00:19
有田市のコーヒーショップARCの上田です。
有田市消防本部の梅本周平です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio第50回です。
本日は、岩佐町田村にある、善兵衛農園さんの倉庫で収録しています。
本日のゲストは、奇襲喚起、善兵衛農園の井上信太郎くんです。
信太郎くんの生まれから現在に至るまでのルーツや、現在の活動のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
というわけで、有田市消防本部から周平くんが来てくれてるわけなんですけども。
どういうこと?
これは現場の緊急召集やった。
30分くらい前に召集したんですけども。
すごいですね。
今日は白石くんが病に。
病、AKAコロナに。
久しぶりに聞いた。
会いたかった。会いたかったです、白石さん。
ワンツーマンでも全然よかったんですけど、ご近所さんの周平くんが信太郎くんと、高校大学と同級生ということもあって。
そうなんですよ。
一緒にいてくれたら、話もいい感じに盛り上がるんじゃないかなと思いまして。
声掛けいただきました。
心強いです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
そんな周平くんからいきなり全米農園さんの紹介してもらいたいんですけど。
任せてください。
いいですか?
大丈夫です。
変な感じやな。
変な感じするな。
同級生やからな。
紹介させていただきます。
全米農園は岩浅町田村地区で、江戸時代から200年続く柑橘農園です。
現在は7代目の井上信太郎さんが園主を務め、3.4ヘクタールの農園でみかんをメインに、びわ、レモン、オレンジの生産販売を行っています。
ありがとうございます。
ということで、周平くんからネット情報を読んでもらったんですけども、あってますか?
あってます。
今年一旦増えました。
さらに一旦増えた。
3.5ヘクタール。
すごい。
すごい。
3.5ヘクタールってどれくらいの規模感なんですか?
そうですね。よく言われますよね。そういうの。
毎回それを覚えようと思って。江戸時代のクラウンドの面積の2倍ぐらい。
めっちゃわかりづらい。
一般的なみかん農家さんってどれくらいの面積でやってるんですか?
専業農家だと親子でやってたりとかで2ヘクタールから1.5ヘクタールぐらいかなっていうところだと思うんです。
03:01
ちょっと平均よりは多いかな。
普通より1.5倍ぐらい。
1.5倍ぐらい多いんじゃないですかね。
それは今何人でやってるんですか?
今は家族。一応経営体は株式会社にしてるんですけど、家族でやってるんで家族経営で。
現場は父と僕と2人。で、あとはパートでっていう感じで。
大変そうですね。
まあまあまあ、それなりに。
またちょっと新太郎君からも改めて自己紹介簡単にしてもらってもいいですか?
そうですね。
有田郡岩砂町、ここのエリアが田村っていう地域で、本当は岩砂町田っていうアザなんですよ。田地区でみかん農家してます。
今年3歳。
3歳の年か。
33の年。
新太郎君は僕とはお店にARCに2年前ぐらいですかね。
結構初期の段階で来てくれて、その時は新太郎君のこと全然知らなくて。
で、新太郎君が来てくれて帰った後にスタッフのしゅうへい君の奥さんおまみさんから今のみかん王子ですよって言われて。
何言ってるんだろうと思って。
本当にね。本当に何言ってるんだろうと思って。
ネットで調べたところ、みかん農家さんで結構有名な方だったってことに気づきまして。
そんなことないですよ。あんまり。やめましょう。
いやいやいや。若いもん有名人やから。
それ以来ちょこちょこ来てくれたりとか。
いや嬉しかったんですよ。ARCができてというか。おいしいコーヒー飲めるみたいな。
しかもね。何やろ。家族でも今結構行かせてもらってますけど。
行きやすい場所で。
いい心地よく。
ありがとうございます。
有田市と田村はお隣というか、車で15分くらいで。
そうですね。岩佐町が結構狭い地域ですけど。
有田郡で言ったら海側。
その岩佐町の中でも一番北、北西にあたるんですかね。が田村。
ここから車で2分くらい走ったら有田市に入る。
ラブラックがめっちゃ近いですね。ラブラックカフェが。
という新太郎君と上田の関係でございました。
2年前やったんですね。
最近結構会う機会も。
結構頻繁な気がしますよね。
周平君の場所。駄菓子屋の辻本もARCのお隣にできて。
そうですね。本当に。
同級生の周平が。
ちょっとなんか去年。
去年ぐらいかな。
話聞いてもらっちゃったんですよ。
06:00
やる前から聞いてて。楽しみやなと思ってたんで。
嬉しいですね。同級生が。
最近ちょっとまた親密になってきてっていう感じの。
この3人でお届けするわけなんですけども。
前回ゲストのベーカリーチックタックのコシーシさんから紹介してもらったわけなんですけども。
コシーシさんとの関係はどんな感じだったんですかね。
コシーシさんは最初東京で会って。
コシーシさんから聞きました?
