1. アワノトモキの「読書の時間」
  2. ep33-2 「原っぱと遊園地 建築..
2024-01-31 45:51

ep33-2 「原っぱと遊園地 建築にとってその場の質とは何か」(青木淳さん)-オーバードライブ・未目的・自分にする-

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「原っぱと遊園地」、建築家・青木淳さんの書籍から3つのキーワードで話を展開していく2話目。

 

1.解脱して初めて出会える原っぱ

青木淳さんは書籍の中で、原っぱとは「宅地として完成する一歩手前で、その意図が見えなくなってしまった空間である。」

と語られています。ドラえもんに出てくる、土管がある原っぱ。

 

「遊園地」的に予め決められた遊び方や楽しみ、目的が設定されているのではなく、ともかくそこへ行って、何をするか、どんな楽しみ方をするかを決められる特別な場所。

 

そんな原っぱになるためには、既存のルールが背後に消えてしまう=オーバードライブが必要だと仰ります。(学校が廃校となり、学校というルール・形が消えて、美術館として利用されるように)

 

対話の中では、「オーバードライブ」のキーワードを起点に、アニメ「スラムダンク」の安西先生が、ホワイトヘアード・デビル(白髪鬼)からホワイトヘアード・ブッダ(白髪仏)となったことは、ある種の「オーバードライブ」かも、などの話へ展開しました。

 

2.目的を手放すことで踏み入れる別の世界 -目的地を「未目的」な状態に差し戻す 

「住宅・住まいはかつては目的空間の集合体ではなかった」という青木淳さんの指摘。

設計者側が住宅の各部屋・機能の目的を「お節介に」設計するのではなく、住む人たちが使いながら、自分たちの住まいを創っていく。

 

そこから、フロー状態や、私(粟野)の10数年前の勘違いをしていた恥ずかしい思い出へ飛び火。

 

3.建築にする。自分にする。

「マルタン・マルジェラとイッセイ・ミヤケの服作りの違い」から。

・とにかく形式の外に出ようとするのか

・形式の中にしかいれないと理解しつつ外を目指すか。

 

建築や服作りを、「自分」に置き換えて考えたり、仏師(ぶっし)の「その木の中にいる仏を掘り出すだけ」という言葉へ繋がったりしました。

 

