今回は、株式会社代表取締役・遠藤洋輔さんにお話を伺いました。
地域を元気にすることを生業とされている遠藤さん。まずはどのような経緯で今に至ったか、についてから伺いました。
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---
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サマリー
株式会社TimeLinkCreationの遠藤洋輔さんは、地域を元気にするためのコンサルティングを通じて、人々にきっかけを提供しています。広告業界での経験を活かし、イベントや企画を通じて地域活性化に貢献する方法について語ります。また、広告業界を通じて地方情報の重要性を認識し、都市部と地方をつなぐマッチングの必要性についても話します。彼の体験から、通訳者としての役割が地域と人をつなぐ上での重要な要素であることが強調されています。さらに、都市部と地方をつなげる通訳者として、地域の魅力を伝え合うことで双方が幸福になる可能性について考察します。
00:03
ゆいなわさんの聞く人ラジオ
みなさん、こんにちは。ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
地域活性化の仕事
今回は、株式会社TimeLinkCreation代表取締役・遠藤洋輔さんにお話を伺いました。
地域を元気にすることをなりわいとされている遠藤さん。
まずは、どのような経緯で今に至ったかについてから伺いました。
じゃあ遠藤さん、お仕事何ですかって言ったら、何ですか?
地域を元気にすること。その地域がどちらかというと、都市部っていうよりは田舎の方。
みなさんが想像する自然豊かな田舎を、人とか物事、いろんなことを踏まえて、
そこを元気にするためっていうところが一番基礎であって、
そのための手段が色々、広告であったり、イベントであったり、企画であったりと。
そういうのを複合的にやっているような仕事かなと思うので。
何の職業かというと、なかなか…
名前つけづらいなのか。
そうですね。コンサルって言えばコンサルなのかもしれないんですけど、
ただ自分が大事にしているのは、基本的に言って終わりじゃなくて、
例えばイベントとかもそうですし、自分たちで全部やるというか、
企画して、集客して、ファッションにして、その後フォローもして、
そういうところが自分はやりたいところなので、
言って終わりっていうのがコンサルってイメージが動かせたら、
そういうのにはなりたくないなと思いながら、やってるのが一応仕事の…
経験から得た教訓
ああ、そっかそっか。コンサル的なところももちろんしますけど、
もちろんそこも多いですけど、
その手前もあるし、後ろもあるし。
気になるんですよね、言った後。
ああ、そっか。
やってるのかなとか。
ああ、そっか。
やってもらってるのかなとか。
ああ、そっか。
多分その後フォローがない限り、人って怠けるじゃないですか。
ああ、そうですね。動かないというか、言われっぱなしみたいな。
なんかそれをずっとやっぱり、
広告の業界に長くいたからそう思うかもしれないですけど、
広告ってある一定、言い方あれですか、麻薬みたいな。
ボンと、何もないところから広告を見て人が動くと。
ただそれって3日後忘れるかもしれない。
ただ広告の良さっていうのは、今までなかったものが知れるっていうところが一番だと思うんですけど、
それを忘れないために何をしていこうかって考えたら、
その次の手立てがいろいろあるのかなと思ってるんです。
それはまさに地方もそうで。
観光地とか温泉地で遊びに行って楽しかったと。
でもそれってもちろん大事ではあるんですけども、
僕がやりたいのはもっと先というか、
そういう人たちが地方に行って何かもっと感覚反応が受けるような、
そういうようなきっかけづくりですかね。
あ、きっかけづくりです、そういえば。
あれ?
きっかけを作ってると思います。
そういうことですね。
今思い出してます。
今そういうことですね。気づいた感じ。
ああ、なるほど。
広告っていう仕事がまず最初にあったとしても。
広告もきっかけじゃないですか。
広告もきっかけです。
例えばイベントもきっかけだし、
何か企画ものとか、
例えば地方の求人とか。
ずっと入ってその人をずっと面倒見ることはできないんですけど、
考えてなかったきっかけを作るっていうのはできると思うんで。
そっかそっか。
どんなきっかけをどの人にどんなニーズ、
どんな欲しい情報があるかっていうのをしっかりこの前情報をやった上で、
きっかけを作るっていうのが一応仕事かなっていう。
そっか。
気をつけてるところとか、
自分がすごく強みにしてるところかなっていう。
じゃあ結構いろんな方法、手段を通してきっかけっていうものを皆さんに。
そうですね。
そんな感じなんですかね、多分。
いやそれは僕はわかんないですけど、江戸さん自身の。
でもそう思ってますね。
そういうことですね。
そういうふうになりたいっていうか。
なりたい。
なりたいし、実際やっている状態ではあるってことですよね。
で、それをやり始めたのはいつぐらいからですか?
