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2026-02-12 31:14

v187-2 NPO法人あんだんて代表理事・小嶋洋子さん~辞めるのは始まり

前回に引き続き、NPO法人あんだんて代表理事・小嶋洋子さんにお話を伺います。今回はまず、施設に通っていた頃のお話から伺います。
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サマリー

小嶋洋子さんは、アルコール依存症を克服するために施設に通い始めた経験から、自身が施設を設立するに至った経緯を語ります。特に、女性が抱える依存症の背景には、家庭環境や過去のトラウマがあることを指摘し、単に断酒するだけでなく、人生を楽しむことの重要性を強調します。現在は、女性が安心して過ごせる場を提供し、カフェの立ち上げなどを通じて、地域との繋がりを深め、参加者一人ひとりが自分らしい人生を見つけられるよう支援しています。

施設通いと断酒への道のり
ゆいなわさんの聞く人ラジオ、皆さんこんにちは。ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
前回に引き続き、NPO法人あんだんて代表理事・小嶋洋子さんのお話を伺います。今回は、まず施設に通っていた頃のお話から伺っていきます。
そこから施設を作るというところに至るには、まだ…。
そうですね、まだやっぱり辞めて、最初の2、3年というのは、辞めていくだけで精一杯だったので、
もう毎日、当時はね、やっぱり男の人と同じく、施設も毎日通う。
で、3ミーティングって午前、午後、夜行って。
で、私、都知事からその時通ってたんです、施設も。片道2時間半。定期代5万5千円かけて行ってたんです。
で、半年。昔はね、やっぱりね、3ヶ月でプログラム終了したんです。
もういっぱいいたんで、40人ぐらいいたんです。それでもうどんどん出てね、あれだったんで、私もそこに通うって決めて、通って。
で、何にも信じるものなかったけど、一つ信じられたのが、ミーティングに出ればお酒辞められるんだっていうことです。
自分なりに意志と根性で何回も辞めたけど、やっぱり継続っていうのができないんですよね。また飲んじゃう。
それができなかったのが、初めて施設に通って、継続3ヶ月、6ヶ月。
で、こうやってミーティングに出てれば辞められるんだって思って、もう必死で3年間ぐらいミーティングに出て。
施設は半年で終わって、あとちょっとお金少しあったんで、それで通ったんですけど、だんだんお金も大変になってきたので、働かないといけないということで、
10ヶ月ぐらいから働くことにしたんですけど、それも東京に自分のグループ置いておきたかったので、
途中の埼玉裏輪に仕事を見つけ、途中から裏輪までこっちが出るわけです。
仕事が5時に終わったら、東京のグループに500円で行けるので、大きく1000円で行けるので、
ミーティングの夜、その時9時20分上の初の電車に乗りまして、家に着くのがちょうど11時。
で、父親はもう寝てるし、母親は起きて待っててくれましたけど、そういう点では母親を置いて言われたんですよね。
もう東京出てこないかって。生活保護やってきなさいよって。俺やってあげるからって所長が言ってくれたんですけど、
母親を置いておくのが人質に取られてるみたいなんですよ。父親の。できなかったんです。
3年間ぐらいか、そういう生活をしてたんですけど、お世話になっている人が、もうあなたもこれで3年経ったし、
もう30も過ぎてるんで、都知事から東京まで通うっていうのに、だんだん体疲れてくるわよって。
で、都知事でやってもいいし、東京でやるなら、東京に越してきなさいって言われて。
で、都知事、都知事ってね、やっぱり田舎だからね、みんな、はい、やめてますってちょろちょろやってるんですよ、みんな。
おじいちゃんおばちゃんたちが。で、まあ年寄りしかいなかったんで、年齢上の人ばっかりだったんで、やっぱり東京がいいっていうことで決めたんですけど、
私当時その時に猫を飼ってたんです。猫3匹。12歳の猫。それでそのお世話になっている人は、猫手放しなさいよって。
このプログラムをやっていくために、東京でペット科のアパートなんて探すのはお金が大変だから、手放しなさい。
で、今からもらってくれる人を見つけなさいって言って、まあ見つけたんですけど、12歳の猫なんていないんですよ。もらってくれる人が。
で、もう病院、犬猫病院の先生、もう何十年も付き合いあるんで、その人に相談したらね、小島さん。