次回、3回目のこぼれ話の放送は、「原っぱ」的な人と人の関係性や過ごし方などを筋書き無しで話し合っていく予定です。

00:10
-どうもこんにちわー。-こんにちわ。
-モキの読書の時間33冊目。
原っぱと遊園地、建築にとってその場の質とは何か、青木淳さん。
-ですね。
-はい、よろしくお願いします。
-よろしくお願いします。
-よろしくお願いします。
-師匠とか、とても怖い人だった青木淳さん。
-植木原田さん。
-はい。
-本日は、その内容について。
-解説っていつもさ、解説じゃないんだよね。
-解説ではないですね。できないかもしれない。できてないと思う。
-解説はね、他のものに託して。
-フライヤーさん。
-フライヤーさんとかに。オーディブルさんとかに託した上で、どこかで違うことやってまいりましょう。
キワーの3つ、前回出していただきました。
-はい。
-やりすぎ原っぱ。
-そう。
-と、目的。
-そうですね、目的を見目的に。
-建築にする、自分にするっていう。
-はい。
-この辺りのキーワードについて説明。説明というか、そこから青木さんが読んでいて、感じたこととか、考えたこととか、読み取ったこととか、お話しいただくというタイミングでございます。
-はい。では、ちょっと拙いながら行かせていただきます。
-大変楽しみにしております。
-原っぱと遊園地、一応、この本の中の定義、青木純さんがおっしゃってるのも、ちらっと触れていきたいと思うんですけども、原っぱって今でも若い人ってイメージつかないかもしれないですね。原っぱってどうですかね。
-公園の中にある広いスペースぐらいのことを指すかもしれない。
-ああ、なるほど、なるほど、なるほど。
-そういうと、青木純さんは60代、我々40代。ちょっと年代は違うんですけど、その公園の中にある単なる空き地とはまたちょっと違う。
-意味がね。
-意味が違う。
-確かに意味が違う。
-そうそうそうそう。で、原っぱと終わって本でいうと、宅地として完成する一歩手前で、その糸が見えなくなってしまった空間である。ドラえもんの出てくる。
-はいはい、空き地ね。
-空き地、あんな感じ、あれですよね。本当は何かの目的のためにあるんだけど、一時期そうじゃなくなった状態、放置されてる、忘れられてる状態が一応原っぱ。
-なるほど。
-で、かつ子供たちが遊ぶっていう話で言われてるんですけど、何かの目的を持って行く場所ではなくて、ともかくそこにいて、何をして遊ぶかを決められる特別な場所っていうふうに青木さんはおっしゃってます。
03:00
あらかじめ何が起こるか決まっていない、それが人間の空間に対する関わり方の自由ということの意味だと強くおっしゃってます。
-子供たちにとっての原っぱみたいなイメージが強いのかな。
-たとえですね。大人にとってもそういう空間ってあると思うんで。
-大人原っぱいかないもんね。
-大人は原っぱもいかないですね。ないからね。
-大人はね、公園のブランクに座るぐらいだもんね。横に革カバンを置いて。
-なんかくたびれたんすよね。
-家族にはまだ会社を辞めたことを言えるようになれない。
-つらいわ。
-公園ね。
いくつか本の中に例えが出てくるんですけど、小学校が廃校になりました。それが美術館に使われてますとか、
町工場が潰れて、工場ですね。ミシン工場がオフィスに変わりました。
みたいなのが原っぱ的な話です。もともとあったものじゃないものになってくる。
もともとの目的が変わってしまって、なくなっちゃって新しいものが入った時。そういうのが原っぱらしいです。
-新しいものが入った後も原っぱ?
-うん。原っぱ的なものがあるっていう。
それはよくわかるのかなって思うんですよね。どうですか、この説明聞いて。
遊園地の話をした方がいいかな。
-そっちも聞きましょうか。
遊園地って別にディスるわけじゃないんですけど、ディズニーランドとかって行く楽しさはありますって青木純さんもおっしゃってるんですよ。
けれど、演出されていてどういう楽しさを子供が得られるかが最初に決められて、そこから逆算して作られてると。
計算的にジェットコースターだったらこれは楽しい。
それは楽しいけれども関わり方の自由が極めて少なくて、ジェットコースターにはジェットコースターとしての遊び方以外は許されていないとおっしゃるんです。
すごいうまく設計されていて、そこで楽しむように決められている。それは楽しいけれども、青木純さん的には原っぱを作りたいと言っている。
そこはすごく共感するところかなと思いました。
そこにはやっぱり思いがあるわけよね。
青木さんの?
できるような場所を。できればディズニーランド的なものを作りたい。
自分は作りたくないっていう。ルイ・ビトもそうだし。
そうなんだね。
表参道も。
そんなにゴリゴリ…ゴリゴリって言ったらあれか。
知らない人間はゴリゴリっぽく見えるじゃないですか。ルイ・ビトのマークのトランクが積んであって。
ルイ・ビトン、ルイ・ビトンって思うんですけど、そうじゃないらしいんですよ。
06:02
金を使え、金を使えって言われてるような感じ。
原っぱを作ったららしい。
あれは原っぱ?
らしい。
説明を聞くと余談になるかもしれない。らしい、なるほどなって思うんですよね。
トランクをルイ・ビトンで言うと、でっかいトランクをとりあえず積んでいった。
それに意図はないらしいんですよ、全く。
とりあえず積んだっていうルールがあるっていう、それだけらしいんですよ。
別にルイ・ビトンらしさを見せるとかそういうのあんまなくて、
とりあえず決まった長方形のトランクをポンポンポンで積み重ねていくっていう、
