今回は、伝右衛門製作所運営・大阪谷未久さんにお話を伺いました。
千葉県館山市にあるYANE TATEYAMAという複合施設の中にある、伝右衛門製作所で革製品の製造をされている大阪谷さん。
まずは現在に至った経緯についてから、伺いました。
伝右衛門製作所:https://www.instagram.com/awa_gibier.leather/
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stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6513739a0bc9d6e1d690bae1
千葉県館山市にあるYANE TATEYAMAという複合施設の中にある、伝右衛門製作所で革製品の製造をされている大阪谷さん。
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サマリー
今回のエピソードでは、大阪谷未久さんが廃棄される革を活用した革製品の製造について語っており、地域貢献の重要性を強調しています。また、立山GBAセンターの立ち上げや自身の移住を通じての経験も紹介されています。大阪谷未久さんは、立山の素材を用いて革製品を製作する工房を運営しており、地域の廃棄革を利用した製品化を進めています。地域とのつながりを大切にしながら、独自の道を歩んでいます。さらに、里山の素材を活用し、地域の資源を魅力的にするための様々な共同プロジェクトを推進しています。伝統工芸やアートを取り入れ、革製品だけでなく多様な製品を考えることで地域課題の解決を目指しています。伝え門製作所の運営を通じて里山の素材を活かし、地域資源を還元する仕組み作りにも取り組んでいます。
革の6次産業化について
ゆいなわさんの聞く人ラジオ、皆さんこんにちは。 ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は伝右衛門製作所運営・大阪谷未久さんにお話を伺いました。 千葉県立山市にある屋根立山という複合施設の中にある伝右衛門製作所で革製品の製造をされている大阪谷さん。
まずは現在に至った経緯についてから伺いました。
お仕事って言ったら何ですか?って言ったら何になるんでしょうか?
そうですね、ちょっと一言では言いづらい感じもありますけど、今は革の製品、革の何て言いますかね、
廃棄されている革の状態からまずレザーに変える。そのレザーを革製品に変えるみたいなところを一貫してやっているような感じになりますので、革の6次産業化みたいな感じです。
革の6次産業化?
普通だと革職人っていうのは革なみしのところに行かないんですね。
基本的にはもう出来上がっている革を革販屋さんが持っていらっしゃって、そこから購入をしたり小売店で購入をして革製品の製作をするんですけど、
私の場合は元革製品、元々革製品を作るというところに入ったわけではなくて、今地域で捨てられている革をレザーに変えるというところからやっているので、
そういった普通の革職人だったらタッチしないところから入っているような形になりますね。革をレザーに変えるという。
革、その辺の詳しくないんですけど、廃棄されてしまう革っていうのがあって、本当だったら廃棄される。そこをレザーに変える、製品にできる状態にするっていうこと?
地域での取り組みとGBAセンター
そうですね。革っていうのは基本的には、日本、世界的にも牛とか馬、それから豚、この辺りが一般的に使われていて、他にはエキゾチックレザーっていうのはヘビとかワニとか、
あとはオーストリッチだったりとか、いろいろな革ってあるんですけれども、でもやっぱりオーソドックス的なところで言えば牛と馬なんですね。
ただですね、動物の革って基本的に全部レザーにはできるんですよ。
そうなんですね。
今、チンチの中では有害鳥獣っていう対策ですね。有害鳥獣対策っていう中で、ずっと動物たち、野生動物が駆除されて、それを単純に駆除したものを今までは廃棄するだけ。
その後何かするっていうのは手間暇もかかるし、やったとして売れるっていうのはそこまで見通し付けようとすると、すごい大きな出品になりますから。
基本的には捨てるのが一番楽ということで、みなさん捨ててきたわけなんですけれども、最近そういった流れの中で、やっぱりこういった動物命を奪って捨てるだけっていうことに対して、やっぱり違和感を持っている方ってすごく多くて。
