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今、始めかけましたね、僕は。録音をせずに。
あぶないっす。
始めていきましょう。
タイトルコールみたいなどっちが言うとか決めとく?
決めといた方がいいですよね、きっと。不思議な間合いで始まっちゃいますもんね。
どっちが言いますか?どっちでもいいですか?
じゃあお願いします。
タイトルコールを言う、僕が言う。
で、自己紹介をそのまま自分がする。
で、福崎くんが自己紹介する。
で、このラジオは、あ、このラジオはってその後かな?どの順番がいいんだろう?
自己紹介して、ラジオの説明ですかね。
どうしましょうかね。
その説明がどう説明したらいいのかがちょっとそういえば何もちょっと考えてなかったと思っていて、
というのもなんかこう単に機材レビューをするとかっていうのじゃないので、
タイトル的にそういうニュアンスとかは含んではないと思うんですけど、
若干必要なのかなと思って。
そうだね、このラジオは主に写真。
主に写真が好きな。
そうですね、好きなくらいがいいな。
道具と人間?わかんないけど。
道具と人間、道具と感覚?道具と何だろう?写真と道具と何なんだろう?色々ですよね。
写真と道具。
写真と道具によって体験がどう変わるのかっていう話?
気がする。
道具によって体験がどう変わるのかっていうのを考えていくラジオですね。
って感じでしょうかな。
このラジオは、写真が好きな2人が道具によって、道具の変化によって、
体験がどう変わるのかを考えていくラジオです。
これ説明されてもまあ、ほーって感じ。
ミステリアスな。
このラジオは写真が好きな我々2人が道具の変化によって、
経験がどう変わるかを、経験?体験?どっちがいい?
体験のほうがいいかな。
体験がどう変わるのかを考えていくラジオです。
で、いいかな。
はい。
どうですか。いいですか。
それでお願いします。ありがとうございます。
はい。
じゃあそんな感じで、タイトルブックを入れて収録しますね。
これ自体は、そのまま話した流れで僕が言ったほうがいいですかね。
自己紹介した流れで。
どっちでもいいよ。どうする?
テキスト送ろうか。
ありがとうございます。
打ってくれた?
一応メモしてました。
一応チャットにも入れました。
良きですか。
でも挨拶したほうがいいね。
じゃあここから撮ります。
はい。
こんにちは。
こんにちは。
写真と道具です。
私は、めっちゃ猫が騒いでる。
ここは後で切りますけど、私は、
私は、フリーでエディターをしている勝股淳です。
神奈川県の広島に住んでます。
僕は、合同会社逍遥学派の共同代表をしています福崎陸央です。
広島県の島に住んでいます。
ちょっと待って、忘れてた。
忘れてた。
ちょっと切っていただいて。
このラジオでは、写真が好きな2人が道具の変化によって体験がどう変わるのかを考えていくラジオです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
第2テーマですかね。
第2テーマですね。
猫ちゃんたちが。
なんかこう、あれですかね、アイスブレイク的に全然関係ない雑談とか軽くしますかみたいな。
そうですね。
最近どうですかというか、まあ年が明けましたよね。
そうですね。
で、なんか最近考えたこととか、なんかどうですか、なんか新年になって今年こうするぞとか考える方ですか。
いやなんかちょっと考えたいなと思いつつ一切何も今考えてなくて、ちょっとどうしようと思っていて。
仕事的なところで言うとちょっと目標は立ててたんですけど、目標っていうか反省会をしてたんですけど、会社としてしてたんですけど。
そうですね、なんかちょっとこの5日間、4日間か、まあ1月5日ですけど、ちょっとだけ仕事して、あとなんかもう本当にこうゾンビみたいな生活をしてましたね、特に。
3日の終わりから昨日まで、今日はちょっとスイッチ入れたいなと思っているんですけど。
ゾンビみたいな、どういう様子?
2つ置いて、で、パソコン目の前に置いて、ひたすら動画とかラジオとか流して、座椅子に座ってダラダラしてるので。
いいな。
ここも出ずに終わるっていう。
いいな。
なんか本とかですらページをめくるって結構能動的な行為だと思うんですよ。
一切もうただただ検索のキーワードをするか、マウスパッドを動かすかくらいしかもう主体的に動いてなくて、ひたすら受け身にこうエネルギーを。
そこまでちゃんと受け身になれるのがすごいな。
いや、本当大変です。何もできなくなってます、今。
忘れてる?働くっていうことを忘れてる?
いやーなんか、でもちょっと危機感だけは今ちょっと出てきてるんですけど、なんかどうやってスイッチ入れるんだっけみたいなのがちょっと全然思い出せなくて。
セリだけにまとまってます。
いいお正月だね。
じゅんさんはどうでしたか?
僕はね、なんかそこまでゾンビ的、ゾンビに憧れはあるんだけど、ゾンビ的なあれ。
なんか久しぶりにめっちゃ本を読んでいますね、最近はね。
大晦日から元旦ってこう、僕大晦日7時ぐらい寝ちゃって。
超早いじゃないですか。
夜の1時とか2時ぐらいに起きて。
で、朝まで本を読むっていう、3、4冊ぐらい読破していろんな本をね。
そっから結構読書スイッチが入り、読書をしている感じなんだが、最近はなんかそんなの当たり前じゃないですかって福崎くんに怒られるかもしれませんが、
目標とか考えるときに、その2024年ってどんな風がいいかなとかってやっぱ考えるので、考えるときに、なんかあんま頭で考えるっていうよりは、
体が喜ぶことってなんだっけなっていうのをいっぱい立ち戻って、例えばコーヒーをゆっくり飲むとか、読書をする。
しかもなんかこう、ハウツーとかじゃなくて、僕小説とかが結構好きなんだ。
そういう方が体が嬉しいなーみたいな。
あ、猫が鼻を食べてる。
そうだった、めちゃめちゃ今上乗ってるなーと思ってたんですよ。
そういうのを、なんだっけな、体が喜ぶことってなんだっけなーとかを最近書き出したりしています。
えー、それやろうかな。いやーなんか僕、全然売り上げみたいな感じ、状態で今取り残されてますね、体ところ。
なんか、そうだよね、なんかその体が喜ぶことみたいなのを散りばめてないと、なんかこう、機運ができないんじゃないかなっていうか、雰囲気がなんかこう、
ついついこう、頭で考えたことってこう、もう機運がなくても続けちゃったりするから、決めたことだしとかって言って続けすぎたりしちゃうから、それはそれで大事な時もあるんだけど、
こう、なんて言うんだろうね、やっぱ比較とか社会の要請とかがすごい混ざった状態の思考から出てきたものを目標に置きすぎちゃうっていうのは、なんか喜びから離れていく部分もあるのかなと思って、ちょっとそういうことを最近考えてますね。
うん、いいっすね。すごく大事だと思います。やろう。やります。
そんな、2024年の一発目の収録ですけども、今日は、何したっけ。
今日は、前回道具のこととか、使ってる道具とかを話したりとかしてて、そこから撮影の体験だったりとか、いろいろこう話していく中で、結構こう、やべ、影響を受けた作家さんのこととかについて話しませんかっていうのをやってたんですよね。
で、ちょっと準備してきて、今日臨んでいるっていう感じですね。
お、準備してるんだ。
いや、してない、すいません。
してない。
本だけ、今、目の前に置いたって感じです。
はいはい、いいっす。僕もまあ、いったような状況かもしれない。
えー、どっちから、どっちからいこうかね。
そうですね。
僕がまた先に聞こうかな。
わかりました。
じゃあ、小崎くん。
これは、えっと、自分が影響を受けたものとか、作家とか。
そうですね。
っていうことだよね。
別に写真家とかである必要もないし、人でなくてもいいと思います。
場所とかでもいいかもしれないですね。
はいはい。これは自分が写真を撮る上で影響を受けてそうっていう感じ。
どっちにします?