もうこのね、猫ちゃんたちもね、小島さん家の猫ちゃん、いい猫ちゃんたちだけど、もう12歳で飼い主が変わるっていうのは猫にとってもかわいそうだよ。
で、もうもらってくれる人もなかなかいないよって。どっちもね、大変だって。もらってくれる人を探すのも大変だし、猫ちゃんもかわいそう。
安楽死がいいよって言われたんです。で、そうなんですかって言って、もうね、毎日泣いてましたよ。
もうね、そう言われてね、安楽死を選んだんだって言ってね、泣いたらそのお世話になっている人が、
あなたのソブライティー、これから辞めていく人生が始まるのに、かわいいペットを殺すのは絶対あなたの人生にとって良くないって言ったんです。
もう一回探しなさいって。それで探したんだけど、結局いなかったら、そのペット、動物病院の先生が、じゃあ預かりますって。
私、病気、ちょっと癌になっちゃって、東京で手術することになったって言って、じゃあ小島さんね、体が元気になったら絶対、小島さんが一番いいんだからねって、猫ちゃんたちは。
だから引き取ってねって。それまで私が面倒を見るって言って、全然お金もらわないで、ただでやっちゃってもいいんだけど、
そうすると、私が粗末な、ただで預かってるっていう、粗末な扱いしちゃうと、だからちゃんとお金をもらって、預かりますって言ってくれて、
じゃあ3匹で1ヶ月1万円かな、送って、手紙書いてね、毎月送ってました。
3年経って、東京にアパートを構えるって言った時に、東京から東京に行く時に預けたんです。
それで、6年の時、辞めて6年の時に、だんだん自分もお酒も止まってるし、精神的にも金銭面でもちょっと落ち着いてきた時で、
ちょうど6年目にこういう仕事の話が来たんです。これからそこで働くにあたって、全体的にちゃんとしてるところだったんで、金銭的にも大丈夫だね。
神奈川っていうことでは、東京ではペット科のアパート、借りるにはお金かかるけど、神奈川だったら大丈夫じゃないかっていうところもあって、
それでペット科のアパートを探したらあって、それで3匹引き取ったんです。
それで結局、12歳で預けて、15歳で引き取って、3匹18歳で老衰で死にました。
相模原市から症状をもらいました、長寿の。
それは良かったな、殺したらね。私、動物大好きで、あれなのに殺したら、それがちょっと残っちゃってたなと思うので、そういうこともありましたね。
東京移住とペットとの葛藤
じゃあ、その施設で働くっていうことから。
そうです。猫を引き取って働き始めて、そこで初めていろいろな依存症の人と出会って、
最初の2年っていうのは、デイケア、通所の施設の方のスタッフで入ったんですけど、女性のナイトケアを持ってて、そこの職員さんが辞めるっていうことで、やってくれないかって頼まれて、
女性のグループホームの担当になって、たくさんの色々な女性と出会うことによって、本当に依存症には男も女もないんだけれども、
男の人と女性は、男性と女性は全然違うっていうか、成り立ちも違うし、そういう点では本当に女の人は依存症、お酒を飲む以前の問題、
私のような親がある中だったり、家庭として機能してなかったり、虐待されたり、いろいろなことがあっての、つらいことを忘れるための自己処方的なお酒や薬の使い方を捨てるっていうことが分かってきて、
やっぱりそこに男性がいると、男性にとっても良くないかなと思ったんですよね。お互いに。そんなので、やっぱり女性のデイケアが必要だった。
当時はやっぱり施設は、毎日来てスリーミーティングやらない人は、できない人は受け入れなかった。私が入ってから、週3日でも毎日来られなくても、スリーミーティングやらなくても受け入れてくれないかっていうことで所長に掛け合って、何とかやらせてもらったんですけど、
どんなにやっても終了にはさせてもらえなかったんです。みんな中途なんです。でもそれが彼女にとって、これからの人生にとって良いことかって言うと、やっぱり一生懸命やった人は、それでも終了させてあげるとか、そういうのもやりたいって思ったんです。
男性のメンバーからも、いろいろ女性が男をたぶらかすみたいなことを言われたんですよね。それもちょっとあんまり気に入らなかったっていうかね。
そんなんで10年間、前の施設で女性のデイケア立ち上げようっていうことで、勉強会開いたりね、いろいろやってたんですけど、最後は展開できませんっていう、前の職場の方針だったんです。できないんですって言われたんで、ある程度好きにもやらせてもらってたんですけど、
