1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. vol.20 スペイン法研究者・山..
2023-10-20 29:29

vol.20 スペイン法研究者・山田信彦さんに聞く「船は乗ってりゃいい」

今回は、スペイン法研究者・山田信彦さんにお話しを伺いました。
僕の故郷・千葉県館山市の実家にて、幼いころからのご近所づきあいをさせていただいている山田さん(社長)。
館山に住むことになった経緯、お仕事の話、趣味のステンドグラス作りやクルーズのことなど、様々に伺いました。
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00:03
ゆいなわさんの聞く人ラジオ
みなさんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオの時間です。
今回はスペイン法研究者・山田信彦さんにお話を伺いました。
僕は出身が千葉県立山市なんですが、
もともと山田さんとは実家の親同士がお付き合いがあり、
僕自身は子供の頃、本当に赤ん坊の頃からお世話になっていました。
そんな子供の頃から、山田さんのことは社長という愛称で呼ばせていただいていたので、
お話を伺う際はそのまま社長と呼んでいます。
ちなみに僕の父は山田さんからは親分と呼ばれていたので、
社長は僕の父のことを指して親分と呼んでいます。
スペイン法研究者の話を聞きたいんですが、
社長はスペインの大学で教えていましたか?
教えていました。
スペインの法律を教えていたんですか?
歴史が多いですけどね。
スペインの歴史。
スペインの法の歴史。
法の歴史。
ちょっと待って。
はい。
お待たせしました。
ありがとうございます。
こんな本も書いたことがある。
スペイン法の歴史もまさに。
僕は思えば小さいというか赤ちゃんの時から知っているというお付き合いですけど、
今僕47なので。
47。
47になりました。
まだガキだよ。
本当ですか?47まだまだガキ。
言うようになってから長いんだから。
なんですけど、社長が何をやっているって聞いたことがないんです。
そう言えばそうですよね。
そうなんです。
お付き合いとして、ご近所お付き合いをさせていただいている中で。
これもう関係ないからね。
そうですね。
じゃあ、もともとこういう法律スペインの勉強をしていた。
そうなんです。
私もともとギタリストだったのよ。
ギタリスト?
うん。
それ初めて聞きました。
キャバレルバンドだけどね、プロだったんですよ。
ギタリスト、プロのギタリスト。
そう。
そうなんですね。
キャバレルで弾いていたんですよ。
03:00
それで、スペインが好きでスペインギターをやったんだけどさ。
たまたま法学部にいたからさ、くっつけたらこれしかなくなっちゃって。
そういうことなんですね。
じゃあ、もともと大学では法律系の勉強をやっていて。
そう、普通の法律。
で、好きなギターをやって、スペインのギターをやっていて、それの合体でスペイン法を。
そうなんです。
そうなんだ。
結びついたでしょ、一旦こう。
へー、そうなんですね。
じゃあ、それを研究者として、大学は卒業してからも勉強してっていうことなんですか?
そう。それで法政とか律教とかね、この小ギギ、この小ギギが入ったの。
へー、スペイン法。
うん。
そうなんですね。
それは知らなかった。
え、ギターはその子もずっとやって?
もう全然やってない。
その大学、ある程度まで若い頃やってたん?
大学院の時まで、ドクターコースまでやってた。
あー、そっかそっかそっか。へー、そうなんですね。
じゃあ、その大学院、ギターそこまでやって、その後は本当にスペイン法の研究をして。
そう。
研究って何するんですか?
スペイン法の研究っていうと。
いや、もう歴史ですからね。
法律の歴史を。
そう、いろんな、ちょっとその、後ろ側を見るとさ、他の方も出てくる。
うんうんうんうん。
あ、論文もいっぱい書いてらして。
いっぱい書いてます。
公害とかもやってたんですか?
あ、公害法やってましたね。
あー、そうですね。日本の公害法、メキシコの公害法。
うん。
へー、あと翻訳。
あ、そっか、じゃあスペイン語の翻訳を。
へー、そうなんですね。
スペインの法律ってなると、それはそれで日本とは当然違うでしょうし、独特のものがあったりとか。
そうですよねー。ローマ法の系統ですけどね。
あー、そっかそっか。そっか、もう成り立ちがちょっとまた違ってくるんですか。
そう。
なるほど。まずはじゃあ歴史を、この本ですよね、スペイン本の歴史の本では、まず歴史をたどっていって、それで法律がどう成り立っていったかみたいな。
そうそうそうそう。
そういう形ですね。で、それが今まで、今にも繋がってくるっていうことに。
もう全然やってないですね。
うーん。そっかそっか、近世、近代とかまでも書かれてますよね。
で、脱サラしてね。
はい。脱サラ?
