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2024-05-27 54:20

v.100 就B施設 ぱんの木・安田智考さん「大変ですけどめちゃくちゃ楽しい」

就労継続支援B型施設 ぱんの木・安田智考さんにお話しを伺いました。
横浜市瀬谷区で、様々な事業を手がけられている安田さん。
まずはどのような事業、お仕事をされているかについて、お伺いしました。

就労継続支援B型施設 ぱんの木:https://pink303497.studio.site/
セヤミツラボ:https://www.seyamitsu.com/
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https://stand.fm/channels/6513739a0bc9d6e1d690bae1
00:03
ゆいなわさんの聞く人ラジオ 皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は就労継続支援B型施設ぱんの木 安田智考さんにお話を伺いました。
横浜市制約で様々な事業を手掛けられている安田さん。 まずはどのような事業、お仕事をされているかについて伺いました。
安田さんは、お仕事と言うと、何をしているというご質問があったら、何をしているんですか?
お弁当屋さん、保育園の給食屋さん、プロパンガス屋さん、障害福祉市場、派遣・養蜂課になります。
今、5つ。それはいきなり全部になるわけじゃないですか?
そうですね。
順番というか。
最初は簡単に書いてきたんですけど。
ありがとうございます。
もう昔のなんです。印刷していただくだけなんですけど。
私は1978年生まれなんですけど、高校に出たのが平成12年で、21歳で出まして、そこから大学に行ったので、26歳から社会人になりました。
高校1年で大学になりまして、それから親元も出て行ってしまい、野芸のほうで。
野芸は野芸ですよね?
横浜の野芸。
知ってますか?
あの辺の学校なんで、友達もいっぱいいて。
野芸いいとこですよね。
夜はいいとこですよね。
そういうところで3年間アルバイトしたりとかして。
そうなんですね。
定時制にも通ってたんですけど、定時制も入ってすぐ辞め、また入って。
高校は入学写真が3枚あって、卒業写真が1枚っていうですね。
なんか不思議な。
そういう感じなんですね。
で、大学卒業される。
弟と同級生になっちゃって、このまんまだと人生やばいっていう気が感じまして。
弟が降参のときに私も降参です。
一緒に卒業し、一緒に大学1年生を迎えます。
そういうことですね。仲いいみたいな感じになりますね。
03:02
一緒に卒業されたってことですね。
そっかそっか。
高校大学中は昼間は蕎麦会席。蕎麦と和食のお店で開業なんですけど。
そうなんですね。
封じ込められて。
表現があれですけど、そこにいらっしゃって。
借金を好きな車買っていいよって言うからウキウキで買ってもらったら、ちゃんとゲップで返済する。
そうなんですね。なかなかな。
好きな車買ってどうやらそれで。
すると学費払うと給料がゼロになるみたいな。
なるほどうまくできてますね。
良いシステムでした。
そこいらっしゃって。
年間卒業してから参議院の小林豊さんの事務所に別地放行で。
この間に天才作業大臣の山里昭さんが選挙を3ヶ月間だけ朝から晩まで手伝って。
それは初めてですよね。
初めてです。
やったこともない。
全くの初めてです。
システムというか仕組みとかもわからないものが入ってて。
結構それってハードじゃないですか。
めちゃくちゃハードです。
あれの時ってやることいっぱいあるし。
パシリです。
1日中パシリみたいに。
どうだったんですか。
勝って当選した選挙だったから楽しかったんですけど。
ただいろんな方と出会えるんで。
ああでもそうか。
一気に顔が広くなるというか。
確かに確かに。
そうなんですね。
そういうご経験されたんですね。
当時のお蕎麦屋さんとエリアが一緒だったので。
お蕎麦屋さんのお客さんになった方とまた知り合ったりとか。
そっかそっか。
より濃密になっていくというか。
違うレイヤーでお会いするわけですから。
面白い。
面白かったです。
そうですよね。
小林豊さんの事務所に働いた時は議員付けの秘書でですね。
朝7時には自民党本部に行って。
部会の挨拶というか名称を聞いてやるんですけど。
それ終わったら今度9時に出かけて
国会議事堂の参議院の幹事長室に新聞を届けたりとか。
そうなんですね。
議員会館と国会議事堂の間をメッセンジャーボーイとして
行ったり来たり一日中走っている。
そうなんですね。
それもなかなかできない。
普通にやってやるわけでもないですから。
本当にいい経験はしますね。
徹夜国会の時とかに当時の11号さんが出てきて
06:00
お前たちもお疲れさんだな。頑張れよみたいな。
たぶん一番自分が疲れてそうですよね。
優しい人なんだなと思ったりですね。
1年3ヶ月やったんですけどやっぱりもう辞めようと思ってですね。
そうなんですね。
朝5時半に出て帰ってくるのが12時1時だと。
体が戻らなくてですね。
家業もやっぱりずっと興味があったので
家に結婚しようとしていたときは戻っちゃおうと思ってですね。
そっかそっか。
それで会社に再度入社するという。
それで家業をしばらくずっと?
