1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. vol.16-1 写真家・木村朗子さ..
2023-10-16 31:49

vol.16-1 写真家・木村朗子さんに聞く「整体と、写真と ~前編」

今回は写真家の木村朗子さんにお話を伺いました。

写真家として国内外で写真作品を発表し、数々の個展も開催されている木村さんは、「長津田むつう整体院」にて整体のお仕事もされています。

まずは木村さんに、整体を始めたきっかけからお伺いをしていきます。

https://akikokimura.jp/
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00:02
写真家として国内外で写真作品を発表し、数々の個展も開催されている木村朗子さんに
お話を伺いました。
木村さんに聞きたかったというのは、まずここの2整体をやっていらっしゃる。
それをなぜやっているのか、なぜ始めたのかというのは、僕は聞きたいなとは思っていたんですけど。
はい、わかりました。もともとはね、うちの夫が薬師間に住んでいまして。
薬師間?
はい、薬師間に。で、私が薬師間に遊びに行っているときに、あんまりないことなんだけど腰が痛くなったんですよ。
私がね。それで、ちょっとぎっくり腰のような感じ。
で、そしたら島の友達が、いい整体あるよって教えてくれたのが、無痛整体との出会い。
薬師間で?
そうそう。それで、あんまり私は整体とか、いわゆる、私はどっちかというと何かあったら病院に行くという感じで、
それ以外の方法、それ以外の療法というものはあまり知識がなかったんですけど、
信頼している友達が教えてくれたから、じゃあ行ってみようかなと思って。
行ったら、良かったんですよ。
最初はもうそのきっかけでファッと行って?
そうですね。ファッと行って。で、1回だから1回しかそこで施術を受けてないんだけど、腰も良くなったし、
当時ちょっと生理痛が悩みの種だったんですけど、その後からも生理痛がなくなって、そうなんですよ。
その1回で?
1回の施術で。
すごい。
そうなんです。それで、無痛整体良かったなと思ったんですけど、でもその1回きり薬師間に私は住んでたわけじゃなくて、
その時ちょっと短い期間滞在してただけだったから、すっかり忘れてたんだけど、
その何年後だったかな?夫が今度腰痛になりまして、
その時はやっぱりいろいろ回路とかね、あと針とかいろいろ打ってみたんだけど、なかなか良くならなくて、
03:05
その時に私が、あ、そういえば薬師間で受けた無痛整体っていうのが東京にもあるらしい。
そうなんですね。
そう、あの、その時薬師間の先生に伺ってたのか、ちょっとよく覚えてないんですけど、
で、ちょっと調べたら銀座にあって、それで夫が銀座の無痛整体に行ったんですよ。
そしたら夫も、すごい良かったって。
あ、そうなんですね。
はい。それで、なんか体だけじゃなくて心も軽くなったような気がするみたいな感じで帰ってきて、
で、何回か行った時に、夫がそこにあった解法みたいなもの、整体にあった解法みたいなもの持ち帰ってきて、
そこにお弟子さん募集みたいに書いてあったんですよ。
えー。
で、それを私が見て、で、あ、なんかこれ良いんじゃない?みたいな。
え?あ、そうなんですね。
だけど、あの、それ実はすごい古い号だった。バックナンバーだった。
で、私はそれに気づかなくて、最新号だと思って。
募集してるらしいってなったんだけど。
で、まあ夫がそれで、あの、その時のまあ、そこを経営されてた院長先生という方が私たちの師匠なんですけど、
で、ちょっと自分も興味ありますみたいなお話を伺って、
で、あの、弟子にしていただいたっていう。
へー、そうなんですね。
最初に行って、その師匠にあたる方っていうのは、あったことは、
施術はされたからあったことはあったんですか?
