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 episode.28 前編 WAKAYAMA WOODYS 辻岡大樹さん
2023-01-11 1:07:49

episode.28 前編 WAKAYAMA WOODYS 辻岡大樹さん

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episode.28
ゲスト▷ WAKAYAMA WOODYS 辻岡大樹さん

移動はローラーブレード/ドカベン/星林高校野球部/レゲエとの出会い/クラブカルチャー/puff puff wear/和歌山リビング新聞社

などについて話ました。
番組のオープニングのエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。

楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。

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00:18
よろしくお願いします。
大樹さんはだいぶ緊張している。
緊張もしてしまったよ。
緊張しない人?
緊張しない人は、今まであんまり。
僕の友達が出てくれるときだけ、緊張しなかったんですけど。
基本は緊張しながら出るんですか?
基本、そうですね。
ということで、始めます。
お願いします。
お願いします。
和歌山市のランニングショップ、kisenランドトレイルの白石です。
ARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍する方々にインタビューしていく番組です。
kisenradio第28回、本日は2022年12月19日午後7時30分、和歌山市にあるプリントショップウッディーズで収録しています。
本日のゲストは、お寿司のともみさんの気になる人、合同会社和歌山ウッディーズの辻岡大樹さんです。
辻岡さんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在の活動のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
緊張感。
辻岡さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では、お寿司のともみさんの気になる人ということで、辻岡さんの登場なんですけども。
ねえ、なんかほんま、こんな喋ったことないんですよ。
はい。
結構、実は緊張してます。
あ、そうなんですか。
そうですね、お寿司も仲良い友達、自分のイベントも割と出てもらったりはしてて、僕もプッシュしてるアーティストで。
で、この前、どう?みたいな話で。
ついにとかも思わんかって。
そうなんですか。
ついにというか、意外と。
で、ねえ、白井さん、辻岡も前から知ってて。
うん。
結構、ねほりはほり聞くやつですと。
そんなん今まで意外とないし。
はい。
まあ、こう、プライベートで普通に聞かれて、こんなことずっとやっててって話した子は多分おるとは思うんですけど。
うん。
表だってこう、あまりこう、こんな昔やっててとかは。
これ初じゃん、これ。
メディア初だし。
いや、初だしですよ、ほんと。
あんまりこう、聞かれることないから。
初情報いただけて光栄ですね。
いや、まあまあ初ですよね、あんまりそのないんで。
今日はすいません、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
僕は初めましてなんですけど、今日は。
はい。
白井氏くんは、あの。
そうですね、あのキセンアルプスランニングクラブのTシャツを作っていただいて。
そうですね。
はい。
一応。
そうだね。
もうでもオープンしたときぐらい。
えっとね、店のオープンの前にキセンアルプスランニングクラブはもう始まってるので。
03:05
そうか。
それで言うと、1年半ぐらいかなですかね。
最初、ごめんなさい。
でもあるよな。
でもたぶん、この店があって、たぶんタイタンワールの流れで。
そうですね。
で、ベストでちょっと玉嶋さんがちょっと来てよみたいな。
で、行って、で、作りたいって人がおってって流れだったかな。
からだから、たぶんここで来てからやから。
マックス3年ぐらいで。
あー。
そうなんですね。
そういう流れで繋がってたんですね。
僕もあのイベントとかで、あのシルクの体験とかやってるなーっていうのは知ってて。
はいはいはい。
で、まあタイタンワールの店長の小林さんに聞いたら、あそこで作ってるよっていうことを教えてもらって、
あ、じゃあそこでお願いしようということで。
その流れですね。
そうですね。
だいちゃんの流れで。
すごい、みなさんそろっと体験準備していただいて。
すいません。
喋りたいとかないですか。
最後に一言入れていきますか。
恥ずかしい。
俺も恥ずい。
めちゃくちゃ恥ずかしいよ、僕も。
あんまりこう、聞かれることないので。
はい。
そしたら早速ちょっと辻岡さんのことをねほりはほり。
僕のことねほりはほりで。
言うやんことばっかりやん。
聞かせていただきたいんですが、まずは生まれは辻岡さんどちらですか。
僕ね、和歌山県の和歌山市です。
和歌山市のどの辺ですか。
えっとね、実家は新中島っていう。
はい。
場所で言ったら、どこって言ったんやろ。
小学校は宮前小学校なんで。
はいはいはい。
それこそ、源次郎さんが先輩やって話も前になったんですよ。
そうなんですね。
なるほど。
先輩っていうか、小さい話ですけどね。
地区として。
宮前で、高架、高架って分からんか。
分かります、ベイリーとかあるところ。
高架があって、で、なぜかエヴァグリーンが2つあるところ。
はいはいはい。
の、近くですね。
なるほど、あの辺ですね。
あの辺ですね、地元としては。
なるほど。
なんか、子供の時の一番古い記憶とか、覚えてますか。
いや、ないんすよね。
古い子供としての記憶。
はい。
どんな子供やったかとかですよね。
覚えてるシーンというか。
覚えてるシーンはね、
なんかでも、昔、
昔はこんなちっちゃいビデオに、
さらにビデオテープにガシャンとか入れて、
ビデオカメラで見る、ビデオテープで見るみたいな。
06:00
昔ってこんなカメラ。
はいはいはい。
とかで、自分とか小さい時の保育所のお遊戯会とかって、
もう見てないですけど、昔見た時は常に泣いてるみたいな。
なんか割と。
はいはい。
お遊戯会とかでも。
泣いてるではね、これね、
結局、
僕、シングルマザーで、
お母さんと僕っていう関係が結構しっかりしてて、
で、一人っ子やったから、
多分ね、その時に離れることが嫌やったような。
別に悲しい話じゃないですけどね。
それで、単純に辛いっていう話をしてただけやったと思うんですけどね。
あんまりだから、小さい時の記憶でなんか、
自分が客観的に見て、うわ、めっちゃ泣いてるやんとか、
ぐらいで、なんか、
まあ、
そうですね、そこはなんか結構、
みんなと同じようなというか、
普通のというか。
普通ですね、近所で遊んだりとか、
まあ、いろいろあったけど、
でも、わりと普通に友達とかと遊んで、
ローラーブレードをやって得意とかはあるんですけど。
流行ってましたね。
当時ね、ローラーブレード、
わりと上手いんですよ。
それ、保育所の時ですか?
多分ね、保育所からね、小学校にかけて、
近所の子がみんな持ってて、
移動がローラーブレードみたいな時期があったんですよ、
あの近所で。
結構危ないですけどね。
いや、結構危ないですけどね。
緑のローラーブレードだったんですけど。
はい。
だから、この前たまたまスポッチャとか行って、
ローラーブレードあるんですよ。
ありますね。
めちゃめちゃ早かったですね。
いつもええよね、みたいな。
僕もそういうのやりたかった。
やっぱしみついてるなっていう。
子供の頃の体の感覚が。
感覚もあるなっていう。
ローラーブレード。
まあでもそんなもんかな。
でも、もうほんまにそこは。
あんま記憶ちょっとすまないっていうのもあるけど、
でもわりと通常かな。
なんか小学校とか行って、
時にクラスの立ち位置とか、
どんな子供になっていったとか。
でも、小学校は、
とりあえず体型は、
小2ぐらいまで普通やったんですよ。
小3ぐらいから、結構大きくなってきた。
今も95キロぐらいあるんですけど。
まあ結構その、
ぱっと見でかい感じやったですね、小学校は。
もう背も高いし。
そうですね、わりと大きい子っていう感じ。
09:01
結構もう、クラスのボス的な。
いやボスではないです、全然。
ボス感はないけど、
でもね、当時から結構、今もそうなんですけど、
別にその、おもろいこと言いたいとこあったっすね。
って言って別にね、おもろいこと言いたいとこは、
確かにあった気がする。
ちょっと友達笑かしてみたいな。
それはやっぱ常に、それはもう、
小中高ずっとありましたね。
わりと。
その辺で何に興味あったとか、何が好きやったとか、
そんなんってありました?