それだけを考えてやったらしいんですよ。
で、それはこういうルイ・ビトンらしさとか、ブランドの何かを見せるとか、
そういう意図は一切考えないようにして作ったらしいんですよ。
らしい。
で、これ原っぱになるために大事なのが、オーバードライブっていうキーワードが出てくるんですよ。
オーバードライブ。
やりすぎた状態を一回通り越して、その後小学校が廃校になったとか、
町工場がなくなって潰れて違うものに変わった。
宅地予定のところがさらちになって放置されている。
何かの通り過ぎる、やりすぎたとか、何かを越えた後に一回、空白地帯ができるみたいな。
空白の時間ができる、その状態がオーバードライブなんじゃないかなって僕は解釈する。
なるほどね、なるほどね。
オーバードライブをして、元々の役割とか事業みたいなものを一旦越えちゃってる状態なのね。
みたいな感覚を持ったんですよね。
だからそこで言ってるのは、オーバードライブ前、未オーバードライブ、だからレスドライブというか、
やりきれてない状態で変質してしまうんじゃなくて、やりきった状態で変質していくっていうのが大事なんだね。
それをルイ・ビトンの店では、ルイ・ビトン相手にやりきるっていうか、
バカな状態を意図的に作ったり、時間をかけてできないので、最初からオーバードライブした状態を意図して作ったのが組み立てらしいんです。
時間とかオーバードライブするまでの過程をすっ飛ばして建築できないかっていうのがルイ・ビトンらしいんですよ。
めっちゃ未来の姿を作ってるかもしれない。
09:02
だから、ちょっとこれもすみません。自分の話で恐縮なんですけど、
僕今茨城県筑波市住んでて、そこに磯崎新さん、青木純さんのお師匠さんの姉の作った筑波センタービルっていう広場とかビルがあるんですけど、
そこもまさにそんな感じなんですよ。町の中心なんですけど、空白で将来的に廃墟になるような場所を、
そこで新しい空間ができて、出会いができて、でも何かいずれなくなっていくような空間を作れたらいいって設計したらしいんですよ。
変わってないですか?町の中心にシンボルじゃなくて、空間とか空虚とか廃墟みたいなのをイメージして作ったらしいんですよ。
廃墟のイメージってなんかすごいね。
で、それって数年前に、そんな無駄な場所、町の真ん中にそんな無駄なでっかい空白地帯は意味ないとかいう話になって、
それこそマンションを作ればいいとか商品を作ればいいみたいな話になって議論になったんですけど、
なんとかそんないい場所を残そうということで残ったんですよね、その場所が。
そこにね、価値を感じてる人も多かった。
そういう価値観を持っている人たちが。
ちょっと捉え方のお助けとして聞きたいのだけど、そこは今何かとして使われているの?
いろんなイベントでは使われてますね。子供たちのダンス発表とか。
なるほど。
よく使われてます。なんとかマルシェとかでは。
じゃあ本当に広場なんだね。
本当に広場。
いろんな用途に使える。
そうですね。水が流れてて、よくわからないモニュメントみたいな木みたいなのが立って、
未来の廃墟的な感じとか。あるんですよね。
いいね。
良識が残ったというか、ごめんなさい。
良識が残った。
残ったんだと思いますね。
廃墟には惹かれる。
ピンポイントのコメント投げちゃった。
廃墟。なぜ廃墟?
廃墟ってよくない?
イメージで言うと、ラピュタってよくない?
天空の城のラピュタね。
そうそう。もへんじょだらとかさ。
なるほどね。
ああいう系の。
冒険家に憧れたタイプですか?
そうですね。
考古学者、インディジョンズになりたかった。
本当?
そうでしょ。
でもね、ワクワクしますよね。
何かしらそれあると思います。
タイムトラベラーになりたかった。
ありますよね、そういうのは。
1個のものとか1個の遺跡みたいなものから、
その当時の常識とか生活とか、
下手したらその人の人生とかに思いを馳せられるじゃない?
確かに。
ありますよね。
12:00
火山で亡くなったところの生活が残ってるとか、
イギリシャとかどこかでしたっけ?
あるよね。
モンペだっけ?
ああいうのね、そそるよね。
確かにね。
道の文化体系がきっとあるんだ、みたいなことは。
数億年後、我々でもここに神田があってみたいな。
残ってるかもしれない。
ここにはこんなビルがあったんだよ。
なんだこのマイクみたいな形。
マイクみたいな形って言ったら俺らみたいだけど。
あるかもしれないですね。
希望みたいな形の機器があったみたいな。
こんな原始的な機器でPCで通話してたのか。
どうかね。
原始的なところの快適はね、
ある程度の機器がないとできないから。
置いといてと。
まあまあまあ、そうです。
背景は聞かれたよって話でしたけど。
オーバードライブっていうのは一つのキーワードなんですよね。
やりきらなきゃいけない。
だからさっき1週目で星野さんが言ったブラックな企業。
そこね。
一つのいいかとは言い切れないんですけど、
もしかしたらそういうオーバードライブしきれる環境があったのかもしれないですね。
やっぱりオーバードライブすることには何らか価値があるんじゃないかっていう
共感なんだね。
そう。
オーバードライブを越えないと腹っ端にはなれないと思うんですよ。
普通の人はね。
ルイ・ビトンのところは意図的にオーバードライブを吹っ飛ばして
青木潤さんは建築設計しましたというものの、
普通の人はそんなのできないと思うんだよ。
なかなか生きていく上で。
そこの一旦恥ずかしい瞬間とか、超ブラックだったとか、
