前回に引き続き、住まいと地域をまもる「住まもり」という名称で、自身のマンション管理組合理事長の経験から、首都圏の分譲マンション管理組合をサポートするお仕事をされている、黒葛原英樹さんにお話を伺います。今回はまず、ソーシャルビジネス、社会課題解決の取り組みについて、伺っていきます。
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サマリー
黒葛原英樹さんは、住まいと地域を守る「住まもり」の取り組みについて語ります。ソーシャルビジネスを通じた地域課題の解決や、学生の参加による新たなリーダーシップの重要性を探ります。また、地域のつながりや支援の形についても考察します。マンション管理や地域を活性化する取り組み、そして若い世代が地域リーダーとして活躍するための仕組みが語られます。さらに、趣味や好奇心に関する話が展開され、自己成長や新たな挑戦の重要性が強調されます。黒葛原英樹さんは「運がある」というテーマで、個人の経験や地域との関わりについて話します。特にオーストラリアでのサーフィンや漁師の経験を通じて、人とのご縁や運の重要性を伝えます。このエピソードでは、黒葛原さんが運の重要性と、それを活かして新しい挑戦を続けることの意義について語ります。彼の経験を通じて、好奇心と冒険心が人生を豊かにする力を持つことが伝わります。
00:04
ゆいなわさんの聞く人ラジオ
みなさんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオの時間です。
ソーシャルビジネスの取り組み
前回に引き続き、住まいと地域を守る、住まもりという名称で、自身のマンション管理組合理事長の経験から首都圏の文書マンション管理組合をサポートするお仕事をされている、
黒葛原英樹さんにお話を伺います。今回はまず、ソーシャルビジネス・社会課題解決の取り組みについて伺っていきます。
これを昨日、実は大学生になったばっかりの、ソーシャルビジネスを立ち上げたいということを話したんですけど、
うちの事業も結局ソーシャルビジネスなんですね。社会課題をビジネスで解決するような感じなんですけど、
彼にこの話をしたら、今までそうなったらいいな、そうしたいからこの活動をしてます。
彼は防災と小中高生の地域リーダーをとっているみたいな、プログラムこれからなんですけど、本当に2年目でやっていく、これから今年リリースしていくみたいな段階らしいんですけど、
この話を聞いて、実現できると思いました。
おーすごーい。
ありがとうございますって言って、よしって思って。
そっかそっか。
で僕はまたそこで閃いて、結局企業でインターンか、もうやるって言ってるんですよ。
その時に、うちはもういろんなとにかく業者さん、協力業者さん、パートナーたちがいないと成り立たない仕事なんですよ。
全員そうですけど。
そうなった時に、例えば営業パートナーっていうところもあるんだよ。
そういうことでマンション開拓してた。
あーそっかそっか。
っていうので、仮に学生さんでそれをやった時に、マンション住んでる友達いるかもしれない。
あーそうですね。
そしたらその友達に話して、お父さんに話して。
あーそうですね。
で繋げてもらえたら、うちが制約になって、フィーが売上立った時にちょっとフィーが払えるっていう風にはできる。
なるほど。
それは仕事をしる上にもなりますよね。
そうですね。
さらにもう一個進めて、みんなそんな地域リーダーになりたいんだったら、
お父さんに理事に候補してもらって、代わりに僕らから学んだ高校生、大学生が理事会に出る。
あーいいですね。
これすごくいいのが、友達の後輩、会社の後輩にマンション買ったら理事長やれって、後輩がアジェスターと言ってやらせた子がいるんですよ。
3年で上場企業で飛び急いで昇進したんですよ。
えー。
やっぱり交渉力とか、年齢層とか幅も広いじゃないですか。
あーそっか。
仕事じゃないから、強権を振るえないわけですよね。
あーそっかそっか。
とか、即決しなきゃいけないものとかっていうのは、たぶん人間力が上がったんですよ。
そうですよね。
地域リーダーの新しい形
あー面白い。
で、今一番のマンションの課題は、高齢化が進んでて、理事の成り手がいないって言うんですよ。
あーそっかそっか、そうですね。
いやいや、進んでて、高校生、大学生が理事やってくれたら学生だし、時間もあって、調べることもできるし、
僕らはフォローすることもできるしっていうのが、昨日出てきたまた新しいアイデアで。
昨日ですか?
昨日です。
ははははは。
おーほやほやな、はい。
だからほんと、マンションって言ったら行かなかったのが、どんと取れた。
課題が広がったことによって、その活動も。
もう今まで僕も大人の人が理事やるもんだと思ったんですよ。
あ、そうですよね。
そんな学生たちからやってたら。
そうですよね。
そういう前提がないとしたら、別にいいじゃんみたいなところですもんね。
でももう鳥肌立っちゃったんですよ。
ははははは。
ほんとだ。
おもしろ。
あーそうなんだ。
っていうのがもうワクワクしちゃって。
でも今ワクワクが伝わってきますからね。
そう。
えーあ、すごいですね。
これは世の中変わるわと思って。
変わりますよね。
実際にリーダー、理事になったら、それをやっぱりみんなが注目するでしょうし。
いや、すると思いますよ。
地域のつながりとビジネス
例えばメディアみたいなところも、ニュースも来るかもしれないし、
新聞も来て、今こういう高校生、大学生が理事をやってるこの場所っていうのはどうなる?