移住フェアで新太郎君がいて話したみたいな。
そうですそうです。たまたま東京の県庁主催の移住フェアみたいなのがあって。
それで結構僕大学生とか受け入れてたんで。
人の受け入れとかそういうので農業とか。
割と若い前やったらキャッチーで分かりやすいんで。
多分そういうので呼んでもらったのかなと思って。
その移住フェアに多分参加者が20人ぐらい東京の方いて。
その中の一人がコシーシさん。
聞いたら和歌山に移住するみたいな話を聞いてて。
本当にそこで連絡先を交換するとかでもなかったんですけど。
名前がコシーシさんってインパクトあるじゃないですか。
コシーシってあんま聞かないんで。
それで覚えてて。
和歌山コシーシさん来られた時に。
しかも僕がお世話になっているお店の料理長として入って。
その料理長新しい人来たのよみたいな話で来たら
あれコシーシさんやられた。
そんな感じやったんですね。
びっくり。
仕事決まったんですねみたいな。
そこから付き合いはずっと続いて。
今もですね。
柑橘をコシーシさんのところで使ったりとか。
本当にお世話になってます。
なるほど。
新太郎君といえば結構普通のみかん農家じゃなくて
コシーシさんをはじめ色んな料理人の方とすごい繋がりがあったりとか
この地域に外から若い人をどんどん呼び込んでくるみたいな活動もしてるんで
めっちゃ興味深い人物なんですけども。
興味深い。
そんな新太郎君がどうやってこんな感じになっていったのかっていう話を
これから聞かせてもらいたいんですけども。
いつもの流れのやつでね。
聞いてますよ。
ありがとうございます。
まず生まれはここですよね。
そうです。
この田村っていうエリアで生まれて。
本当にちっちゃい集落で。
岩佐町全体でも人口1万2000人ぐらい。
もう多分切ってるんかな。
1万1000人ぐらいかもしれないですけど。
その中で田村が数年前のデータで人口930人とか。
それぐらい本当に小さい集落。
世帯数が250ないかぐらいだと思うんですよ。
09:02
その中にこのみかん農家が多いエリアで
農家の件数が110件ぐらい。
1件に親子でやってるパターンも2世帯あるんでほとんど。
ほぼほぼみかんの半分以上は。
田村の人の半分はみかん農家。
みかん農家ですね。
田村ってなんでそんなことになってるんですか。
なんでしょうね。
僕もそんな正確なことわかんないですけど。
本当にみかん農家というか。
もともと美和の産地やったんですけど。
美和で有名な産地で。
田村小学校の校歌も美和の里って書いてたりとか。
小学校の校章が美和の葉っぱとか。
そこがみかんも増えてきて。
今から40年ぐらい前からみかん作り。
かなり先輩たちが力入れ始めて。
有田でいうと有田市に新道みかんって産地があって。
今でもブランド産地ですけど。
そこの新道に追い付け追い越せというか。
僕らのおじいちゃんというか。
親より上ですね。
その世代の人らが新道みかんに追いつくように。
みたいなところで生産も頑張って。
っていうような聞いた話で。
そこから今は田村みかんっていうブランドが結構。
みんな強くやってるって感じですね。
だから僕の小学校とかでいうと。
一学年、学年7人なんですけど。
7人中6人がみかん農家。
あと1人がそのみかんを運ぶ運送業者っていう。
みかんに担当されてる。
みかん家、もちろんサラリーマンの家もあるんですけど。
みかん、あと漁師もいますね。
しらす漁師とかわかめとかも有名なんで。
なるほど。
生まれた時から新太郎君はみかん農家の子供として。
みかん農家ですね。
もう普通に周りにスーツ着てる人いない。
家族構成とかどんな感じだったんですか?
僕が長男で3兄弟なんですけど。
妹が2つ下で5つ下に弟いて。
男女男みたいな感じですね。
小さい時からみかん農家の仕事は近くで見ててみたいな。
近くで見てました。
母親が同じ町内で。
田村じゃないですけど隣のエリアなんで。
本当に親戚って言ってもこの辺りだけ。
旅行で遠く行くとかありましたけど。
他の地域行くとかあんまなかったんで。
12:00
めっちゃこの辺で。
めっちゃこの辺で育ち。
みかん農家が当たり前の状態で続き。
田村みかんっていうブランドがどんなものかとも知らず。
当たり前だと思ってたんで。
その中で育つみたいな感じですね。
しんだろう君子供の時どんな子やったんですか?
小学校はインドアではなかったかなって感じですね。
外で遊んだりとか。
友達とみかん畑で秘密基地作ったりとか。
コンテナとかちょうどいい塩梅にかけたら壁になるんで。
小学校の見えへんエリアにそんなの作って。
100均で買ってきたようなボードゲームで遊んで。
子供の時みかんの仕事とかどう見てました?
あんまりポジティブなイメージはなくて。
この田村っていうエリアは結構。
みかん農家で言ったらJAに出すとか出さないとかあるじゃないですか。
このエリアはJAに出してなくて。
エリアとして出してない?
エリアとして出してないですね。
個人としても出してる人いないですね。
このエリアは個人でみんな個選っていうんですけど。
個別選科で。
JAとかだと共同選別って大きい選科場があって。
みかん農家は収穫して荒選別というか。
サッと選別したのをコンテナで納品するっていうのがJAで共戦なんですけど。
このエリアは箱詰めまで自分の家でやりきるみたいなところなんで。
割と商品化に労力がかかるというか。
収穫から箱詰めまで。
倉庫の中でかなり夜なべしてるみたいな。
だからあんまりポジティブなイメージないというか。
仕事むっちゃ大変そうみたいな。
って思ってましたね。
夜12月とか。
親寝てないんちゃうかぐらい。
そんな感じで。
めちゃめちゃだから。
今はやってますけど。
この時はそんなにやりたいとかも思わず。
ただ家の仕事だから。
言われたら手伝うぐらい。
子供の時何が好きだったとか。
興味あったこととか覚えてます?
