、絶対東京の営業にしてくださいっていうことを言って、無事東京配属になり。
えー。
着物会社に。
そう、着物会社に。
着物会社ってなんすか?着物メーカーみたいな。
そこは自分のところでは作ってなかったですね。
なんで、自分のところで作ってるって言ったらあんまりないですね。
卸があって、卸じゃないな。
自分のところでは作ってなかった。
着物の小売店みたいな。
そうですね、そんなイメージですね。
で、東京に。
そうですね、念願の東京ライブ。
仕事どうでした?
仕事はめちゃくちゃハードでしたね。
ハードですよね。
売れるのがやっぱり難しいですね。
僕だから男の着物がめちゃ売れたら、今も男性の方がもっと着物着る機会が少なくなってたし、それを目指してたんですけど。
3年間やってたんですけどね、1枚ぐらいしか売れなかったですね。
いやー、もう全然甘かったですね。
じゃあ販売員みたいなことをしてたんですか?
そうですね、基本は販売員ですね。
着物会社なんですけど、着物の方が小さい部門で、大きい部門はカタログの通販をやる会社だったんですよ。
で、そのカタログの通販のお客様に、今度着物の販売会がありますので、どうですかみたいなことを実際に訪問して、電話でアポ取って訪問して行って、会場に当日来てもらって、で販売するみたいな。
えー、めっちゃハードル高そうなことを。
やりました。
それは3年間ですか?
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そうですね。3年ちょっと経った時に、京都が本社の会社で、で本社に帰ってこいみたいな話になったんで、東京ライフは3年で終わりました。
なるほど。東京の時はもう結構仕事中心でみたいな感じだったんですか?
そうですね、なんやかんやってそうなりましたね。
まあでも、そうですね。でも結構ね、ほんまハードでしたね。思い出したけどハードでしたね。
でもすごいお客さんがいて、毎月、毎月ですよ。100万円買うとか。すごくないですか?
着物を?
現金で。
なんなんですか?その人は。
いやー、謎っすよね。そういう人が何人かいました、僕お客さんに。いましたっていうかいるっていうか。
それはどうやって営業したんですか?
いやー、言ったじゃないですか。お客さんに電話かけて、ちょっと今度。
はい、もう普通そうです。
すごいっすね。
で、その販売会来てもらって、これめちゃくちゃいいやつですよって言って、じゃあ買うわみたいな。
えっ、それ着物売るテクニック的な?
あー、そうですね。着る、着だすとみんな欲しくなる。着付け教室とか、着ていく機会、お食事会とか。
なんかそういうのとかになってくると、買っていただけるペースが上がってくる。
じゃあ、ただ買ってくださいっていうんじゃなくて、こういうイベントあるんで着物着てどうですかみたいな。
あー、そうですね。そういうのを会社としても用意してる。着る機会も作ってあげないとダメだよねみたいなのもあって。
着付け教室もやってるし、半年に1回とかそういうイベントがあったりして。
じゃあ、こういう機会もありますんでどうですかみたいな。
で、着物って着物もあって帯もあってみたいな感じでアイテムがいっぱいあるんですよね。
なので、いろいろ揃えたくなっちゃうと、結構いろいろ揃えられるというか。
あって、だんだん自分でもいろんなとこに着物を着てお出かけされるようになった。
だから、あんまり着物に興味がそこまでなかった人が着物の良さを頑張ってお伝えして、それでいいなってなってもらったら買ってくださるっていうパターンですよね。
すごいっすね。
僕も着ますんで、一緒に着ていきましょう。
そんな大きいお客さんが3人もいてたら、結構営業成績もめっちゃいいなって。
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でもね、まあそうですね。良かった年もありましたね。でもまあまあ良かったと思います。
お客さんにほんま恵まれてましたね。
僕だから、その後実家、今も帰ってきてからずっとみかん送ってますからね。
あの時のお礼の。
あの時僕が東京で生活できたのは皆様のおかげですって。
じゃあ3年後、京都戻るのは結構ええ点みたいな感じなんですかね。
まあそうですね。まあそうでした。
本社に行ってからは、経営企画部門とか総務部門とか人事部門とか、それこそ本社仕事みたいなことをやってましたね。
それもなかなか楽しかったですよ。
株主総会ってあるじゃないですか。いわゆる。
あれとかを仕事でやるので、どこに誰を配置してとか、それこそ社長の原稿を作るとか。
とか、成績報告書みたいなの株主総会が出すわけじゃなくて、そういうやつが間違いがないかをすみかんの隅までチェックするとか。
それをこのおきまでに、ちゃんと印刷会社に出すとか、各文章とかも間違いないようにかつ、上げ足も取られないように。
何回もかも、3行くらいの文章ですけどね。
次もう一回、役員候補で社長をほにゃらりしたいとか、全部ほにゃらりしたいみたいなのとかも、こういう経歴でこういう感じだから、来年も次回もお願いしますみたいな。
とかも書くのとかも、どう書こうかなみたいな。
そんなことを考えるとかもめちゃくちゃ面白かったですね。
東京で売ってたときって、結構難しいものを売る力をつけるっていうので、将来の農業見据えての修行みたいな感じがするんですけど、
本社仕事って、結構離れてるというか。
そうですね。その通りですね。
モチベーションの方は大丈夫だったんですか?
僕ね、割と何でも楽しめるタイプなんだなって分かりました。
まあ正直、計画で行くって話だったんで、今まで現場でやってた着物を広げるっていうのを、
もっと本社に行って大きな視点でやれるかなみたいなのがあって、いいなと思って行ったっていうのもあるんですけど、
実際それ以外の仕事とかもいろいろ、それももちろんやってもらったんですけど、それ以外の仕事とかも結構やって、そういうのも楽しかったんで。
そこはだから、京都生活の方が、東京は3年だったのに、京都5年だったっていうのは、なんか結構楽しかったっていうのがあって、
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で、時間がちょっと長くなっちゃったんですよね。
社会人の時は仕事以外はどんなことして過ごしてたとか、オフの日はどんな遊びしてたとかって覚えてます?
あんまり覚えてない。オフあんまないのかもしれないですね。
長期の休みの時はバイクに乗ってました。大学の時からバイクは乗ってたんで、
長期休みは1週間とかで九州一周回ろうとか四国回ろうとか、そんな感じでやってましたね。
そんな言うたらでもあれですね、多分バイクに乗って近場の温泉とかは結構行ってました。
なるほど。
そんな、結構いいですね。最近あんま行けてないんですけどね。
あんまり農業のことは特にそんなにめっちゃ考えてとかはなかった感じですか?
全然考えてないです。
帰ろうとは思ってて、30歳が一区切りというか、多分もう30越えたら帰れないなと思ったんですよ。
その責任とかもかなり出てくるというか、一匹狼的な仕事じゃなくなってくるというか、
チームとかで動き出すと、ますますそんなに嫌いじゃないですか、割と楽しい上にってなってたんで、
30歳で一回とも握り合ってないとなっていうのは思ってました。
なるほど。30歳でこっちにUターンしてきてっていうな。
えっとね。
ご視聴ありがとうございました。
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