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episode.52 前編 中西農園 中西康介さん
2024-07-10 49:59

episode.52 前編 中西農園 中西康介さん

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episode.52 前編

ゲスト▷ 中西農園 中西康介さん

今回のゲストは中西農園の中西康介さんです。

talk topics

軽トラに乗らない農家/生徒会長でキャプテン/バスケと夜遊び/早く和歌山から出たかった/アメフト部/農業をなんとかしたろう/もくもくファーム

どうぞお聴きください💁‍♂️

番組のオープニングのエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。

楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。

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感想

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00:20
今日は僕、1日聴いてたんすよ。 まじですか? ありがとうございます。
1日聴いてましたよ。 誰かに聴いてくれてました? 今日聴いてたのは、最新の井上くんのやつと、戻って、
えーと、島本さんのやつも聴いたかな? ちょっと途中やったんで、それ聴いたのと。
ほんで、カーミンコーヒー。 ちょっとだけ聴いた後、その、
もう一人誰か聴いたな? 誰だったかな? 今日朝からずっと聴いてましたね。
ちょっと予習しとこうと思って。 でもやっぱ結構ね、知ってる方と言えば有名な方ばっかり出られてるんで、あの人のやつをちょっと聴いとこうと思って。
でも結構前から、前からなんか、あの、源二郎さんとかのやつぐらい、なんかから多分聴いてたような気がします。
インスタ結構早めの段階でフォローしてもらってたような気がしますね。
大谷さんと結構仲がいいんで、僕帰ってきてすぐ大谷さんと多分、一番初めて仲良くなったのが大谷さんなんで、15年前とか多分それぐらい。
大谷さんもまだ農業やってる時で。 そうそうそうそう、そうなんですよ。
その辺もね、またおいおいこう聞いてみましょうかね。
はい。
ということで、結構まあいい感じに入ってるかなと思うので、始めます。
はい、よろしくお願いします。
若山市のアウトドアショップ、キセンラ&トレイルの白石です。
有田市のコーヒーショップ、ARCの上田です。
この番組は、若山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
キセンラジオ第52回です。
本日は海南市にある中西農園さんの直売所で収録しています。
本日のゲストは、中西農園の中西耕介さんです。
中西さんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
よろしくお願いします。
中西 よろしくお願いします。
有田 よろしくお願いします。
有田 それではまずは中西さんから自己紹介してもらってもいいですか。
中西 中西農園の中西耕介と申します。
年齢はちょうど40歳に、僕4月生まれで、今6月なので2ヶ月前に40歳に大田に乗りましてですね。
生まれも育ちも海南で、今家業を継いで農家をやっていると。そんな感じです。
有田 中西農園16代目。
中西 そうなんですよ。ずっと親とかじいちゃんとかに言われてたら、僕で16代目ってことなんですけど。
03:04
例えば米を作って16代目とかやったらかっこいいんですけど、うちなんか世代々でやることが全部変わっていくんですよ。
よく言えば時代にあった系をしてる。ですけど何も別にあれなので、家としては続いてるけど、別にノウハウがずっとあるわけでもないので。
あまり言わんようにしてるんですけど、結構農家とかやってると聞かれたりするんで、一応16代目が16代目ってことで言ってます。
なるほど。16代目ってどんな時代からやってるんですかね。
中西 僕もあんまりこだわってないんで深掘りもしてないんですよ。
でもどうなんだろう。あんまりわからないです。歴史詳しくないんで。
突っ込んでてください。
今は農園としてはミニトマトとブルーベリーとトウモロコシ、シャインマスカットという感じで。
中西 そうですね、そんな感じ。あとちょこちょこなんか季節野菜を、例えば冬ブロッコリーだとか。そんなのはちょこちょこやったりしてます。
なるほど。中西さんって言えば結構農家さんの中でも和歌山でいろいろ見られてる方やったら結構もう知ってる人多いんじゃないかなと思うんですけども。
なんかインスタとか見ててももう超眩しい感じ。しんどくなるぐらい眩しい感じなんですけど。
いわゆる農家っぽくないっていうか、そういうスタイルで農業をしていってる中西さんがどうやってこのスタイルにたどり着いたのかっていうルーツのところからいろいろ教えてもらいたいんですけども。
中西 はい。
まず中西さん生まれはこちらっていうか海南ですよね。
中西 そう、生まれは海南。だから地元の農家の子だったり、もうここでずっと育ったって感じですね。
この直売場があるのが実家みたいな。
中西 そうです。今ここ直売場で来ていただいてるんですけど、この裏が自宅になります。その後ろがもうハウスとか畑とかってなるんで、結構レアなケースなんですけど、僕軽トラのらない農家なんですよ。
へー。
中西 明るい引きこもりって言われてます。家の敷地から出ないんで。
なるほど。
中西 で、出荷とかも最近はもう市場出荷もだんだん減ってきて直売とかなんで、本当に敷地から出ない感じです。
めっちゃいいですね。仕事場と家が元気近いスタイルで。
中西 そうですね。いろいろやりやすい。じゃあやりやすいですね。
この辺、海南市は結構農業の名産地的な感じのとこなんですか?