06:00
そう、脱サラ。
サラリーマンだったんですか?
やってた。
何してたんですか、それは。
武蔵大学の教師やってた。
あ、それはサラリーマン的な形で、武蔵大学で教師っていう形で。
形によってちゃんとした教師だった。
それいつぐらいまでやってたんですか。
30代の終わり頃までですね。大学に出てからね。
うんうんうん。あ、そうなんですね。
だけどさ、当時大学紛争ってあったの知ってる?
僕は体験をしてない、当然してないんですけど。
で、あの連中ね、もう、人民の解放なんてかっこいいこと言ってるけどね。
マルクス様のおっしゃる通りにっていう。
ところがそれは嘘なんでね。
自分がスタイリーになりたいわけよ。
どういうことですか。
独裁者ですよ。
あ、自分が独裁者になりたい。
あのね、世界中でマルクス主義を実現したって国ね。
一番早いのがソ連でしょ。
その次はどこだったか、キューバだったかな。
それから、毛沢東の中国ね。
それから、キム・イルソンの北朝鮮ね。
それからベトナムのホーチミンね。
もっとあったっけ、共産党が晴天取った国。
あー、あるんじゃないですかね、もうちょっとは。
あったかもしれない。
全部独裁、恐怖政治なの。
でから、日本にもね、その頃の学生運動でね。
やりたかったのは日本の支配者になりたいってやつがやるわけよね。
それで言い分けさせちゃってさ。
それで脱出したわけ、毛沢東大学やめたの。
あ、そうなんですね、30代後半で。
で、ここで寺小屋開いて。
あ、そっか、それまでは都内というかそっちに住んでました。
そうそう、室高屋に住んでました。
あ、そうか。で、辞めて、こっちに来たってことですか。
そう、片木のサラリーマン辞めて、寺小屋の親父やって。
あー、そうか。
で、ステンドグラスなんか作ってね、職人になってね。
そういう生活をずっとしてきて。
そっか、だからそこの寺小屋、僕も来てました、一時期ですけど。
あ、そういうことですね。
でもその時って数学を教えてたじゃないですか。
僕は数学を教わってるんですけど。
数学と英語ね。
あ、英語もそうか。でもそれはまた違いますもんね。
でも中学生とかだから、それはそれで教えるのは。
あの、中高、六学年全部やってました。
そうですよね。
大学の時までね。
うーん、なんか、記憶としては難しかった記憶があるんですけど。
でもその当時は、なので、毎回時間になったら一問の問題をその時間かけてじっくり解くみたいなことを覚えてます、覚えてます。
09:05
まあ勉強は楽じゃないよ。
まあそうですね、そうですよね。
そっか、そういうことですね。
じゃあその30代後半から立山に住んで。
立山って何かゆかりとかあったんですか?
あのね、学生時代から富裕屋の民宿にね。
ああ、そうだ。
好きで遊びに来てたの。
そっか、おじさんおばさんがいい人でね。
年取ったらこっちに引っ越してきたいねなんていかないと話してたんだけどさ。
そんなわけでね、もう大学教師でもう嫌気させちゃって、早く飛び出してきちゃった。
富裕屋に出されてはそこです。
へえ、でもこっちにお家を建てて。
そう。
じゃあ特に遠古があったとかそういうことではなくて。
そう、立山じゃなくて富裕屋にはね、そんなわけで。
あったけど、たまたまここに。
そうそうそうそう。
で、まあうちはたまたま近所で。
すごい。
お父さんとはさ、もう親友中の親友でね。
ああ、そうですよね。
私は兄弟いるんだけども仲が悪くてね。
中学の頃から付き合ってないのよ。
愛媛ってやつはね。
だけど親分とはね、妙に気があってね。
ああ、そうですよね。
ずっと行き来してて。
そう、だから僕も小さい頃は本当に親しくさせてもらって。
もうね、行ったり来たりでさ。
あんな弱い人はいないよ。
本当惜しいですね。
そっか、そうだったんですね。
そのあたりも何となくは聞いてますけど、ちゃんと聞いたことがなかったので。
そっかそっか。
いやもう一生の中でね、
私のお父さんほどね、もう心からの親友っていうのは最高だね。
唯一かもしれないくらい。
気が合いましてね。
そう、だから僕は本当に小さい頃、何か覚えてるのは猫を飼ってたじゃないですか。
小さい頃から遊びに来て、猫と遊ぶみたいなのってすごいさせてもらってて。
