今回は、越境を実験する人・小林こず恵さんにお話を伺いました。
越境文化を広げる活動、そして日本遺産の普及活動など、様々なお仕事をされているこずえさん。まずはその「越境」についてから、お伺いしました。
越境実験室:https://ekkyolab.jp/
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https://stand.fm/channels/6513739a0bc9d6e1d690bae1
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サマリー
越境を実験する小林こず恵さんが越境文化の普及や日本遺産の広め方について語ります。また、越境実験室を設立し、新たな越境の機会を提供する活動を開始しています。小林さんは越境体験を通じて日本の素晴らしさを再認識し、地域活性化の必要性や日本遺産の魅力について話しています。彼女は日本遺産研究会を設立し、地域おこし協力隊への関心の高まりも感じ取っています。
越境文化の広がり
ゆいなわさんの聞く人ラジオ
皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は、越境を実験する人・小林こず恵さんにお話を伺いました。
越境文化を広げる活動、そして日本遺産の普及活動など、様々なお仕事をされている小林さん。
まずはその越境についてからお伺いしました。
小林さん、最初にお仕事は何ですか?
これが一番、私がうまく説明できないところですね。
お仕事、いくつかやってるんですけど。
いくつかやってる、はい。
一つは、今、越境文化を広げたいなっていうのがあって、
いわゆる越境学習っていうものなんですけど、
それを広げる活動っていうのをまず一つしています。
その広げる活動の中で、広げるっていう中でいくつかお仕事があって、
その越境をしたい人のきっかけづくりとか、越境活動の支援みたいなところと、
あとは越境したい人の思いとか、そういうのを記事で発信したりとか、
そういうようなことをやっているっていうのがまず一つです。
あともう一つが、後半も多分好きにもつながるんですけど、
日本遺産を普及する活動をしていまして、
日本遺産検定とか、日本遺産ソムリエを増やしていくような活動とか、
日本遺産学校とか、講座とか、そんなようなことをやっているという、
大きく分けるとそんな感じです。
越境の意味
最初に越境のことをお聞きしたいんですけど、
越境ってなんだろうっていう感じは最初思うんですけど、
何をすることが越境なのか?
逆にもしイメージしたものがあれば。
例えばお仕事されている方が別の土地に行ってとか、
それでその先でどうしようみたいなときにお手伝いをするとかなのか、
境を越えるわけじゃないですか、越境ってつまり。
何の越境なんだろうっていうのはちょっと不明なと思うんですけど。
そうですね。
多分イメージしているところと大きく違わなくて、
広い意味でいうとそういうことだと思うんですよ。
私たちが支援しているのは、会社に勤めていらっしゃる方が、
本業以外の経験とかっていうのを会社の外でして、
それを自分の人生とかキャリアとかお仕事に活かしていくっていう。
そういう中で行って、それをまた戻ってくるというか、
そういう経験自体を機械を作ったりとか、
それを推進したりとか、そんなような感じですね。
そっか、じゃあ例えばお客さんみたいな方は会社勤めしているような方で、
そういう方が例えば農業やりたいとか、カフェやりたいとか、
そういうのをどこか違う場所でやるのを、
じゃあこういうのありますよ、みたいなことをお手伝いする感じ?
