すごいですねよろしくお願いします
それこそ今だとkintone界隈で4足のわらじって言ってるお坊さんとかもいらっしゃる中
いらっしゃいますよね
傭兵さんももうすでに4足のわらじ履いてる状態っていうわけですよね
ここで気になるのはどれから聞こうかなどれも気になるんですけどね
会社員としてSIR組織変革に関わらせてもらってるっていうところなんですけどもkintoneは主にここで使ってるみたいなイメージですか
kintoneに限らずですかね
kintoneに限らずですね濃厚度の一部としてもちろんkintoneっていうキーワードはありますし
ここ近年ですとお客様がkintoneってどうなのっていう話っていうのはどんどん割合が増えてきてるんですけども
本当kintoneありきのシステム構築とか支援をしていたわけではないですね
なるほどなるほど
でそこから個人事業主にもなってるっていうことなんですけども
結構前からやられてるような印象があるんですけど
そうですね
副業とかがあんまりメジャーじゃない頃からやられてるイメージで
しかも会社も大きな長い会社なのであんまり副業OKみたいなイメージがないところで
なぜ副業をする個人事業主をするっていう流れになったのか
そしてなんで許可がもらえたのかっていうのも気になるなと
おー面白いですね
これ面白いのが副業の話をするときにまたkintoneの話に戻るんですよ
どういうことですか
それなぜかというともう本当10年ぐらい前なんですが
私が社内でやっぱり何年かにか新規ビジネス立ち上げようみたいな風土が出てくるわけなんですよね
その中でちょうど2014年ぐらいに地方創生っていうキーワードが出始めた
かつ成功で東京オリンピックが確定したような時期なんですね
2013年に東京オリンピックが多分決まって
2014年ぐらいから地方創生ってキーワードが生まれだったみたいな形の中で
僕自身はどうせだった今まで新しい製造業のお客さんをメインにIT支援してたんですけど
全然違うマーケットで新しいビジネスを立てた方が新規ビジネスって言えるっていうのは僕の中であって
あれば確実に盛り上がるであろうっていうターゲットに対してやった方がいいんじゃないですかみたいなことを言ってて
当時今となればあまり聞かなくなったけどビッグデータってキーワードがどんどんまた出てきたときに
観光ビッグデータっていうキーワードを掲げて地域のいろんな情報とかを
マーケティングしっかり回せるようにしていくような支援をしていきたいというのを掲げたんです
その時にちょうど金トーンがいいよねっていう情報があって
金トーンをいろいろ調べたら観光地域とかで金トーンを活用している事例とかもちょっとずつ見えてきたので
試しに金トーンをお客様の地域に活用していくようなことをやりだして
多分当時だからフォームブリッジじゃなくてフォームクリエイターって言ってた
フォーム作ってQRコードを観光地域のいろんなところに置いてデータを集めてみたいなことをやってた
っていうところからちょっとずつ僕は金トーンとサイボースターの関係が強くなりました
それと一緒にやっぱり超大きい
表現があまりよく合わないかもしれないんですけど
今まで大企業しか相手にしていなかった自社が
そういう地域とかを小さい支援をずっと続けていることってビジネスとして成り立つのかっていう座長って
一旦は保留になっちゃった
とはいえもう求められているとか必要性はあったので
こういうことを本当にやり続けるにはもう辞めないとできないんですかねっていう話をできるような関係性の役員がいたので
もう一つがさっき言ったサイボーズさんと地域活動でやり取りしたメインの人が中村龍太さん
今だとエフェクチュエーションで有名になった
当時副業家で人参持っていろいろテレビだメディアとか出てた龍太さんとしょっちょしょっちょやり取りしてて
でその時に
その自社の役員僕がいて龍太さんがいるみたいな場がたまたま起きて
で龍太さんの方もその役員に対して
その御社ってあんまり副業とかまだまだ
検討されてないんですかねっていうところから
人事規定を法務的にチェックすると
もうNGとは言い切れないとは言ってんだけどねみたいな話が出てて
ってことは交渉したらOKですよねっていうことを僕は受けた
で半年ぐらいその役員と
あとは人事系の役員と交渉してある程度会員の中で
当時社員600名の会社だったんですけど600名の中で
僕だけが副業OKっていう名状が得た
唯一無二の存在になったわけですよ
それがですね2018年とかなので
4年かかってる?
2018年に許可をもらったんです
2016年17年ぐらいで
その事業の地方創生とか
データ活動っていうのを16年から18年ぐらいに
閉じられそうになっていて
それを続けるためにはっていうのが18年ぐらい
2018年ぐらいに判断しなきゃいけなくて
副業っていう点でやるっていうのと
あとはおそらく当時の役員はこれ
やめろって言ったらいいかやめるって言い出しそうだなっていう
そこは逃したくないってちゃんと思われてたんですね
そういう強度な交渉っていったっていう感じじゃなくて
しっかりと交渉したっていうので
っていうところがありますね
それでも足掛け2年ぐらいかかって
ようやく副業OKまでかかったんですね