リンリンとかいましたよね。リンリンだったっけ。
リンリン、ああそういうのも覚えててください。
覚えてますね。真っ白な猫を飼いて。
そうですよ。
リンリンはないね。
70歳になってからね、もう拾わなくなったんです。
全部うち捨て猫なんですけどね。
そうなんですね。
今拾ったらこっちだけ死んじゃうじゃない。
そしたらね、みんな足を残したカワウソだからね。
12:01
どんなかわいい猫が起こってても拾わないようにした。
今もでも猫中ですよ。
あ、そうですか。
損傷ひどいですよ。
よそで見つけたらね。
この辺もちょこちょこいます。
いますね。
いますよね。
猫、犬が好きでね。
さっき言ったステンドグラスとかって作ってらっしゃるんですよ。
あれもなんで作るんですか。
ここ国民休暇村に先生が来てね。
一月に一回教えに来てもらって。
それ作って。
先生に教わって作ってたんですか。
教わって。
真面目にやりましたよ。
すごく作品というか、いろいろといっぱい作ってらっしゃって。
残ってるのちょっとあるんだけど。
埃まみれだけだから。
こんなもの作ってた。
これの丸くて、ドーム型のね。
でっかいのも作ったけど。
どういうわけかハスが好きでね。
あ、そうなんですね。
こんなものやって。
ハスをモチーフにして作るのが。
どう楽でね。楽しかったしね。
これ作るのどれくらいの時間がかかるんですか。
これは2ヶ月はかかるな。
ガラス切るでしょ。
カットして研磨して。
それに裏に糊のついた銅のテープを巻き付けるんですよ。
それでそれをハンダ付けしていくのぐらいかかる。
だから時間はかかる。
時間かかりますよね、これ。
で、色とかだってあるわけだし。
これは色のついたガラス買うの。
そうなん。じゃあガラスはもともとその色があるんですね。
じゃあその種類分のガラスを買わなきゃいけない。
そういうことです。
大変。
そのグラデーションになっているのはもともとついている。
そういうことですね。
それを水に見立ててみると葉っぱに見立ててみたり。
そうそう。
それはすごいな。
で、枠になっているじゃないですか。黒い部分というのは。
あれがハンダです。
ハンダでこう自分で付けていって。
まずは大枠を作って、それで細かい線を入れていって。
そこにガラスをはめ込んでいって。
へえ、大変。
すごいな。
これは真面目にやりましたね。
面白いんですもんね。やっぱり作ってて面白いんです。
面白いもん。夢中になっちゃう。
もう朝から始めてね。夕方までね。
真夏にさ、汗だらしながらね。
そうなんですね。
15:01
へえ、面白い。
これは本当に楽しかった。だけじゃなくてね。売れたの。
ああ、そうなんですね。
友達が新州でペンションやってたんですってね。
そこのロービーがさ、ショールームになってて。
作るたびにそこに送っておくとね。
ペンションのお客が買ってって。
へえ、それはすごいですね。
じゃあ作れば作れば、それはそれで買ってくれるかどうか。
それはよかったです。
よかったというか、それも聞いたことなかったので。
ああ、そうなんだ。
へえ、でもそれはいいですね。楽しいですよね。
そうやって自分の作品がいろんなところに日本中に行ってるって思うと。
本当だった。
やっぱり最初はちっちゃいものから作り始めて。
もっと簡単なもの。
簡単なものから作っていって。
だんだん複雑になっていってね。
これを極面で作るのが難しい。
ああ、なるほど。
直線というか、普通のただの面だったら入れていけばいいけど。
まあいいんですけど。
極にしていくってなると。ガラスも極ですもんね。
それは無理。
ガラスもあるもの。
極にするってことは、ハンダのそのところを、枠を。
目の錯覚ですよ。
錯覚?
人間の目はね、10センチまでの直線はね、直線で組み組んでも極線に見えるんだって。出っ張らないと。
だからそれを10センチ以内のピースで作れば、全体が極面に見えちゃうんですね。
それをやっていったんですね。腕を磨いていく中ではそういうのを。
へえ、面白い。
やっぱり作れば作るほど、どんどん難しいものを作っていきたくなるし、大きいものとか。
大きいもの。
一番大きいとどれくらいのものなんですか?