中西 今来ていただいているここ海南は、海南市でも北部、もうすぐ和歌山市なんですけど、この地域はどちらかというと農業はそんなにそんなになります。海南市の中では。
中西 周りは結構地場産業の会社がちょっとあったりとか、どちらかというと住宅街になっているので、周りも農家はほんと少ないんですよ、実は。やっぱり農家はもうちょっと野上とか、あっちの方とか下津、あっちの方に農家はたくさんいるんですけど、
06:14
うちの周りはほんとにもうすぐ近くの集落の農家さんってたぶん80代の人とか、ポンと飛んじゃって。だから3、40代はほんとにね、たぶん5人ぐらいしかいないんです。5人もいないかな、それぐらいですね。
なるほど。そんなエリアで家庭環境とかどんな感じだったんですか?
アーモンドの時は。
アーモンド それこそうちは姉ちゃんが2人なんですよ。で、末っ子長男。姉、女、女、男の僕で。それこそ姉ちゃんのお下がり。自転車はピンクだし。なんか結構ちょっと、今ふさわしくない言葉かもしれないですけど、女っぽい。
もうちょっと男らしくしろよって言われてた記憶があります。
姉ちゃんの影響でちょっと。
アーモンド いやと思いますね。たぶんね、家ではそんな感じでなるじゃないですか。そしたら僕も同じようなマネをすると。で、自転車とかピンクだしみたいな。そんな感じでしたね。結構、どっかのタイミングでそれがちょっと自分のコンプレックスみたいなところもありました。
なんでちょっと逆に降ってきたみたいな感じなんですかね。
アーモンド 今ですか。でもそれがたぶんトラウマで、ちょっと飛んじゃうんですけど、高校大学ぐらいからそういうなんか、大学でアメフトとかやってたんですけど、ラグビーとかアメフトとかそういうちょっとゴリゴリ系のやりたいっていう、たぶんそれの反動ですかね。
なるほど。子供の時はどっちかというと、女の子的な遊びしたり、ちょっと大人しめの子供だったってことですかね。
アーモンド でも、でもなくですね。割と活発な。昔から結構目立ちたがり屋で。それこそ小学校の時は児童会役員。中学校は生徒会長とキャプテンやってて。で、高校も生徒会長やってみたいな。
すごいっすね。
アーモンド なんか目立ちたがり屋やったんですよ。
なんでそんな目立ちたがり屋な子供やったんですか。
アーモンド たぶんね、目立ちたがり屋もあるし、誕生日が4月やった。たぶんそれもあると思って、なんか割と同級生の中でも結構しっかり者というかなんか、たぶん客観的に見るとリーダー的な立ち位置になったので、
みんなどうするどうするって結構聞いてくれます。遊ぶときも。遊ぶときとかも大人数で遊んでたんですけど、どうする、どこ行くみたいな感じで。で、なんか僕が決めるみたいな感じが幼少期からあったので。
で、小学校の時も背でかかったりとかして、たぶんそんなんもあったと思います。
09:02
なるほど。子供の時どんなことして遊んでたんですか。
アーモンド 小学校の時は友達とかと遊んで、その仲いい子がサッカーやりだしたので一緒にサッカーを。
それこそね、姉貴がバレエやってたのでバレエ見に行ったりとか、まだ小さい時は。で、なんかサッカーやり始めて、その子らとしょっちゅういろいろ行ってましたね。
なんか例えばその地域で、なんかあの辺に防空壕あるらしいぞと聞いたら、もうすぐ見に行くとか、何かあそこの誰々の家がどんなんらしいぞって、じゃあもう行こうとか。
もうほんまそんなん。だから小学校の時は、うちも今ね、小学生の息子がいるんですけど、勉強しろって言えないぐらい、自分も勉強した記憶ないし、フランスセルを置いてすぐ自転車で遊びに行くっていう感じでした。
で、暗くなったら帰ってくるみたいな。そんな感じです。
ゲームしてとかっていうよりは結構活発に外で遊んでみたいな。
アーモンド ゲームは全くです。だから今も全然、僕の人生の中でゲームってほとんどやったことなくて。
そう、外で遊ぶ、それこそケーリーやったりとか、外で遊んでとか。
で、友達の家で、それこそ僕らの時はスーパーファミコンやったんですけど、スーパーファミコンをやるんですけど、普段持ってないからできないわけですよ。
で、持ってるやつはうまいわけですよ。でも負け戦はしないっていうポリシーなんだよ。もうゲームやめて外に行こうよみたいな。そんな感じです。
なるほど。サッカーはずっとやっててみたいな。
アーモンド でもサッカーはそんなに上手。試合は出てたんですけど、上手な方ではなかったと思うので、中学校行ってもうやめて。
中学校から陸上をやりましたね。それも仲いい奴らが陸上やるって言ったから、じゃあやろっかみたいな。
陸上したいってわけではなくて、仲良かった友達と同じ部活に入りたいっていうので、陸上部入りましたね。
中学時代どんな感じですか?クラブがっつり頑張ってみたいな。
アーモンド いやーでも中学時代も、まあそんななんか生徒会とかやる感じなんで、なんか分かんないですけど、ブイブイ言わせてたんですね。
キャプテンもって言ってらっしゃる。
アーモンド 陸上部のキャプテンもやってて、結構毎日楽しい。毎日楽しかったイメージですね。
そして高校は海南高校に。
アーモンド 地元の海南高校で、それも中学校の時、実はそれこそ勉強もできたんですよ。自分で言うのもありますけど。
アーモンド でも中学校までですよ。
高校以降は全然ですけど。
アーモンド 中学校まではそれこそ、たぶん500点満点中450とかあって、わりとどこでもいけるってなって、推薦で、当時海南高校の理数系のところは推薦できるってなったんで、早めに決めたかったし。
12:04
アーモンド 先生とかにも、生徒会とかキャプテンやってるんだったら内心いいから推薦で出しなよみたいなこと言ってくれて、近くの学校で早く決まりたいっていうのでポッと入れて、海南高校に行ったんですけど、
アーモンド そんなんで行ったんで、受験勝ち勢と勉強の差が全然。僕11月くらいにもうペン置いたって。3月まで必死に勉強やってる奴だと比べたらもうあれだったので、51の実力テストで一気に学年したから数えるぐらいみたいな。そんなんで、そっから一切勉強ほぼやってないですね。
高校生活はどんな感じですか?
