00:19
kisenradio presents Arcade RADIOです。 公開収録2回目のゲストは、
那智勝浦町にあるカフェ甘愛の、 戸葉山京平さんです。戸葉山さん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。 こんにちはー、お願いします。
そして、オブザーバーとして、 音響を担当していただいている、中谷和晴さんも参加していただいてます。
中谷和晴です。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 公開収録始まりまーす!
それでは、戸葉山さんの現在に至るまでのルーツを、 いろいろとインタビューさせていただきたいんですけども、
その前に、まず戸葉山さんと中谷さんから、 自己紹介をお願いしてもいいですか?
じゃあ、僕から行きます。
那智勝浦町駅前で、カフェをやってます。 戸葉山京平と言います。お願いします。
よろしくお願いします。
和歌山エキスポという名前で、和歌山で音響をさせていただいております。
中谷和晴と申します。よろしくお願いします。
それでは、戸葉山さんが現在に至るまでのルーツのお話を、 これからずっと聞かせていただきたいんですけども、
その前に、戸葉山さんと中谷さんはお知り合いですか?
えっとねー、あれ何年前でしたっけ?
何年前か忘れたんですけど、おしゃれなカフェあるなーって思ってて、
なんかこう、よく和歌山市でイベントというか、 ミュージシャンに来てもらった時にツアーをするんですよ。
田辺とか白浜行ったり、でシングルとかやったんですけど、
那智勝にカフェあるやんってなって、ちょっと無理言って、 イベントを受けていただいた、ライブさせていただいたのがきっかけでやってみました。
一発目誰やったかな?
あがたもりおさん。
思い出した。
だいぶ渋い。
めちゃくちゃ渋いですね。
赤色エレジーとか歌っていただきましたね。
深夜食堂に出てた俳優さんですね。
そうですね、その時もうちの親父が世代で、
で、うちの親父の友達周りにちょっと声かけて、 結構来てましたね、お客さん。
そうですね。
層高かったですもんね。
年齢層も高かったし、
富山さんのお父さんに感謝って感じですね。
お客さん呼んでいただいて、
なんか打ち上げもこの近くで、
もうね、今店なくなってるんですけど。
すごい美味しく、しかもご馳走になるっていう、
いたせり尽くせりコースで。
ありがとうございました。
僕より富山さんにはかなり詳しいと思うんで、
ちょっと色々サポートしていただければ。
かしこまりました。
よろしくお願いします。
03:00
よろしくお願いします。
深掘りしたいですよね。
そうですね。
で、きせんラジオはゲストの方の生まれ育ちから聞いていく番組なんですけども、
まず富山さん、生まれはどちらですか?
生まれは、なちかつうらで生まれまして、
で、18までずっと育ってます。
で、今やってるお店が自家なんですね。
へー。
そうなんですよ。
元々を言えば、
僕のおじいちゃんが今やってるお店でパチンコ屋を始めまして、
それが昭和30年代なんですけど。
で、僕が物心4歳、5歳ぐらいの時にパチンコ屋自体を別のとこに移転して、
で、移転してちょっとしてから、今お店やってるところにうちら家族が移り住んで、
ずっとかつうらはかつうらですね。
お父さんも商売されてたんですか?
うちの親父ですか?
親父はパチンコ屋に就いたんですけど、
いろいろあって辞めたんですね。
辞めてから今は魚屋さん、飼育屋さん、仲買人ですね。
仲買人やってます。
甘いの場所めっちゃ不思議な場所で、
この間行かせてもらってトイレに行ったら、
トイレに至るまでの道中で魚さばいてて、
あれどういう構造になってるんですか?
あれがパチンコ屋の名残で、名残なんですよあれ。
トイレの場所も、
あれはもともとパチンコ屋さんをやってた時のトイレを、
ちょっときれいにしてそのまま使ってるんで、
来てもらった方はわかると思うんですけど、
トイレまでどれくらいまで?
10m以上ありますよね。
10m、20mぐらい歩いたような。
あれだから敷地全部にパチンコのレーンというか大月像と置いてたんですね。
そこが移転して空になったんで、
当初は母親の内職の場所をしてたりとか、
後は父親のゴルフの打ちっぱなしの場所にしてたりとか、
そんな感じで使ってたんですけど、
その親が魚屋さんの中買いに始めるようになって、
お店とトイレの間、結構スペースあるんで、
そこを作業場にしましょうってことで、
作業場になりましたね。
なるほど。
富山さん、生まれた頃の家庭環境とかってどんな感じですか?