基本、その方がいいか。広すぎちゃうもんね、ちょっとね。
オッケー、オッケー、わかりました。
人生に影響がありましたとかっていうのも、もうちょっとワイドになる気がするので。
自分の写真活動に撮影効果、影響を及ぼしてそうなものや人や音、自然物など。
そしたら、小崎くんが思いつく、いくつかを教えていただけるとありがたいです。
一応ですね、今日3つあって。
3つ、そう明確だ。
すごいですよね。3つしか家になかったとも言うんですけど。
はいはい。
足本俊子さんの写真集『一夢は夜に飛ぶ』
写真を撮るときに一番多分自分が影響を受けた作家さんが足本俊子さんっていう写真集なんですけど。
一夢は夜に飛ぶっていう写真集で。
これ、僕ナンバーワンで好きな写真集ですね。いくつか買ったりもしたんですけど。
へー。
謎にサイン入りなんですけどね。
なぜなぜ。
作家さん、たまたまこれ買ったのがアートブックフェアみたいなやつに行ったときに買って、
じゃあ作家さんが来たんですよ。
サイン書いてもらえねえよみたいなことを売り子さんに言われて、
おーとか言いながら、すいませんって言って書いてもらったっていう。
なるほど。
今思えばありがたかったなという感じなんですけど、写真はこういうのとか。
モノクロ?これって。
モノクロです。オールモノクロでこういうのとか。
へー。ちょっとなんとなく死の気配を感じる感じが。
そうなんですよ。
そうですね。ちょっと簡単な言語化をしてくれですけど。
なんかね、ちょっとね、すごくそう感じます僕も。これとか。
うん。なんかシンデレラみたい。
ただこれなんかあの、表紙とかもこういう感じなんですけど、
これは娘さんを写真撮ってるんですよね。
なるほどね。
だからもうなんかこう、超生命力にあふれてる姿勢を撮ってるんだけれど、
すごくこう、なんていうか、現世に来てる感じがしないというか。
そうだね。
こういう感じ。
へー。なるほど。なんじゃこりゃ。
だいぶマニアック。だいぶマニアックな写真集ですけど、すごい好きで、
割とよく見返してるんですよね。
これは何?水中で?
これはそうですね、水中の写真なんですけど、
なんか粗さみたいなものの使い方とかがすごいこう、うまいというか。
なるほどね。
私なんかこう、なんていうか、ちょっとエアーが暗くなってきちゃったけど、
なんかすごい面白い写真がたくさんあるんですよね。
娘さんが写ってないのもあるんだ。
そうなんですそうなんです。
で、まあそういう感じで結構枚数もたくさんあるんですけど、
えっと、付読本みたいのがついてて、メッセージブックって書いてあるんですけど、
谷川俊太郎さんとかはじめに、いろんな人がこの写真集についての言葉を書いてるんですよね。
ほうほう。
それもすごくこう、面白いので、すごく影響を受けています。
最初に読んだときに、やっぱりなんかこう、なんで惹かれるのかわからないけど、すごく惹かれたんですよ。
で、えっと、今で自分で言葉にするとやっぱりなんかこう、
その場に現れてる、あるのに見えてない世界にいるというか、なんかちょっとこう、
なるほどね。
ちょっとやっぱり異世界にいる感じみたいなものが、すごくこう感じるのが、
僕の中では惹かれた理由なのかなと思っていて。
写真の異世界を求めて
異世界にいる。
はい。写真を撮るときとかも、なんかこう、ちょっと自分がこう、写真が、
なんかリアリティ、写真ってリアルなのかリアルじゃないのかみたいな話とかもあると思うんですけど、
なんかこう、違う世界にいるような写真を撮りたいなというふうに思う、
ようになったのは多分この人の写真集を見てからですね。
なるほどね。
で、
須貝くんの中にそういう思いがそもそもっていうか、あるってことなんだ、この写真を見て以来。
そうです。で、僕の中では結構明確に自分の写真の影響を受けてたのが、この水族館で撮ったやつなんですけど、
ここら辺はなんか割とこう、
あー、なるほどね。
その時は別にこの本を思い出してはいなかったんですけど、
なんかこう、すごく明確に影響を、俺とかも特に受けたなぁと思ってますね。
はいはいはい。
橋本志子くんが一番写真を撮る上では影響を受けているというか、
なんか逃れられない。
それがいつぐらいに言語化されたっていうか、
異世界の魅力
なんか何かと出会って、よく理由はわからないんだけど、
これがなんか、惹かれる?惹かれるというか、手放される?
見てしまうというか、なんかいいなとか、いいって言葉じゃないかもしれないけど、
なんだ?っていう感じの、すごい伸びる、それに対して伸びてくっていう感覚を、
最初に言語の前にそれが来て、
で、それが異世界にいるっていうことなのかもなーって思ったのはいつぐらいなんですか?
それが去年で。
去年?割とだから最近。
そうですね。去年のなんか水族館の写真撮った時に、
なんかすごくこう、自分としてはなんか納得感のある写真なんだけど、
撮った時の記憶は全然ないみたいな。
記憶はない。
記憶なくて、夢中で撮ってて、だったんですけど、
その、撮った中で、
なんかこう、ちょっと、
時間の、写真から感じる時間の感覚とかが、
なんか自分が思い描いているものに近いなというふうに感じて、
なんだろうなーと思った時に、なんかちょっと異世界を覗いているような感じなのかなーというふうに、
僕がそのレベルまで行けてるかどうかとかを置いといて、
そう感じたんですよね。
なるほどね。
で、その後は、そっからそれはすごく意識するようになって、
撮るようになりましたね。
そう。
病院とか。
異世界性の何がそんなにいいんですかっていうか。
わかんない、それは。
なんでなんだろうなーと思いますね。
どういうことなんだろうか。
そういうのを見た時に、
他に写真じゃなくてもいいから異世界性を感じるものってあるんですか?
そこで言うと多分なんかこう、
これもう一個あれなんですけど。
はいはい。
それじゃわかんないな。
えっと、あのこれ、
僕の大学の母校の、
武蔵野美術大学の助手展っていうのをやってるんですよね、毎年。
助手の方々が展示をする。
一応研究室の助手として入ってるんで、
皆さん研究テーマを持って入られていて、
美術大学の助手展
で、その研究テーマを毎年発表する場所として、
助手展っていうのがあるんですけど、
結構この助手展を見るのが僕はすごく好きで、
現代の作家さんだったりとか。
これシルクスクリーンなんで半画なんですけど、これは。
2015年の助手展のやつを僕は見てます。
聞いてる人は何をやってんだっていう感じかもしれない。
助手展の図録を見てます。
そうです、図録を見てます。
さっき写真集見てて、今は図録を見てます。
さっきはね、さすがに写真集。
検索したら出てきます。
出てきます、出てきます。
2015年助手展むさびで調べると出てきます。
で、特徴としては若手の作家さんが作品を制作している、
その大学に所属しているっていうのと、
すごくクロスメディアに行われている。
いろんな作品、彫刻もあれば写真もあるし、映像もあるし、
インスタレーションもあるし、
研究みたいな論文とかもあったりとかするときもあって、
すごくこう、ザッタ、ザッタと言いますか、
なんかなんですけど、
結構そういう意味で言うと、僕写真家の人ってほとんど知らなくて、
最近、ここ1年くらいでやっと調べ始めるようになったんですけど、
僕自体はだいぶやっぱ絵画とか彫刻とかインスタレーションとか、
そっちを見るのがすごく好きでした。
で、特にこういういわゆる油絵の作品とか、
これ何?日比谷さんっていう方なんですけど、
その色の作り方みたいなものとかはやっぱすごく面白いなとか、
それこそ油絵とかだとマチエルってこう、
うねりがあって凹凸が、筆の動きとかで凹凸とかができたりして、
それをマチエルって言ったりするんですけど、
そのテクスチャというか動きのある筆で描いてるとか、
あるいはコテで描いてるとかいろいろありますけど、
どうやったらそういうテクスチャが出るのかなとか、
綺麗な色出したいっていうよりかはどっちかっていうと、
僕大学のアトリエで制作したときに、
横の人が木とか森とか自然物をモチーフに描いてるのに、
いきなり赤とかピンクとか塗りだしたんですよ。
僕本当に知らなくて、絵をどう描くのかとか知らなかったから、
ずっと見てたら、
ハイライトとかシャドウみたいなところに色をのせてる場合もあれば、
そもそも草とかの色味そのものが、
ちょっと現実のものがずれてたりとかするみたいなノイズ感とか、
見る人によっては違和感だったり気持ち悪さ、
見る人によっては心地よさを感じるみたいなのがあったりして、
色使いの自由さというか、
自然物って緑とか青で描くんじゃないんだみたいな、黄色じゃなくて、
赤とか紫からいくんだみたいなのもちょっと驚きとか、
色から解き放たれてる感みたいのがあるなと思ってるので、
自分が現像するときとかも、
ちょっと汚くなるようにしてるっていうか、
よくよく見ると画面に破綻があるようにちょっと現像したりするんですよね。
これちょっと気持ち悪いとこに青出てるなとか、
草とかだと、やっぱ青とか緑とかシアンとかが、
ちょっと転んだりするじゃないですか、変に色出たりとか、
それを直さずに出したりするのは結構好きで。
なるほどね、なるほどなるほど。
なんかそれが結構、フィルムだとやっぱフィルムの色があって、
暗室とかで現像とかプリントするときはある程度いじれますけど、
僕はそういう環境がないんで、
デジタルの方がその着彩の不安さとか弱感みたいなものとか、
汚さみたいな、汚さっていうか、
なんていうかこう、濁った色っていうのが出しやすい気がしているというか、
自分の試行錯誤できる幅があるんで、
結構デジタル写真やってるのはそこらへんとかがあるなっていう。
あとはまあなんか、ちょっとそこら辺は技術的なあれですけど、
なんかこういろいろ作品とか見てて、
なんでこれ選んだんだろうとか、
なんかこう、
たぶん写真撮るときって美しいものを撮るみたいなものとかって、
すごくモチベーションとして大事だと思うんですけど、
なんかこう、作家さんたちのやつとかって、
むしろこう、怖いものとか、気持ち悪いものとか、
結構撮るに足らないものとかが写されてるとかもあったりとか、
まあするなと思ったので、これとかもなんか面白いんですけど。
へえ。はいはいはいはい。
これはある。
日常写真っぽい感じ。
はい。
二宮さんという方なんですけど、
ずっとこう、自分のことをずっと記録し続けるっていう、
iPhoneのメモと、スマホの写真で、
それをひたすら壁に貼ってやるっていうのとか、
はいはいはいはい。
でもなんかこれって、すごいこう写真として面白いなと思って見てて、
記録と言えば記録なんだけれど、
ライオン系を撮ってるとか、
すごく面白いなと思って、
なるほどね。
なんかこう、バシッと構図決めるみたいなのが、
やっぱ決まると楽しいからよくやるんですけど、
こうでこう、
なんでその上で撮ったんだろうみたいなのとかもすごくあるから、
なるほどね。
写真で言うと被写体に対する良し悪しっていうのは、
なんか存在しないなという立ち位置。
で、望んでいるきっかけにもなっていますね。
やっぱりこの環境ですけど、やっぱ。
はいはいはい。
それが高評価されるかどうかとか、
写真家の影響
素晴らしいかどうかはちょっと置いといて、
そういう感じでやっています。
はい。
それってさ、その、
まああの異世界みたいな話だったじゃない?