でも自分の夢でもあるし、女の人に必要なことでもあるんですよ。だからやっぱりこれは退職してやりたいということで。そんな感じで独立。
でも前の職場の理事長から、あなたがいなくなったらここはやっていけないって言われたりね。僕の心臓がペースメーカー入れたのはあなたのせいだとか言われたり、いろいろ言われたけど、自分で飲んでた時っていうのは何も続かなかったわけですし、でもそういうふうに言ってもらえるぐらい自分で一生懸命やれたっていうのはね、やっぱり少し自信がついてね。
で、辞めて立ち上げたんですけど、なかなか立ち上げが大変だったということです。
今はそれで、それから十数年経って、今どうというか、どんな感じですか。
今はですね、もちろん作ってよかったなって思いますね。私はもう前の施設、今従来の施設っていうのが、だいたいまだミーティングが主体でやってるんですけど、せっかく作るんだったら、やっぱり同じことをやるんであれば作る必要ないんでね。
もう私が女性の中で学んだことを取り入れてやってみようっていうことで、もう本当に緩やかなプログラムで楽しむことを多くしてます。病気を認める、それも大切だけど、やっぱり女性って私と同じく、あんまり小さい頃に本当に楽しい思いしてないんですよね。
周りの目を伺って大人がどういうことを言えば喜んでくれるかなって言って、喜んでもらえたらニコッとするとか、合わせることはできるんだけど、本当に楽しむ、自分が楽しむということはやってないので、やっぱりそれができないとね、我慢ではお酒薬やめられないと思うんですよ。
だから本当に楽しむこと。どうしてもね、女性ってやっぱりお酒飲むにしても、薬は特にそうなんですけど高いから、やっぱりね、男関係の仕事に行っちゃうんですよ。水商売に行ったり風俗に行って、それを自分の飲む薬にね、つぎ込むわけですよ。
男の人にそうやって、男の人っていうのはそういう優しいというか、だからここでは優しくするのには下心があるよって言うんですけど、そういうのがね、意外とわかってない。男の本当の怖さ。男の人目の前にいるのはあれなんですけど、やっぱり悪い男っていっぱいいるんですよ、適当に。
だからここでもそうですよね。男の人がいる。話聞いてみると好きではない。でも一緒に住んでる。身売りですか?って言っちゃうんですけどね。本当にそんな感じなんですよ。男の人も女の人がいないよりいた方が楽しいわけですよ。
そうやってどこかに女の人を見つけに行くこともないし、風俗行く必要もないし、全部うちの中で賄っちゃうっていうかね、そういう感じなんです。でもそういう人だから普通の施設だとお断りなんですけど、うちは行ってもいいよ。
DV受けてる人でも、前の施設だとDV受けてる。じゃあそのうち出なさいよ。でも女の人って出られないんですよ。お金の問題とか色々な子供がいたりすると。それを出なさいよって言って出られないって言うと、じゃあ来なくていいよ。ダメ、うちは受け入れませんっていう感じだったんですけど、私は違うなと思うんですよ。
やっぱりその辛さをここで出していく。辛さを出して信頼関係ができて、ここで安心できる場があるんだっていうのがわかったら、初めてこの人と一緒にいたら私の人生も子供の人生もダメになっちゃうんだ。ここを出ようとならないと出られないと思うんですよ。
だからそれまで待つ。それまで辛い気持ちをここで出して、ちょこちょこお金を貯めながら、じゃあ出ようってなった時にやりましょうということ。だからすごくそういう点ではお散歩も行くし、映画行ったりカラオケ。女の人って声を出すのもストレス対象になるんで、カラオケに行ったりボーリング行ったり楽しむこと。
あと女性の中が一番安全で安心なんだっていうのをちょっと覚えてもらう。やっぱり男っていうのは優しくてプレゼントもくれるけど下心があるよって。だからやっぱりそこで夏に合宿2泊3日とか行くんですよ。片瀬の暇の。そこに行くと女性ばっかりも。
よその女性の施設と一緒にやるんで、30何人一緒に宅でなんですよ。化粧なんかできないんですよ。洋服なんかかまわない。男がいるから洋服かまわない。化粧もしなくちゃなんて。小島さん、女性ばっかりだと化粧しなくていいですね。洋服も気にしない。もう何でもありっていう。そういうところで女性の中が一番リラックスして安全な場所なんだっていうことをわかってもらう。
やっぱり仲間なんで近づきすぎるとやっぱり危ないんですよ。だからここのルールそんなにないんですけど、LINE交換とか電話番号交換、住所を教えたりはしないでって。絶対飲んだら迷惑かける。巻き込まれるから。