アーモンド 高校生活も、高校は高校でね、バスケ部入って。運動は色々。アメリカンスタイルって自分で言ってるんですけど。バスケ部入って、中学校の時は陸上部で高校からバスケなので、周りは中学校とか小学校からやってるので、
なんとかしないとってことで、朝もそれこそ学校めっちゃ近いんですけど、ここからチャリで5分とかなんですけど、朝も市場に先生が多分ね、6時ぐらいに来てる先生がおったんかな。でも先生来るかこんかぐらいの時にもう僕も学校行って体育館開けて戻って。
一人でずっと自主練やったりとか。終わってからも多分、海南高校夜間当時は、今もあるのか分からないですけど夜間もあるんで、夜も結構ずっと学校空いてるんですよ。だから多分、8時か9時、帰れって言われるまで体育館で自分で残って練習とか。結構なんか忙しかったんですよ。自主練で。
バスケも結構ハマっちゃってって感じだったんですか?
なんかね、やっぱ負けず嫌いなのか、どうせ入って試合出られへんのはダサいなっていうのがあったので、みんなにとりあえず追いつくようにみたいな感じで、当時はむちゃくちゃ多分なんか、昔からやろうって決めたらバーっとやっちゃうタイプなんですよ。でもずっとそんなんでしたね。
じゃあバスケも結構上手くなって。
いやーでもやっぱり、やっぱりなかなかそこまで。試合出れるようになりましたけど、でもやっぱりその自分が納得いくようなっていう感じ、思い出ではないですね。
中学高校とかになったらなんか、いろいろ興味出てくることも音楽とかファッションとかなってくると思うんですけど。
それだったら僕は、音楽もね、ツタヤ行って、当時だったら週刊のベスト10全部借りてきて、テープに録音して、いろいろやってたんですけど、でも僕は多分ファッションの方が結構好きで、それこそ中学校ぐらいの時からお年玉もらったら飴村へ友達と電車で買い物に行ってたりとか。
で、高校とかもなんか和歌山市の村栗町のちょっと外れのところとかの、当時は多分ちょっとルーズ系なB系みたいな腰からチェーンぶら下げてみたいなのが多分流行ってたんですけど、そういう系統の店が何個かあったので、
15:12
そんなところ行って、なんかそのショッパーを学校に持って行くのがかっこいいみたいなのがあって、で、なんかそんなんやったりしてましたね。で、BMXみたいな自転車に乗って学校に行ったりとか、なんかそんなんでしたね。
ちょっとストリートっぽいカルチャーが好きになってみたいな。
そうですそうです。
普段その時って高校生ぐらいは何して遊んでたんですか?
高校の時はね、でもずっとなんかバス系の練習か、当時ね、恥ずかしいですが、一個彼女ができて。
あらま。
多分ずっと一緒におったじゃないですかね。
何して遊んでたか、そんなイメージですね。バスケル練習してるか、夜は夜でなんかね、ちょっとまあ夜な夜な出かけてみんなで夜の遊びとかをやってたんですけど、なんせ家にはいなかったですね、ずっと。
夜の遊びって何するんですか?
夜はなんですかね。いやそれこそみんなで集まって、なんかあれですね、いわゆる…みたいな。
なるほど。
ちょい悪いやつなんですね。
いやでも海南高校のマイルドヤンキーなので、学校一歩出たらあれですよ、もうちゃんとただすみたいな。そんな感じです。海南高校はみんな真面目な子が多いんで。
確かに海南賢いですもんね。
まあ今賢いかもわかんないですけど。
じゃあそれで進学って感じですか?
一応ね、クラスが理数系の特診クラスみたいな感じであって、もう全員センター受験受けるとか全員大学行くのが当たり前みたいな感じの空間だったので、僕も漏れなく一応大学受験をして、
センター受けてたので、第一規模のところはダメだったんですけど、センター利用でたまたま引っかかったところの大学があったので、そこへ大阪の大学へ進んだって感じですね。
その時なんか将来何したいなとか、そんなんあっての進路選択みたいな。
全然なかったです。むしろ親も理解があったのかどうかわかんないですけど、別に大学行くんやったら出してあげるから、4年間遊んでこいみたいなスタンスだったんですよ。
だからなんかふざけたあれですけど、何を目指してるから何学部行くとか全くそんなのなくて、とにかく当時は和歌山が田舎ダサい、だから早く外に出たいみたいなマインドだったんですよ。
なるほど。その時なんかご両親から将来農業やれようとか、そういうのも特になかったんですか?
