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いきなりおかわりが出てきたよって、僕も言って、ナレーション、いきなりナレーション、いいやん、どうぞ。
フードセンターいわせのコーヒー担当、石井壮です。有田市のコーヒーショップARCの上田です。
この番組は毎回和歌山で活躍するゲストの方にインタビューをしていく番組です。
kisenradio第40回、本日は和歌山県岩手市にあるKAMIN COFFEE ROASTERSさんで収録しています。
本日のゲストは、KAMIN COFFEE ROASTERSの西田武史さんです。
西田さんの生まれから現在に至るまでのルーツや、KAMIN COFFEE ROASTERSのこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
それでは、まず壮君から西田さんのご紹介をお願いします。
はい 今日は突然なぜか
ナレーション係になったんですけど、西田さんの紹介。西田武史さんは1981年、現在何歳ですか?
今42歳です。 42歳、はい。和歌山県木の川市生まれ、大学卒業後百貨店で8年間勤めた後、コーヒーの道で進むため大阪のカフェに転職。
地元和歌山でラーメン店が出かける自家焙煎コーヒーのカフェ、フェイバリットコーヒーの立ち上げに関わる。
店長を焙煎師として9年を経て、2020年に和歌山県岩手市にお店をオープンされました。
はい、ありがとうございます。壮君がなぜこの場にいてくれたのかと言いますと、今日は西田さんの収録に行く前に、ちょっと壮君から西田さんのこと色々
聞いてから行こうと思って、フードセンター言わせに寄ってちょっとコーヒー飲んで来させてもらったんですけども、その話の流れで壮君がちょっとついていこうかなみたいに。
そう、あまりにも上田市の緊張感がすごかったので、言いたいには寝らんかもしれんということで、ちょっとチャチャ入れで。
ありがとうございます。そんな壮君と西田さんの関係ってどんな感じなんですかね?
関係ってここ1年くらいですよね。
そうですね、この1年くらい和歌山全体でもっとコーヒーを勉強していこうっていう。
なんかそういう流れになって、壮君のお店を借りてみんなで集まることが増えた。
タッピング会みたいな。
そうですね、この間一緒に大会に出たりして、その道中が一番接触するタイミングが多かった。
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結構その2ヶ月間くらい、週2、3くらい出会って、1時間くらい2人で車乗って出かけるみたいな。
あんまりお店同士だと喋るタイミングもなかったんですけど、車で2人だと密接というかね。
今回がかなり接近するタイミングだったかなって感じですね。
お互い売選手っていうこともあるんで、やっぱり僕が単独で西田さんに聞くよりも、
もっと深い話が聞き出せるんじゃないかなと思うんで、また壮君と西田さん今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
西田さんがこのキセンラジオに出演していただける経緯なんですけども、
先々週ですかね、田辺市であったTOWっていうコーヒーとパンのイベントに出演したときに、
西田さんと初めてぐらい知ってたりとか。
そう、多分挨拶させてもらった初めて。
はい。僕が仮設トイレに入って出てきたところ、いきなり西田さんが名刺渡してくれて。
手も洗ってない状態で。
待ち伏せしてたみたいな。
挨拶させてもらって、そのときにキセンラジオも聞いていただけてるっていう。
そうですそうです。結構いいラジオやなと思って。楽しませてもらってます。
ありがとうございます。
西田さんももちろん存在はずっと知ってて、いつかちょっとラジオ出てくれたら嬉しいなと思ってたんで、
この機会にと思って頼んでみたところを心よく受けてくださって、今日この場になっております。
はい、光栄です。
ありがとうございます。
ちょっと聞いていただけてるんで、もうご存知かと思うんですけども、
その出演していただける方のルーツを根掘り葉掘り聞かせていただく番組になってるんですけども、
まず西田さん、キノカワシ生まれっていうことなんですけども、
西田さんはどんなご家庭で育った感じなんですかね。
そうですね、まあ僕はいたって普通のというか、父親が公務員で、母親も働いてて、
兄が1人の4人家族で、地元は岸川なんで結構田舎で育ったんですけど、
まあ伸び伸びとというか、小学校の時は野球やってて、中学高校もバスケットやっててっていう、
スポーツをよくしてた子供って感じですかね。
子供の時はスポーツ以外になんか興味あったこととか、どんなことが好きだったとかって覚えてますか。
でも意外となんか勉強とかも苦じゃなくて、知らないことを知るのが好きな子というか、
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なんかそうですね、よくこれなんでとか、あれってなんなんみたいな、すごいなんでも知りたがる子だったかなって。
勉強もできて、スポーツもやってて。
いやまあできてとかじゃなくて、何にでも興味あったというか。
意欲的な感じですね。
いい子供っすね。
そうなんですかね。
子供の時どんなことして遊んでたとか、そんなん覚えてますか。
まあでもほんまにまだ僕らの時って、学校から帰って自転車で流し屋行って、カンケリやってみたいな。
カンケリ自体やったって。
ほんまに田舎の子供って感じですよね。
夕焼けになったら帰るみたいな。
いいですね。
中学もそのまま地元で。
中学も地元、岸川の中学校で。
で、高校は長高校。
その時に初めて岩手に来てっていう。
長高校って結構進学校みたいな。
いや、僕らの時は普通なんですよ。
今進学校って聞いて、あ、進学校なんやっていう。
そんな感じで。
でも長高校、僕らの時はみんな仲良くて。
なので勉強もスポーツも程々にみたいな。
そういう学校で。
文化祭とか体育祭とか、みんなで一生懸命やるみたいな。
そんな感じでしたね。
クラスの立ち位置的には中心的な?