それはやらないでねっていうのが唯一の。あと暴力的な発言とか暴力。それはやらないでっていう。そこぐらいなんですね、ルールはね。そういう中で、距離感。人との距離感。今まで男の人とも二個一だったわけですよ。
でもくっついていた相手は自分だけしか見せないわけですよ。あと他の人には相談しちゃダメ。会ってもダメ。話してもダメ。それって危険な関係なんですよね。逃げられない関係。だからそうじゃなくて、いろいろな人に相談できる関係を保つには人との距離感というのも学ばないといけないので。
ここではね、そういう感じで。人との距離感。二個一は危険だよっていうね。優しい言葉も危険だよとか。そういういろいろなね、今まで学びそびれちゃったことをここで学んぼも得るっていう。
新たな施設での支援とプログラム
施設でのお仕事を経て独立に至ったお話。今は新たな施設で楽しむことをしているということ。我慢ではお酒薬はやめられないと小島さんはおっしゃいます。
ここに来られる方っていうのは、ここでどういうことをされるという。今もお話いただいたんですけど、なんかプログラムがあって、それに従ってやるみたいな感じですか。
そうですね。だいたいね、曜日を決め、毎日来る人っていうのは今はね、あんまりいないんです。そうなんです。だいたい週3、4回が多いので、ちょっと落ち着いてきたら曜日で決めてもらうっていう感じ。それで出たい。これからだったらお花見とかね、いろいろありますよね。
そういう出たい行事があれば、その時に出るっていう感じ。一応基本は曜日で決めてもらうという感じ。そういうことですね。プログラムが予定があって、畑の作業とか。決まってるのは畑の水曜日と金曜日。そこで取れたものをみんなでお昼に食べたり、食事会で食べたり。
これはね、やっぱり女の人っていうのはね、何かに愛情を傾けないと。変な男に傾けちゃうとね、変になるんですよ。だから、やっぱりそういうね、畑で種を蒔いて、水をあげて、芽が出てきて、それをね、ちょっと剪定したりして、ちゃんと実が付くように肥料もあげてやっていくわけですよ。それでそのなった実は、やっぱりね、スーパーで買ったような見栄えがいいものではないんですけど、おいしいんです。
そういうところに愛情を注いだり。こういうね、猫ちゃんに愛情を注いだり。そういうことですね。
で、皆さんお互い同士でお話をしたりとか。
そうそうそうそう。世間話ね。個人情報は流さないように。そういうこともね。外に出てね、精神病院の話とかね、刑務所の話しちゃうと引かれちゃうからね。やっぱりあんまり自分が飲んでるお薬の話とか、そういうのはしないんでねって。
じゃあ、小島さんは対話しながらとか、プログラムを導いたりとか、そういうことをお仕事としてされているっていう。
そうです。一緒に楽しむことですね。
そういうことですね。
楽しんでます、私は。どっちかっていうとね。みんなにそんなに気遣わないで、自分が楽しんでる感じでやってます。
今、この施設は今の状態であって、これからこういうふうにしていきたいみたいなのってあったりします?
そうですね。やっぱりここにいる人たちが、普通にアルバイトでもできればね、それはいいんですけど、なかなかできない人も結構いらっしゃるんです。
だけど、ここで何年、あといつまでミーティングに出てればいいのっていう人もいて、事情グループなんか行くと、やっぱり男の人なんかが、お前何年施設通ってんだよって言うんですよね。
やっぱりみんなは施設を終わることが回復みたいに思ってるんです。私はそんなふうには違うんですよ。ここは居場所だから、何年いてもいいと思うんだけど、みんながそういうふうに思っているので、そこはカフェを立ち上げたり。
この年2回なんですけど、銀座通り商店街、今車通ってるんですけど、公車天国にして夏祭りとハロウィンをやるんです。その時にうちも唐揚げとかポテトフライとかコーヒー出すんです。みんな喜んで、いらっしゃいませとかやってるんですよね。達成感があるらしいんです。
こういうのを、せやで2回と、あと鎌倉の雪の下教会、4月にバザーがあるんです。それこっちであげて向こうで売るんですけど、そういうのもやったりして、みんなすごく喜んで、ありがとうって言われることが嬉しいし、そういうふうにやってるので、できればカフェをやって、週4回ぐらいカフェで開いて、
ご近所の方にもオープンにしてね、いろいろな人に来てもらって、うちもこういうアートクレイシルバーの講師の先生とか、いろいろ作ることをやってるんです。そういう人たちにも参加してもらって、地域の人たちにここを知ってもらって、そういう人たちと一緒に何かできればいいなっていうのをね。