はい。
これって、さっきのヤチムの、
ヤチムなんだっけ?
キチムは夜に飛ぶ。
キチムの。
キチムは夜に飛ぶ。
というものに出会う前から、
そういう嫌いはあったってことなんですか?
それともそういう作品に出会っちゃって、
何か自分が決意的に、
そういうことを追いかけていくようになったっていうことなんですか?
そうですね。
それは間違いないですね。
自分が大学にいたときに、
助手さんの一人が写真家だったんですよ。
写真を撮られてて、
これ、昔もしかしたらじゅんさんに紹介したかもしれないですけど、
こういう写真を撮ってたんですよね。
これ写真なんですか?
そうなんですよ。
若葉ゆうきさんっていう人なんですけど。
若葉ゆうきさん。
ちょっとこれは調べてみてほしいね。
写真だとは一見思えないかもしれない。
そうなんですよ。
この人のテーマ、
テーマというか、
研究テーマというか、
作家としてのテーマっていうのが、
カメラを通して見ることを考えるっていうことをやっていて、
なるほど。
これを調べると、他にもいろいろ面白い写真がたくさん出てきてて、
この若葉さんの作品と出会ったのが、
大学の1年生の鑑賞をするような授業だったんですよね。
作家さんの。
アーティストにインタビューをするみたいなのを、
そういうテーマの授業だったか忘れたんですけど、
そういうことをしてたんですよ。
やってたんですけど、
え、これ写真?っていうふうに思って、
僕も全く写真だと思ってなかったんですけど、
写真だったっていうのが分かり、
僕が思ってる写真って、
スマホでいい写真撮れたなとか、
高校生の頃とか思ったりしてて、
その写真自体は別に、
何か価値が下がることは僕の中ではなかったんですけど、
一方で、何のために写真を撮るんだろうみたいなのとか、
いい写真ってなんだろうみたいなのとかが、
すごく感じるきっかけになっていて、
そういうところで、
すごく気軽に写真を撮るっていう行為だったんですけど、
日常の延長線上として。
作品として写真を撮ってる人たちと出会ってから、
あるいは美大って、
美術的な素養を持ってる環境とかに生まれた人とか、
あるいはそれがすごく好きで、
色々自分なりに時間を重ねてきた人だったりとかがいる中で、
僕はもう本当にごく普通に受験勉強してて、
全然美術とか本当に知らない中でやってて、
でも美大に入ろうとして入って、
作家を目指してる人たちの写真、
それは普通に絵を描いてる人とかの普通のスナップの写真とか見せても、
やっぱ面白い写真がすごい多くて、
自分がパッと見てわかんないけどただならぬものを撮ってるなっていうのが、
すごくよくわかる。
中で、なんて自分の写真はつまらないんだろうっていうのは感じたんですよね。
今もそれはありますけど、別に面白くないなとか思っちゃってるんですけど。
そこらへんはなんかちょっとコンプレックス、
コンプレックスを抱えて、
抱えられるほど自分ごとにもならなかったというか、
当然いい存在すぎて。
なるほどね。
でもやっぱりすごく影響を受けてますね。
なるほどね。
その問いを戻すと、
その異世界みたいな感覚は、さっきの作品に出会う前からあったって。
そう、そう思いますね。
なんか、彫刻であっても絵画であっても、
やっぱりこう、見た瞬間に、
なんていうか、自分のこういる、
その時のなんか状態が変わってしまう作品ってやっぱあるなと思っていて、
なんかすごく支配されるというか。
なるほどね。
なんか部屋に入った瞬間に、自分のスイッチが切り替わってしまうとか、
そうかあるなとか、
なんかこう、すごく没入感があるというか、
なんかあの体験が、その時は言語化してなくて、
あ、好きだなとか、
なんかこう、ひたすらずっと見ちゃうとかだったんですけど、
今のところ、自分がそのなんかこう感覚に名前をつけるなら、
なんか異世界にいるような、
異世界にいるもいろいろあると思うんですよ。
なんか本当にこう、美しいような異世界にいるみたいなものもあると思うんですけど、
なんか僕の中ではちょっとこう、怖さみたいなものがある場所っていうのが、
すごく面白いなと思う感じですね。
いやもうこれあれだね、これ詳しく聞いて、
まあ別に僕と福崎くんが近いって思ってたかどうかわかんないけど、
全然違うところに質疑があるんだなっていうのはよくわかります。
結構これいくつか聞きながら思ったことがあって、
あの全然まずどうでもいいことから言うと、
このラジオの構造、
そしてなんかあれだね、この前半と後半とかになるんだったら、
前半はもう僕が聞いてる、福崎くんが喋ってる感じで、
お題に対して片方が喋りて片方が聞き手みたいになると、
わりとわかりやすいなと思った。
そうしましょう。
変に僕もこうだよねとかっていうことが始まるよりは、
なんか聞いていくっていうことに集中できた方がちょっと楽しいかもなって思ったので、
1時間とか取るんだったら、
なんとなく一人が話し切るまで聞き手というかをやって、
でまた一通り着地したかもなってなったら交換するみたいな構造にすると、
わりと有意義かもなみたいな感じの。
テーマがあって雑談ベースだったら、
多分単声でも大丈夫だった。単声というか、
あ、やばい、11時のチャイム。
いいのかなと思うんですけど、
そんなに自由に話してもいいと思うんですけど、
今日みたいにちょっと持ち寄って説明する、話すタイプのやつは、
特にそれがあった方が良さそうですね、前後編で。
そうだね、なんかそっちがしましたね。
編集店やばいんじゃないですか、これ。
確かに。
そろそろもうあれだよね。
どれぐらい録画してるかってわかるの?
これわかんない。
あ、わかるかな。伸ばしたらわかる。
わかんないな、これ。
でも、たぶんそろそろそれぐらいな感じだよね、きっと。
はい。
一旦、でもあれか。
僕が感じたことを先に喋って、そこで自主に行くという感じ。
自主というか、次の回に行くという感じにすると、
いろいろもう、そうだね、気になったことはたくさんあるのだが、
やっぱそのちょっとこの怖さとか、
けんきくんが使う単語でざわつきとか、
よごすとか、なんかそういうちょっと一見、一見っていうか、
ネガティブな、ネガティブな、
なんて言うんだろうね、こう、エントロピー増えていく方向みたいな感じ?