今後そういうのをやっていきたいなというふうに思っています。
具体的に話すと、今ロンギールっていう会社があって、
そこのお手伝いをしているんですね。
そこがまさに越境を支援する会社なんですけど、
基本的にはベンチャー企業に大企業から行くっていう、
そういう越境なんです。
半年とか1年、何万人にいる大企業の人が半年、1年まだ立ち上げたばかりとか、
社長と2人、3人くらいしかいませんみたいな環境に行って、
そこで大企業でできない修羅場経験をしたりとか、
そういう経験をして、それをまた大企業に戻ってきて、
何か活かしていくっていうような、
そういうプログラムを提供している会社があるんですね。
そこで今私は越境経験をした人たちが、
どんな経験をして、どんなスキルが身について、
みたいなことをお話を聞いて、記事にしたりとか、
越境ってこうなんだよ、なんていうコラムを発信したりとか、
そういうウェブメディアの編集長みたいなのを、
1つメインでやっているんですね。
それをやりながら、やっぱり会社が、
そういう制度を導入しないと、
そもそも会社員の人たちは行けない。
でもそれだとなかなか広がらないよねっていうところと、
あとやっぱりベンチャーに行くっていうのは、
人によってはハードルが高いというか、
ある意味、例えば半年、1年もフルコミットするっていうのもあるので、
逆に本業から離れてできるので、いわゆる就業時間内みたいな、
そういうふうに捉えると、
それはそれで半年、1年だけ転職するみたいな感覚で、
行ける人もいるんですけど、やっぱり全然知らない。
しかも全然組織規模の違う会社で働くっていうことに、
やっぱりハードルを感じる人もいたりして、
だからこれはこれですごく大事だからやっていくんですけど、
もっとその裾野を広げていくためには、
もっと気軽にできる越境活動を、
かつ別に会社がやらなくても個人としてできるみたいな、
そういう機会も広げていけるといいよねっていうので、
ウェブメディアで発信するなんていうのをやりながら、
その個人の越境を支援するプログラム兼コミュニティを、
越境実験室の設立
3年半前、4年前かな、2021年。
4年前にそこのロンでいるっていう会社の中で立ち上げたんですね。
それがホースプレイスラボっていうんですけど、
サードプレイスを超えて第4の場所で、
個人としてチャレンジしたいことをやってみようっていう、
そういう自分の興味があることを実験してみるみたいな、
はみ出して試そうっていうコンセプトの、
そういうプログラム兼コミュニティみたいなのをやっていたんですね。
それを3年くらいやっていて、
それが今何をやっているかにつながるんですけど、
3年くらいやって、それを一旦3年一区切りにして、
休止という形にしたんですけど、
改めてここ3年間でやってきたことを振り返って、
すごく大事だったなというふうに思って、
またやっていきたいなというふうに思って、
その結果、
あまり鋭利を追求していくというよりも、
カジュアルな越境を広めていくというところとか、
一つの企業の中でというよりも、
世の中というところが対象だったりするので、
一航株式会社の中にあるよりは、
一般社団的な立場でこの活動をやっていった方がいいんじゃないかということになって、
それが実は、新しくホースプレースラボでやってきたことを活かして、
その一般社団法人、越境実験室というんですけど、
越境を実験するっていう、
実は、今日6月26日、さっき陶器を出してきて、
今日設立しましたという、そういうことなんです。
なので、今何をやっているかというと、
今日から越境実験室を始めるのと、
引き続き越境人材の声を発信していくというのをやるという、
ちょっと説明が難しかったなと思って。
分かりました。
というのをやっているという感じです。
分かりました。配信するのはちょっと先になるので、
それをやられている最中に配信されていると思うんですけど、
今はそれをこれからやっていくという段階、まさに今日みたいなところですね。
そうですね。これまでも越境文化を広めるとか、
皆さんに体験のきっかけを作るというのをやっては来たんですけど、
それをまた一般社団というちょっと少し立場を変えて、
新しくチャレンジしていくみたいな、そんな感じですね。
お話を伺ったまさにその日に、越境実験室という一般社団法人を立ち上げられ、
越境を広めていく活動をしていくとおっしゃる小杖さん。
なぜその活動をされようと思ったのでしょうか。
もともとそれを小杖さんが立ち上げられた、
3年も4年前に立ち上げたというのは、何でそれをしようとなったんですか。
