1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. v187-1 NPO法人あんだんて代表..
2026-02-09 29:31

v187-1 NPO法人あんだんて代表理事・小嶋洋子さん「飲んでる場合じゃない」

今回は、NPO法人あんだんて代表理事・小嶋洋子さんにお話を伺いました。女性の依存症からの回復を支援する施設、
女性サポートセンター・インダーを運営されている小嶋さん。まずは、現在に至る経緯について、伺いました。
女性サポートセンター・インダー:https://indah-sos.com/
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6513739a0bc9d6e1d690bae1

サマリー

NPO法人あんだんての小嶋洋子さんは、アルコール依存症の女性を支援する女性サポートセンターインダを運営しています。彼女は自身の過去の経験を通じて、依存症問題や家庭内のストレスに関する深い洞察を共有しています。小嶋洋子さんは、自らの苦しい過去について語り、家族の影響やアルコールの問題、そして依存症との戦いについて述べています。彼女は、どのようにして自己の状況を理解し、最終的に飲むことをやめることが重要であると気づいたのかを説明しています。また、彼女はアルコール依存症からの回復の過程を通じて、自らの苦しみを他人に話せるようになり、飲むことができないという気持ちに至ったことを語っています。

小嶋さんの背景
ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は、NPO法人あんだんて代表理事・小嶋洋子さんにお話を伺いました。
女性の依存症からの回復を支援する施設、女性サポートセンターインダを運営されている小嶋さん。
まずは、現在に至る経緯について伺いました。
小嶋さんは、お仕事は何ですか?
アルコール依存症の女性の回復と社会復帰の施設をやっています。
その施設のお名前は?
女性サポートセンターインダです。
横浜で製薬をやっています。
それはいつごろからされているんですか?
15年前です。ちょうどもう少しで3月ぐらいで15周年を迎えるので、15年前からやっています。
小嶋さんがこのお仕事をされることになったのはなぜか?
私もアルコール薬物依存症で、私の父もアルコール依存症。
病院から診断名は出ていないんですけど、物心ついた時から父は飲んで暴れる。
私は4人兄弟の一番下なんで、物心ついた時から父の暴れている姿しか見ていない。
あとは飲んでいないと借りてきた猫のような感じ。
でも大体は飲んで暴れている。それによって母親が苦労している。
4人のうちの3人の兄弟は殴られたりしているわけです。
私は他の兄弟から言わせると、お前は可愛がられているって言うんです。
俺たちは殴られてやったのに、お前はお小遣いももらったし。
確かにお小遣いはもらうんですけど、機嫌悪いと返せって言うんです。
そうなんですね。
暴力的なことはしないんだけど、精神的なそういうのはあって。
うちの母親はおじいちゃんからもらった商売をやってたんです。
だから私の代になると結構商売がうまくいっちゃって、私はあんまりお金の苦労はしていないんですよ。
母親も商売が忙しくて一緒にいられないので、お金は欲しいものがあれば買ってくれるし、
どっか行きたいと言えば連れて行ってくれたりはしたんだけど、他の3人と違って一緒にいることはできなかったんです。
商売が忙しかったんでね。
そんなのもあって、多分母親は私には甘かったっていうのもあると思うんですよ。
そういうことですね。
母親と二人で一つみたいな。
私20歳まで家で魚が出ると魚の骨を取ってくれたの、母親が。
そうなんですね。
お茶飲もうとすると暑いよとかね。
そういうちょっと過干渉すぎるっていうかな。
気にかける感じで。
そんな感じで私の言うことを何でも聞いちゃうみたいな、そんな感じだったんです。
