前回に引き続き、ハッコウセラピスト・荒木尚子さんにお話を伺います。
今回はまず、人の個性を大事にする、という意味でのハッコウ、ということについてから、伺っていきます。
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サマリー
本エピソードでは、ハッコウセラピストの荒木尚子さんが、個性を大切にするハッコウの哲学について話しています。発達障害の子供たちを支援する活動や、自己価値の認識、信じることの重要性が中心テーマです。荒木尚子さんは、日常の中で感じるクリエイティブな活動や意識の重要性について述べています。また、理想の場所づくりやアロマトリートメントを通じた物々交換の取り組みについても言及しています。インタビューでは、物々交換と経済の価値について深く考察し、自然と人間の関係についての洞察を示しています。自己を大切にする生き方の重要性も強調され、自分の感覚を大事にする人が増えることへの期待が語られています。
ハッコウの哲学
ゆいなわさんの聞く人ラジオ 皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
前回に引き続き、ハッコウセラピスト・荒木尚子さんにお話を伺います。 今回はまず、人の個性を大事にするという意味でのハッコウということについてから伺っていきます。
そのハッコウって光の方でいけば、その人の個性をすごい大事にするっていうのを、さっき話したハチミツナっていう団体を作ったときは、本当にそれをやりたくて、
ハチミツナっていう名前が不思議かと思うんですけど、ハチミツナもハチミっていう、ハチミとツナっていうのがくっついたんですけど、ハチミっていうのが七味唐辛子
っていうのが、もともとスパイスが7個集まって7味で、それがもうあるんですけど、それが常識っていう意味で、もう一味加えるっていうのが、今までになかったものに光を当てる。
それによって命が繋がったり、地域が繋がったり、ここと未来が繋がっていくっていうツナっていうのを合わせて、ハチミツナっていう名前にしたんですけど、
この時は発達障害の子供の特性を活かして、生きていける世の中にしたいと。それをやろうっていうので、いろいろと模索して、いろいろやってたんですけど、
今となっては、発達障害っていう括りもなんかもうなくて、その人その人の輝きっていうのを、そもそも発放してほしいんです。
今までだと、フォロワーが多いとか、売上金額がすごいあるとか、そういう人たちが上で、そうじゃない自分が下みたいなというような考え方をしたと思うんですけど、
すべての人が必要なんですよね。いろんな意味で。なんか目立つような動きをする人がやっぱり見られやすいので、わかりやすいんですけど、そうじゃなくて、ちょっとここのゴミを拾ったとかっていうことでもほっこりしたりとか助かる人がいるので、
自分自身をやっぱりすごく大切にするっていうか、自分のこのままでいい。私は素晴らしい。あの人と比べて強いことがないっていう、自分は自分しかいないっていうことをすごい大事にする人を増やしたいっていうのがやりたいことです。
確かにおっしゃるように、比較しちゃうとか、どうしても上下みたいな見せんて、やっぱりどうしても社会においてありがちな感じですけど、そうじゃないんだよみたいなところを、もっと一般的にというか、みんながわかるような感じになるという。
だからそういう意味で、ながでの結果、結果は現金みたいなことが固定観念が非常に強いじゃないですか。
だからその価値との交換っていうことが、現金以外でもある。豊かさを受け取っていただく。お友達にこうやってお声掛けいただけるってことも、私は豊かさを受け取っているわけですよ。
そういうご縁のつながりも、自分が自分として生きているからご縁いただけるっていう自分を認めるし、それがみんなそうだと思うんですけど、受け取り下手じゃないですか、日本人って。
そうですね。慣れてないものもあるし、遠慮しちゃうみたいな。私もずっとそうでしたけど、すごい良いって言われても、そうですかね、みたいな。もっと受け取ればいいのに。でもあの人と比べたらとか。ついそうしちゃいがちですよね。
誰も比べて言ってるんじゃなくて、今本当にありがたいと思って言ってるんだけど、それをなかなか受け取れないっていうのを、それって何でかというとっていうのをすごい考えた時期があって、誰ものことも信じてないんだなと思ったんですよ。
