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和歌山市のランニングショップ、キセンランドトレイルの白石です。
ARCの植田です。
この番組は、和歌山で活躍する方々にインタビューをしていく番組です。
kisenradio第29回、2023年1月17日午後5時30分、
キセンランドトレイルで収録しています。
本日のゲストは、和歌山ウッディーズ辻岡さんの気になる人、喫茶ピュアのダンクさんこと松本雅之さんです。
ダンクさんの生まれから現在に至るまでのルーツや、現在の活動のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では早速ですが、ダンクさんから自己紹介していただいてよろしいですか。
松本雅之、よくダンクって呼ばれてますけども、昭和52年1月30日生まれ、もうすぐ47歳です。
もうすぐ誕生日なんですね。
そうですね。
よろしくお願いします。
喫茶ピュアっていう喫茶でやってます。
よろしくお願いします。すみません。
慣れてないんでごめんなさい。
収録前に言うの忘れたんですけど、もう編集とか全然できるラジオになってますんで。
分かりました。もうガンガン言うの大変ですね。
分かりました。もう全然。
はい、どっからいきましょう。
ではちょっともう昔のことからいろいろ教えていただくラジオなんですけども、
喫茶ピュアが去年で50周年っていうことなんで、
ダンクさんが生まれたときには、
ありましたね。
もう喫茶ピュアが。
ありました。
当時から場所はあの場所なんですか。
あの場所です。あれね、不動機の丘が資料館できたのと同じ年にピュアができたんですよ。
資料館、和歌山県がすごい古墳群やから、
資料館をして観光地にしようっていうことになって、
そっから資料館できるかっていうんで、
うちの母親が観光客目当てに、
今のピュアのある場所のちょっと近くでほったて小屋を作って、
コーラとホットドッグを売り出したんです。
それが始まりですね。
それでちょっと売れたんで喫茶店でも作ろうかって母親と妹と二人でやりだしたんですけども、
忙しくなってきて、
で、親父が毎日牛乳に行ってたんですけども、
辞めて、
母親と親父と妹と三人でやりだしたんですね。
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それが50年前ですね。
50年、そうですね。
そんな感じです。
その時ってキーフドピの丘もだいぶにぎわってたんですか?
だいぶにぎわってたんちゃいますかね。
ほんで喫茶店っていうのがなかったですからね。
まずコンビニもないし、
なんでしょう、なんていうのあれ、
ロイヤルホストみたいなとこ。
ファミレスみたいな。
ファミレス、そうそう。
それもなかったから当時はすごいにぎわってましたね。
うちの店も。
ふどきの丘も多分。
今はふどきの丘はそこまでやってなくて、
逆に今日が例物みたいな。
今ね、きのうほんでふどき一周してきたんですけど、
あれはあれでね、すごい人もおれんけども、
土日は居てますけどね、
それがすごいなんか、
一周するのは1時間ぐらいなんですけど、
古墳とか見て、きのうも1時間半から2時間ぐらいかけてみたんですけど、
なんかちょっと気持ちがあってリフレッシュできるというか、
近くにあれがあったら、最高ですね。
最高ですね。
ちょっと遊歩道みたいな感じで隣の仲間を歩けて、
いい感じですよね。
なるほど。
子供の時のダンクさんとかってどんな方やったんですかね。
まずね、小学校5年生の時に兄貴に部屋に呼ばれたんですよ。
はい。
で、「ちょっと来い。」とか言われて、
ほんで行ったらギターがあって、
ギターこれ弾けって言って。
それでね、弾かされて、
兄貴もなんかね、教えたいんでしょうね、僕に。
僕はそんな好き違ったんやけど、弾くわけですよ、ギターを。
それでだんだんギターが好きになっていって、
自分のギターが欲しいんやけど、
お小遣いじゃ買えないじゃないですか。
だから新聞配達をしてたんですよ。
小5ぐらい。
小5ぐらいの正月、元旦から始めたのよく覚えてるんですけどね。
それで新聞配達をして、
何ヶ月分かの給料を貯めて、
ほんでギターを買う。
その小5ぐらいからね、
働いてお金をもらうっていうのがすごい好きでしたね。
すごい勤労威悪というか、
小5からなかなか働こうって、
発想になかなかならないと思うんですけど。
それがね、僕の行ってた小学校やったら、
一人やったんですけど、
新聞配達。
中学校じゃなかったらね、
二人ぐらいおったんですよ。
家が貧しいとかじゃなくて、
お小遣いが欲しいみたいな感じで。
そうですね。
それで、何かあったら新聞配達で買ってましたね。
その時はどんなものを買ってたんですか?