物事が崩壊していくこととか、
混ざっていくこととか、揺らいでいくこととか、ずれていくこととか、
なんかそっち側にある種の破壊的なベクトルというか、
なんか死んでいくベクトルというか、
整ってない方向に、なんていうか、進んでいく言葉っていうのが、
結構出てくるっていうのが、面白いなっていう感じがすごくした。
あとさ、そういうことだったんだなって思いながら、それは聞いた。
あとはその、言葉で捉える瞬間みたいなこと?
なんかこれがいいなとか、いろんなものに出会いながら経験があって、
これって異世界っていうことなのかなって、やっぱこう整理された瞬間、
整理っていうか、異世界っていう言葉を究極の正解とも別に今思ってないと思うんだけど、
でもなんかこういうことなのかもって、なんか思うときってあるなと思って、
いくつかの作品に出会ったり、自分が写真を撮って過ごしてる人の中で、
なんかこういうことみたいな、自分はこういうことなのかもみたいな瞬間って、
やっぱすごいなんか面白いなって思うなとか、
あとその作品の侵入性っていうか、出会ってしまったのを元の位置に戻れないような体験というか、
なんかそういうものっていうのもすごく感じた。
なんかそれってもう選べないっていうか、なんかこう、
これを取り入れようとか取り入れないにしようとかっていう判断があるっていうよりは、
なんかもう、出会って即侵入されてるんで、もう変化しちゃいますみたいな。
体験ってすごくいいなーって思いながらいろいろ聞きましたね。
なんか交通事故でもあり、プレゼントでもあるというか。
確かに、確かにそうかもね。
そういう感じ。
確かに、確かに。
そうだね、避けれない。
でもいいかもね。
交通事故でもあり。
結構これは面白いね。
そうですね。
一旦そんなところで。
次週に。
次週は聞いて話してを。
そうですね。
聞いていきますかね。
一旦この回はここまでということで、また次週みたいな。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
はい。
はい。
で、
第2回。
タイトルコールしたほうがいいんですかね。
タイトルコールしたほうがいいかもね。
OKです。
練習にもなるし、何回もやってると。
本当ですね。
僕がタイトル言って、自己紹介して、
おだしょー君が自己紹介してセットアップ。
はい。
2つ目の時は前回の振り返りみたいなのを簡単に入れるって感じでしょうか。
はい、わかりました。
はい。
はい。
こんにちは。
こんにちは。
写真と道具です。
私は松本純です。
フリーでエディターをしています。
神奈川県の平塚に住んでます。
自分は福崎力夫です。
合同会社商業学科の共同代表をしています。
広島の島におります。
このラジオでは写真が好きな2人が道具の変化によって体験がどう変わるのかを考えていくラジオです。
前回は福崎が影響を受けた作家さんについていろいろ話しておりました。
今回は純さんが影響を受けた作品だったりとか、作家さんだったりとか、あるいは物とか場所とか、
いろいろ特に何かを決めてるわけではないんですけれども、影響を受けたものについて伺っていこうと思ってます。
これ、今前回の振り返りを喋っていただいて思ったけれども、
福崎くんが3冊用意していたうちの2冊しかまだ紹介していない。
1冊、あとの1冊はもう流しなんで、大丈夫です。
大丈夫ですか。
大丈夫です。
またどっかホームイングで触れれそうだったら触れましょう。
はい。
じゃあ一旦役割をかけて。
ではでは。
僕が選んできた本を紹介します。
結構、先週が福崎くんの話はすごい深みがあったけれども、
僕はなんでナンパに写真を撮ってるんだろうって思う2冊かもしれないんですけど、
そんなことない。
この2冊です。
へー。
高橋洋子さんの写真集
1冊目が写真家は高橋洋子さんで、
アオイユーを撮ってるトラベルサンドっていうやつです。
トラベルサンドっていう名前のごとく砂漠を旅してる、
西海岸の砂漠のあたりを旅してるながら、
洋子さんとアオイユーが2人で旅をしながら撮ってるっていう。
めっちゃいいですね。
写真集です。
へー。
風景としてはアメリカの砂漠とか、
カフェ、ダイナーみたいなとこでご飯を食べたりとか、
こういうアメリカの風景が展開されてくる写真集。
アオイユーの写真集ではあるので、
基本的に被写体としてアオイユーという状態が1冊目で、
もう1個がこっちの、これめちゃくちゃ有名だと思うんですけど、
藤城明沙さんの写真集
藤城明沙さんっていう写真家の人が撮った、
これも被写体が女性で、田辺歩美さんっていう人をひたすら撮ってる。
奥さんなんだよね、この人はね。
で、タイトルがもううちに帰ろう、もう家に帰ろう、なんかタイトルなんですけど、
基本的にずっとこう、彼女というか嫁というかをひたすら、
スナップっぽいのかななんていうか、撮ってる。
もう考えると多分もうほんと決定的にこの2冊じゃないですかね、僕。
へー。
思うかな。
他にもいろんな写真集がうちにありますけど、
この辺はかなりデカいですね。
大好きな写真集。
写真をやってみようかなって思ったのは、
もう家に帰ろう、うちに帰ろう、
このこっちをたまたま純駆動でパラパラしたから。
へー。
あ、じゃあ本との出会いが結構一個大きいきっかけなんですね、写真を。
デカい。
なんか写真集って、多分もう普通の感覚、マジョリティの感覚からしたら見ない。
まず見ない。
わかる。
ほとんど。
まず写真集なんて見ないですよっていう、なんか意味がわからないですよっていう、
なんかその立ち位置にいたんですけど、
これを見た時にちょっとこう、あ、面白いのかもって思えた。
へー。
面白かったですね、これはね。
めちゃめちゃ気になる。
エッセイを読んでるみたいな感覚になるんですよね。
言葉もあるんですか?
言葉もあります。
写真が連続しながら、こうやって一言入ってたりするのよ。
へー。
なんか、なんだろうね。
なんかね、なんでもないことが書いてあるんだよね。
バンコク行きの時、アミの一番好きな外国へとか、
さっきと逆ですけど、
死のけがいのない写真が好きだとか、
どこで撮ったか忘れてしまったとか、
なんかね、一言よくわかんないことが書いてあるっていう感じの、
文章と写真とみたいな感じの、なんすかね、
本当日々の記録みたいな感じでもありながら、
なんでもない感じ。
なんか、今振り返ると、
どうしてその本が良かったというか、手に取ったというか、
何が良かったと思いますか?今、当時の自分を振り返ると。
なぜ、手に取ったのかの方?
好きになったというか、その写真集とか。
関係性じゃないですかね。
この撮影と被写体の関係がこのよく、
だから、この写真自体というよりは、
写真と撮ってる人の間にあるものがたっぷり残ってる感じ。
そこに興味があるっていうか、
かつ、これってすごいプライベートなことじゃないですか。
プライベートな関係性と写真の雰囲気
すごいプライベートですね。
受ける印象としては。
見ていいのかなって思う。
その感じがまた良い。
この人と、めいささんと、あゆみさんの関係性は、
絶対僕がそこに入り込むというか、
その感覚を知ることはないはずなのに、
その感覚が再生されてしまうっていう感じ。
なんかいいんだよな。
人のあんまりそういうプライベートな距離感みたいなのって、
説明されてもわからないし、
でもここにはそれがよく映ってて。
でもなんかそれがこの2人の固有というよりは、
どこかで自分とも通じてくる。
自分のそういう人と付き合うとかね。
なんかそういうことが通じてくる部分があるっていう感じ。
なんかそれこそSNSとかでも、
家族とかパートナーとの写真、恋人とかとの写真を、
かなり近い関係性で撮ってる方もいらっしゃるなと思いつつ、
なんか今ちょっと僕がzoom越しに見た写真集の雰囲気って、
すごいなんか質度があるっていうか、
関係性とか写真の雰囲気に。
そうかもそうかも。
なんか綺麗だけど、
ちょっとこうスカッとした綺麗さとはまた違う感じがしてて。
そうかもね。
なんかじっとりではないんだけど、っていうかすごくこう。
ちょっとだけ悲しいよね。
そうなんです。
ちょっとだけ悲しいかも。
もうこういう時間はなくなっていくっていうことが、
わかっているというか、
なんかこういうね、若い20代とかの感じかな、
20代か30代とか、
どんどんなくなっていく時間だっていう感じがすごい、
なんかあるかもしれない。
そこも確かに好きかもしれないね。
パカーンってしてないっていう感じが、
なんかいいっすね。
なんかこうちょっと悲しい感じ。
それもまあ惹かれた理由かもしれないですね。
明るすぎない。
僕あの村上春樹とか好きなんで、
なんかちょっとどっか暗いみたいな感じっていうのはすごいやっぱり。
影がある感じ。
影がある感じっていうのは。
確かにね、影がある感じ。
なんかじゅんさんってすごくお気に入りの写真で、
誰にも見せてない写真って結構あります?