あなたがそういう本気で言ってくれてるっていうことも信じてないし、もちろん自分がそんな価値があるってことも信じてないし、なんだかんだ頭で学んで、カウンテラーの資格とかコーチ部の資格とかなんかあったとしても、場で接近されたからそうなのかなって思ってるけど、
もし実はその後も変わってないんだとしたら、自分自身がまた別な場面でもう癖が出るんだとしたらば、やっぱり根本は自分が変わらないと変わらなくて、その根本は自分を信じてる。
全部今日会えたことも自分がこれを作ってるっていうのを信じてる。だから次に何かがあったとしても、私がそれをやってれば悪くなるはずないみたいな。表面的に何か悪いことが起きたとしても、これは私は乗り越えられることだからしてるし、その時になんかまた力がつくんだなっていう自分を信じてるっていう。
それがないと、表面のことでいつでも由来でまた同じところに戻ってきて、なんかこれも受けてみたけどダメなんでしないみたいな人がすごい多いなと思うんで。
だからその信じるっていうのが自分を信じてる。何を信じてるんでしょうね。自分を信じてるっていうことなのかなと思ったんですけど。
ちょっとそれで聞けば宇宙の話になって、宇宙が無駄なものを作らないって言われたときにすごい納得したというか、例えばすごいわかりやすいものとすると植物と人間を何で一緒に作ったかみたいな。人間というか動物を。
動物は呼吸で二酸化炭素を出して、植物は二酸化炭素がないと生きていけなくて酸素を出すっていう。そのセットで置いたっていうのはすごい不思議じゃないですか。
なんかスピリチュアルがどうのこうのって言ってくれる。そういうのが私は不思議なんですよね。そのセットでいるんだっていうことが。そういうのを考えて、無駄なものは作らないって言われると。確かに。私なんていらないと思ったらなんでじゃあ作られたんだろうと思うと、宇宙を否定することになりますよね。
でも何かを信じて、これは何かのご縁がとか引き寄せがとか言ってるのと、自分がここにいらないってことが同じじゃないじゃないですか。こっちを信じてこっちを信じないってことはないんですよ。だから一個信じたら全部信じなきゃいけない。
そういうこととか最近すごい考えますね。そうか、でもそうか。だから全部信じるっていうか、信じるっていうかそうですね。必要なんだな、私必要なんだっていうことに対してあまり疑問を抱かないってことですかね。
前は信じてない自分がいたっていう。すごいいました。すごいいたんですね。みんなに褒められたとしてもそんなわけないみたいな。そういうところがあったってことですよね。それをどこかから何かのきっかけでちょっとずつ受け入れるのか信じるようにしていったって感じなんですよね。
信じることの重要性
そうですね。自分を解放することがありましたね。一つは今の旦那様と会ったことですね。またもう戸籍を動かすことになるとは思いませんでしたけど。
それもそういう人もいてもいいかなと思って決断したんですけど、この人が今日も美しいですねって毎日言ってくれたんですよ。1日も欠かさず。私最初何をこの人が言ってんだろうと思って。
思うんじゃないですか。なんでも信じてない。現代の人間においてそんなことを言う男の人はいるのかと思って。頭がおかしいのかなってぐらいに思ったんですよ。で、はーって言ってて。ずっと欠かさず毎日言ってたからなんか徐々に本当にこの人は言ってるのかとか、もしかして私は本当に綺麗なのかなとか。
毎日岩にトツントツンって水が流れる。ポツポツって言ってパカって割れたみたいな。そういうのがあって。今までの人生で調子に乗るとペッてやられるみたいなのがあるじゃないですか。
愛情がある人だけど言葉がとても不器用で表面的にその気分になってしまったとか。そういう中でこのぐらい真っ直ぐに言う人ってあんまりいないなと思って。
で、私もよくこれ本気で言ってんのとか言われるんですけど、そういうふうに言われること、なんで言われるのかわからないから真っ直ぐ言ってるけど、信じてもらえないんだっていう感じがあって。でも今その人がそう言ってることを信じないわけですよね。
でももっとその人って嘘つくかなって思った時、嘘つかない人なんですよ。ってことはこれ本当なのか。自分を信じることとイコールでその人を信じることが同じくなった。