そうですね。
プラモデルとか。
めっちゃインドアやな。
ゲームとかもあんまりみんながやってない遊びをしてたんですよ。
割と友達とかはプレステ派なんですけど。
うちとこ任天堂みたいな。
ゲームキューブやってるみたいな。
15:04
プラモデルもzoidとか。
やってたやってた。
僕ぐらいやったんちゃうかな。
同級生でも誰もやってないけど。
結構それが好きで。
コロコロじゃなくてボンボン派みたいな。
でもコロコロです。
僕もコロコロです。
ジャンプはあんまり読まなくて。
そんな感じですね。
プラモデルは好きだったなとか。
7人ぐらいの学年やったらみんな仲良くてみたいな。
男3人、女の子4人の7人。
男3人は今でもよく会えますし。
いいっすね。
この前言ってた。
あの3人男で同級生なの。
みんな。
ARCでもその3人でコーヒー飲みに行ってる。
そうなんすね。ありがとうございます。
小学校は6年間その7人体制で上がっていって。
中学校になると岩佐中学校になる。
岩佐中学校です。
岩佐中学校は4つの小学校が集まって。
でも一学年120人とか。
その中に7人掘り込まれるみたいな。
結構喰らう感じなんですかね。
喰らいましたね。
なんだこれはというか。
クラス分けとか。
教室の前半分しか僕ら使ってなかったのに。
後ろまでいっぱいやし。
田村は田村で固まって同じクラス入るみたいな。
分かるような。
1年の時は分かれん感じですね。
でも喰らいすぎるように配慮してくれてるんですかね。
マイノリティーなんで。
中学校生活はどうでした?
小学校から剣道をしてたんですけど。
僕が少年剣道。
その剣道はずっと中学校でもやってて。
3年間。
キャプテンとかも3年の時はやってたりとか。
やってましたね。
特に。
普通に。
普通というか。
比較対象がないので分からないですけど。
剣道以外何が好きだったとか。
そんなのあるんですか。
そうですね。
でも本当に剣道めっちゃしてたんじゃないですかね。
友達と遊ぶとかは結構。
サッカー部の子とか。
結構イケてるじゃないですか。
たまたま友達がその辺に多くて。
遊んだりとかはありましたけど。
湯浅の中学生何して遊ぶんですか。
18:00
そうなんですよね。
そうですよね。
もう何したら思い出せんな中学校。
でも友達の家でゲームしたりとか。
漫画読んだりとか。
そうですね。
グランドツーリスもやったりとか。
車とかイニシャルDとか本読んでましたね。
そんな中学を経て高校で周平君と合流するわけなんですか。
そうですね。
それまでは全然知らんかったんで。
高校もたまたま高校でも結局剣道やってるんですけど。
高校の時に結構僕らの同級生が
有田郡市内でみんな剣道結構しっかりやってきた子たちが
大級高校に集まりそうみたいな感じの流れがあって。
それも周平と仲良い友達も剣道やってるんですけど。
それでみんな入るんやったらチーム組んだら面白いよねみたいな感じで。
大級高校でも剣道やって。
それは面白かったですね。
実際その強い人たちが集まって。
そうですね。
最初の本当に1年の時とか大会出て県2位とか団体でなったのも。
3年生とかいない大会ですけど。
1年生だけの大会みたいなやつ。
そこがピークでしたけどね。
そこからそんなに練習真面目にみんなやってた。
伸び悩んだんですね。
そこがピーク。
そうやっぱり知らなかった。
でもみんな剣道部は割と仲良かったというか。
仲良い印象をずっと持ってた。
割と高校剣道ってみんな坊主なんですよ。
坊主だけど大級高校だけ坊主じゃなくてよかったというか。
だからちょっと挑発のやつ。
1年生ちょっと強いみたいな。
変な感じみたいな。
懐かしいですね。
高校どうでした?
高校は
結構同じ結局大級高校は岩砂町なんで。
岩砂町学校から大級高校に行く友達も多くて。
僕もそうで。
ただ文化祭とかあるじゃないですか。
そんなんとかで友達とバンドやったりとか。
すごい洋のものですね。
そうなんですよ。
完全に洋です。
楽しそうだった。
文化祭楽しそうだった。
文化祭とか。
SMは1年生の時から楽器やって。
1年の時に。
僕ドラム買ったんですけど。
4万くらいで初めてネット通販して。
なけなしの4万出して。
今でも倉庫にあるんですけど。
どんなんやってたんですか?
僕らの時はバンプ打ち器とか。
21:00
あとラットウィンプスとかめっちゃ聴いてて。
ボーカルやる子がほんまにバンプ好きすぎて。
しかもその友達が歌って弾けるみたいな。
両方できるんで。
それやるしかないみたいな。
それしかやらんくらいのボーカルの勢い。
バンプ好きやし。
それでバンプのコピーバンドみたいな。
なので1年。
でも1年生の時は
1年やったかな。
1年生の時はシャリンの歌とかバンプの。
2年3年文化祭で毎年やったって感じ。
なるほど。
じゃあ剣道強くて
バンドやって
慎太郎君はちょっとイゲメンじゃないですか。
剣道そんな強くなかった。
結構表になった感じで。
彼女いなかったんですよ。
高校時代。
高校3年間。
振られに振られ。
ほんまに?