そうですね。施術を、だから多分何回か、多分2回か3回くらいだったと思うんですけど、
受けたっていうだけの関係性だったんだけど、
ちょっと募集つけながらいきなり、
しかも超古いバックナンバー。
そうか。その時募集してるかどうかは別にして。
いや、多分してなかった。
あ、でもそれ見たから行ったんですね。
見て、そう。それで、
なんかね、後から聞いたらね、ほとんどお断りされてたらしいとか、
あと何度も何度もお願いしてもダメだった方とかもいらっしゃったみたいなんだけど、
多分きっとこういうのってご縁だと思うんですけど、
弟子にしていただいて、で、先に夫が勉強を始まったんです。
で、私はなんか、さっきも話しましたけど、
どっちかっていうと、何かあったら病院に行くっていう感じだったから、
いいものだなと思ったけど、ちょっとこう、遠い存在っていうか、
いいのはわかってるけど、自分とはちょっと縁のない世界みたいな、
夫がやるのはすごくいいと思うけどっていう感じで、
思ってたんだけど、なんか、たまたま、
お弟子さん向けのお勉強会みたいなものに、
06:05
なんかね、私呼んでいただいたんですよ。
へー。
で、それはどういう経緯だったかちょっとあまり覚えてないんだけど、
とにかく皆さんプロの方たちが集まるような会に、
夫のおまけ的な感じでついて行ったときに、
なんか、みんないい感じの人たち。
で、楽しそうだし、その真ん中にいる師匠っていうか、
先生がすごいニコニコしてて、なんかいい雰囲気だなーみたいな。
で、その勉強も楽しかったというか。
とはいえ、距離を取るって言ったら変だけど、
私とはそんなに縁のない世界っていうか。
うん。
うん。なんだけど、夫がここを始めて、
お客さん来るじゃないですか。
結構、皆さんすごくいい笑顔で帰って行かれる。
あー。はい。
それで、あー、なんかいいなーってだんだん羨ましくなってきて。
うんうんうん。
で、だんだんだんだんこう、そうですね、
勉強させていただく機会も出てきた中で、
えーと、ハワイに行ったんですよ、私は。カワイと。
それで、そのときは撮影で行ってたんですけど、
あ、その写真の。
作品作ったりもしてるんで。
で、そのときに泊めていただいてたうちの方が、
友達の紹介で、プロのサーファーの方のうちに泊まってたんだけど、
その方がめちゃめちゃ腰が痛いってなってて、
で、私が、あの、まだちょっと勉強ちょっとだけしてる程度なんだけど、
ちょっとやらせてもらえませんかって言って、
初めて、なんていうの、他人に、
ちょっと施術っていうか、
なんとなく、なんとなく教えていただいてたレベルだったんだけど、
ちょっと勇気を出してやらせていただこうと思って、
でも、すごく困ってらっしゃるから。
そしたらなんか、旅行で疲れてるのにいいよとか遠慮されたんだけど、
いやでも全然自分が疲れるとかね、
まあそういう旅行じゃないので、
やってやらせてもらったら、なんかすごい腰が良くなって。
へー。
そうそう。それで、なんかそれがすごく嬉しくて、
で、帰りの飛行機の中で、なんか本当にこう、
なんか心がメラメラする。こういう感じで。
あ、すごい。
なんかこう、湧き上がるものがあって、
それで本当に、帰った翌朝の朝、
先生すごい、私の師匠、朝早い方なんですよ。
最悪からお仕事される方なので、
この時間ならお電話ご迷惑じゃないかなっていう感じで、
多分7時とかだったと思うんですけど。
早いですね。
7時前とかだったかもしれないけど、
09:01
先生にお電話させていただいて、
電話を持つ手が震えるっていうのは、
たぶん一生に1回だと思うけど、
本当にちょっと手がこう、震える感じ。
覚えてますけど、手を震わせながら、
先生に自分も勉強したいっていうのを言ったんです。
それはちょっとすごいですね。
すごい、ああいう、本当にこう、
お腹の底から湧き上がるように、こう何か、
なんかこう、やりたいみたいな感じって、
そうそうないと思うんですよ。
あったと思うんですけど。
この聞く人とかはどうですか?
聞く人はそこまでないし、
まだピンときてないところはあるんですが、
でも静かに静かに立ち上がってくる感じと言いますか。
どうですか?