もうすでにその頃に越境人材の声を聞いて届けるみたいなことはやっていたんですけど、
本当にこの越境経験を経ると人が変わるんだなということを
めちゃめちゃ実感していたんですよ、私も目の当たりにして現場で。
今は当時よりはいろんなプログラムが増えて、かなり機会は増えてはいるんですけども、
当時は本当にまだまだ少なくて、
だから本当に超アーリーアダプターみたいな人たちが行くみたいな。
でもこれって誰にとっても素晴らしい経験だから、
追体験してほしいなって思ってメディアで発信してたんですよ。
でもやっぱりどこまで行ってもメディアだと限界があって、
それをそうなんだって終わっちゃうじゃないですか。
なのでやっぱり実際に読んでもらうだけじゃなくて、
体験してほしいっていうので、じゃあ体験できる場を作ろうっていう流れではありました。
ご自身として越境したこともあるというか。
そうですね。いろんな越境をしてきたんじゃないかなというふうに思っていますし、
私自身が前職で門川っていう出版社に行ったんですけど、
そういうと本作ってたんですか?みたいなことを言われるんですけど、
ウェブ回り、ウェブ企画とかの仕事をしてたんですけど、
それこそオーディション企画とかっていうのを結構力入れてやってたんですよ。
出版とは違うような感じですね。
エンタメ系の会社だったんで、これからクリエイターを目指すとか、
そういう人たちのきっかけ作りというか、そういうのをやってきてたんですね。
やっぱり、一人一人の埋もれている才能を発掘するみたいなところだったりとか、
でもそれって今いる場所でどうにもならないこともあって、
今の役割を超えていろんな機会があることで、
一人一人の可能性が開いていくっていう機会ってすごくあるなって前々から思ってたんですね、
そういう仕事をしながら。
だからそこに興味があったっていうのはありますし、
私自身も会社員の頃からはそうですし、
2018年に会社を辞めて独立したんですけど、7年くらい前ですかね。
はい。辞めてからもいろいろ活動をしてきたんですよね。
本当にそれが自分の経験として血肉になっているような感覚はありますし、
でも周りを見てみると、やっぱりここでしか生きていけないみたいなふうに思っている人もいたりとか、
本当はもっと自分でいろいろ動ける機会があるのに気づかなくて、
みたいな人たちも結構いるなっていうふうに思ったので、
だからそこの橋渡しというか、それって大事だなっていうのは感じてたんですよね。
っていう背景が多分あってたと思います。
実際に始められた3年4年前に比べて、やっぱり続ける中で見えてきて、
新たに越境実験室をやっていくとなると、ちょっとステージが変わってくる感じになります。
そうですね、そうですね。
だから3年間でやってきたのは、120人くらいの方々に、
3ヶ月で自分の越境プロジェクトを作るみたいな、
少人数制で1人1人のビールだったりとか、興味・関心という軸にプロジェクトを作るみたいなことをやってきてたんですね。
それはそれで、引き続き実はこの越境実験室のホースプレースラボのメンバーともサポートしてもらいながら一緒にやっていくんですけど、
それはそれですごく意味があったし、今後もやれたらなと思うんですけども、
もう少しカジュアルというか、今いわゆる越境って言われているものって、地域復業するとかリスキリングとかいろいろあると思うんですけど、
なんか固くて大変みたいな、そういうイメージがやっぱりあるなっていうふうに思ったので、
越境をもっとポップにカジュアルに面白くしていけたらなっていうのがあって、
いろんな越境を実験していくみたいなところの意味も込めて、そういうカジュアルなものを提供したりとか、
あとはそれこそさっき、今は結構いろんなプログラムが増えてきているんですけど、
2つあって、増えているが故に自分に合っているものがわからないっていう人たちもいますし、
何、復業した方がいいの?ボランティアした方がいいの?地域行った方がいいの?それよりもこれ学んだ方がいいの?っていっぱいやりすぎてわからないっていう選べない問題と、
一方で越境格差っていうのが結構起こっていると思っていて、そういう情報に接続できる人はもうたくさん接続できるけど、
接続できない人はそういうのがあることすら知らないっていう。
実際は復業とかも会社が解禁しても全然進まないとか、いろいろありますよね。
そういうのもあって、選べない、あとはたどり着けないという問題があるので、
そういう世の中にある素晴らしい影響コンテンツと接続するとか、そういうのもすごく大事だなと思っていて、この辺りをやっていきたいなというふうに思っています。
接続するにはどうしちゃいけないんでしょうか?