18:01
全くなかったです。僕、いまだかつて、もう40であれですけど、父親母親に家継がなあかんとか農業やりなさいって言われたことはないし、記憶はないですね。
言われたとしたら小さい時に、じいちゃんとかばあちゃんに、たぶん昔の考えなので、お前は長男なんやから帰ってこなあかんぞっていうのは植え付けられたような気がします。
でも親からは言われたことないし、もう大学4年間出してあげるから遊んでこいよみたいな感じで言ってもらった記憶がありますね。
そして大阪の大学に?
大阪の大学に行ったんですけど、ギリギリ通える距離だったんですよ。ギリギリ通える距離だったので、周りが、大学は大阪の値上川市のところで、節南大学ってところなんですよ。
ここから電車で2時間ちょっとぐらい。結構遠いですね。でも、僕よりもまだ南のやつらは同級生で近代とか通ってたんですよ。2時間半ぐらいかけて。
だから通えるみたいな空気だったんです。でも僕はもう大阪に若いもん出るっていう覚悟で行ったんで。
なんとかしないといけないってことで、入学式の次の日ぐらいかな。もう部活しようと思って。片っ端から部活の勧誘を受けて。
そこでアメフト部っていうのがあったので、部活をやったんですけど、それは一人暮らしがしたいがために。
で、部活やったらもう通う練習が遅いんで。通いが無理になるから一人暮らしさせてくれっていうたてつけで親に行ってさせてもらったって感じ。
そこでアメフトを選んだんですね。
これもね、うち父親が高校の時にラグビーで国体とか出てるような。実は姉貴もバレーで国体出てたりとか。母親もバスケでそんな国体とか。割とスポーツ一家だったんですよ。
で、父親がラグビーで、たぶん父親もきっと女々で唯一の男ができたので一緒にラグビー見に行きたいとかで。
ラグビーはね、めちゃめちゃ見に行ったりしてたんですよ。小さい時に。その記憶があって、ちょっとルールも知ってたんで。ラグビーがなんかやりたいな。でも高校もなかったですし。
どっかでやりたいなと思って大学行ってラグビーをしようかなと思ったんですよ。
そしたら僕が行ってた節南大学っていうのは当時関西のトップリーグに所属してて。
チームにも外国人も選手でいている。有名なところで言ったら伏見工業とか大工大とか、慶光学園とか全国レベルのところから来るラグビー部だったんですよ。
もう絶対無理じゃないですか。無理やなってなって。パッて横見たらアメフト部の勧誘もやってて。
素人からしたらラグビーもアメフトも一緒かなと思ったので。なんか興味あるんですけどって聞きに行って。
そしたらもうほんまに入って入ってみたいな感じで。そんな感じで入りましたねアメフトは。
21:02
別にアメフトとか知らなかったんですけど。一人暮らししたいのとラグビーっぽいかなっていう理由でアメフト入りました。
アメフトとかもめちゃめちゃ激しいんじゃないですか。
いやーやっぱり初心者からする。大阪とか兵庫とかは高校でちょこちょこあるんですけど。とはいえやっぱり大学から始めるスポーツなので。
1年生の夏までは首鍛えるだけとか。走り込みと首鍛えるだけ。
なんで首を?
コンタクトスポーツでタックルは絶対必須なんです。で首が細かったりちゃんとフォームができてなかったりすると結構大怪我が。
当時あったんですよ。普通にあったんですよ。同じリーグでもタックルミスで関心不足になったとか。
体ができてなくてでもチーム状況で新入生素人を使わないと試合に出れないとかっていう大学がちょこちょこあって。
それで使ったりとかしてそんな怪我になっちゃったりとか救急車で運ばれるとかしょっちゅうあったので。
体をちゃんと鍛えるっていうので。それプラス初めの1年2年目くらいはダッシュでフルコンタクトでぶつかるんで。
恐怖心が消えるのはやっぱり1年2年かかりました。
アメフト部入ろうってどういう気持ちでなるんですか?
いや何なんですかね。でも当時はアイシールド21がちょうどスタートしたくらいだったんですよ。
だから僕はコンタクトスポーツがしたいとかラグビーみたいなのがしたい。さっきも言いましたけどちょっと女っぽい過去をなんとかしたいっていうのもあったんですよ僕はね。
でも同期を見るとずっと漫画しか読んでなかったよなってやつらがいるわけですよ。ああいう風になりたいみたいな。
アイシールド勢が。
そんなのが多かったんで結局僕らの時は同期が多分30人くらい入ったんですけど結局4年間続いたのは4人ですね。
1年で半分以上やったかな。そんな感じですね。
アメフトって何人でやるスポーツ?