ギターから始まり。
そう、ギターとギターのアンプ。
エフェクターって言ってギターの音を変える、
こういうぐらいの大きさの機材を。
06:00
そうですね。
それで、
当時はヘビメタとか、
どっちかというとアメリカのロックですね。
今、アメリカって言ったらヒップホップですけどね、
若い人らは。
僕らの時代は、
ロックやったから、
そのロックの好きな人のモデルのギターが欲しいみたいな。
中学生、小学生、中学生ですからね。
それで買ってました。
バンド組んでみたいな。
バンドはね、それ組まなかったんですよね。
僕は好きやったけど、
そこまで周りと一緒にやる自信がなかったというか、
そんなに上手くなかったから。
周りのやってる人が少なかったとかではなくて、
それもありますね。
それもありますね。
なんかバンドやろうぜみたいな雑誌とか出てて、
ほんでバンド組みませんかみたいな、
募集のとこをよく見てたんですけど、
そこまで勇気なかったと。
募集、行く勇気がなかった。
そうですね。そんな感じですね。
初号からずっと音楽好きでみたいな。
そうですね。
最初はもうビーズとかボーイとかでしたけどね、
中学校に入って、
アメリカのヘビーメタ、
ガンズとかイングベイキューやったかな。
ギターの早弾きみたいな。
キュンキュンってやるようなやつ。
キュンキュンキュンってやるようなやつ。
そんなのに憧れて、
よく練習してましたね。
中学校バイトしながらギターも。
そうですね。
中学校2年くらいまでやってたんじゃないですかね。
で、中3くらいの時に、
なんか都会に憧れたんですよ。
手っ取り早い都会って言うと大阪じゃないですか。
で、もう大阪の高校行って行きたいってなって。
で、とりあえず大阪の高校に受かって行くわけですよ。
で、1ヶ月通ったんですけど、
もうしんどいみたいになって。
で、向こうに住みたいみたいになって。
で、15、6ですよね、高1だったら。
で、ちょっとお金貯めて不動産屋行って。
すごいですね。
で、向こうに住むわけですよ。
この岸野里っていうところ。
学校が寺田町で天王寺でよくやったんですけど、
そこが岸野里で西大のちょっと南側のほうなんですけど、
そこに住んで、
で、バイトをしながら学校へ行って、
ほぼバイトですね。
勉強さ、
まだ沖縄って聞いたあるじゃないですか。
バイトをしながら学校へ行ってた感じですね。
そこの高校はどんな学校だったんですか?
そこの高校ね、もう男子校でとりあえず、
面白くなかったな。
面白くないっていうか、
09:00
大阪に行きたかった原因って、
夜のクラブとかにすごい憧れたんですよ。
それぐらいの時かな、高1、中3とか。
で、そこの学校は別にね、
ぶっちゃけ初めて行った時、
刑務所みたいでしたよ。
もう男子校でえげつない。
なんか匂いとかもするし、
柔道とかボクシングとか強かったんですけどね。
野球も強かった。一回こっちで優勝してた。
ユフネって知ってます?
阪神の?
そうそう、そこと一緒の高校なんですけど。
そうですね、ほんとになんか、
とりあえず体育の時間に、
グローム見たらみんなユフネって書いてるみたいな。
どういうこと?
憧れて?
学校の持ち物にグローブあるわけですよ。
そこにとりあえずユフネって書いといたら間違いないやろみたいな。
大阪人のギャグみたいな。
使ってたんですか?
そうそうそうそう。
あれ多分左利きだったんですけど、
右利きのグローブにまでユフネって書いてる。
そのクラブに憧れたっていうのは、
そういう情報とかってどこで出てたんですか?
何だったんですかね。
全く覚えてないんですけどね。
そこでさっき言われてたダンクマン、ダンクマンで
あだ名つけたやつが、
その高1の時にうちの家によく遊びに来たんですよ。
家近かったから。
その下宿というか。
そうそうそうそう。
そいつが大阪の高校の時の師匠見慣れ者で、
女同士やけど。
よく遊びに連れて行って、
アメリカ村とか連れて行ってもらって。
初めてここにか何かでクラブ行ったのかな。
もうびっくりしましたね。
こんなんないんやみたいな。
なんか音楽、好きな音楽が今は決まってるけど、
その時はあんまりこれがはっきり好きっていうのがなかった。
その雰囲気を味わいたいみたいな感じだったんで。
とりあえず毎週というか、
次に2、3回はクラブに行く生活してましたね。
バイトしながら。
もう18以上しか入れないんで、
18歳みたいな。
ごまかしながら。
その高2から。
そうそうそう。
その時はどんなクラブ行ってたんですか。
その時ね、今ね、
なんていう店になってるかな。
雨村の三角公園の横に
ドロップっていうクラブになってると思うんですけど、
昔はアースホールっていうクラブでやったんですけど、
そこと一番最初に行ったのが、
サンボールっていうボーリングがあると思うんですけど、
まだあるんかな。
そこの前にね、
12:02
前はグランカフェっていうちょっとかっこいいクラブやったけど、
その前にアンテナっていう
ヒップホップのメインのクラブやったのかな。
そこが初めてですね。
そこ初めて行って何回か行ったけど、
なんか音楽的に何かわからんけど、
アースホールっていうところが好みやなみたいになって、
行きましたね。
ジャンル的にはどんな音楽。