そういうことですね。そうなんです。だからカフェっていうのは一つの形としてオープンすることで皆さんが働いて、つながりがあっていう感じでやっていきたいなってところなんですね。そうなんです。
だから食事会はここは多いです。もう何かあれば食べようかみたいな感じでね。お餅つきもありますしね。機械ですけど。今度これでやろうかっていう話がね。
ちゃんとしっかりついてってことですね。そういう話も出てますけどね。お花見行ったりね。午前中ここで料理作って、それ持って公園に行ってみんなで食べたりね。そういうことはね、ちょこちょこ。みんな本当にね、飲むこと、薬使うことが一番だったんで。
何のために働くのっていうと、お金がないと薬を買えない。お酒飲めないから。何のために食べるのっていうと、食べなくて体壊したら薬できないからなんですよ。私もそうだったように。だからご飯なんてどうでもいいんですよ。一応なんかやっぱり体に必要なものだから入れとくっていう感じ。ラーメン食べたりね。
あんまりもうね、やっぱりここにいる人たちって離婚したりしてる人が多いんで、一人だとやっぱりあんまりちゃんとしたものを食べたいじゃないですか。一人だと材料買っても無駄になるし、そんなんでじゃあ畑もあるし、そこで採れたもの、それでみんなでおいしいものを作って食べよう。おいしいねってね、味わって食事をとるっていうことはね。
栄養のバランスを考えた食事をとるっていうのも大切。そうなんです。
皆さんはそうやってだんだんとお食事を楽しんでいかれるようになっていったりとか。
そうなんです。無駄なものはないかなって思ってるんです。
無駄なもの。
無駄なもの、このプログラムで。
ああ、そうか。
お酒を辞める、よく言うんですよ。お酒辞めるのにこんなこと必要なんですか?って言う人いるんだけど、無駄はないよって私は言ってるんです。
長年やっていく中で、もしかしたらそれまでは無駄があったかもしれないけど、改善しながら、今の形としては無駄はないよっていうことで。
逆説なんですよ、私らのやってることって。
お酒飲んでる時、薬やってる時は、もう全部にそれを費やしてたんです、エネルギーを。
だけど今度辞めていったら、その逆で辞めていくことに、お金も時間も全部使う。逆説をやって。
そうしないと、簡単に辞められるもんじゃないよって。
簡単に辞められるんだったら、とっくに辞めてるよって。
子供の貯金箱を盗んでも、人のお金を盗んでも、万引きしてもやっちゃう病気なわけです。
それを辞めていく。で、まして自分の人生を変えていくっていう。
辞めるのっていうのは、始まりでしかないんです。
「辞める」は始まり、人生の再構築
それから、これからの自分の人生をどうするか。
そういう悪いことが染み付いてるんだよ。
それをトレーニングして変えていくんです。マイナス思考、プラス思考。
ただ一人でいると良くないんです。一人でいくと、いつものマイナス思考が出てきちゃう。
最後は最終的には、もう何やっても上手くいかない。もういいや、どうでも。ってなって、また飲んだりしちゃうので。
そこはやっぱり仲間といて。
飲みたいことが、辛いことがあっても、みんな頑張ってやってるんだ。私も頑張ろう。
そうやって私もやってきましたし、この施設を立ち上げる。
私は施設上がりなので、その施設に行った時に、こういうところがあるんだって知って、
こういうところがいくつもあれば、たくさんの人が助かるだろうなと。
そっかそっか。
私はそれを作りたいと思って。それを言ったら、いいことだけどね、あなたは今自分が辞めていくことが優先だよって言われたんだ。それもそうだなと思って。
あまり口に出さずのところで温め続けて。
もう本当にそこまで行くには、もうやんなっちゃったって思うことも、飲んでた方が分かんなくていいかなって思ったこともいっぱいありまして。
でも通い続けていく中で、みんながね、やっぱり施設では本当に辞めたばっかりの人だけど、事情グループ行くと5年も10年も辞めてる人がいるわけですよ。
そういう人を見るとね、本当に仕事ね、5時までやってきて、ミーティング場に来て、しかも自然な笑いが出て、生き生きとしてる姿を見ると、
いやこの人どうやってここまで来たんだろうって思うわけです。
そういう人の話はよく聞きましたね。
そういう人だいたいが施設に通ってるんです。
でも大変だった。離婚して子供も置いてこなくちゃならなかった。毎日泣いてましたとか言うけど、施設に通って、毎日事情グループ行って、なんとかね、こうやって元気になったっていうのを聞くと、