でもやっぱりみんなまだまだ若いから、足りない部分もいっぱいある。
でもそれはサポートするでしょ。みんなこぞってサポートするだろうから。
それはより彼、彼女自身も非常に人間力が上がるっていうのでも。
自分のやりたいことがまた見えてくるだろうし、すごくいい経験だ。
多分この時代だからこそやっていける手法だと思うんですね。
僕でもそうだったように、マンションから街へ視野がどんどん広がっていくんで。
おもしろくないですか?
おもしろい。それはおもしろいですね。
だからもう楽しくなっちゃって。
それを実際にいけるっていう感じはある?
ありますあります。
昨日話した彼が代表っていうかリーダーでやっていく中で、これから同級生とか集めていく。
運営費も必要でしょっていう。こっちをやってくれば出せるし、そういう場も作れるし。
いつかは起業したいんですよ。
あ、そういうことか。
練習練習。
そうですよね。いろんなこういう時こういうことあるのかみたいな練習にもなるわけだし。
だから理事会側のマンションの方の立て直しをやってるんだけど、結局うちの会社のビジネスを学べるわけですよ。
うちの会社のビジネスって言ったら地域の人全部都市化になっちゃうんで。
自分自体が企業の前段階として、その後自分で起業していくにあたってはそれをしていくわけだから。
そこの時に別にマンションじゃなくていいんですね。
自分が何か他の事業何かでやっていけば。
でいけば同じとみんな繋がって上がっていける。
やっぱりこの前川西さんのSS、SKに2年ぶりの発表会に出て思ったのは、
うちがソーシャルビジネスでやるならば、マンション業界で似たような仕事をやってる人は確かにいるんですよ。
差別化が難しいなと言って、防災を付け加えたり、自然で加わったんですけど、それでも弱いなと思って。
うちがソーシャルビジネスって気づいた瞬間に、ソーシャルビジネスの人たちのプラットフォームがあんまりないんじゃないのかな。
あんまり聞いたことないですね。で、みんな求めてる感じがしますよね。
本当は情報発信なり、みんなが集まる場所をしたいけど、自分たちがやってるけど、そこのそれぞれが繋がりづらいというか。
フォローしてる団体はあるんですよ。そこだけでも少ないと思うんですよ。
この地域だったらもっと多いプラットフォームになれたら。
もちろん既存の事業も必要ですよ。リフォーム業種とか保険とかが必要なんですけど、それはそれだけど、
うちの軸としてはソーシャルビジネス。そういう社会課題を解決し、それを応援してます。
それに賛同してくれる業者さんたちがいます。で、マンションをサポートしてることから始めるんですけど、
あなたたちもやりませんかって言ったら、確かに。
長年かけて反論の余地がない。ロジックを組み立てる。
良い人しか言えない。
でも良いんですよ。実際それがなってきて、それに参加したい方が増えてくれれば、
例えばアビットという街の一つの市民が作る街っていうことの大きな形としてなっているわけですし、
やっぱり若い人、これからの人をちゃんとその人たちが参加してみたいな。
高齢になってくる人ばっかりがワーワー言ってるんじゃなくて、
ちゃんと全世代をトータルしてやっていくっていうことが、やっぱりこれから大事なことですし。
そうなんですよね。
今トータルって言っていただいたから言うんですけど、うちの会社名はトータルライトパートナースです。
ちゃんとそこにつながって、そうですよね。
10年前に起業した社名が一周回って、やっぱりそうだったっていう。
実際に10年前に起業したときは、こういう構想っていうのは何かありました?
種みたいなものでも。
種はありましたね。
結局勤めてた時代も、不動産の仕事って自分たちだけじゃ完結しない。
免護士さん、司法秘書士さん、それこそリフォーム業者さん、保険屋さん、
同じ道業の不動産会社さん、仲介、お客さん紹介して。
細かく言ったら水泥屋さんとかいっぱいあったんで、協力してやっていくっていうスタンスだったんですね。
これ僕の特徴だったんですけど、
14年勤めて、周回やって、店長になったら賃貸の管理。
結局トラブル処理係になっちゃうもんね。
やっぱり他の人たちは任せられないから。
簡単に言うと、大脳があった場合にお金を取り立てに行くんですけど、
てめえ払え、この野郎!って言って払う人はいないんですよ。
そういうキャラでもないですけど。
そこでは触れないんですよ。
お金がないから払えないんですよ。
お金があったら払ってくるんですよ。
何をするかっていうと、話を聞いて、
どうやって払おうか、どうやって稼ごうかみたいな。
一緒に考えていくみたいな。
1軒の家3時間くらい詰めて、
お母さん、お父さん、息子さん、息子さん働いてない。
いろいろ話していって、
今の生活、月の収入だったら家賃払って、
1万円だったら返せそうだよねっていう話をしてるのに、
私たちに死ねって言うなって言われたりとかして、
いや、そんなこと言ってないよ!