ほんまにほんまに。
ほんまやでしょ。
モテへんかった。
嘘やん。
話したら残念よねって言われた。
それは友達から。
井上君みたいな。
いいんやけど
友達と
そんな話を川パンの本店の外の
ベンチでずっとしてるみたいな。
あそこでやってた。
そうやったんです。
そういう高校時代。
ちょっとホッとしました。
ほんまにね。
そして大学ですか。
大学ですね。
大学は
僕が大学生の企画もそんなに
真剣に考えだしたのは
高校2年ぐらい。
多分それぐらいかもしれないけど。
ぐらいで
高校1年の時に
和歌山大学に
経済学部の中に
観光学科ができたんですよ。
経済学部観光学科。
新しいのができたと
思ってて
やっぱり大級高校
新学校やったんで
僕自身も農家そんなにやりたいとか
別に思ってなかったんで
すぐというか
ただちょっとすり込みで
いずれはやるんかな。
田村家というか
田村家というか
みかん農家代々親やってきてるし
それ以外の仕事も知らんし
みかん農家やるっていうマインドありながら
でも1回ちょっとサラリーマン憧れるよなとか
スーツ憧れるよなって
じゃあ大学か
はふわっと思ってたんですよ。
その時みかん農家の前にやるんやったら
こんな仕事したいとか
ふわっと考えてたりとか
何もないです。何もなかったですね。
みかん農家っていうのが
ちょっと意識的にはあったんやな。
それはある。
いずれやるかなはあったんやけど
24:00
まあでも
知ってる大学じゃあどこ
ってなった時に和歌山大学
ぐらいしか知らなくて
本当に
調べることをしてなかったので
和歌山大学新しいので
観光学科でできたのか
聞いたら観光学部っていうのができるらしい
その前身で
高校2年の時に
観光学部がちゃんとなって
じゃあ僕が
卒業して
観光学部
っていう選択肢もあるんか
観光
っていう響きがなんかちょっといいじゃないですか
確かになんか楽しそう
もうそれです
もうその試験で何も考えてない
ただ経済学部
とかはやっぱり
みんな選ぶんですけど
ちょっと違う方が
おもろいんじゃないかなで
観光学部は単純に
安直にそれでじゃあ一回それを
狙ってみようっていうので
高校2年の
頃から和歌山大学観光学部を
考え始めて
そこも一転だけで
勉強してたって感じです
一個だけ考えてた
すごい
ほんとに
じゃあそれでそのままストレートで
受験向かって
ただまあそんなに学力
良くなかったんで
いやほんまに良くなかったんですよ
良くなかったというかただ
センター試験ってあるじゃないですか
そうセンター試験
で
爆発に伸びて
A判定出たんですよ
それまでずっとCかDか
みたいな
僕がA出た
ってなった時に
うかったって思って
でその時
前期後期
やったんですよセンター試験の
点数プラス前期試験の点数
これが前期
合格できるかどうかで落ちた人は
センターの試験プラス
後期の点数で
後期試験受かるかどうかという中で
前期試験
A判定後期試験C判定
やったんですよ結構
センター試験良かった
でよっしゃいけると思って
前期試験
受けたら落ちて
多分舐めてたんでしょうね
勉強を
それも合格発表まで
僕はもう受かってると思ってたんで
まああんまり手応え
なかったけど
できてたやろうなと思ってA判定やし
と思って
ネットでも結果見れたんですけど
和歌山大学まで見に行って
前期試験
番号探したらなくて
でその4日後に
後期試験の日で
で後期試験の勉強ももちろん何も
してなかったんで
和歌山大学で合格発表見に行ってから
高校耐久高校戻って
先生に
後期試験が小論文やったんですけど
小論文教えてくださいと土下座しに行って
27:02
そこから3日間詰めて
小論文で入った
よかった
滑り止めも受けてなかった
すごいなそれ
一転丸やったね
大学は
もう実家から通うことになる
そうですね
通ってました
ここから駅もちょっと遠いんで
原付で駅まで行って
そこは三ノ島駅
三ノ島で和歌山駅まで電車
和歌山駅からまた原付で
原付に依頼つかない
同じようになる
そうなるそうなる
話題遠い
観光学部が
僕で4期目で
4期生として入って
学科時代から足してちょうど
4つ埋まった
観光学部って何するんですか
観光学部は
ねえ
めっちゃ気になってたそれは
そうよね
めっちゃ楽しいこと
してるなっていうイメージしかなかったから
観光学部は
そのぐらいの
背景的に
これから日本に
外国人を増やそうっていう観光立国
っていうのを立ち上げて
打ち出した
タイミングで観光庁ができた
ぐらいはそのタイミング
日本全体として
観光をバウンド進めていこう
今めっちゃ来てますけど
その時は到底無理やろって
言われてた
ぐらいの中で
国立で唯一
観光学部っていうのを和歌山
やって
だから結構
何でもやらなあかん状態だったと思うんですよ
手当たり次第というか
だから入って僕もやったのは
歌堂、茶堂
着物の着付け
英語とか英会話とか
授業で
今は多分本当に浅く広く
っていうのを
すごいため
これ電波乗ってますもんね
いろんなことを
僕らは経験させてもらった
進路も本当にバラバラですね
みんな
CAになってる友達もいますし
俳優やってる友達もいるし
でも
地域に根付いた
公務員とかJA職員とか銀行とか
本当にバラバラ
本当にゼミの