ジャンル的にはね、
その時、
でもすでにね、
ハウスっていう音楽。
ハウスですね。
ハウス。
そうですね。
入るに、
まあまあ高かったんですよ。
4500円で、
5万円以下なんかのドリンクチケットついてるみたいな。
5万円。
5万円。
そうそうそう。
その時、
僕ね、
22、23まで酒飲みやんかったんで、
オレンジジュースとか飲んでるわけですよ。
そこで。
かっこつけで。
そこのアースホールの店員の着てるジャケットが、
まあまあかっこよくて、
真ん中、
スーツ着てるんですけど、
バスって真ん中で、
こっちが赤でこっちが黒に分かれてて、
これ着たいなみたいな。
まあ結局着れなかったですけどね。
まあそんなんとかもあってちょうど、
雨村のど真ん中やし、
まあ田舎もんには、
まあ憧れてるような生活ができてたような気がしますね。
高校の時は。
けどそれに、
行くにやっぱりお金っているじゃないですか。
だから添文庁の、
えーっと、
なんていうんですかね、
あのー、
まあ居酒屋で夜中までやってる、
居酒屋でよく働いて、
一番多かった時ね、
めちゃめちゃ働いて、
高2で月25万ありました給料。
めっちゃ働いて。
だって昼は学校行くわけで。
昼は学校に寝てます。
若さゆえの。
そう、もう体力がすごかったから。
当時の時給で25万月食ってる。
めっちゃ働いてます。
まあまあ良かったですよ、多分。
夜中やったから、
まあ1000円ぐらいは当たっちゃいますかね。
で、その仕事が見染められて、
というかなんか働きっぷりが良かったかなんか分からんけど、
なんかそこの、
普通の居酒屋が当時あの、
なんていうんですかね、
えーっとね、
屋台村。
今もそこの味園の土地けど、
あの、ありませんや、そこの味園に。
屋台村みたいな、
あれですよ、居酒屋入ったらなんか焼き鳥屋あって、
串カツ屋あって、
何店舗かに分かれてるみたいな。
で、そこもするっていうことになって、
お前たこ焼き屋の店長になれって言われて。
で、高2か高3でたこ焼き屋の店長になったんですよ。
で、そのたこ焼き屋の店長は、
そこの屋台村なんか当たらなかったんですよね。
商売自体がそこの。
で、すぐ終わって、
ほんでフラフラしてましたね。
こんな話で大丈夫ですか?
15:02
大丈夫です。
大丈夫ですか?
高校の時は、
クラブが良いと、
そうです。
特に部活とかはもう、
中学で終わって。
そうですね。
部活も高校の時バレエ部入ったけど、
2回しか行きませんでした。
バレエ部なんですね。
高校の時はね、
中学校の時のバスケバブ結構練習しましたけどね。
そう。
ほんでそのクラブ行ってた時に、
えっとね、
そう。
こんなの言うてえんかな。
まあいいわ。
あの、とりあえず彼女、
えっとね、
そのアメリカ村の服屋、
高3の時に、
服屋によく行っている服屋の人が、
彼女になったわけですよ。
で、
その人に、
その人ちょっと年上やったんで、
その人に連れて行ってもらったクラブが、
これがね、
たぶん後々今の音楽にも影響してくると思うんですけど、
道頓堀にあるブルーナイルっていうクラブだったんですよ。
大凧って分かります?
道頓堀にある。
分からないですよね。
愛宵橋って分かります?
ああ、なんとなく分かります。
細い、なんかちょっと人通り少ない、
あの辺にあったんですけどね。
で、そこ、
それがもう完全にハウスミュージックっていう音楽を
よく掛けてたクラブで。
で、その付き合った人と、
高校卒業、
高校卒業する時ぐらいから付き合ってて、
で、僕も高校出たら、
就職とか専門学校とか、
大学のことも何も考えず、
とりあえずクラブに入り浸って遊ぶわけですよね。
そうですね。
で、なぜ、その服屋の人も、
ロッサンデルスに行くとかで仕入れに、服を。
思えば行けへんかみたいな感じになって、
連れて行ってもらうわけですよ。
それが初めての海外経験で。
で、ロスに行った時に、ロングビーチっていうとこを歩いてたら、
スケボーに乗った兄ちゃんとか、
もうほんまにアメリカですよね。
もうなんか完全にアメリカ。
もうめちゃめちゃ長いビーチで。
で、そこでピザ食べて、
僕もまだ18で英語も何もわからんから、
とりあえず圧倒されてるわけです。
アメリカ人とか。
もう飛行機降りた瞬間、
日本国人の兄ちゃんが道で、
こんなでかいラジカセを担いで歩いて歌ってるわけですよ。
もうすごいなこれ、みたいになって。
18:02
で、アメリカから、
なんかちょっとメキシコ行こら、みたいな感じになって、
サンディエゴっていうとこから、
メキシコ近かったんで、
ロス行ってサンディエゴ行って、
車で移動してたんで、その人らの。
で、メキシコ行こらって、
メキシコの国境を車で渡ったんやけど、
ちょっと歩いたらね、アメリカとえらい違うんですよ、雰囲気が。
もうなんか国境付近やから、
貧しい人らが道渡りにずーわー並んで、
手出してるわけですよ。
お金をくれと。
それがめちゃめちゃカルチャーショックで。
こんな違うんや、これだけの差で、みたいになって。
ちょっと超えただけで。
そう、ちょっと超えただけで。
肌の色もまあ違うしね。
それでなんか考えさせられましたね。
で、なんか帰ってきて、
で、次ね、そこの店がね、
次インド行くから行けんかって言って。
え、その店は?