一言も言ってないよ!
どうやったら生活できるかの話をしてる?
ってやったりとかしてたんですけど、
嬉しいことに息子さんも働き始めていて、
結果3年もかかるんですけど、
息子さんも転職して、
僕は介護の仕事を受けました。
本当にありがとうございました。
お金も貯まったんで、速攻します!みたいな。
いや、よかった!よく頑張ったね!みたいなことをやってたんですよ。
ずっとそういう、
お金が払えなくなったら、
311があって、
自分も糖尿病なのに家賃が払えない。
なんでだ?って会いに行ったら、
311で別れた奥さんが亡くなって、
娘が一人になっちゃったから、
会いに行って、お金全部渡してきた。
それをずっと言わなかったんですよ。
そういうことなら早く言って!
そしたら何とか考えるよ!
結局、生活方法を受けた方がいいよって。
いろいろ安定するからって話をして、
結局その後すぐ倒れちゃって、
家賃になって、戻って来れないんですよ。
施設に行くしかないので。
その時も言えないこともあって、
通常だと行政やってくれないので、
その頃、福祉課とすごく仲良くなって、
何とかします!って言って、
いろいろやってくれたことがあって、
最後に会いに行くと、
津澤さん、ありがとうございました!
よかったね!って。
数値も上がってるし、
これからは安心して生活して!とか、
そういうのをやってたんですよ。
トラブル解決は疲れる分ですよ。
その後に考えを変えて、
当時、1800世代くらい管理があったのかな?
9割方の人を知ってたんですよ、僕は。
当時はお金をまだ持ってくるみたいな。
銀行引き落としにしてなかった。
顔が見えるから。
月末になるとみんな家賃できて、
大変だったんですよ。
10人くらい来ると。
やってた頃から、
トラブルがあると僕が行って、
何かを収めて、
故障があるとそこに行って、
会話して、
どうやって解決しようか、
不便かどうかやってたんですけど、
最終的に出来上がった流れは、
10人さんと飲み会も開くし、
旅行も行くし、
富士山も登った。
全員じゃないですよ。
地域活性化の取り組み
あとは物件見に行った時に、
おじいちゃんに言われて、
お茶飲んでいきなり、
お店長さんに言われて、
お茶飲んで世間話して、
なんかやってたんですよ。
それで9割くらい知るってこともあるけど、
トラブルの連絡が会社に入って、
後輩が電話を取っていったら、
30分くらい話してたんですよ。
なんて話してるのかなと思ったら、
さすがにもう駄目だったら、
店長に電話変わってください。
ドコドコの誰々さんです。
今だと聞いたんですけど、
本当にすみませんね、
時間かかっちゃってねって言って、
分かりました、分かりました。
何度も分かるんで、
今からもう御茶屋さんに行ってもらって、
僕もすぐ行くんで、
ちょっと待ってください。
分かりましたってガチャって言ったら、
なんでそんな早く終わるんですかねって。
そうかそうか。
そうだよね、そうだよね。
そうだから、面識があるから。
そもそも僕に切れてこないんだよ。
ああ、そういうことか。
しかもこっちもすぐやるから。
そうかそうかそうか。
っていうので、ほぼほぼトラブルが、
トラブルじゃなくなっていく、
っていう経験があったんで、
入任さんも業者さんたちも、
いろんな人たちとつながって
協力し合ってるというか、
入任さんのお困り事を解決してあげる。
のをやってたんで、
僕だからトータルのライフを、
僕一人じゃ無理だから、
パートナーさんたちと、
幸せにしていきたいな、
イメージで名前つけてた。
そっかそっかそっか。
結局ここまで行くとは思ってなかった。
そっかそっかそっか。
でも名前がちゃんとここにもつながるように、
最初思いがあって。
へえ。
昨日思いついたみたいに申し上げましたけど、
やることがたくさんあって、
これからおそらく。
けどお酒飲まなくなったら時間あるんで。
そっか。
そうだった。
お酒は結構飲んでたってことですね。
飲んでましたね。毎日。
僕もそうだったんで、
分かるんですけど、
今はだいぶ辞めてるんで、
もう辞めて飲まないんですか?