他の兄弟はお袋が甘やかすから、私も中学生ぐらいから悪くなっちゃったんで、
お袋が甘やかすから、こいつはこんなに変な子供になっちゃったみたいな感じだったんですけど、
父親が暴れることによってみんなが不幸になるっていうかな。
それを私はこの小島県に生まれてきた私は、なんで生まれてきたんだろうっていうのが私の小さい頃からの疑問だと思う。
考えるんだけど子供だからなかなか思いつかないんだけど、やっぱり自分が分かったことっていうのは多分父親と母親を仲良くさせるため。
あと父親が兄弟に暴力振るったりするのを何とか止めるっていうか、うちの中が暗いからそれを明るくする役割で自分は生まれてきたんじゃないかって、そう思わないといられなかったのかもしれないですね。
兄弟たちも父親が暴れたりすると、私は表に遊び行こうって出してくれたので、あんまり見ないでいいっていう点では一番父親の暴れている姿は見なかった。包丁を出すんですよ。
家庭の影響
包丁を出してすごいんですよ。うちは本当に秘密の多い家だったんです。
おじいちゃんがその家に住んでて、母親は4人兄弟の長女の後取りなんです。母親がおじいちゃんからもらったお店を継いだんですけど、おじいちゃんっていうのは畑とか田んぼを持ってたんです。
それをまたね、うちのね、母親の妹がお酒に問題がある人が2人いるんです。
それで、だから正月お盆って言うと普通子どもって嬉しいじゃないですか。お金もらえたりして。だからそういう時になると私の心配は、今度は何が起きるんだ。
お酒の席になったりするから。
お金なんかいらないよって感じなんですよ。お金なんかいらないからもうこれ以上揉め事起こさないでっていう感じなんですけど、いつも起きちゃうんです。
本当にストレスでね。そんな感じなところに来て、2人お酒に問題ある人がいるんで、そういう子どもって可愛いんですかね。うちの母親が私を可愛がったように。
おじいちゃん騙されちゃうんです。1人の妹、おばさんがお金が大変だって言うと畑売っちゃうんですよ。田んぼとか。
それで後取りのうちの母親に何にも言わないんですよ。うちの母親も一生懸命働いて、私たち4人、あとおじいちゃん、あと役に立たない父親。
父親も働きに行ったけど、たぶん働いてきた給料全部自分で飲んじゃってそれでも足りないんじゃないかなと思うんです。
だから母親のね、1人で全部そんだけの人数をね、家計を支えてるわけですよ。後取りの母親としたら頭に来ちゃうわけですよね。
内緒でね、こっそりね、全部あげちゃうわけですよ。それだから喧嘩がそこでも絶えないんですよ。
おじいちゃんすごくいい人で、私を可愛がってくれたのはおじいちゃんと母親なんです。だけど、2人とも仲悪いから、大好きな2人が仲悪いんですよ。
そこもね、私のちょっと痛いところなんですよね。
1回ね、おじいちゃんが母親の金庫からお金を盗んでるの見ちゃったんです。私はね、それ幼稚園生だったかな?悩んじゃったんでしょうね。大好きなおじいちゃんだし。
でも母親が一生懸命苦労して寝ないで働いてね、くれたお金を盗んでるわけですよ。
いや、どうしたらいいんだろうって。でもやっぱりおじいちゃん盗んでるのはいけないことだなって思って、母親に言っちゃったんです。
案の定喧嘩が始まっちゃったんです。それで、私はね、余計なことって言っちゃダメなんだって思って。余計なこと言うからそうやって揉め事が増える。
それから余計なこと言わなくなったんです。見て見ないフリっていうかな。そんな感じでしたよね。
だから、その頃は本当に辛かったので、小学校4年くらいからは、女ってこんな辛いんだ。自分も女だからね。
これからね、その当時はね、人生80年の時代じゃなかったんです。60年くらいの時代だったじゃん。みんな結構60くらいになるとね、年取って早く亡くなっちゃう人もいたんでね。
私はこれから60歳まで、まだ10歳もなってない。小学校4年くらいの時思ったんです。あと50年くらいどうやって生きていったらいいの?