徐々にGBAっていうような形ですね。お肉を食べれるんだから食べようと。今までも自家消費っていう形で、漁師さんたちとか捕獲者さんっていうのは多分食べれる人は食べてたと思うんですけど、
これをしっかりお肉として流通させようっていう動きが全国各地で出てきてまして、ここの立山でも2021年に立山GBAセンターっていうものができまして、そちらでイヌシシのお肉をメインで流通できるようになってきたんです。
ただ、お肉って結構さばいて流通させるっていうところは結構いろいろやってるんですけど、基本的に皮、それから骨っていうのはお肉を獲った後の副産物として産業廃棄物になってしまうんですね。
なのでそちらの皮の方をレザーに変えるっていうようなことを私が4,5年かけて今やっているというような形になりますね。
それはもともとやってた方がいたのか、大阪谷さんがやるって言って立ち上げたというかやり始めたのか。
4,5年前っていうとすごく黎明期というか、使っている人特にイヌシシとかシカっていうのは結構全国的にもちょこちょこ出てきてたっていうような形ですね。
エゾシカなんていうのはもっと昔から北海道のほうではかなり長くやっているような感じになります。
千葉っていうところに関して言えば、そこまで多くない方っていうところですね。
イヌシシ、シカ、キョン全て扱っているとかあまりなかったと思います。
キョンっていうところなんかは千葉県の中だけでしかいなくて、全国、一応伊豆大島にもいるんですけど。
活用に回っているのは千葉県だけで、やっぱり皮に他の全国どこでもなってないわけですね。もちろんいないから。
千葉県の中ではイスミとかカシワとかを、本当に一人二人やってらっしゃる方がいたよっていうぐらいから私が関わり始めて、
自分で毛皮なめしを、廃棄されているこの皮を自分で毛皮にまずしてみようということを5年ぐらい前に始めて、
そこから一緒にやっている仲間が立山自衛センターを立ち上げるよということで、皮の廃棄物の活用を一緒にやってほしいということで、東京の仕事を辞めてこっちに来て、
本格的に活用に携わりますというふうになりまして、その時にやっぱり毛皮だとあまり流通先がなかった。
これから先もなさそうというので、レザーにしなきゃいけないねということで、そこからイヌシシシカキョンの3種の皮をレザーにしていくという試みを一応独学でというか、
本格的に始まってからは東京の両国にあるカワコーン製作会社さんが、ちょっとこう修行に受け入れてくださって、もうそこで学ばせてもらえたんですね。
移住と地域貢献の決断
やらせていただいたというような形になります。
東京でもともと働いていたというのは、全職は何をやっていたんですか?
農業関係の雑誌の編集です。
雑誌の編集。また全然違うというか。
そうですね。もう大学も心理学だったんで、基本的に農業とか動物とか全然関わりのないところから入っているという感じですね。
大学は卒業されて、すぐに出版関係というか、そっちに入っていったんですか?
はい。新卒ではまず出版関係。ただ大学の時からこの南某巣に通っていて、サークルで通っていたんですけど、農家さんのお手伝いをするサークルなんです。
子どもと一緒に田んぼを作るとか、そういうようなことを4年間、5年間、ずっとちょっと1年休学していたんで、4,5年やってまして、
いずれはちょっと農業のことをやりたいなと思うようになっていて、ただちょっとすぐに収納だったりとか、農業の何かって思いつかなかったというか、あんまり現実感がなかったので、
一旦情報を集めたいなと、逆に情報を発信したいなというところで、農業の関係の雑誌の編集というところを選んで。
平日は都内で働いて、週末は南某巣に通わず、農家さんと交流をする、お手伝いをするということをしばらく続けていましたね。
その編集とかはやりたいというところの部分で入っていって、一応農業的な部分では週末とかに行って、それもやりたいという方向でやっていきながら、
でも今この仕事をやる何かってあったんですか?
川の方ですか。本当に農家さんと交流をしているうちに、10年ぐらい関わりを持っていると、いろんな相談をされるようになるんですね。
その中で一番多かったのは、やっぱり動物にやられてしまったよとか。畑が、ジャガイモ畑が全部イヌシシに食べられて、もうやれねえなみたいな、
おえねえなみたいな話になって、なんかしてくれよみたいな冗談みたいにね、よく言われたんですよ。
おめえ何とかしてくれよ。じゃあ何とかするかということで、狩猟免許を取ろうと思って。
狩猟免許?そこで狩猟免許?