11人。フィールド上には試合中は11人出てますね。
でもすごく分業制の役割分担のスポーツなのでオフェンス、ディフェンス、キッキングっていう一応3つあるので30人くらいはいるね。
少なくとも24人くらいいなかったら試合できないのかな。
1学年4人やったら、1年生は4人になりましたけど4年かつかつやったんですよ。
僕らの大学も決して強いリーグではなくて関西では2部リーグ3部リーグ行ったり来たりしてるようなチームで。
かつかつでしたね。
だから本当にひどい時は友達呼んでサイドラインに立たせて一応チームの人数をごまかすっていう。
24:02
ぶつからないとこでいいから。
試合は出さない。
でも一応サイドラインに並ぶときに20何人いる必要なんですよ。
だから僕の友達とかも大学のゼミのやつとかもちょっと来てって言って。
本当に体を見たら分かるんですよ。
ひょろひょろで。
明らかに違うぞというやつが。
そんなんもありましたね。
すげー。
じゃあ結構大学生活はもう部活の中心に回っていってるみたいな。
もう部活しかやらなかった。
それで大学もキャプテンやってたので。
もうなんかコーチとか監督とかいるんですけどボランティアでやってるので練習メニューから運営から全部ほぼキャプテンがするんですよ。
だからなんか忙しかったですね。
学部とかは?
学部は経営情報学部っていうこの無難な。
別に学部で選んだわけではないので何でもいい。
一番入りやすいとこ。
なるほど。
大学生活どうでした?
大学生活でも楽しかったですよ。
ほぼほぼ部活のやつらと一緒にいましたけど部活以外の子とかも仲良かった。
それこそ大学の部活は週に一日だけ休みあったんですよ。
だからそのオフの日の前の日とかは夜なんかバーっと他の部活じゃない友達とかと夜遊びに連れてもらったりとかして。
それこそそこでクラブとか教えてもらったりとか。
都会の甲羅やったんでみんな。
一緒に遊んだりとかして。
まあまあ多分楽しんでたと思います。
アメフト部で現在の奥様と。
そうなんですよ。
話は脳筋ラジオっていうポッドキャストで詳しく語っていただいてるんで。
気になる方はぜひそちらをって感じで。
めちゃくちゃ喋らされたね。
2歳下の妻なんですけど僕が3年生の時に1年生で入ってきて。
そこからの出会いでなんだかんだ会って結婚して今に至ります。
いやーいい話ですね。
なんかでも恥ずかしいですよね。
キャプテンとマネージャーで大学の部活で結婚したってなんかちょっとね。
なんかちょっとあるんですよね。
大学生ともなってきたら将来の進路とか結構リアルに考え始める頃だと思うんですけど。
その時何しようかなとか。
でもそれで言ったらね。
高校中学校ぐらいの時からかな。
やっぱり割と自分で言うのもあれですけど順風満帆な学生時代やったと思うんです。
なので将来は社長とかになりたいなみたいな漠然とあって。
それも結構中学校ぐらいからありました。
大学の就活する時も多分そういうマインドがあったので。
一応保険で大手は一社受けたんですけど。
それ以外はほぼベンチャーを受けてそういった社長の考えを聞きたいとかそういうので。
27:03
自分就活そんなにしなかったかな。
多分部活が忙しかったので。
多分内定が4社5社もらったぐらいでもうやめたって言って。
本当に就活はほとんどしてなかったんですけど。
なんか学生時代何頑張ってますかみたいな就活でもあるじゃないですか。
僕アメフトしかないんで。
それのとりあえず一点割りで。
でもまあまあありがたいことに。
やっぱ体育会のキャプテンがあってたってなると割と評判というかあれが良くて評価が良くて。
でパンパンパンって内定もらったんで。
まあもう就活も終わって。
でその中の一社ベンチャーの会社に入社したんですよ。
業種的には?
業種的には不動産ですね。
でそれもその時もうすでに自分のところが農家で農地はあるっていうのがあったので。
自分はよくよく帰って農業するんではなくてその土地を生かしたら何かしたいっていうのがあったので。
社会人1年目に入ってた不動産屋の会社はマンションとか住宅の不動産ではなくて郊外型のロードサイド店舗専門の不動産。
いわゆる和歌山出た国体道路沿いに吉野屋があったり前髪製麺があったりとかコンビニがあったりすると思うんですけど。
そういった幹線道路沿いに店舗が立つ前っていうのは事主さんに話を持って行ってここにこういったテナントが出たいって言ってるんですけどどうですかみたいな。
そういう専門の不動産があったんですよ。
でそれを見つけて何かを学んで和歌山帰ってきたろうと思ってたので。
もうめちゃくちゃなんかそういう気持ちで。
そうなんですね。
社会人生活はどうですか大阪ですか。
それは大学大阪で取り出しちゃってそこの会社も本社が大阪だったんですよ。
で入社してベンチャー企業なんでもうその研修とかもそこそこに多分2,3時間で終わったんかな。
もう今から行ってこいみたいなそんなスタイルだったんですよもうめちゃくちゃ大会で。
でも僕はそれが合ってたんですよ。
だから1ヶ月2ヶ月ぐらいでも同期当時4人か5人おってでもプラス2学年上ぐらいまでの先輩社員とかの中でも一番結果出せたんですよ。