ある。
結構はないけど、ある。
それは、なんか勝手に公開。
でもね、そうだね、ありますね。
今勝手に公開したらまずいから公開してないって言おうとしたけど、
それだけでもないかもなと思って。
なるほどな。
なんで?
いや、なんか僕そっちの方が大半というか、
なんか好きな写真ほど公開したり人に見せたりしない。
なるほど。
作家性と関係性
なんか人との関係性がそういうこうすごくパーソナルな関係性のものもあれば、
なんかこう自分の内面的すぎる感じの写真とかは、
なんかこう。
なるほどね。
ちょっと見せるのにためらいがあったりしてて、
なんかこう。
はいはいはいはい。
あおいゆうさんの方の写真集、
そのたかしおこさんのやつはちょっとわからないですけど、
今あの人の写真集とかはすごくこう、
本当に見ていいんだろうかみたいなくらいの感じをすごくするというか。
確かに。
へーやーへー。
こっちのがカラッとしてます。
うーん。
ほんとだ?
うん。あおいゆうの方がね。
へー。たかしおこさんの写真めっちゃいいなー。
うん。たかしおこさんにはまった結果だけっすね。
うーん。
へー。
これはなんだろうっていう。
なんか、あおいゆうを撮ってるけど、
写ってるのはあおいゆうですけどみたいな。
うーん。
写真がなんかいいぞみたいな。
うーん。
たかしおこさんの写真はいろいろ、写真集ね。
うーん。
家にあるけど。
うーん。
質感が好きっすね。
うーん。
だから、
うーん。この2冊だな。
うーん。
これは。
たかしさんの写真集に出会ったのは写真を始めてどれくらいだったんですか?
どれくらいだったかなー。
でも、これとこれね、たぶんね、結構近い気がする時期としては。
うーん。
発行年がわかんない。
2000、2000年代後期とかなんですかね。
2000、もう家に帰ろうは2004年発刊で。
2004年。
うーん。
2004年か、だから俺発刊してすぐ見たとかじゃ全然ないと思いますね。
うーん。
大学生の時期気がするから。
うーん。
僕は大学生なのに2008年、2009年とかに見てる気がするんで。
うーん。
発刊してしばらく経ってからです。
うーん。
僕が見た。
で、青い湯の方は、これも2005年発刊ですね。
うーん。
こっちもなんか大学生の頃に見てると思うんだよね。
うーん。
まあ、2008、9年ぐらいに僕はこの辺の方に出会って。
うーん。
当時はそんなに写真を自分がやるとは思ってなかったけれども、
結果的に立ち戻る場所になってるっていう感じ。
うーん。
だから見た瞬間にすごくそこまでめっちゃ引き付けられたとかっていうよりは、
あれ、なんか写真って面白いな、なんかみたいな感じで見てて。
これ写真集なのに見れちゃうな、みたいな感じで見てて。
うーん。
でも写真を続けていっても結局この辺に戻ってくる。
うーん。
この辺に戻ってくるなあ。
じゅんさんって古典とかやられてたりとか、それこそ今僕ここにあるんですけど、これとか。
そうね。
僕が今前に作った冊子を持ってきてくれたんですけど。
はい。
なんかこう、場所を、展示を作るとか、冊子を自分で作るときとかに、今の2冊とかって、
こう、影響を受けてたりするなって感じたりされますか。
えっとね、これはね、割と最前線な問いだよ、その辺は。
うーん。
次、今写真集みたいなものを作ってるんだけど、次それを作るときには盛り込めそう。
おー。
でも前の展示はそこまでイメージ的にっていうか、自分が意識的にそれを盛り込めなかった気がしてて。
うーん。
もちろん影響を受けてしまってるっていう意味で、ポーズとかそのテンションとか、現像の生き方とか、
そういうものはもう多分に、いろんなこう、なんていうの、入っていると思うんだけど、
でもそれ、前に展示をしたときってもう少し、なんていうんだろうな、
なんかその写真を販売したとかっていうのもあって。
あー、なるほど。
家に持って帰って飾れるっていう前提も考えてたんだよね、俺ね。
うーん。
でも自分にとっての写真の本質は、そういうちょっと関係性とか、
うーん。
うん。
もう少し物語めいたところにある、というのが最近の僕の自分に対する見立てだから、
うーん。
今やるとしたらもう全然違うことを。
なるほど。
するって感じなんだよね。
だから、今作っているその写真集は、多分にそういうものを盛り込むことになる。
うーん。
なーと思って。
確かにそこら辺ってすごい写真、全然知らない、知ってる人でもいいですけど、
ポートレートの写真を買うのって難しいですよね。
というか、捉え方が。
そうだね。
あり得るとは思うんですけど。
うーん。
なんか、目線がね、あったりすると、
うーん。
うーん。
なんていうか、もう情報がさ、
うーん。
すぎちゃって、多すぎるっていうか、固定されすぎちゃって、
うーん。
あ、人の顔だ、みたいな感じになっちゃう。
うーん。
なんだかよくわかんない方が、
うーん。
なんか、鑑賞時間に耐えうるってことが、
うーん。
めちゃくちゃ大事になっちゃうから、家とかに置くんだったら。
うーん。
それを考え、
へー。
したねー、その時はね。
へー。
それだけやってると、ちょっとあれだなーと思ったから、
そのちっちゃい冊子みたいなのを作って、
なるほど。
今、
そう、その冊子にあった写真は、
展示会場には全くないのよ。
なるほどー。
会場は、なんかこう、飾っとけるもの、
うーん。
と、自分のエッセイみたいなものを、
ばーって、
うーん。
貼ってて、
で、それだけだと、うーんって思ったから、
日常をスナップしたようなものっていう、
ちょっと付属で、
あとなんかこう、
なんていうんだろうね、
展示会場にこう、フラッと遊びに来てくれた友人が、
なんかそんな写真とか買わねえだろうっていうのが、
なんか、
なんていうんだろう、いらない人たくさんいるだろうっていうのが、
まあ前提だから、
うーん。
絵ですらみんな買わないんだから、
写真なんかもっと買わないわけで、
うーん。
そういう時に、なんかこう、
写真集と展示会場
ちょっとやっぱり、何かしら応援したい気持ちみたいなのを、
うーん。
見せる場所としての小さい冊子みたいな、
うーん。
で、まあ、確か1000円とか1000枚券とかなんか、
そういう感じで、
お土産の感じで持って帰れるっていう、
うーん。
フランスも含めて、
そういうものを作ったっていうところも結構あるから、
あんまりこうね、
うーん。
最初の、
その2020年だったかな、
にやった展示っていうのは、
うーん。
まあ、エッセイとかもあったからね、
ものすごい自分の中心をぶち込んだっていうよりは、
うーん。
どうすれば成立するんだろうなっていうところも結構考えちゃってた。
うーん。
うーん。
それはそれで良かった部分もあるとは思っているんだけど、
次やるとしたらもう少しこう、
勝手にやろうっていうか、
うーん。
自分としてはこうですっていうのをもう少しまとめようかなっていうのが今やってることか、
うーん。
なんかすごくこう、
展示してる風景とか、
広くしてほしいですね。
なんていうか、
その、
そこに来た人とかの、
なんていうか、
とじゅんさんとの関係性とか、
はいはい。
なんかこう、
気になりますね。
めちゃめちゃ。
へー。
今話を伺ってて。
どういうことっすか、それは。
どういうこと?