明るい系の感じだったんですか?
そうですね。
中心って言うほどじゃないですけど。
何でも参加するみたいな。
めっちゃいい感じですね。
ほんまに標準的な高校じゃないですか。
順調に。
高校くらいって色々、
音楽とかファッションとかカルチャー的なことも興味出てくる?
そうですね。ファッションは好きで。
中学校の頃から飴村行ったりとか。
ファッションはすごい興味がありましたね。
どんな系のファッションなんですか?
僕らの時は古着が流行ってたんで。
なので古着屋さん回って、風車内機とか。
あの時代のダウンタウンの浜ちゃんが着てるやつありーなみたいな。
浜ダーやったんですね。
そうです。
そんな感じでしたね。
その時って将来何になりたいとか、そんなのってあったんですか?
将来やりたいことがなくて。
09:01
別に夢って言っても楽しく過ごしたらいいかなみたいな。
なので何やっていいんだろうみたいな。そんな感じだったんで。
なので高校卒業したら就職ってちょっと厳しいなと思って。
でちょっと大学行ってちょっと世の中いろいろ見たいなっていう。
そんな感じですごい漠然とした10代でしたね。
めちゃくちゃ標準的10代っていう。
ほんまそうですね。
大学はどんなところ行くんですか?
大学は京都の大学行ったんですけど。
でもその時も何をやっていいかわからなかったんで。
社会学部ってすごい一番漠然でした。
何勉強してるのみたいな。
いろいろ勉強できるみたいな。
っていうところに行って。
社会学部なんでいろんな教科もあるし。
来てる学生もほんとにいろいろスポーツ推薦で来る子とか付属の子とか。
ほんとに実験できた子とか。
いろんなメンバーが揃ってて。
結構衝撃的だったのが。
高校の時まで英語結構得意やって。
最初のクラス分けの時に気付いたら40クラス中一番下やって。
やっぱりちょっと世の中って厳しいなって。
だから漠然と生きてたらあかんなっていうのが大学入学してすぐに感じさせられた。
そんな感じでしたね。
大学は部活そのまま続けたりとか?
大学でタッチフットっていうアメフトのミニチュア版みたいな。
そういうスポーツがあって。
兄貴がアメフトやってたんで。
アメフトってかっこいいなと思ってたけど。
でも怪我しそう。
危ないですね。
でもタッチフットっていうのがあるんやと思って。
そのタッチフットに入りましたね。
体育会じゃなくて普通のサークルなんですけど。
それやってて結構面白くて。
その時に試合中怪我して。
結局辞めるんですけど。
本当に大学何やってたのかって言われると難しいですね。
バイトやってたりとか?
バイトは酒屋さんの配達バイトやってて。
12:04
京都って一通多いし道狭いんで。
結構配達って需要が多くて。
本当に酒屋さんに注文入ったら年配の人の家まで届けるみたいな。
そういうバイトやってて。
それは楽しんでやってましたね。
他に大学の時とか熱中してたこととか?
熱中してたことというか。
結構友達がみんな鞄に小説とか本入れてて。
空いた時間とかみんな本読むのが普通みたいな。
活字読むのが普通みたいな感じで。
大学生って本読まなあかんのかなみたいな。
そこから僕も小説を買ったりして。
最初は全然読めなかったんですけど。
でもそれを暇つぶしで読んでるうちに結構本にハマって。
学生なんですけど家で結構小説読むみたいな。
それは今も続いてるんですか?
そうですね。でも結構本読むのは好きになったんですね。
ちっちゃい頃本読め本読めって言われたら嫌やったけど
自分で読み出したら勝手に読むとか。
どんなジャンルの本読んでたんですか?