そうですね。
平成17年に入社して19年にはもう親父が他界したので
1年は親父に夜酒の席とかいろんな会合を含めて連れて歩かれて
またいろんな人脈を紹介。
そっかそっか。ここでお会いする方いっぱいいますもんね。
自分は自分で営業としてですね。動き始めて。
電話管理、営業という形ですね。
ただ親父が死んだときはもう会社ぐっちゃぐちゃな状態だったので
赤字で倒産するかどうかという瀬戸際で
うちの兄貴が上にいるんですけど
うちの兄貴が横浜安田物産というグループ会社でやっていて
食材物流をやってるんですよ。
物流の中でいろいろシステム組んだりとかやってたので
私がこちらの部門の営業だったんですね。
はいはいはい。
学校教授っていうのは官校長なんで、ちょっと違うんですけど
先ほどお話したガスっていうのも。
そこにあるんですね。
保育園ちょうど待機児童が多い時期だったんで
毎年10件ぐらい新しいお客様が増えていくんですよ。
そっかそっかそっか。
その10件オープニングしながらも
次にできる保育園の図面の監修。
そっか。ちょうどそれ今増やしてるときってことですよね。
そうなんです。
なるほど。ちょうど忙しくなってくこの仕事として。
中号のレイアウトを
やっぱり給食屋っていう部分で設計師さんと一緒に。
そこもやるんですね。
なるほど。より使いやすいというか、あったものというか。
中号屋さん、給食屋、設計師という形でまずやって
入札があって建設屋さんが決まる。
そっかそっか。そうですよね。
なるほど。
そのときに中号のレイアウト、図面がもうあるんで
09:03
ガスの空調とかですね。
そこが繋がるんですね。
はい。給湯器だとか配管もやってますんで。
なるほどなるほど。
ここを設計師さんと一緒にやって
災害に強い。プロパンガスとかすぐ復旧しますので
災害に強いエネルギーということで
太陽光と組み合わせて。
なるほど。
そうなんですね。
そこでもう潰れる寸前が一気に急回復しまして。
その潰れる寸前にもやってたことなんですか、これらは。
やってなかったですね。
新規事業として、これやろうって決めてやっていくようになった。
もともとやってた仕事なんですよ。
ガス元部分がもともとやられてたことで。
こっちも若干やってたんですけど、
お弁当が強かったんです。幼稚園弁当。
給食は7件ぐらいしかなかったんですね。
でも一応ノウハウは多少ある。
そういうことですね。
で、老人ホームの給食もやってて。
そうかそうか。
最初は私こっちをやってたんですけど、
やっぱり全然価格が合わないので
たまたま受けた保育園のお仕事を
中古のレイアウトから監修して、
運営がちゃんと回り始めた時に数字分析したら
これいいんじゃないかなと思って。
それで保育園の営業に切り替えてですね。
当時は保育園7カ所しかないんですけど、
幼稚園のお客様が100カ所ぐらいあったんですね。
幼児給食ってひとくくりにしちゃって。
幼児給食は100カ所近くやってます。
なるほど。
内訳は幼稚園が保育園だったり。
そういうことですね。
ほんと新しく切り開いていって、
そうなっていった感じですね。
そうですね。
今現在だと、昨日ちょっと会でやったんですけど、
保育園給食が100カ所。
お弁当のほうも100カ所ぐらい今やってるんですけど、
新たにスクールランチって中学校給食。
かながわってワースト1位だった。
中学校の給食の提供ですね。
提供がワースト1位だったんですか。
お弁当だったってことですか?
家からのお弁当。
が主だった感じ。給食ではなく。
多分東京とか千葉とか住まれてると、
中学校のとき給食で普通なんだと思うんですけど、
神奈川は普通じゃないんですよ。
そうなんですね。お弁当なんですね。
お弁当なんです。家から持っていこう、お弁当。
それを給食にやっていこうみたいな。
市とか各市町村がそういう動きを神奈川県内でし始めて、
一気に中学校給食っていうのが、
もう何万食っていうレベルで増えてくるんですね。
12:02
そうですね。そこまでなかったわけだから、
そこにやれるようになれば。
それがちょうど今の動きで。
そうなんですね。そっかそっか。
今そこはもう私担当してないですけど、
今それがこっちの部署の。
給食になってます。
なるほど。
やっぱりここに書かれて、食から入れる、
食の部分がだいぶやられていることとしては、
大きい部分っていうのはあるんですね。
なるほど。
私はもう給食の営業とガスの営業ということで、
どっちも建築がくっついてくる部分なんで、
そっちの担当をずっとやっていきながら、
やっぱり安田物産でやっていくと福祉のお客様が多いんですね。
老人ホーム、待機児童で福祉ってなった時に、
次はどこのお客さんが増えるんだろう。
っていうのを考えていた時期と、
社内の障害者雇用枠っていうのが、
法律的にも付けられていて、
それが満たせなくていつも罰金を払う会社だったんですね。
罰則禁止しちゃいけないんですけど、
でもそれがやっぱりなんか違うよねって思いつつ、
障害の子たちも入ってきても工場とかだと忙しいんで、
ちゃんと面倒も見えず辞めてきちゃったりとか、
そういう話を聞いていると何か心が痛むんですね。
これから障害の方に行政もお金を注いでくるだろうっていう、
嗅覚の下、何していくかが分からず。
それもやったことないことでしょ、どうしようみたいな。
いろんな福祉の子育てとか老人とかの福祉の人たちと話をしていると、
障害だよねってみんな言うんですけど、
何かがまだ気がわからないんですよね。
じゃあとりあえずやってみようと思ったんですね。
それで作ったのがパンの木です。
やってみようからスタートってことで、
このパンの木っていう障害者ライフサポートっていうことで。
こちらで障害の子たちが働く訓練をして、
働けるようになったら安田物産、
例えば愛生産とかも必要とすれば、
紹介ができる。
福祉施設もみんな障害者雇用がかかりますんで、
そういうときにうちが育てた障害の子たちが働ければ、
紹介してあげればなっていう単純な発想なんですけど。
なるほどですね。
そっかそっか。
で、用法は?