今飲んでないです。
全然。
なんかどっかで多分、
ここまでやったなっていうか、
飲もうかなって思ってたんですよ。
辞めるって決めたときは。
けど、
なんか面白くなってきちゃって。
飲まないこと。
別に飲み会の席にもその後3回ぐらい行ったんですけど、
別に飲み込んじゃって全然平気なんですよ。
どれぐらい経ちます?辞めて。
3月の17日からなんで。
1ヶ月経ってないです。
でも毎日飲んでたのが、
それぐらいだと違いますよね。
いやもう全然ですね。
例えば時間できるのもそうだし、体調とか。
体調は正直ちょっとわかんないんですけど、
肝臓、ここに肝臓があるんですよ。
ちょっと黒い汗が。
もっと濃かったんですよ。
だけどこれは、
またちょっと話がずれるんですけど、
2年前ぐらいかな?
体重が78キロあって、
血液検査すると、
肝臓の数値が30以下が普通なのが150あったんですよ。
ヤバいんですね。
ヤバいんですよ。
っていうのもあって、
1年復帰してめちゃくちゃ体鍛えたんですよ。
本当に体鍛えて、
78キロからマックス63キロまで。
15キロ。
15キロ。
だけど筋肉質になって、
多分高校生の時と同じぐらいの体験だった。
戻ったんですよ。
そうするとやっぱり52キロで、
51キロでそこまで落とすと、
ちょっとカラッと、
になるんで、
今5キロ戻して68キロ。
今いいとこに落ち着いてるんですね。
そういうのもありました。
それもたぶん一つの理由で
お酒やめようかなって。
夜なんてあるんですよ。
仕事が終われば飲み始めるわけで。
もう6時ぐらいから。
ずっと飲めるんですよ。
楽しい。
ずっと。
いくらでも。
だけどそんなにいくらでも飲んじゃうと、
翌日さっき言ったより、
DNA上、アセトアルフィの分解が弱いので、
一日潰れるんですよ。
そうですよね。
そうなっちゃいますね。
そういうのもまた夕方になると健康になってくるから。
相当無駄にしてます。
記憶もなくすんですよ。
見たものも忘れるわけですよ。
楽しいビデオを見たなって記憶になるんですよ。
めっちゃわかります。
それがなくなったらどうなるかっていうと、
まず飲んでる時間がなくなったんで、
別に食事なんて、
飲んでたらリミッターが外れるんでいっぱい食べるじゃないですか。
食べますね。
それがなくなったんで呼吸量がなくなるのがわかります。
ちょっと口寂しいな。
あとは記憶がなくならないので、
繋がるんですよね。
バカな話ですよね。
これ酒飲んでない人がいる人はバカなんじゃないかって話ですよね。
酒飲んでると一日が区切れる感じがする。
飲んでないとずっと続く感じっていうのがすごくわかります。
それがあるんで、まず忘れないと。
多分記憶上も良くて、
昔、農家学の模擬先生の本を読んだ時に、
夜寝てる間に脳みそは本棚を整理するように、
きれいに一か月間から並べてくれるんだよみたいなのなんですよ。
だから寝る前までに一日情報を蓄えて、
寝ると整理されて朝ひらめくんです。
そっかそっか、そうですね。
僕もそうなんですよ。
だからそれができる。さらにできる。
前からできてたんですけど、
朝起きてグダグダしてると、はっ!ひらめいたんです。
でもしょっちゅうだったんですけど、
今はそれがもっと加速する。
だって記憶が切れない。覚えてるから。
お酒そうですよね。楽しくなっちゃいますよね。
酒を飲まないことは。
今、お酒飲んでたことが楽しかったはずなんで、
お酒飲まないのも楽しい。
こんなに広がるじゃん。
めっちゃいいっすね。
お仕事のところも広がるっていうと、
なんか言ったら覚醒してるじゃん。
マンション管理や防災活動を通じて、
若い世代が地域リーダーとして活躍する仕組みについて、
高校生や大学生が理事会に参加することで、
世代間の交流が生まれ、
地域全体の活性化につながるということ。
好奇心と楽しさ
そしてお話は、
津浦原さんの好きなことについて伺っていきます。
津浦原さんが好きなこと何ですか?
っていう質問だったら、何てことありますか?
ことっていうのは難しくて、
好奇心の塊なんで、
ワクワクが好きで、楽しいのが好きなんです。
だから苦しいのを頑張る、我慢もできる。
我慢してる気がないんだな。
言われたんですよ。
勤めてる時に社長に、
お前は本当に忍耐力がすげえなって言われて。
みんなそうです。こんなもんじゃないんですか?
違うと思いますけど。
ワクワクを捕まえると、もうなっちゃうんですかね?
ワクワクしちゃうんですかね?