ありますね、なんとなくこの、
さっきおっしゃられたような、
メラメラと種類は違うんだけど、
でも近しいものは、
これはっていうようなものは感じつつありますね。
また今のお話のこう、
手を、電話を持つ手が震えるとか、
やっぱりそういうものが、
今でも体にあるわけじゃないですか。
そう、震えてた感覚。
だから、その、
なんていうかね、
やっぱりすごい素晴らしい先生だっていうことを
わかっていたので、
そこに飛び込む、
勇気っていうか、
しかもなんか、
全然そういう医学的なことやってきたわけでもないし、
あの、ただの、
人っていうか、
ただの人って誰だけど、
なんかそんな失礼じゃないかなと思うじゃないですか。
そんな、自分も勉強したいとか。
でもやっぱりもうそれしか、
なんかこう、自分の中で、
その時は、もうとにかく、
相談してみようっていうことしかなかったんでしょうね。
きっとその、
帰りの飛行機の、
なんかの気持ちとか。
そうそう、それで、
したら先生が受け入れてくださったので、
そこから何年か勉強して、
まあいろいろあって、
今に至るっていう。
びっくりする感じ。
いやあ、そうなんだ。
はい。
そうそう、だからもともとね、
こういうことに興味があったわけでも全然ないし、
あの、
育った家庭も、
普通に父親がサラリーマンですし、
そうですね。
だからまさかこんな、
人様の、
お身体のことに関わるような、
ことをさせてもらうっていうのは、
全然予想してなかった展開でしたけど、
そうか。
という感じです。
実際その世界に飛び込みました。
勉強されて、
でも数年経って、
実際に成立をされていて、
はい。
そこからまだまだやっぱり学んだりとか、
うん。
って感じなんですか?
それはもう本当に、
なんか天井のない。
ああ。
人それぞれやっぱり違うでしょうし、
そうですね。
はい。
何て言ったらいいんだろう。
12:01
多分、
こういうお仕事されている方全員にとって、
多分天井はない。
どの仕事もそうなんですかね、もしかしたら。
いや、どうでしょう。
例えば、いわゆる一般的にサラリーマンの方とかは、
はい。
一通り仕事がざっくり見えて、
ああ。
っていうのもあると思うんですよ。
これ以上ここで何するのか、
まあそれで辞めたりはするかもしれないですけど、
うん。
そっか。
ただやっぱりこういうお仕事ですとか、
はい。
道はずっとありますよね。
そうなんです。
なんかこの環境も変わっていくし、
うん。
今自分たちが生きている環境も変わっていくし、
はい。
なんだろうな、
まあもちろん来てくださるお客様もどんどん、
ああ、そうか。そうですよね。
で、新しい方もいらしてくださるし、
そうですね。
新しい方のこう、
何ていうのかな、経験?
うんうん。
こう重なっていくっていうのはあるんですけど、
でも全然これがゴールだっていうことはない世界なのかなって思うんですけど、
どうですか?
そう。
聞く人。
そうだと思います。すごく。
聞くこと自体はいろんな方に聞くんですけど、
はい。
聞けば聞くほど奥は深くて、
うーん。
正解とかそういうものは全くないので、
傾けてるだけじゃないんだよな、話を聞きながら。
まあ、僕はただ聞いてるだけなんですけど、
はい。
その方が何かに気づくときもありますし、話しながら。
そうでしょうね、人ね。
そう、やっぱり話される方って、
はい。
全部その頭の中にあるものをそのまま喋ってるわけじゃない感じがしていて、
うん。
喋りながらご自身も、
ああ、そうか。自分そういうこと考えてたんだなっていうのを、
うん。
喋りながら気づいていく。
そうでしょうね。
で、それが循環して、
ああ、そっか、私はこういうことを言語化することで、
うん。
気づいていって、ああ、そっか、そっかっていうのが、
うん。
あるなっていうのは思うので、
うーん。
なので、僕もこちらで成立していただいて、
はい。
で、後で、時間が経ってから、
あれ、これはなんか、いいなみたいな、
すぐパッていう感じではなかったりもするんですよ。
うん。
徐々に徐々にじわりじわりと、
うん。
体が整っていく感じといいますか、
うん。
そういうのができるので、
そうですか。
なんか聞くことも、
はい。
ちょっとそれに近しいもの、
シンクロするようなものなのかな、みたいな。
うーん。
体の中に今何かあるものがこう出ていって、
うんうんうん。
っていう感じなのかな。
うーん。
いや、なんか面白いなと思って、
はい。
そうですね。
確かに名刺はすごく皆さんに面白がっていただける感じですけど、
ねー。
15:00
その、まだだってお会いしてたの3回目なんですよね。
そうですか。
そうだと思います。
そうですか。そっかそっかもしれないですね。
そっかそっか。
松平さんに紹介して。
そうそう、共通のね、友人がいて、
そうですね。
そうそう。で、その、こちらにも出演されている、
うんうんうん。
松平さん。
すごく面白い方なので。
松平さんとは結構長くなってて、
はい。
何年ぐらいかな、ちょっと分からないけど、
でも10年以上は絶対、あ、2010、
10年以上経ってますね。
うーん。
12年ぐらいかな。
そっか。で、さっきおっしゃられてたように作品って言ってたじゃないですか。
あ、そうそうそう。
木村さんは作品を作る。
そうなんです。それもやらせてもらってて。
具体的に作品っていうのはどういう作品?