すぐつながるんですか?
すぐつながらないですけどね。
15:02
お弁当とかいろんなことやってきまして、
まず週日のこのパンの木っていうのを作ってから、
障害のグループホームをですね、
ずっと作ってたんですね。
今7カ所あるんですけど、
そのグループホームの食事をやるようになってですね、
自分たちで食材を作ってみたいな。
食材から。
そういう発想に至るまでちょっと長くなっちゃうんですけど、
保育園の食育。
これがうちの事業所リストです。
保育園って食育があるんですよね。
必ずプランターにトマトとかナスとかキュウリとか割っていて、
営業をやってたので、やっぱり会話したいから勉強をしたんですよ。
トマトとか家庭菜とか。
意外に簡単に作れるなっていう発想もありまして、
自分たちで配食サービスっていうのを始めたら、
野菜とかも作ってみたいよね。
でも野菜って言ってもなかなか難しいので、
スパイスとかそういう部分でハーブ。
匂いで癒やされるとかあるじゃないですか。
先ほどの光景になるんですけど、
お弁当作りでは輝けない子が、
ハーブ畑では無心で積んでるんで輝くんですよ。
なるほど。
これすごいと思いまして、
それで畑を借りたい。
どうやって借りたらいいんだろうってところから入りまして、
そこもゼロだったってことですか?
ゼロです。
ちょうど3年前から。
もう畑借りる前から畑やりますって宣言して。
そうなんですね。
でも来年から農業、農副連携に入りますみたいな感じですね。
やってないけど。
やってないけど。
嘘つきになりたくないから死ぬものぐらい探してやる。
そうですよね。
ようやく見つかったのがそこなんですけど。
先ほど見せていただいたところですね。
なるほど。
その際にですね、
畑を借りるのに横浜の市議会議員の、
一緒に今セアミツラボやってる川口さんっているんですけど、
その事務所に行った時に畑どっかないですかね?みたいな。
そういう時に何やりたいんですか?ってハーブです。
栃さんって呼ばれるんですけど、
栃さん、蜂蜜やりません?って。
そこで?
って言われたんですよ。
それまではなかったんですか?
全くないです。
蜂蜜はなかった状態?
はい。
全然って言われたことが一つ。
でもその場で、
ハーブと蜂蜜って相性いいなって。
そうですね。
やりますってその場で。
ああ、はいはいはい。
後先考えずにやりますでですね。
18:00
もうそこから1ヶ月、2ヶ月の間にこれが出来上がっちゃったみたいな。
すごい。
そうなんですね。
やりますって言ってからそのスピード感がパッて。
すごかったです。
大学生の子が、当時の大学生の子2人いて、
議員さん、市議会議員に私に、
私の同級生に、
7人くらい最初に行って、
今はちょっと4人減っちゃってるんですけど、
その中でもうすぐ取り組んで、
横浜市とかでも市議会議員の方が関わりある洋法家の方を、
三浦の方なんですけど、
呼んでくださって、
そこでもうすぐコンサルティングで。
へえ、すごいですね。
もう洋法箱が設置され、蜂が飛んでるんですよ。
すごくなってました。
すごい。
そうなんですね。
その速度感でパッて始められて、
今何年?
今もう3年目に入りました。
先ほど見せていただいて、
もう町がいる状態っていうのは、
あれは3年前はなかった?
全くないですね。
違う場所に洋法場もありまして、
近くなんですけど、
花博の開発に伴って基盤がなくなって、
うちに来たっていう。
そっかそっか。
花博っていうのは、
それはまた別の文明じゃないですか、話としては。
そうですね。
それがこれから花博がやっていくということに、
だんだんリンクしていくということになるっていうのは、
それもまた不思議な感じですよね。
ただもう花博を視野に入れた洋法ではあったんですね。
そっかそっか。
ハーブもそうです、実は。
ハーブの時も常に花博が頭にあったんですか。
でもだからっていうのはあるんですね。
花博が来るっていうのも分かってるんで、
その中で自分が何ができるか。
このパンの木にとってどういうことをした方が形になりやすいか。
そっかそっか。
農業と福祉の連携で、農福連携って言うんですけど、
まだその頃そんなには言葉として出てなかったんですけど、
でもこの組み合わせって絶対に当たると思ってたんで。
でもそこに蜂蜜まで入ってきて。
そうですよね。
ハーブでこうやって皆さんがお仕事されるっていうのが
関わりにつながってきて。
今じゃあまだ途中というか過程ではあるでしょうけど、
実感としてどうですか、今やられてきて。
手応えはありますね。
なるほど。
相当あります。
福祉の部分で見ても、利用者さんがさっきも根拠の通りですけど、
楽しくやるんですよ。
そうですよね。楽しそうに皆さんやられてて。
蜂蜜っていうのでも、先週の土曜日にサイミツイベントやったんですけど、
親子連れの方たちが27名。
21:01
すごい。
大人6,000、子供3,500円です。
お土産に蜂蜜のボトルとかバーベキューやったりとかもあるんですけど、
本当に大反響。
このセヤ蜜ラボっていう生ブランドの、
セヤさんの生の蜂蜜っていうことで、
今これから取り立てていこうみたいな感じで。
そうですね。
そういうことですね。
実際その安田さん自身はセヤ生まれ?