その時は現代小説とか
その後歴史の小説とか読み出して
歴史結構面白いなってなって
歴史小説とか
でも最近は仕事に関することというか
いろんな人の考え方を知るような本を読むことが多いですかね。
大学生活は過ぎていき就職ですか?
そうですね。就職で。
結局そんな感じで過ごしてたんで
何しようってなったんですけど
ずっと続いてたのは
服が好きというかファッションが好きだったんで
服に関わる仕事をしたいなと思ってて
アパレルの商社とか百貨店とか
そういうところに興味を持って
最終は和歌山帰りたいなと思ってたんで
関西軸のアパレル関係の会社の就職活動をしました。
和歌山を最終的に帰りたいという理由はあったんですか?
15:00
京都の街中で暮らしてたら
そんなに居心地は良くないというか
和歌山帰ってきた方が落ち着くし
和歌山が好きなんやろうなって
仕事で街中に行くのはいいにしても
例えば自分の老後とか
っていうことを考えた時に
やっぱり和歌山っていい街やなみたいな
めっちゃ長い夢で見てたんですね
そうですね
就職したら帰ってきえへんのかなみたいな
そんなことを考えてたんで
なので和歌山に帰って来れるところがいいなっていう
そういうざっくりした学生ですね
それで百貨店に就職ですか?
百貨店に就職して
和歌山の近鉄に就職させてもらって
近鉄やったんですか?
そうなんですよ
和歌山の近鉄って僕らもちっちゃい頃
すごい楽しい場所のイメージというか
おじいちゃんとかに連れてきてもらって
おもちゃ見てKYKでご飯食べさせてもらった
そういうイメージで
だから和歌山のシンボルのひとつでもある場所なんで
そこで頑張りたいなと思って
それもファッション系のお店に立つって感じですか?
百貨店の就職やったんやけど
婦人服を着て
婦人服が一番ファッションに関われると思ってたんで
近鉄の婦人服ってだいぶ婦人じゃないですか?
だいぶ婦人やったんですよ
仕事はどうでした?
面白かったですか?
仕事はすごい人も良くて
居心地も良くて
でも入ってみて
ファッションに関わるって
結構難しいというか
ただ関わりたいだけやったんかなって思って
本当に関わるってなるとデザインしたりとか
もっと買い付けやったりとか
っていう仕事になってくるんやと思うんですけど
ざっくりファッションに関わりたいっていう中で
仕事やってたんで
普通に楽しいは楽しいんですけど
ちょっと物足らん感じというか
このままでいいんかなっていうのはあったんですね
18:00
その時は別に自分のお店作りたいとか
全然そんなのなくて
なのでいかに楽しく人生を過ごしていったのか
ほんまにずっとそんな感じでした
社会人になってこっち戻ってきて
どんなことして遊んでたんですか?
遊ぶのは
百貨店って
換算機に大型連休があるんで
結構国内旅行を一人で行ったりとか
沖縄が好きやったんで
毎年一人で沖縄行って
本島とか離島とか
別に何するわけじゃないんですけど
沖縄の流れる時間が好きで
ただブラブラ遊んでいくとか
あとはその時カフェ行くのが好きで
昔はそんなにカフェ行ってなかったんですけど
いろんな関西のおしゃれなカフェとか
そういうところに休みの日に行ったりするのも好きでした
20年前って言ったら
どんなカフェが流行ってたっていうか
結構
言っても喫茶店とカフェの間みたいなところが多かったんですけど
でも衝撃を受けたのが
奈良にあるくるみの木っていう
あそこがすごいにぎわってて
こんなカフェでにぎわってるところあるんだっていうのが
結構衝撃的で
自分の好きなことをしてこんなにお客さん喜んでもらうって
カフェってすごい
その時に思ったんですね
じゃあそこでもうちょっとうっすらやりたいなとか
でも本当その時は漠然と
老後に沖縄でカフェとかできたら幸せ
カフェってそういうイメージですか?
その時は本当にそんな感じ
最後かなみたいな
その時和歌山の状況とかどんな感じだったんですか?
和歌山はまだ本当にカフェってなくて
20年?
多分木蓮さんとか
コーヒー専門で飲むっていう場所も
そんなになかったんちゃうんですかね
どっちか言うとダイニングバーとか
ちょっとおしゃれな居酒屋さんがにぎわってるって感じで
お昼におしゃれな場所でっていうのは
多分まだ少なかったと思うんですね
そこからどうなっていくんですか?