そうですね。獣害対策というところで、基本的には狩猟だけじゃなくて、柵を張るだったりとか、出てくるようなルートですね。そこの草刈りをするとか。
あと捕獲。実際に出てくる子を捕獲する。その3つのやり方がある中で、どうしても実際に出てくる子を捕獲するというところが対処理法的に一番効果があるというところと、
ありまして、ちょうど私がその頃帰ってたときにですね、狩猟講座がまさか同じ地区の中でコミュニティがあってやってるっていうのを聞いてまして、調べたら本当に私が行ってる農家さんのところと同じ地区で、
そういった二拠点の人たちが集まって、狩猟だったりとか、DIYで里山を開拓するっていうようなことをやっているグループが、
300年古民家を拠点にしてみたらと思って、開拓していこうみたいな面白いことをやっている人たちがいて、山のハウスって言うんですけども。
それでもうすぐ狩猟講座に申し込んで、そうしたら狩猟講座を開催していたのがオキさんという方なんですけど、彼がその後GBAセンターを立ち上げるんですけど、
すぐ山のハウスのメンバーになって、狩猟のこととか教えてもらったり、開拓も一緒にやったりしているうちに、肉はみんなで自家消費してたんですけど、皮は捨ててたんですね。
それでやっぱりその皮を何かにならないんですか?みたいな、何かにはなると思ってオキさんということで、調べますって調べて毛皮なめしできそうだったんで、
なめしてみるんでいただきますねって言って、平日都内で働きながら週末ちょっと皮なめしをみたいなことをやり始めて、綺麗な毛皮ができたんですね。
なめしてみるんでって言って、なめせるもんなんですか?
なめせましたね。できなづらくかもしれないですけど、その時にすごくいい、今日の皮を生え毛皮にさせていただいて、それを腰当てっていう腰に巻くものにしまして、ビルドつけてずっと使ってました。山で採掘するとき。
じゃあもうそれで、こっちの方向みたいなのが。
いやでもその時は全然面白いなと思って。
面白いなって感じですね。
物作りが好きだったので、やっぱりそういった身近な素材、廃棄されてしまう素材をこういった資源としてアイデア取材できるっていうのがすごく面白いと思ったんで、
そのオキさんと一緒に駆除された子たちを私は皮をいただいて、少し毛皮を作ってみるっていうことをしばらく続けてたんですけど、そのうちにその方が立山自衛センターを立ち上げると。
個人でやってた時とはやっぱり比べ物にならない枚数の皮が出てくることになるので、普通だったら産業廃棄物としなきゃいけない。
なので活用したいから一緒にやりませんかと声をかけてくださって、でもう私は都内の会社を辞めてこっちに移住をしてっていう感じですね。
決断としては結構大きいじゃないですか。やめてくるっていうのって生活自体がガラッと変わってくるわけだから。
もうずっと2拠点みたいな感じ。週末はこっちにいたのと、実はいつ移住しようかみたいな。
思いはあったんですね。
35か30かみたいな。元から結構最終的には農村地域、私がずっと関わってきた地域をやっぱり盛り上げたいというか、一緒にここに住んで地域を存続させたいみたいな思いはずっとあったので。
ただそのすぐじゃなくて、すぐに移住ではなくて、やっぱり一回東京で働いて情報を得るし、発信できるスキルを得てからと思ってたので、ちょうど3年ぐらい働いてたので、もういいかなと。
移住の決意と仕事のスタート
ちょうどコロナもあったし、東京で働くのは元からあんまり得意ではなかったので、もういつ行こうかなという時だったので。
じゃあやっぱり移住で一番難しいのは仕事だとは思うんですよね。
生きる術がないと移住というところまで行けないという中で、やっぱり大木さんが立山自衛センターでの立ち上げで仕事があるよというふうに言ってくださったので、それでこっちで生きる決心ができたというところになりますね。
具体的に普段仕事してますって言って何するんですか?