やっぱり新入社員なんで社長が求めるところは少なかったんですけどとりあえず事主さんのところ飛び込んでアポ取ってこいっていうのが僕らの一個のゴールだったんですけどそれを結構バーッと取れたんで。
なんか社長に気に入られて東京出店で元々聞いてたら東京支店もあったらしいんですけど僕が入社する前には。
1回行ってあかんかって畳んでもう1回第2回目の進出でお前行ってこいみたいな感じで現地で東京で社長採用してで本社から僕が行くっていう2人体制で東京社立ち上げみたいな。
それが社会人1年目の夏だったかな。
30:01
一年目でスピードバイトですね。
でその時もその話をされる時もそれこそそんな感じなんで社長に可愛がられてたんで飯はちょこちょこ連れてもらってたんですけど。
なかなか今日ちょっと空いてるか言われていつもと違う誘われ方をしたんですよ。
ほんでなんか行ったらもうタクシーでその会社から結構近かったんですけど大阪の新地の結構良い店行って結構良いラウンジみたいな超高級感っぽいところ行って東京また店出そうと思うけどお前行かんかって言われて。
そういう店で言われたんで僕も初めめっちゃ悩んだんですけど行きますって言ってほんでそっから行きましたね。
なんかそんな感じでしたね結構ババババッと初めは。
で東京生活が。
で東京へもうそんな会社なんでもう来週から行けみたいな。
そんな感じなんですよ。
で左目だったし別にババッと行けたんですけど。
僕からしたら都会で何か働きたい田舎コンプレックス持って和歌山から出て大阪で就職して東京行ってて僕からしたらもう結構ワクワクだったんですけど。
いざ行ってみると本当に東京雑居ビルのめっちゃ狭い窓もないようなビルの建物の9階だったのかなそこに店舗構えてやったんですけど。
市社長がもともとそういう業界の経験者だったのでまあまあ持つ手があったんで基本出ていくんですけども僕がその事務所の何やとかってなって。
2人で東京市で立ち上げてるんでほぼ僕事務作業になるんですよ電話番とか。
ほんででも立ち上げなので別にお客さんもいないし。
なんかねあの時は結構めっちゃ期待に胸膨らまして行って憧れの東京でもやってることがこんな狭いところで電話も鳴らないただ時間潰すだけみたいな。
途中からはさすがにって言うんで僕もなんか違うエリア任されてでも2人で行ってるんで関東を市社長は東京と神奈川担当で僕千葉茨城群馬ってめちゃくちゃエリア広いっていう。
おーめちゃ感動。
だから事務所が東京の港区にあったんですけどそっから車でビューンと行くんですけど行くだけでね半日かかった。
なんかでもほとんど何もせずって感じでしたね東京の時は。
その生活はどれくらい行ったんですか。
それがですね1年くらいかな。2ヶ月に1回本社会議が呼んでもらってたんでそれ以外はほぼ帰らない生活をしてて。
でも同期とはちょこちょこ連絡してたらなんか成績は全然こっちでも取れてないとみんな会社として。
だからなんか空気もすごい悪いし辞めていくとかそんな話を聞いてて僕も2ヶ月の1回の本社会議に呼ばれて行ったらちょっと給料出せないっていう話になって。
33:13
それで僕も東京でなんかそんな感じでなってたんで1回大阪に帰ったのかな。
でもなんかもうそのだから1年ぐらいで辞めましたね。
やっぱ給料出なかったというのは1個僕の中で。
まあもうちょっと我慢してもよかった。今思ったらもうちょっと我慢していろいろ社長について回ったらよかったなと思ったんですけど。
なんか当時はやっぱり社会人1年目ってなんか仕事しんどいよなとか言いながらもまだ学生の友達とかと週末遊んだりっていう感じじゃないですか。
そんな話をやったらやばいでみんなに言われて。
そんなのもあって自分の精神的にもまだ安定してなかったのでなんか逃げるように辞めちゃった感じですね。
ちょっと今思えばもったいないかなって感じですね。
まあなんかもっとおったらもっと変な経験いっぱいできるかなって。
じゃあ次はどうするんですか。
でそれを辞めた時に。
でもねあいだそんななくて。
次は人材派遣の会社に就職したんですけど。
そこへ行くまでの経緯がそれこそ大学のアメフトの先輩がその人材派遣の会社で働いてて。
結構外資系の大手で。
多分何千人か社員いるようなところで。
市社長が採用の権限を持ってたんですよ。市社単位で。
で関西市社の市社長がちょっと事業拡大するから運動してそうなやつが欲しい。営業マナーが欲しいっていうタイミングだったんですよ。
そしたらその先輩がいいやついますよって言って呼んでくれて。
それでもう本当に有給消化とかそんなの全くなくパッと休んだ記憶ないぐらいすぐもうそっち行きましたね。
その会社は大阪ですか?
そこは市社は大阪でありましたね。
本社は東京で、本社は外資でスイスなんですけど。
もうそんなん全然僕らもスイス行くこともなく。
東京のところがそこは大手だったんでね。
中途で入ったのに研修が2週間あったんですよ。
もうすごいと思って。
で東京でまた戻って2週間ぐらい研修して帰ってきて大阪で関西市社っていうところで勤務がスタートしたという感じです。
人材派遣会社やったら法人営業とかそういう感じですか?