なんか訳わかんねえみたいな期間とか経験を一定超えて、
初めて腹っ端に出会えるんじゃないかなって僕は思ったんですね。
人で言えばさ、
ドラムランクの安西先生とかさ、
あとはドラゴンボールの亀仙人とかさ、
あの辺がオーバードライブというような感じ。
でもそうですよね。
伊沢くんでしたっけ?
伊沢くん?
あの、安西先生で言うと、
昔の遊園で教え子がアメリカに行くって止めれなかったとかあるわけじゃないですか。
はいはいはい。
フィルバーデビルでしたっけ?
白髪鬼ね。
そうだね。
っていう時期を越えて、
桜木花芽家の前にいるから、
よかったのかもしれないですね。
かもしれないよね。
かもしれないよね。
うんうん。
わかるわかる。
ありがとう。
セスナー。
たとえよ。
うん。
だから、第1回目でそれのもう一個話をしたけど、
ブラックに価値があるんじゃないかと思っていた会社が今、
それを越えていった。
で、俺はそれを価値がなくなるんじゃないかと思っちゃったけど、
そうするとね、
安西先生になるのかもしれないしね。
15:00
そうですね。もしかしたらね。
ホワイトなんとかぶったりしたっけ?
なるかもしれないですね。
なるかもしれない。
確かに。
なるのかな?どうなんすかね?
そういう企業が。
なるんじゃない?
なるのかな?
うーん、なる気がするよ。
うーん。
企業の場合、
まあそうか。
いいのか。
それはそれでいいのか。
僕もね、最初1週目の話した時に、
僕もどっちかというと、
ちょっとブラックというかハードな機関を、
従業員とかに提供してあげる方がもしかしたらいいんじゃないかって思ったんですよね。
ホワイトに企業になった時につまんないんだろうなって思ったんですけど、
しかし今の話聞くとアリなのかもしれないですね。
いや、とは言えね。
安西先生もさ、
ホワイトになったって言われてるけど、
ホワイトになってないんで。
ああ、そう。
だってさ、
花道をさ、
みんな合宿行ってる間に、
徹底的に仕事になる。
でも花道にとっては、
それが求めていた指導であって、
下手したら先生の言うことを上回ってやったりするわけじゃない。
2日間に1000本とか。
1000本だけ一番もないけど。
あれもシュートね。
庶民シュートとか。
そうそうそうそう。
ジャンプシュートとかは。
で、ああいうことが結局成長の中には必要で、
それをゴリゴリ押し付けてやらされるのがブラックっていうイメージで、
でも求めているもの、
自分の成長したいっていう気持ちを上手く増幅させてあげて、
そのためにはこれができるといいよっていう適切なコンテンツを与えてくれ。
で、結果として畑目から、
どっちもやってることは一緒に見えるんだけど、
この迫り方、アプローチの仕方が、
ブラックなのかホワイトなのかっていう。
うるせえ、つでこべえ、
私もやるんだよ。
じゃなくて、
君は秘密兵器だからって。
なるほど。
ういーって誘われた上で。
なるほどね。
なるほど。
ってことなのがあるかもね。
だから、やらされ方とか、アプローチの仕方なのかもね。
なるほど。
なるほど。
面白いです。
面白い。
ここはもう少し深掘りが必要。
できそうですね、いろいろね。
できるかもね。
面白い。
テーマな。
これが1個目ですと。
ありがとうございます。
1つ目のキーワードが目的地を目的な状態に差し戻す。
なんかちょっとポエティックな内容が青木純さんが書いてるんですけど、
そのまま使わせてもらったんですけど。
これも面白くて、さすがだなと思ったのが、
住まいですね、普通の住宅の設計もされてるんですよ。
自分の弟さんの家とかもいろいろ作ってらっしゃって。
18:05
結構実験的な家。
作品紙を見せてみたんですよ、ウェブ上で見たんですけど。
これが家かよみたいな感じもあるんですよ。
何にもないというか。
面白かったのが、住まいっていうのはかつて目的空間の集合体ではなかったという極めて単純なことに思い当たったって言ってるんですよ。
つまり寝室は寝る場所、キッチンは料理するところ、
トイレはトイレかもしれないですけど、ここは書斎とかそういう分けられてなくて、
そこに住む人たちが行為をしながら作っていく場所だったんじゃないかって払ったんですよね、さっきと。
昔の日本のお家とかそうだよね。
かもしれないと思って。
何でもこの部屋はお父さんの部屋とか、この部屋は子供が遊ぶ部屋とかって分けるのは作る側の論理で、
確かに便利かもしれないけど、なんか自由とかないんじゃないか。
自分たちの生活の場じゃない切り離されて作られたところになる。遊園地下ですよね。
っていうのを言ってて、なるほどなって思ったんですよね。
いやそうだよね。
日本の家ってすげえなと思うのが、そこら辺でさ、
陸上人もあるやんさ、そこに布団敷きゃ寝室になるし、茶具台置きゃ書斎になるし、
そういうのが作り変えられるというか、一日の中でも。
確かに確かに。
でもこれがこう、ベッドを打ち合ったらもうベッド。渡づけられないというか。
わかるわかる。
テーブルもダイニングテーブルドーンみたいなやつ。
もうそれしか使えなくなりますもんね。
茶具台の手軽さみたいな。
たたんでねとかね。
最近よく思うなと思ってて。
確かにね、それはある。
僕はベッド反対派なんだもん。
そうなんですか。
でもダイニングテーブル置いていいな。
でも僕も以前、今マンション、賃貸マンションなんですけど、
その家を買おうみたいな時もあったんですよ。
いろいろモデルルーム見に行くんですよ。
そうするとすっごい用意されてるんですよ。
各部屋ごとに。
リビングとかキッチンのところに壁にホワイトボードが置いてあります。