さっき言ったドーム。
それもハスでね。
ああ、そうなんだ。ハスが好きなんですね。
あの上のもそうです?
どれ?
あの上の傘のやつとその隣のやつとか。
あの隣のやつとか、白と青の。
ああ、青のね。
あれもまた難しいですね。
いや、あんなの取る取る。
直線はそんなに難しくないです。
ああ、そっか。その下の写真の額?
ああ、額もあります。
ああ、いろいろあるんですね。
結構凝りましたよ。
18:00
私はね、小学校の頃はずっと草野球でしょ?
ああ、野球か。
中学高校はバスケ。
ああ、すごい。
その後ね、山登り凝ったんです。
ああ、それ聞いたことあります。
はいはいはいはい。
冬になるとね。
ああ、冬山だってまた大変じゃないですか。装備したりとか。
冬じゃないとヘビーが出るもん。
それはもうヘビーが何より怖い。
ああ、そうなんですね。
何かそういうあったことがあるとか?
いや、そういうわけじゃないです。
大雨にあったわけじゃないです。
とにかくあれはダメなんですね。
ああ、そうなんですね。
じゃあ、夏とかマスシーズンは登らないんで。
うん、登らない。
雪がつけば。
まあ、出ないですもんね。
出ないから、だから雪山になるわ。
今もまだピッケが青いものとほっぱらしてある。
どことか登ったんですか?どういうとこに?
八ヶ岳が好きでね。
ああ、行きましたね。
冬の八ヶ岳って結構大変。
大変は大変でしょうけど、ちゃんと装備を作って。
装備をね。
で、そんなパッて登れるわけじゃないじゃないですか。
それなりに時間はかかって。
そりゃそうです。
アプローチがあるもんね。
だから、雪ですからね。
吹雪になって動けなくなったとき。
いや、そんなことになったら大変でしょ。
だからそのとき、小型のテントをいつも持って歩いてるわけ。
その中でじっとしてればね。
まあ、どうにかやりそうですみたいな。
嵐が闇まではね。
すごい。
あれも楽しかったな。
そっか。
それは若い頃というか、30とかで?
そうね、30半ばまでやったね。
だからバスケは高校までですから、大学入ってからやるの始めた。
そういうことですね。
あともう一個あれがありました。
客船乗るやつ。豪華客船って言うんですか。
あれも好きじゃないですか。きっと。
クルーズはね、これほとんど病気。
あ、そうなんですね。
ツイコロで帰ってきたばっかり。
函館まで飛行機で行ってね。
そっから船で横浜帰ってきた。
函館まで飛行機でバッて行って、そこから船に乗り込んで、
どれくらいかかるんですか、ここは。
それ全部で4日だった。
4日間。
大したことなかった。
途中どっか寄ったりとかそういう感じなんですか。
函館で遊んだだけでね。
私にとってクルーズっていうのは、
交通機関じゃなくてさ、乗ってることが楽しいのよ。
21:03
あ、そういうことですね。
そう。
クルーズ機っていうのはだいたいそうね。
乗ってる間の船の中のこととか。
そう、ただ乗ってればいいの。
結構行ってました?
行ってた、行ってた。
今度11月にまた乗る。
結構あるってことですよね、ツアーみたいなものは。
そうそう、あるある。
外国船もあるし、日本船もあるしね。
外国とかだとどういうとこ行ったんですか。
外国まではほとんど行かない。
私は最近は行かないんでね。
じゃあ国内で。
国内の日本船で。
いいんですよ、日本船は。
飯がうまいしね。
なるほど。
外国船はほとんどね。
そっか、じゃあ日本船に乗って、ご飯おいしくいただいて。
あとなんかいろいろあったりするんですか、中でのなんか。
中でいろいろクイズ大会がある。
逆に退屈したって言わせたくないわ。
だからイベントがいっぱいあるの。
ショーもあるしね。
バンドも聴けるしね。
だからそうだな、クイズ大会ね。
結構やってるんですよ。
それは飽きないって言ったらあれですけど楽しいですよね。
楽しい。
ずっと乗ってて。
乗ってりゃいいんだからね。
自分のじゃあ今度これ見てみようかなとか、気の向くままにこう行って。
電気が良かったりとか岩盤に出てみたりとか。
そうそうそうそう。
それはいいですね。
今この辺にいるのかなみたいな感じですもんね。
それはいいな。
クイズは好きなんですよ。
じゃあ普段もどんなのあるのかなみたいな。
もうしょっちゅうね。
船が車の方から引き出しにメールが来るしね。
パーフレットも来るからね。
そっかそっか。
