農家さんは収穫料だったんですよ。
そもそも冬服とか着てるし、祈りですとか着てるし、
三井さんは生き物があっという間に全然噛み合わない。
みんなとめちゃくちゃでしょ。
分かる気がする。
すごい。
大爆笑。
盛り上がったんですね。
いや、私らだけは。
あ、だけはね。
笑いを聞こうと。
知らない人はたぶんドキドキするんだろうなって感じする、それって。
知ってる人はさ、面白がりやねって感じする。
いただきます。
ここはコッサリカのコーヒー。
オンリー。
何頼まれました?ハニーの方ですか?ドタフレッシュ?
ドタです。最初の。
一番飲みやすい。
私もコーヒー飲む。
ハニー。
普通に甘い風に飲むやつなんだけど。
ハニーっていうのは、豆の周りに付いてるカニ肉みたいなのを一緒に焙煎するやり方。
ハニーコーヒーっていうのはそういうやつで、コッサリカですよね。
フルーティー。
フルーティー、酸味が結構あって、なんですかね。
癖があるからちょっと好みが。
ちょっと混んでおくと。
ここが、ここのカフェ。
カフェテーロが4年目ぐらいで、
僕らは早々に引っ越してきて、9年目ぐらいなんですけど、
一緒に来てから、やっぱそれぐらいなんですよ。
前、堀内にいたんですね。
近所だったんで見つけて、お茶飲むようになって、
普通にお客さんだったんですけど、だんだん親しくなったんですよ、この人と。
それで僕の書いた本を置いてくださるって言ってくださったんで、
ありがとうございますって書いてあったんだけど、
そしたら、その本読んでくれた人と交流するようになって、
お店の中で。
それで、ここで対話会っていうのをやるようになってますよ。
ダイアログっていうのを。
対話って、焚き火を囲んで喋るようなイメージなんですよ。
これで焚き火のサンドリーとか。
対話会でいつも焚き火のサンドリーにおいて。
なんか、テーマがあってみんなで議論するような。
そういうディベートとか、イベントみたいなのがあっても、
だいたい誰かに、壇上にいて二人で喋ってみたいなのが多いじゃないですか。
なんか対話は割と、ここでは特にテーマも設けないで、
出てくる言葉を巻きにくべるように喋るっていうのを毎月やるようになったんですね。
そして、結局それでこの本も出したんですよ。
対話をやってる女性がいて、彼女がきっかけで対話会をやろうっていうのがあって。
マミータっていうんですか。神山口住んでます。
マミータってよく言われてます。大沢のみって言うんですけど。
彼女は僕らよりももっと早間に住んでて、
個人的にというか、彼女自身は対話っていうのを広めたいということで活動していて、
場を作るってやつですね。
毎月一回対話会っていうのをやるようになって、今二回やってるんですけど、
そこの出会いでこの言葉の焚き火っていう対話の本っていうんですか。
4人対話をやってる仲間メンバーが一番がマミータなんですね。
この彼女だけは早間に入っていて、コロナ中にほぼオンラインなんですけど、
みんなで対話しながら一緒に一緒に一緒に一緒に一緒に一緒に一緒に一緒に。
なんでこういう話をしてるかというと、
それと並行して焚き火さんとかとも出会ったりして、
早間は100周年を2020年を迎えると言われてるじゃないですか。
そうですよね。
そうですよね。
早間の街を僕らも出版の仕事もしてるし、少し見える感じにしたいなと。
その時に対話のやり方で人と会って、会った人のことを記録させてもらって、
その後に出版の仕事もしてるし、少し見える感じにしたいなと。
その後に出版の仕事もしてるし、少し見える感じにしたいなと。
それを横文字で言うとデータベースで積み重ねていく。
対話って積み重ねていくとその人の個性も変わるし、
言葉も生の言葉というか、
一回のインタビューとかで賢くこういう感じでやると、
なかなかその人の本当の言葉というか、
自分の内側にある言葉が出にくいと。
対話の手法で、要はおしゃべりするだけなんですけど、
結果的にそんなこともやりたい。
秋子さんが自分の周りで知っている、
特に食とか脳に関わる人たちをもっといろんな人に知ってもらいたい。
そういう流れで柏谷さんとか、今回美香さんとか、
いろんな格好を紹介し始めてくれていて、
そういう経緯、すみません。
だから話聞いていきなり何か塗りますよというよりは、
まず積み重ねていって、2年くらいやってみて、
最終的に一冊の本になればいいなと思っています。
ただこういう感じでまず、
葉山にどんな人が住んでいるか、僕らも当然わからないことが多いし、
ちょっと俯瞰して、こんな人がいて、あんな人がいてみたいな。
面白い人いっぱいいますよね。