分野で言うと
宇宙とか
宇宙観光とか音楽とか
あと都市の
中心地外地の
再生とか
本当にいろいろですね
あとその中に農村
農村のことを焦点に当てたゼミもあって
そこに入るわけになるんですけど
農村に焦点を当てたというのは
30:00
どういう感じなんですかね
僕も観光学部に
行って
観光学部に行ったら
あれなんですよ
みかん農家が僕しかいないんですよ
その学年
観光学部も
1学年120人ぐらいで
たまたま僕らの年
男がかなり少ない年で
男16人
で女の子
100何人
1対9
でみかん農家
僕だけみたいな
それが結構新鮮で
なんか
みかん和歌山
しかも県外とか
遠くから観光学部でそこしかないんで
来てる学生も多くて
和歌山といえばみかんみたいな
イメージもあったのか
割とすぐ僕のことを覚えてくれて
みかん農家として
それでみかん農家で
文化祭とかそういう時に
学祭の時にみかん
ちょうど時期あったんで持って行って
友達に配りまくってたんですよ
そしたら徐々に先生とかからも
みかん農家
なんみたいな感じで話
声かけることがあって
その中の先生の一人に
藤田先生っていう
そのゼミの先生なんですけど
がいて話をしてると
田村みかんを知ってるみたいな
田村みかんを知ってる人僕外に
いないと思ってた
知ってるよ君みたいな
みかん農家の息子か
聞いたら
観光学部も実は農業というか
農村のことを
勉強というか
専門にしてて
グリーンツーリズム
っていう農業×観光というか
農業が持つ
作って売るだけじゃない
いろんな可能性
交流の可能性とかあるんだよみたいな
話があって
何それ何それみたいな
結構人と話すの好きなんで
それで先生と
話してると例えば
直売所とか
直売所に
買いに行くことも
グリーンツーリズムなんです
一番ハードルの低い
その地域の食を買いに行って
そこで生産者と会うかもしれないですし
あと一番
ハードル高いのは農業体験とか
農家民博とか
そんなんとかも
グリーンツーリズムになるよね
農業を通した人の移動とか
そういうことを専門にしてるゼミ
そういう立ち位置で
観光学部の中にあった
そこに
僕もいずれやるんだったら
知っておいた方が
いいかなっていうので
そこを申し込んだ
結構その時は
将来は
みかん農家になるから
そのためにできることなんやろう
みたいなことを考えて
勉強もしてたって感じなんですかね
33:01
それはあったと思いますね
別の選択肢とか
あんまり考えてなかったんですか
いや考えてました
考えてて
僕大学3年の時から
公務員講座を受けてたんですよ
公務員になろうと思って
おー
急に硬い
本当に公務員芝居だったんですよ
なんでまた公務員に
この田村のエリアで
青年だったら
祭りがあって
その祭りに地元の先輩から
声かけられて
大学行きながら
祭りも参加してて
結構地元でそういう
しかも観光学部というところにいてたら
この地元の祭りの
なんか誇らしさがすごい
外で
日常は観光学部にいるときに
やっぱり珍しいことを
僕らの地域してるなと思ってて
それも結構
シシマンやったりとか太鼓やったりとか
1200年ぐらい続く
国津神社っていう祭りなんですけど
ここの
それが結構僕は好きで
その10月15日の
田村祭りが一年で一番
僕の中で楽しみな日で
今でもそうなんですけど
でその
それが考えたら
いわさも人は減っていくし
この祭りの担い手も減っていくし
そうなったら
なんか
大学で学んでるのも地域活性化みたいな
ことを学んでて
じゃあなんかそういう仕事つけたら
すごい楽しいのかな
と思って
で何があるやろうって
安直にいわさ町の
欲場みたいな
なるほど
そうなんですよ
役場職員志望で
勉強してて
で県庁も
一応あるんで
県庁も
勉強しようかなみたいな
で大学4年の時
もちろん県庁は落ちて
学力的にむずく落ちて
で
そうですね
大学4年の夏にいわさ町の役場
の
受けようと思ったら公募がなかったんですよ
ええ
役場ないとかあるん
そうなんよ
声を大にして電波に乗って言いたい
そんなことあったんじゃない
ええそんなことある
なかった
14卒はなかった
ええ
そうで受けれない
っていうのがあって
どうしようってなって
そうなんですよ
就活もしてなかったし
それこそも
一点突破で考えてたんで
でどうしようってなった時に
そのゼミで
あの
本当にいろんなフィールドワーク
36:01
行ってたんですよ
県道もしてたんですけど
趣味がバイクで
ええ
本当に全国いろいろ走り回ってて
ええバイクめっちゃ行ってた
行ってた
行ってたな
ツーリングめっちゃ行ってた
原付でも行きました
四国とかも
大学1年の時に
あの
ちょっと話それなんですけど
大学1年の時
県道部体育会なんで結構忙しくて
休みはないんですよ
大きな大会が終わった後とか
は1週間2週間くらい
たまに休みがあって
よっしゃ行けると思って
で観光学部の先輩が
自転車で四国行ってたのを
聞いて
で僕原付乗ってるし
原付やったらもっと楽に行けるやろうと思って
で原付で
四国を海岸沿い
ぐるっと一周して
テントと寝袋積んで
大学1年の夏休みですね
えー
一週間行ったうちの6日間雨でした
コンディション悪い
それこそここの倉庫
出る日から雨で