それはじゃあもうそれ見てるところから楽しいですね。
そう。
いろいろ考えて、今回は次はここに。
次はどこに行こうかってね。
それは楽しい。
楽しい。
そうか。それは楽しいな。ちょっと行ってみたくなりますね。
結構、規模によるんですよね。船もいろいろあるでしょうから。
大きかったり小さめだったりとか。
そうなんですね。
客船の規模はね、16万、12万、8万で大中小って大体決まってたんだ。
その他に今22万トン級っていうのがとてつもないでっかいのがね、
24:01
カリブ海に3隻も走ってる。
日本船は一番大きくて5万だからね。
全然違いますね。
私がしょっちゅう乗るのは22,000トン級、ちっちゃいの。
それでもね、結構中ぐるぐる歩いてるとね、楽しいですよ。
それとあのね、日本に来てる船のクルーがね、フィリピーノなんですよ。
フィリピーノ、フィリピーノ。
私はね、あの連中好きなの。
人情っこいしね、サービス精神はあるしね、気働きはできるしね。
とっても楽しいの。
高野国語だいぶ覚えたからさ。
あ、そうなんですか。
挨拶は全部。
あ、すごいすごい。向こう嬉しいですよね。
そうやって出席してくれて。
楽しい。
そっかそっかそっか。
そんなことも楽しみの中に入るってことですよね。
そうですよね。
ただ受け身なだけじゃなくて、自分からも働きかけてあげて、コミュニケーションがあって。
あ、それは楽しいな。
それはまた行っちゃいますね。
また行きたくなりますね。
確かに。
いつぐらいから始めたっていうか、きっかけというか。
何から始めたんだろう。
何かがあったから行ったんですかね。
でしょうね。
いや、思い出せない。
お知り合いの方がいたとか、自ら行こうとか。
そうじゃない、自分からですよ。
周りに親戚にも友達にもいない。
もしかしたらテレビでやってたかもしれないし、雑誌で見たかもしれないし。
多分その辺だね。
行ってみようかなっていうところから始めたらハマってしまったっていう。
ハマりましたね。
そう思うと結構ハマるとグッと社長は入ってくるんですね。
入ってくる。
それは幸せですよね、そこで夢中になれるものがあるっていうのが。
それは楽しいんですよ、とにかく乗ってりゃいいんだから。
また行けるようになって、また次も行くっていう。
それに向かって楽しみがいいですね。
いろいろありがとうございます。
いやいや。
そんな話を聞きたかったんです。
さっきの話、私スペイン語をね、これの他にもう一冊ね、
スペイン語法律用語辞典っていうの。
法律用語辞典。
和製、製は和製。
27:01
スペイン語法律用語辞典。
これが本職でしたね。
最初なんで法律学やろうと思ったんですか?
最初に法律やろうっていう。
他に何でもやるものがないから。
学生の時?
学生の時。
理系、文系ってわかるでしょ?
理系は全部ダメ。
それから文系でもね、文学はダメだろ。
経済、経済、経済。
そうそう、法か経しかないでしょ。
どっちでもいいけど法にした。
それがその後の。
消去法ですよ。
そうか。
それで進んでいく中でスペインと結びついて。
そうそう、ギターから始まってね。
ギターは好きだったんですかね?
好きだった。
やっぱりそう思うと好きな言葉があると
そこに向かって進んでいって
それが組み合わさっていって。
そうです、そうです。
そうですよね。
そもそもね、なぜギターなんか弾こうかと思ったんだろう。
もちろん人がね、弾いたレコードなんか聴いてさ
いいなと思ったことあるんだけども
それともう一つ、最初から金稼ごうと思った。
あ、そうなんですね。ギターで金稼ごうと。
それでクラシックギターを1年半も律に勉強して
指先はもう全部神経質になってさ
もうひどい苦労したけど
1年半でもうキャバレルバンド入っちゃった。
あ、すごい。
練習して。
へー。
そしたら、それからもう稼げるようになった。
稼げるようになった。
立山に住むことになった経緯、お仕事の話、
趣味のステンドグラス作りやクルーズのことなど
付き合いは長いんですが
お聞きしたことがないことばかりだったので
改めてお伺いできてよかったです。
社長、いろいろなお話をいただきましてありがとうございました。
それではまた次回。
雄見縄さんのキクヒトラジオでお会いしましょう。
29:29

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