この人を信じるんだったら私を信じるっていう感じがあって、信じれるようになった。
なるほどな、ちょっと深いというか、信じるって言葉がキーワードとして、今日すごく出てくるというか、なお子さんの中で信じれないっていう時があって、そして信じるに至るのが、今のお話はそういうことかということで、信じてくれる人がいる、私も信じるというようなやり取りの中で培われていって、
それが今やってることにおいても何か一つ大事なことをキーワードとして。
そうですね。あなたが必要だと信じてるっていうことですかね。
お家にあるお洋服とかでも、もう使ってないのとかを組み合わせて、新しいのと組み合わせて、すごい良いコーディネートができると嬉しいんですよ。
いいわ、またこれ考えられたわみたいな気もするし、お野菜とかでもちょっと残ってたやつと組み合わせてみるときらめいて、めっちゃ美味しくできたっていう時に、天才って言いながら食べるとか。
人が一番褒めて欲しいところとか、表面的にかっこいいですねって言われるのと違って、こういうものを好きなんですねって、そういうの好きだったことはこっちなんでしょうねとか言って、
わかるんですかって言われるのがすごい。その人が見て欲しい本当のところを発見できた時にすごい嬉しい。
そっかそっか、面白い。もしかしたらいろんなことをされてるじゃないですか、視点をいろいろ持ってるような感じ。
そういう感じ、ジュエリー的なところとか、料理もそうですし、組み合わせだったりとか。
そういうのを通して、この人はこうかもみたいな仮説を立てて、こうかなとかっていうので、何かその人が輝く。
ジュエリーの石の時も、何か見てるとわかるんですが、商品もあったんですけど、商品があって、お客さんも見てると、きっとあれにいくなっていうのがわかって、
やっぱりその石がプラスチックじゃなくて鉱物になって引き合ってるっていうか、それがいいっていうとやっぱりそれだよねっていうのがわかるんですよ。
何でしょうね、それ。
何でしょうね、そう引き合ってる。
だからジュエリーをやめたのっていうか、面白くないなって思ったのって、ルビーとかサファイアとかダイヤモンド、人工のものが出てきて作れるんですよね。
そうなのか。
そうすると唯一無二じゃないんですよ。
そっかそっか。
大量生産の中の飽食品ではあるけれども、鉱物っていう面から見ると、
天然ではないんですね、はい。
たまたまそのダイヤモンド販売する時も、こんなにたくさんある中で、今これがいいと思ったわけですよ、そしたらこれの方がいいですよって、
あなたのことを輝かせる石だからこれがいいと思いますとか、値段とかもあるけど、こういう思いでこれを買うとか、それがすごい楽しかったので、
人工ができてしまうと全然面白くないんですよね。
そっかそっか。ちょっと話が変わってきちゃうんですよね、それは。
そうなんです。だからジュエリーいいかなと思って。
あんまりやらないのって言われるけど、あんまりときめかない。
そっかそっか。ちゃんと自然に目指してないと、なごさん自身が萌えないというか、そういう感じ?
そうですね。だから今、馬とかも触っているんですけど、
今ですね、領域の子育てのデイサービス、領域の子たちが日本の学校にもお手伝いし始めたんですけど、
ここに馬がいて、フォースセラピーをベースにしている特色としているんですよ。
馬に触れるのがすごい嬉しくて。
なるほど、はい。
馬かいてくださいって言ったらだいたいかきますけど、全然顔違うんですよね、馬でも当たり前ですよね。
クリエイティブな活動の楽しみ
そういう癖とかが、そんなに触っていないかわからないですけど、気象も違うし、そういうのを見ているのが楽しいし、天気も毎日違うとか。
毎日違うのがいいんですよね、すべてにおいて。
ああ、そっかそっか。
今日は何の順位の時でもそうでしたけど、今日はどんなお客様が来るんだろうって、何が起こるんだろうっていうのがすごい楽しくて。
毎日決まったことができないっていうのはそうかもしれないけど、毎日決まったことなんてないんですけどね。
そういう、これを8時から5時まで座って講演をやるみたいなのはとても多分苦手ですね。
信じるということについて、あなたが必要だということを信じているという言葉。日々は刻々と変化し、でもその毎日が違うのがいいということ。
そしてお話は好きなことについて伺っていきます。
好きなこと何ですかって聞いたら、何ですか?