その店。
何やったんですか?
その店。
まあもうデルセツのね、
ドロップ・ザ・ボンブっていう、
アメリカ村の、昔アニエス・ベイってある、
わかります?
あの三角公園の横に。
その裏側にあったんですけどね。
まあ、もうやってないんですけどね。
そこの次インド行くかっていうことになって、
もうね、インド行くわけですよ、18で。
古着屋ですか?
古着屋やけどね、
その音楽好きやったんで、
トランスっていうジャンルの音楽わかりますからね。
で、そのトランスの生地がインドやっていう。
服屋なんやけど、音楽に特化した。
イベントとかもガンガンやってた服屋なんですよ。
で、インドへ行くわけですよ、1ヶ月。
長い。
長いですよね。
まあ短期留学ぐらいですね。
そうそう。
インド行ったらまたね、
もう飛行機降りたら、
もうぼやっとしたオレンジの光しかないんですよ。
もう途上国やからね、当時は。
もうさやかに、もう20何年前ですか?
8年前とかになるのかな。
そうですよね、今47やからもうすぐ。
そうですね、今すごいバブルでビカビカしてるみたいですけどね。
当時ほんまに戦後の日本みたいなのにちゃいますかね。
で、えーっとね、
インド行って、
インド行ったらね、
すっごいなんか、ゴアトランス、
ゴアっていうとこなんですけど、目的地は。
そこのゴアってヒッピーの聖地で、
世界中からダンスミュージック好きと
が踊りに来てるんですよ。
一晩中。
で、それでまあ、
そうですね、そこで1ヶ月過ごしてたんやけど、
21:04
インドもまあ貧富の差が激しいから、
やっぱりその白人、
まあほぼ白人なんですよね、日本人と。
で、黒人はそんなにいてないですよね。
たぶんほんまにパーとか100人おったら2人ぐらいおるからみたいな感じなんですけど、
旅行客が。
それでまあ、
僕らはまあ好き放題遊んで、
一晩中踊って、
横で、
やっぱりメキシコ行った時みたいにお金くれみたいな、
これのギャップにすっごい悩んでね。
俺らは何をやってるんやみたいな。
そうやけど、そこのゴアにしたら、
観光客がどっさり来ていっぱいお金を使ってくれるわけですよ、レストランとかで。
で、それはそれでまあ自分の中でも、
これはこれでええんやろうなみたいな感じで、
1ヶ月まあそうやって過ごしてたんですけど、
帰ってきてからすっごい調子悪いなってね。
なんかいろんなこと考えすぎて、遊びすぎたんもあるし。
いろん、もうなんか、
ほんまにめちゃめちゃ調子悪いなって、
1年ぐらい鬱状態になりましたね。
カルチャーショックとか、いろんなこと考えすぎてしまう。
そうですね。あとまあ、もうほんまにあれですね。
そうですね。
そうですね。
その期間はお仕事とかはどうされてたんですか?
仕事ね、えっとね、
そう。
で、ちょっと待ってくださいね。
ちょっと一回頭整理して。
大丈夫ですかね。
面白いですね。
いや、ぶっちゃけね、
そうですね、やっぱりあんまりラジオで言わんほうがいいかもからな。
全然、ピーとかも入れられるんで。
ピーとか入れられる。
ちゃんと言いましょうか、ここで。
なんで調子悪かったかって。
ぶっちゃけインド行ったらね、
それでもう打ちのめされて帰ってきてから。
で、もうボロボロになって。
で、
まあ1年、2年ぐらいかな。
まあ仕事もやってたのかどうかわかります。
乱状態ですね。
その時は和歌山に帰ってきてたんですか?
和歌山に帰って、そう。
だから18で遊びすぎて帰ってきて、
もうお金もなくなったんで。
で、
そうですね、帰ってきて、そこのキリン屋ってわかります?
キリン屋?
今、マルハンっていうパーティング屋ありますよね。
あそこのチカラウドありますよね、横に。
そこの間に、キリン屋っていう服屋あったんですよ。
24:04
なぜかその服屋つながりで、
服、
そうですね、そこの2階住んでたんですよ。
あ、そこのドロップ・ザ・ボンブっていう服屋の服を
営業に着たんですよ、僕そこに。
そこでつながったんや。
なるほど。
で、気に入られて、
で、いいよ、喋ってて。
で、そこの2階住んでましたね。
そこの2階から多分インド行ったと思います。
2階からインド行ったって変な言い方やけど、
そこに住んでる時にインド行ったんですかね。
で、そのまま帰ってきて。
うん、そうですね。
ほんで家におったんかな、実家に。
そう、ほんで調子悪かった時にバグースを知って。
バグースってそんな前から?