女で、こんな母親のような苦労して、耐えられないって思って、それから早く死にたいって思ったんですよね。早くどうやったら死ねんだろうってね。死ぬことばっかり考えて、子供だったり。
やっぱりね、どんなに我慢しても、やっぱりうちの中って明るくならないんですよ、私ごときが。一生懸命ピエロ役やろうがね、笑うようなこと言おうがね。
そんなんで、本当に死にたい、どうやったら死ねんだろうとか言ってる間に、中学生ぐらいになって、中学ぐらいになると、いくつかの小学校が集まるんで、悪いやつらも結構いるんですよね。
そこで、悪いやつらと行き統合しちゃったんです。
小さい頃から私はお酒は飲まないって決めてたんです。うちの近所に多かったんです、お酒の問題ある人がまた。
結構奥さんを髪の毛引きずり回して、街の中、そういうところを見てたんで、いやー怖い怖いって思って。
昔のドブって深かったんですよ、下水っていうのかな。
夫婦二人で先輩のお母さんとお父さんの家がある中なんですよ。給食費も払えない人がいて、朝起きたときに両親が下水に怒って騒いでたんですよ。
私、助けてあげないといけないんですよ。そんなこともあって、いやー本当にね、このアルコールっていうのは本当に人をね、おかしくっていうかね、病気とも思わなかったから、
そういうふうになる人って、社会から落ちこぼれちゃったダメな人間と思ってたので、私は絶対お酒は大人になっても、飲むまいっても。
中学校で悪い奴らと出会って、そこでタバコを覚え、そこに出入りしてるうちにみんながシンナーやってたんで、私もシンナーは悪いことだって分かったんで、
一回目は断るんですけど、やっぱりね、みんなやってるのを見ると楽しそうにやってるんですよね。
それやると楽しくなるのかなと思って、ちょっと手を出したんです。
そしたらね、今までのつらいことが全部忘れられた。あの狂ったようになってる父親の姿も、苦しんでる母親の姿も、全部忘れ、自分が勉強できない、
そういう嫌なことを全部忘れさせてくれたのが薬だったので、もうそれはもう虜になっちゃったって感じですよね。
それからが始まりで、どっぷり使って、本当に毎日薬使ってみんなとワイワイやって、一生終わればいいかなって感じですよね。
でもなかなかそうもいかなくて、でも20歳までは結構ね、薬の品物は変わるんですけど、いろいろなものに変わっていくんですけど、
そうやって楽しみながらやってきたんですよね。でも20歳ぐらいになった時には、やっぱり今思うと15歳ぐらいで薬物依存症になっちゃったんですよね。
新たな道へ
今振り返ってみるとですね。だから一番ひどかったのは、やっぱり楽しかったのは高校生ぐらいの時に。
毎日電車に乗ると友達がシンナー持って待ってるので、電車の中でやって。授業中も年寄りの先生でわかんないだろうって教科書立ててやって。
でも一回指導部から、朝自分の机に座ってたら、小島陽子、指導部に来なさいって。放送が入った。なんだろうと思って行ってみたら、
あなたはね、今のスクールバスの中で何やったか覚えてる?っていう。いや別に覚えてないというか、別に普通にバスに乗ってただけですよって。
あなた覚えてないの?って言われて。自分はもう本当にスクールバス降りたら、真っ直ぐ自分の教室の椅子に座ってたもんですから。
そういう感じですよって言ったら、スクールバスの中で大暴れしたんだよって言われて、えーって。自分でびっくりしちゃって、そうなんですかって。
覚えてないのか。でもお前ね、このまま今日は置いておくわけにいかないから、もうね、支度して帰る用意をしろって。
お母さんに電話して、迎えに来てもらうからって言って。で、取りに行く時に、授業中だったんだけど一緒にやってる。
小嶋さんの過去と家族の影響
今日の朝もやった。いつも5人でやってたんです。電車の中で。その5人に紙に書いて、私指導部に見つかったからみんな気をつけてねって。
紙をね、授業中なのに下に開くところあるじゃないですか。あそこから誰々さんに渡してって。渡して。
で、渡し終わって、もうね、それで自分の教室に行って帰る支度をしてたら、今から服装検査が入ります。
で、早かった。指導部。それで全部渡した。もう授業中だったんでね。で、もうみんなも隠す暇ないわけですよ。