今は製造制作と言いますか、店舗運営が近藤日月ありまして、基本的に。あとはイベントワークショップの依頼とかも多数いただいていて、オーダー品とか。本当はいろいろもっとやりたいことはあるんですけど、ちょっと今は落ち着かないような状況で。
そうですね。ずっとお忙しい日が続いていて。
そうですね。
そうなんですね。始めてある程度経ったらいろんな流れが来て、それに乗っていったらどんどんどんどん忙しくなっているというような感じ。
そうですね。もともと店もやるつもりは全くなくて。
なかったんですね。
なかったですね。自分が店舗を持つとは思ってもなかったので。
それはまたお話が来たみたいな感じなんですか?店舗を持つというのは。
そうですね。やっぱり革っていうのの活用ってすごくやっぱり難しくて。しばらく気取りに乗らなかったんですよね。
やっぱり立山自衛センターではできないということで、独立というか、その時点で革を辞めるのか、持って独立するかっていう話になったので、
じゃあちょっと頑張ってみようかということで、独立することにして。その時はやっぱり工房何もない。
何もない状態。
ちょっと修行させてもらった東京の両国の革工の製作会社さんが、ちょうどそこもリフォーム。少しカフェをやるということで。
ビルを持っていたんですけど、1階の作業場を革にするということで、機材が出ると。
それがかなり歴史のある機械というか、60年以上経っている機械なんですけど、すごく今では製造されていない良い機械なんですね。
古き良き日本のものづくりという感じの。今は簡単には手に入らないんですけど、いらないかって言われて。
それがあると革の裁断というのが格段にできる。すごく素晴らしい機械ですね。
工房の設立と製品化
ただそれ、機材だけで重さが1トンあるんですよ。
それ素人でちょっと扱えないような。
普通に民家に入れられないですよね。もう床抜けちゃうので、そうすると下がコンクリートの工場がないと。
使えないんですよ。
でもそんな、なかなかどうしようかなと。
ちょっと小民家を山の方で買っていたので、そこを改装して工場にするかと思ったら、改装費がすごい金額になるので。
外すぐには無理だなと。間に合わない時期的にも。
夏には改装するか、それまでに出したいということで。
そんなところで、ちょうどここの屋根立山と複合施設のオーナーさんが、
私が独立を決める何ヶ月か前から遊びに来てくれてて。
どこに遊びに?
立山事例センターに会いに来てくださった。
本屋を作ると。
その時はその話があって。
ハイビルをリノベーションする本屋さんを作ると。
そこにブックカバーを地域の素材で置きたいから、何か作ってくれないかみたいなことを話しに来てくださった。
その時は私も独立なんてことも全然頭に無かったんですけど。
向こうとしては、今私が入っているテナントのスペースが空いてたみたいで。
ガレージで。
何か生産する人に入ってほしいというのがあって、来ていただいたみたいなんです。
ここでやりますみたいなのを。
私は全く知らなくて。
でもすごく面白い方だったので、交流を重ねていて。
ここの屋根立山、またできる前にも遊びに来てて。
ここ空いてるんですって話があって。
話は耳に入れておいて。
そしたら独立することになって。
下がコンクリートで、できるだけ1階で。
店舗と作業ができる場所を。
何か聞いてたなと思って。
すぐに連絡を取ったら。
すぐにトントントンとテナントとして入れさせてもらうことが決まって。
物置状態だったところですね。
4ヶ月くらいでスペースにしてくださって。
すごい。
ちょうどタイミングでテレビの取材とかもしたいっていうのが来て。
まだ本屋さんができてない中で、ちょうど特急でここだけ仕上げていただいて。
まだ何もないガランとしたスペースの中で取材していただいたみたいな。
まさにその流れが回ってきて、その勢いでこの工房ができたみたいな感じ。
そうです。まず機械を置く場所を探していて。
店舗はそれぞれあまりなかったんですけど。
こういう複合施設だったらやっぱり店舗だよねということで。
猫との出会いとコミュニケーション
付随的にやることが決まっていて。
数年前までは予想もしてないような展開が訪れて、今ここにいるぞみたいな状態。
それこそ革製品とか、革職員とも言われることもあるんですけど。
それ自体もやるつもりは全く今までなくて。
革、毛皮を作っているなみたいな。