えっとね、金持ちでした。
あ、そうなんですね。
金持ちでした。
僕がたぶん中学校ぐらいまでは本当に金持ちで、
06:04
じいちゃんがね、いやほんまにほんまに、
じいちゃんがやっぱりパチンコ屋さんをやってたんで、
結構その当時、富山家って結構有名やったみたいで、
で、うっすら覚えてるのが、
じいちゃんの家、じいちゃんばあちゃんが住んでた家が、
まずでっかい門があったんですよ。
門があって、門開けると庭なんですね。
庭に池があって、その池に橋かかってて、
その橋渡って玄関なんですよ。
やばいっすね。
やばいでしょ。
財閥、財閥。
財閥、財閥。
それが、こんなこと言うてえんかわかんないけど、
大手のパチンコ屋さんがこの辺に参入してきて、
結構ね、それまでは地元でパチンコ屋さんいっぱいあったんですよ。
5店舗ぐらいあったんですけど、
抜き並みちょっとやっつけられて、
うちのパチンコ屋さんも結構頑張ってたんですけど、
やっぱりもうちょっと大手の力には勝てなかったので、
畳みまして、
いろいろあって、
遡るとね、
ひいじいちゃんが魚屋さん、豚屋さんをやってて、
その関係で、
ふだっていうんですかね、入札券。
市場の魚買える入札券っていうのが残ってたんですね。
それを復活させて、うちの父親が今やってます。
そうなんですね。
じゃあもう結構その、
富山さんが中高ぐらいまではめっちゃ。
めっちゃ金欲しいです。
毎週ファミコンのカセット買ってもらって。
やば。
やばいでしょ。
ご兄弟とかはどんな感じですか。
姉、僕、妹ですね。
女に挟まれて。
そうなんですね。
富山さんといえば音楽とかスケボーとか、
結構カルチャーに造形が深いというか。
そんなことないです。偏ってるんですけどね。
そういうの目覚めたのはいつぐらいからなんですか。
目覚めたのは、
たぶんね、小学校の結構2,3年ぐらい。
早っ。
姉がいるんで、姉がやっぱり音楽とか、
そういうカルチャー的なものは持ってきて。
それを見たり聞いたりして、
どっかで自分の趣味とか、
自分の好みを漁るようになっていったのがきっかけですかね。
なんか一発目めっちゃこれが好きになったとか覚えてます?
一発目、ビーズ。
ビーズ。
ビーズいいっすよね。
ビーズをね、
友達とビーズのその時はテープ、
09:00
姉ちゃんがテープに録音したやつを友達と聞いて、
耳コピで歌詞書くとかしてましたね。
8インチCDの頃っすか。
そうですよ。真ん中でパキって。
懐かしい。
そこからどうやってさらに掘っていくんですか。
そこからスチャダラパーとか、
そういうのを聞いた時に結構衝撃で。
そこからスチャダラ周りを漁ったりしていく流れで、
ストリートカルチャーとかを知って、
そこからスケボー雑誌、
オーリーとかそういうのがあったんで、
そういうのを見たりして、こういうのあるんやって思ってたら、
学校帰りにスケボーが落ちてたんですね。
えー。
落ちてたんですよ。
それを拾ったのがきっかけで、
友達とスケボーを始めるって。
えー。そうなんですね。運命的な。
落ちてたんですけど。
落ちてたんか置いてたんかわからないですけど。
置いてたらちょっとヤバい話になりますね。
多分落ちてたと思います。
なんか原っぱみたいなとこにポンってあったんで。
えー。
じゃあこの辺ではどの辺で滑ってたんですか。
赤戸って言って、
渡之島って言うんですけどね、正式名称。
浦島のホテル浦島さんの前に、
あれなんて言うんですかね。
港に突き出てるスペースみたいなのがあるんですけど。
浦島の船が着くところですか。
いや、そこじゃないですよ。
その桟橋からもうちょっと行ったところに、
なんか特殊なとこがありまして。
で、そこで先輩とかがスケボーしてたのは知ってたんですね。
ただ、やっぱりね、スケボーしてる先輩って
普通の先輩じゃないでしょ。
そうですね。ちょっとちょい怖いみたいな。
だから怖いじゃないですか。
行きたかったんですけど、行けなくて。
で、友達とかと違うとこでやってて、
なんかのきっかけで、お前らも一緒にやろよってなって、
それで行き出したのがきっかけですね。
それが何歳ぐらいですか。
それがね、中2とかかな、中1、中2ぐらいですかね。
そこからはスケボーに結構どっぷりハマって。
いや、でもね、どっぷりって言うほど、
どっぷりでもないですよ。
やっぱり言っても田舎なんで、
今みたいにYouTubeで動画見てとかもないですし、
そんな、僕も別にヤンキーとかでもなかったんで、
夜スケボーするとかもなかったんでね。
でも、日曜日とか土曜日とかは、
半分遊びみたいな感じで、
友達とたまってたっていう感じですかね。
ちなみに中学校の時、
12:01
クラスでの立ち位置とかって、
富山さんどんな感じだったんですか。
いや、多分ね、わからないですけど、
僕は地味な方だと思いますけど、
そんな別に目立ってる感じでもないし、
はっちゃけるわけでもないし。
地味な金持ちの子供みたいな。
もうね、中学校の時は金持ちじゃなかったです。
もう終わってたんですね、金持ち期が。
もう多分加工気味な時だと思います。
そこからどうなっていくんですか。
そこから高校入って、スケボー、
結構スケボーやってましたね、高校の時は。
で、なんせ田舎すぎるんで、
勝浦っていう町が。
とにかく都会に出て行きたかったんですね。
とにかく出て行きたくて。
言い方悪いですけど、
適当に行けそうな大学受験にして、
受かってそのまま出て行くんですけど、