まず自分が大学が東京に来て、
それまでは僕出身が山形なんで。
高校出たらみんな大学に行くもんだ。
県外に行くもんだっていうのがあって東京に出て。
そこからいろいろ大学終わって就職したのが広告の会社にいたので。
ただその時っていうのはまだ、
当時2004年ぐらいの時にて、
まだTwitterが出て、出始めでした。
そういうことですね。
で、いろいろなQRコードが出たよとか。
ああいうようなところだったんで。
で、それが3,4年経ってFacebookとかいろいろ出始めました。
自分がですね、フリーペーパー。
当時広告を掲載をして、
家とか会社とか駅とかに置いたりとかいうのを手掛けたので。
ただそれがですね、やっぱり新しいメディアがどんどん取材が出てきた時に、
お店さんも自分で宣伝をできるっていうところで、
自分らの価値がどこにあるのかなと思った時に、
なんか結構クエスチョンがあって。
2010年頃、震災の前あたりから、
よく商店街とかでお祭りとかイベントってやってらっしゃるから、
あれは誰がどう企画してやってるのかなっていうのが。
僕らは当時メディアを作ってたので、
イベントありますよ、広告載せてくださいよっていう、
一番最後に来るんですよね。
やっぱりその時って思ったのが、
広告って正直面白い内容でなくては、
どんなに広告代を払っていっぱい告知をしても、
来た時にですね、え?みたいな。
想像が面白くないって感じ。
そういうものだったら、頑張って告知をしても人が来ないと思ったんですね。
そうなった時に、じゃあこの企画から入れば。
そういうのがきっかけですね。
なので、そこが自分のこういう、
街作りみたいな、大きく街作りみたいなところで地方と、
その時は都市部でしたけど、いろんなきっかけを作るという意味では、
そういったものが最初思って、
もっと上流にいって、
そこを変えた方がそもそも人が来るんじゃないかみたいなところが
スタートだったと思うんですよ。
じゃあそれで、ご自身でやるみたいな。
後々情報をもらってもですね、
ぶっちゃけこんなイベント面白いのかなみたいな。
なるほど。
例えばこのお店のこのメニューは、
飲食店の広告とかもやったんですけど、
このお店のこのメニューは果たしていいのか、
自分が自信を持って言えるかって言ったらですね、
ちょっとって思うところがやっぱりちょっとなんですよね。
それであれば、もっと手前でですね、
じゃあそういう飲食店さんにもっとこういうメニューとかをやってみませんか。
その方がお客さんとの最初のきっかけというか接点があって、
その後長く続けるというか。
そういう観点が2010年ぐらいからやっていったんで、
イベントごとがすごく大好きで。
大好きなんですね。
なったというか、やっぱりイベントってそれこそきっかけというか。
そうですね。
そこから生まれる偶然の出会いというか、
その頃はリアルな、メインなオンラインになったんで、
そういうところからいろいろやっていったのがスタートですね。
最初の一歩
もともと広告的なことを社会人になってやっていくっていうのはやりたかった?
これもですね、またあれなんですけども、
僕大学の時にずっと自分でバイトをして、
親から教え送りってほぼなくてやってたんですけども、
バイトをですね、4つ、5つ買い持ちをしてたんですよ。
すごいですね。
飲食店ばっかり。飲食店はもう賄いが出るので。
ああ、そっかそっか。
いろんな飲食店をやってたんですけども、
当時別に就活もそこまでしてなくて、
ただお店のアルバイト、バイトリーダーみたいな感じでやってたので、
ある一店舗でですね。
いろんな、当時ホットペッパーとか、いろんな各メディアの、
広告担当みたいな、かっこよく言いますね。
家族経営でやってたんで、そこでも広告を出してたんで、
そういう媒体側の人たちと結構打ち合わせはしてたんで、
なんとなくそういう方の営業というか広告の話も知ってたんですね。
クライアント側として。
ただそこが、そのお店で就職しようかなみたいな。
お店に行ったんですか?