守備で毛皮を作っている人ぐらいの自分だと認識の中、
やっぱり量をさばくためにはレザーをしなきゃということで、いつの間にか革を学んでいて。
いつの間にかそれで店舗までみたいな。
ちょっと通常とは多分逆のルートを言っているかもしれないです。
なんとなく店舗やりたいなとか革製品で、先にそれがありそうな感じがするんですけど。
どうやらそんなことはなくて、あれ?あれ?っていう感じでここに今いるみたいな。
そうですね。やりたいことをやっているうちにここに至ったという感じですね。
そうか。それはなんか不思議な。語演もそうでしょうし。
不思議ですね。語演ですね。
現在は廃棄される革を製品化する革の屋次産業家というお仕事をされているという大阪谷さん。
もともと革製品を扱うことをしたかったということではなく、やりたいことをやっているうちに今に至ったのだそう。
ちょうどよい巡り合わせ、語演が紡がれ、勢いで形になった後のことです。
今始められてどれくらい経つというと。
店舗をオープンしてから去年の4月にちゃんとしたオープンになっているので、
1年と1、2、3、4、5ヶ月くらいですかね。今1年半くらいになりますから、やり始めて3、4年という感じになりますね。
革をやっている時とやっぱり店舗では違いますね。店舗をやるって言って話が違うというか。
話が違いますね。
どんな感じですか?
まず店舗レイアウトから独学ですね。
それはそうか。
もう店舗、接客とかも今まで私はやったことがなくて、編集者なんで。
その前もバイトは塾講師なんです。
なので基本的に接客対応ってしたことがなく、作っている人間ですみたいな。
興味持ってきてくれた人、私こういうの作ってますみたいな。そこから始まりましたね。
じゃあやりながらなんとなく学んでいくみたいな感じですかね。
そうです。お客さんに教えてもらうみたいな感じが多かったです。来てもらった人にの反応とかを見て、
もうちょっとこういうの準備しなきゃいけないなとか。価格がないんですよ。
価格がなかった。今も値札ないもの結構あるんですけど。
確かにね。買いに来た人にこれって言う感じ。
値札出してなくて。
そういうのを一つずつ学んでいきながら作り上げていってるみたいな感じ。
そうなりますね。
また途上と言えば途上なんですかね。
途上ですね。ずっといつもやったことないことやってます。
面白い。そうなんだ。
さっきチラッと最初、猫がいる。
はい、そうです。
今いないですけど。
猫がですね、ここの店をオープンさせた2024年の4月の1ヶ月後ぐらいに工房に出勤する途中で、
この工房のすぐ前の大通り、立山駅近くの方なんですけど。
すごい手のひらサイズの毛糸玉が落ちてるのを見つけまして。
毛糸玉?
はい。ちょっと車でひき添いになってですね。
いやでも動いてたなと思って戻ってですね。
車でひき添いになったところを止めながら拾ったら、子猫だったんですよ。
はいはいはい。
拾っちゃった。どうしようと思って。
実は猫、今までもずっと拾ってて6匹目になっちゃうんですけど。
これ以上は飼えないぞと思いながら、ひとまず保護したらですね、生後1ヶ月の子猫ちゃんでして。
元気なんですよ。すごく。
とりあえずミルクとか輸入食とかあげながら砂糖屋探してたんですけど、見つかんなかったんですよね。
で、もう2週間くらいこの工房でずっと育ててたんですけど、実家には家の方にまだ猫ちゃん、先住猫ちゃんいたので、ちょっと病気の分がわかるまでここで育ててたんですけど。
もう2週間経つと名前つけちゃいまして。
そういうことね。
ここ屋根立山というビルなので、屋根ちゃんっていう風に。
屋根ちゃん。
屋根みんなのアイドル、屋根ちゃんっていう風に名付けて、もう飼うことにしてしまってですね。
そしたらですね、生後1ヶ月ずっと工房にいるので、接客がプロなんですよ。
私より横の。
よくわかんない。接客がプロ。
プロの接客をしてくれるんですね。
もうそこのドアのところで座ってちょこんとお出迎えをお客さんして招き猫をするんですよ。
入ってきたお客さんにもう腕の中でゴロゴロゴロゴロ子猫の時にですよ。
してくれるんですね。
もうそれで皆さんメロメロでね、本当に。
帰ってきてくれて、猫ちゃんの反射で盛り上がりながらカバーを見てくれるみたいな。
もうこれは店長だなということで、うちの工房の店長はもう彼女に屋根ちゃんにお譲りをして。
お自身じゃないんですか?