授業が終わったら隠す暇もできるけど。授業中だったんで。で、一緒にやってる他の4人も捕まっちゃった。
それで職員室に大学決定って書いてあって。5人分、名前が。それだったんだけど、あの時は何だったんでしょうね。
たぶんね、うちに親がいる人は親がちゃんと面倒を見れるかどうかで助かったんだと思うんですよ。
一番最初に見つかった私だけが助かっちゃったんですよ。
他はもうみんな共働きの時代になってたので、そんな子供のために会社辞められないとか休めないって言って、他の4人は大学決定しちゃったんですよ。
それで友達もね、本当か嘘かわかんないんですけど、100万持って包丁のうちに頼みに行ったらしいけど、もう玄関先で断られて受け取られた。
私もね、自分が一番先に見つかっちゃったんで、本当に申し訳ないって感じだったんですよ。
私も辞めたいって親にね、みんなもう大学決定しちゃったし、私が一番先に見つかって、私が残ってるっていうのもどうかなって言ったんだけど、母親に一緒に死んじゃおうかって言われたんですよ。
言えなくなっちゃって、私の母親のことって小さい時から、脳みその半分を母親のことでいっぱいなんです。
小学校行っても、家で二日酔いで寝ている父親と母親が私がいない間に喧嘩して、母親が父親につらいことなんか言われて出てっちゃうんじゃないかっていう心配が私の頭をいつもしめてて、勉強どころじゃなかったんです。
うちにいればうちにいたで、そういう父親が暴れてるでしょ。自分の居場所がなかったんです。そこに来て、母親に初めて一緒に死んじゃおうかって、忘れもしない、死んだんで捕まった日の帰りに、デパートでご飯食べていこうかって言って、食べてるときに言われたんですよ。びっくりしちゃって。
それ言われたらもうね、母親はやっぱり学校を辞めてほしくないわけですよ。何があっても続けてほしいって言われなので、私も言えなくなっちゃって、私が残ることにしたんですよね。そんなのもあってね、結構大変でしたね。母親の苦労してる姿をね。
アルコール依存症との戦い
自分が生まれてきたのは、家を明るくするため、でもそれも叶わない。早く死にたいという思い、一緒に死んじゃおうかという母親の言葉。小島さんのお話はさらに続きます。
そうやって高校卒業っていうか、高校に入った時にみんなが、あんたは死な中毒だよとかって言われてたんですよ。でも自分だけ信じないんですよ。これは遊びだから、いつでもやめられる。
本当に今うちに来てる人たちが、アルコールの問題はみんなとは違うとかね、私は寝酒で飲んだとか、いろいろ理由付けするんですけど、それと同じで、私はみんなと違うよ、私はだって遊びでやってるんだから、遊びはいつでもやめられるんだからみたいなね。
でもやめた時ないんですよ。そんな感じだったのが、高校卒業と同時にやめられたんです。自分の中で、やっぱりほっとしてるところもあった。みんながそう言ってるのに私はやめられた。多分そこはね、母親の力が大きかったかな。
このまま続けていったら、やっぱり違法なことなんで捕まったら新聞に載っちゃう。新聞に載ったら今度は母親は一緒に死のうじゃなくて一人で死んじゃうんじゃないかっていう私の恐れ。そんなのもあってやめられたんですけど、その頃からまたその薬物が変わっていった。
違法は違法なんですけど、薬物に変わったり。最後は二十歳で一番手っ取り早いお酒に変わっていったんです。
だからもう本当に飲み始めからおかしな飲み方。もう一人でガバガバ飲んで、ブラックアウトって記憶をなくす。気がつくともう朝になってて、前の日のやったことも覚えてないし、だんだん二日酔いが取れてくると思い出すんですけど、そこは思い出したくないようなことを思い出すんです。
やりたくないようなことがやってるんです。それを思い出してくると本当に情けなくて、自分が自分を信じられない。なんでこんなことするの。例えば、私って小さい頃からうちの中でいっさかいが多かったんで、人と争うのって嫌なんです。今でもほとんど。
私が引けばそれで丸く収まるかなと思って引いちゃうんですよね。そんなのにお酒飲むと喧嘩早いんですよ。男の人とも殴り合いの喧嘩しちゃうぐらい。タクシー乗せないといえば、タクシー蹴っ飛ばしちゃう。そんな感じなんです。そういうのを二日酔いになって、お昼ぐらいになって、ちょっと調子よくなってくると思い出してくるんです。