ありますあります、昔からありますよ。
あれバグースね、最近リフォーム。
でも最近っつっても10年以上前。
もう20年くらい前なのかな、リフォームして。
あの舞台とか作ったんですけど、
昔もっとボロ…
あ、これやっぱ言うていいよ。
あの、ボロいっつかなんつーつかね。
まあ、もっと適当やった。
今はちゃんとなんかバーみたいになってるけど、
もう行ったらほんまに日本のヒッピーみたいな。
滋賀県の人が多かったですけどね、なぜか。
3、4人くらいスタッフみたいなのがおって。
ほんで、もう完全に流れ者みたいな感じですけどね。
話聞いてたらめっちゃおもろいですけど。
で、そこの調子悪いながらバグースをよく行ってたわけですよ。
ほんで気持ちわかるんですよ、その人らは。
なんか俺がなんでこんな状態になってんのかみたいな。
インド行って遊びすぎて、ほんで帰ってきて、
お前その調子悪いのはやりすぎやろみたいな感じ。
ほんでまあもう俺らもやったけどみたいな。
ほんでそれで調子わかるし、前海やし。
ほんであのバグースの秋さんとかも、
わかります?秋さんのオーナーの男の人いてるんですけど。
その人らもまあ寛大な人らで、
まあ俺をここにみたいな感じで。
まあバグースによく仕事をしてないときに行ってましたね。
でバグースにちょっと行ってて、
ほんでバグースで、
なんかスリランガ行くから、
お前も一緒に行けんかっていう話になって。
連れて行ってもらえる先生。
そう、それまで自分のお金で行ったんですけど、
一緒にとりあえず行こなみたいな。
なんかバグースってね昔ね、
今は多分やってないですけど、
夏やって儲けたお金で慰安旅行みたいな感じで
27:02
冬によく行ってたイメージがあるんですよ。
コスタリカ行ったりとかバグースがね。
その次スリランガのパターンのときに、
僕もよく行ってたね、
まあ一緒に来いよみたいな感じ。
で、じゃあ行きましょうかみたいな感じで。
俺そのときちょうどインドに友達が住んでたんで、
そいつに会いに行こうと思って、
スリランガからまたインド行くわけですよ。
で、インド行って、
1回目のインドは彼女と行ったんですけど、
2回目のインドはバグースメンバーでスリランガに行ってて、
スリランガから、
僕とその仲良かった友達と2人でインドに入って、
で、インドからその仲良かった友達と別れて、
単独行動になったわけです。
で、
インドで、
まあ今やったらコーヒーとか見といたら良かったなと思うわけですけども、
もうその2回目は、
ただ単に移動と観光と、
インドの聖地というか、
観光地みたいなのを見ようと思って。
で、
一番南のインドの先っぽあるでしょ。
あそこの一番下にカニャクマリという町があるんですけどね。
そっから、
長距離バスで、
東インドのプーナという町まで、
2ヶ月くらいかけて、
1人で行きましたね。
バスを乗り継いで行く?
バスを乗り継いで行くんですけど、
気に入った町があったら、
そこでちょっと滞在して、
インドで言う喫茶店、
日本で言う喫茶店じゃないけど、
インドの食べるところですよね。
そんなところに行って、
そんなビーチも好き違ったから、
ちょっと歩いたりして、
ただ移動してるだけって感じでしたけどね。
そうですね。
で、その友達のとこでまた、
ちょっと追って、みたいな感じですね。
景色とかもすごいですけどね。
で、また日本に帰ってきて、
日本に帰ってきて、
もう復活してるわけですよ、完全に。
2回目のインドは何もなかったから。
で、日本に帰ってきて、
とりあえずまだずっと音楽は好きやったんで、
ピアはあったんやけど、
ピアでアルバイトをしながら、
親父も現役やったんでね。
ピアでアルバイトをしながら、
お金を貯めたら海外に行くみたいな。
が習慣づいてて、
で、とりあえず音楽っていうか、
30:02
パーティーって言うんですけど、
好きなというか、
行きたいパーティーの目的、
パーティーをやってる国に行くんですよ。
いつだったかな。
次どこ行ったかな、インドから帰ってきてから。
で、それが2002年、次は。
2002年にアフリカのザンビアっていう国で、
日食があると。
日食に向けてそのパーティーがあると。
1週間。
1週間続けて。
ほんで、アフリカ行くってことになって。
で、アフリカ行くんですけど、
その時に付き合ってた子と、
友達と、
僕と3人で行くんですけどね。
アフリカどうせ行くんやったらピラミッド見ようなみたいな。
ほんでカイロ、やったっけエジプト。
エジプトまで飛行機で行って、
で、エジプトからケニア行って、
そっからザンビア行くんですよね。
で、日食を見るために、
みんな来てるわけですよ。
いろんなとこから。
テント持って。
キャム生活せえなあかんからね。
寝袋とか一式。
ほんで、それで行きましたけどね。
今までいろんな国行ったけど、
昼の空が一番綺麗やったわね。
ケニアがすっごい綺麗でしたね。
飛行機降りた瞬間も全然違った。今までと。
ほんでザンビア着いて、
タクシーでその会場まで行くんですけど、
サバンナみたいなとこで、
砂漠にちょっと木がパッパパって生えてるようなとこ。
そこでテントを建ててちょっと休憩して、
ほんで外出たら夜やったんですけど、
出た瞬間ね、地面やったらそうでしょ。
ほらね、星がね、こっからね、
全部こう、パーンて。
地平の。
もうすごい。
真横ぐらいに。
そう、真横ぐらいにね。
すごい感動してね。
確かに日本ではどっかしら山あったりとか。
そうそうそうそう。
それも強力でしたね。
アフリカのパーティーってどんな場所でやるんですか?