もうでも行くって決めたから
行かなあかんなと思ってて
で和歌山から徳島のフェリー乗って着いたら
大雨警報になって
最悪でしたけど
えー
たまに日本一周とか
してる人いるんですけど
一周するときの気持ちって
どういう気持ちで
一周しようってなるんですか
えー
一回で一周は
分かんないですけど
決めたからやるっていう
特に
僕の時も特に
無くて
で四国一周やった時は
徳島から
ぐるっと時計回りまで最後香川やったんですけど
何も決めてなかったんで
泊まるとこも基本テントで
ゴミ置き場とかでも寝たんですけど
雨やったんで
一日目とかゴミ寄せて
ゴミ寄せて起きたら
ここゴミ置き場やったみたいな
匂い全部くさんあるみたいな
最終日とかはでも晴れて
でたまたま
小島のフェリー乗り場かなんかで
うどん食べてたら
隣の人に声かけられて
今ちょっとイベントやってて
ボランティアスタッフ製品みたいな
声かけられて
瀬戸内国際芸術祭の
第一回やって
そのボランティアスタッフに声かけてもらうとか
割と何もノープランで行ってたから
結構
いい出会いもあったりして
これは面白いなみたいな
ノープラン面白いっていうのが結構
原付き一人旅で
知ってしまい
原付きじゃ物足らなくなって中が高くて
北海道とか
いろいろ行ったって感じ
それもノープランで
そうですね
北海道は
39:00
2週間行ったんですけど
ぐるっと
それこそ一周してただでも決めてたのが
北海道で
100ヘクタールぐらいやってる農家
のところで
3泊4日の作業させてもらうみたいな
それだけは決めてて
大学3年生で
その時にはもうゼミ決まってて
そのゼミの先生の
つてで
北海道行くんだったらここ行ったらいいよみたいな
それでそこが農業生産
しながら
大学生の受け入れとか高校生の
修学旅行を受け入れたりとか
そういうのやってる農家さんで
僕も行ったら東京の
高校生が修学旅行で来てて
一緒にご飯食べたりとか
そんなんが結構
農業の現場というか
いろんなところ僕も
自分の家だけじゃなくて行って
良かったなというのと
そうですね
話戻して
公務員ダメだって
というところなんですけど
北海道行った時にその農家さんが
井上くんのところ
どんな畑なん?みたいな
みかんってどんなところで
作ってんの?で聞かれて
写真を見せたんですよ
有田のダンダン畑の旧な畑
の写真で
それを見て
よくこんなところでやってるなって
言われて
僕からしたらその人
いろんな賞も取られてるような
北海道の農家さんで
100ヘクタールって水平線まで
うちの園地みたいな
農地ですね
その僕から見て
すごいと思ってる人から
なんか分からんけどすごいって言われたみたいな
大学生だから素直に
あれ?うちの畑すごいかもしれんみたいな
のを思って
じゃあ
うちの畑というか有田の畑
の魅力ってなんなんやろな
とかは結構興味湧いてて
地元で働く
っていうよりも農業
に結構大学の頃から
ちょっと興味は持ち出してて
それで
北海道だけじゃなくて
長野とか
田辺、和歌山の田辺南の方
あっちもみかん産地なんで
学生の時にその田辺で
農作業させてもらったりとか
結構そういう
いろんなところで農作業した経験があって
で公務員
ダメだった時に
田辺の行ってた
農業法人で株式会社
秋角っていうところがあって
秋角ガルテンっていう
レストランやってるところで
そこで
拾ってもらったっていう感じですね
そこに就職して
そうですね
就職ではなくて農業研修生として
行くっていう
農業研修生ってどういう
そうですよね
大学卒業してすぐ農業するとは
思ってなかったんですけど
みかんも
いろんな農家さんに会うと
42:00
結構作る品目によって
性格が
色々で野菜は
結構1年の間にトライアンドエラー
何回もできるんですけど
みかんは
1年に1回しか収穫できない
そうですよね
30年
30歳から30年やっても
60歳になった時に30回しか
トライできてない
中で生える方がいいんじゃないか
っていう風に思うようになって
僕がやりたいのは
岩瀬とか
この田村とかに関わって
地域活性化みたいな
今言ったらすごい
めっちゃおこがましいな
とか思うんですけど
そういうことを言ってたんで
その手段としての農業
っていう位置づけ
だからみかんやりたいとかじゃなくて
地元で働く
術として農業を選んで
すぐに大学出てから
家帰っても
絶対何の戦力にもならない
と思ったんで
田辺に秋角がある店
っていう農家レストランやってるところ
株式会社秋角に
農業研修生として2年間いて
そこに拠点を置きながら
上秋津っていうエリアなんですけど
田辺市上秋津地区の
農家さん3原で
農作業
教えてもらいながら
農業法人の方でも
いろんな事業の事務局をやりながら
田辺に2年間
という期間を決めていったって感じ
なるほど
地元で働きたいとか
家は
家業があるにしても地元で働きたいとか
地元活性化させたい
っていうのは
なんでそんな感じ
になったんですかね
どうなんですかね
観光学部が大きいとは思います
周りにそういう
人たちもいるし
ゼミとかでもそういう感じの
勉強するし
大学だったら
問題意識なんでも持つじゃないですか
課題もあって
それに対して
自分でも調査して
僕の
大学の卒業論文が
田村みかんの