ホワイトボード?
そういうモデルハウスとかもあるんですよ。
これ何だろうって思ってると、
案内の人がここで家族の情報共有とかできるといいですよって、
いろんな高校さんの何々とか。
一週間後に運動会ですよとかね。
今日は何時にママ帰るよ、パパ帰るよみたいなね。
なるほどって思ったんですけど、
そういうのは青木純さん的に言うと超遊園地なんですよ。
余計なお世話だって。
なるほど。
そこでみんなで家族の予定を書くっていうことを決められてるわけじゃないですか。
その家族がそうしたいかどうかとか、
他の場所でやりたい同じことをやるのに決められるのは嫌だと。
21:03
最初から据え付けするんじゃねーの?
そういう至れり尽くせりは違うぞという風に青木純さん言ってて、
僕もそうだなと思ったんですよね。
すごい便利なんですよ、そういうのあると。
僕は正直7,8年前ですけど、いろんな家をバーッと見てたとき、
つまんねーなって僕は思いました。絶対嫌だと。
そそる家なかった?
ありましたけど、もちろん綺麗な家ね。いいんですけどね。
綺麗で快適で、いいなと思うんですけど。
そこからいろいろ不老状態とか、想像するだけなんですよ。
目的を忘れてやってる状態ってことですよね。夢中になってる部分が。
未目的ってそういうこと?
これを例えばランニングしますっていうときに、
痩せるためにやってるとかじゃなくて、
不老状態ってその行為自体が楽しい状態じゃないですか。
そこにいること自体。
あと、福島さん嫌かもしれないですけど、
引用していくと、暇と退屈の倫理学って国文広一郎さんで、
暇と退屈が大事なのは、
動物のように取りさらわれる瞬間が大事だって書いてるんですよ。
まさにそれかなと思うんですよね。
取りさらわれる。
自分で意識してこれをやるとかじゃなくて、
なんかわかんないけどやっちゃう状態が、
未目的かなって思うんですよね。
前、星野さんと話したときに、
イーロンマスクはすごいぞみたいな話があったと思うんですよ。
イーロンマスクも多分そうなんじゃないかなと思って。
ある意味、彼なりのよくわかんない衝動に動かされてるんじゃないかって、
僕は勝手に推測するんですよね。
っていうのは、目的とか自分のビジョンとかミッションだけを考えてたら、
あんなに叩かれたらやめちゃうと思うんですよね。
って僕は思うんですよね。
社会のために俺はやるんだって思ってても、
あんなに反対されたりするわけじゃないですか。
批判を受けたりとか。
そうしたら普通、折れちゃうんじゃないかなって思うんですよね。
口ではそう言いって言うと思うんですけど、
多分ですよ。知らないけど。
投資家向けにちゃんと言うと思うんですけど、
そういう感じ通り、自分の好きなことをやってるだけなんじゃないかなっていう気はするんですよね。
もちろん意義はあるんだと思います。
意義を感じながらやってる。
特にデカい体制の業界に切り込んでいって、崩しにいってる感じがしますしね。
その崩し事自体がもしかしたら面白いのかもしれないですけど。
そっちじゃねえかなという気もします。
後付けていろんな業界を変えるとか、
人類の未来をみたいな話があるのかもしれないです。分かんないけどね。
教師的な存在が嫌いなんじゃないですか。
俺が作ってきたんだみたいな偉そうなやつが嫌いなんじゃないか。
自分を苦しめるんじゃないかと。
自動車業界とか風神業界とか。
24:04
メディアもドカーンとやろうとしてるんじゃないかな。
はいはいはい。
その目的、フロー。
目目的はフローってこと?
ではないですけど、連想していったって感じですかね。
そういう状態かなとか。
ちょっとこれも僕の話。余計な話かもしれないですけど、
個人的に恥ずかしい経験があって、勘違いしてたみたいなのがあって。
十数年前に、白石幸次郎さんっていうプロのヨットノリの方がご存知かな。
多分あんまり知られない。
なんかいらっしゃるんですよ。50代ぐらいの、当時40代かな。
26歳の時に白石幸次郎さんという人が、ヨットノリなんですけど、
初めて世界一周、どこにも無気港ですよね。
どこの港にも寄らずに回り切った世界最年少かな、当時の。
最年少記録を作ったっていう人で、
いろんな企業からスポンサーを受けながらプロとしてずっとやってるんですよ。
ヨットノリ。ヨット思ってるだけですよ。ひたすら。
っていう人の講演が気に入ったんですよ。
もう2、3年前かな。
講演が終わった後に、いろんな面白い話聞かせてくれるんですよ。
とりあえず魅力的な人なんで、面白いなと思って。
でもその人は埼玉生まれなんですよ。海ないじゃないですか。
なんで海ない人が、なんでそんなヨットノリになったんだろうってシンプルに思って、
講演が終わった後、質問しに行ったんですよ。
なんで白石幸次郎さんは海のないところからヨットノリになったんですか。
どんな体験があったんですか。
こっちとしてはすごいインパクトのある出来事があったっていう期待のもとに聞きに行ったんですよ。
そしたら白石幸次郎さんが、うーん、ないねって言うんですよ。
なんか海見てると気持ちいいじゃんって。それだけって言うんですよ。
僕はすごい片透かしをくらった気になったんですけど、
今こういういろいろハラパティ弁士の本とか読んでると、
そんなもんなのかなって思うんですよね。それがいいって思うんですよね。
今回いいと思ったっていう。
なんか目的を持ってやったわけじゃないんですよね。
とにかく好きでやったから、一人でトイレとかご飯とか全部あれですよ、船のヨットの上で済ませるんですよ。