はい、私は店長じゃなくて、屋根さんが店長になってました。
私は当社で働かせていただいているという形になりますね。
運営はしているんですけど、一応店長は屋根さんと。
だから運営という風な肩書きとして。
でもね、そこで出会ってなければ、そういう話にならなかったわけで。
ならなかったですね。
それも何かちょっと出会いというか。
大阪谷未久のプロジェクト
そうですね。何もわからない状態で店舗を始めていて、心細い中に屋根さんが来てくれて、大変心強かったですね。
そうか。今いないけど、居る時はいらっしゃって。
そうですね。週末来てくれるんですけど、気分が悪いと行かないようということで。
そういう方なんですね。
気まぐれなので。
気まぐれなんですね。
絶対居るとは言えないですけど。
今日もお客さんが屋根さん居ますか?って言ってくださったんですけど、屋根さん今日は気分が悪くて来てないです。
そうか。そういうお客さんもいらっしゃるんですね。すでに屋根さんにお会いに来るみたいな。
インスタというか、スレスレ屋根さんの日常を発信させていただいてまして。
それを見て来てくださる方とか。
屋根さんにお会いに来る方がいらっしゃって。
ちょっとでも猫なんでね。ちょっと機嫌が悪いと今日は来てなくて。
そうなんだ。
最初の頃はここでずっと長く居たんですけど、夜一緒に帰るようになったので。
出勤するみたいな。帰って出勤するという感じになって。
週末はやれやれ来てやろうかみたいな感じだったんですけど。
最近ね。
そうなんですね。はいはい。
少し機嫌が悪いともう行かないですという感じなので。
そういう感じなんですね。
じゃあちょっと来ていらっしゃれば、ちょっと居たな、良かったなみたいな感じ。
やっぱりずっと小さい子から育っているので、すごく落ち着くのか。
いつも新聞紙の上とか棚の上とかからですね。
はいはいはい。
もう。
居る場所が定番。
しもじも見ていただいて。
しもじもそういうことですね。店長がちゃんと見てるって感じ。
そうですそうです。
ちゃんと買っていただくと、あそこのレジのところに来てちゃんとご挨拶してくれるんで。
すごい。接客。
ああそうなんですね。
プロの接客ですね。
そうか。じゃあ大阪谷さんもそこで学んで、接客ってこうなんだなみたいな。
そうですね。
学び途中みたいな感じ。
学ばせていただいてます。
なるほど。めっちゃ面白いですねそれ。
で、したら一応今そんな土壌のここの工房は、なんかやりながら作られていったと思うんですけど、
なんかこういう風にしていこうみたいなのってイメージあったりするんですか?