そうなんですよ。個別にしてても横のつながりもいまいちわからなかったり、
全体の地図を持っている人っていないんじゃないかぐらいの感じじゃないですか。
3万人ぐらいの場所なので、大きすぎはしないんですけど、
もしかしたら程よいぐらいの葉山っていう、
柏谷とか言ってもいいんですけど、いわゆるこの辺とかですね。
それを人を介してとりあえず対話をさせてもらって、
また今日お話ししてつながる流れができたらまたお話ししてって感じでやっていけば、
だんだんいろいろ実際にされていることも見えてくるのかなと。
すみません、そんな。
はい、わかりました。
ちょっと変わった取り組みというか試みですけど、よろしくお願いします。
さりげなくこれもう録音しちゃってるんですけど、いいですか。
すみません、タイミングがわからない。
要は本当はこういうこともしたくないんですけど、自然に話したい。
ただ記録しないと一期一会で終わっちゃうんで、
別にちゃんと確認したりするときは勿論勝手に出さないので、
見てもらうようにして、という感じですかね。
そういうところで、別に聞きたい項目がすごくあるわけじゃないんですけど、
あっきこさんが最初に名前を出していただいて。
そうなんですか。
ヤスさんとみかさんの名前が最初に連絡が来まして、
連絡取ってくださいって言ってもらったんで、
農園やってらっしゃるとかね、そういうのはちょっと教えてもらったりしているんですけど、
どんなことをされているんですか。
そうですね、そもそもは私も食品に関してはちょっと興味があったんですけど、
農作業っていうのは全くやったこともなかったんですけど、
うち長男がちょっと商売してるんですけど、
学校を卒業したらどこかで働くっていうときに、
作業書をいろいろ見たり、見学紙もいっぱいいろいろ見てて、
そしたら桜の家農園っていうところに行ったんですけど、
農業っていうのは100書っていうぐらい、100の仕事があるんですけど、
そこで見学に行ったんですけど、
その農業の仕事を見学に行ったんですけど、
その農業の仕事を見学に行ったんですけど、
農業っていうのは100書っていうぐらい、100の仕事があるということで、
じゃあうちの子にもできることはあるのかなと思って、
それで横須賀で母親たちと一緒に作業書を作ったんですよ、
安心農園って言うんですけど、
横須賀でちょっと土地も借りて、
そこで稼働所の場所も借りて、
通販を始めたんですけど、
それで民家も降りて、さあ始めましょうってなったんですけど、
誰も農業をしてる人がいなくて、母親たちの集まりだったんですよ。
それで場所はあるんだから何かを植えなきゃいけないねって感じで始めたんですけど、
知識がないからということで、
だんだんあんまりみんな畑よりも果物とかを取り入れて、
ジャムを作ったりとかっていう加工場もあったんで、
そういう方向に行っちゃったんですよ。
うちの子はどっちかというと、あまり加工場とかに向いていないので、
ちょっと農業ができないっていうのは、
農業をさせたいと思ってやられたからと思って、
私がそれから、農業高校って今もうなくなったんですけど、
平塚農工の発生文庫っていうのが昔あって、
そこで社会人調構成っていうのがあったんで、
それに入って1年間勉強してたんですけど、
その時、中高年ファーマーっていって、県の授業で農家育成のっていうのがあったんですよ。
でもその時、それは55歳以上でないと入れないっていうことだったんで、
それで1年間行って、勉強して、田中も手伝ったりとかしながら勉強して、
ミューランの農家さんも手伝いしたりとかしながらっていう感じでやってたんですけど、
それでどんどん自分が子供のことより飲め行くようになって、
子供は別の作業所に行って、週1回くらいうちの畑に手伝ってくれるぐらいな感じなんですけど、
どんどんどんどん自分が面白くなっちゃって、
初めは勇気で始めたんですけど、牛栽培っていうのを知って、
どんどんどんどん勉強して、今に至るというか。
でもそれはもうあるんですか、安心?
安心農園はあります。私も辞めちゃって、ほぼほぼジャム工房みたいになってますね。
一応畑もやってるみたいですけど。
じゃあフルーツとかなんですかね、そっちは。
だからフルーツも取り寄せてジャムを作って。
それで慣れて自分だけでっていう。
何が楽しかったんですか?
なんでしょうね。
どんどん面白くなるんですよ。
うちも好きになってきて。
分からないことがいっぱい多いから。
分からないことが多いから、逃げたりしないでそこを探求しようみたいな。
失敗ばっかりですけどね。
やっぱり自然栽培はいいと思ったんですか?