うーん。
やっぱりなんかこう、
なんか関、
関係性、
うーん。
なんか、
じゅんさんが自分で展示されてたときに、
チェキンで撮ってたじゃないですか。
うんうん。
あれすごく、
僕、
なんか、
好きで、
良いなあと思っていて、
でもなんか何が良いのかはなんか分からなくて、
なんか良いなあだったんですけど、
当時。
今なんかお話を伺ってて、
やっぱなんかこう、
他者とのやっぱ接続の仕方とか、
すごくこう、
どう接続されてるのか、
関係性がどう結ばれてるのかみたいなのが、
なんかすごく、
じゅんさんの中で、
大事なところにあるんだなっていうのを感じて、
なんかその、
エンディングのまとめ方
そういう意味で言うと、
多分なんか写真だけでは完結しない、
写真とか言葉だけ、
なんかこう、
作品がボンってあるだけじゃなくて、
なんかその作品の周辺がどうあるのかみたいなのが、
すごくなんかこう、
気になるというか、
なんかそう、
A面がその作品だったりとか、
写真集だったりとか、
展示だったりとか、
出力するものだとしたら、
それをなんか受け取った人たちのあり方とか、
じゅんさんとの関係性とか、
がB面なんだろうなって思って、
そういう意味ではあのチェキってものすごいこう、
記念写真でもありつつ、
記念写真こそやっぱ関係性が出てくるじゃないですか。
確かにね。
全然知らない人とかが撮ると、
やっぱりこう、
よそしい雰囲気が出てるけど、
知ってる人同士が撮ると、
もうなんかこう、
すごく関係性が現れるというか、
だからなんか良かったのかなと、
これはなんか勝手に僕が今、
意味付けしてるだけなんで、
当時の感想ではないんですけど、
感じて、
包括的なんだなというふうに感じました。
なるほどね。
僕は考えないですね。
一番最初の、
逆に一番最初の展示を自分がするとしたら、
買ってもらえるかどうかは、
なんかゼロベースで考えて、
意識は入ると思うんですけど、
なんかこう、
そこまで意識は、
でも回らないだろうなと思って、
やっぱなんかこう、
来てくれる人の存在っていうのが大事なんだな、
っていうのを感じましたね。
いる人。
そうだね。
そうだね。
だからある種その周辺のことも含めないと、
完結しないというか、
なんかそんな感じに聞いてるね。
なるほどね。
そうだね。
だからやっぱりなんか、
そうだね。
この辺がさ、
自分勝手にもう少しこう、
やれる方がかっこいいというか、
そういう人を作家と呼ぶんだろうなとかって思ったりするんだけど、
でもまあなんか別の作家性の、
コミュニケーションみたいなところに、
関心があるっていうことなんだよね、
そういう人やもんね、自分が。
確かにそうですね。
そうかね。
なるほど。
なるほど。
なんか、なるほどっすね。
はい。
なるほど。
なるほど。
ちょっと、
謎に、
なんだろうね、宿題じゃないけど、
やってみたいことが増えたような感覚がありました。
こんなとこで、
そうですね。
大体、たぶんね、時間なんだろうね。
うーん。
なんか、まとめ方というか、
回の終わり方どうしたらいいのかなって、
前回思ったんですけど、
このラジオの。
まとめ方ってどういうこと?最後の。
なんかこう、
あ、じゃあ終わりますみたいな感じに、
なるぞこれはって、
オンっておくじゃないですか、こう。
エンディングってこと?
あ、そうです、エンディング、エンディング。
あ、エンディングね。
エンディングどうしようね。
まあ、ということでって、
今日のあれじゃない、
サマリーっていうか、
軽い振り返り。
今日の実感の軽い振り返りで、
次回のお題はマストではないか、別に。
そうですね。あるか。
なんかだから、
ラジオ収録の振り返り
次回のお題って別になんか、
その回のラジオの最後に言わなくても、
例えば第3回みたいな収録があったときに、
そこで別に決まってればいいわけだから。
そうですね。
それ確かにいいですね。
言わなくてもいいですよね。
だから振り返りして、
こうだったねみたいなのを、
ちょっと簡単に感想を述べ合い、
ということで、
今日もありがとうございました、
みたいな感じかな。
ですね。
1個だけ今回の収録で気になってるのが、
一切道具の話してないんですよ。
確かに。
してない。
なんかこうまとめでどうにかして、
道具の話に行けないですかね。
もしくは頭出しで、
この話を道具の話に続けられないのかと。
どうですか。
しなくてもいいっていうのはない?
しなくてもいいとは思うんですけど、
2回目でそれはありなのかっていうのだけが、
気になってる。
いいじゃないですか。
いいですかね。
なんかさ、
そんなにさ、
順応ってこれを聞く人って少ないと思うんだよね。
確かにトピックで。
たぶん12回とか放送回がたまったりとかしてて、
で、バーって見て、
この主題が興味があるみたいな感じで、
押す。
押すとしたら押す。
僕もそうです。
からまあ、
こいつら2回目でいきなり道具の話してないやんけ、
とは、
ならないですね。
ならない。
いや、たぶん僕も、
僕でもそうだと思います。
気になるやつから聞いていくんで、
2回目から、
1回目から順を追うことはないだろうなと思うんで、
OKですかね。
写真集の影響
それはもうね、
ガチ勢の聞き方だからね。
それはたぶん想定してないですね。
OK。
良いと思います。
じゃあ振り返りして、
感想を話して、
振り返りして、
話しましょう。
どうでしたか、今日は。
そうっすね。
なんか、
うーん、
でもなんか前回の話の、
結構アンサーになるような部分が、
多かったなと思っていて、
うーん、
なんかこう、
じゅんさんが影響を受けた写真とか、
写真集か。
はい。
うーん、
納得感もありつつも、
はいはい。
うーん、
うーん、
なんていうか、
納得感もありつつ、
なんていうんすかね、
うーん、
全然寄せてるわけではない、
というのが、
そうっすね。
先週を見て、
はいはい。
感じたことというか、
えー。
えー。
うーん、
なんかもっと、
まあ、
正直抽象的なことになっちゃいますけど、
なんかじゅんさんの写真って、
もう少し涼しげというか、
えー。
なんか湿度はあるけど、
涼しげな感じがしていて、
はいはい。
し、
まあ、道具の話で言うと、
なんかあの、
先週、
先々週か、
35ミリを使うっていう話を、
してたと思うんですけど、
うんうん。
なんかこう、
高橋よこさんとかも多分、
40ミリとか35ミリとか、
ちょっとこう標準、標準、
標準広角みたいな、
うん。
まあ、使われてるのかなとか、
でで、
先週も多分関係性の話とかが、
出てきたりしてて、
うーん、
でもなんかこう、
関係性の中でも、
関係性が映りやすい、
画角として35ミリっていうのは、
なんか納得いったんですけど、
うん。
なんかこう、
だからこそ、
なんか近さとか遠さみたいなのが、
すごくあるんだなと思っていて、
ほう。
えっと、
一番最初に見せていただいた写真集の方、
うん。
あの、
奥さん、パートナーの方との写真の方は、
やっぱすごく近い関係性が映ってるなと思っていて、
そうだね。
うん。
で、えっと、
なんかじゅんさんが撮ってる写真、
もう全てを僕は見てるわけではないので、
ちょっとこう一概には言えないんですけど、
なんかじゅんさんの写真は、
なんかどっちかっていうとやっぱなんかこう、
間が一個あるというか、
うんうんうん。
っていうか、
はいはいはいはい。
じゅんさん、
なんかこう、
間があって、
その人たちがいるっていうのが、
うん。
なんかそれは被写体との距離感ではないレイヤーでやっぱあるなと思ってて、
ほう、
なるほどね。
うん。
なんかこう、
なんて言うんすかね、
なんかじゅんさんとの関係性じゃなくて、
じゅんさんがそこにいる場所が映ってる感じがするんですよね。
その空間とか。
うんうんうん。
うん。
なるほどね。
僕の感想なんですけど、
なんか普遍的な何かとか。
はいはいはい。
まあでもなんか、
はい。
そうかなと思ってて、
うん。
なんかそれがこう、
そうっすね。
うん。
たかしおかさんのやつともやっぱちょっとこう、
距離感っていう言葉がいいのかわかんないんですけど、
なんかやっぱり、
やっぱり違うっていうか、
ちょっと見せるか。
なるほど。
なんかこう、
そのなんか一個、
一個間があるっていう。
うんうん。
一個何かが間があるって、
他のレイヤーが挟まっているというか、
何かの間があるっていう現象から出れない。
なんかその、
こうなっちゃうの、
なんか、
なんでなんだろうと俺自分でもわかんない。
なんか、
その現象から出れないって。
こじつけになっちゃうんすけど、
まあじゅんさんがこう写真の個展を開いたときとか、
の、
その展示の組み方とかもやっぱりこう、
うーん、
ちょっと客観性がやっぱりあるというか、
客観というか、
まあ俯瞰性があるなと思ってて、
上から見てる感じがする。
なるほどね。
だからなんか写真に写ってるのも、
なんかもしかすると、
なんか他者との関係性じゃなくて、
なんか、
ある種のセルフポートレート的な側面があるなと思って、
