だいたいクラスに一人は色弱がいるという計算。
僕はいつもそのクラスの中の一人だったんで、僕だけ迷路がゴールまで行けなかったりするんですよ。
みんなからおちょくられるんです。
何分からないんだこれがって言われた時に僕が難しいよこれみたいにちょっとちゃけられてたんですよ、まだキャラクターにしてたから。
その色弱の健康診断で引っかかった人だけが、5時間目の授業中にもう一回色弱の人だけに向けた再検査みたいなのがあったんですね。
色弱の中でも第2章第3章みたいなのが何になるかっていうのを再検査しなきゃいけないっていうので、
常に僕たち色弱チームは再検査のために公然と授業をサボれてたんですよ。
5時間目の最中にそれぞれの色弱くんが呼びに来るんですね、隣のクラスの子。
隣のクラスの子が検査やでーって言われたら、あーおっけおっけーって。
で、今度僕はまた隣のクラスの子に検査やでーって呼びに行くっていう。
あれが僕はすごく好きやったんですよ。
もう誰にも怒られずに授業をサボれるっていうこの優越感で、やったーって思って。
みんな授業してるのに僕らだけ廊下を歩けてるんですよ。
やったやったやったーって言って保健室にボンと集まって。
もう馴染みのメンバーじゃないですか。
すごくこうニコニコして喋ってたら、ある時ですね、その中の一人男の子。
絶対と言っていいぐらいの一番モテる男の子やったんですよ。
モテるし、スポーツもできるし、僕からしたら何の不満もない人生を歩んでるんですよ。
そういう人生だろうと勝手に決めつけてたその男の子が、色弱でもう自分は死のうと思ったんだみたいなエピソードを話してくれたんですね。
びっくりして、えー、俺こんなに公然とサボれるって喜んでるのにもかからず。
そっか、この子はそれが嫌で嫌でみんなと違うっていうことに対してすごく深く悩んでたんだと思ったんで。
僕は開き直ってポジティブシンキングになれたのは、これ親の影響で感謝しなきゃいけないなと思ったと同時に、
そういう同級生の繊細さっていうのに触れてすごくいっぱい気づきをもらえたんですよ。
なんかこう、イエーイみたいにするのもあかんなというふうなことをその友達に教えてもらいましたね。
で、それからですね、あるテレビ番組を見まして、色弱っていうのはやっぱり持って生まれたものだから、
治すものとかでもないし異常なものでもない特徴の一つなので、
そういうのは差別になりますよみたいなことを特集しているテレビがあったんですよ。
つまり、僕らは現行診断で色弱って判断されたら、就職も限定されるんですね。
色弱の人はこの会社を受けられませんみたいになってた当時だったんで、
そういうことしたらダメよっていうふうなことの戦いをテレビでやってたっていう特集をたまたま見たんですけど、
そういうことなんだと。
むしろそれが色弱じゃないままそのテレビを見てたらもっと無関心だったと思うんですけど、
僕は一応色弱側のほうでそのテレビを見ることになって、
色弱側にもかかわらずそこまで大きく考えなくてもいいのにすら思ったんですね。
もうこんなのしゃーないしなと。
就職先がもし限定されるようになったら、その限定された就職先で俺だったら生活しそうやけど、
って思ったんですけど、やっぱりああいう声を集めて、
ちゃんと提言するっていう活動をしてくれてる人がいて、
次の時代に色弱っていうものが差別として考えられるようになったっていうのがあったから、
やっぱり皆さんすごい努力をしてるんだなと今でも思います。
そういうテレビを見たときにそのテレビの特集の中で、
緑と赤が苦手なんだっていう僕と同じ種類の色弱を持ってる人が、
あえて緑と赤がわからない僕が描く絵っていうのが、
違う感性があるからって評価されるんですっていうその画家の活動してる人たち。
行き切った感じのカッコよさというかね。
本来やったら葉っぱが緑で、右が赤色。
行ったらそういう赤と緑を使い分けるんだけれども、
僕たちが描くと違う絵になるんですよ。
緑と赤の使い方というか表現の仕方とかが違うことになったりするので、
その深みが出る、目線が違うというか見る角度が違うというか、
それを一つの芸術だって捉えるところにカッコよさがあったんですね。
僕は多分無意識にそういうヒントだけはいただいてたんだけど、
特性を生かすっていうのはこういうことなんだなというのをなんとなく、
確信にまでは変わってなかったんですけど、
ヒントだけもらったまま大人になりまして、
結局僕は赤と緑とか色弱とかっていうふうなことではなくて、
そもそも目、視力に頼らないっていうふうな決断をしたんですね。
高校のときぐらいかな。
僕は音楽が好きなんでライブハウスとかでライブ活動とかしてたんですけど、
ほとんど見えてないというか、自分で見た目のものは信用してなかったんですよ、自分自身が。