法人で僕らは金融部署だったんです。
なので銀行証券、資金申訴そんな感じです。
そこに僕が採用された規模を拡大していくときにJAも金融だよねってことでそんな感じですね。
その会社ではどうでした?
僕覚えてるのが、意識してなかったんですけど、
36:02
めちゃくちゃ不動産っぽい口調やめなって言われた記憶があります。
どういう口調ですか?
金融堂みたいな感じだったんじゃないですかね。
僕も無意識だったんで先輩の女性社員にめっちゃ言われました。
記念で結構染み付いちゃってたんですね。
でも当時はね、僕もそんなに営業スキルがなかったんですけど、
時代背景として派遣切りとかリーマンショックの時で、派遣切りっていう言葉が多分上がったぐらいで、
どんな人が営業かけても、そもそも派遣を切っていくっていう風潮だったので、
ああいうのって金融機関から先にそういうムーブが起こるので、むしろ切られる電話がかかってくるばっかりです。
営業行ってもダメなので。
だから覚えてるのは、会社行ってきますって言って、近くの喫茶店でサボって、
WBCの決勝をまるまる見たっていう。一郎のヒットをまるまる見たっていう記憶はありますね。
業界的にちょっときついタイミングで入っちゃって。
そうですね。だから上野先輩社員とかにも言われました。今はちょっときついで、さすがに無理やでみたいな感じで。
でも会社的にもそういう空気だったので。
ヒットはね、むちゃくちゃ良かったし、いまだにまだ全然付き合いあるんですけど、
当時の業界があんまり良くなかったのか、あんまり楽しい記憶はなかったですね。
仕事はやってたんですけど、なんかこなしてるって感じですかね。
時間を消費してるみたいな。
やりがいが感じられない。
そうですね。本当にやりがいはなかったと思います。
だから死者の人とかと飯行ったりとかっていうのはめっちゃ楽しかったんですけど、日中の仕事はもう全然やりがいがなかったですね。
いつも生活はどれくらい続くんですか?
それが2年ぐらいだったと思います。
その2年ぐらい辞めた理由が、顧客リストにJAがあった時に、JAのこととかも知ろうと思って。
いろいろ週刊ダイヤモンドとか、いろいろ雑誌とか買い集めて勉強してたら、JAもめちゃくちゃヤバいと言われてて。
いろいろ学んでいくと、自分の中に実家は農家だよなとか、
ばあちゃんとかじいちゃんに、なんか昔そいやお前帰ってきて農業せなあかんなとかっていうのがフラッシュバックしてきたというか。
で、農業界がヤバいっていう時に、昔の生徒会長とかやってた頃が出てきたんですかね。
俺が何とかしたの?みたいな。
農業界がヤバいっていうのと、自分のバックボーンがそこでちょっと重なったというか。
39:03
そうやったら自分が何か戻って農業を何とかしたろうとか、めちゃくちゃおこがましい話ですけど。そんな思った記憶がありますね。
それ何年ぐらいのことですか。
多分2009年、8年、9年ぐらいだったと思います。
その時農業ヤバいっていうのは何ですかね。高齢化でみたいな。
少子高齢化とか今も言われてることが当時から言われてて、でも農業の方に全く関心を持ってなかったので知らなかっただけなんですね。
多分そういうものはもっと前から言われてたと思いますし。
でもそこで農業の方に関心を向けた時に、そんなヤバいんだとか、いろいろ思った時に何とかしようかなとか。
あとはプレイヤーが減っていくんだったら、逆にチャンスじゃんみたいなのも同時に思った記憶がありますね。
その辺りから農業をしようってことで。
でも自分のところに帰ってきて農業するってなると、ちょっと何も世間知らずで農業しちゃうような気がしたので。
当時6時かっていうののめちゃくちゃ走りだった三重県にあるモクモクファームっていうところがあるんですけど、
ウインナー作りとか農家レストランとかもやったりしてるんですけど、当時はいろんな全国から視察に来るような農業法人で。
そこに一回研修っていうか、アルバイトっていう形で研修で行ってから帰ろうっていうプランを立てて、その人材派遣会社を辞めた感じですね。
なるほど。それ何歳ぐらいの時ですか?
2011年に確かモクモクファームを辞めて帰ってきてるんで、モクモクファームは2年行ってたので2009年。
15年前と25とか?
でも多分それぐらいですかね。25、6。でそのタイミングで確か結婚したんですよ。
サラリーマン辞めて三重県に行くって時に、当時その大学の時から付き合ってた彼女と今の奥さんですけど、
僕が三重に行くと、なんか外をもう見ちゃいそうだなと思って。
一緒に来てくれへんみたいな。別れるというかまた何かなーみたいな思ったんで、一緒に来てくれへんということで。
一年彼女は大阪で待って、一年後に一緒に三重に来てくれて。三重で一年一緒に住んで、一年後二人で和歌山に帰ってくるって感じです。
なるほど。三重ではどんな仕事をしてたんですか?