セヤ生まれです。
セヤ育ち。
でもずっとセヤにはいらっしゃって、
その場所、地元ですよね。
地元を良くしていこうみたいな思いはありますか?
あります。
本当は嫌だったんですけど。
本当は嫌だったんですか?
嫌でした。
もう中学入ってから私学行ったんで、
地元に友達いないし、
一回野外に行ったって先ほど話しましたけど、
その頃もうセヤなんて田舎だから住みたくない。
繁華街の方が楽しかったんですね。
そっかそっか。
でも結婚してセヤに住みですね。
もう二十歳ぐらいから住んではいるんですけど、
セヤには住んでるけど、
セヤのためにっていうことはあんまり頭になかった。
それより仕事をしなきゃいけないみたいなことを先にやってですね。
でも家は住むところであって、
あんまり人と関わりたくない。
でも仕事は仕事で、いっぱいいろんな人と関わるんで、
そっちでやればいいやっていう感覚がずっと強かったんです。
なんですが、やっぱり子供が小学校を行って、
PT会長をやり、
区の会長もちょうど盛りだくついてきちゃいまして、
そうすると市のPTへ向かなきゃいけなくなるんですね。
大段の繋がりが行くんですね。
一気にどんと地元が増えまして、
いろんな小中学校のPT会長の方が飲んだりとかしているうちに、
福祉ってちょっとこれを興味あるなっていうふうに、
支援給のお子さんとかを見たりして、
先ほどの話もあって、やっちゃおうみたいになって、
無理無理やっちゃったんですね。
そっか。
やっちゃおう的なのがない限りは、
やりたい気持ちなければ何も起こらないわけですから、
気持ちがあっても、やれるっていうのもちょっと別じゃないですか。
えいっていくっていうのは。
一歩前に出る勇気だけなんですけど、
それがずっとできない自分がいたんですよ。
そうなんですね。
20歳ぐらいから何か起業したいとかずっと思ってたんですけど、
勇気がなくて。
でも37歳の時だったんですけど、
こちらのパン抜きやるって時は、
一緒にやろうって話をしてた人が、
まず最初に仕事辞めてきちゃったんですよ。
そうなんですね。
24:01
マジかと思って。
そうですね。
やるしかないなっていう排泄の陣に。
銀行にお金借りに行き、
トントン病院に住んでいっちゃったみたいですね。
その頃のことを思うときっと目まぐるしくという。
すごい。そこからずっと激動ですね。
8年目ですけど、
年々休みがなくなっていくっていう。
そうなんですね。
そこで決断されていない限りは全然違う人生ですよね。
そうですね。
そこのところは重要なところではあったってことで、
そこからもうひと足もホワーって走り続けてるんですね。
自分の時間を取るか、
もう一発仕事をやって成功するかっていうのも考え方だったんですけど、
仕事を自分の時間を取るとしたら、
サップやってバイクやって遊んでようと思ってたんです。
もう一回40も近く、子供も大きくなってきたから、
もう一回遊び出そうかなって思ったら、
やっぱり違うよねって。
もう一発仕事をやりたいなって。
そんなモヤモヤしてる時にやめてきちゃったんです。
もうこれはやらせちゃうというきっかけでもあるし。
そこがもう起点でしたね。
そういうことですね。
面白い。でもそれがあったからこそ今のこの形があるという。
そうですね。
今後似てるものはあると思うんですけど、
どういうとこに行こうみたいな。
今後はですね、
全部の点がつながっていくんですけど、
先ほど知り合ってました。
そうですね、ここですね。
学、福、農、商。
そっかそっか。
今頑張ってるところになるんですが。
学、福、農、商。
はい。
こういう形で、
ガパオ祭りっていうのを、
これダサいポスターなんですけど、
これで去年ガパオ祭りっていうのを、
畑の近くの小学校と、
あとは支援校でやったんですね。
今年は小学校にプラス支援校、
制約に4校あるんですけど、
全部入ってくださいました。
すごい。
あと他にも学校が何個かあるんですけども、
その中でですね、
自分たちで作った、
ハーブとか蜂蜜とか、
あと野菜をですね、
秋内に回す。
はいはいはい。
秋内っていうのが、
飲食店で、
こういうピザだったり、
ガパオピザだったり、
ガパオライスだったり、
ガパオのジェネベーズだったりって、
お店違いますけど、
っていうところに出て、
それを学っていう部分で、
子どもたちが、
27:01
自分たちの種から植えたことが、
そっか。
そこの学びに入ってくるわけですね。
はい。
実際にただ、
ハーブがただあるよっていう状態じゃなくて、
どこやって作られたのかとか、
そこの学びにも繋がってくるってことですよね。
そうですね。
一緒に植えたものを地域で、
地域の人たちと一緒に畑をやったりとか、
したものが福祉の子たちによって、
加工されて、
農作物を交わり、
地元の産地をですね。
で、これが今度、
地元の商店で。
なるほど。
で、商店でどのようにしたら売れるか。
そう思いますよね。
っていうのを、
子どもたちがこういうポスターを作ってくれるんですよ。
そうなんだ。
これ小学校の子たちなんですけど。
これ小学校の子たちが作るんですか?