そこから金鉄の時にすごいお世話になった人が
21:01
2人いてて
1人は結構長いこと
僕の上司でいてくれた人なんですけど
その人にそんな感じだったんで
3年ぐらい経った時に転職したくなって
勝者に行きたいなと思ってアパレルの
やっぱりバイイングというか
そういう買い付けみたいなことをしたいなっていうことを思って
勝手に内定もらってきたんです
それをその時の上司に報告したら
今せっかく就職した場所でまだ1人前にもなってないのに
その判断ってちょっと早くないって言われて
それは今が嫌っていう部分が強いんちゃうかなって言われて
あれせっかく就職決まったのになって思いながらも
でも確かに言われてみたら
転職先で一生のビジョンが見えるかって言われたら
そんなに見えへんし
どっちか言ったら大学の友達とかが結構仕事で
結果出し始めてというか
そういうタイミングだったんで
なんか僕もアクションせなっていう焦りみたいな
そういうところで動いたのかなと思って
もちろんその時近鉄でもまだ全然1人前でもないし
言われたことをやってるだけっていう中やったんで
確かに今いてる環境で
全部を分かってない中でっていうのはちょっと違うなと思って
その上司のおかげでその時踏みとどまって
だからその時もし転職してたら
全然また違う人生だったと思うんですけど
その後に直続じゃないんですけど
すごいプライベートでもおっしゃるようになってた
上司がある時若手社員
男性社員集められて
いろいろとお叱りを受けて
その時ってみんな若手も仕事に慣れてきて
取引先さんともなんとなく仲良く
仕事もトラブルもなくみたいな感じで過ごしてる中で
その仕事のスタンスって違うぞみたいな
そんな話になって
まんねりしてるっていう
その中で言われたことで結構衝撃やったのが
24:02
お前らその型書き
会社の名前の入った名刺じゃなくって
自分だけの名前しか入ってない名刺で
物を買ってもらえるんだって
その型書きついてるから
今仕事できてるだけちゃうんかって
これからいろんな時代に入っていく中で
自分の名前だけで人に信用してもらえるような
大人になれって言われて
それが結構突き刺さってしまう
それで20?
そんで27、8ぐらいだったかな
結構いい歳
いい歳でなんとなくできてるつもりやった自分が
本当に言われたまんまの自分やったんで
何の反論もできなくて
喰らうだけ
喰らうだけ喰らった
でもこれは良くないなって自分の人生
何かに対して一生懸命でもなくって
なんとなく仕事をしてこれはまずいと思って
そっから
自分自身で何か作ったりとか
自分の存在価値があるような人間にならなあかんなって
言われたんですけど
でもそれは結局そこの職場でめっちゃ甘えてたから
これはちょっと自分を変えていかなあかんな
そういうモードに入ったきっかけでした
その時も変わらず婦人服の仕事をして
そうです
だからずっと婦人服をやってたんで
そこからどう変わっていくんですか
そこからフェイバリットのオーナーと
ちょくちょく会ってて元々知り合いで友達で
カフェをやろうと思ってるって話になって
その時はなかったんですねフェイバリット
フェイバリットに話は全然なくて
そうはいえどもカフェは好きだし
飲食ってなんかすごいなと思ってたんで
そのすごいリスペクトしてて
自分が作ったものでお客さんが喜んでくれるって
それはちょっと老後の話にと思ってたんですけど
ちょうどその時言ってた友達が
やったやんって
後押しされて
そう後押しされて
27:00
でやるわって
やるっていうのは
それはもう売選しっていうのは決まってたんですか
まだそこまで全然
なんかそのカフェをやりたいっていう話の中で
カフェをやるみたいな
とにかくカフェ人材を
やっぱりその時ちょうど
いろんな町で
カフェっていうのが
カルチャーであったりとか
町を活性化させたりとか
人と人が繋がる場所みたいな
そういう風に注目され始めた時があって
僕はその時は
何か自分でことを成したい
でその
フェイワイトのオーナーが
ちょうどそのカフェをやろうと思って
本当にそのタイミングで
金鉄の上司の人としては
金鉄で頑張ってもらいたくて
出したはずが
それだけじゃなさそうですよね
でもちゃんと先に報告して
ででも
それが自分で考えて
決めた道なんやったら
結果出すまで頑張るって
男やなと思って
それに負けずというか
それで逆に後戻りできない状態というか
とにかく頑張るしかない
っていう状態で
フェイワイトの計画が始まった
どの段階から入ったんですか
もう全くゼロの状態から
一緒に計画していて
ゼロです
そのゼロをやって
でも
言っても
オーナーはずっと飲食をやってきて