もうそれからね、
そこはほんまにサバンナ。
サバンナですよね。
ザンビアの空港ルサカっていうところ、
都市からルサカかなっていうところで降りて、
そのアフリカのパーティーは
アフリカのザンビアの人たちにとったら
また金儲けなんですよ。
旅行者がいっぱい来るから。
で、タクシーとかも
33:01
めちゃくちゃええ値段で
そこまで連れて行けるわけですよ。
アフリカ人の何ヶ月分かの給料1回行ったらあるみたいな。
それで行って、
パーティーは何なんですか?
結構有名なDJが来て、
そうですそうです。
そんな情報はどうしたんですか?
インターネットですね。
2002年やったらもう。
もうあったんですよ。
もうアイマックのこんななんか、
もうちょっとボコってなったアイマック。
ピンクとか青とか。
前世紀の。
前世紀、あのアイマック。
そうそうそうそう。
あれでね、日本でこうやって見てね。
それ要はチケット取るのとかできましたね。
チケット取るのもね、インターネットで取るんですよ。
もう僕ほとんど英語できないからね。
そうですけど、絶対行くぞよくと。
もう行きたいから頑張るみたいな感じで
取りましたね。
1週間ぶっつけパーティーを終えて、
また日本に戻ってきたんですか?
いや、それがね、戻らなかったんですよ。
戻らなかったんですか?
そっからね、ザンビアの向こうに
ジンバブエっていう国があって。
ジンバブエ以降に、
アフリカを観光するわけですけども、
世界一でかい滝があるとか言うて、
ビクトリアホールズって言うんですかね。
ザンビアとジンバブエの間にあるんですけどね。
その滝をなんか気に入って、僕は。
ザンビアのちっちゃいゲストハウスに
泊まっている時に毎日歩いて
2時間ぐらいかけてね、
市名のように見に行ってましたね、その滝。
で、その滝も、
滝って虹とかガンガン出てるわけですけど、
もう何本も出てるわけですよ、虹が。
虹の先がね、
日本だと虹って奥にあるような感じじゃないですか。
あれのデカさで虹の先がね、
ここに来てるんですよ。
足元ぐらいに。
足元ぐらいに、もうバンバンバンバン。
そこの滝に橋かかってるんですけど、
橋渡ったら橋の下見たらね、
360度の虹。
横の、もうタイヤみたいなやつ。
横向きにした。
そんなんとか見てね、もう
虹の価値観は完全に変わりましたね。
僕は見てないんやけど、
満月になってもそこに虹出るとか言って。
月光で。
そうそうそうそう。
そこでもちっちゃいパーティーやってるわけですよ。
そのアフターパーティーみたいな感じで。
そんなんとかもう、とりあえず。
ちょろちょろちょろちょろいって。
もうとりあえずアフリカ行ってる時は、
もう何か、もう何かわからんけど掴みたいみたいな。
もう、なんかこの音楽のなんかわからんけど、
とりあえず体に染み込ませたいっていうのがあって。
もうパーティーっていうのは全部行ってましたね、その辺は。
その時はもうすでにDJとかされてたんですか?
やってないです。
36:00
もう周りの人、後来はやってたけど、
僕はまだやってなかったですね。
そんでザンビア、ジンバブエ行って。
ジンバブエでも初めて。
ジンバブエ初トランスパーティーっていうやつにも行って。
それはね、ちょっとお金持ちの人の家のプール付きのとこでやってましたね。
それも一週間くらいやってたんかな。
そんでそっから、なぜか時差がないっていうことでヨーロッパ行くわけですよ。
ヨーロッパの下、アメリカでしょ。
で、アムステルダム、エトンなんですかね。
その時もう無計画でしたからね、とりあえず。
アムステルダム行ったら、
これは全然カットしないんでもいいと思うんですけど、
マリファナンは合法な国で。
そうですね。
オランダはそうですよね。
アンラクシとマリファナンと、あとピンク系なんちゅうでした、バイシュン。
これが全部合法なんですよ。
そこ行って、そこでも超カルチャーショック、マジで。
メキシコ行った時もあれやったけど、
オランダ行ったのが一番カルチャーショックやったか分かんない。
どういうところが?