デジタルですよ。
今そうですよね。
びっくりしちゃいました。
パワポとか普通に使うんですよね。
そうなんですよね。
でもそうなんだ。
大作作っちゃう。
負けだと思いました。
確かに分かる。
それは分かります。
なるほど。
コロナの時に、
子どもたちにいいのかどうかは別として、
やっぱりここの能力が相当高くなったみたいです。
確かにそうですよね。
今回は中1なので、
ちょうどその高学年ぐらいがコロナだったので、
気づいたらプレゼントとか資料を作っているみたいなので、
そんなの作るの?みたいなのを相当やれるようになっている。
すごいですよね。
コロナの時の小学生は強いと思うんですよ。
そこはあると思いますね、確かに。
そうなんだよな。
でもそうやって作ってもらって、
子どもたちも楽しいですよね。
そうですね。
作ったものが、
これはお店に貼ってもらったりするんですけど、
お店で売ったものが事業にまた戻ってくるんですよ。
集計結果とか。
ガッパオピザライスがどれだけ売れたとか。
生々しい人がお金を出しちゃって。
見えるちゃんと形になってますもんね。
この合計額が15万円とした時に、
ガッパオピザライスは何パーセント売れたでしょうか?
というのが算数で入ってくる。
学びなんだ、そこが。
すげえんですよ。
この連携した授業、すごいと思う。
うまいですね。
実感が伴いますもんね。
子どもたちもそうだって、
教科書にただ書いてあるものじゃなくて、
体験もくっついてきて、
数字につながるわけだから。
それはすごい面白い。
この流れの学、福、農、商のサイクルの中で、
障がい福祉の子は、
いろんな方たちと交わることで、
経験をできるので、
障がいのことを話すことはないじゃないですか。
そうですね。
30:00
じゃあ突然、この部屋に障がいの子が一人ポンと入ってきました。
二人でいたら、最初何て話かわからない。
というふうに大体なっちゃうんですね。
でもそれって障がいの子も同じ人間というふうに思っていても、
やっぱり何か壁があるわけですね。
ちょっと何か変なことしたら怖いとか、
怒っちゃったらどうしようとか。
いろんなことを考えちゃうから、
バリアを作ってしゃべらないようにする。
でもこういう学、福、農、商で幼少期から一緒に接していれば、
これが私の思いなんですけど。
売りに行くときとかも、
この商店では障がいを持った子たちが食事できる場所、
というシンボルのシールを今年は掲げようとか、
というのを今やってまして。
なんでこの学の部に支援粉を全部入れてもらったのかというのは、
そこなんですね。
それすごい大きいですね。
ニッチな部分なんですけど、
障がいという子たちを育てる親の気持ち、
障がいを持った子の気持ちとか、
その辺と一般の子どもたちの親がやっぱり交わること。
でも学校が違うし、家も違うし、
交わることってないんですよね。
この場をワークショップという形で、
蜂蜜でくっつきたいんですね。
なるほど。
そうか。
それ自体は実際その授業をやっていく中で、
いきなりバッとここにはいかないじゃないですか。
ちょっとずつ繋がってきて、
ある時、これなんじゃないか、みたいな感じですかね。
そうですよね。
いきなり学びに繋げられないわけだから。
せやみつラボの蜂蜜が、
上瀬小学校というところの授業に呼ばれていて、
採蜜を授業でやって、
取れた蜂蜜を給食で食べて、
ということがあったんですね。
私はハーブを植える蜜原になる花という部分で、
ハーブを一緒に子どもたちと植えたんです。
その活動の続きが、
今度、夏ごろは先生からですね、
今までの教材を使って、
一つの何か完成形を作りたいと。
それは安田さん自身は意外となくて、
先生から来たということですね。
突然来たんです。
突然来たんですね。
去年の7月の夏休みに入るか入らないかぐらい。
思いがけずですよね、安田さんにしてみれば。
そんな話が、みたいな。
でも、なんか面白いなと思ってですね。
その時に、ちょうど私、
去年からガパオを一生懸命育てていたので、
ガパオと思ったんですよ。
33:01
ガパオライス。
ガパオって名前はすごく響き覚えやすいし、
知名度も高いはずなんですけど、
実際、先ほどの話のように、
ガパオライスしか浮かばないんですよ。
全部浮かそうにして。
深く入るとホーリーバジルっていうバジルがあって、
体によくて、インドの宗教とかとも密接だったりとか、
凄まじい神のハーブって言われてるやつってですね。
そういうのを色々勉強したり出てきまして、
これくっつけちゃおうと思って。
でも祭りにしちゃえ、みたいな。
祭りにしちゃえ。
それで農業の部分をつなげて、
あとは記念をつなげて、学校もつなげて、
学副農書って作ってるんですね。
そっかそっか。
面白い。
これ見つけたとき、これだみたいな感じ?