しちゃうんですね。
すごくわかりやすい例で言うと、
誰かがすごく楽しそうに、
例えば、俺今スノーボードにハマっててさ、
去年から初めてで、
滑っててすごい気持ちよくてさ、
ジャンプとかもしてさ、
女の子たちもいてさ、
本当に楽しいんだよねみたいなことを、
本人が楽しそうに喋られて、
やってみたいな、
っていうのが若い頃からずっとそうだったんですよ。
それが、
そうですね、それですね。
俺夏休みにバイクで北海道一周してきたんだよって、
もう寝るとこがなくてさ、
その時は自動販売機の横で野宿したりとか、
食いもめちゃくちゃうまくて、
景色も良かったし、
バイクの中もいっぱいできたんだよなって聞いたら、
俺もちょっと車で行こうかなみたいな。
で、一週間後にブーンって行っちゃった。
そうか。
そのワクワクの好物というか、
そこで自分もやるし、
好奇心も。
で、やっぱり行動もするってことですかね?
しますね。
で、だいたい後から振り返ってみて思った時は、
そのワクワクした話をしてくれた人、
以上のことをやって帰ってくる。
なるほど。
っていう傾向が。
もうそこは自分のオリジナルのワクワクに行き着いて、
きっかけはもらって、
そこから自分でやっていって、
よりワクワクして楽しんじゃうみたいな。
自己成長の旅
で、だいたい一人なんですよ。
ああ、そうなんですね。
一人で行くんですよ。
ソロなんですよね。
で、それの極めつけが、
実はさっきスノーモードを教えてくれたやつが、
おじさんは実はサーフィンもやってる。
で、かっこいいやつなんですよ。
じゃあ俺もちょっと行ってみようかなって言って、
で、サーフィンやって、
なんか全然できなかったんですよ。
10回ぐらい行ったら立てたんですね。
立てたらすっごい気持ちよくて怖い。
で、これかーって言って、
ハマって毎週海行くようになって。
で、3年ぐらいしたら、
もうみんながオーストラリア、アホリで行って、
帰ってきて、波乗りしてきて、
オーストラリア最高だよって聞いてたから、
じゃあ俺も行ってきまーすみたいな。
あ、そうなんですね。
で、行ったら、
最初ちょっと初めての外国生活で、
毎日サングラスをして出かける。
で、向こうでビジネスで住んでる人に、
ビビってんの?とか言うと、
サングラスしてとか言うと、見抜かれちゃう。
あー、そういうことか。
サングラスじゃないですけど、サングラス外して歩くようになって。
で、仲良い友達もできて一緒に住むようになって、
ほんとこう、毎日海行って、
1日どれくらいかな?
多分、6、7時間は入ってる。
朝、昼、午後みたいな。
波さえ良ければ。
しかも、日本じゃ味わえないような、
すごい良い波なのに、
2人しかいないとか。
ありえないんですよ。
贅沢ですね。
超贅沢で。
朝から2時間乗りっぱなしとか。
うわ、最高だなーって。
で、ほんとにあの時はあれですね、
ただアホみたいに楽しいっていう人生の中で、
今でもあれがあそこが一番ですね。
ただただに楽しいだけの人生、あそこ。
今の方がいろんな厚みもあるけど、
それはそれで良くて。
その後、ラウンドっていって、
一周旅に出るっていうのを知って、
俺もそうだなーって旅しながらサーフィンしながら、
っていうのをやっていくんですけど、
そこまた一人で、
その時も一回仲良かった4人で、
エアースロックに行って、
3週間で車で帰ってくるみたいな、
だったメンバーが、
一緒に旅に出ようよって言われたんですけど、
なんか、俺一人で行くわって。
ああ、そっかそっか。
っていうタイプらしくて。
個人の経験と運の重要性
なんでなんだろう、分かんないですけどね。
一人が、仲間もあるけど一人が良い?
一人が良い、その時は。
今もでも活動として一人なのか、
なんかする時は一人?