ブランド力についてみたいな
ことをやって
それで田村の
農家さんにも
みなさんにも
アンケート配って
集めさせてもらったりとか
田村の組合でもバイトさせてもらったり
とか
それはあくまで
卒論の
調査のあれやったんですけど
そこで田村の
いろんな大人の人と出会って
やっぱりここ好きやなって
2年間という期間を決めて
帰ってきますという感じで
おー
熱いっすね
すごいすごい
45:00
それこそ
ガミアキツのアキツノガルテンの
人たちもすごい
心広くて
2年で戻っちゃうんで
正社員じゃないにしろ
そのためにまた何か教えて
田村から来たんかみたいな
地域の農家の人から
言われたりして
そうそう
アキツノガルテンというのはどういう
会社というかどういう組織やったんですか
そうですね
そこはもともと
アキツノガルテン
っていうのは箱の名前で
小学校
が廃校になって
それをレストランとか
収穫施設とかいろんな体験
交流できるような場所として
やった複合施設なんですけど
それを
運営しているのが
株式会社アキツノ
そこの
地域の農家の人とかが
中心に
作った会社ですね
もともとそのエリアが
アキツノガルテンができる
以前から
公民館活動が
活発で
自分らで企画して
ウォークラリーやったりとか
人を読んだイベントやったりとか
歌詞を読んだりとか
そんなのがめっちゃにぎわってた
神屋吉っていう地区があって
直売所
キテラっていうところが近くにあるんですけど
本当に日本で直売所
っていうのが全然浸透してない
時代に
その神屋吉っていうのが
柑橘あと梅
夏はバレンシアオレンジとかも
アリだってウンシュウミカンがすごい強いんで
冬にバーンって
っていうのがあるんですけど
田辺はそれとちょっと住み分けるように
年中いろんな柑橘が採れるんですよ
あと梅もある
年中何か作物があるっていうところで
直売所を出せる強みもあって
地域で直売所を
出したり
みんなで何かするみたいな
合意形成を作るような組織形態もちょっとあったりして
だから
なんというか
グリーンツーリズムやったり
地域活性化のモデル
と言われるような場所
実は柑橘の神屋吉
そんな感じやったんですか
見えてる部分は農家レストランとかが
多いんですけど
バイキングみたいなやつ何回か
行ったことあるんですけど
めちゃめちゃ原価率高くて大丈夫かって
めっちゃ安いですよね
800円900円とかで
バイキングで
みかんジュースも飲み放題的な
今でもさすがに
値上げのあれでちょっと上がってますけど
でもでも
ちゃんと地域の野菜と米とかも
使って
お母さんたちが
働く
みたいな雇用もそこで
やってて
あとはジャム作ったりとか
クレープやったりかき氷やったり
面白いのが
その廃坑になった理由が
人口増えすぎて廃坑になったっていう
背景があって
48:01
そんなことあるんですか
そう
田辺市って都会じゃないですか
和歌山の中では
やっぱり町で
そこで働く人が住む場所
なんですよ神屋吉
ベッドタウンみたいな
ところでだから家が建ってて
子供の数が増えて
で校舎に
収まりきらなくなって廃坑になった
えーどういうことだ
今秋津野ガルテン
旧神屋吉小学校の
目の前にでっかい神屋吉小学校が
建ってます
で今その神屋吉小学校の
子たちが100円玉握りしめて
かき氷買いに来る
めっちゃいいんですよ
地元のお母さんたちが
それで
子供らと喋ったりとか
めっちゃいいエリア
そこで2年間
居させてもらった
そこでの
研修期間はどんな感じでした
そこでは
あの
研修
月に
3軒のほか
1軒4日ずつぐらい
行っててでそれ以外は
秋津野ガルテンでレストラン
入ったりとか
あとジャム作りとかもちょっと
そうですし
インバウンドが流れとして来てたんで
外国人の
僕英語喋れないんですけど
部屋案内するぐらいまでしかできない
そんなのやったりとか
色んな企画やりましたね
その
エリアが新しい住民が増えてると
だから
柑橘のこととか神柳津のことを知らない
親子世代が増えてるんで
その人たちに
この地域のことを知ってもらおうっていうので
みかんの教室みたいな
研修先の農家の人に
来てもらって
僕とその農家の人と
柑橘いっぱい集めて
地域の親御さん向けに
みかんのことを食べ比べしてもらったり
興味持ってもらうようなことは
学園
とは
大学と秋津野ガルテン結構
連携してて
その大学
和歌山大学と近畿大学と
あと留国大学とか
あと琉球大学とか色々あるんですけど
そういう大学生を
神柳津地区の農家の人と
マッチングさせて農作業の受入れ
だったりとか
秋津野ガルテンが宿泊施設もあるんで
学生
宿泊が
宿泊する場所農家のところで
宿泊するか秋津野ガルテンで
宿泊するかっていうのとかも
ヒアリングして決めて
ちょうど塩梅を探すみたいな
そういうのを
グリーンツーリズム事務局みたいな感じで
やってました
なるほど受入れできるのがでかいな
そうそうそう
その地域が
やっぱり
人の受け入れ経験が多い
農家民泊も
結構やってる家も多いし
51:01
結構前からやってる?
結構前から
SNSとかみんなやってないから
あんまり表に出てきえへんけど
すごい下積みがある
昔からそういう
風土的なあるところの
地域だったってこと?