あ、作品はね、あのー、写真で作品を。
うんうんうん。
作ってるんですけど、
はい。
そうそう、それはね、松原さんと一緒に。
あー。
はい、作ってます。
それは、あの、この、
無通生体を始め前からずっとやられててってことですね。
そうですね。
そうですね。
写真を撮り始めたのは、8歳ぐらい。
8歳。
8歳。あ、それはずいぶんと。
そうなんですよ。
ちゃんとパッて8歳って出るってことは、自覚があるみたいな。
自覚がね、あるんですよ。
あるんですね。
小学校4年生とか3年生とか。
3、4年ぐらいに父親が一眼レフの使い方を教えてくれて、
カメラ貸してくれて、
今でも覚えてるんだけど、
曇りの日は絞りを5.6、晴れの日は8.0。
うわ。
そう、それを父から習って、
それで写真を撮り始めたっていうのが、
すごい確かに自分の中であって。
へー。
それはだから全然生体よりも、
もっと前からずっとわりと続けてたこと。
で、これも全く職業にする、
職業っていう言い方はあれだけど、
なんていうかな、好きなこととしてずっと続けてきた中で、
今はちょっとその作品を本にしたりとか、
ちょうど来月、今月かな、
今月末から来月上旬になるかもしれないけど、
新しい本がスペインのRMっていう会社から発行されることになって、
すごい楽しみに到着を待っているところなんですけど、
そういうのも、なんだろうな、
これを職業にしようと思って、
私は別に美術の教育も受けてないんですね。
大学も社会学っていうところにいたので、
社会学ですか?
社会学やってたのかな?
ちゃんと勉強してなかった。
一応社会学。
そうなんですね。
僕最近社会学すごい興味があって、
本当ですか?
18:01
それは今度お話聞かせてください。
ちょっと別途。
本当に面白い、すごく面白い学部、
学科も社会学科っていうところにいたんですけど、
だから全然美術の専門的な教育は受けてない。
書道をずっと幼い頃からやっていて、
書道の先生が私にとっての、
いわゆる芸術的なことを教えてくださった方なんですけど、
だから南谷館や生態も今やっている作品のことも、
流れで、流れって言ったらいいのかな?
流れですよね。
流れでやらせてもらっているという感じです。
じゃあ作品というのは、写真の作品。
そうですね。
後藤さんのところにあります。
後藤さんがね、オフィスに持っててくださっているんですか?
昨日もそれを見ながらお話ししていましたけど。
嬉しかったです。
後藤さんにお会いする前に作品を先にお届けしているので。
そっか。それは松平さんに返して。
松平さんのところに私の展覧会の案内状が置いてあったのを、
後藤さんが目に留めてくださったと伺ってますけど。
そっか。
はい。
あの作品、不思議と言ったらあれですけど、
最初は写真、これは写真なんだっていうのを見た時に、
写真なんだねって後で分かるんですけど、
あれは何?
あれはね、後藤さんのところに置いてもらっている作品は、
あれはね、元旦の日の出の時に。
本当に日が上がった瞬間の空の。
じゃあ、あれ自体は空と言えば空なんですか?