これくらいいろんな仲間の方がいるとしても、
自分でこうするみたいな。
今は事業的にみんなでやってますけど、
一人の時間も欲しいですね。
ああ、そっかそっか。
だから、外に出ちゃうと、
こんな調子で喋っちゃうんですよ。
多分疲れるんで、
家帰って一人でビックリする時間も欲しいみたいな。
そういうことですね。
っていう意味がいいんですかね。
確かに企画とかアイディアとか、
自分で出してる感はありますね。
それで、
死にてたかもしれないみたいなことがあって、
旅してる時にオーストラリア人の人に、
あそこの場所では絶対サーフィンしろよみたいな、
言われたところがあったんですよ。
で、ちょっと友達が来るから、
ここで午前中サーフィンしたら出かけなきゃみたいなのがあったんで、
行ったら、すぐにチューブが巻いてる赤でっかい、
そんなの乗れないんですよ。
誰も入ってないんですよ。
危ないのかなと思って、
一応、町から30キロ離れて、
キャンプするしかないような場所なんですよ。
だけど、人もたくさんいるのに誰も入ってないから、
俺時間ないから早く帰りたいしなと思って、
片言の英語でヒアリングして、
どっから入って、どこまで行って、
最後どっから上がってくるか知らないと。
流されたら上がってくる段階とかだったんで、
っていうのを調べないと危なくて。
ボトムって言って、海の底が何なのか。
それほどリーフ、珊瑚礁なのか、岩なのか、
ギザギザしたロックなのかとか、いろいろあるんですよ、砂なのか。
ロック屋っていうのがロックか、
いつもそうなんですけどね、
家を消して、よし入ろうって。
決めたら入るんですよ。
入って、その頃にはチューブも収まってて、
多分バカでかいと思って。
乗れたんですよ。2本も乗れた。
3本目にこけたんですよ。
ドワーって巻かれて、
ボトム、海底にかかとがドーンって当たって、
えっ、当たるのか。
怖いと思って。
で、もう一回上がって、
どうしようかな、
ここで出るのはもったいないと思って。
もう一本行こう。
だって最後、こけた印象で終わりたくないじゃん。
もう一本。
で、乗れたんですよ。
最後、前が閉じ始めた時に、
よかったと思ったら、
いっぱい入ってきたんですよ。
そうすると、こっちの人上手いんですよ。
もう乗れなくなっちゃって、
で、上がったんですよ。
実は高田が30分で話したんですよ。
すごい疲れて。
で、入る時に声かけたやつに、
なんで後から来たの?
みんな入ってきたの?
お前がテスターだ。
テスター?
3週間前にシャークアタックがここにあったから、
サメに食われたやつがいるから、
お前がテスターだったって言われたんですよ。
ふざけんなよって思って。
先に言わないんですね。
テスターだから。誰か行く。
そこ行ったわけですね。
ファーストペンギンだから。
行っちゃったんですね。
それはすごいですね。
終わった後に、よかった。
ですよね。
もしかしたら一番最初にバクってやられる。
ですよね。
りくがやれば大丈夫だからってみんなが分かってた。
一応、運があるんで。
りく君、人のご縁に、
いつも人に助けてもらうご縁と、
運があるっていう特徴は分かったんで。
自分で運があるっていう風に、
自分はそういう人だっていう風な。
誰もが思う、別に死なないでしょって思ってる人と同じかもしれないですけど、
本当にいつも助けていただける。
そこと運はある。
そっかそっか。
だからこれからやろうとしてることも、
何か、波乗りと比較はできないですけど、
何かそういう流れとかあるでしょうし、
それを察知もするでしょうし、
運は持ってるっていうものもあるし、
人とはご縁があって、人とは流れ。
もう一個実は嬉しいオーストラリアの話があって、
オーストラリアでの冒険
オーストラリアでお金がなくなったんで、
マグロ漁師をやってたんですよ。
そっか、その話。
ゴールドコースト、ブリスベン。
時計の3時のあたりからずっと南回りで入っていって、
7時あたりまで行くパースっていう街があるんですよ。
そこに行ったときに、
あれ、あと上半分回るお金多分足りない。
バイトしなきゃ。
けどもう何か普通のジャパニーズレストランでバイトとか、
ピッキングっていって、植物とかフルーツとかつまんないなと思って、
その時仲良くなった友達と、
漁師やってみないみたいな。
よし、じゃあ行ってみようみたいな。
漁港に行って、ずっと船が来たら、
エクスペリエンスとか、
そりゃそこだよなって思って。
1週間くらい弁当持ってずっと行ってたんですけど、
僕も雇ってくれなくて、
僕がサーフィンのタイトル見てくるわって言ったら、
友達を見つけて乗ってったんですよ。
帰ってきたら、ちょうど帰ってきて、
帰って、大変だったわーって。
いや、俺行きたいよーって言うから、
じゃあもう一回一緒に行くよーって。
彼も辞めようと思ってたらしいですよ。
一緒に乗ってくれて、やり方を教えてくれて。
ほんときつかったんですよ。
僕、サーフィンやってたのかわからないですけど、
普通のクルーザーに乗って走っても、
みんなが酔っぱらってたんで、酔わなかったんですよ。
その船は、やっぱり外洋に出てくるんですよ。
朝出て、夕方ポイントに着いたら、
うぇーって。
初めてあんなに。
家着って黄色いんだなって。
そこから寮がスタートするんですけど、
翌日には慣れて、もう酔わないんですよ。
そこから、パーフェクトストームって映画知らないですか?
予告ぐらいは知ってた。
まさにあの映画のことなんですけど、
クルーザーっていう船で出て、
ハエ縄寮って、メインのワイヤーみたいなのを流してるとこに、
フックがあって、手ぐすがついてて、針がついてて、
そこに餌をつけて、いわしとかなんですけど、
フックにカチャンってやるとシャーって流れるんですよ。
これをポイッてやって、ツーマンセルで四角を4時間くらい流すんですよ。
そういうのをやってたんですね。
まさにあの映画のほうのことをやって、
翌日の朝から、もう6時ぐらいだからみんな起きて、
いきなりキャプテンがバーンって音楽流すんですけど、
ACDCのダンダンチープって音で、みんなでザーッて始めるんですよ。
で、そこから追いが始まるんですけど、手で上げるんですよ。
手で上げるんですか?