自分はなんて情けない人間なんだと。今度は自分を責め始めるんですよね。こんなお酒ごときに自分がおかしなことしちゃって、よくだからかしおり持って謝りに行って。受け取らなかった人もいましたよ。帰ってくると顔も見たくない。そんなこと何回も。そこが依存症なんでしょうね。
普通だったら、そこまでしたら辞めるんですよ。辞められないんですよ。そういう辛いことがあればあるほど、また次のお酒を求める。この嫌なことを忘れられない。どうすればいいか。脳みそが覚えてるんですよ。一杯飲めばいいんだよ。飲んじゃうともう忘れる。
今日は昨日は3本で。私ビールとワインしか飲めないんですけど。大体ビール、大瓶3本飲んでやめとけばいいのに、3本半飲んじゃったの。今日は1本でやめとこうって。病気なの知らないから。で、飲むんです。で、瓶が半分くらい行くと、なんかまだまだ夜は長いのに寂しいなってなっちゃうんですよね。で、1本でやめとくって言ったの。そこがコントロール喪失。
気づきと人生の選択
今ね、私たちがやってるプログラムの本とかテキストに書いたんですよ。本当にそれを読むと、本当に依存症の人が書いた本だなってわかるぐらい。100年近く前に書かれたことが、もう一発、私は本当に依存症なんだって思うぐらい。もうやめられない。コントロール喪失なんです。で、どんどん進んでいくんです。そういう感じで。
だから最初は何ヶ月か、2ヶ月かな、やめられたかな。だんだんそれが短くなって。1ヶ月、2週間、3週間。で、最後は1日やめるのやっとだったかな。その1日も手が震えちゃう。たぶんね、3時、4時になるとお酒が切れてくるんでしょうね。
コーヒーなんかカタカタカタカタカタ揺れちゃうしね。字なんか書いてーなんつって人前で恥ずかしくて、書けなくてこうなるなって。身密がのたくてるような書き方になるし。私はね、薬物もあったせいかね、背中に虫が、小さい虫がいるような感じ。それでよく裸になって、見ましたよ虫がいるんじゃないか。
そんなこともあったしね。いろいろありましたね、本当に。でもね、やっぱりお酒もやめられない。何やってもうまくいかない。社会からどんどん取り残されてるのはわかるわけですよ。取り残されてるのがわかって、それをどうやって修正したらいいか、その方法がわかんないんです。どうやれば社会に戻れるかが。
やめようってどんなに誓ってもね、やめられない。月曜日からやめよう。来月1日からやめよう。全然ダメ。そんなので、もうだんだんとね、あんな父親が、私ずっとあの父親のせいにしてたんですよ。あんな父親がいるから、あの父親殺さないと私の人生はもうどうにもならないって本当に思っちゃう。殺そうと思った時何回かありました。
でも最後はね、私ね、本当にね、首しめちゃったんですよね、父親の。
母親に止められたんですよ。
あんたね、あんたこんな男のね、男殺しちゃったらね、あんたの人生台無しだよ。それよりももうあんたは長男でもないしね、一番下なんだから、このうち出て自由にやりなさいって言われたんです。
で、はっと気が付いてやめたんですけどね。
それまでにいくまでにはもう頭が生きて、本当に石油を頭からかぶった時もあるんですよ。
あれ人間ってね、そういう時って力出るんですよ。
18リッターか20リッターの、あの赤いポリバケツ。
あれ、たっぷり入ってたんですよ。
重いんですよね。
そう、それ頭からバーッとかぶって。
で、火をつけようとしたら、やっぱりその時母親が、あんたやめなさいって。
あと兄がいたんです。で、兄にも一言言われたんです。
お前ね、こんなね、うちの隣が隣近所ってくっついてる中で、そんなことやったら近所迷惑だと。
死にたいんだったら山でも海でもいいと、一人で死ねって言われちゃったんです。
それもまた恨みの種になったんです。
今考えてみると、その前後っていうのがあるわけですよね。
なんでそんなことを兄弟が言うかっていうことは考えずに、言われた言葉だけに反応しちゃう。
そっかそっか。
そういう感じでしたよ。
いろいろなね、あらゆることを言い訳に飲んできたけど、最後は言い訳は尽きたって感じですね。