そうですね。例えばわからないですけど、転職フェアとかあるじゃないですか。そうするといろんな転職…
ありますね。
なんかそんな感じで皆さんに一度に知ってもらう機会を、例えば作るとか。
そうですね、一つの…
越境体験の重要性
実際に経験した人はどうだったの?というのを比較してもらったりすると、自分に近いロールモデルとかイメージが出てくるのかなとか。
実際ウェブメディアは結構やられているというか、ウェブコンテンツ的なことは多分わかるんでしょうから、そういうので展開するのはあるとして、
確かに就職フェア、転職フェアみたいなのとかはまたちょっとリアルな感じで切り口変わってくるから、
そこに実際にいらした方が、「おお、そういうのもあるのか?」みたいなのは確かにおっしゃり通れたなと思うし。
そうなんですよね。だからホースプレイスラボをやってきて思ったのは、やっぱり身近に経験した先輩とか仲間がいると、
イメージが湧くからやってみようってなって、そこが連鎖的に広がっていくんですけど、全然いませんってなると。
ですよね。失礼がないとどうするの?みたいな感じになっちゃうから。
だからその越境志向の人たちのコミュニティみたいなものを作りながら互いに刺激し合うというか、そういうのもできたらよいなっていうふうに考えています。
実際、裸官としてそういうのが増えている感じっていうのは感じられてます。
実際地方に行くとか、僕もそういうことが多いなという感じがしてて。
僕の出身が千葉県の立山市っていうところなんですけど、立山でそういう移住の方とも知り合いだったり、
移住されてきた方とかお話する機会聞く人に出てもらったりとかでいっぱいいるんですけど、
そういう方のお話聞くと以前に比べてもうふっと来ちゃう感じの人とかも多いし。
立山ってこの下の方ですよね?
立山は東京から2時間くらいで来れるので。
そんな近いんですか?
そんな近いんですよ。なので意外とよく来てたんだけど、もう行くことにしたみたいな。
そういうこともあるんで、その辺の人たちの感じも結構ふっと以前に比べれば軽くなっているような?
それは感じますし、地域おこし協力隊ってあるじゃないですか。
あれが過去最多の応募になったみたいなニュースが出ていて。
しかも割とミドルシニア以上というか、割と年齢が高い方が多いみたいなお話も聞きますし。
あと私もそういう地域で何かやりましょうみたいなオンラインセミナーとか講座とかいろいろあるじゃないですか。
ああいうのをいろいろ試しに話を聞いたりとかしていると、そこに参加している方々とかもやっぱりかなり増えている。
どんどんそんな感じはするので、興味・関心みたいなところはめちゃめちゃ高まってますし、
おっしゃるように地域に行っていろいろお手伝いできる機会が増えた。
そういうマッチングサービスとかも増えているので、なのでカジュアルにはだいぶなっていると思います。
なるほどな。
その辺でも、例えばもともと地元の人とかも、前まではちょっと他の地域の人はみたいなのでも、
だいぶ柔らかくなっているような、地方に、地域によるでしょうけど。
そうですね。それはちょっと地域による気はしますね。
地域による問題ではあると思うんですが、
なんかただ、だいぶ以前に比べて印象が違うな、みたいな。
僕は立山しか見ていないところがあるんですけど。
立山でいうとそう感じると。
そんな感じはしますね。
もう人でも足りなくなって、ひらかざるを得ないみたいなこともありそうですよね。
例えば就職口は昔に比べていっぱいあるけど、人が足りないみたいな状態っていうのは、
それはもうどこの地方もそうというか、それはそうだと思うので、
どの地域も自分の地域の魅力を発信をとにかくするみたいなことにはなっているけど、
取り合いみたいな状態にはなっているのかなというのは感じるところですね。
そうですね。だから本当にそれこそ週末だけ地域に行くとか、
オンラインで地域のいろいろお手伝いするとかだったら、
比較的ハードルが低いと思うんですけど、それこそ移住とか。