結果も出してきて
っていう中で
見えてる世界と
逆に僕は飲食を全く知らない
っていう中で
イメージする世界とっていうので
全然
見えてる世界は
ついていけてはなかったんですけども
いろいろと
話をさせてもらって
あんな店がいいなこんな店がいいな
みたいな
っていうのを
金鉄を退職するまでの間に
理想の店っていうのを
探していって
どんなことをしていくかみたいな
そういう話が進んでいった
という感じですね
その時なんか
こんな店がいいってイメージした店って
具体的なお店ってどんなところがあったんですか
具体的なお店は
東京新宿に
ブルックリンパーラってあって
で
ブルックリンパーラ
それまでいろんなお店東京とか大阪とか
見てきて
でもブルックリンパーラを
見た瞬間にすべてが
吹き飛んだ
30:00
これがいい
店の活気とか
空気感とか
スタッフさんの接客とか
どれをとっても
なんかこうなんですかね
すごいこう
生き生きとした
人たちがこう
交流してるとか交わってるというか
こういう場所が
和歌山にあったら
絶対喜んでくれるやん
みたいな
イメージはもう
そこでしたね
フェイバリット立ち上げるときの
和歌山のカフェシーンというか
周りってどういう状況だったんですか
ちょっと
あんまり僕も
記憶になくて
もちろん多分あったんですけど
県外と比べると
そういう
盛り上がってるような
お店とかっていうのではなくて
ちょっとこう
和み系のカフェというか
ローカルでポツポツみたいな
ゆったりした空間のカフェっていうのは
あったと思うんですけど
活気のあるようなカフェっていうのは
多分まだなかった
っていう感じでしたね
僕も
でもそういうことで一旦
勉強したい
ちょっと
勉強する時間を
もらいたいという話になって
先の話じゃないですけど
和歌山のどこで修行するか
ってなった時に
何かを和歌山に持ってきたい
っていうイメージの方が強かったんで
大阪で
すごい店を探そう
ってなって
大阪に
南千葉とかにある
カフェガーブってあるんですけど
ガーブに
初めて行った時に
ブロックインパーラーと同じような
お昼やのに
すごいにぎわってて
活気があって
お客さんも楽しそうでスタッフも楽しそうで
みたいな
っていう店があって
こんな店大阪にあるんやと思って
ここで働きたいってなって
めっちゃ忙しそうやったんですよ
でもめちゃくちゃ
忙しそうやったんで
ここで1年働いたら
3年分くらい働いてるんちゃうかな
吸収が
早くなるんちゃうかな
っていうので
ちょうど求人募集されてて
応募させてもらった
って感じですね
そこではどんな仕事をしたんですか
そこは
一通り
店全体のことを知りたかったんですけど
まずはやっぱり接客というか
空間作りっていうところに
行かれてたんで
ホールスタッフから始まって
ドリンクカウンターとか
33:02
っていうところで
料理は
そこは
フレンチの
カフェやったんですね
料理人ばっかりが
厨房入ってたんで
ホールとドリンクのカウンター
ところを教えてもらって
ですけど
その時ちょうど29歳で
飲食に入ったのが
遅すぎるスター
ましてや
大阪で一番有名なカフェ
洗い物もしたことない
食器も洗ったことない
パニックで
最初の3日間ぐらいは
怒られすぎて記憶が
そうですね
そもそもお部屋を運んだこともないし
食器も下げたこともないし
っていう中で入って
ちょっとなんで入ってもたの
って思いながら
でもやっぱり
キンティズンの人が送り出してくれて
和歌山に
すごいカフェを作ろうってオーナーが
送ってくれて
っていう
みんなの応援がある中で
これは頑張らなきゃ
って思って
そこから本当に
料理のこと
コーヒーのこと
接客のこと
飲食店のこととか
とにかく一生懸命勉強して
あとは
働かせてもらっているところに
迷惑かけないようにしないといけない
必死でした
1ヶ月間ぐらい
その時は最終フェイバリットで
焙煎担当するってのは決まってたんですか?
いやまだそこは
焙煎まで見えてなくて
焙煎まで見えてなくてというか
同時期に
焙煎の勉強は
東京でやり始めるんですよ
それを全部同時進行に
っていうところで
毎日必死に
でも
29から
業界を変えるっていうのは
そういうことだなというか
取り返さない
10年も取り返さない
必死でしたね
その時代とかって
今みたいに
お店に焙煎機があってっていうところってほぼ無いじゃないですか
無いっす無いっす無いっす
計画の中に入ってたんですか?
フェイバリットの計画の中に
ざっくりと
そこからやるっていう
ブルックリンパーラーはそういうスタイルだったんですか?