そう、さっき言ったカチャンっていったフックの手ぐすを手で持って、
魚がいたら手でこう引き上げるんですよ。
手でワンメガネとか。
すごいって最初思ったんですよ。
それこそ200キロのマグロとか、メカジキとかサメとかマンタとか、
マンボウとか来るんですよ。それをやってるんですね。
で、一応僕が最初、ただ雑用の引っ掛けて回収したやつをバーンってやって、
またカチャッて針を戻すみたいな。ただ一つ朝から晩までやりたかったんですよ。
で、1回目がだいたい5日間か6日間くらいでクーラーボックスがいっぱいになって戻ってきて、
で、また2、3日から気候が良くなって、天気が良かったらまた行くって。
もう3回目から友達来てくれなくて。
来ないね、俺一人行かん。
で、行くんですね。
行きます。で、僕そこから9回ぐらい行きます。
ひと月半ぐらい。
それはなんでって言ったらいいんですけど、やめてもいいわけじゃないですか。
やめてもいいんですけど、お金が稼げる。
大したことないですよ。今で言ったら日給8000円とかの仕事ですから。やんないですよ、絶対。
当時は宿題も分かんないし、食事も分かるし、稼げるし。
新しい体験だし。
とりあえず結局9回ぐらい行って。
で、だいたい同じ所から出て、同じ所に帰ってきて。
最後の行だけ、実はここから違う町に行って、ここでまた2日休んだらまた戻ってくるだろ。
仲間との絆
知らなかったんですよ。
そしたら初日で手にハサミが刺さって、痛ってなったんです。
で、そのままぐん手して汚いぐん手でずっと作業したら、夕方ぐらいからだんだん痛くなってるんですよ。
手首まで痛くなって。夜中になったら肘まで痛いんですよ。
で、こんなんじゃ戻ってくれないのは分かるわけですよ。燃料費もかかるし。
どうしようと思って、ここからまた上に上がっていったら、もう死んじゃうのかなって思うじゃないですか。
だから持ってたナイフをカチャッとあげて、夜中見張りがあるんで1時間ぐらい起きてなきゃいけないんですよ。
で、その時に一人でナイフを左手に持って、右手の傷口をガーッてかさばいて、ガーッて切って、血が出るようにして肘から絞り出すんですけど、すっごい痛いんですよ。
何回もやって、でも疲れたって思って、たぶん寝れなかったと思うんですけど、朝起きたら痛みがなかったんですよ。
よかったと思ったら、もう親指しか動かなくて。
この状態で仕事やってたら、ハリヤーって言われるんですよ。
動かねえんだよって思いながらやってるんですけど、それでもやって。
落ち込むじゃないですか。俺手どうなっちゃうんだろうって。
そしたら船長とかに、もういいよ、お前こっちからバスで帰れよって。
金やるからって言われたんですよ。
でも、イエスとも言わずに、こっち着いたら、何と動くようになったんですよ。
え?
回復した。
ほいほいほいほい。
その時撮った写真がこうなってるんですけど。
え、回復するんですね。
回復したんですよ。何もしたいですよ、治療とか。
自己治癒力だけです。
で、動き始めたから、これはもう大丈夫だと思って。
帰りに、俺行くよって言ったら、みんな盛り上がっちゃって。
うわーって。
秀木だから、HIDEなんで、ハイディって呼ばれてたんですよ。
ハイディ、グレートだぜみたいな感じで。
うわーって言ったら、帰りから釣りをやらせてくれる流れだって。
バーッて引き上げていったら、今までだったら入って渡したんですよ、手ぐすを。
そしたら、ガーッみたいな感じで。
オーケー!って言って。
うわーって言いながら。
船の横にいるから、波の揺れによって。
波が上がっていくとき、船がこっちに上がっていくときは耐えて。
潜っていくときは、うわーって。
で、自分で何回か上げさせてもらって。
今までキャリーケースに氷いっぱい入れたら、重くて上げられなかった。
うわーって上げられるんだって。
あとみんなが、わーって盛り上がるんですよ。
で、「なんか認められて、俺もできるようになったよ。」って言って、
その復帰カプテンに、
「俺たち1ヶ月後にノースに上がるから、ハイディも一緒に行こうぜ。」って言われたんだけど、
総理よりビジターが切れちゃうから、もう半週回って帰らないといけないんだ。
運の重要性
って言って帰ってきたんですよ。
そこも、まあ面白かったな。
ああ、そっか。
もう大丈夫になったってことですね。
だったんです。それはなったんです。
だから自分で血を出したことによって。
だったかなと思うんですけどね。
分かんないですね。
分かんない。
ただあの時はもう、分かんないですけど、
とにかく血を出せばいいのかなって。
毒を出すしかないんですよ。
それが死ぬと思ったわけじゃないですよ。
死ぬと思ったのが、後々考えて、全部終わってから思ったのが、
ポイントに向かう時に自動走行ですごい飛ばしていくんですよ。
バーッて跳ねながら。
みんな寝てるんですよ。
さっき言ったように、見張りが必要なんですよ。
その時に、トイレはしたくない。
トイレはあるけど、トイレなんか入んないんですよ。
みんな外に住んで、捕まって。
船の右に捕まって、トイレを立ててるわけですよ。
みんな寝てるわけですよ、夜中に。
落ちたら、誰も気づかないよね。
あいついないぞって。
いないぞ。
けど別にいいの。
別に契約書巻いてるわけじゃないし、
あいつどこに乗ったか知らないし、
乗ってなかったかもしれない。
って言われたら、終わりだったんですよね。
だけど僕は運がいいので、大丈夫だったんですけど、
実は他の船だとドラッグ中毒がいて、
刺してたやつがいたとか、
俺その船が嫌だからこっちに来たってやつがいたんですよ。
そういう世界なの?って言って。
後から知ってくる?