一人でやっちゃうんですよ。変態じゃないですか、はっきり言って。
なかなか自分でやれって言われたらできれないことが怖いしね。
これを有名になるためにやろうとかだったら、たぶん折れちゃうと思うんですよね、気持ちが。
僕はそんな恥ずかしい質問をしてしまったんですよね。
めちゃめちゃ気持ち分かります、それ。
なんかさ、俺も取材して文章書くじゃない?
だからストーリーに仕立てあげたくなっちゃう。
なるほど、ストーリー。
で、何かがあった。ある状況から何かがあって違う状況を作った。
っていうのが大体の話だと思うんだけど。
その何かって何なんですかね。やっぱりすごく気になっちゃうんだけど。
27:02
とはいえ、我が身に対象を置き換えてみると、別にそんな大きい意図とか出来事とか何か始めてないよねって。
なんとなくやってみたらできちゃって、その積み重ねでここにいるよっていうのが多くないかって思うよね。
そういうのが本音だと思いますね、実態。
なので何かね、続けられているところにポイントがあるような気はしてて。
そこにきっとそのヨットの方も面白みとかね、何か自分だけ感とかが見えてきたりとかしたのかな。
続けられることね。
辞める理由っていっぱいあるじゃん。ヨットなんか特に。
そうです。やる必要ないですからね、めっちゃ。
寒いし、暑いし、理由聞かれるし。
そうですね、一人で孤独だしね。
不自由をしに行ってるようなもんだから。
死ぬ可能性でかいですからね、正直。
ほぼ死ぬんじゃないとすら俺今思っちゃってるけど。
だって太平洋とか太西洋一人ですよ。おかしくないですか。
意味わかんない。ヨットでしょ。
だってクジラとかサメとかシャチとかいるんですよ、どっかに。
マッコウクジラのボコボコザファっていう漁に巻き込まれたらさ。
もし、一瞬で終わりですよ。
一瞬ですね、ほんとに。
こわー。
信じられない。
台風とか嵐にあったりとかね。
嵐ありますよね、世界で。
こわー。
でもね、続けてきて。
多分30年ぐらい続けてらっしゃるんで、今もやってらっしゃるんで。
だから行った先に自分にしか見えないものがいっぱい見えたんだろうね。
で、それになんか惹かれて、いろんな企業の経営者の人とか、
わかんないですけど個人の人とかがスポンサーになって、
お金を出してこう、自分たちにできないことを
白石光次郎さんにやってもらうほどに価値を見出してるんでしょうね。
なるほどね。いいね。
すげーなと思って。
素晴らしい。
対して自分の未熟さをすごい恥ずかしかったです。
そのとき質問してる人は。
そのときも恥ずかしかったし、今も思い出しても恥ずかしい。
何が恥ずかしかった?
やっぱりさっきのストーリーを自分の中で描いてるんですよね。
期待をして。
自分の枠の中で白石光次郎さんとか、そういう人の生き方を理解しようとしてた自分がいるのかな。
かつそれに対してがっかりしてる自分っていうね。
がっかりをした。
がっかりした。なんでもっとすごいインパクトがある?
答えを出してくれないんだろうね。
なんて傲慢な人間なんだろうなって思いますけどね。
自分自身が。
そこで価値のあるやりとりが生まれていくことを期待してたのかもしれない。
そうですね。なんか超面白い話聞けてみたいな。
なるほど。
でも星野さんがさっき言ってくれたみたいにそんなものないと思うんですよね。
そういうことが多いんじゃないかと思いつつ。
30:03
とはいえ振り返ってみたら価値があったこととか意味があったことっていうのは色々意味付けもしていけるんだろうと思うけど。
で、そのストーリーが自分に生きたりするんだろうけど。
でもそれをねこうなんかあの開庫録とかで偉い人がね話しちゃうと私の履歴書とかで話しちゃうとそれが立派な話になっちゃうんで
そんなかっこいい話じゃないだろうって我々は見たほうがいいと思いますね。
そういうのはね持っといたほうがいいよね。
っていう感じで。
目的がある状態っていうのはそのあるところなんか弊害があるというかこのフローに至らなくなっちゃうかもよっていう点で
目的がいいよっていう話なのかな。
限定されちゃうところでしょうねこの建築の話に寄せていると。
ここが分かんないですけど家族が断乱する場所とか集中する場所とか分けたら便利なんですけど
それで自由がなくなるというか作り出すことができなくなりますよね。
面倒くさいからね。
設計したもの以上の価値を生まなくなるかもしれないのかな。
もしかしたらね使っていく中でまたね使っている人たちがね切り替えながら柔軟に使っていくことは全然あると思うんですけど
青木純さんとかそういうレベルじゃないとそんな目的な建築ってできないと思うんですよ正直。
危険な。
危険な。
はーって言われると思うんでお金出す側、依頼する側も理解しながらねできないとちょっと僕のレベルじゃそんな依頼とかできないんですけど。
怖いね。オーバードライブしてからじゃないかな。
そうですね。
何かそんなことありましたか。でもすごい目的がないっていうのはなるほど住宅でもそうだったのかっていうのはちょっとした気づきですね。
本当だね。
実際住み心地どうなのかね。
悪いかもしれない。
いやいやとはいえ日常生活結構決まりきったことすることも多いからね。
その方が嬉しい時もあるかもしれない。
ね。
ね。
どうなんでしょうね。
体験をしてみたい。
そうですね。
自分の家に選ぶかどうかを置いといて体験をしてみたい。
そうですね。
ちなみに俺好きですよそういうの。
何もないの。
はいはい。
むちゃくちゃな物件大好き。
あーなるほどね。
インフルの事務所だってむちゃくちゃな物件じゃん。