36:00
いや
ブルックリンパーラーも違って
そのガーブも違って
でも
なんかその
先にイメージが
作ってたんで
なのでコーヒー
は直焙煎の方が
絶対ええやろみたいな
カフェは
ランチとかスイーツとか
とコーヒー
そのコーヒーってやっぱり
常に軸になってくるんで
そこは
全部押さえといた方がいいやろみたいな
でもほんとにその計画段階なんで
あれができたらいいな
これができたらいいなっていうところだったんで
とにかく勉強しに行ってこい
そうです
でもやっぱりその
雰囲気作りで
一番重要なのは接客なんで
なのでとにかくこの
ガーブのレベルについて
いかなっていう
ほんま前半はそこばっかり
カフェで修行しつつ
焙煎の勉強もしつつ
フェーバリットの計画も立てつつ
そうですね
もうでもほんとにその
実際の計画ってなると
本当にオーナーが設計師さんと
いろいろ勧めてくれてって感じで
でも
逐一こう報告というか
確認してくれてとか
そんな感じだったんですけど
ほんま今思えば
僕はほんまその時
目の前のことを必死でやってたんで
全然見えへんままやったけども
なんかこう
参加させてもらってたなっていう
大没的ですよね
前から
経験
飲食経験も無し
できるかどうかを
だからその一旦大阪の
そういうところに
潜ってって言ったらちょっとあれですけど
試された感じですか
でも自分で行きたいって言ったんで
だからそのなんとか
成長していかなって
オーナーとの信頼関係は
何やったんですか
お互い送り出す方もちゃんと
修行してくれるかっていうのがあるし
西田さん的にも
修行したものの箸も外されたら
終わりやしみたいな
何も考えてなかった
ギリギリの年代ですよね
そうです
でもほんまにその一気にある最後の年というか
だいぶ古くからの友達
もともと中学校の同級生なんですよ
なるほど
だからその人としての部分は
信用はできるし
そこがでも
強かった気がしますね
でもあとは
僕からしたら
そこを抜擢してもらったから
あとはもう返していくしかない
そこでしたね
だからほんまに
39:00
なんていうんですかね
自分がしんどいとか
っていうよりかは
なんかこう
後ろで見てくれてる人の
恩返しをしていかなくても
結果が出るように頑張っていかなくても
ただそれだけでした
本当に
19、20の
スタッフの方に
29歳の
ボロカス言われるみたいな
でもそれも
遅れてその業界に
入ったから
僕の方は後輩だし
そういうのも
その時プライドを捨てる
いいきっかけだなって
1年間ですか
その修行期間は
終えてこっちに帰ってくると
同時にもうフェイバリットのスタッフ
そうですね
快適でちょっとしてオープン
フェイバリットは
オープンして最初はどうでした
最初は
やっぱりその
オーナーが
結構人脈も広いし
本業でも結果を出してるし
っていうところで
お客さんもたくさん来てくれてて
でも
カフェって
カフェで過ごすっていう文化も
まだ和歌山はそんなに
その当時なくて
だからランチ食べるのが
カフェっていうのも
そんなにイメージがないというか
おしゃれ屋から食べるとか
それが出始めのぐらいの
感じだったんで
で
やっぱりオープンして
今みたいにSNSが
そんなないんで
Facebookは出始めぐらいかな
ぐらいのときだったんで
拡散する方法もあるんですよ
宣伝する方法も
だからその
口コミが広がっていくのを
待つみたいな感じ
なんですけど
やっぱりその
いきなりバーって忙しくなるわけでもないんで
結構だから
自分らが思い描いてる
理想の空間との
ギャップというか
追いついていけない
はき丸お店を見てたのが
現実的には
すぐにはそうはならないんで
大変でしたね
何をやっていいかも
見えないし
で
もちろん
高中1年修行したぐらいで
もちろんなんですけど
とにかく
それをやるって決めたからには
何とか頑張るなみたいな
土地は的には
42:00
岩手の店長で
入らせてもらって
オープニングのスタッフも
面接させてもらって
そんな感じだったんで
でも
スタッフももちろん
僕らが見てきた