空港着くでしょ。
セントラルステーションっていうところまで電車で行くんですけど、
電車降りたらすっごいマリファナンに匂いするんですよ。
降りた瞬間。
パーって歩いて行ったらコーヒーショップってあって、
コーヒーショップって合法的にマリファナンを吸えるショップなんですよ、座って。
そこでビールとか言うたら、ビールはハードドラッグやからあかんって言って。
タバコもあかん。
オランダそこの考え方としたら、マリファナンが一番体にいいんですよ。
それは最近よく言われてるんですけどね。
昔からそういう考え方の国で。
で、ちょっと歩いたらね、こんなちっこいこれくらいの窓の部屋があって、
奥に2メーターくらいの部屋。
そこに何十個もお姉ちゃんが水着で当たってるわけですよ。
売春用の。
そんなにええ?みたいな。
こんなかわいい子から、こんな、言うたら悪いけどみたいな。
すごい人まで、いろんな人おるんやなみたいな感じで。
それでね、道歩きながらマリファナンすると警察の横におっても何も言われへんし。
安楽島ではさすがに僕らも関係ないからね、それは分からないですけどね。
そこでオランダ行って、
その時まだユーロじゃなかったんですよ。
マルクはドイツやな、ギルダーか何かわからんけど、オランダのお金あって。
そっからドイツが、今でもそうなんですけど、電子音の首都ってドイツなんですよ。
39:05
ドイツがもうしきってるんじゃないけど最先端なんですよ。
多分今でも変わらないですね。
ドイツ行って、またそのドイツのでかいパーティーとか行って、また帰ってくるんですよね。
その帰ってきたタイミングで、今まで付き合ってた子と別れたんですよ。
ずっと一緒に行ってたんですか?
ずっと一緒に行ってました。
その後は結構英語達者なんで、旅も余裕で、僕も横にいてるみたいな感じで楽しめたんですけどね。
帰ってきて、ピアでバイトして、ピアのことはとりあえず金が貯まる店ぐらいしか考えてなかったんですよ。
バイト先みたいな。
しかもわがままなバイトをね、親父の子供やから言いたい放題みたいな。
遅刻もするしみたいな。今のスタッフとかに言うと本当に申し訳ないですけどね。
遅刻ってどういうのは起こってほしい。
ほんで、帰ってきて、別れたタイミングでまた俺ヨーロッパ行きたいなってなったんですよ、一人で。
ほんで今亡くなりましたけどね、ドイツ行った時にラブパレードっていうでっかいイベントっていうか、
ベルリンの壁が潰れた時からやってる何万人も、もう100万人くらい来るテクノのイベントがあって。
それがね、10トントラックに後ろスピーカーを積んで、ほんで街を歩くわけですよ。
その後ろに好きなDJがおったらその後ろをついて行くみたいな。
ほんで街でもバンバンやってるし、バーティー。いろんな関連の。
ほんでそこでバーティーやって、ヨーロッパも後転々と行きましたね。
そうやけど英語がそんなできんかったから、一人だったらそこまで面白くなかったですね。
ただその時も何かを吸収したいっていう一心でパーティー行って。
なんなんでしょうね、吸収したいっていうのは。
音楽で何かをしたいっていう思いがあったんですか?
なんかね、あったんですかね。その時は別にDJがやりたいとかって違って。
なんかパーティーに行って何を求めてたんですかね。
なんかそのパーティーで何かを感じてたというか。
そうですね。とりあえずね、今やったらもういいって音楽こうやって聴いてるだけですけどね。
体を動かしてね、何時間も踊ってましたね。
そこからどうなっていくんですか?
どこからですか?
この話はどう進んでいくんですか?
もうこの話ばっかりやってるのあれかなと思って。
42:02
それで行って、もう帰ってきてまだ3回目のインドに行くわけですけど、
もう多分同じような話になるけど、ここは端折って。
それで帰ってきて、またPRでバイトして。
お金溜まりました。
ここから完全に変わります、話が。
もう音楽は1回置いといて、お金溜まりました。
南米行ってないから、南米に攻めようと思って。
そんなに変わってない?
そう、今から変わります。
今から変わります。
それで南米行く金を貯めて貯まったわけですよ。
貯まったんやけど、なぜかヨーロッパ行った時によくPRのことが気になってて。
3ヶ月くらいだったら店に電話して、行けてる?みたいに聞いてたんですよ。
店行けてる?みんな元気?みたいな。
気になってて、とりあえず南米はいつでも行けるやろ?みたいな感じになって。
それたぶん27の時ですわ。
27の時に南米100何万か貯めてたお金で、夜間の辻町行ったんですよ。
PRを継ごうと思って、なぜかその時に。
PRやりながら大阪の天禄の辻町に1年半くらい通いましたね、必死で。
それも必死でしたね。
結構電車というかね、大変ですもんね。
電車、天王寺まで行って、地下鉄で乗り換えて、梅田の近くでしたからね。
そこで料理の勉強をやりましたね。
その前のバイトの時は料理とかはしてなかったんですか?