本当は東京の大学行きたかったんですけど、
ちょっとそこまでの余裕がないと。
当時ね、先にうちの姉が大阪に行ってたんで、
姉と一緒に住むんやったら、
いいよってことで、大阪に行きました。
ちなみに大学はどこ行ったんですか。
大学は、名前とか言って大丈夫ですか。
大阪学院大学。
大阪学院ってどこにあるんですか。
瀬戸市の端っこ、瀬戸市。
もうすぐ歩けば瀬戸っていう。
瀬戸の端っこです。
大学時代妄想したら田舎から都会に出て、
超楽しいみたいな。
正直大阪ではそんなに印象いい思い出がないという、
そんなこともないんですけど、
なんかあんまり自分にマッチしてない感じはあったんですよ。
なんか説明できないんですけど、
なんとなくちょっとあんまり弾けれてないなというか。
っていうのがあったんですけど、
普通に大学卒業して、
とにかく東京に行きたかったんで。
その時何になりたいとかそんなのあったんですか。
なかったです。
ただただ東京に行きたいんで。
とにかく東京に行きたくて。
これも言い方あるんですけど、
適当なところ就職して東京に出ていくんですよね。
東京に出ていくと、
高校時代の仲良かったグループがほとんど東京に進学してたんで、
東京に行った時の方が友達は多かったんですよ。
東京に先に行ってた友達が東京で友達できるじゃないですか。
15:06
そのネットワークが結構面白くて、
クラブで働いてるやつとか、
飲食店で働いてるやつとか、
服屋さんで働いてるやつとか、
そういうの結構多かったんで、
わりと夜遊ぶことには困らなかったですね。
勝浦出身の東京に行った人たちみんなイケてる職場に行ってるのは何でなんですかね。
いや、何でなんですかね。たまたまやと思う。
たまたまとば山さん世代が好きな人たちが集まってたんですかね。
どうなんですかね。
つるんでたグループっていうのが、
わりと学年で男前やったりとか、
そういうちょっと人気者が何人かいたグループで、
多分ヒエラルキー的には上のグループやったと思うんですよ。今考えれば。
そういうグループになぜか僕いてて、
ずっと劣等感はあったんですけど。
だからやっぱり、
必然的にイケてることをしてたんじゃないですかね、東京行っても。
じゃあ東京に行って、その友達たちと合流して。
合流して、楽しかったですね結構。
その時お仕事は何されてたんですかね。
初めは照明器具作ってる会社に就職したんですけど、
1年で辞めまして。
それは何でまた。
何でやったかな。
多分勘違いというか、
自分はもっと何か特別な才能があるやろう、
こんなとこでは俺は輝けんみたいな、
なんかその勘違いですね。
それで辞めて、
そっからフリーターみたいな感じでテンテンとするんですよ。
テンテンとしてる流れで、
カフェで働き出すんですね。
それがたまたまオープニングスタッフ募集っていうのを見て、
カフェはちょっと興味あったんですけど、
ちょっとね、
接客業って一番やりたくなかった仕事で。
人とお話しするのがあんまり得意じゃない。
だからずっとちょっと避けてたんですけど、
もうちょっとやってみようかなっていうので、
早く食ってやりだしたんですね。
意外と一番続いてしまって。
それは何歳ぐらいの時ですかね。
それがね、24とか5とかですかね。
それぐらいでカフェで働き出して、
そのまま同じ店舗にずっといたんですけど、
社員になるんですね。
18:00
社員になったら今度は店長をやれって言われたタイミングで、
その当時の僕が働いてた店の店長に、
相談しまして、
ここの会社で店長になったらどうなるんですかって聞いたら、
やめときなさいと。
飲食業って体力的にも結構きついじゃないですか。
他の店舗の店長とかも結構家に帰れないってことも多々あって、
結構倒れてる店長とかもいたんで、
だから選ぶのは自由やけど私はお勧めしませんって言われて、
そのタイミングで勝浦、この地域で水害が起こるんですね。
2011年。
水害が起こった時に、
うちの実家は大丈夫だったんですけど、
ちょっと山の方の身近のある友達の家が結構ちょっと被害が多くて、
それの片付けと、
おばちゃんたちの顔を見に行こうかってことで一回帰ったんですよ。
帰った時に、
なんとなく今の実家を見た時に、
下が今やってるお店のスペースが空いてて、
その当時、両親が魚屋さんを始めてたんですね。
駅前っていう立地と、
駅とホテルのちょうど間にあるんで、
観光客が結構歩くんで、
人通りが多いっていうので、
結構魚売れるんやって話聞いてて、
これスペースあるし、
ここで店するのもありかなと思って、
そこで独立を考え出すんです。
で、帰るつもりはなかったんですけど、
初めは東京とか関東圏で物件探してたんですけど、
もうすでに独立は考えて…
いやもうね、独立しないと多分社畜になるやろうなっていう、
もうそういう感じだったんで、
それで、物件探してる流れで、
そういえば実家のあのスペース、
ええなと思って、
家賃もないようなもんじゃないですか。
ほんまはどっちですか?あるんですかないんですか?
えっとね、初めはちょっと払ってたんですけど、
今はもう払ってます。
そんなこんなで、
うなぎの出床みたいな甘えができるんですね。
そうですね、やっぱりね。
今もお魚横の冷蔵庫で売られてるんですか?
はい、セルフ販売っていう形で。
めちゃくちゃ安いんですよ。
21:01
びっくりするくらい安いんで、しかも美味しいし。
それは富山さんのお父さんが卸してる?