なんか下ったって思いました。
下った。
来たっていう感じがありますよね。
神来たって思いましたね。
神来た。いいですね、それ。
実際やってみたらちゃんと繋がるし、
それぞれが重なり合ってというか、
いい感じで影響を与えて上がっていく感じがあるじゃないですか。
楽しいですよね。
楽しいです。
めちゃくちゃ大変ですけど、めちゃくちゃ楽しいです。
そっか。
それいいですね。
きっといろんな人が関わってくるでしょうし、
いろんな方とコラボなのか巻き込んでというか、
いろんなうねりというか、ってことですよね。
そうです。
まず、学校を6年も行って中退をしている学校嫌いの僕が。
その頃には思い描きもしないような。
そうです。
教団に立つわけですよ。
どんな気持ちですか、それ。
怖かったです。先生が怖い。
怖い。
先生にやっぱり恐怖心があるんですよ。
そっかそっか。もともとのその。
逃げ回ってる方ですから。
そっか。先生っていうのはちょっとっていう。
でもそんな安田さんが教団に立つみたいな。
いいのか俺。
実際に目の前で先生とさんの前でお話をされるわけじゃないですか。
本当に子どもの目のキラキラがたまらなくなってきてましたよ。
PTAの会長の時から話したりはしてたんですけど。
そっかそっか。
でも何か目的を持ってやるとまた違うなって。
そうですよね。
面白い。
自分で先生と飲み行ったりとかするようになって。
先生って自分がただろくでもないやつだったから。
逃げてたから遠ざけてただけで。
実は暑いあったかい人が多いんだなみたいな。
そっかそっかそっか。
それを今になって感じるようになって。
今おじいも近くになって。
そっかそっかそっか。で今はよく一緒にってことですね。
そうですね。
そっか。それは面白い。
36:02
学復の章がどんどん世話っていう場所で
上がってくる感じがしますよね。
場所もこれから花博みたいなもので
地域としてもまた変わりつつあるところなわけですから。
その花博の始まりもそうですし
これからどうなっていくかっていうのは
未知な部分と自分が持ってる部分とで
どうなっていくかっていうところですね。
そうですね。
これを関連した子どもたち。
子どもたちはどんどん上がって卒業してるじゃないですか。
そうですよね。
ルーティンにしてずっとやっていくことで
障害に対しての偏見がなくなるとか
農業に対してとか
地域の焦点ってこういうとこあるんだよとか
そういうのも知っていけると思うんで。
はいはいはい。繋がりを作りますね。
なるほど。
将来大学卒業してね
働いたりとかした時に
また住みたくなる世話になってほしいなって。
それは本当そうだと思います。
やっぱり世話はどっちかというと
出てっちゃう人が多い感じなんですか。
通う人もいるでしょうけど。
男は出ていくんですけど
女の子はだいたいなんか住んでる気がしますね。
僕らの世代ですけど。
ただ僕らが家買うときは
まだ買えたんですけど
東京に総鉄入ってから
手が届かなくなりました。
へーそうなんですね。
そっかそっか。
だから本当に世話に住みたくて
住める地元の人ってどんだけいるのかなって。
うーん。なるほどなるほど。
大和の方行っちゃうとか、綾瀬の方行っちゃうとか。
そっかそっか。そういうことですね。
やっぱりもうちょっと田舎に行かないと
もう住めなくなってきてるんで。
そうなんですね。
実際それはやっぱり安田さんがずっと
お住まいというか世話を見てるからこそ
分かるこの地元の肌感覚みたいな感じですね。
あーもう都道産価格が。
あーそこが全然違うんですね。
全然違うんですね。
1000万から2000万平均で上がってます。
あーそうっすか。
こんなに東京の家と変わるのっていうぐらい。
うーん。
新しく住む方たちの車が違います。やっぱり。
あ、車が違う。
それでも明らかなんですね。
明らかに。世話にこんな車走ってなかったら。
ははははは。
そうなんですね。
感じますね。
あーそれはすごい。
そっか。
まあそんなに田舎なんですよまだ。
うーん。
その後どんどん変わってきますね。
そうですね。
そこでちゃんと取り組まれてくるっていう。
根づかしちゃえばみんな変わっていくじゃないですか。
教育で行われるってことはやっぱり強いと思うんですね。
強いと思います。
ちゃんと色々なことが関わり合って
セアブランドみたいなもので
セアってこういう場所だよねっていうのが
広がってくれれば
よりやっぱり地元としても盛り上がるでしょうし
外から来る方もこれからはきっと増えてくるわけですからね。
はい。
39:00
って思ってます。
いやーちょっとすごい。
なるほど。
逆に隣の朝日区に行ったりとか
湯河町全域に広がるとか
特にガパオってアジアの料理じゃないですか。
ベトナムとかタイとか
アジアの人たちで稼ぎにいっぱい来てるじゃないですか。
はいはいはい。
そういうことですね。
何かやりたい。
けれど一歩出る勇気が出なかった。
そんな時に
友人がお仕事を辞めたことで
自分もやるしかない状況になり
そこがきっかけで
今に至ったとのこと。
そして今は
学び・福祉・農業・商業という
学・福・農・商をつなげた
事業を展開されています。
そんな安田さん
好きなこととは何でしょうか?
好きなことは何ですか?
って聞かれたら。
遊びです。
ストレートに来ましたね。
あんまりいないですね。
遊びですって言うから今まで初めてですけど。
本当ですか?