最初は三浦の農家さんで勉強させてもらってたところは、
有機農家さんとか、低農薬みたいな感じのところだったんですけど、
最初、病気を入れたりとかしてたんですけど、
ちょっと自分の中で納得いかないことが何度もあって、
未熟なものが入ってたのかもしれないし、
ちゃんと発酵できてなかったのかもしれないんですけど、
あんまり自分の中で国を知らないことがいっぱいあって、
私もわりとインド派でそんなに何もしない人だったりとか、
でもやっぱり畑に毎日出ておくと元気になってくるような、
インドの好きなような。
自分自身が元気になってくるという体感というか、感触感覚もあって。
で、あとそれもあるし、
もともと急行電で20年くらい、
20年くらいそのまま働かしのところだったんですよ。
だから、まずそこの農地を借りたときに、
ちょっとここひどい土地だからっていうので安くしてあげると言って、
安くしてもらったんですけど、
で、やっと農地が全売だと思って、
スポットを入れようとしたら入らなかったんですよ。
入らなかったんですよ。
固くて。
固くて入らなくて、で、結局草刈りはしてくれてたんだけど、
足がわーっと生えてたところで、足の根ってこんな枝みたいに張り巡らされてて、
で、もうそんな畑にできるようなところがなくて、
で、この根っこを何とかしないといけないなと思って、
で、これでちょっと上の人に聞いてもらって、
とりあえず、よんぼを入れて根っこを切ろうって言って、
で、よんぼを入れて、そしたらもうすごい根っこがわーっとやって、
これを取らなきゃいけないと思って、
で、とりあえず夏作を始めたいからって言って、
ちょっと少しのところに溝を作って、
で、この中の根っこを徹底的に根っこを取るって言って、
ずっと毎日根っこを取ってたんですよ。
で、ちょうどフェイスブックも始めたんだけど、
今日こんだけ根っこ取りましたか?って言って、
ずっとこうやってやってたら、友達がおろしろがって、
根っこ取るって言って来てくれて、
それで、だんだんそういう輪が広がって、
それで根っこを取ってくれた人にお昼ちょっと出したりとかして、
で、みんなわりと面白がって来てくれて、
そういうのがだんだん、私もわりと暗い性格になったんですよ。
それで人が集まってきてくれて、
よんぼもどうしようってなった時に、
もうこれ入れるしかないでしょって思って、
あちこちよんぼありそうなところを取ったんで、
よんぼ入れたいんですけど、いくらくらいかかりますかって。
そしたら10万円とかって言って、えーって書いてて、
そしたらちょうど墓石屋さんが2万でやってあげるよって言ってくれて、
で、わりとそのことで結構話せるようになったというか、
そっか、取り込んで、
で、友達が、
よんぼ知りませんか?みたいな。
そんなこと普通にやらないよね。
それが言えるようになった。
やるしかなかった。
どうしてもよんぼ。
よんぼ知りません。
それが11年くらい前なんですけど、
震災の前くらい?
震災の後ぐらいか。
なんで葉山だったんですか?たまたま。
たまたまですね。
いろいろ探してて、農家じゃないから、
農家って買ってもらえないんじゃないですか。
だから畑やりたいんだったら、
まず市民農園とかそういうところに入ればいいんだよって言われたんですけど、
なんかね、最初からそういうところに行こうっていう気がしなくて、
もうね、私は農家なんだって。
なんか重い感じだった。
私が借りるのは農地しかないって感じになっちゃって。
最初が違うよね。
私たちも今借りてるけど、もう副工作室で。
やっぱり続かなくなっちゃった。
で、やみでなんですけど、
ちょうどみんなに農地、農地って言ってたら、
ちょうどお菓子屋さんなんかで、
いつも買ってるお菓子屋さんで、
自立さん知ってるよっていう人もいれて、
そこに直接住んで、
そしたらここであったらお菓子屋で。
でもひどい年だったね。
すごい。
安く貸してあげるけどね。
分かんないところが多いから。
どの辺りなんだろうね。
このスペースをずっとやってたんですけど、
ユンボをとったところだったんですけど、
本当にそんなに広くない場所で、
これだけの猫がとれたんですよ。
すごい。
これ、ちょっとオブジェ的に置いていたんですけど、
それで、この猫を燃やそうっていうことで、
今まで手伝ってくれた人で、
この猫で宅勤して、
それでお餅焼いたりとかして、
そういうことをして、
それがなんとなくランチ会っていうのが、
ちょっとコロナなんてあんまりやってないんですけど、
シェフを呼んで、
ランチ会をして、
いろんなお客さんが来てくださって、