そうです。まさにここで買って、
お店の奥の加工場でさばいて、
で、置いてますね。
じゃあ甘えは2011年にオープン?
12年です。
で、その水害があったのが9月なんですけど、
そっから東京戻って、
で、ちょっと多分年末ぐらいかな、12月ぐらいに、
これはもう買えてというか、いい物件見つかったんで、
そこで店しようと思って、会社に辞めますっていうのを伝えて、
で、そのまま翌年の4月に帰ってきましたね。
2012年の4月に帰ってきて、
で、お店の準備を始めるっていう流れです。
オープンしてどうでした?最初から順調にいった感じですか?
そうですね、初めはやっぱりちょっと、
うちの親が結構友達が多い人間なんで、
やっぱりうちの息子がお店始めたっていうので、
結構親の友達周りとかが結構毎晩来てくれて、
飲み倒してくれて、
そうですね、賑わいましたね。
業態は最初っからあの形というか、カフェ・バーみたいな?
そうですね、働いてたところがやっぱりお酒も出してたところなんで、
必然的にやっぱり働いてたお店の流れをそのまま持ち込んだっていう形だったんで、
そうですね、お酒はやっぱり出すのが当たり前みたいな感じでしたね。
ちなみに東京で働いてたお店ってなんていうところですか?
三原ジャイアンに、今でもあるんですけど、
レイン・オン・ザ・ルーフっていう、ちょっと長い名前なんですけどね、
お店で5年くらいかな、いましたね。
そこのお店の名前、レインから取って甘い的なこともあるんですか?
そうですね、それもあるし、
なんとなく日本語の店名がいいなっていうのがあったんで、
なんとなくアメっていうキーワードと日本語っていうので、
ちょっと色々調べてたら甘いっていう言葉が出てきたんで、
それを、初めはちょっと違和感あったんですけど、
こういうのは馴染んでくるんかなと思いながらつけましたね。
最初のお父さんの知り合いがいっぱい来てくれた期を経て、
その後はどんな感じで進んでいくんですかね?
その後は、そこからイベントをやりだすというか、
24:00
結構お話いただいて、
一番初めにあったのは写真の展示だったと思うんですけど、
展示会を、一個下の後輩に丸山よしきっていうやつがいまして、
彼がすごい写真で、若いまでは有名なんですけど、
全然有名になる前に、
確か展示会とかできるかなって言われて、
面白いね、やるよって言って、
そこからなんとなく他の人もライブやらせてくれとか、
あとはヨガのワークショップみたいなのもやってきましたし、
その流れで中谷さん現れたんですよね。
そうですね。ここできるんやぐらいの感じで。
一回来られたことは?
今思ったんですけど、
やっぱり名前のパワーってすごくて、
たぶん甘いって言うのを、なんじゃこりゃみたいなのがずっとあって、
行かせてもらって、ここでやりたい、やってる、
調べたような気はします。
そうなんですか。何で知ったんですか?
ネットじゃないですかね。
ネットで?
はい。
たぶんジオパーク近くの世界遺産の認定を和歌山県が取りたいと言って、
そのプロモーションのお手伝いしてたタイミングがあって、
よくこっちには来てたんですよ。
で、たぶん店にもそれで調べていったような気がします。
そうなんですね。
ちなみにその頃広報とか告知とかでどうやってされてたんですか?
オープン当初ってインスタとかもそこまで広がってないような?
たぶんフェイスブックやったと思います。
ただ今のインスタみたいに毎日投稿とかではなかったです。
ほとんどお店の宣伝というか、
フェイスブックアクセスしてもらったら、
営業時間とかメニューがちょっと分かるよぐらいの感じでしたね。
結構フラッと寄ってくれる観光客の人がメインみたいな感じですか?
そうですね。それが半分と、あとは地元の方が半分かな。
その当時、モスバーガーが確か24時間営業をやったんですよ。
僕はお酒飲めないんですね。
お酒飲めない人も夜遊べるような場所があった方がいいだろうなと思ってたタイミングで、
モスバーガーが24時間になったんで、これはニーズあるなと思って。
だから結構お酒飲まないお客さんも多かったですね。
夜何時までやってたんですか?
当時決めてなくて。
やっぱりオープンしたての1年とかは決めてなかったんで、
27:07
普通に夜中3時までやったりとか。
酒も飲まずに。素晴らしいですね。
いや、飲めないんですよ。
飲めないけど、酒を飲んでる人がいてるから3時ぐらいになっちゃうってことですね。
それに付き合える富山さんが素晴らしいですね。
でも結構女性の方は喋り込むんで、気付いたら1時半とか。
結構多かったですよ。
経営的にも順調にというかいい感じにずっと。
でもね、そんなに儲けてたイメージはないです。
結構トントンというか。
ちなみにその当時、なちかつうら町はどんな状況だったんですか?