そうですね。なんか本当にあるものがあるから、それをどうこうかって話になってくるんですけど、
例えばそこの壁のところ絵が描いてあるアートですね。
実は私の妹が画家でして。
え、そうなんですね。妹さんが描いたって。
そうです。妹が描いているもので、やっぱりそこもそうですし、アートだったりとか商品とアートとか、
いろんな人との共同っていうことを結構積極的に取り入れてまして、
今後ろにあるそちら、川のブローチとかあると思うんですけど、
これはですね、千葉県の伝統工芸のつまみ細工っていうものを技術を取り入れている製品とワークショップになってますね。
これは千葉県の伝統工芸の先生と一緒に開発させていただいたワークショップになっていたり、
その防臭内輪の方もですね、これもこの防臭の伝統産業、伝統工芸の内輪をコラボさせて作っていただいたりとか、
今度はヒンメリっていうちょっと国王の飾りを、日本のストロー、藁を使って作っていらっしゃる方がいて、
その方とコラボした飾りをジビエの川とか里山の素材を使ってっていうのを開発しているところで、
そういった川だけでもなくて、私だけでもなくて、いろんな人との共同で地域の資源をより魅力的にしていくとか、
結構課題と言われている地域の中で放置チクリン、重害対策、秋やツタとかそういうのも含めてですね、
こういうのをアイディアと工夫次第、技術で、やっぱり川だったらレザーにできるし、竹だったらそれこそ内輪にもなるし、
他にもいろんなものも作れるし、ツタからクズとかだと繊維が取れたりとか、
今度やってみたいねって話をまた他の人もやってたりしますし、
アイディア次第で地域の課題を資源にして地域を魅力的にすることができると思っているので、
そういったことをいろんな人とやっていく、実験的にやっていくということで、
デーモン製作所って実はアトリエラボなんですよ。アトリエラボデーモン製作所になってまして、
そういったアートの力とか、そういった地域の資源、それからいろんな人の力でどんどん実験していこうねっていう。
なるほど、そういうことですね。
感じになります。
そっか、革製品の広報だけじゃないという。
それはそうなんだけど、さまざまな要素が取り入れられていって、
1年後には全然違う感じになっているかもしれないし、
その通りです。
地域資源の活用
コラボレーションでいろんなことが起こるっていうことが、
ここでワークショップみたいなものをされるっていうのもあったりとかで、
それによって大阪大地さん自身も出会っていくみたいなことも起こって、面白いっていうことが。
まさにですね。これは実は革って一文字も書いてないんですよ。
ああ、そうか。それに限定してないわけですね。
そうです。やりたいことは里山の素材をどう活かしていくかみたいな。
そちらの方なので、革はその中の一つですね。
じゃあ、もしかしたら全然違うことをやっている可能性もあるわけですよね。
革的なものはもしかしたらちょっと誰かがお渡ししているかもしれなくて、
大阪大地さん自身はその里山何かっていうのに出る可能性もある。
そうです。逆に一つに集中というか、これだけしかないよっていう形はしたくなくて、
というのもやっぱりその今課題になっているものって解決しなきゃいけないんですね。
解決したときにはその素材はなくなってほしいんですね。
ああ、そっかそっか。
なので、きょんというのは特定外来生物ですし、いずれなくしていくための革ですね。
そのためだけに、この革からの収入でしか生きていけないとなると、
その革をなくせなくなっちゃうので、
それはやっちゃいけないことだと思っているので、きょんの革だけってことにもしないし、
ジビエンの革だけってことにもしないので、馬革とか馬革、牛革を使っているし、
何なら革以外の今度は課題を解決していこうねということで、
様々な選択肢の中から今自分ができそうなものをピックアップして、
それがちゃんと製品になったときにですね、
言ってしまえば今動いているのは自分なんですけども、
その売上の一部を使って地域の、実際に今自分が関わっている三好村とか山名地区の
草刈りだったりとか、農家さんのお手伝いとか、
縁の体験という大学の時からやっていることを今も続けていて、都内から人を呼んでやったりとか、
そういったところに革を活用しても、従来ってなくならないんですよ。
基本的には駆除した動物を捨てていると。
だからそれを活用しましょうねって言っているのであって、
革を活用したら動物が減るか、そんなことはないですね。
捨てられているものを活用してもらう。
それをきちんと動物と人間との衝突している関係性を改善していくために使うことによって、
初めて革ってちゃんと従来のために革を使ってますよということが言えると思っているので、
今なんかはそういった形で農家さんだったり、
本当はもう少し広い何かしら仕組みを作りたいなと思っていて、
それこそもう少しネットワークだったりとか、
還元の仕方というのをみんなで考えていければというところで、
拡大を目指しているわけではなくて、
ここの資源を最後どうやったら農村地域に還元できるかということを考えながらやっているという感じですね。
広い仕組みというのは何かあるんですか?