PRで。PRで料理とかしてたけど、ぶっちゃけ。
そうですね、なんでもやってましたね。
なんでもやってたけど、ぶっちゃけPRってね、これもうほんまに言う大変かどうかわからんけど、
昔は冷凍食品とかが出てきた時代でも簡単に作れてたわけですよ。
エビフライとかも入れた終わりみたいな、フライヤーとかに。
それが僕なんか引っかかってたんですよ。
コロッケとかもコロッケ定食とか通ったら袋から入れたら終わりみたいな。
何もかも冷凍化されてて、ちゃんと作ってるやつもありましたよ。
オムライスとかちゃんと作ってましたけどね。
それを変えたくてね、学校行きながら。
今はちゃんとエビとかも皮むいて、伸ばして塩コショウやって、パン粉つけてちゃんと揚げてやってますけどね。
手作りに憧れましたね、当時は。
その手作りにしていくために辻町に行って?
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そう、辻町に行ってたからだったんかな、もしかしたら。
両方に全く興味なかったんやけど、何かやら何か見たいなって。
で、いろいろ勉強するわけですけどね。
辻町もそうですね、役に立ってんのかなっていう感じだったんやけど、今となっては役に立ってると思います。
その時もピュア相手30年くらい?
いやそんなに立ってないんじゃないですかね。
あ、そうか、30年くらいですかね。
僕が27くらいの時やから、20年前。
そういうことはさすが。
その時ピュアってどんな感じやったんですか?
めっちゃ忙しかったです、めっちゃ忙しかったです。
昔ほんの親父の時は夜の9時くらいまでやってたんですかね。
それでもね、まだコンビニも少なかったし、
ちょこちょこちょこちょこマニできてましたけどね。
ちょっと暇になってきたかなっていうくらいですかね。
劇的に変わったんが、コンビニがめちゃくちゃ増えた時。
それ何年前か僕も分からないですけど、
それまでコンビニなかったから近くの会社の応援の人とか、
あとバス停なんですよ、うちの前に。
南海バスの。南海バスのうんちゃんとか、
うちのバス停作る時間を言って、その時間に弁当作っておいてくれみたいな。
本当に行くからみたいな。
そんなんが結構あったんですけどね。
そういうの全くなくなりましたね、コンビニで。
みんなコンビニで済ませちゃって。
そうそうそうそう。
そういうのもちょっとあったんで、まだ流行ってるけど、
ブラッシュアップしていきたいなって。
そうですね。
そんなんに対抗するにも手作りかなとは思ったかも分かりませんね。
コンビニやったら簡単なものですからね。
その当時から結構メニューとかは変わっているんですかね。
確実に。
手作りでできるもので、より自信のあるものを出していく。
そうですね。
名物メニューは手作りでした、昔から。
親父の考えたやつとか。
名物メニュー、昔からあるのは今で残っている?
ピアロップカレーってよくみんな頼んでくれるんですけどね。
あれぶっちゃけね、親父が考えたって言ってるんですけど、
親父が行ってたスナックのママに教えてもらったっていう裏話が今の。
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これはちょっと面白い。
スナックのママすごいっすね。
スナック多分ね、タヒチやったかな名前。
川向こうの、川向こうから米田かなんかあると思う。
農川からちょっと向こうからいた。
あの辺にあったスナックの話では聞きますけどね。
そこであれを出してたんですね。
そこで教えてもらって、ほんでピアの名物にしてたっていう。
ピアは日本語史を入れて、そこからやっていくわけなんですか?
そうですね。通じ町行きながらそっちにシフトしていって、
親父もともとあの辺農家やって。
親父もずっとピアやり始めてから、店の米はずっと自分で作ってやってたんですけどね。
それも本腰入れてやってましたね。
農業のお米作りの方もダンクさんも。
僕も手伝ってましたね。去年までやってましたけどね。
今年から去年というか去年ですよね。
去年すっごい迷ったんですけどね。
ぶっちゃけも離婚して子供を見てるから一人に見えなあかんし、
なんかすごい忙しいタイミングでいろいろあるから。
米は今年から作らんとこうって一回ちょっと休憩かなと。
それまでもう一年も休まんとやってたんちゃいますかね。
今今年というか去年は畑は休ませて。
去年やって今年から。
今年は休ませる。
休ませるというか茶豆、ここにも出た。
茶豆さんがやってくれるみたいですね。
僕が使ってた田んぼ。
去年も作ってました。
去年はまた違うとこ。
去年がね、僕が縮小させたんですよ。
その縮小させた分を茶豆さんがやってくれて、
今回は全部撤退するから、その撤退分がまた茶豆さんがやってくれるからですね。
僕も自分の田んぼというか、
親父が死んだときの遺産相続で、
全部田んぼはニッキーが持っていったんで、
もううちの家の田んぼというのがなくなったんやけど、
うちのお客さんで農家でも年取ったりとか、
養成からやってくれへんかみたいな田んぼが何本でもあるんで、
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そういう人らを借りてやってた感じですね。
縮小させたピカはそこからどうなっていく?
そこからね、
どうなっていく?
どうなっていく?