その当時は、
僕のお店がオープンしたタイミングで、
何店舗か同世代の人がやるお店がポンポンとできたんですね。
今はもうやってないんですけど、ハンバーガー屋さんがオープンしたりとか。
あとはドロホテルっていう山のほうにある、あれはなんて言ったらいいんですかね。
喫茶店というかホテルを改装したところがあるんですけど、そこがオープンしたりとか。
そこからなんとなく毎年新しいお店が結構できてきて、
カフェも増えてきて。
なんとなく同世代がお店をやりだして、結構今みたいな形になりだしたんで。
僕が始めた時は、多分カフェっぽいのはうちぐらいだったのかな。
定食屋さん。
喫茶店とかカフェっていう名前ついてるけど、内容は定食屋さんみたいなところがあったんですけど。
エスプレッソマシンを置いてっていうのはうちが初めてやったと思います。
なるほど。
そしてオープンして、最近のことなんですけど、赤党を始めたりとか、ちょっといろいろ発信活動が始まっていくんですけど。
そうなんですよ。
これがね、あれは始めたというか、やれって言われて。
誰にですか?
いわくらたかしっていうやつがいまして。
あと方向的に、結構聞いてくれてる人いてるんで、ボリューム大きめでマイク近づけていきましょうかね。
ケーキをオンラインで売りたいなと思いまして。
30:02
その時にデザイン事務所をやってる友達がいたんで、ちょっと相談して。
ECサイトを作ってもらったんですけど、ケーキって市場を見た時に競合が多いんですよね。
こんな無名な地方のカフェがケーキをオンラインで販売始めましたって言っても、気づいてもらえないんで。
何かやりましょうって。
そのホームページを一個のブランドみたいな感じにして、そこでブログとかラジオとかするのはどうですかって言われて。
でもこっちはもうどうですかって言われても、やれって言われるならやりますよっていう流れで始めたんですね。
なるほど。それはちょっとコロナの期間でケーキをオンラインみたいな。
オンラインの通販は昔から考えてたんですね。
やっぱり田舎で対面で商売してても、毎年人口減ってくし、何とかならんかなって。
外からお客さんもっと呼べんかなっていう流れで、オンラインだと全世界じゃないですか。
それで何かできるかなっていう時にコロナになって、いよいよせななっていう時に補助金もあったんで、相談したら何か知らんけどラジオやれって言われて。
ラジオとかどうですかっていう打ち合わせの時に、やれって言われるならやりますよって言ったら、じゃあちょっと撮ってみますかってその場で急に録音しだしたんです。
それが第一回目ですか?
いや、それは流せるものじゃないんで、お蔵入りにはしてるんですけど。
赤党が出てきた時にウィールアクションの西村さんがインスタグラムのストーリーズで上げてて、そこから見に行ったんですけど。
そうですよね。すごい早い段階でフォローしてくれてました。
めちゃくちゃ面白そうなメディアができたと思って衝撃を受けてたんですけど、その後なかなか指導せず。
そうですね、だいぶ寝かしましたね。
そして最近ちょこちょこと、最近でもないですかね。
そうですね、またここ2ヶ月ぐらいちょっと待ってるんですけど。
いやけど更新めっちゃ楽しみですね。
すいません、ちょっとね。
やっぱり人間そうなりがちなんで、公開収録なんで何ヶ月に1回やりますって単価切るんどうですか?
初めね、だから2週間に1回っていう話やったんですよ。
33:10
1ヶ月に2人ぐらいに話聞いてそれを分ければ行けますよって言われたんですけど、そんな行くわけないじゃないですか。
ちょっとお前滞ってる状態なんですけど、やりますよ。
あれ全部一人でされてるんですか?
そうなんですよ。
それは大変ですね。
もう普通にiPhoneで録音してやってるんで、そうです。全部自分でやってます。
なるほど。なんかキセンラジオは白石くんと2人でやってるんで。
そうですよね、ずるいですよね。
こっちは一人でやってるんで。
メンバー募集しましたよ。
いやもういいです、なんかめんどくさいです。
それはそれでめんどくさいから。
なんかね、時間合わせたりするのめんどくさい。
確かに確かに。
そうなんですよ、ずるいなと思って2人でやってるの。
でなんか機材もすごいですし。
そうですね。
やっぱり2人でやるとお互いちょっと締め切り感があるんで。
ちょっと刺激をしあって続いていくという。
そうですね、どっちかが尻叩いてくれるという。
誰も尻叩いてくれないので。
なので無理ないスケジュールで2ヶ月に1回。
まあうん、やりますよ。
まあでも自分のペースでやるのが合う方なんかもしれないですね。
面白いものができる。
いやでも尻叩かれないとちょっと擁有せんので。
声はかけてるんですよ、いろんな人に。
ラジオ今度収録させてって声はかけてるんですけど、かけっぱなしで。
実現に至らない。
なかなかね。
1995年頃のカルチャーの話って、
ちょうど僕らからしたらちょっとお兄さん世代のそういう話。
上田さんいく?
38です今。
じゃあでもそんなに。
ちょい上だ感じですね。
だからちょっとわかるけどちょっとお兄さんやなみたいな感じの話で聞いててめっちゃ面白いですよ。
そうですか。
なんでそれを軸にこの避難の状況どうやったかっていうのを聞けていくっていうのがすごい興味深いんで、
ちょっと更新楽しみにしてますって感じで。
いやでも本当にただただ田舎ですよ。
そうなんですか。
今はね、スケーターもめっちゃ上手い子いっぱいいてて、
お店にもよく来てくれるんですけど、
今年の5月にもこのローカルのスケーターの子が自分らで映像撮って、
それ編集して、でうちで試写会したんですね。
もうそれぐらいレベル高いんですけど、
僕らがやってたときはそんな映像に残せるようなレベルじゃなかったんで、
なんか嬉しいですよね。レベル上がってるし、いけてるし。
じゃあレベルが上がってきてるってことはスケボー人口が増えたり、
36:00
スケボーショップみたいなの近くにあるんですか?