まあそうですねここもある意味オーバードライブしてますね。
オーバードライブ。
そうね。もともと社長室のために作られたところが。
そうじゃなくなってるっていう。
はい。
それはいいのかもしれない。
それはいいんですよ。
あの無駄に長いツールもさ。
なんだろう。
ロマンチックだよね。
確かに。
きっと昔は社長に倫理取るためにここを超緊張して通っていた社員とかいたんだろうなみたいな。
かもしれないですね。確かにね。
33:01
あのドアに鍵がついてんのは中で社長がこう記者とイチャコラこいてた時に。
それ嫌じゃないですか。
寄ってたんだろうなみたいな。
嫌じゃないですかこの部屋そんな。
いろんな思い出が詰まってるんですよ。
なるほど。
でもそういうのはありかもしれない。
オーバードライブですまさに。
女の事務所は。
ありがとう。
ちょっと縁も竹縄じゃないです。盛り上がってきたんですが。
三つ目一応いきますか。
もうあれですよ。でも語りたいことを多分僕も星野さんも十分の一ぐらいで止めてるんでね。
そうね。
語り尽くせぬ。
ありながら一応コース収録にしてますが。
クリップ運転で。
三つ目は建築にする。自分にすると。
これ気になるね。
建築にするは本の中にも書いてあるんですけど。
質問にそのまま答えると。
これも糸を持って建築するのはいやらしいっていう。
青木さんが言ってた。
なるほど。
じゃなくて勝手に生まれてくるもの。
そこの成り立ちとか歴史とか環境要因とか。
依頼主施術側の要望とか予算とかいろいろあるじゃないですか。
それを加味していくというかそれを対応していくと勝手に浮き上がってくるものが建築じゃないか。
建築にするっていうんですよ。
そうそう。建築にするですよね。この漢字。建築するっていうよりは建築にするっていう。
形として建築というものに建築という形を与えていくってことだね。
僕の感覚でいくと浮き上がってくるって感じなんです。勝手に。
あるものをただ適切な形に持っていく。
外から付け加えたり装飾インテリアをつけてかっこよくするとか
今時の何々にするんじゃなくて
尊来の姿にするっていう建築にするという感覚を僕は解釈というか感じ受けましたね。
なるほどね。
なんか面白い。三宅一世とマルタン・マルジェラの違いとか。
そんなことまで言うんだ。
どっちがいい悪いとかじゃないと思うんですけど。
自由という定義が面白くて、形式の外にいられるように錯覚することが自由なんじゃないかと。
形式の中にいることが、形式の外に、中にしかいることができないにもかかわらず
その外があるとして物事を行うこと、それが自由という言葉の本来の意味だと思う。
建築も同じことを考えてるんだよね。建築という枠の中で考えるんじゃなくて
もうちょっと広い概念の中で考えて、それに今回自分が与えられた役割が建築なので
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その建築の枠の中に一旦形にしていくことをしていくっていう感じなんだよね。
そうですね。
自分は建築家じゃなくて、なんとかアーティストだと思ってやるんじゃないってことですね。
建築は建築でやる。でも、その外もあることも意識しながら取り組むっていう感じなんでしょうね。
とても誠実な在り方にも見えるね。
期待されてる役割も果たさなきゃいけないしっていう感じが。
僕も三宅一生の服なんてお店しか入ったことないんですけど、
三宅一生の服は青木純さん的に言うと、当時ですよ。
1990年代とか2000年代とかはすごいヒロイックな、ヒーロー的な服だって言うんですよ。
服っていうファッションの世界を一回取り去ろうとしたっていう、青木純さんに言うんですよ。
本当かわかんないですよ。青木純さん的には。
マルタン・マルジェラは服っていうのはありながら、服の中でいろいろ試行錯誤してるから、
私はマルタン・マルジェラが好きだっていうふうに青木純さんは言うんですよね。
なるほどね。そういう考え方があって。
服を破ろうとしたのが三宅一生。服っていうかその範疇ですね。
建築っていう枠じゃないものを作ろうとするよりは建築の中でやれることをやるっていう感じなのかな。
それを我々人材にいると自分とかアイデンティティとかの話が出てくるじゃないですか。
ちょっと引き寄せて、やっぱりどうしてもありたい自分みたいなのを描くわけじゃないですか。
資格取ったり、どこか勉強行ったりとか、僕は本を読んで知識を身につけたりとかもするでしょうし、
外見を良くするとかもあるかもしれないし。
その憧れももちろんありだし、やるときもあっていいと思うんですけど、結局そればっかりやってても、
服の外とか建築の外に出よう出ようだけだとちょっときついんじゃないかなと思うんですよね。
自分はもうあるんで、いろんな条件、親とか住んでるところとか、経歴学歴とかいっぱいあるじゃないですか。制限する。
でもそれはそれで受け入れながらもやるっていうスタンスが、どうすればいいのかわかんないですけど、
44になってくるとそういうのが大事なのかなって思って、この青木さんの考え方に共感したんですよね。
なるほどね。
建築にする、自分にするっていう。
枠とか形式的なものは一旦取り去って、
人との関係とか自分の心の中とか、どこらへんから浮かび上がってきたものの中に形を与えていって、結果自分になるイメージをね。
なのかな。違うのかな。
もしかしたらそうかもしれない。僕が言ってることは別に正しいとか全然ないんですけど、
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僕が思ってるのは、形式は形式でも仕方ないって感じですかね。