ガーブを知らないし
どんな店を作りたいっていうのも
口で伝えるだけなんで
そういう空間作りも
難しいし
オペレーション的にも
もちろん難しいし
っていうところで
本当に試行錯誤しながら
オーナーから
結構アドバイスをもらいながら
トライアンドエラーをひたすら繰り返す
めっちゃ怖かったっすもんね
フェイバリット自体が
ガラス張りにしか
見たことない
話しかけれる
雰囲気ではない
そうですね
とにかく
結果を出すことしか
考えてなかった
ちょっとピリついてたような
かなりピリついてる
と思うんです
もちろんお客さんと
お客さんと喋るときは
そうならないように
そのスタッフ一人一人の
動きとか
話してる内容とか
そんなところまで
だいぶ神経すり減らしたんちゃうか
とにかく
そういうお店を作りたい
結果を残したい
っていうのがすごかったっすね
僕
2014年ぐらいに和歌山に帰ってきたんですけど
その頃もフェイバリットコーヒーって
だいぶ人気店な
感じだったんですよね
3年目ぐらいに
一気にバーってなったんで
それは何かきっかけ
あったんですか
一番のきっかけは
サビかな
雑誌の
雑誌に初めて載せてもらって
一回雑誌に載ると
その後また取材があってとか
っていうところで
多分県外から
火がついたんちゃう
その当時
和歌山のカフェみたいなところから
それが
どんどん広まって
っていうところと
あとは
パンケーキブームのところと
その全体
日本全体がカフェブームに
なっていったところと
あとフェイバリットは夜カフェをやってたんで
その夜カフェブームっていうところに
乗っていけた部分と
そういうのが色々重なって
45:02
っていう感じですかね
そこからは結構順調に
人気のまま
いったみたいな感じなんですか
そうですね
めっちゃ忙しかったんです
一回考えたんですよ
フェイバリット
バイゼン家もあるし
あそこで働くかみたいな
店長めちゃくちゃ怖そう
結局ダンクさんとあんま変わらん気もして
ダンクさんと一緒ぐらいですかね
でもなんかね
離れてるスタッフの方でなんとなく
喋れる方とか聞いても
めっちゃ怖い
ちょっとそれはもういかんな
僕の場合
自分がオーナーでいることよりも
オーナーに信頼されてる
店長っていう立場の方が
自分の中では背負ってる部分が
多いというか
余計によりちゃんとしてなあかん
っていうところが
あったんで
っていうのと
自分の中の理想が
とにかく
ちゃんとしてるっていう
ちゃんとしてる
例えば
見なりとか
言葉遣いとか
お客さんから見たときに
全部がちゃんとしてるっていうのを
理想と思ってたんで
なので
本当に気についてたと思うんですね
スタッフとかみんな
かっこいいし
可愛いしみたいな
崩れてる雰囲気はないって
なんかガーブが
そんな感じだったんですよ
めちゃめちゃ仕事しすぎに
すごいスマート
みんなすごく
冷静で
全ての動作が
最適な
動作というか
無駄のない動きというか
だから
活気もあるし
空気感もいいし
でもオシャレ
っていうなんか
それがすごい焼き付いてて
フェイバリット出身の方は
すごい自分のお店持たれて
人気店ばかりで
っていうのはその教育が
もうあってのみたいな
その教育はどうなんすかね
西谷さんが店長で行ってるとこに
エースコーヒーさんとかも
従業員で行ってたって感じですか?
部下やったみたいな
林さんとか
林君は
ちょっとなんかずるって感じで
えっと
48:01
もともと林君も
同級生なんですよ高校の
その当時林君は
福岡のカフェで店長やってて
でたまたま帰省したタイミングで
そのお店寄ってくれて
でなんかフェイバリットで働きたいな
みたいなこと言ってて
でその後
すぐかなんかに
日帰りで
福岡に行ったんですよ
いきなりお客さんとして
呼びに行ったんですか?
どんな料理作ってるのかを見に行った
腕をね
仕事の仕方とか
で行ったときに
すごいなんか
見た目もオシャレやし
美味しいし
めちゃくちゃ良いやと思って
スカウトしたんです
えー
すげー
長かったですか?
9年ぐらい?
僕は9年
9年27歳からスタートですか?