結局僕の場合は、
小学4年で、
少年野球を始めるんですよ。
おお、はい。
で逆に、結局高校までやるんですよ僕は。
小中高までやるんですけど、
小学校の時は、
野球部で、野球も好き。
もちろん好きで、
その辺から、
漫画もめっちゃ好きで、
ゲームも好きやったんですけど、
とにかく野球漫画を集めるみたいな、
流れが結構その時あって、
特に水嶋真嗣の、
ドカベン。
水嶋真嗣のことは結構、
和歌山で僕が一番好きなんちゃう?
っていう、
めちゃくちゃマニアックなんですけど、
それが最近すごいマニアックやでって言われだした。
自分の中で別にすごいと思ってないし、
なんやったら、
本とかもめちゃくちゃ持ってるんやけど、
別に広げることもなく、
たまたまなんかのふいに、
そんな話をするときに、
めちゃめちゃやばいでみたいな。
そんな知ってるやつおらんでと。
知ってるし、
ドカベンとかも、
めちゃくちゃ長いんですよね。
ドカベンって、
最近終わったぐらいやから。
終わってたんですね。
終わったのもまあ、
そのときに結構高校野球、
高3の夏、
プロ野球なんとか編っていっぱいある。
だけど、
もう僕らのリアルタイムじゃないんやけど、
なぜかこうやっぱ野球イコールがドカベンみたいな。
うちもありました、ドカベン。
あったね。
ドカベンの何にハマってたんですか?
なんかね、
なんかこう、
ドカベンって、
ガチの野球漫画なんですよ。
ガチ?
なんていうんですか、
ギャグとか掘り込んでこないですよ、あんま。
正直。
ひたむきにね、みんな頑張ってる感じですよね。
恋愛事情もそんななくて、
そうですね。
割ともう、
なんか、
一回戦、
12:00
この対決とかを永遠やるみたいな。
うん。
やけど、やっぱそこにこう、
山田もそうやし、岩木もなんかこう、
個性がやっぱね、
はい。
すごいっていうか、
単純になんかこう、
引き込まれてた感はやっぱあって。
うーん。
で、そっから、
今もちょっとあるんですけど、
僕こう、マニアストイックに集めたいとか、
今も変わらずで。
はい。
だから別に、
いいのに、
ドカベンとかも、
単行本と、
いわゆる愛憎版。
はいはいはい。
で、単ペンってこう、
ちっちゃいやつ。
はい。
あんなの全部持ってたんです。
すご。
うーん。
集める理由もないし、
はい。
その、なんかでも、
当時ってまだ、
メルカリとかもないですよ。
はい。
とにかく、
ゲーム、ブックオフ行ってとか。
あー。
いわゆるこう、
昔やったら、
ちっちゃい古本屋さんとかもあったから。
はい。
それに通う日々みたいな。
へー。
ドカベンを探して。
そう。
でも、
基本的に漫画がむちゃくちゃ好きやった。
はい。
いろんな漫画をむちゃくちゃ持ってる。
あー。
その中の一つがドカベンっていう。
でももう、
何やかんやそれも整理して、
はい。
もうドカベン以外はないっすね。
そう。
ドカベンというか、
水島真嗣自体は、
ドカベンだけではないんで、
あー。
はい。
いっぱいあるんですね。
男ドア法講師やんとかね。
うん。
阿部さんとか。
阿部さん。
野球教の歌とか。
はい。
で、細かい短編集とかもいっぱいあったりするし。
あとはおはよう圭次郎とか。
いっぱいあるんすよ。
はい。
その辺も全て持ってるという。
あー。
水島真嗣がめっちゃ好きっていう。
好きっすね。
やっぱその、
なんかあの、
ジジネタとかももう、
同系列で行くってすごいなーみたいな。
ドカベンに関しても。
あー。
全部そうなんすけど、
これ野球選手のその年代の活躍した人と自分が、
はいはいはい。
作ったキャラクターが一緒に動いてる感じ。
そうですよね。
ってなんかすげーなっていう。
なんかこう、
全部が架空じゃないっていうか。
はい。
だから、
ねえドカベンなんか松坂投げてきて、
はい。
打つみたいな。
でもそのせいで出れてない人がおるみたいな。
はい。
実際のね。
そういうことなんですよ。
あれって実は。
ドカベン。
そう結局ドカベンたちのせいで、
はい。
出られてない人がいる。
ドカベンのいるチームの人は誰か一人消えてるみたいな。
そう結局山田のせいでキャッチャー、
本来ね、
プロ野球今出てる人がおるけど、
はい。
そこでは出れてないですよ。
はい。
とか。
え、けどドカベン好きな人僕初めて出会ったかもしれないですね。
これね、好きというかね、
はい。
もう自分の中でも好きなまま封印一回されてて、
うん。
たまたまその話したときに、
なんかドカベン話になって、
めちゃくちゃ多分それすごい情報量やでみたいな話を、
ここに3年で気づかせてくれた人がいてて、
でなんか自分もなんかまた読み直したりして、
うん。
で、やっぱおもろいなみたいな。
でも最後ちょっともうあかんかったですね。
あれ最終回ってどうやって終わったんですか?
いやもうね、
なんかもう無理くたやった。
15:01
作者が。
あ、亡くなった?
いや、亡くなった。
あ、亡くなる前か。
いや、終わってから亡くなってるんですけど、
はい。
分かんないです、ちょっと感じてたんかもしれないけど、
そうです。
でもなんかこうね、
もう時系列が関係なくなってた最後は。
えー。
なんかもうトーナメント戦みたいになって、
はい。
でもう、なんかもう昔の人らが、
はい。
いきなり入団してきてみたいな。
はいはい。
えー。
だからもう最後は、
50年前に生み出したキャラクターも、
まだもう同い年みたいな。
もうオールスターみたいな感じ。
そうそうそう。
なってしまって。
まあ、すごいですね。
なんかそれもリアルでおもしろいですね。
なんかでも、ファンはめっちゃ嬉しいというか。
はい。
往年のファンからしたら、
わあ、こいつも出てきたとか。
うん。
あったんやと思うんですけど。
うん。
なんかもうもはやって感じだと思って。
えー。
そうだったね。
終わりがまあ、
まあでももう水嶋真嗣クラスのやつも、
あれでよかったんかなというか。
うん。
キャラクターが生み出しまくってるから。
はい。
まあそれでよかったんかなとかちょっと思って。
終わらせたからOKっていう感じは。
あるっすよね。
ちょっとされますね。
そう多分終われないですよね、あれ多分。
だって毎年のペナントレースをやってるしからね。
ははは。
一生続きますよね。
さっきが終わんない。
でもなんかおもしろいですよね。
あくまでもこう、
ドカヴェン世代を中心に描いてるのがもうおもろいっていうか。
うんうん。
だってもう、
すごいですよね。
だって山田たちが10年経ってFAになるっていう。
ああ。
あれとかもすごいです。
FAある。
はい。
で各うまいことチームに一人ずつ分けてるんですよね。
うん。
セリーグ、パリーグで。
はい。
で、
すごい選手が、
もう特にとびっきりすごい選手に描いてるから。
うん。
このままみんな大リーグ行ったら、
うん。
日本球界のキキヤってなって。
はい。
で、
直接その、
なんかセパのこう会長みたいな人が出てきて。
はい。
出ていかんと言ってくれた。
すげえ。
そんなことやってたの。
なってたんですよ。
FAしたら。
はい。
だから要はうまいことチームのバランス。
うん。
人気チームも取れてんのに。
それがどうなるとか。
はい。
みんな海外行くとかなった時に、
日本どうなんねんみたいな。
うん。
なったんで。
で、提案があって。
はい。
もっかいドカベンのメイクン高校ってあるんですけど。
メイクン高校で集まったらどう?みたいな。
ほう。
なので。
ドカベンを作るってことですか。
そうです。
へえ。
だから結果としてセリーグ6チーム。
はい。
もともと今6チーム6チームなんですよ。
はい。
それが、
セリーグは6のものなんですけど。
はい。
ドカベンたちによってセリーグは8チームになった。
ははは。
すごいでしょ。
ははは。
もうすごいですよ。
そんなことなってたんですね。
で、それで、
ドカベンチーム。
はい。
メイクン、
その時のチームメイトを中心に。
はい。
まあ、他のライバルとかもチームに入ってくれてて。
で、
それがこうスーパースターズって言ってますよね。
うん。
もう一個アイアンドオックスって名前で、
それはもう、
当時、
打倒山田に燃えてた。
はい。
18:00
人たちを中心に。
だからこう、
その2チーム、
だから昔の状況になるんですよ。
はいはいはい。
で、それに2チーム足して、
8チームになって、
ベラントレースしていこうよ。
はい。
ていう。
ははは。
そんな節目がやったね。
はあ。
すごいですよ。
そんなことなってたんですね。
はい。
何の話してましたっけ?