そこのお店、2店舗、3店舗あったので、
そこに就職をしてって思ってたんですけども、
なかなか元々地方に本店がある会社で、
埼玉の方に出したんですけども、なかなかうまくいかんですよ。
で、閉めると。急遽ですね。
就職しようかなと思ったのに閉めると。
どうしようかなという話の時に、
よく同じ飲食ビルの中で飲みに行ってたカフェバーみたいなところが、
今最初に入社する会社が、そこのお店がクライアントだったんで、
よく営業の方も話をしてたんですよね。
自分がそんな感じでやろうと思ってた飲食が潰れちゃったんだよね。
そしたらうちに来ればいいよみたいな形で、
その広告会社、フリーペーパーの会社が、
今中途は募集してるよという形だったんで、
じゃあ行くかみたいな。
仕事ないようになったら分かるし。
で、面白そうだなって。
当時にしては経路が多分良かったんですよ。
いい加減だったんで。
まあいいかみたいな話で、入ったのがスタートですね。
ただ僕の当時、新卒は皆さんちゃんと就職活動をして、
入社の試験に向けて入っている同期ですね。
同期はそういう人なんですけど、
僕はもう同期なんですけど、新卒なんですけど中途。
ほぼ、当時そういう雇用形態がなくて。
なので新卒の人たちが本部で研修を終わって、
試験に配属されるじゃないですか。
その試験に配属される時の新卒の歓迎会は、
僕が管理してるんですよ。
同期を3ヶ月くらい僕は早いので。
編集をしてはもう現場入れなんで。
それを今でも覚えてますね。変な感じだなと思って。
そうですよね。
向こうの新卒の人にしても、あれって遠藤さんってなんだろうみたいな。
同級生だよね。
そこがスタートでしたね。
じゃあそこから広告的な部分を学んで仕事しながらやっていって。
やっぱりそれが合ってたんですか?どうなんでしょうね。
当時、今ではあんまり考えられないと思うんですけど、
駅に降り立って、埼玉だったんで駅に降り立って、
その駅からお店を一軒一軒全部飛び込みで回るんですよ。
飛び込み営業で。
名刺こんにちは。だいだいです。
だいたい1日50軒くらいやるんですよ。
当たり前のようにそれをずっとやってて。
だから全業種行くんですよ。
飲食だけじゃないですね。
僕の一番最初のお客さんは七夜さんなんですよ。
面白い。そうなんですね。
そもそも七夜って僕全然わからなくて。
どういう構造というか。
そこで教えてもらって、そこにも通って通って、
広告を出したいって話になって。
そこからお付き合いが始まってっていうところがあって、
最初は七夜さんだったりしますけど、
あとは本当に飲食、美容室、医療さん。
広告業界との出会い
看板がある業種だったら全部。
すごい。
そこが結構自分が結局何だかんだそこに行きたいっていうよりは、
何だかんだそうですね、コロナの前2019年、
16年、7年ぐらいずっと勤めてたんで。
自分の強みとしては、いろんな会社の大小、
もちろん規模感上昇してる会社もあれば、
本当に街のお母さんがやってるお店もあれば、
そういう業種を全て見てる。
そっかそっか。
そこの分野では特に集客ですよね。
人を、お客さんを呼ぶっていうところをやってたので、
それが多分すごく面白かった。
いろんな業界も知れたんで。
裏側も知れたし。
そういうところが自分のきっかけかなと。
そうやって飛び込んで営業していくと、
鍛えられますよね、きっと。
鍛えられます。
飛び込みも何十件もやりますし、
今でもそれをやる。
例えばテレパですね。
電話もやりまくったし。
そういうのはしょっちゅうやりましたね。
そっか。
今はあんまりね。
そうですよね。今なかなか。
そうです。
よくありました。今ではもうあれですけど、
例えばキャバクラの求人とかですね。
今はもうあんまりそういうのないじゃないですか。
そうですね。
なんですけど、そういう情報誌のところはですね、
家に直接ポストインしてる情報誌だったんで、
変な話ですけど、住んでいらっしゃるお母さんたち。
年齢バラバラですよね。
そういう人たちがですね、無料で来る情報誌で求人を探して、
近くのキャバクラに就職する。
アルバイトするみたいな。
全然あるんですよね。
そっか。
反響は良かったんですよ。
良かったんですか。
良かったんですけども、何が大変だったかというとですね、
当時、これも今で考えられないですけども、
広告費を収金っていうのも、ほとんど半分ぐらい収金をしたんですよ。
収金なんですか。
もちろん振り込みももちろん。
はいはいはい。
じゃあ行くんですね。
行ってですね、キャバクラと何かというと、
だいたい営業、キャバクラってスナックとかも多いんですね。