スケボーショップ、スケボーメインはないんですけど、
サーフショップが何個かあって、そこでちょっとグッズ置いてたりはしてるみたいですね。
あと練習する場所があるとか?
ありますね。ランプって言うんですか?
ランプを置いてるサーフショップ、ライドさんっていう。
なるほど。そういうところがあるからレベルが上がってきてるんですね。
あとはスケートスポットも結構いっぱいあるんで、
そういうところでローカルのスケーターたちが自分たちでセクション作って練習したりしてるんで、
だいぶいいと思いますよ。
なんかじゃあそういうポイントマップ、ちゃんとね。
いや、それがそうなんですよ。
知られちゃうと逆に。
言ってもスケーターなんで、
誰にも迷惑かからんようなところでやればいいんですけど、
やっぱり迷惑かかるところでもあいつらやるんで。
そういうところの方が気持ちよかったりしますしね。
なかなかね、その辺がグレーゾーンというか。
でもストリート文化は上がってきてるってことですね。
上がってきてるんですけど、言ってもストリート文化なんで、
やっぱりちょっとね、方に触れるんちゃうんっていうところもあるんで、
なかなかね、全部が全部公にできるかなっていう心配はありますね。
ローカルのスケーターたちはその辺はすごい気にしながらケアしながらやってますね。
迷惑かからないようにっていうので。
じゃあオーバーグラウンドしていくためにも、
こういうアーケードのイベントみたいな形でランプがあったりとか、
ちゃんとオフィシャルで行政が作ってくれて、
誰でも自由に練習できるような場所ができてきたら、
またレベルも上がってきそうですね。
次回ちょっとセクション、アーケードないで、あれは。
そのまま海に突っ込めるくらいのランプね。
いいですね。やると思います。
今ね、そこに一人ローカルのスケーターがおるんで。
スケーターの方ですか。
ちょ、マヒロ。
めちゃくちゃバイブス高いなと思ってました。
マジマジマジ。ちょっと来て。
一言ください。
なちかつのストリート文化を上げるために。
DJもやってて。
DJ!
マヒロちょっと一言。
お名前は?
自己紹介からお願いします。
マヒロって言います。
マヒロさん。
DJはシックスマックスって名前で。
シックスマックス。
明日ニコリでもラファで回させてもらいます。
明日は料金かかるんですか?
明日は通常営業プラスBGMみたいな感じで。
最高ですね。
いつもの感じでラフに遊んでもらえたらいいなと思って。
39:00
シコタマナニーラ飲みましょうか?
テキーラいきましょうか?
あげていきましょう。
ありがとうございます。
どんどん若い世代も出てきてるっていうなちかつらなんですけど、
11年間甘い続けてきて、
なちかつらの変化っていうかどういう感じで変わってきてますかね?
そうですね。
コロナっていうのがでかくて、
コロナ前までは夜結構お客さん動いてたんですね。
ただコロナになって、
まず夜お店を開けるのが結構難しいというか、
開けてもお客さん来ないっていう状況があって、
今年に入ってちょっと落ち着いた段階なんですけど、
まだまだちょっと遊ぶ数が少ないと言いますか、
それが一番今は思っていることなんですけど、
コロナ抜きにして考えるとやっぱりね、
人口減少が激しいのか、
若い世代、特に20代、20歳前後のお客さんっていうのが極端に少ないんですね。
それはすごい感じているところで、
それとは別に外国の観光客の方、インバインの方がベラボーに多いんですよ。
もう本当に日によっちゃ、
店の中外人さんしかいないとか、
一日通して日本人より外国の方の方が来客数多かったとかっていうのがザラにあるんで、
その辺は年々増えてきている感じですね。
ただ町のことで見ると、
本当に人口減っているのがちょっと心配になるレベルで、
僕今子供さんにいてるんですけど、
うちの子供が大人になった時に、
なにかつらっちょってあるんかなって思うんですよ。
そこはちょっと悪い意味で気になりますね。
外から見てたら結構なちかつらっていい感じに昭和感のある観光地もあって、
甘いみたいなお店がポツポツあって、
すごいイケてる町やなって感じなんですけど、
やっぱり中から見てるとちょっと心配な部分も。
そうですね。
昨日ってかつら来られました?