空なんですよ。
それをね、逆さまにしているので、
ちょっとオレンジの方が上になっているんですけど、
あれを逆さまにしてイメージしていただくと、
オレンジ色のすぐ下が本当に海。
そうなんだ。
ちょうど日が上がる直前にちょっとずつ空がオレンジになってきてて、
ブルーのところはまだ夜の空なんですよね。
その両方が入っている絵ですね、時間帯というのは。
それを聞いてそうかと思います。
ああいう作品に最初から至らないじゃないですか、きっと。
いろんなことを経て、やっぱり木村さんが求めるといいますか、
モチーフにしたりとか、こういうのを撮っていこうという中での作品だと思うので、
もともとは普通に写真を撮られている中で、
こういうのを撮っていこうみたいな方向にいくんですよね。
そうですよね。やっぱりカメラとの出会いとかもあって、
21:02
お父さんのところに持ってくださっている写真は、
アルファベットの小文字で愛というタイトルのプロジェクトで、
2001年からずっと作品をやっているんですけど、
マキナというちょっと古いカメラ、フィルムカメラで、
ジャバラでガチャって開くカメラがあって、
そのカメラで作っている作品はそれ一種類なんですけど、
多分不器用なんですよ。
カメラもいろんなカメラを並行して使うことがちょっと苦手で、
いつも一種類でレンズも一個みたいな、
それをずっと自動で使うみたいな感じで、
作品は今22年目か、まだ続いているんですけど、
そのカメラを手にしたときに、
何かこのカメラを持ってタイムマシーンに乗れるんじゃないか、
みたいに思ったっていう。
このカメラを持ってタイムマシーンに乗れるんじゃないか。
ちょっと話が飛んじゃうんですけど、
私のミュージシャンの友達が奏でる音楽が、
彼はいろんな楽器を重ねて音楽を作ったりもしていて、
例えばベースを弾いて、ドラムを叩いて、ピアノを弾いて、
重ねていく。
それを聞いたときに不思議なんだけど、
ピアノを弾いているのは60代の彼で、
ドラムを叩いているのは10代の彼みたいに、
いろんな年代のミュージシャンの方が、
音を重ねているように私に聞こえたんですよ。
20代の時だったと思うけど。
本当に自由な人っていうのは、
時間をいったりきたりできるのかな、みたいな。
すごいな、みたいにそのとき思っちゃって。
もしかしてカメラでそういうことできたら面白いな、みたいな。
妄想してしまったというか。
それでカメラをシャッターを切るときに、
すごい昔の時代に行ったりとか、
できたらいいな、みたいなところから、
写真が始まってて。
それって本当にただのきっかけなので、
それをずっと思って作品を作り続けているわけでは全然なくて、
始まりはそういう思いがあったっていうことで始まってるんですよね。
なるべく人工物が映らなくて、
どの時代かわからない、みたいな。
被写体はそれなりには選んでて、
24:00
わりと人気のないところ、人気のないところを
動きながら撮影をしていった中で、
あの日は実家のそばのビーチで、
みんなで日の出を見に行って、
本当においっ子とかが隣にいて、
当時彼は10歳とかだったと思うんですけど、
2010年かな、あの写真撮ったの。
みんなでワイワイ、わちゃわちゃしながら、
日の出を見ているっていうシチュエーションなんだけど、
シャッターを切るときは、
そうですね、あの作品の気持ちっていうか、
なっていると思います。
へー、そうなんですね。
そうか、そのお話を聞くと、
またその作品を見ると、
ああ、そうなんだっていうのは、
わーっと訪れる感じがしますね。
そうですね。
作品は自由に見ていただきたいので、
あんまりこういう話を、
もちろん全然するのは、私は全然オッケーなんだけど、
でも本当に皆さんに自由に見ていただきたいなと思ってて、
松原さんがとにかく素晴らしいね、
作品を一緒に作っているんですけど、
だから、作家は松原さんなんじゃないかって、
いつも思ってます。
松原さん、松原さんなんじゃない?みたいな。
松原さんだよねって思って。
そこにはいやいやっていい?
そうそう、でも本当松原さんの。
松原さんメインですね。
そうか、そうなんですね。
面白いなあ。
という感じです。
作品を撮って、たくさん撮る、
それは撮るに行こうってして撮るのか、
ふとした時に撮れるのか、
時々違うのかもしれないですけど、
カメラを持ってないといけないですもんね、そもそも。
そうそう、カメラをね、
私はね、ほとんどカメラを持ってない。
不真面目なのかな、どうなんだろう。
でもね、撮影はいつもね、
よし撮影に行くぞっていうよりは、
なんか行くきっかけができて、
みたいな感じです、いつも。
何かがあるんですね。
そうですね。
上がって行く。
そうです、何か。
今度の新しい本にも、
前半割とアイスランドの風景が続くんですけど、
アイスランド行った時も2006年だったんだけど、
ドイツに住んでる友達がいて、
今度アイスランド行くんだけど行かない?みたいな。
そう。
え、アイスランド?