僕遊ばせたら一日中遊んでますよ。
そうなんですね。
遊びって言ってもいろいろあるじゃないですか。
ショッピングも好きですし
バイクも好きですし
海行ってボートしたりとか
どっか町に行って
その町をフラフラして
遊びは天才だと思います。
そうなんですね。
何でも遊ぶ。
一日時間あったら遊ぶ。
お金と時間があればずっと遊んでます。
飲み行ったりも含めて。
飲み行ったりもそうか。
それはずっとそうなんですか?
若い子、小さい子、中学校、小中高。
大人になってから遊びを。
病気だと思います。
どっちかというと。
遊びの病気。
例えば悪いんですけど
障害だと思ってるんですよ。
自分で。
小学校の時も
サイクリングに行こうって
ふわ立てて仲間を集めるじゃないですか。
雨でも僕は止まらないんですよ。
行くって言ったら行きたい。
小学校卒業して中学行って
やっぱり学校終わったら
遊びたくなって
反感外で遊ぶようになったら
止められないんですよ。
でもなんか
ふいにピシャッと自分の中で
なんか嫌になっちゃったみたいな。
起きるともうその遊びはしなくなったりとか。
じゃあある程度これだって言った時に
悪いんですか?
悪いです。
悪いです。
悪いです。
じゃあある程度これだって言った時には
わーって行って
どっかで霧がついてきて終わるみたいな。
そうなんです。
でもその時は違うことがまた出てくる。
次の遊びが来てるわけですね。
ご自身でも分かってる?
分かってます。
その霧っていうのは何で来るんですか?
誰かの一言とか
42:01
興味がいきなり変わるとか。
その遊びについて極めちゃった。
見たいところまで見ちゃったみたいな感じなんですか?
どうなんでしょうね?
極めることはできないです。
ただ、なんか見えたなと思うと
まあいいや。
じゃあ次行こうみたいな。
その繰り返しなんです。
プロフェッショナルになれないんですよ。
ジェネラリストだと思って。
何でも浅く広く。
そうかそうか。
そう思うときっといろんな遊びをしてますよね?
はい。
バイクも車も好きですし。
ただ、危険なことはあまりしないんですよ。
危険って言ってはいけないんですけど
スノボーだとかスキーだとか
転んだら仕事ができなくなるとか。
怪我しちゃうみたいな。
そういうのはやっぱり責任あるから
やめようと思って。
そうじゃないものっていう。
そうですね。
まあ酔っ払って歩いてるのが一番危ないですけど。
それは今もされてる?
そうですね。
だいたいマンチ飲み歩いてます。
なるほど。
でもそれは良いですよね。
遊びもきっとこういうところに生きてくるというか
そのままお話聞いて
ワーッていくっていう
速度感スピード感はきっとお仕事とも一緒ですね。
一緒ですよね。
やろうって思って
決めたらダッていくみたいな。
その行動力がやっぱり
あるからできることも
止まらないんです。
止まらない。
止まらない。
そこが多分僕の良いとこでもあり
悪いとこでもある。
そうか。
3兄弟で
兄貴が
こっちの社長をやっていて
弟が
一緒に卒業された
そうですね。
今こっちのパンの木の方は
専務をやってるんですよ。
経理とかローム経営をやっていて
僕は
事業を引っ張る方が
動いてるんですけど
その動き方も
全部リードがついてるんです。
そうなんですね。
安田さんも
うちの兄貴のリードがついていて
じゃあないと
どこまで行っても
うまくできてますね。
そう思うと。
どっか行っちゃうから。
縛って
これやっとけっていうか
やさぐれるタイプ。
あいつは自由にしとけって。
そうか。
自由さは
あるって状態なんですね。
上下の
理解があるので
実現してることを。
なるほど。
だからこそ伸び伸びと
生きていろんなことができて
いつも楽しさもあって
事業もちゃんと伸びていって
いろんなことに広がってる。
うまい循環というか
男三兄弟
そういうことですよね。
すごい。
ただリードをいつもつけられてるんで
45:01
どちらからにも支配されてます。
いかさず
殺さずってやつで。
でもその分わかってらっしゃるんですよね。
そうですね。
それから外れようっていうのは
あまり行き過ぎはしない。
そうですね。
給料っていう部分は
軽車ですけどもって動きますし
経費の部分も
全部コントロール化なので
自分では好きなんで動かせないんですよ。
そっかそっかそっか。
うまく出来上がってる。
自分で持ってると
みんな使っちゃうんで。
そっか。
飲み行ったらパーってやりたくなっちゃうんですし。
そっか。
やっちゃうんでしょうねきっと。
持ってるとやっちゃうんですよ。
やっちゃったこともきっと何回かありますよね。
なるほど。
でも今はもうちっちゃくなって
いやいやいや。
これからまた新たなトライを
していくってことで
先へ先へ
未来に向けてみたいな感じですね。
そっかね。
どっちかっていうと本当に
鉢とかハーブとか
農業の方にだいぶ視野がいっちゃって
そうですよね。
興味もそっちにやっぱ
行ってるわけですから。
飲みに行くのも
前は1時間行って2時間行って3時間行って
3時間行ってみたいな
そういうのをずっと営業職も
やってたんですけど
コロナが一期的になったんですね。
なるほど。
1件目で何か話して迎えるとか
今日飲み行けなかったじゃないですか。
はいはいはい。
あの時に何かが変わんなきゃ。
そうですよね。