ドカベン。
子供の頃の話。
ドカベンの話はまだ、
そうですね。
それはそれで聞きたいですね。
いやいやいや。
僕も割と好きなんで。
いや、これはもう、
あの、
今度、
はい、すいません。
また飲みながらしましょう。
そんな、
はい。
感じだったっすね。
へえ。
じゃあ、ドカベン読みつつ、
野球もやって。
そうですね。
まあ、当時はでも、
もう野球って感じやったっすね。
うん。
うん。
野球って感じやったかな。
でも、中高けっこう、
もうひたすら、
野球にのめり込んで、
みたいな感じで。
うん。小学校ももう、
まあ、もちろん、
遊んでたけど、
はい。
もうその、
ふりょーって感じじゃないんで。
はい。
ヤンキーでもないし。
うん。
どちらかも野球、
どちらか野球と、
おもろいやつっていうのを大事にしてた。
ああ。
自らのキャラクターとして。
キャラクターとしては、
大事にしてて。
はい。
中学校のときも、
もちろん野球部に入って。
で、
あの、
やっぱそこのキャラを、
大事にしてて。
はい。
っていう。
それこそさっきの、
のぶなんかは、
僕も小、
保育所が一緒なんで。
あ、そうなんですね。
はい。
そこは幼馴染なんですよね。
ああ。
共同で、
こうされてる。
いや、共同じゃないんですよ。
じゃないんですか。
はい。
じゃあその話は、
また後ほど出てくるんですね。
まあまあ、
ないんですよって言ってましたね。
まあ一緒に、
はい。
はじめてるんですけど。
はい。
なるほど。
はい。
で、
高校はどこに行くんですか。
僕ね、
小学校宮前。
はい。
中学校東和なんですよ。
はい。
で、
高校は、
せいりん。
へえ。
はい。
せいりんで、
で、
また高校野球をね、
3年やるんですね。
うん。
せいりんって強かったでしょ。
うーん。
まあ、
弱、
強かった時期もありましたよね。
そうですね。
でもね、
僕らの世代って、
あの、
僕らの時から、
学生ってなくなった年なんですよ。
うーん。
だから北学校南学校で、
はい。
当時、
うん。
和歌山市はあって、
はい。
だから、
あの、
北校行かれへんとか。
はい。
で、
僕らの時に、
なくなったから、
うん。
どこでも行けるように、
はい。
なった都市で、
うん。
自分はなんか、
もともと学区都市も行けたんやけど、
で、
まあ、
せいりん行けて、
はい。
で、
まあ、
無事って感じで。
うーん。
せいりん選んだのは、
なんで、
せいりんしたんですか。
これはね、
あんまり理由なくて、
はい。
もともと、
僕、
東院行きたかったんすよ。
はいはいはい。
で、
あの、
これは、
あの、
単純に、
えー、
なんていうんすかね、
結構、
今もそうなんすけど、
割と何でもちゃんと、
きっちりやりたいタイプ。
うん。
なんすね。
はい。
それも今、
生かされてるんすけど、
21:00
うん。
だから、
野球もやるけど、
結構勉強もがっちりやる。
はい。
っていう。
で、
割とその、
東院で野球したいっていう、
うん。
なんかちょっとあったんすよ。
東院はまあまあ強いですね。
僕の中で。
うん。
で、東院、
まあ、
受験で、
とかなったけど、
いやなんか、
で、当時その、
まあ近くで現実的に通えるとこで、
僕普通科がよかったんすよ。
はい。
東院の普通科、
せいりんの普通科か、
まあ東の普通科か、
うん。
やったんやけど、
まあもちろん近くで行きたかったから。
はい。
で、
工業高校とか、
県和省とかでは、
もともと僕の中でなくて、
あの時に、
東院に入れれば、
もちろんOK。
うん。
けど、
もしその、
受けて、
で、
その当時まだ東高校は、
野球部なかったんすよ。
うーん。
あの公式がなかったんすよ。
うん。
へー。
だから僕は、
公式野球部をやることは、
一個の目的ではあったんすよ。
はい。
で、いろいろ考えたら、
せいりんの方がいいんちゃう?
その、
あの高校、
なんていう、
優先順位が、
公式野球部が一番やったんで、
はい。
公式野球部あるとこに行かなかった。
うん。
ってなったんで、
せいりんをね、
推薦で僕がやったんすよ。
おおー。
はい。
だから、
受験やったらまだわからなかったんすけど、
うん。
とりあえず推薦で行けたんで、
なんかまあ、
一応もうせいりんなったって感じですね。
なるほどー。
そうそう。
とにかくまあ、
公式野球部を、
に入るっていう、
とこをテーマにしてたんで、
うん。
まあそうなったっていう、
うん。
流れではあるっす。
じゃあ、
高校行ってもう、
また野球に打ち込んで、
もうね、
野球付け、
うんうんうん。
ではあったんすけど、
うん。
野球付けではあって、
で、
で、
もうその、
東亜で、
公式野球部やる子って、
数人しかおらんかったんで、
はい。
で、せいりんに、
そこまで東亜の子っていなかったんすね、
うん。
僕らのその世代に。
はい。
むしろもう僕、
なんかほんま数人で、
友達って感じの子も、
あんま。
うんうんうん。
まあまあ、
ほんまだから、
で、保育所省中って、
僕らもう、
けっこうおんなじ甲羅で、
東亜のあの辺のエリアって、
うん。
割と長いんで、
けっこう高校の時って、
カルチャーショック受けて、
いろんな人が集まる。
はい。
原二郎さんもなんかそんな感じのことを、
そうでしょ。
言ってたと思います。
だから、東亜っ子っていうか、
宮前のあの辺って、
うん。
下手したらもう、
ずっと一緒なんですよ。
うんうん。
で、
たまたま僕もその、
生理院にほぼその、
東亜の子らがおらんかって、
はい。
けっこうもうほんまに、
全員知らん子みたいな。
あー。
で、結果として、
めちゃくちゃおもろいやんってなって。
えー。
その、
自分としては。
はい。
その環境が、
環境が、
なんかこう、
全然知らんやつばっかりやっていうのは。
そう、
なんか初めてじゃないですか。
いつもやったらもうエスカレーターやから、
はい。
もう何もないんですよね、
流れとして。
うん。
プラスがちゃうかどうかだけの話で。
はい。
遊ぶ子なんかずっと一緒やからね。
うん。
24:00
僕ちょっとびっくりした。
はい。
なるほど。
けっこう刺激が。
ありましたね、やっぱその。
園児さんもたぶん、
おんなじことやと思う、その。
うん。
たぶん、
そのやっぱびっくりするような、
特にそういうのってある。
はいはい。
で、
野球部とかも、
先輩が一人もいない。
えー、
あー、はい。
だから、
高1以降に交差ね、
東亜の人は誰もいますよね。
はいはいはい。
で、自分はだいぶもちろん僕だけなんで。
はい。
もうだから、
ここでどうやってハングリーに生きていくんやっていう、
うん。
ところも、
あ、
あったけど、
結果としてはまあすごい、
恵まれた環境で。
はい。
ただただ、
うん、
まあずっと小中高面白かったんすけど、
はい。
また高校はちょっと違う面白さというか、
うーん。
感じの。
外に出た感じですね。
やっぱりこう、
ちょっと広く見えた。
はい。
かなーって。
えー。
まあでも基本もう野球っすよ、でも。
うん。
野球野球っすもん。
だけど高校生になったら、
まあ野球野球というよりは結構なんかいろんなものに触れて、
そうですね。
なんか音楽とか、
ファッションとか、
本とか、
いろいろ好きになってくると思うんですけど、
なんかそんな出会いとかってありました?
えっとね、ありましたね。
なんか、
まあ、
そう、だから野球は野球でまず打ち込んでええんやけど、
はい。
えっとね、
なんかね、
あの、
セーリン、
まあそのどの大もそうやったのかわかんないですけど、
セーリンって、
なんか野球部野球部してなかったんすよ。
ほう。
うーん、
どういう?