三重県はね、もくもくファームっていうのは農業テーマパークみたいなイメージなんですよ一言で言うと。そんな綺麗なもんじゃないんですけど、
田んぼで田植えの時期、今ぐらいの時水入ってる時にソリで子供乗せてお父さんが引っ張って運動会みたいなことをしたりとか、
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農地でめっちゃ遊ぶみたいな。農地の価値を最大化するっていうような僕はそんなイメージだったんですけど、
そんなところで農業公演やったりとか飲食もやったりとかレストランもやったりとか、もちろん農業体験やったりとかっていうので、
もういろいろさせてもらいました。させられたというかさせてもらいました。
今ね、なんかさせられーっていうすごい出てくるかなと思いましたけど。
入ってすぐはなんかイベントがあったんですよ。イベントがあってみんな集めてなんかするんですけど、引きがえるのレースをするんです。
で、僕はなぜかその引きがえるのスタート地点でカエルを抑えてるんですよ。でもカエル触れないんですよ。
でも入ってすぐ言われてるし、関係性もない社員の人に言われたらもうやらなしゃあないんで。
なんやねんこれ僕農業しに来たのにとか思いながら。
生産を学んでっていう研修っていうよりはそういう?
半年間はそんなイベントの手伝いやったり、それこそ農家レストランがあったんです。そこでサラライとかもさせられてたんですけど、
さすがに僕も結婚もしようとしてるあれだったので、もう社長のとこ行って自家暖房して。
いや僕すいません、もともと農業を学びに来たいっていう話で来たんで、これちょっと無理っすわって言って現場に行かせてくださいって言って、
でそこから生産現場に行かせてもらって。そこではそれこそ今もやってるんですけど、
トウモロコシとかハウスでのミニトマトとか、ブルーベリーも当時やってましたし、ブドウもやってたし。
結構今やってるやつが全部そこであったって感じですね。
研修生は補助金制度とか使いながら研修してたみたいな。
研修生って言っても年間ほぼほぼあれですね、大学のインターンかな。大学生がほぼほぼ多くて、
それ以外は研修生で来てたんですけど、一応食べ物と宿と用意してもらって無給でやるみたいな研修制度があったんですけど、
僕は奥さんも連れて、まだ行ってなかったのかな。でも結婚しようとしてたので、それもちょっとあれなので、
僕は時給でやらせてくれっていう話を持って行って、そんな感じになりましたね。
普通にバイトみたいな感じで。
うん、本当にバイトみたいな感じです。
バイトしながら学んでっていうような。
でも一応入り口としては社長とか専務にそういう話を持ち込んでいったので、話が違うじゃないですかって言えたっていう感じですね。
結構その25とかのタイミングで農業の道に行くって決めるのって、なんか割と早い決断っていうか。
今もそうです。
それはなんでやったんですかね。
なんでなんですかね。でも、どうなんだろう。多分あれだと思います。
ゆくゆく思ってたとか、その農業の現状を見て自分がせなって思ったのもあったと思いますけど、
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やっぱりね、たぶん人材派遣の時の仕事が面白くなかったっていうのが一番でかかったと思います。
何かもうちょっとこの場から出たいというか、この環境から出たいっていうのがあったので、
農家になるまでのプランニングとかもたぶん全く関係なく、とりあえずもう違うフィールドというか、違う場所に行きたいって言って出てったと思いますね。
お父さんのその仕事する姿を見てて、そんなに悪いイメージなかったっていうのもあるんですかね。
うちはそうですね、うちね、父親はそれこそ花を生産してて、全然僕今やってるのと違うんですけど、
たぶん今の僕の考えと結構最近つくづく似てるなっていうのがあって、
父親は結構楽しいこととか遊び優先なんですよ。だから遊びをスケジュールに入れて、それに合わせて仕事をするっていう、分かりやすく言うとそんな感じで。
だから親、たぶんもちろん寝ずに働いたりしてたと思いますけど、親父の口からそういった不平不満は全く聞いたことないですし、
僕もそんな思ったことはないかな。で、僕も今そんな感じで、なんかそれは結構親父と似てるのかなって思ったりしますね。
結構そのお父さん世代でそういう働き方するのって、なんか珍しいんですよね。
めちゃくちゃあれだと思います。なんか花もそれこそ、普通親世代の王道って言ったらおかしいですけど、作って農協へ出荷してっていうのがたぶん普通やったんですけど、
父親は作って、一番も出荷とかもしてたんですけど、それじゃおもんないなって言って、今この直売所、実は父親は花屋やってたんです、ここで。
だから生産して直接消費者に届けるみたいな、当時はたぶんめっちゃ変なっていうか、今でこそ農家そんなのやってますけど、そんなのやってたんで、
だからそういう考え方とかも僕ついてるというか、影響を受けてるのかなと思いますね。
だからもっと言うと、僕は農家の息子というよりも花屋の息子ってイメージですね。
僕が小学校1年生の時に父親が花も農業しながら花屋をやりだして、結構花屋が忙しくあって、花屋の手伝いはしてたイメージなんで。
でも販売は?
一応慣れたもんというか。
僕がですか?
いやでも、小学生の手伝いなんで、裏で隠れたりとかそんなのやったと思いますけど。
でも、おとんとかおかんが接客してる姿っていうのは見てるので、どうやって接客したらいいかっていうのは分かってたかもしれないですね。
すごいっすね、お父さん。
たぶん変わり者と言われたと思います。
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じゃあその研修を2年間経て、陸下に入るわけですか?
はい、そうです。
で、帰ってきて、たくみちゃんと父親が来るから。
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