農業に切り替えないと
これはもうまずいなって。
確かに。
委託
っていうんですか
ボールペンの製造だったりだとか
外部の委託を受けて
やってる事業者とか
福祉の事業者とか
あとはお弁当を販売する
つっても駅前で販売する
とかですね
決まった
人が固定収入
ルートがない
売り方をしてる人じゃ
のきなみ打撃を受けた
そうですよね。
人が動かない
人が集まってる固定客を
持ってる人はそんなに
ダメージが無かった
でもその時に冷静に見てると
これから世の中
多分こういう
動きになるな
生産の方に走っていかないと
人口も減る
農家も減る
そうですよね
そういう部分を考えると
農業だってずらっともやもやした
そっか
完全に農業農業に入っていっちゃった
見えてくる
ものがいっぱいあって
48:03
農業もね
これがどんどん
広がるやられていくでしょうし
まだ数年後になったら
農業は農業だけで
新たな農業をしてるかもしれないでしょうし
大きな流れとして
例えばAIみたいなものが
入ってきた農業とかも
もしかしたらあるかもしれないですし
いろんなものを取り込みながら
次世代、次につなげていく
学ぶで学んだ
子供たちにつながっていくような
子供ってことですよね
そっか
今こっちで培ったことを
本体の安田物産の給食
幼稚園とか保育園の給食に
今度リンクすれば
そっかそっか
ガパオライスがこっちでも
そういうことですね
なるほど
一日に4万食くらいが流れます
あーそうなのか
そっか
もっと広がっていくという
そういうことですね
安田さん自身がいろんなものを持ちながら
組み合わせたらどうだどうだ
やっぱ観覧を考えて
こうなったら面白いぞ
面白いぞ
そこで生まれたものが
次のものを生んできて
事業になっていったらまた
ここと繋がってとか
そうですよね
楽しみですね
子供たちとやっても楽しいですよね
そこは絶対あると思います
そう
子供たちを目の前にして
何か活動するのでも
やっぱりそうですよね
障害を持った子が
ワークショップで子供たちが
苗を植えに来た時に
障害の子でも
うちに来る前までは
入って間もなくですけど
まず虫が嫌い土が嫌い
おー
仕事もあんまりやる気がない
結構重い子なんですけど
ちょうど草を
草刈りを去年
花を植えた後に
草刈りだけちょっと手伝って
ただ虫るのが楽しくなっちゃったみたいで
おー
そっか
虫嫌いなのにミミズがいたって喜んだり
何かがその子もそこで変わった
そういうことですよね
実際の体験を通して
そこですよね
そしたら軽トラを私の土日で
そこのグループホームに入って来たんですけど
うちの
軽トラトリックと窓がいて
連れて行って
うわー
それは
それだけも変わるんですね
行って何すればいいって
草をむしるとか
これじゃあ花を植えようとか
一緒に一日やるんですね
一日って言ったらお昼くらいなんですけど
お昼を外で一緒に食べて
51:00
割り勘なんですけど
食べて
それでまた畑に戻って
ちょっとやって
帰るのが
彼のルーティンがそこでできまして
あー
親とかと出かけるときは
ごめんねって言うんですけど
暇なときは連れて行って
そうなんですね
その土日を使って
彼は遊びながら勉強
学びをしているんですよ
そうするとパンの木で
今日畑でやっている作業を
人よりリードしているんですよね
あーそっか
まだみんなが初めてやることを
学んでいるから
教えてあげれるんですよ
そっちに行けるわけです
じゃあちょっと教えてあげて
言うと
嬉しそうに頑張って教えるんですよ
なるほど
すごい
自信に変わるんですね
その自信で
やっぱり自分は人より
人に教えることができた
だからもっと頑張ろう
そうなりますよね
これをもしみんなが
生まれたら面白いなって
面白いですよね
みんな子供の先生にしてあげたい
あーはいはい
小学生たち来たときに
サムシはこのAくんに聞いて
A先生に聞いて
そうですよね
ジャガイモだったらもう松原くんだよ
あーそういうことか
教えることによって
その方にも学びが跳ね返っていく
なるでしょうから
それもまたいい循環が
今のところで生まれれば
楽しい場作りもなるし
そっか
面白い
いろんな
ありますね
きっともっともっと
それ自身が安田さんご自身の
遊びに近しい感じもあるというか
遊びですよね
何かやってるしこれ面白いぞみたいな
でやったらそううまく
循環し始めてあー面白い面白い
っていう遊びみたいな
実際やってる学部の
教員はつながってもいるし
そこは遊ぶ
遊びっていう文字が入ってもいいのかもしれないような
感じっていうのは
今お聞きしてすごく
思いましたね
ワクワクする感じ
そっか
確かに遊びもいいですね
ここに入ってきても良さそうな
それぞれに遊びの感覚っていうのが
あった方がより生き生きする感じ
ですね
好きなことは何ですかと聞くと
遊びですと
速答をくださった安田さん
様々な事業を組み合わせ
次に生まれたものがまた
新たな事業になっていく
ということも大変だけど
めちゃくちゃ楽しいとのこと
これからどのようなことを
されていくのかとても楽しみです
安田さん
54:00
ありがとうございました
それではまた次回
ユイナワさんの聞く人ラジオで
お会いしましょう
54:20

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