なんか、別に、
なんか、
なんて言うんすかね、
その、
結構、
自分らの世代でも、
例えば、
他の高校とかってやっぱもう、
常に、
まあそれだけ規則が厳しいんかもしれないですけど、
はい。
なんかね、
服装とかももう野球部って感じの野球部が多い中で、
結構セーリンって、
なんかこう、
なんかこう、
なんていうの、
いやここはオシャレしていいからあかん、
っていう見せられ方の先輩とかが、
えー、
だからこう、
ちょっと気崩したりとか、
気崩してくるんすよ。
へー。
だからむしろ、
ギャップ活かしていこうっていう、
はい。
それ今も僕の生き方というか、
僕も今もそう思ってるんすけど、
はい。
なんかこう、
なんか、
あ、これで野球うまかったすごいなって。
えー、
っていう。
具体的にどんな感じだったんですか?
なんか、
それは別にみんなそうやったんかもしれないですけど、
はい。
でも野球部っていう所属の中でいうと、
はい。
僕の中では、
で、こうこう、
ってこんなんなんやもうコミやから、
はい。
結構引き込まれるっていうか、
はい。
こんな世界がありなんやみたいな。
えー。
だからこう、
まあそれ一部、
まあ全員がそうじゃないですか、
はい。
でも、
自分が仲良くて先輩とかは、
割となんか、
なんかまず靴とかめっちゃおしゃれ。
はい。
なんかあの、
ランニングシューズとか履いてないですよ。
はいはい。
そんなんブスで履き替えるみたいな。
とか。
何履いてたんすか?
いやなんかその、
まあそういうことはこういうスニーカーを履いて、
はいはい。
要はどっちかっていうと、
そうファッション的に、
27:00
はい。
かっこいいとか、
おしゃれって言われた方が、
いいっていうのをなんか空気感で感じれる人が多かった。
うんうん。
というか、
教えてもらったわけじゃないけど、
はい。
おさがりもらったりとか。
うんうん。
なんかどなくこういう野球部なのかな?
とかって感じのノリやけど。
はい。
なんかそれが結構自分の中ではすごく新鮮で。
はい。
この感じで、
逆にめっちゃ努力してたらかっこええなとか。
はいはいはい。
そのなんか、
そのギャップ?
はい。
あいつあんないけど野球めっちゃストイックにやってるよみたいな。
そうなんかね、
今もだから結構その影響が、
なんか割とその、
やることやってるっていう部分は、
すごく感じれる人らが多かった。
見た目どうこうやって。
はい。
でも家では素振り500回やってるかもしれんみたいな。
うんうん。
その挟まって結構楽しめんのやって。
はい。
分かった瞬間やったんですよ。
あー。
やり方なんやなって。
はい。
その、
なんか高校生活の中でも、
クラブはクラブ。
うん。
でもファッションはファッション。
はい。
野球部屋から野球部のファッションしかできへんっていうか、
ここはこっちでええやん。
はい。
っていう人らが僕らのセット多くて。
はい。
なんか普通にかっこええなって僕の中で。
あー。
この感じで野球部ってかっこいいなーみたいな。
はい。
なんかそれは結構なんか、今でも自分のこうなんか、
生き方のラインとしては、
実はそこの根本って今も生きてるような気は、
うーん。
しますね。
なるほど。
あのほんま、
ファッションもそう、
でもめちゃくちゃ好きやったでもファッションも。
うん。
それ中学ぐらいからも好きで。
あ、そうなんですね。
当時はもう中学はやっぱエイプとかが流行った時期で。
あー、はいはいはい。
エイプとかステューシーとか。
はい。
裏原系でなんかこうストリートジャックとか。
はい。
雑誌で。
はい。
なんかこうパチモンかパチモンかじゃないかの話し合いをみんなで永遠にやるみたいな。
このタグ偽物やとか。
はい。
ジャックのなんか後ろの方に偽物通販のページとかありまして。
ありましてそうそう。
偽物通販とここは本物やとか。
はい。
で結構高いとか。
はい。
まあそういうのはやっぱ常にその当時から。
うん。
それこそその三角公園とか。
はい。
結構ビビりもて行くみたいな。
はい。
自分らの時まだブラックリーチョーもね、割とまだ服屋多かったし。
うんうん。
なんかそこはなんか頑張って行ってたイメージ。
はい。
で、高校になったらもう完全に僕は古着やったんですよ。
えー。
うん。
じゃあ大阪に買いに行ってみたいな。
えっとね、割とね、まあ行きましたけど。
はい。
結構ね自分らは、結構野球部内で動いたこと多かったんですけど。
フリマとか。
あー。
古着屋も結構和歌山でまだブラックリーチョーのこの筋でも四五軒あったんですよ。
えー。
当時は。
あのメルティングポットってとことか。
はい。
デイリーって店とか。
はい。
結構そのあのブラックリーチョーのマクドナルドがあったあの通りで四五軒あったんですよ。
えーはいはい。
だから野球部って基本野球部としては時間合わないんですよ。
練習いきなり今日は昼間でとかだったら遊ぶやつが野球部しか基本いないんで。
30:02
はい。
野球部のその好きな界隈。
はいはいはい。
まさに好きな界隈で遊びに行くっていう。
うん。
ときとかもうあれでこうルーティンがあったっすもんね。
おー。
古着のラインで。
はい。
でもね結構いろんなとこ行きましたね。駅も和歌山駅でも古着屋あったし。
えー。
当時はそれこそね、まあでも結構いろんなとこは行きましたね自転車で。
なるほど。
でも古着屋が一番なんか。
はい。
掘る感じが良くて。
うんうん。
結構練習前に古着屋行ったりとか。
はい。
なんか、で当時まだ古着屋結構多くて。
うん。
今あんまり古着屋ってないけど。
そうですね。
多いですね。
当時はなんかこう古着屋で掘り出し物を探すみたいな。
うん。
とかは結構多かったかな。
えー。
なんか割と高校生の時って割と古着屋。
でたまにちょっとワッペンカスタムしたりとか。
はい。
まあ今に繋がってるか分からんけど。
うん。
ちょっとそのカスタムを。
はい。
ミクロのポロシャツに。
うん。
こうワッペン付けたりとか。
はいはい。
はちょっと。
でもカルチャーを意識してやってるんじゃなくて。
はい。
単純に可愛いワッペンあったからどこに付けようとかは。
うんうん。
なんか当時からやってたかな。
えー。
っていう感じ。
うんうん。
音楽は割と奈美、奈美というか。
うん。
こう中学校から話しな、ちょっと繋がらんけど。
はい。
とにかく僕中学、あいこが大好きで。
おーはいはいはい。
なんかあいこが、ちょうどあの花火ぐらい。
はい。
が中二ぐらいだと思う。
うん。
で、あいこって当時、もう今結構おばちゃんやけど。
ははは。
いや、当時めちゃめちゃ可愛かったんですよ。
ははは。
僕の中で。
可愛い。
あいこめっちゃ可愛いやん。
あいこめっちゃ可愛いやん。
いやほんと歌も僕のすごいから。
はい。
で。
え、あいこの見た目が好きやったんですか?