そうなると、特に年齢が高いとご家族がいたりとかもしますし、
給与の問題とか、いろんなことでそこは結構壁があるんじゃないかなという気はしてるんですけどね。
そうですね。そこはもうそれぞれの個人の事情によってくるので、
うまくやってる人もいれば、だめで戻っちゃう人も中にいるというのもあるので、
そこはそれぞれになっちゃうんですね。
そうですよね。でも越境の場合は一応戻ってくるというのが前提になっているので、
移住というよりも短期でみたいなことですけど、
地域おこしの現状
そういう意味では関わる幅が広がってますよね、確実にね。
そしたらもう一個の日本遺産。
日本遺産。
これはまたちょっと違うというか。
そうですね。日本遺産は私がファン、好き。
ファン、はい。
ファンですね。だから好きの話になると思います。
日本遺産は、だから日本遺産を最初は別にビジネスにするつもりはなくて、
日本遺産というのを2021年に知って。
日本遺産というのは前からずっとあるものなんですかね。
2015年に制度としてスタートしています。
制度としてスタートをして、それは2021年に小泉さんが。
初めて知ったという。
そういうものがあるというのを知って。
あるというのを知って、たまたま詳しい人がいて、お話を聞いてというかして、
じゃあ実際に巡ってみようというので、全国に104個あるんですけど、
全部じゃないですけど、回れるところから回り始めたんですね。
そしたら、まあハマってしまって。
はいはいはい。
で、日本遺産の、何でしょうね、まだまだ日本遺産というのを、
今ご質問いただいたように知っている人が非常に少なくて、
だから当時も日本遺産仲間みたいなのがあんまりいないわけですよ。
ああ、そっかそっかそっか。
で、私自身もそうやって日本遺産を回る中で、
いろんな日本の知らなかったことの知識が身についたりとか、
あれとあれがつながっているんだという、これまで学んできた点がつながったりとか、
そういうことによって、なんか日本ってやっぱ素敵だなとか、
なんか本当に日本人でよかったなみたいなこととか、
なんかそういう人生の豊かさみたいなのを感じたんですね。
だからこれはやっぱりもっと日本人が学ぶといいなって本気で思ったんですよ、回っている中で。
私も最初は話聞いているだけだとわからなかったんですけど、実際に回って、
じゃあちょっとそういう仲間を増やす活動をしようかっていうので、
日本遺産研究会っていうのを、
日本遺産研究会っていうのを。
最初作って、
小津さんが作ったの?
そうです。詳しい人から何人かで一緒に話を聞いていたんですよ。
だからその人たちと一緒に研究会っていうのを作ってやっていたんです。
でもメインでその研究会活動しているのは3人くらいだったので、
私入りで3人くらいだったんですけど、
で、なんか日本遺産ファンクラブっていうのを作ってみたりとか、
オンラインイベントで日本遺産に関わっている人とか、
ツアーやっている人のお話を聞くとか、
そういうのをやってきたんですよ、2年くらい。
やっている中で、
そうするとまたいろんな日本遺産の課題とか、
逆に魅力とかもわかってきて、
そういう中で、これちゃんと持続可能にやっていくためには、
事業としてやっていくといいんじゃないかとか、
この日本遺産をそもそも学ぶ場が少ないとか、
日本遺産に関わりたくても関わるきっかけがないとか、
そういうところを解決するためにはどうしたらいいんだろうねっていうので、
日本遺産の魅力
で、じゃあこういう取り組みをしようかっていうのが見えてきたので、
2023年に法人化したっていう、で今2年くらい。
さまざまな越境経験をされ、越境経験を経ると人は変わることを実感され、
今日もっとカジュアルに広めていきたいという思いをお持ちの小瀬さん、
そして日本遺産についてもまたお話をくださいました。
詳しくは次回、さらに伺っていきます。
26:29
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