今ちょっと見つて、
写真の関係性と作者の表現
だからなんかこう、
うーん、
まあその、
それこそ、
あの、
被写体との関係性が写る写真って、
関係性が写るってことは、
撮り手も写ってないけど存在してるじゃないですか。
うんうんうん。
で、それがこう、
すごくこう感じられるっていうところで言うと、
なんかこう、
うーん、
やっぱこう、
一個こう、
一個間があるからこそ、
なんかこう、
じゅんさん自身の人間性みたいなものが、
すごく写ってる感じが、
今見せてもらった写真集よりも遥かにするなと思いますね、僕は。
なるほどね。
なんというか、
うん。
どこにこの人はいるんだろうとか、
どんな感じだったんだろうみたいなのは、
なんかすごくこう、
ありますね。
へー。
すっごいこれでも、
めちゃめちゃ主観的な話なんで、
なんかこう、
いやでもなんか、
めちゃくちゃ参考になってるっていうか、
参考になってるって言い方変だけど、
はー、みたいな。
そういう見方にする人みたいな感じですかね。
それは俺はやっぱり、
分からない部分、
分からないっていうか、
他者が僕の行動を観察しないと言えないぐらい、
僕が一体化しちゃってる行動原理というか、
行動のことみたいな気がする。
そうですね。
聞いててね。
じゅんさんの写真って人が写ってなくても成立してるんですよね、
その関係性っていうところで言うと。
うーん、そうね。
人間がやっぱりこう、
空間とか場所とかに対して、
この人撮りたいみたいな主題が、
あの2冊にはありましたけど、
それがなくても成立してる感じがする。
確かに。
写真集として作るときにテーマを決めて撮ってるからこそ、
あるいはテーマを決めて写真集を作ってるからこそ、
より一人の人を追いかけるっていう構造になってるので、
逆にじゅんさんがそれをしたときに何が起こるのか、
僕ちょっと知りたいですね。
何か主題があるっていう状態になったときにってことね。
人だけを追いかけてる写真集とかを組んだときに、
単純に10枚並べるとか20枚並べるとかでもいいんですけど、
本として作んなくても、
なんかこう、それはすごい見てみたいですね。
めちゃくちゃ細かく観察していますね。
それに今俺は驚いてる。
なんかラジオやってて思うけど、
ラジオというか会話というかを、
こういうフォーマットでふざけた喋ってて思うけど、
基本的に分解分解っていう、
このミクロのミクロ、ミクロに入っていくっていう感覚がすごいするんだよね。
確かに。
なんていうか、僕2つの遊び方があるなってよく思うんだけど、
1つはそのミクロにすることっていう、
細かく分けてしまうことっていうのが、
新しい世界との出会いになって面白いなって思うんだよね。
どういうことかっていうと、
例えば、僕ずっと平塚に住んでるんだけど、
平塚にいながらも知らない町内をちょっと歩いてみるって、
平塚をミクロに扱いになっていくっていうか、
通ったことない路地で、
その路地でできる遊びを考えてみるとかって、
いる場所はほぼ変わってないのに、
大文化してみてるので、
新しい世界に広がるっていうことかなと思って。
で、もっと分かりやすい遊びはディズニーランドに行くとか、
その海外旅行っていう拡張性を持たせる、
その日常的な範囲の外に出ていくってことで、
出会っていくっていう遊び方が、
大きく2種類あるなってよく考えるんだけど、
それの割とこのミクロにしていくっていうことの特性が、
なんか、ちょっと異常みたいな。
基本細かくしていくっていう多様が、
やっぱ粉砕系あるんだなっていうのを、
ひしひしと体験感じますね。
それが面白い。
なんか、ちょっとまとめなのに伸びちゃって、
自分の話になっちゃうんですけど、
なんか、やっぱ結構神に細部は、
神は細部に宿るみたいな話があると思うんですけど、
なんかこう、細部ってやっぱりその人の眼差しとか、
なんかこだわりとかが、
現れやすいなというふうには、
結構明確に思っていて、
なるほどね。
なんかこう、
すっごい雑な話ですけど、
写真撮るときに画面端まで気になる人と気にならない人がいたりするじゃないですか。
それはなんか、物を見るときもそうだと思うんだけど、
で、なんかこう、
僕はなんか細かいところ、
そうやっぱ無意識が現れてると思うので、
無意識のこだわりとか、
眼差しが現れてると思うので、
すごいこう、見ようと思うんですよ。
それはなんかこう、自分がこう、
デッサンをやったときに身についた方。
デッサンの授業と表現の固さ
デッサンをやった、別に僕受験としてすごいやったじゃなくて、
ひたすら授業で受けないと単位がもらえないから、
必死で描いてたんですけど、
ときの先生の見方とか、
周りの友達が描いてる絵が、
デッサンで似たような角度から描いてるのに全く違う。
それはこう、
なんかそこがやっぱ表現なのかなと思って、
固いものを固いと感じるときにどういうふうに固いのかみたいな、
ってやっぱり人それぞれ受け取ると思うんですけど、
なんかこう、意味的な固さ、
教科書的な意味的な固さみたいなものあるけど、
やっぱりこう、ひんやりしてるとか、
ひんやりしてる固さに目を向く人もいれば、
なんか石っぽいみたいな見方で見てる人もいて、
それはやっぱ出る感じがするんすよ。
なるほどね。
で、
なんかそういうふうに見られたときに、
僕が、これ前回もしないですけど、
授業で、前回話したかな、どうかな、
デッサンの授業終わった後に、
先生から派手な彼女作ったほうがいいよみたいなフィードバックがきて。
えー、派手な彼女?
そう。
派手な彼女を作ったほうがいいみたいな。
下手なんすよ、めちゃめちゃ下手で、
見えてないですよね、目の前のものが。
見て描いてるんだけど、こいつ全然見えてないなっていうものを描いてたから、
わかりやすく派手な彼女と出会って、
関わることで、
あの、見えるようになるんだよっていうことを、
言おうとしたのかなと、僕は思うんですけど、
謎フィードバックですよね、だいぶ。
すごいね、角度が鋭角っていうかなんか、
絵自体の話とかじゃなくて、
しかも道具の話でもなくて、
人間の生き方っすよね。
そう。
おもろいね。
まあ、なんかあの、本当はボコボコに言いたかったんだと思うんですけど、
だいぶオブラートに包んで育ったんだと思うんですよ。
あー、そういう。
結構冷酷に言われるんで。
でも、何て言うんだろう、こう、
ただダメ出しをしてるっていうよりは、
改善案を提示してくれてるよね。
そうなんです、ありがたいっす。
だから、いいね、すごくすごく。
ありがたい時間だったので、
すごくこう、気にするようにはしてますね。
なんかでもそういうさ、これ何だろうね、
これもう余談で、
余談で2回言ってくろうと思ってるんで、
もう、頭は効くけど。
なんかその、無意識みたいなところにさ、
そういうものが出るっていうことは、
まあ、そうかなって聞いてて、
僕もなんていうか、
そうなのかもしれないって、
普通に飲み込める、飲み込む話なんですが、
だとしたら、
だとしたらなんか、
この意図して制作してるものってのは何なんだっていうか、
あの、何て言うかね、
何て言うんだろうな、
こう、全て出ちゃっているというか、
よく見れば、
いろんなところから、
そういうものが表出しているのかもしれなくて、
こうなってくると、
この意識的に制作してるものって、
何なんすかね、っていうか、
何て言うかね、
なんかそういう感じのことを思いましたね。
そうっすね。
なんか、
言語化が大事だっていうのって、
僕すごく大事だと思って生きてきたんですけど、
言語化できたことについては、
再現性を作れるなとも思っていて、ある程度。
なるほど、なるほど。
派手な彼女を作るフィードバック
なんかこう、
仮に当てた言葉じゃなくて、
やってたうちに言葉になったものって、
その言葉を使えるようになるじゃないですか、っていうか。
確かに。
身体的にやっぱ獲得した言葉って、
自分ごとになるので、
そういう意味ではやっぱこう、
言語化って大事だなと思うんですけど、
やっぱなんか言語って、さっきじゅんさんが言ってましたけど、
なんか粉砕する行為、
分解する行為だから、
なんかこう、
複雑化させていったり、
シンプルにさせていくとか、
いろいろベクトルはあるけど、
なんか危ない部分としては、
分かった気になるっていうのが危ないなと思っていて。
はいはいはい。
私なんか言われた本人が、
そういうふうなものとして、
自分自身を捉えてしまうとか、
人に対して言ってなくても、
やっぱりこう、
なんていうか、
そういうものだという形で、
分かったふりをできてしまうのも、
やっぱ言語化だなと思っていて。
そうだね。
だからなんかこう、
そういう意味で言うと、
やっぱ意識的に作るものって、
徹底的に設計して作ることもできると思うんですけど、
でも出てくるんじゃないのかなと思ってるっていう。
意識に選んでしまった部分が。
なるほど。
ちょっと話脱線しちゃった。
話しながら考えながら話したからちょっと、
何を話したかったのか忘れましたけど。
そんなにいろんなものを細かく見ているの?