いや、えっとね、あいこは。
はい。
僕その、えっとね、中学校の時に。
はい。
なんでか知らんけど。
はい。
別にお金持ちとかじゃ全然ないですよ。
うん。
でも家庭教師やったんですよ。
家庭教師がいたんです。
家庭教師の先生が来てくれてたんですよ。
おーはい。
で、それがたぶんね、週二日ぐらい。
うん。
で、その時話題のその、甲羅先生っていう人が来てくれてたんですけど。
その人が、結構こう、いいバランス感。
うん。
なんかこう、トーンインのラグビー部です。
で、今話題でもラグビーしてます。
うん。
で、バイトも結構がっつりやってるけど、結構遊んでますみたいな。
うん。
バランスがいい感じ。
はい。
で、その人に、この話題の学祭であいこ食うみたいな。
おーえー。
はい。
だからその時、あいこはまだ花火売れる前やったんですよ。
はい。
で、あいこって人いてんねん。
で、聴かしてもらってCDを。
うん。
だからどっちかって、ビジュアルより、当時ってまだそんなビジュアルって見れるものって。
うん。
今みたいにネットで画像見て可愛いとかないから。
33:00
はい。
もうジャケだけ。
はいはいはい。
で、パソコンもないし。
うん。
とにかくCDをコンポで聴くぐらい。
はい。
あいこ歌めっちゃいいやんみたいな。
はい。
で、割とその人の影響結構受けてたんですよ。
はい。
あいこめっちゃいい。
で、とにかくあいこ聴かなあかんみたいな。
うん。
当時モームスとか。
はい。
いろんなこう流行りもあったけど。
はい。
あいこはむちゃくちゃ聴いた。
うーん。
その人の影響で好きになって今も好きなのはあいことブルーハーツなんですよ。
おおー。
そう。だから結構そこは結構影響受けてて。
はい。
でも今聴いてもあいこもいいなと思ってるし。
うん。
まあそういう流れで。
で、高校の時は割とまあ普通に僕らの世代だったらゴーイングステディーとか。
はいはい。
ハイスターとか。
はい。
なんやろ。もうまあみんな聴いてるようなものを。
うん。
僕も聴いてて。
でも当時はなんか僕も結構やっぱストイックに集める癖やっぱあって。
はい。
ずっと外川弁の時もそうやけど。
そう。
まあプレ野球カードも死ぬほど持ってそれをまたもう今日話したら切りなよ。
やめますけど。
結構マニアックで。
はい。
でもまあ音楽も結構そういうとこあって。
とにかくその当時はこうメロコアみたいなのをむちゃくちゃ掘りまくるみたいな。
はい。
ことをよくやってたかな。
まあ当時はレンタルやけど。
はい。
レンタルとかなんかTSUTAYAの片おじ300円みたいなのをやたらチェックして。
はい。
やったり。
へー。
でも結構その時はね、割とみんな聴いてるやつ。
はい。
うんって感じあって。
うん。
でそっからそのパフパフにつながるっていうか直接的かわからんけど。
はい。
でその時から高3ぐらいからその友達の影響で。
うん。
あの洋楽とかも聴くようになるんですけど。
はい。
どっちかって言ったらあの当時で言ったフォールアウトボーイとか。
はいはいはい。
マイケミとか。
はい。
その時そういうUSのそういうメロコア系が流行ってて。
そうですね。
グッドシャーロットとか。
ああいう。
はい。
今聴いてもかっこいいじゃん。
はい。
ああいうのを結構ガッツリ聴いてて。
はい。
それはその子から流れてきて。
はい。
で僕は結構その日本語パンクを掘ってて。
うん。
でその時にそのレゲエと出会う瞬間もあって。
うん。
それは別にレゲエって思ってなく聴いてたんよ。
はい。
なんかスピナビルっていうスピナビル&ケイバーマンズっていうCDがあって。
はい。
それをなんかレゲエとかじゃなくて普通に聴いて。
うん。
めちゃくちゃもうやばいなってなって。
なんかすごすぎて。
うん。
何この感じってなって。
へー。
音楽はもうずっと好きだったんで。
はい。
でその流れで友達でなんかこうレゲエばっかり聴いてる友達がおったんで。
うん。
でそいつとかも結構教えてくれて。
なんとなく高校の最後ぐらいで結構そのパフパフのルーツというか。
はい。
レゲエっていうのがちょっと高3ぐらいでちょっとレゲエってなっていく感じ。
36:02
はい。
で終わるって感じですね。
ああ。
ちょっとだけ言ったら長いですけどね。
そのパフパフのルーツはレゲエなんですね。
そう一応ねレゲエなんですね。
ああ。
あのー今でこそもう何も気にしてんとやってますけど。
はい。
そうですねパフパフはレゲエなんですよ。
へー。
レゲエっていうかそのレゲエカルチャーを通して生まれたものですね。
へー。
カルチャーというかそこで自分らが遊んでて。
こうファッション的になっていくって感じなんですかね。
へー。
まあだから一応それも高校出て。
はい。
で高校出てまあ普通にこう高野球が終わり。
はい。
まあ僕は進学するんですよ。
うんうん。
で進学するんですけど当時やりたいこと別になくて。
はい。
でも進学はするってなってて。
うん。
でまあ何て言うんですか。
まあでとりあえずその先の家庭教師の先生もそうやけど。
はい。
結構分岐点でいい先生多かった。
うん。
なんとなく高校の時も中学も先生良かったんで。
うん。
先生なれるかなみたいな。
へー。
僕はなるんですね。
で先生になろうってなるんですよ。
はい。
でなってで大学は先生になるために一応行くってなるんですよ。
はい。
で最初一応教職も取るんですよ。
おー。
一応取ります。
はい。
生理に一応教育実習も行って。
はい。
免許は一応持ってるんですよ。
へー。
けど。
はい。
けどなんですよ。
でそのこう4年っていうのがあって。
うん。
でこの時に結構そのさっきのレゲエの話が。
はい。
また18、19で飛び出してきて。
うん。
でその今回その今プリントショップの。
はい。
2号店を今境に作ってるんですけど。
はい。
そこの店長。
うん。
まあ管理する子が実は僕の高校の時の同級生で。
はい。
でその子が実は僕にレゲエのきっかけをくれた子なんですよ。
へー。
高校さんの時にもうiPod持ってたし。
はい。
で何聞いてるのってレゲエ聞いてて。
うん。
お姉ちゃんレゲエ聞いてるからみたいな。
でその子がその子も結構大人になるというか18、19の時にその子もずっと結構その子もレゲエ好きやし。
はい。
その子きっかけに結構いろんなレゲエのイベント行くようになるんですよ。
はい。
19とかの時に。
ちょうどね行動範囲も広がって。
広がって。
でそれと同時に僕らのその高校寄りのレゲエうちうちの話と。
さっきのノブって言うんですけど。
うん。
パフパフの相方ですね。
はい。
パフパフのデザインやってるノブが別のルートでレゲエで行ってなんかこう好きってなってたんですよ。
はい。
その時はノブを知らなかった。知らないというか再会はまだしてなくて。
39:02
はい。
でなんか僕も野球終わったからみんな遊ぼよってなんかようやくなんか。
はい。
落ち着いてたから。
で結構18、19の時に改めて遊んだりする地元の子らと遊ぼうようになったんですよまた。
ちなみに大学はどこの大学に行くんですか。
大阪経済大学。
はいはい。
で当時はえーとね和歌山から通ってたんですよ。
あれってどこにあるんですか。
神信城。
神信城。
結構な距離ですね。
うん。
で特にこう神信城で通ってバイトは当時のワンダースクエアっていう。
あー懐かしい。
懐かしいじゃないですか。
悲しく。
わかりますか。
わかります。
ね、ワンダースクエア。
まあシダックスとともに。
はい。
ワンダースクエアの中のボーリング場があってそこでこう僕バイトしてたんですよ。
へー。
そこでバイトしながら大学に帰って。
あー。
じゃあ大阪の大学行きつつも生活は和歌山って感じで。
むしろバイトも結構お金いるなってなってたんで。
うん。
割ともう週5とか入ってたから。
おー。
まあまあ忙しかった。
はい。
だからもう深夜。
まあ割と夜4時8時間入って結構もう朝2時とか。
えー。
でやって。
はい。
っていうなんか割とその。