あの父親のせいにして何か変わったことあるって言ったら、何にも変わらなかったし。
今変わろうって思うにはどうしたらいいか。
私最後にね、母親からこう言われたんですよ。30の時。
私もその商売やってて、兄に全部渡したんですよ。借金なしに。
家も全部、お店もお兄ちゃんに渡したから。
今まで私はあんたの笑う顔が見たくて、あんたの思い通りに外国行きたいって言えば行かせたし、車欲しいって言えば買ったし、何でもしてきたけどもうできないって言われた。
もう渡しちゃったから。
ましてあんなお父さんがいたら、これから自分の生活もあるわけですよ。
だからもうあなたは30過ぎたんだから、自分で自分の人生、何でもできる。
自分の人生好きなようにやってきなさいって言われて、母親がそんなこと言うと思わなかった。
絶対何があっても見捨てないと思ってたから。
言われてびっくりしてその時に気づいたことが、飲んでる場合じゃない。
やめて考えよって今まで何言われても、分かった分かった飲んで考えるって感じたのが。
依存症との闘い
それが初めて母親から言われた厳しいことと、母親がいなくなったら自分はどう生きていったらいいだろうっていうのは分からなかったこと。
飲んでる場合じゃない、どうしようって思ったら、その時に週刊誌の今もあるかな、美少っていう本に薬物のダルクのことが載ってて、そこに電話したんです。
それで精神病院のこととか、AAやNA、あと施設があることも知ったんですけど、自分一人では病院もAAや自助グループに行くこともできなかったんですね。
で、その人は臨床心理師でボランティアのダルクに来てた人だった。私は一人で行けないので、もしよかったら会ってくれませんかって話聞いてくれませんかって言って、いいですよって。
その代わり飲まないで来てねって言われて、飲まないで、もうこれが最後だって言って飲んで、2日酔い状態で、そこがアルチューっぽいんですけど。
でもね、私ね、自分の話って人にしたときないんです。小さい頃から。このうちの中のことは外には出してはいけないっていうのを、誰からも言われてないんですけど、自分で学んじゃった。
たぶん5歳のおじいちゃんと、母親の喧嘩見たときに余計なことは言っちゃダメっていうのを学んだときに学んじゃったんですよ。
だからうちの中、近所の人はね、父親が大声出すからね、おかしいってのはわかったでしょうけど、他の人には言ったことないんですよ。
父親がアルチューだって言ったのは、私は施設につながって、ミーティングに出るようになってから言ったんです。
そんな感じだったんで、自分のことももちろん、父親のことも家族のことも言わないので、自分のことは何さら言わないんですよね。
それが初めて、その人に全部打ち負けられた。その時にもう肩の荷が下りたというか、
えー、言ってもいいの?って感じです。苦しいことって言ってもいいんだ。今までね、苦しいことを自分で解決できない人間は弱いやつだって思ってたから、
悩み事も自分で解決しないといけないって思って、その苦しさから飲んでたけど、いいんだって思ったんです。
で、ダルクはね、当時まだできたばっかりで、男の人ばっかりだったんです。若い男の人ばっかりで、
あなた女性なので、ここより女性がいるところがいいよって言って、ミノワにあったアルコールの施設。
ちょうど薬物の人が一人通ってるから、僕知ってるから紹介するよって言って、その時にその人は通所してた人なんですけど、私の話を黙って聞いてくれた。
私はやっぱり今まで、何か言うとお前は一番下なんだから黙ってろとか、説教になっちゃうんですね。
それが黙って聞いてくれたっていうのが、やっぱりね、楽だったですよね。
で、その日から、前の日に飲んで、2日酔い状態に、その日からやまって、33年。
そこから33年、飲んでない。
そうなんです。
そうなんですね。
そういうことがありました。
苦しみの共有
何をやってもうまくいかないという思い。
家族間での様々な出来事を経て、最後には言い訳はつき、飲んでる場合じゃないという思いに至ったこと。
そして、それまでは外に出さなかった、苦しいことって言ってもいいんだという言葉。
そんな小島さんのお話は、次回に続きます。
29:31

コメント

スクロール