えっと
お店オープンは30歳なんで
39まで
その間に2店舗へも
立ち上がったりとか
そうですね
5年ぐらい
オーナーが
めちゃくちゃ良い物件見つけた
うん
でその和歌山市で
でそれが結構
2階建てやって
本当にその空間が
あの
ガーヴって3階建てなんですけど
それに近いような
なんか雰囲気あって
なんか
この空間がまた理想系
なんちゃおうかなみたいな
でもやっぱりその1店舗でやってる中で
2店舗目っていうのは
すごい
なんか不安がいっぱいあって
で
でもそのオーナーは
本業の方が店舗数が
どんどん増えていってて
っていう中で
なんかまあチャレンジしてないのに
やらんっていうのは
違うかなと思うので
まあその当時の
メンバーで
2店舗目頑張ろうみたいな
おお
岩手も
和歌山市内も
兼任で
店長って感じですか
いやその後和歌山オープンした時は
僕は一旦和歌山店に行った
行ったんですか
で
行ったんですけど焙煎機が岩手なんで
ああ
すごくそれが難しくて
で結局
えっと
1年で岩手に戻ってきた
51:01
フェイバリットは
全部西田さんが焙煎してたんですか
あそうです
それがでも
今思うとすごい
いい経験をさせてもらってたんですけど
はい
なので
焙煎は
営業時間中とか
夜カフェの時間とか
そういう時間に
焙煎をして
それ以外は店頭って感じでした
おお
謎の焙煎機で
謎の焙煎機
どんだけ調べても何か分からない
え
特注焙煎機
え
そんなのでやってたんです
そうなんですよ
その時はでも
焙煎も
最初の基本的なことは
東京で教えてもらって
そこからって
あのほんとに
SNSもネットも
そんなに情報が出ない時代だったんで
とにかく本買って
何が正しいのか
分かれへんし
で
途中でなんか
セミナーみたいなのを受けに行ったりとか
はい
いろんなお店に行って
ちょっと話しやすそうな
聞いてみて
それをひたすら繰り返す
え
今みたいにバンって答えが出るような
世の中じゃなかったんで
それを繰り返してましたね
え
それはでも結構関西の
焙煎場に行って
うん
ちょこちょこ話し聞かせてもらってみた
はい
それを繰り返してたから
今めちゃくちゃ勉強しやすいですもんね
そうやっぱり今の方が
勉強しやすいですね
そうなんですよね
その当時はね
聞いたら怒られるんちゃうかみたいな
クローズな世界だったんですか
結構昔はクローズな世界だったと思います
うん
フェイバリットコーヒーで
焙煎と店長しながら
順調にずっと来てるわけじゃないですか
でそこで
2020年に独立されるんですけど
はい
それは何かきっかけとか
あったんですか
うーん
最初は何も考えてなかったんですけど
うん
なんかこう
10年っていうのを
目標にというか
一区切りに思ってて
その中で
ある時に
和歌山市のエビスさん
っていうカップホーンのお店が
20周年のイベントで
和歌山の
料理人を集めて
マリーナシティホテルで
コース料理をするっていう
54:01
イベントがあって
その時にコーヒー担当で
入らせてもらって
でもまあ
僕以外の人は
もちろん皆さんもお店を持ってる
方で
和食中華イタリアン
フレンチの方たちが
バトン式にコース料理を出す
で
その人たちの仕事を
見た時に
一つのことを極めるって
めちゃくちゃすごいなと思って
で
僕その時コーヒーって
させてもらってたんですけど
まだその焙煎を極めてるわけ
でもなく
でももちろんカフェの営業がある
っていう中で
何か一つに絞らなあかんなって
その時ちょっと思ったんですよ
じゃないと
この人らには到底
叶わんなと思って
なんか色々
出来ますっていう
逃げ道は無いなと思って
元々僕そんな
色々出来るタイプじゃないんで
何かに集中した方が
なんかもっと成長できる
んちゃうかなって思って
っていうのが
その時のイベントで
思ったことで
どっかのタイミングで
そっちに舵を切らんとあかんな
って思って
そっちっていうのは何かを
極める
コーヒーだけに集中する
それは何年目くらいのタイプですか
7年くらい
6年目か7年目
和歌山店もオープンして
だと思います
なるほど
その辺から独立も意識し始めてみたいな
そうですね
本当にそれは漠然と
なんでいつっていうのは
すごいざっくり
まずは10年になってから
コーヒー絞んの難しいですよね
バリスタもあるし
ロースターもあるし
でもなんか
一番自分が興味あったのが
焙煎やったので
フェイバリティでずっと
焙煎やらせてもらってるし
焙煎が一番
長く
掘り下げていけそうな
種目というか
なるほど
料理人の方々を
見た時に
コーヒーっていうところは
みんな
触れてないところだったので
だからっていうのが
焙煎って
18から焙煎してますみたいな人は
結構珍しくて
どっちかいうと
バリスタから焙煎とか
カフェから焙煎とか
ちょっとスタートが遅いので
57:00
なのでそこしかないんちゃう
元々スロースタート
その時焙煎だけで
和歌山で商売できただした人って
じんこさんとか
そうですね
じんこちゃんとか
あとは逆にキッサー卸し専門
ダートコーヒーさんとか
そっち系
しかなかったんちゃうんですかね
個人で
やってるみたいな人はあんまり
いなかったんですね
じんこちゃんくらいかな
あとはみんな
キッサーをやってたりとか
工場って感じ
フェイバリットの仕事が
お店も人気で安定してて
そのままずっと続けていける
仕事じゃないですか
それをちょっとやめてまで
自分で
焙煎師でいけるっていうのは
見受けたんですか?
いけるとは思ってなかったですね
結構キツイですよね
結構キツイですよね
でも
だけど