なんていうか、
全部の辞書に対してそれをしてるんですか?
それとも、
なんか意図的に見てみようみたいな感じがちょっとあるっていうか。
なんか僕のコンプレックス、
コンプレックスじゃないですけど、
言語化と受け取り方
さっきのその助手店の冊子とか見ててもそうなんですけど、
僕の世の中に対する解像度の粗さに駅役することがすごくたくさんあって。
逆に?
そう。
ほうほうほう。
例えば、
数学とか、
科学とか、
計算する式とかあるじゃないですか。
はいはい。
あれを僕は力技で覚えて生きてきた人間なんですよ。
あー。
その、
論理とかロジックとかっていう根本的な理解をせずに、
公式とか、
これはこういうもんだからっていう、
訳詞定義っていうか、
定石みたいなのを暗記することで解いちゃうみたいな。
そうですそうです。
で、
それってやっぱ表現にもあるなと思っていて、
表現活動っていう言葉なのかわからないですけど、
なんていうか、
なんか、
例えば、
一緒に何人か出を見に行った時に、
やっぱこう、
感じてるものが違うじゃないですか、
当たり前に。
で、
僕はすごく、
意味を求めてしまうというか、
構造だったりとか形とか、
背景みたいなものを見ながら見るんだけれど、
一緒にいた人たちが、
すごく切ない感じをするとか、
なんていうか、
全然違うものの見方をしている。
で、
さっきの公式の話で言うと、
公式を、
僕は、
なんとなく自分の中で意味付けして見れちゃうんだけど、
使えるとか、
無理やり覚えるとかっていうのをやってるんですけど、
それができない人たちって、
なんでやるのか意味がわかんないって思える人たちって、
すごいなと思って。
なんかそういう、
繊細さ?
起こってることとか、
自分の感じてることに、
分からないと言える繊細さだったりとか、
あるいは、
感覚的に、
ものすごく受け取っている。
切ないっていう言葉が、
すっごいいろんな意味を含んでるけど、
その人から発せられる切ないっていう言葉の、
なんていうか、
受け取っていることの大きさみたいなものが、
重さとか大きさが、
すさまじいなと思って。
そういうものと触れているからこそ、
自分が本当に荒いなと思ってしまうというか、
なんか文句が言えるのって本当にすごいと思うんですよ。
なんか恨みぶしで文句を言ってるわけでもない、
時の文句ってすごいと思うというか。
あー、なるほどね。
それはものを見ているから言えるっていうこと?
そうそうそうそう。
立ち止まって見れてるからこそ、
文句が言えたりとか、
この話はしたわけじゃないですけど、
なんていうかこう、
そうっすね。
そういう人との関わりによって、
細かく見るようにはしているし、
なんかその見方によって、
僕が多分受けてきた教育とか、
自分が多分核にあるのは、
デュレーター教育だと思うので、
作家と共にいるための自分の在り方としては、
今の見方っていうのは一つこう、
道具として成り立ってはいるんですけど、
なんかでも呪いを吐いてしまっている時もありそうだぞっていうのを思っている。
っていうかこう、
それが人を縛ってしまうことも起こるなーっていうのはすごく思っていて、
なるほどねー。
ちょっとなんかこう、自分の話になっちゃいましたけど、
細かく見えてるのかっていう問いについては、
分かんないです正直言って。
ある種のそれと逆の体験というか、
そうですね。
物が過去とかに存在していて、
なのでちょっと、
もう少し受け取ったり見たりっていうことが、
できたらいいのにっていう気持ちを持っているんだなと。
そうですね。
そういう受け取り方がしたいためになんか、
訓練はしてるけど、練習してるけどみたいな感じですね。
なんかそういう別の受け取り方してみたいなって。
でもなんかじゅんさんも全然、
なんか、
なんていうか、
なんで細かいと思ったんですか逆に。
えー、なんで細かいと思ったか。
細かいから。
なんで細かいと思ったか。
細かいから、確かに。
髪のメッシュが細かいなーって思った。
それなんか、なんだろうね。
えっとその、
それが短絡的に、僕のメッシュがめっちゃ粗くて、
さっきからのメッシュが細かいから、
それが上位互換だみたいな話ともちょっと違くて、
僕の、
なんていうんだろうな、物事の捉え方ってやっぱり、
ダーツのブルっぽい感じがしてて。
なんていうんだろう。
この物事の真ん中って、
こういう感じかもなーっていうところに、
レーザーっぽく注意が照射される感覚がありますよね。
でも、だから道具としての機能が違うっていうか、
僕はそういう真ん中を串出しにするみたいな、
そういう感じで捉えていっちゃう特性なんだけど、
ふざきくんのはもっとメッシュっぽいっていうか、
そういう感覚があるから、それがまあ面白い。
その特性が面白くて、
はー、みたいな、そのやっぱり道具性、
これ道具の話になった?分かんないけど、
道具、自分のその眼差しが道具だとしたらね、
結構違うことの面白さからの質問。
なんか芯を食うときのコツってあるんですか?
めちゃめちゃ、めちゃめちゃ、
質問の質がこう、だいぶ変わりましたけど。
ブルーを当てるときのコツっていうか、
考えない感じかな。
考えないで、
その事象とかその人とか自分の、
なんかこの意識っていうか、
なんか注いでる?意識をかけてる
領域の偏りみたいなのを見てるかもしれないですね。
なるほど。
なんかこう、その言葉で説明してるとか、
うんうんとかっていうか、
なんかこう偏ってる。
結局ここにレクトルが指していってるなーっていう、
雰囲気みたいなのを捉まえるっていう。
感じかもしれない。
だからなんか、
感じてると偏りがある感じがしてて、
それが極端にどこかに溜まってるっていうか、
耳がこう落ちてるとこに溜まるみたいな感じで、
その人の思いとかエネルギーとか、
言葉のボキャブラリーのチョイスの質字とか、なんかそういうものとかが、どこかに溜まっていってる偏りみたいのがある気がして、それがどこら辺なんだろうなーっていうのは見てる。むしろそれしか見てない部分があるから、だから余計に細かさっていうのが面白いっていうかね、なんかそんな感じか。
言葉のボキャブラリーのチョイスの質字とか、
なんかそういうものとかが、
どこかに溜まっていってる偏りみたいのがある気がして、
それがどこら辺なんだろうなーっていうのは見てる。
むしろそれしか見てない部分があるから、
だから余計に細かさっていうのが面白いっていうかね、
なんかそんな感じか。
うらやましいな。
え、なんて言った?
うらやましいなと思って。
うらやましい?悩ましいなかと思った。
なんかあの、じゅんさんに参加してもらった、
島の中の自然を見ていくみたいなやつあったじゃないですか。
あれの時のあの人もやっぱりこう、
振る舞いっていうか、姿を見てる感じがするというか、
様子とか姿とか、
全体的な関係性をバッて見た時に、
こう、なんていうか、全体性を見れてる感じがするっていうか、
なんかそれを今、じゅんさんの話から聞いたというか、
うーん。
なるほどね。
あの時計武田さんが。
そうです、はい。
そのなんか全体感というか、
まあ全体感の感が多分感覚の感じゃなくて、
観察の感だと思うんですけど、
なんかその見方みたいなのって、
うーん。
なんか強烈な見方だなぁと思いますね。
なるほどね。
なんか僕は多分それがあんまり得意じゃないから、
端っこから行くみたいな。
いい、いい。
そうかもね、そうかもね。
そうかもそうかも。
はあ、いや、なるほどね。
写真とかにも現れてそうですね。
現れてるだって。
そうだね。
ちょっとまあなんかすごい遠いところまで歩いて、
歩き出したらなんか、
俺あっちも行ってみるみたいな感じになってしまいました。
こんなところで、
エンディングっていうか、
あのボーナストラック。
はい。
エンディングで一本あるみたいな風にしようかな、この会話。
発見がありましたすごく。
はい、ありましたこちらも。
ありがとうございます。
はい、ということで、
第2回というかもうこれは第2回プラスボーナストラックはここまでということで、
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
えっと、