いや、今日の朝に来ました。
通常時の夜の駅前を見てもらったらわかると思うんですけど、
なかなか寂しいですよね。
寂しいですね。
42:00
ニコリ、甘い、で僕大好きなバンコクぐらいでしたね。
バンコク好きですね、みんな。
3000円飲み放題食べ放題で、
1回出てまた戻ってきて大行きに取られないってめちゃくちゃ素晴らしいお店ですよ。
エルカミーノも。
もちろん。
昨日初めて行かせてもらいました。
素晴らしい。
でも昨日僕は歩いて探しに行って、
たまたまエルカミーノにたどり着けたんでよかったんですけど。
よくたどり着きましたね。
そうなんですよ。
ちょっとね、外れって言うほど近いっちゃ近いですけど、
知ってないとあそこ行かないじゃないですか。
寝具にマイクケーブル取りに行く段取りで1回通ってたっていうのと、
スタッフでユートっていう音響のお手伝いで来てくれてる子が、
こっち行きましょうって歩いて、
30秒ぐらい店の前で、これ大丈夫かなって聞き耳立てて、
なんて言ったんかな、流木がバッとあしらわれて。
ドキドキしながら扉開けるんやけど、
スライドかえとか思いながらの棒が鬼のコンボみたいな感じで、
これはいけたなぐらいで入ったらボンボーンって。
ご飯もおいしいし、いろんなビールもあって。
ちょっと話聞きますか?
エルカミーノ。
よろしくお願いします。
来ていただいてるんで、かわいいお子さんもいてますし。
いけますか?
じゃあ僕も。
カズ君が昨日すげえいい空気で、
柔らかいねってカズ君と話しとって、
こんにちは、エルカミーノ・デル・ポエタです。
昨日出会っていただいて、いい時間でした。
そうですね。この話の流れでいうと、
たくさんお店ができていってほしいってことですよね。
僕らもまだ会うけど、今回初めて体験させてもらったんですけど、
外の刺激がどんだけあるかっていうのは大きいですよね、
この街にとってもね。
吉崎さん、勝浦来て何年ですか?
7、8年前から行ったり来たりはしとって、
で、コロナになってこっちに子供たち含めしばらくおるから。
きっかけは奥様がローカルやったっていうことですかね?
そうです。
なんかね、出会ったときもすごいパコーっとこう、
すべて持ってかれるぐらい持ってかれて、
この土地に来て、
やっぱ抜き出しの取るぞーみたいな力強いですよね、
こっちの土地の女の人特に。
45:00
旅行だけにね、漁師さん多いですからね。
で、出会ってすげーな、こんな人間が生まれる土地どんなんかな、
つって来たらどんどん好きになって、
ほんと大好きにどんどん僕がなってって、
むしろ妻は帰って来たくなくて出てったぐらいの、
強迫もそうかもしれんけど、
好きじゃない土地なんだけど、
僕がこっち面白い面白い面白いと見て、
再発見するというか。
やっぱり素晴らしい魅力はあるんで、
それをどう発信していって、
UターンIターンっていうか、
住む人を増やさないと多分お店もできないし、
人口も増えていかないもんで、
面白いことこのまま引き続きやっていけたらなと思います。
なのでカズ君みたいな人がどんどんこうやって来てくれると、
そういう循環するもんでね。
イカれてる?
イカれてる。
イカれてる!
イカれたベイベーです。
いいっすよね、こうやって。
ラジオの出演決まった時に、
吉明さんにちょっと相談して、
普通にゲストとして呼ばれて、
僕の話話すだけじゃちょっと面白くないんで、
こっちからも質問したいですねって話して、
吉明さんが聞きたいね。
聞きたいです聞きたいです。
さっきの話の中で、
僕本当ここが世界の中心になるぐらい素材も、
熊野さんじゃんとか色々あるけど、
それよりも人が面白いと思ってきとって、
さっきの妻にしてるムキ出しの人が。
本当に世界の中心になれるぐらいの場所だと思って、
信じてやってるんだけど、
どんな感じっすかっていう。
僕らある意味生まれ育ってないもんで、
僕らあんまり記憶とかね、
わかりましとかそこまで知らんのですけど、
口の気難とか勝浦、新宮、この辺りの面白さ。
外から見たイメージ。
先ほども言ったみたいに、
ちょっと一昔前の観光地みたいな、
すごいいい感じのホテルがあったりとか温泉があったりとか、
それのプラス戸羽山さんとか、
彩りの中村さんとか、
素敵な人たちがいるんで、
町としてすごい、
もうすでにあんまり数回しか来たことないんですけど、
好きになってるんで、
これをどんどん赤党に乗せて、
発信していっていただければ、
バッチリかなと思うんですけどね。
どうでしょう?
発信していってもらって、
みんなで一緒に遊びたいですね、
このラジオを聞きに。
今回ゲスト出てもらったんで、
48:00
次ゲスト出てもらうとか。
違うんですよ、
あれですよね、
お店来てくれてましたよね。
そうですね。
名乗ってくれなかった。
あれ8月でしたっけ?