営業のスタートが8時、9時くらいかかるじゃないですか。
そうっすね。
ずっとグルっと回って。
そうっすね。
そうするともちろん8時前に行ってもいないじゃないですか。
ああそうか。
準備があったりとか。
そうですね。
だいたいですね。
はいはいはい。
9時にね、
9時にね。
9時に来てね、言いまして、行くじゃないですか。
そうすると、もちろんすぐ、
3万円の広告代でスナック買える時もあれば、
ちょっと飲んでってとか。
そういう話が。
そういうことにもなるんですね。
別にお金は払わないんじゃなくてですね、
飲んでって言いまして、
飲んだりするじゃないですか。
そうすると結構何だかんだ遅くなって。
僕らはですね、やっぱり収金でお金をもらう人がいけない。
そうですね、お仕事ですからね。
まず飲んでって。
はいはいはい。
無理で断られなきゃ。
で、もう終点ギリギリで。
あー。
収金袋に。
当時本当に収金、
例えば5、6軒してもですね、
一つのお店で5、6万円。
3、40万持ってるわけですよね。
そういうことですよね。
怖いですよね。
まあ、そういうような感じ。
それで飲んでるみたいな。
いなきじゃないですね。
あー、そうなんだ。
そういうところは当時ありましたね。
そうか。
地方情報の必要性
2006年から。
ちょっと今だとなかなか。
今だと収金ってお金持たないですね。
そうですよね。
現金みたいなものは持たないから。
現金持たないからね。
あー、そういう。
だからもう現金商売だったんで。
へー。
そのね、もちろんお金の手をつけることはないですけども。
酔っ払えないなって感じ。
そうですよね。
緊張してるという感じ。
そういう感じだったね。
ですよね。
それで飲んでるみたいな。
飲んでるみたいな。
そういうとこはありましたね。
すごいな。
誰かにとってのきっかけを作ること。
その広告やイベントをどんな人に届けるか。
という思いを持たれている遠藤さん。
どういう流れで広告業界に入ったのか。
そしてどのようなことをされていたかについて、
語ってくださっています。
でもそういうことを経て、
そのお仕事をされてきて、
じゃあ自分でやろうっていうのは、
一人で決断いるじゃないですか、一個。
やっぱり一番結構大きかったのはコロナがあるかなと思ってまして。
その当時、もっとコロナの前ではですね、
都市部で主に、
僕は埼玉の大宮、
あの辺の結構大きなところも含めて担当していたので、
そこから、
その当時は目黒か三田の方ですけど、
本社が東京だったので、
移動したんですね。
埼玉から移動して、
というところが一つまず天気だったかなと思っていて、
その東京に行った時に、
すごく大宮とか埼玉好きだったので、
そこを離れるのもちょっと寂しかったんですけど。
東京に行った時に、
なんか一つ、
例えば東京のその地域の情報だけを、
その地域の人に伝えるというよりは、
例えばこの東京に住んでいる人は、
田舎の情報ってどうやって知るんだろうとかって思ったんですよね。
それで、
僕の出身の例えば山形とかの情報は、
多分誰も知らない。
有名観光地はもちろん知ってますけど。
っていう時に、
その当時に合わせて、
都市部の一極集中が問題だよ、
みたいな話を言い始めた時に、
地方の情報ってみんな知ってるのかなと。
こんなに都内の人たちが地方出身者ばっかりなんだ。
っていう時に、
当時そのメディア、フリーベーパーの会社は、
主に主要都市しかなかったんですよ。
関東、関西、仙台、福岡とかですね。
ただ田舎の方には全く、
そのメディアがあるとかっていうのも、
田舎からすると分かってなかったので、
田舎の情報を、
ここに載せても、
配信しても、
いいよねっていうところから、
その視点で今やっている地方の情報を、
都市部に伝えて、
そことのマッチングしていこう、
というきっかけづくりを、
広告なのか何かいろんな手段で、
やっていこうと思ったのが、
そこかもしれないですね。
東京に、本社に移動した時にですね。
やっぱりその当時、自分が思ってたんですけども、
フリーベーパーってやっぱり結構社用作業というか、
アニメでも。
どうしてもどんどん下がっていくような気がしてた時に、
地方の情報に関してはまだまだ可能性があって、
それを伝えられる手段が、
当時まだそんなにインスタとかできてなかった時だったので、
それが新しいチャンスになるかなと思って、
自分も管理職で自分の部署を持ってたんですけども、
それはそれとしてやりながら、
たぶん1年半ぐらいですかね、
全国を回ってですね。
特に県庁さんとか市役所とかを回って、
そういう都市部へのニーズとかですね、
何か情報を伝えたことありますか?