好きなこと何でしょうね。
うーん、なんだろう、でもさっきの何かを想像するのが好きです。
想像して作る方の想像をするのが好きなのだと思います。
だからベースとして、オーダーのあれも自分で書けるじゃないですか。
私、お料理も好きなのは、組み合わせによって自分で作り上げられるって言って。
美味しいって言われても二度とそれはできないよって。
測るのとか願ってたんですよ。
漢字でこうやって。
これ食べて、あり得るタイトルみたいな、クリエイティブじゃないですか。
クリエイティブなことが好きですね。
色とかも好きだし。
私のアジサイを見ても、いろんなアジサイがあって。
アジサイって言うと、一般的に絵本にアジサイが書いてあると一般的なアジサイが何種類かあるじゃないですか。
これもアジサイなの?みたいなのがあって。
グーグルに読ませたら何て出るんだろうね、アジサイって言うのかなとか。
はいはい、そうかそうか。
そう言ってたんですけど、色も形も様々で、だけどもアジサイだっていうことにウキウキするっていうか。
好きなこと。
違いがあるっていうことが好きなのかな。
クリエイティブなことなんですか。
あれ今、ご自身で言いながらグルッと一回転したの。
そうですよね。何かを作るのが好きですね。絵を描くのも。
最近絵を描いたんですけど、それもすごい楽しかったですね。
何の絵というかどういう。
その絵は、話がどんどん変わっちゃうんですけど、
40何歳?40過ぎてからちょっとこう、色々違う方に目覚めた。
夢で見た光ってる木があって、夜空に光ってる大きな木がこうブワーって浮かんでて、
そこからピュンピュンピュンって光が飛んでる木の夢を見たんですよ。
それをずっと絵に描きたくて、でも描いてなくて、何年?4、5年経ってるのかな。
何で描いていいかわからなかったんですよね。
水彩画の優しい感じではなくて、すごいドゲツく光ってたので、何で描けばいいんだろうと思ったときに、
テクスチャーアートっていうモコモコする立体的な絵を教えてもらって、
それで描いてみたら、こんな感じになる。
それを描いてる時とかも頭にずっと浮かんでるので、1時間ぐらいで描いて、
そうそうこれって思って満足して、そういうことをするのが好きです。
それは4、5年前に見たっていうのがずっとの印象というかイメージがあって、ずっとあったんですね。
描きたいなーと思ってたのが描けたということなんですか?
はい、そうです。
へー、すごいそれ。
だから早かったんですよ。
あ、あるんですね。
あれにしてます。
そうなんだ、それはすごいな。
あ、へー、こういうイメージで?
はい。
へー。
そうなんです、こういうのとか。
それ描き上げたときどんな感じでした?
うぇーい、できたっていう感じでした。
そうですよね、ずっとあったものが視覚として出てきたというか、具現化したみたいな。
そうですね。
なんかすごいスッキリしたと思って、そういうのを自分にやらせてあげるっていうことをしてなかったんですよね。
そっかそっか。
ずっとやらせてあげられた、自分を喜ばせてあげられたっていうことがすごい嬉しかったです。
理想の場所の構想
そういうことか。
面白いなー。
そうですよね。
タイムラプスで撮ってたんです。
ほら、こうやって逆さか作っていって。
はいはいはい、描いていく過程をってことですよね。
ちゃっちゃっちゃっちゃって。
もう迷いが、あんまりそういうの迷わないんですよ。
そこに載せるって言ったら、ベッてもう載せちゃって。
話も聞かないで載せちゃうので。
あ、いけちゃうんですね。
早いんですよね。
はー、面白い。
だからあんなに色々いつも迷って、これをやってもいいんですかねとか、これはどうしましょうって言ってる自分は、
自分、すごく順応してきた自分で生きていくにあたって、
本来はすごい直感感なので、
ここでこう、いいお声、みたいなのが本来の自分っていうのと、
なんか今こう、合致してきて統合してきて。
そっかそっかそっか、そういうことですね。
だからそういうのも含めて昨日もアジサイも見に行って。
やってなかったことをやらせてあげるみたいな。
なんかやりたいことあります?