8月ぐらいですね。
会計のときに、
ラジオ聞いてますって一言言われて、
やっぱってね。
今まで友達とか、
知り合いとかには、
ラジオ聞きやでとかって言われて、
すいませんとかって言い合ったんですけど、
お客さんに、
しかも観光客っぽい、
かつうらじゃない雰囲気の、
オシャレな人に言われたんで、
ヤバッと思って、
ちゃんとせなと思ったんです。
聞いてくれてる人がいてるんだと。
そうそう。
だからちゃんとせなって言われてもね、
ちゃんと仕方がわからんので、
あんまり変わらんとは思うんですけど。
でもせっかく甘いっていうね、
いいスペースがあるんで、
出演者にお酒飲んでもらって、
わけややいと。
吉明さんにもラジオ出てもらったんですけど、
そのときもお酒出して、
本音を。
喋るだけ喋ってもらって、
面白かったですね。
ビートニックをね、
ビートニックをウイスキー飲みながら語る。
あ、その。
詩人の。
つながりました。
で、ちょっとそこから、
何でしたっけ、
何か子育ての話とかもしましたよね。
親同士なんで、
子供も年齢近くてね、
その辺の子育ての話とかもしながら、
この町のお母さんたちが、
自分自身の人生を生きるとか、
やっぱこの町の子供たちが元気にどうかは、
お母さんたちが自分を生きとるかどうかが、
そういうのも、
やっぱ町のためにじゃないけど、
子供のためにだったら、
やっぱお母さんがっていうので、
そういうのもやろうって言って。
やっぱり住みよい町っていうか、
子育てしやすい町ができれば、
ここで子育てしたいという人ができれば、
なんか増えていきそうな気がしますね。
そうですね。
なんかそれもっと突き詰めていけば、
結局その家庭、
その家庭が健全やと、
楽しいかなって思うんですよ。
ハッピーであればね。
家庭が健全っていうのは、
僕が思うに、
母親が機嫌がいいのが一番だと思います。
確かに。
全て良し。
そこ、
それだと思うんで、
それをどうするかっていうのを、
吉柳さんと日々語ってます。
いや、食らったっすねそれ。
でも本当、
命の源はやっぱお母さんだもんね。
そうですね。
これも経験ですからね。
さっきの京平君が喋っているところも、
51:01
娘たちがこうやって見ながらとか、
お父さん何かやっているなっていうのとかも、
すげえいい源体源だと思うし、
そういう場をやっぱ、
子供たちにどんだけ見せれるかなり、
生活の一瞬一瞬の積み重ねで、
ありがたい。
そして全てがうまくいくっていう。
そうです。
気づいたら子供がたくさんいたって。
吉柳さん5人います。
ビッグダディーです。
バイセン。
ありがとうございます。
そして、
甘いのこれからの話を聞かせてもらいたいんですけど。
これからですか。
これからですかね。
特にそんなには
何か大きいこととか
こうしたいっていうのは特にないんですけど、
とにかくずっとやっていきたいなっていうのはあるんですね。
ずっとやっていけば
なんか面白いこともあるやろうし、
多分中谷さんもまた
面白い話持ってきてくれるかもしれないし、
こうやってね、
ラジオにも呼ばれたんで、
続けていくことを
頑張ろうかなとは思っています。
ありがとうございます。
期待どおりの感じじゃなかったでしょうか。
いや、めっちゃ良かったです。
最後にこのアーケードラジオ公開収録で
共通して
皆さんに聞かせてもらってるんですけども、
このアーケードのコンセプトが
次世代が暮らしたいと思える
理想の街を作ろうっていうことなんですけども、
富山さんが
次世代に伝えたいこととか、
これからチャレンジしたいなっていう
若い世代の人たちに
伝えたいこととかってありますか。
うわー、難しいこと言いますね。
そうですよね。
もう一回言っていいですか。
これから
やりたいっていうような
次世代の若い子たちに
伝えたいこととか。
伝えたいこと。
これはやってみようみたいな。
さっきの
家庭を円満にするためには
奥さんの機嫌が一番大事で
めっちゃ喰らったんですけど。
それはあれですよね。
旦那の
あれなんで、次世代ってなると
どうかなぁ
ちょっとどうかな
僕はとにかく
都会に
出てけとは思います。
はい。
ちょっと矛盾してしまうかも
しれないですけど
すごく田舎じゃないですか。
人口も減っている中で
ずっとここの場所に居るのは
もったいないなというか、価値観の
数が少ないというか
やっぱり人が
いっぱいいる。日本やと東京
とかもっと言ったら
世界に全然出て行って
欲しいと思うんですけど
出て行くと
54:00
いろんな価値観というか
いろんな人いるんで
すごく面白い
単純に面白いじゃないですか。
視野も広がるし
選択肢もいっぱいあるし
それを経験した上で
地元に戻るなら戻る
戻らないなら戻らない
っていうそこはあると思うんですけど
とにかく
勝浦は
すごく
敵地なんで
選択肢がやっぱり少ない
って常に思っているんですね。
なのでやっぱり子どもらには
ちょっと外の
世界も見てもらって
っていうのはありますね。
いろんなことを見て
経験して感じてほしいと
思います。
ちょっと漠然とした
ありがとうございます。
長時間今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
最後に何か
富山さんから告知とかありますか?
これだけは言うえって言われたんですけど
オンラインでケーキ売ってるんで
買ってください。
お願いします。
おすすめは何ケーキがあるんですか?
バスクチーズケーキ
バスク地方から来た
バスクの人にも
おいしいって
言ってもらったので
本物だと思います。
作ってるのは日本人ですけど
大丈夫だと思います。
ありがとうございます。
それはホームページとかがあるんですか?
赤道の
そのウェブサイトを
見てもらえれば
買えますし
ラジオも聴けますし
ラジオを聴きながら
コーヒー片手にバスクチーズケーキを
食べていただくと
吉明さんの回も
聴いてもらいたいなと
ありがとうございます。
とりあえず赤道チェックということで
ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございました。
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