僕という人間が福井県尾間市っていう超田舎で生まれて、ユニークさがない人間育ってきてるのは仕方ない。
仕方ないけどそういうもんだっていうのは理解しつつ、でもそうじゃない自分になれるかもしれないっていうのは一応思いながらも、その中で頑張るっていう感じかな。
ああそうか。
マルタンマルジェは福っていう分野の中で頑張っていたように。
その中でやる。だからこう、今から自分がイーロンマスクになろうってすることが自分にするじゃないんだろうなって。
うーん。
だからそうすると、例えばイーロンマスクになろうとするとイーロンマスクの真似するわけじゃないですか。
週110時間働くとか、職場に寝袋を持っていくとかですね、奇抜なことを言うとか、彼の加速主義的な考えとかを取り入れようとするわけじゃないですか。
それってちょっと嘘っぽいと思うんですよね。そういう時期はあってもいいと思うんですよ。
それこそオーバードライブするために。そういう時期はあってもいいのかもしれないですけどね。
なんかさ、不死。仏の師匠みたいな。自家製不死。
あ、そんなのあるんですか。
要は仏さんを作る人よ。
仏像とか。
あー、彫る人?そうそうそうそう。で、特に作り方いろいろあるんだけど。
その中に木を彫って仏を作っていく、仏の像を作っていく人が、似たような表現をしているのをどっかで読んだことがあって。
なるほど。面白い。
どうやって作ってるんですか?みたいなさ。
いや、俺は作ってるんじゃないと。この木の中に仏がいるので、それを削り出してるだけだね。
なるほど。
ことを言ってて。で、片谷さん。大仏とか作ろうとしたら、継ぎ足して継ぎ足して構築していくじゃん。
銅を流してとかするじゃないですか。
でもその不死さんの場合は、目の前にある木から削り出していく。
なるほど。
なんかそのアプローチの違いみたいなことに近いものもあるんじゃないかなと思いながら聞いておったよ。
今言ってもらった不死の感覚かもしれないですね。あるんだからそこを削り出していく。
そうそうそうそう。
人もそうだろうなと思うんですよね。
みたいだね。
多分外から見たら人って変わんないと思うんですよ。こう見えてるというか。
その人本来の良さってあるんだけど、自分はそうじゃない自分になりたいと思って憧れるわけじゃないですか。
やっき捨てていく。
なことを思いました。
だからどこかで自分もこだわりとか憧れというのを持ちながらも、どこかで冷めた目で見ると捨てるというか、
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ちょっと一個保留するみたいなのが必要なのかもしれないなと思ったんですよね。
前回やったね。ネガティブ・ケイパビリティ的な。
この方は2004年ですから。青木純也さんは。
めっちゃ前だね。
めっちゃ前ですし、建築家ですしこの方は。
全然別にこの哲学とか。もちろん読んでらっしゃるのはあると思うんですけどね。考えてる部分は。
でも別にそういう哲学の勉強されたとかではないと思うんだよ。おそらく。
10年前ってめっちゃ昔って数字面見ると思うけど、
自分たちの人生と幸せぶりと20年ってそんなにだよねっていう気もするね。
結局価値のある考え方とかってめちゃめちゃ変わったりはしないんだろうね。
変わらないと思いますね。
ドルに足らない私の人生。
どうしてそんな自制的な。
何かが降り立ったんですかね。
ドルに足らない20年振り返って。
どう言うとやだなと思ってた。
まあまあみんなドルに足らない人生ですから。
でも大事な人生ですからね。
感じでございますか。どうでしょう。
うまく伝えられた部分はあるのか。
一個もうちょっと聞いておきたかったところが。
ハラッパ。
ハラッパ。
ハラッパの価値ってなんだったんだっけっていうのをもう一回だけ教えてもらってもいい?
ハラッパの価値ですか。
いろいろあると思うんですけど、
目的とかっていうのを手放して行ったんですね。
効率とかを手放して。
そこに行く人たちとか、いる人たち、そこで行われる人たちの何かによって、
思いも及らぬものとか新しいものができてくることに価値というかあるのかなって思うんですよね。
委ねられてるというか、そこに来る。
今日はこの人とあの人、明日は違う人かもしれない。
10年後は何になるかもしれない。
だからそこの作れる理由。
なるほどね。
聞いている限りの話でいくと、
遊園地はすでにある建物とか設備による楽しみ。
に対してハラッパはそこに集う人たちの未知数の楽しみ。
みたいな話。
そうかもしれない。
人の楽しみと設備の楽しみとっていう分け方もあるのかな。
あるのかもしれない。
特に建築家の方だとね。そこの工夫みたいなことを意識してやってるかもしれないね。
だと思いますね。お仕事する中で毎回ハラッパを作れてるわけじゃないと思うね、この方も。
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それでコンペで負けるとかも全然あると思いますし。
あともう一個喋りたくなってます。
これ別にこぼれ話でいいか。
こぼれ話でいいやん。
じゃあそうしますか。
では2回目ちょっと長々と話しまいましたが、
ハラッパと遊園地2週目、こちらで終了とさせていただきます。
どうぞありがとうございました。
ありがとうございました。
では次回に聞いてください。
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