今実は革の方でいうと、千葉県でGVAのこういった革を活用した職人で競技会みたいなのを作ってまして、
シシノメラボというんですけれども、今そこで千葉県とか行政とかとタッグを組むというか提言をしたりとか、
こういった形で革をきちんと活用して還元していきたいということをみんなで検討しながら考えながら、
一応施策として提案をしたりとか、まだ立ち上げて2年目とかなのでこれからなんですけれども、
そういった原皮という狩猟をして捕獲をしてお肉になるところ、そこの加工施設さんとのネットワークだったり、
加工施設さんとのネットワーク、その先の購入革製品を革を製品する革職人さんとか、
こういった大きな県内のネットワークを作る中で、還元の仕組みもしっかり作っていきたいということで。
なるほど、今お話しされた中でもだいぶできている感じというか、イメージというか、
革製品と地域への還元
あとはやっていって、さまざまなネットワークでそこにプレーヤーが出てきてみたいな感じのことかなと思ったんですけど、
そういうのがすでにあるということですもんね。
ずっといろんなものを同時並行的にやりながら来ているので、
自分がこうかなと思うような仕組み作りというところを結構進んできたかなとは思います。
ただやっぱり最後の還元が一番難しくて、私は今関わっているのが三好地区なので、
そこには自分が直接行って、農業のお手伝いだったりとか、住害対策とかに携わることができるんですけど、
やっぱり全国、それこそ千葉県のどこでも同じような問題があって、
いろんなところからこの川たちは来ているので、それぞれの地域にどう還元していくかみたいなところは、
やっぱり非常に難しくてですね、これやっぱり県と組んで、
今ふるさと納税の返礼品として採用していただいているんですけれども、
南坊主立山市千葉県、この辺りの入ったお金を県のほうで使っていただくとか、
そういった形がいいのかなと。
そうですね、確かにそこでちゃんと仕組み作りができてくれば、
ちゃんと動きやすいというか、やりたいことになりますね。
でも県にとか市に丸投げじゃなくて、やっぱり自分が何かしら、自分も、
もう直接的にできるといいなと思うんですけど。
じゃあそのやり方、形を探しながら、よいよき時に、
あとはもしかしたら何かのタイミングが来るかもしれないし、流れがバババッと来て、そっちに来るかもしれない。
だからあんまり本当にカバーをやっているというよりかは、
大阪谷未久さんの活動
もう少し仕組みの方を作っていくようなところに、
この先はもう少し注目していきたいなと思っていますね。
そういうことですね。いやー面白い。なるほどな。
何でしょうね。
何かそういうのをキャッチするのがあるんですかね。
何かこう嗅覚というか、
今何か来たみたいなのを、ちゃんとこっち、こうやって自分を行動に移させるみたいなのが、
もしかしたらもともと素養としてお持ちなのかもしれないし。
そういう意味で言えば、興味ないことはできないんですよ。
そういうことか。
東京とか組織とかで働くと、やっぱり自分に興味ないことがあるとか関係なくですね、
それこそ雑誌とか農業とか、興味があったから入ったんですけど、
でもその中のものって、じゃあ実際に自分の心が動くかというか、そうじゃない仕事もいっぱいある中で、
やっぱり自分がいいとか、こうするべきだって思ったことってなかなか組織の中では実現できないし、
特にそうですね、結構自分の心に嘘をつけないというか、
今はこうじゃないかとか、感覚、直感ですね、ここに来ると。
自分がやってて居心地いいとか心地いいとか、今はこれをしたいとかこれをすべきだみたいなのを、
自分とその周りが心地よく生きるため、自分が好きなもののため、好きな人のため、好きなもののため、
動物が大好きで農家さんも好きで、そこに直接何か関わって、何かしら地域を存続させていきたいなみたいな、
そこに心が動いたんですよ。
そうですね、あまり違和感があることはできない。
違和感がないところを選んで選んで行ったら、こうなってた。
ああ、そういうことか。
なんか本当に直感に対して素直にっていう感じなんでしょうね。
結果こういうところにいるのは、すごいですね、面白いですね。何でしょうね。
何でしょうね、本当に。
伝え門製作所の店長、屋根ちゃんとの出会い。
そしてやりたいことは里山の素材をどう生かしていくか。
そして地域資源をどう還元していくかという仕組みづくりなのだそうです。
そんな大阪谷さんのお話は次回に続きます。
35:19
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