色だけじゃなくて、形も。
僕が見たらこうだったみたいなことを人に報告したらまた吊るし上げられるから、
そもそも僕は見えてないというか、
心の平穏を保てるって思ってたんで、
ライブでも全然見えてないまま演奏してましたね。
っていうふうに視力に頼らないっていうふうに決めて、
眼鏡もかけてなかったです。
大人になってね、運転免許というのを取ったら、
そのときだけはどうしても自分の目が見えてなかったんですよ。
大人になってね、運転免許というのを取ったら、
そのときだけはどうしても眼鏡をかけなきゃいけないってなって嫌むなしですけど、
今でも車も転するときだけです、眼鏡は。
というふうに視力全般を当てにしないという生き方でいったんですね。
これは令和になって、目を節約するみたいなキーワードが飛び交うようになったら、
僕のそれまでの生き様が返って評価されるみたいなシーンがいくつか出てきましてね、
不思議なもんだなと思いますけど、そういう自分の流儀を一つ決めれば、
どっかのタイミングで何かむしろそれのほうがいいんじゃないかって言ってくれる人もいるんだなっていう手応えが感じられた一つでしたね。
あとは目だけを信用していないっていう生き様が、物の本質を捉えるときには必要だよみたいに、
歴史上の人物の末裔の人がいるんですよ、名前出せないですけど、
すごく序命な人にそういう評価をしていただいたりするので、
色弱だからその色弱を直そうみたいな努力よりも、色弱だからこそ気づけた部分、
それをボンと突出して出していったら、それが一つの評価対象になったっていうのは一番気持ちいい形だなと思ったんです。
というこの色弱のエピソード、これが今お話でも聞いていただいて何となく気づいていただいたと思うんですけど、
HSP、HSS型HSPっていうもの自体とすごい似てるところがあるなと思ったんです。
HSPっていうのも誤解がなくなり、ちゃんと直すもんじゃなくて、自分の気質なんだよということが一般用語として浸透すれば、
必ず認め合えられる、それが当たり前っていう風なところがもうすぐそこまで来てるんじゃないかなって思うんですよ。
HSP、HSS型HSPっていう方たちがそれぞれに自覚し合い、またそうじゃない人たちも、
HSPって気質なんだねっていう風なことを分かり合えたら、僕は大げさじゃなく世界は平和になるなと思ってます。
特にHSPの方っていうのは自分のためっていう原動力をほとんど発動しなくて、
人のためにしっかり動いて動いてっていう風に、動かざるを得ないぐらいのパワーをお持ちなんで、
そういう人たちがその人に喜んでもらおうと思って行った行動、それが正当に評価されるというか、
フェアな形でありがとうっていう風な交換をし合えるっていう風な、これが今よりもっともっと誤解なく進めば、
本当に世界平和待ってるんじゃないかなと思いますんで、
僕の色弱っていうものがヒントになって、色弱もしっかりと着地ができてるようなイメージがあったから、
HSPも必ずそういう日が近々訪れると思います。
ですから私と同じようなHSS型HSPの人も、僕たち自身が気持ちよく生きるっていうことと合わせて、
何かこうしなきゃいけないみたいな決まりごとにとらわれずに、これ一つの特徴ですという中でできる社会貢献とか、
自分が気持ちよくなるための行動、そういったものを一緒に追求していきましょう。
ではですね、今日はHSS型HSPのキラテンが色弱であったが故に気づけたエピソードということをお届けしていきました。
またこんな風に皆さんも、それだったら私もこういうとこあるかもしれない、
みたいなことを気づいたら知らせてもらったら嬉しいです。
キラテンのホームページからですね、交流会のお知らせとか、個別で私と無料でつながるというふうなこともできますし、
私がね、HSS型HSPなんで、コミュニティとか所属するなんてあんまり得意じゃないんですよ。
ですからキラテンの場合は、ここに入って会員になってつながりましょうっていう風なんじゃなくて、
ラジオを聞いて、ちょっとキラテンシンパシーあるなと思った人がご挨拶程度にね、
いつもラジオを聞いてますっていうのをダイレクトにオンラインの画面越しに言っていただくとか、その程度のことですので、
何かしっかり会員になって、その会員に参加するのがもししんどくなってきたみたいなことがない形で、
皆さんといつでもつながれて、いつでも離れて、何の制約もないという中であったら僕は嬉しいですし、
私もそっちの方がいいという方はぜひまたね、キラテンのホームページで、
無料相談のところとかも覗いてみてください。
私のエピソードはこうなのよみたいなことも教えてもらえたらすごく嬉しいです。
では次回もお耳にかかることを楽しみにしております。
ここまでのお相手はキラテンでした。
こんなんでいいんだ。