そうですね結構そういうのを両立しつつ。
はい。
であれですね。
で。
うん。
で夜とかをそうやってみんなでこのレゲエのイベントに行くようになっていくっていう。
あー。
ちょっと時系列あれですけど。
はい。
そんな流れだったと思います。
なるほど。
イベントは和歌山でやってたイベントですか。
そうですね。
うん。
割と。
その時に多分ものぶと出会ってて。
そう。
でその新太郎っていうその友達が当時結構そのレゲエのイベントを自分でプロモートしてるイベントとかあって。
はい。
そんなの自分らも遊びに行ったり。
はい。
結構だからよく遊んでて。
うんうん。
で。
でそののぶのお兄ちゃんらの遊ぶグループ。
うん。
がレゲエで遊んでて。
はい。
で僕らはこう弟の友達らみたいな感じで。
でなんていうんすかねこうより良い遊び、遊びでこう柔らかく遊べたというか。
うん。
その人らもおるし。
はい。
っていう。
まあちょっと安心しつつ。
そういうか。
だから僕もだからそうですね当時は大学通いつつ。
うん。
和歌山で遊んで。
っていうでバイトも行ってっていう流れやったと思うんですよ。
はい。
僕全然レゲエに詳しくないんですけど。
はい。
レゲエのイベントでは何が行われてるんですか。
うん。
もう普通にDJみたいな感じですか。
そうですね。
で当時はやっぱり今みたいにまあ今もレゲエのイベントってやってるとこはね和歌山もねミュージックヤードっていう。
42:00
はい。
レゲエを中心にしてる箱はもちろんあるんですけど。
うーん。
あの当時はあのレゲエのイベントがまず言うても週4ぐらいあったんですよね。
えー。
なんか水曜日ゲートでとか。
はい。
木曜日ペポでとか。
めっちゃ流行ってたんですね。
うーんなんか当時でもね当時やっぱねクラブ僕らもう最後もう最後の最後ぐらいですけど。
はい。
まだこうクラブシーンというか。
うん。
なんかこうそういうとこで遊ぶっていうなんかスタイルが結構僕の中でもルーティーになってたし。
はい。
だいたい水木金土っていうこのラインがあるんですよ。
はい。
昔もっともしかしたら毎日のようになったかもしれないですけど僕らの時は水木金土っていう。
うーん。
だいたい土曜日版が結構有名なゲストが来て。
はい。
水木金。で金曜日は僕のその死んだる友達が。
はい。
あのそういうことを絶えたんですよプレゴ。
はいはいはい。
でキープしてたりとか。
うーん。
してたんで。
そうなんですね。
うん。
なんか割とねっていうレゲエ自体は何が行われる。
まあレゲエを聴くっていう。
はい。
感じですね。
へー。
レゲエをとにかく。
まあ普通のライブというか。
そうですねまあでも。
イベントっていう感じ。
もちろん歌い手さんもいるし。
うんうん。
レゲエの場合はDJというかこうレゲエってサウンドっていうんですけど。
はい。
サウンド。
はい。
サウンドマンっていう。
へー。
あのDJはDJ、なんて言うんですかね、レゲエって
はい。
なんかサウンドっていうんですけど何かいっぱい居る人が居るんですよ。
はい。
4、5人居る人が居る。
へー。
1人でやってる人も居るんですけど。
はい。
基本的にそのサウンドって言われる人らが皆が思ってるところだけがDJなんですよ。
はい。
で、基本的にレゲエのセレクトをして流す人たちがサウンドって言われる人で、
で、そこにレゲエの場合はMCっていう人とセレクターっていうとこって、
セレクターはもちろんセレクトする、音楽をつなぐ人。
はい。
で、MCは音楽に対して喋っていく人がいます。
え、どういうことですか?
これね、YouTubeとかで調べたらなるほどってなるんですけど、
こう、え、なんていうんですかね、こう、
ま、レゲエのその歌に対してこういうこと言ってんねんとか、
なんかこう、いや、こういうことを伝えたいねんっていうとこでみんなが上がるっていう。
同時に解説するわけなんですね。
そうです。レゲエってそういう文化なんですよ。
えー。
で、だからこの音楽、アーティストもおるんですよ。
はい。
レゲエってレゲエアーティストなんで、
うん。
ま、ね、例えばま、ルシアノって人とか、
はい。
みんなかしら誰やねんって感じですけど、
うん。
僕らかしらめっちゃ良い歌流れんな次とか、
はい。
ガーネット・シルクやばーとか、
うん。
ま、いろいろそういうのがあるんですけど、
はい。
ま、そういうことに対して、あの、
例えばま、お母さんに感謝する歌やったら、
はい。
そういう歌やでとかを解説する、
45:00
ま、わかりやすく解説する人がおるんですよ。
はい。
人がMCなんですよ。
えー。
はい。
で、それが、こう、もちろん音楽として、
はい。
なんかこう、データなりレコードなり、
うん。
CDなりがあって流すんすけど、
はい。
レゲエってこうダブっていう文化があって、
はい。
えーと、なんていうんすかね、ま、そのサウンドマン、
うん。
みんなに言った、わかる?DJっていう人がおって、
その人らのオリジナルの歌にしたやつを、
うん。
それを流すっていう。
ほう。
だから、なんかこう、上田さんのために、
はい。
その人が録音した歌があるみたいな。
えー。
おー。
なんかこう、うん。なんかカラオケで言ったら、
はい。
その歌の名前の部分を上田さんに名前変えて歌うみたいなのを、
はい。
超本人がしてるみたいな。
えー。
で、それをこうやって録音したCDとかで、
はい。
だいたいしたものを、サウンドマンたちは、
はい。
持ってるんですよ。
はい。
まあ、持ってるっていうか、それでそれを流したりするんですよ。
ほう。
はい。
それをまた解説付きで盛り上げるっていう。
上田さんに向けてこれは作られたんですよっていうのを解説する人が。
まあ、それがもっとバーって盛り上がってますけど、
はい。
まあ、わかりますか?そんな感じで。
はい。
えー。
じゃあ、みんなからしたら、みんなからしたらというかその、
自分らからすると、え、この人とこの人で、
はい。
上田さんのこと歌ってるCD録ったんやっていうとこの、
はい。
リスペクトで上がるって感じ。
えー。
えー。
なんかわかりづらいんですけど。
あー。
めちゃくちゃこうなんか。
はい。
こう、なんかそんな文化があって。
はい。
そういう、そういうのとこうね、もっといろいろレゲエもね。
うん。
ダンスホールレゲエとか。
はい。
ルーツとか。
はい。
まあ、いろんなね、ラブとかあるけど。
うん。
まあ、わかりますか?そんな。
えー。
ことに僕はもう。
のめり込んで。
のめり込んで。
はい。
当時はやっぱもう、レゲエしかないなっていう。
えー。
感じまで僕は当時行ってましたね、でも。
え、で、そこからパフパフウェアに。
どう繋がっていくんですか?
その時は、そのノブのお兄ちゃんらのグループと、僕らは別に一緒に遊んでたわけじゃないですけど。
はい。
向こうで会ったりする。
うん。
とか、まあ一緒に、一部一緒に合流して一緒に遊んだ。まあ結構いろんな形で遊んでて。
はい。
で、ノブのお兄ちゃんらが当時服を作ってた。
えー。
あの、まあいわゆるこうパフパフみたいなことを。
はい。
さっきやってて。
はいはい。
僕自身もオリジナルって感覚って。
はい。
なかったんですよ。
うん。
今みたいに、作れる、こういったの作れるでっていう頭がなく。
はい。
で、オリジナルなんやっていう。
うんうん。
当時は僕らもどっちかっていうとおしゃれ過ぎやったけど。
はい。
あくまでもその、ブランドを買って。
うん。
なんかそれで目立つじゃないですか。
はい。
服が過ぎやがら。
っていうラインをやってたのに、そういうの見た時に、すげえってなったなって。
うん。
オリジナルってなんなんみたいな。
えー。
デザインしたやつをやって、僕らもそれを着たり被ったりして。
はい。
48:00
だったんですよ。
えー。
それはもう、グラフィック作ってありもののボディに乗せてたみたいな。
いわゆるこう今のは僕らの。
はい。
二次加工と一緒ですね。
ほー。
それ何年ぐらいのことですか?