やりたいこと、でもずっとビジョンとしてあるのは、
すごい広い土地に、緑のある土地に、家っていうか構えて、畑もあって、
そこにちょっと疲れた人が来て、ご飯食べて元気になって帰ってくっていう場所を作りたいっていうのは、
10年前から思っていること、10年くらい思っていることなんですよね。
なんででしょうね。
なんででしょうね。
ふと出てきたのか、やりたいなあ、みたいな。
なんででしょう。でも実家もそういう感じではないですけど。
ぼやーんと思ってたのが、具体的にああって思ったのは、森の居好き屋っていう場所があるんです。
佐藤愛子さんだったかな。
おにぎりで有名な、今亡くなった方がいるんですけど、
森の居好き屋だったかな。
キリスト教の方で、
初めさんだ、間違えました。
佐藤初めさんっていう方がいて、
命をつなぐおむすびっていうのがあるんですけど、
その人も青森出身なんですよね。
でも全然知らなくて、青森出身なんです。
それこそ場所を持って、疲れた人が来て、そこでご飯でもてなして、
ご飯っていうのが、野菜とかどういう風になりたいか、野菜に聞くっていうか、
お会話しながら、どうなりたいのかって言って、それに基づいて作っていったり、
本当に米は米で一番元気な状態で食べさせるから、
ただのおにぎりでも、なんですかこれみたいな感じで、
すごい元気になって、こんなにお味噌汁が美味しいっていうのを初めて知りました。
泣いて帰る人とかがいるらしいんですけど、
それを見た時に、そろそろこれこれみたいに思って、
カフェで調理した時も、塩麹とか作った時に、
はい、仕事、仕事の時間、起きて、起きて、みたいにやって作ってたんですけど、
その感覚とすごい似てて、
すごい特別な量合いじゃなくても、
元気なものを一番いい状態で作ればっていうか、
ただ茹でる時でも、この人が本当にちょうどいい状態でまで茹でるとか、
もうそこに意識がなくて、ただ湯に入れといて、
茹でるかっていうのはなんか違うんですよね。
わかります、はい。
意識し合ってる。
野菜とも自然とも、今二人でいても、
意識し合ってるっていう状態っていうのが、
みんながいる世界なんだなって、
ああ、そういうことか。
思うんですよね、私は。
わかります。今、気迫になってるところがすごく多いっていうか、
そっちはそっちのほうがマジョリティっていうか、
なってるから、ちょっと意識を抜けるというか、
気にするとかだけでも変わりますよね。
意識っていう字ってあるじゃないですか、
その違いを、そのしっくりきたお話があって、
意識ってひらがな、一文字ずつにすると、
意識の意は生きる、死は死ぬ。
気をどこに、どっちに置くかっていうことが意識だって。
それを聞いたときに、それそれみたいにすごい納得して、
だから、生きてる、これも生きてるっていうふうに意識をすると、
生きてる、感じ合ってるんですけど、
なかったこと、持ったものとかって思って死んでるっていうか、
意識してないと、生きてないんですよね、それは。
全部と調和して生きているっていう感覚で今は生きてるんですけどね。
それがすごい大事かなと思って。
そうしたら、かわいそうな子とか困ってる人とかじゃなくて、
全部一体化してるっていうか、
それが平たく言うとバンディスとか言うのかもしれないですけど、
そういう言葉はあまり勉強しないので、自分の感覚のほうが先に来て、
こういうことだと思うんだよねって言って、
それもあるよとか言われることが多いんですけど、
でも自分の中ではそういう感じですよね。
意識をどこまでも広めている。
そうすると小指がぶつかったら、
なんで小指がぶつかるのかなって思うのも、
多分そこまで意識してないのを意識しろって言われて、
ぶつけるのかなって思います。
ちゃんと人間としてっていうか、生き物として今生きてるんだったら、
感覚をもっと取り戻しなさいっていう。
めっちゃわかるっす、とりあえず。
そういう風にしてみんな生き始めれば、
食べるとかも大量生産、大量消費が終わって、
本当にエネルギー高いというか元気になるものを求める。
これ食べたいって言って食べて、めっちゃおいしいみたいな。
でもある程度食べて止まるんですよ、入れられない。
元気だから次の人にどうぞみたいにいくと、
そんなに作らなくてもいいし、
そしたら時間ができるじゃないですか、
作ってる人に。
それによってみんな豊かになっていくんじゃないかなって。
本当に必要な分だけ。
自然を壊すほどもなく、
お互いにこれもらうかな、これで返すねみたいな。
それをお互いにやっている状態かなと思って。
物々交換の取り組み
それを復活させたいなと思っているので、
アロマトリートメントに関しては物々交換をやっているんです。
これも私がもともと欲しくて、
それを作っている人のお客様で来てくださったんです。
リアリングを作っている方が。
これの代金と手術を交換しました。
その方もいいんですよって。
いいんですかって。
逆にいいんですかって。
面白い。
