何々さんというお名前を覚えるほどのキャパシティがないので、
もうもっぱら男性の声優さん。
あ、カジ君だ。
あ、平田さんだ。
お、中井君だ。
そういう、森川さんだしてるやんとか。
そんなね、声優さんを友達扱いみたいにしちゃってて、
男性の声優がどんどん楽しく当てていくみたいなね。
最後のエンドロールで、あ、やっぱりとか。
あ、今回この人ちょっと違う声色でやってるよねとか。
というふうな耳のトレーニングを使っているという対象もアニメになります。
でね、主にそのHSPならではっていうと、やはりこの勇気をもらっている
っていうところがアニメなのかなと思うんです。
それこそ今ね、推しムーブメントというか、推し消費。
推しの何々がいるんだ。
アニメで言ったらキャラクターになるんですかね。
そういう推しキャラは誰々っていうところから、
それこそ経済が動いているっていうふうな現状ですけども、
あれは原理は何より、そのキャラが素敵って言っている自分が好きということなんですよ。
僕はすごくそれが良いと思っています。健全だと思っています。
キャラに対しての愛が深いくって、どんどんのめり込むっていうこともね、
なんかやっぱそれって、出どころというかゴールがないというか、
ずっとそのキャラへの一方通行の思いで終わっちゃいがち。
だからそのキャラが好きな自分が好きっていうふうなところの原理をしっかりと
自覚しながら用意しれるというかね、難しいさじ加減ですけど、
自覚しながら用意しれたら、結局そのキャラを応援している時の自分の気持ちっていうのは、
やはりテンションも高く、仕事とか生活とかがリズムよく進むというふうなことがね、
もう肌感覚でわかってくると思いますんで、そういうのを取り入れている人たちが多いっていう昨今は、
僕にとっては非常に良い世界だなと思っているんですよね。
HSPの人も敏感だからこそそういう、推しキャラなんとかみたいなのは多分カテゴライズが苦手ですけども、
そうやってファンであるっていうことを上手に距離感を保ちながら楽しんでらっしゃるんじゃないですかね、HSPの人は。
現実逃避っていうのがネガティブなイメージですけど、現実ではすでに疲れすぎてるから、
そこにちょっと休憩の一環で自分の好きな世界にどっぷりはまるっていうアニメの存在、
それは好きな世界に行ってる時の自分のこの心の平穏さが好きなのよ、
自分に言い聞かせている人が多いのかなと思うんです。
だからすごく素敵なムーブメントだなと思いますし、そういったことをね、アニメっていうことによって使い分けていける。
それがね、HSPは敏感・繊細っていうキーワードがちょうどマッチするんじゃないかなとキラテンは思っています。
さらにですね、勇気をもらっているという表現の仕方なんですけど、
これはアニメ含めてですけど、エンターテイメント全般に言えますよね、やはりね。
映画であったりとか、それこそ歌の世界でもね、
僕はこのグッと来るなという、すごく敏感に感じますね、そこは。
今回のお題がアニメなので、アニメっていうことで言うと、作り手の愛、感じる時にまだ感動しません?
アニメのストーリー自体もそうなんですけど、今ってやっぱり原作があってのアニメーションっていうのが多いのかなと思うんです。
そうなったら、原作を知っていてそのアニメーションを見た時に、
わお、これって原作をだいぶ好きな人が作った感じだよねとか、
ここをこう再現するってもう愛だよね、っていうのにまた震えません。
キラテンはジョジョ好きなのでね、それこそジョジョの第一期のアニメーションが最初にオープンしてね、
2話目から上風動画さんのオープニングが流れた時なんかはもう震えましたね。
これが大人が真剣に遊ぶっていうことをしながらのエンターテイメントかと思ったので、
そういう作り手の愛を感じる時にアニメがそこそこ自分の存在の中で大きいなと思いますよね。
その作り手の愛っていうのは2つに大きく分けられるのかなと思いまして、
1つが客のニーズに応える、この両思い感っていうのかな。
だからしっかり反応してくれるんですよね。
くれるってなんかめちゃ偉そうでしたね、ごめんなさい。
しちゃうじゃないですか、僕ら反応。
こんなアニメでこういうオープニングがあった、こういうストーリーの時にこんな再現方法があったってなったら、
すっごい分析するでしょ。
僕は分析までして公表とかあんまりしないですけど、みんなすごいじゃないですか。
それこそ世界中でね、YouTubeとかでもここの考察がこれこれっていうふうにドーンとすぐ反応してくれる。
あの反応ってやっぱり作り手の方嬉しいと思うんですよ。
見てくれてるっていう単純な嬉しさと、あとはしっかり自分たちがこだわったところをちゃんと見逃してくれていない、
そんな客がいるんだったらもうちょっと作ってやれみたいな、そういう両思いがフルパワーで広がっているっていう。
この愛の膨らみ方って嬉しくないですか。
そこにこう感じるものありますよね、アニメ見てるだけでね、
これって作り手とファンの人がどっちも盛り上がってるなぁみたいなのが、あれすごいです。
でもう一つが、原作ファンのこの作り手の人がもうすでに原作のファンなんで、
やってやるぞっていうスピリットがドドドッと出ているとき、これが作り手の愛を感じるなと思うんです。
客のニーズの反応があってさらにそれにかぶせるっていうのが1個目に対して、
2つ目のやつっていうのはそもそもの、客のニーズがあろうがなかろうが、
俺どんだけ好きだと思ってんねんとか、私この原作どんだけ好きだと思ってるの、みたいなことを
アニメ制作っていう表現方法でぶつけてくれているような気がするときに、わぁ感動するなぁって思うんですよね。
なんかいい関係ですよね。
これね、僕感じるときにちょうど思い出すのが、日本のエレベーターの技術者さん。
ちょっと全然ぶっ飛んだ話なんですけど、海外に行った方、行っている方ご存知なんですけど、
海外のエレベーターの止まる事情というか、床とエレベーターが止まったときの誤差。
数センチとか数ミリとかっていうのはやっぱりあるんですよね、海外のとき。
ゴロゴロのカバンをそのまま海外のエレベーターが開いたから下ろそうと思ったらガチャンって引っかかるみたいなのがあって、
別に海外の方はちょっとぐらいの誤差って機械やからそんなもんだっていう形でのクオリティだと思うんですけど、
日本ってもうすごくないっすか。
1ミリでも多分あれ多いんだと思うんですよ。
0点何ミリとかで調整して調整してってやって、
これちょっとこのねラジオ聞いた後ぜひ皆さんエレベーター乗るときに思い出してみてください。
もうほぼ床と同じ高さでしょ、日本のエレベーターって。
あれこれ僕の勝手な妄想ですよ、妄想ですけど、
多分ねその日本の技術はすごいとかあれを超越して、
エレベーター技師の人はもうやってやるぜのスイッチが入ってるんやと思うんですよ。
これあのちょっと誤差があるとかがもう許せない。
ちゃんと床ぴったりやんっていうところになるまで何とかしてやるんだっていう風なことを
いろんな段階の人たちが全員その意識でやってるんちゃうかなとも想像できるんですよね。
そうじゃないとね技術というかその数値が云々とか機械が何かしてくれるとかっていうだけではやっぱ説明できないですよ。