え、じゃあ行こっかな?みたいな。
そういう感じなんですね。
そんな感じでしたね、あの時も。
それで行くことになって、
当時はまだ子供も生まれてなかったので、
割と自由で、
ちょうど会社の夏休みを利用して、
アイスランドに行ったんですよ。
現地にもドイツの友達とアイスランド人の友達がいて、
27:03
私が撮影に行くから、
車を借りてね、
アイスランドの海岸線をぐるっと走りながら撮影しようかなとか言って、
そしたらなんかね、
マニュアルカーしかなくて、
レンタカーが。
それで、
マニュアルとかも何年も乗ってないし、
一緒に友達に手伝ってもらって練習したりしたんだけど、
全然ダメでね。
ブローみたいな。
そうですよね。
全然ダメで。
俺はもう生きて帰ってこないレベルってなって、
じゃあ撮影諦めて遊ぶか、みたいな。
なったら、ポッてなんか、
オートマが一台だけ、
あった。
出てきたのかな、どっかから。
じゃあ行けるかもってなって。
でも、
どんどんね、アスランドとか一本道で、
みんなビュンビュン、ビュンビュン。
だからそこに、
要するに入るわけですよね。
それが、
私は怖くて全然入れなくて、
どんくらい待ったのかな。
相当入れなくて、
男友達2人なんですけども、
ゴーゴーとか言って、
手をむんむん回しながら、
今行けんじゃん、行けんじゃんって言ってんだけど、
全然入れなくて、
すごい待っててくれたと思います、
友達2人が。
でもとうとう、
そのゴーに入れて、
なんとかこう、
出発して、
作品見ていただくと、
みなさん、
どんな秘境に行ったのでしょうかって、
おっしゃるんだけど、
ほぼほぼ国道沿い。
実は?
そんな秘境とか行けるタイプじゃないですか。
あ、よっぽど見た人は、
重装備してすごい頑張って、
奥の方まで。
奥まで行ったみたいに映ってるんだけど、
もう後ろビュンビュン車通ってるよ、
国道沿い。
でも国道沿いにそういうのがあるっちゃ、
ある国でしたね、
アイスランドはもうすごく、
本当に美しい風景が、
常に広がっていて、
だからもう本当、
国道を走りながら、
ちょっと止めて、
パシャン、みたいな。
で、日が暮れてきた、
だから日が長いんですよね、
アイスランドっていう国は。
だから結構9時とかまで明るくて、
あ、でもさすがに9時だ、
みたいになって、
止まるとこどうしよう。
当時は携帯とかないから、
電話、
電話帳どうやったの、
ちょっと覚えてない。
とにかく電話して、
今日寝るとこありませんか、
みたいな。
夏はヨーロッパのお客さんが多いんですよね、
いろんな国から、
全然空いてなくて、
宿が。
じゃあ、うちの子供部屋でよかったら、
とか、
あと馬小屋なら空いてます、
みたいな。
本当に子供部屋、
30:01
宿の方のお子さんの部屋とか、
本当に馬、
馬小屋の、
馬の盤する人の部屋なのかな、
なんかそういうとこに、
寝たりとかしながら、
なんとか、
いつもそんな、
ヘッピリな感じで、
撮影してます。
そう思うと、やっぱり、
行こうとなったのも、
来るっていうような、
まず最初のそのきっかけがあって、
行く行くって言って、
高速道路というか、
そこにも、
行けない行けないって言って、
行け行け行けって言うのに乗って、
行って行って、
そんな感じで、
作品に。
そうですね。
だから全然、
こういうテーマがあって、
こういうものを撮りに行って、
とか言うのではなくて、
いつもなんとかかんとか、
シャッターを切って帰ってくる、
みたいな感じ。
すごい昔の話だから、
このこと思い出したのも久しぶりって感じです。
本当ですか。
その流れが、
あって、
みたいな感じがしますね。
そうですね。
心がメラメラした体験。
お腹の底からやりたいと思う気持ち。
そして写真作品に対する心構え。
そしてお話は後編に続きます。
31:49

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