ああ、やっぱりこれやってかないとね、ダメなんだなと。
だから自分の人生、今60年で、子供の時は60年かなと思ったけど、今80年から100年でしょ。
その人生の中の2,3年我慢して努力しできない人間は、何事も成し得ないなって、私これは個人的な、私の思いです。
だから必死でやってきた。そしたら、もう本当に、もうもらった以上のもの。
もらった以上っていうのは変だね。思っていた以上のものを私はもらった。だからこれをやってます。という感じですよね。
だから、この話っていうのは別に、私が依存症、かわいそうな家庭で育って、依存症になって、やめられてよかったねって話ではないんですよね。
それだけではない。私もよかったけど、やっぱりこの話をいろいろな人に伝えて、少しでも力になれば。
お酒を辞めただけじゃなくてね、自分の人生が変えられるわけですよ。
これからやりたいことに対しても、勉強してもいいし、なんか興味があることをどんどんやっていくと、絶対に願いが叶う。
お金じゃないんです。ものじゃない。自信ないときはものばっかりに言っちゃうんですね。お金貯め込むことは。
そんなものはね、お金なんていうのはね、天国まで持っていけないからね。
もうあって、好きなことをやって。もう50になった時に、もう嫌なことはやらないと決めて。
ただ、自分が良くなるために、それが必要なことはやりましょうって思ってるんですけどね。そんな感じなんですよ。
旅行と動物、そして過去の埋め合わせ
いや、ちょっとすごい。
すごいですか?
いや、すごいですよ。
いや、すごくないですよ。
一応、小島さんは、そんな小島さんにもう一個の質問として、好きなことなんですか?っていう問いがあるんですけど、小島さん、好きなことなんですか?
旅行ですかね。
旅行。はいはいはい。
旅行と動物といたりね。
あー、動物といること。はい。
そういうことですかね。
じゃあ、結構いろいろ行かれたりとかは。
そうですね。3月にも行きます。
また行かれるんですね。
ハノイに。
ハノイ?
ベトナム。
あ、そうなんですね。
そうそうそう。
えー、そうかそうか。
やっぱりね、飛行機に乗るとここのこと、仕事のことが忘れられます。
あー、そうかそうか。
外国行っちゃうとね。
まあ、ラインでは繋がっちゃうんですけど、ちょっとしたことではね、もう距離的に離れていて行くことはできないしね。
そうですよね。
そういう点ではね、本当に飛行機の離陸するときが、日本よ、バッハッハーイって感じだね。
そういうことですね。
そっか。
旅行することと、まあまあ動物はいつも一緒にいてみたいな感じで、普段はもうお仕事にずっと向き合って、皆さんと一緒にいてっていうことでやってるんですよね。
そうですね。一緒に楽しんで。
そっか。
やっぱりね、家族でもそうだと思うんですけど、お母さんお父さんがつまんなそうな顔してね、仕方なくやってるよりね、一緒に楽しんでたほうがいいじゃないですかね。
そうですよね。
だから私なんかも子供の頃、あんまり親とご飯食べたりできなかったんで忙しくて、いつも母親が用意して置いておいてくれて、食べちゃいなって感じで一人で食べたり兄弟で食べたりだったんで、ここでね、みんなで食べるっていうこと。
だから自分が子供の頃できなかったことを、うらやましかったことをここでみんなでやってるような感じなんですよ、私は。
だから全然みんなのために我慢してってのはないですよ。
ああ、そうか。自分がもうしたいっていうところでやってる。
だからね、本当に辞めたばっかりの頃とか、ずっと飲んでるときには自分がかわいそう、あんな家庭に生まれちゃって、かわいそうと思ってたけど、今は全然そんな。
そんなのはね、今が幸せだったら埋められちゃうんですよ。子供の頃のかわいそうなことなんて。
そうやってこのプログラムが、もう小さい頃の自分のかわいそうだった、みじめだった思いをスコップで一生懸命飲まないでプログラムをやっていくことで埋められてきたっていう感じなんですよね。
自分が子供の頃にはできなかったことを、今ここでやっているという言葉。
未来への展望と感謝
これからは新たなカフェを立ち上げ、いろんな人に来てもらう場を作りたいという思い。
今回小島さんには、ご自身のこれまでのご経験を、その熱い思いとともに語っていただきました。
小島さん、ありがとうございました。
それではまた次回、雄一郎さんのキクヒトラジオでお会いしましょう。
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