俺そんな船じゃなくて、ここの船でよかったよって。
運がいい。乗ってるんですか?
乗ってると思いますね。
ご縁はいいと思います。
未だにおわせ、レックスJって船なんですけど。
レックスJ。
すごい話だな。
そういう感じかもしれないですね。
分かんない、でもそういう感じって。
分かるんですけど。
好奇心で、きつくても。
そうですね、いけちゃうんですね。
やめたっていいんですもんね。
いいんです。
でもいっちゃうんですね。
結果が出たら、もういいかなって。
そう思うと、5年50年後何してるか全然分かんないですね。
このことを今はやってると思うんですけど、仕事を続けてるとは思うんですが、
何かの話でどういう規模感のところに飛び込んでいくかもしれないし、好奇心のワクワクが出てきたら。
そうですね。
1個分かってるのが、昔からシミュレーションゲームが好きで。
信長の予言とか参画してた。
分かります、はい。
あれで、いつもパターン、ルーティン化してた戦い方があったんですよ。
まず小国スタートじゃないですか。
だからまず内政で開発します。
で、そのうちに周りが戦って疲弊したところの中精度が下がった人材を投与しますよね。
で、爆発すると爆発する。
で、うちは攻められないけど、攻めることはできない。
まだレベルですけど、人材だけは豊富に。
でもまだ能力が足りない。
で、あるポイントが来た時に、1国ぐらい攻められそうだなって。
で、漁夫乗りで弱った方を攻める。
で、なんとか2国キープできました。
もうずっと繰り返していった。
で、準備ができたら攻め出す。
そのうち、ある程度取ってた時に最強武将が出てくるじゃないですか。
最前列に最強武将だけ。
こいつらは戦闘隊だけです。
あとはもう全員内戦部隊、守り部隊。
攻撃隊は絶対負けない。
そこでガンガン勝ちにいく。
で、勝ちに行って、どの辺から…
たぶん3分の1ぐらい行くと、もう行けるなって思うじゃないですか。
で、半分まで行ったらもう負けないじゃないですか。
で、一番楽しいのって、たぶん3分の1ぐらい行くので、
こっちも最強武将、向こうも最強武将。
で、ここを一歩間違えたら負けちゃう。
ギリギリを攻めに行って、攻めに行って。
で、もうほぼ倒したでしょ。
で、向こうもちょろちょろしか見えなくなったら、
正直オートにしても勝てるじゃないですか。
で、そこから興味がなくなるんですよ。
めっちゃわかる。
その一番いいところが面白いですよね。
ここが…
で、結局やっぱり人材だよっていう。
で、たぶんいまだにそれをやってるかもしれない。
って最近思ったんですよね。
そこにやっぱりワクワクの何かがあって、
そのバゼり合いというか、一心一体みたいなところで、
どうにかこうやっていくみたいな。
繋がってるんじゃなかろうかな。
どっかでもし、今これからやられてることが、
どっかでこれもうオートできるわって感じたら、
ちょっと冷めちゃうかもしれない。
そこからはもう誰かにパスする。
で、自分は別のところに。
別のことにまた何かなんじゃないかなと思ってて、
ちょっと先が何かわからないですけど。
オーストラリアでのサーフィンのお話や、
マグロ漁師としての壮絶な体験を語っていただいた津浦原さん。
そのお話からは、好奇心とワクワクを原動力に、
人生を切り開いてきた姿が伝わってきました。
これからもその情熱で新たな挑戦を続けていかれることと思います。
新たな挑戦
津浦原さん、ありがとうございました。
それではまた次回、ユイナーさんの聞く人ラジオでお会いしましょう。
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