そうそうそう
みんなで
だから公民館っていうのが格になってて
そっからの発展
そこから
合意形成とか村作りの
天皇杯って
あって農業界で
へえ
あるんですよ米の生産部門とか
あと漁業の部門とか
いろいろあるらしいんですけど
その村作り部門で
亀明津が選ばれて
天皇杯
わからん
天皇杯優勝してる
賞もらってる
それもみんなで取りに行こうぜみたいな感じで
いろいろ事務的なやつも
みんなで書いて
それと
亀津の塾っていう合意形成の
目に見えない団体
なんですけど
それに所属してる人らは横一列で
JAも小学校もPTAも
亀津のガルテンも直売書き寺も
消防団も全部入ってる
へえ
それが横並びの合意形成の団体みたいな
まあまあ一個作ってて
ちょっと絵に描かないと分かりづらいですけど
すごいエリアっすね
そうだから
知ってる人はもうあああそこねみたいな
へえ
そういうメッカよね
そんな場所ですね
2年間その農業の技術も学びつつ
そういうグリーンツーリズム的な
を実践してるところでも
学びつつ
そうですね
行ってた三軒のうちの一軒が
紀州原農園っていうところなんですけど
その原さんが
柑橘60種類ぐらい
今作ってるんですけど
本当に多品種作ってて
で飲食店との取引も
すごく多くて
でめちゃめちゃ楽しむんすよ
柑橘の香りやったりとか
楽しむような企画を
田辺市の地域の人とか
お店とかとコラボしてやってる
みたいな
具体的にどういう
例えば
木の国トレインアートっていうイベントがあった
知ってますか
アートと電車と
電車かけるJRの
あってそれ田辺市の
アーティストの方
広本さんが
中心になってやった企画
なんですけども
電車の中で
柑橘の食べ比べやったりとか
バーテンダーの人に
お酒作ってもらったりとか
生産者が前に立って
なんか喋るみたいな
僕は見たことなくて
原農園の原拓夫さん
が
そういうことをしてて
めっちゃかっこいいな
でみかん農家というか
柑橘で
こんなにいろいろできるんや
54:01
その地域は本当に
それこそ60種類というか
もっと柑橘で言ったら
種類多くて
そこで僕柑橘好きになった
というか
もともと当たり前に
あったみかんですけど
柑橘っていうもっと広い品種の
世界に触れた時に
なんか香りも全然違うし
味も
甘さも違うけど
見た目も違うし
色合いも違うし
でも同じ柑橘みたいな
面白いってなって
子供たちに
面白いでしょって教えてたら
自分も面白くなってきたみたいな
そんなんも多分あったんかもしれないですけど
そうですね
研修時代に柑橘好きになった
そういう人前で話すような
農家がいるっていうのを
知ったっていうのが
結構影響を受けたって感じです
なるほど
研修期間中も
空なんですかね
色々ブログとかで
情報発信を
そんなん見てるなんですか
ありました?今も
雨風呂残ってたよね
やめましょう
あかんあかん
探そう
そんなん書いちゃったよね
書いてた
結構その時は情報発信とか
やってたような
感じなんですけど
意識してやってた感じなんですかね
記録を残そうとは
思ってました
発信っていうよりは
自分の記録
当時2014とか15とか
はい
ぐらいってその
SNS的なものじゃなくて
ブログが主流
みたいな感じだったんですかね
そうやったと思います
フェイスブックやな
フェイスブックですね
インスタグラムも
大学3年の時に
加工アプリやと思って撮ってたぐらいの
フェイスブックやったんで
フェイスブックでずっと上げてて
研修時代もそうで
インスタとかも
あんまり
多分僕のインスタとかさかのぼったら
プリクラとか載ってますよ
ブログは
そうですねそういう意味で
文章を残すものとしては
ブログ
残してたんじゃないですか
自分の存在を発信して
っていうよりは
研修の記録用に
残してたみたいな
その前にバイクで
行ってた時にも
記録残してたんですよ
北海道ツーリングしてる時に
寝る前に書いて
そうやって
残す時は見返して
思い出せるかな
それぐらいの感じです
発信しなきゃとか
そういうの自然にやってたっていうか
結構好きな感じやったんですかね
そうですね
多分結構
57:01
考え
たものを
何か書きたかったのか
アウトプットの手段が
それやったんじゃないですか
今やったら
本当に社会人になって
こうやって話
熱量が結構同じで
話できるみたいな
友達増えましたけど
棚火にいる時って
それがちょっと
一回りぐらい
上の人とか
そういう人たちばっかりで
同世代本当になかったんで
それをウェブに書いてた
なるほど
結構大学
出てから
友達はみんな
社会人の同期とか
会社であれめちゃめちゃ羨ましかったんですよ
同期って
いいなみたいな
同期的存在がいなかった
いなかった
その寂しさはあって
うん
そんなことしてたかもしれない
みんな見てと思ってたんですかね
分かんないですけど
なるほど
ずっとその2年後の
親元に帰った時に
どういう感じにしていくかっていうのをずっと
考えながら
生活してたって感じなんですかね
その2年間は
最初の1年は本当に
慣れるまでというか
バタバタしてたんですけど
後の1年はそんなん考えながら
そうですね
それこそ
未来ラボっていう
串本のリゾート大島
で
マネージャーされてる
南畑さんから
急に連絡があって
会ったこともなかったんですけど
一回2人で飯行こうみたいな感じで
そう
アキツノガルってすごい取り組みをしてるから
そのことを
ぜひ
ご視聴ありがとうございました