それね、僕らがもう、でも僕ら18、19やったから。
はい。
もうだから15、6年前ですね。
ほー。
で、パフパフは今年で11年目なんですよ。
ほー。
その辺の時系列がのぶとも整理したけど、結構ごちゃっとしてて。
はい。
あんまり覚えてないなっていう。
なんせその感じなんですよ。
えー。
それきっかけで。
はい。
自分らも結構そこは話、いろいろあるけど、とりあえずそれをきっかけに、自分らはこれを始めるんですよ。
えー。
それは、いわゆるヒカル・ゲンジの、僕らはゲンジというか、トニセン・カミセソ若い子っていう。
はい。
チームって感じじゃないけど、僕らはそのやっぱユースな感じで。
あー、弟分の集団っていう。
まあ、お兄ちゃんの友達と弟の友達って、僕の中では分けてて。
はい。
今も仲良くさせてもらってるけど、なんかそういうイメージで、なんかそっからのカルチャーが、まあいろいろこう。
流れとしてあって。
はい。
で、自分らはこれを始めるっていうきっかけになっていくんですけどね。
はい。
で、その時に、えー、まあいわゆるレゲエっていうサイドから、レゲエサイドというかレゲエを盛り上げたいというよりかは、単純に、あの、そういう時に遊びに行く服を自分らで作ろうっていう方ですね、たぶん。
あー、クラブに行くような服って。
うーん、そうですね。結局、まあ、なんかクラブで、なんか目立ちたいからってあったんかもしれないですけど。
はい。
そっちより、のぶのお兄ちゃんも絵を描いて。
うん。
で、みんなで服作ったよう、みたいな流れでみんながそれを揃えて着てて。
はい。
僕らの中で、もうかっこいいなっていうのがやっぱあって。
あー、チーム感というか。
そうですね。
はい。
で、僕らの流れで言うと、のぶが絵描けたんですね。
おー。
で、保育所から一緒やったけど、絵がむっちゃ上手い記憶はあって。
はい。
そうか、上手いかっていう感じで。
うん。
で、その時、結構遊びだした頃やったし。
うん。
で、のぶやっぱ絵上手いな、そういや、むっちゃ昔上手かったよなって感じで。
はい。
で、僕は結構こういう感じで、話好きで。
うん。
で、とにかくまあ、もうちょっとその、あの、メンバー、もうちょっとというか、パフパフでた、ほんまあと1人おって3人で幼馴染コンビでやってたんですけど。
はい。
で、その時に3人で着る服を作ろうから始まってるんですよ。
へー。
で、初めはね、パフパフではなくて。
はい。
その、パフパフになる前が。
うん。
3人で遊ぶ仲間の名前をつけようみたいな。
はいはい。
で、その名前が、なんかクールクルクルーっていう名前だったんですよ。
ほう。
ほう。
で、初めはその名前に対して、絵を描いて服を作ってたんですよ。
へー。
で、当時は、当然その、自分らでプリントしてなかったし。
はい。
やったんで、いわゆるこうプリント屋さんに行って僕らが作ってもらってた側。
51:02
うん。
ってやったんですよ。
はい。
で、そこをずっとやっていってて。
はい。
まあそれはそれでやってたんやけど。
うん。
なんとなく、まあロットとか。
はい。
なんかいろいろと、こう、なんかもっとパッと作りたい。
うん。
あの時にやっぱり、自分らで手摺りでやったほうがいいなみたいな。
おおー。
流れになっていくんですよ。
はい。
で、まあ、のぶはどっちかって言うと、そのお兄ちゃんの流れでステンシルっていうか、そのスプレーでこう肩に吹いて。
はい。
っていうのを、なんか結構のぶは服について精通してて結構詳しかったんで。
はい。
あんま分かれへんけど。
うん。
なんとなくそのシルクみたいなことっていうことで、ちょこちょこなんかこうクリアーファイルの下にコピー用紙挟んで肩でくり抜いて。
うん。
ステンシルの要素で服とかをその当時はちょっとやってて。
はい。
で、でもなんかこうクオリティーもっと上げたいからそういう業者さんにも任したりしてたけど。
うん。
なんとなくのタイミング、なんかその理由はあんまりないんやけど、なんかもうハンでプリントするみたいになって。
うん。
そっかなんかタウンページとかで製品屋さんとかに電話してハン作ってくれとか。
はい。
言って作ってもらったやつを当時は僕とのぶ。
うん。
で、もう一人おったんすけど、なんかみんなで集まって、いろんなような台所とかでこういうプリントをやってた。
へー。
っていう、まあだからきっかけはそこなんすよね。
はい。
それで結構、うん、あの流れでそうなっていったかなって思うんすね。
え、その時ってもう就職とかはしてたんですか?
えっとね、もうしてる。
おー。
で、結局、で、そっからえっと僕は結局教師にならんかった。
うん。
で、何になるかっていうと、僕当時は和歌山リビングっていう会社に入るんすね。
あー。
だから、あのリズムとか。
はいはいはい。
はい。
んですよ。
へー。
今もまあ、あの広告の販売したりはしてますけど。
はい。
あの当時は、あのリビング新聞っていう。
はい。
新聞とか、あとリズムとかをメインに営業する人として。
うん。
もう、だいぶ4年の途中ぐらいからもうバイト行ってたから。
へー。
それも別に理由なくて。
はい。
とにかく和歌山が好きやったから。
へー。
なんか就職活動とかもやったけど。
はい。
なんかここを行きたいんじゃなくて、いかに和歌山に残れるかっていうのをチョイスしていっぱい受けて。
へー。
で、自分っぽいのが和歌山リビングやったっていう。
おー。
感じやって。
で、そっからこう、服のことはもうやってたんすけど。
でももしかしたら入ってからの方がヒートアップしてたかもしれないな。
ちょっと分からんけど、系列が。
でも、入る前の服は多分やってたんかな。
はい。
54:00
や、や、や、や、や。
で、そっからこう、そういう仕事をしながら。
うん。
こう、音楽も好きで。
うん。
で、服も、まあ、どんどんこう好きになっていくって感じやったと思うんすよ。
へー。
うん。
和歌山好きっていうのは、なんか理由っていうか。
うーん。
なんか、その時ぐらいって結構、東京とか大阪で働きたいみたいな人が多いと思うんすけど。
でもね、それ全然なかった。
なんでなんやろなって思ったけど。
でも、もうね、うーん、僕大学行って。
うん。
やっぱ大学行った時も、高校の時の衝撃みたいに。
はい。
いろんなおもろいやつおんなってなったんすよ。
はい。
当然。今度はだって各県から来てるわけやから。
うん。
当然言葉も違うし。
はい。
それに刺激が受けたんやけど。
うん。
僕の場合はなんかもう、なんか大学行ってるんと同時に。
はい。
それこそのぶとか、みんなでもそういう遊びをやってたから。
なんかね、そこまでね、で、バイトもこっちでやってたんもあって。
はい。
割とこっち中心な生活になってたんすよ、僕は。
なんか向こうで住んでないし。
はい。
うん。
要するにこっちはありきの、もちろんもうバイトやってるからバイトはありきになるんで。
うん。
なんかもうそこで遊べる範囲やったんで、割とこっち中心になって。
はい。
で、もうなんか自分のルーティンがもうそこで出来上がっちゃって。
うん。
なんか、うん、やったんかな。でもずっと和歌山はなんか好き。
へー。
うん。でもなんかこう、うん、でもなんかこう、なんだろうな、その、やっぱリビングに入って。
はい。
特に和歌山を好きになったっていうか。
うん。
なんかこう、五大学の卒論で、えーとね、僕その経済学部の地域政策学科とかに行ったんすよ。
あー、はい。
で、なんかその地域に根付くみたいなこう、課で。
うん。
なんかこう、卒論も地元のことを書くみたいな。
はいはい。
で、僕はその時、何でか分からんけど、商業を調べたんすよ。
おー、はい。
で、当時はその丸志本家さんっていう、あの岩さんの。
はい。
なんか醤油屋さんが、にそのお願いして、なんか醤油作りを一緒にさせてもらったりとか。
へー。
結構自分も醤油仕込んで作ったりとか。
はい。
して、で、そういう職人さんとかその会社の方々と話したときに。
なんか僕もその醤油って和歌山発祥って知らんかったし。
うん。
要は和歌山に住んでたけど、なんとなく大学出る頃に、和歌山のこと俺何も知らんなってなったんすよ。
うん。
なんとなくあんま良くないことやなとか思って。
でもこれを卒論期に和歌山のことを知るきっかけがあって、もっと知りたいなとか。
うん。
本当にもっとこう言えるようになりたいなとか思ってて。
で、就職活動とかもやってたから。
で、その時にその和歌山リビングが一番、自分のその趣旨っていうか。
うん。
当時感じたことに近い仕事やったから。
はい。
これだったら和歌山のことをいろんなとこに発信したり、いろんなこう活動してる人たちのことを知ってもらうのがメディアやから、
57:06
おもろいんじゃないかなって言ってあえて。
はい。