そういうのでいいんじゃないかなと思って。
そっか。
その人はパンの人と交換しました。
物々交換と経済の価値
だってお金をいただいて、
そのお金でパンを買うんだったら、
パンと交換しても同じじゃないかなと思ったんですよね。
確かに。
でもそうですよね。
お金もらってもこれ買うんだから、
交換のほうが良くないですよって。
経済がどうしてもお金に紐づきすぎちゃってるから、
価値の交換イコールお金じゃないよっていうのを。
それを広めたいと思って。
それは確かにおっしゃる通りですね。
でも一気に変わるわけじゃないから、
手術剤の半分にしようって決めました。
半分までは物々交換OKにして、
半分はお金でもらって。
そうすれば暮らせるなって。
いやーすごいそれも。
本当だ。
少し先はそうなってるような感じに見えるというか、
それでもいいよねっていうことに
今時代としていけるじゃないですか。
そうですね。
以前のようにこれはこうじゃなきゃダメだよっていうようなのも
だいぶ剥がれてるというか、
いいじゃんこれでっていうところが
やってる方たくさんいるので、
そういう方向に向いていくっていう。
なるほど。
いやーめっちゃ面白い。
そうか。
自然栽培の本を教えていただいて読んだんですよ。
福岡さん。
福岡さん下の名前の上ですけど。
その本を私自然栽培をやりたいと思って本を読んで、
やり方も書いてるのかなと思ったら、
結局鉄学書みたいな。
だからもっと我慢してこれを作るために
すごい研究した結果目が悪くなって、
これじゃあ眼鏡を作ったらいいんだよって。
眼鏡を作って水をたくさん使うようにやってとか、
環境汚染がどんどん乗っていって、
じゃあそもそもそれをもしやらなかったら
目は悪くならなかったんじゃないかとか、
そういうそもそも何だったっていうのが
今忘れて肥料も入れなければ物ができないと思ってるけど、
本当は虫とか全部で虫が死んだ死骸とか、
木の葉っぱの不要度みたいなことで
全部循環してたのが、
一回やめて虫害虫嫌だみたいな、
人間がなんか処理になっちゃったから、
薬売れてみんな死んでいって、
悲し的なものを貸すっていう風にしないと、
ダメになったみたいに思われてるけれど、
その状態を本当は何もしなくても自然がやってくれてたっていうことが
すごい腑に落ちたというか、
あんなに一生懸命働いて働いて、
じゃあそのお金何に使ったかって思うと、
休みの日は病院に行って、
じゃあ何、子供の病院、子供が寂しいって言って、
お腹痛いから仕事休みますって、
何をやってたんだろうなみたいな風に思ったことがあったんですよね。
そういうこととつながって、
本当に必要なのかなみたいなことを、
全く考えない人もいるかもしれないけど、
考えるけど、後に置いといて、今は頑張らなきゃって言って、
感覚を無視する人の方が今多いと思うんですよね。
自分の感覚を大事にして生きる、自分を大切にして生きるっていう人を増やせば、
本当にいらないものが減っていくっていうか、
無理しないで生きれる人が増えていくんじゃないかなと思って。
どうしたらどうやって言うんですかね。
気づいてる人も多いし、やってる、実践してる人も多いですけど、
そうじゃないかのたくさんいたりとかするので。
そうですね。
私の周りはそういう人が多いし、どんどん増えていってるから、
特に何か言わなくてもいいって思っていたけど、
でもまだまだ全然そうじゃない人とか、
思ったまま言うと、普通はさっていう人とかがいると、
普通はとか言うんだみたいなことにちょっとびっくりする。
普通は人の数だけがいますからね。
普通はさとか、それは学校の先生の話聞いてればいいのよとか、
お医者さんが何て言ってるのとか、排除しないで、
本当は自分はどう思ってるのかっていうのが一番正しいと思うんで、
優先するのを間違えないように。
っていうと自分を大切にする人を増やすっていうか、
自分の輝いて生きる人を増やすっていうか、
本当に望む人生を生きる人を増やすっていうのがやりたいことだし、
そこに一番喜びを感じます。
今までこうだったけど、こうやってみますってきらきらして帰っていくのを見ると、
すごい良かったなって思うので、
与えたつもりが与えられるっていう経験をすると、
自分と震えるし、私は生きてるんだっていうのがすごいして、
自分を大切にする生き方
発光しました。
素晴らしい、ちゃんとそこに繋がりますね。
発光します。
夢に見た光る木を絵に描いたというお話。
森のいすき家のような疲れた人が来て、
癒される場所を作りたいという思い。
そして、生きる死ぬ木をどこに置くかという意識について。
話は多岐に渡りながらも、
ご自身の一貫した思いをお聞きできたように思いました。
尚子さん、ありがとうございました。
それではまた次回、
ユイナワさんのキクヒトラジオでお会いしましょう。
36:15
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