自分はメディアをやりたかったんじゃなくて、たまたまっすね。
へー。
和歌山が好きで。
はい。
自分が一番面白くなれそうなとこがそこやったっていう選び方やったというか。
なるほどー。
なんかそんな感じやったから。
へー。
いや僕もリビングにというか、ね、リビングにいたのは知ってたんですけど。
あ、知ってたんや。
そう。
へー。
あの、ニアゾンさんとかのあれかな。
あ、なるほどなるほど。
つながりで知ってたんかなと思うんですけど。
はいはいはいはい。
で、てっきりこういうことやってるんで、デザイン系のあれなのかなと思ってて。
営業なんですね。
そう。
営業というか。
デザインはね、全くできないですよ。
あ。
へー。
それもまた意外なというか。
でもね。
これまあ一緒にノブと服作ってたときは。
やっぱね、僕もそうなりたいと思った時期もあって、絵を描いてた時期もあって。
うん。
でもなんとなく向いてへんし。
うん。
やっぱ役割を持ってるからコンビやから。
はい。
なんか余計な枝に栄養はいらんなってなって。
あー。
でもうそのフロントで撤しようって僕の中では。
あーなるほど。
なんかデザイン2やっててフロント8やったらもう10の方がいいんじゃんって俺は思って。
他ノブはもうA10の方がいいんじゃんって。
はい。
なるほど。
っていうなんか結構役割をしっかり分けたタイミングでもあったんで。
うん。
なんかデザインは特にね、こういうのは僕がデザインしたわけじゃないけど。
はい。
なんとなくこう作りたいっていう、やっぱこう広告ずっと作ってきたから。
はい。
なんとなくこう、作り方とか。
うん。
こういう面積で揃ったらこういうものが作れるとか。
はい。
だからどうやったら、ディレクションの仕事。
うん。
まあ営業ってそうじゃないですか。
結局これをやろうってなった時に、こういうチーム作ってこういう予算を必要ですって営業として出して、
でやろうよってなって初めてそれが仕事になってっていう流れを当時からよくやってたんで。
うん。
それは今でも生きてるんですけど。
はい。
なんかそんな流れですね。
へー。
うん。
そのリビングで働きながらパフパフエアも。
そうですね。
やりつつ。
当時はだからもう分かりやすくそんな感じだったですね。
あー。
その後どうなっていくんですか。
えっとね、これね、まあリビングで結局9年半ぐらいいるんですよ。
あーはい。
リビングで。
だからちょうどだから3、うん31か2、1で辞めるんかな。
はい。
でも基本的にはもうこれシンプルで、
ずーっとこの仕事、まあ本を作ったりを。
はい。
ずっとやってて。
はい。
シンプルに服作りをずっと続けるっていう状況をやったんですけど。
でもその、えっとね、結局、えっとその、まあ仕事しながら服を続けていく中でいうと。
1:00:05
はい。
えっとね、結局、えっとね、ノブも結構早くて。
うん。
で僕も23で結婚するんですね。
えー。
そう。で、でちょっと、なんていうんですかね、うーん、なんやろ。
で、慎太郎とかも、和歌山の、なんか結構大阪とかでイベントすることも多くなったりとかして。
はい。
で結構その、ちょっとレゲエから離れてた時もあったんですよ。
で、どっちかっていうと服作りばっかりやってた時期がちょっとやっぱあって。
はい。
で、まあいかんくなったというか、ちょこちょこいって、昔の週4みたいなこともなくなっていってて、お互いに。
うん。
でちょっと、もうノブとは毎日電話で服の話をするぐらい。
えー。
服にね、なんかもうワクワクが止まらへんっていう。
はい。
ノブは当時トラックの運転者で、僕はリビングやったんで。
はい。
これ実、なんかノブやったらこう運転中とか。
うんうん。
僕はまあ営業やってたんで、こう常にこう服の話とか。
えー。
このデザインやばいわとか。
もうやたら言ってた時期とかが多分その辺かな。
だからこう。
はい。
うん。
服、そうですね。
なんかこう服にめっちゃ打ち込む時期をあえて、まあ結果としてなんかそういう時期が増え、そういう時間が増えてたかな。
おー。
え、それパフパフウェアはもう販売とかもしてたんですか?
もうね、当時はやってましたね。
おー。
うん。当時もだからもうクラブとか行って。
はい。
服とかを巻いたりしてたし。
へー。
でもそれ今年で11年目やから。
はい。
今30、だから20、そうやね、24、5ぐらいの時がそんな感じやったのかな。
おー。
だから、うん。だから昔みたいにめちゃくちゃ行ってないけど。
はい。
でもちょこちょこ行って。
うん。
で、こうクラブ行ってパフパフ配ったり。
はい。
とかむちゃくちゃやってたっすね。
へー。
まあだから、あ、ちゃう、だから離れてないわ、別に。めっちゃ行ってるもん。
売りに。
いや、まあでもその昔みたいに。
はい。
もうだからイベントがなくなっていってたんすよ。
はいはいはい。
行ってないんじゃなくて、もうなくなっていってたっすね。
はい。
イベントが。
あー。
僕らが10、そうですね、自分らが22、3ぐらいまでほんま週に、ほんま3、4は絶対あった。
はい。
25、6の時はもう、どうやろう、もう、でプレゴももうなくなってたし。
あー。
多分。
うん。
クラブ自体もなくなるし。
結構リラックスとか、結構いっぱいなくなってたんで。
はい。
割とそっから、そうや、そうや、割とない、なかったんかも。
あー。
なくなっていってたんかも。
はい。
イベントは落ちつつも、そこに行って、ま、服巻いて。
服巻いてたっすね。
ほうほうほう。
え、巻くっていうのはプレゼントしてるってことですか?
そうそう。だからもうプロモーションっすね。
1:03:00
はい。
あー。
だからそれこそ、当時僕らそのココロっていう。
はい。
ココロブランドって大阪の。
はい。
こうローカルの服が、今もめっちゃ売れてる服なんですけど。
うんうんうん。
それを好きで着てて。
はい。
その人らがでも自分ら手摺りでやってて。
はい。
そんな影響もあって、で自分らこう手摺りでやっ、前はなんか手摺りっていう手段を始めたから。
うん。
もうTシャツの無地を買ってプリントすれば、ま、結構なんか安いっていうか。
はい。
続けやすいっていうか。
うん。
でそれを、まあとにかくもうリュックにTシャツ詰めて。
はい。
行って結構巻いてたっすね。
あー。
もちろんその仲間うちにやってもらって。
うん。
で有名なアーティストさんがおったら、こうよかった着てください。
あー。
また当時からやってたような感じはあって。
それで結構反響あったもんなんですか?
うーん。
反響というかね。
まあでも、あのー、やっぱ着てたら友達とかも欲しいって言ってくれるし。
はい。
で店なかったんで、で当時ってまだオンラインって感じでもなかったんすよなんか。
うんうんうん。
そこまで。
はい。
だからどっちかって言うとほんまになんか、その時買ってもらったり。
うん。
なんか次来た時持ってきてよって言って作ってお金と交換したりとか。
はい。
それこそなんか知らん人とかやったら、なんかコンビニで待ち合わせしてとか。
へー。
なんか割とね、あのめっちゃ足で稼いでた感じ。
へー。
はありました。結構配達、割と配達してたイメージは結構あるな。
へー。
昔は。
うん。
そうでもうなんかそういうタイミングで、でうん、パフパフやりだして、
あの時もうでも1年2年3年ぐらい多分経ってたんすよ。
はい。
でその時に、もうなんか割とレゲエって感じじゃないというか好きやけど。
うん。
なんかその、あのなんて言うんですかね。
自分らもその当時その始めた時とか。
うん。
その前とか、やっぱそののぶのお兄ちゃんらの友達らがめっちゃかっこいい人らで。
はい。
顔も広くて。
うん。
でなんかこう、で服も着で宣伝してくれたりとか。
うん。
してくれてたんすけど、なんかこう、そのなんて言うんですかね。
当時お兄ちゃんが言ったブランドと、で僕らが。
それ時系列ちょっとややこしいんすけど。
はい。
なんかこう、自分らで名前つけてやってるから、もっと自分たちの力でその動かさんとなって思いもやっぱあって。
はい。
その頼ってまいすぎたらあかんというか。
うん。
もっと自分らの感覚とか。
はい。
こういう人たちに広げたいとかを、結構レゲエからもう一時離れてたから。
はい。
結構シンプルにこういう服をいろいろ届けたいって思ったタイミングがたぶんバフバフの3年目ぐらいかな。
1:06:00
はい。
でこんな時に出会ったの。
えー。
はい。
はい。
自分の声。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
はい。
ご視聴ありがとうございました
01:07:49

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