の中で結構回ってたの。
その時にははっきり言ったのが、
僕は観光ではなくて、
別の情報を伝えたいです。
わかりやすく言うと田舎の暮らしとか、
今でいう移住とかですね。
観光より深くないと人が動かないような、
そういう難しいところなんですけども、
そこに情報を与え、マッチングできたら、
人のきっかけをすごく作れる。
本当に人生、大げさじゃないんですけど、
大げさというかですね、
観光でももちろんいいんですけども、
わざわざ今の暮らしを変えて地方に行く、
そこの何かきっかけを作る人って、
よっぽど重いんですけど、
やりがいとか、
いろんなことが可能性としてあるなと思って、
そこに対してというところがありますね。
僕も田舎出身なんで、
田舎のところがどんどん育たれていって、
自分の家の田んぼとかもやってたんですけど、
なかなか今の米の問題じゃないですけど、
どんどん安くて農家もできなくて、
たまに帰ると、
自分の田んぼだったところが別の人がやってたり、
親もそうやって農家辞めたりしているのを見てて、
やっぱりそういう人材ってなかなかいないなというところで、
それを何かマッチングできるというのが、
一つビジネスの側面と、
難しいけどその人にとってすごくきっかけになる、
そこを担えたらいい仕事なのかなというところがあっての、
地方というのに目が向けたのがありますね。
通訳者の役割
じゃあそれで始められて、
実際始めてみるといろいろ違うじゃないですか。
いろいろ違いますね。
イメージしているものもあるでしょうし、
もともとやっていたお仕事との違いもあるでしょうし。
もともと広告という業界は、
集客なんですけど、
どのように見せていくかという、
おいしく見せるという、
もちろん客食しながら綺麗に見せたりもあると思うんですけど、
やっぱり地方の良さはですね、
どのように伝えるかというところだと、
人の魅力だったり、人の魅力って何なんだろうというところを、
そこが結構難しくもあり、
奥深さでもあるところもあって、
僕の今、会社の理念というか、
ずっとやってて立ち上げた時に思うのが、
地域、地域というのは地方でも都市部でもいいんですけども、
地域と人をつなぐような仕事って、
よく皆さん言うと思うんですけど、
そこの通訳者になりたいというのが一番の思いで、
ずっと事業をやってて思う時に、
通訳がいれば、いろんなことが成り立つと思ってるんですよね。
そこが特に地方と都市部とかで考えた時に、
通訳者がいなくて、うまくいってないケースが、
正直かなりあるなって気づいたところが、
自分が会議を勤用するまでの結論というかですね、
10年以上いろいろ地方に立ち上げた時に、
何か難しさというか、
何かボタンの掛け違いがあるようなところになった時に、
何かなと思った時に、やっぱり通訳がいないんだなと気づいて、
じゃあその通訳に僕らがなればいいというところが、
今の事業に伝わっているようなところですね。
実際じゃあ今はその思いで通訳者的な行動をしていて、
できている感じしますか?
まだまだあるかもしれないですけど、
意識はめちゃめちゃするんですよね。
例えば地方の側に立った時に、
地方は皆さんが想像するように、
自然があって、美味しいものがあって、来てくださいね。
通訳者としての役割
自分のところは他の地域は全然いいですよと言いますと。
ただですね、やっぱり日本どこにいても正直それは一緒なんですよね。
もうそんなに違いはないなと。
ただ地方の人はそれを伝えたいと。
都市部にいる人に関しては、
満員電車はつらいなとかいう思いがありながらも、
どの地方がいいかなみたいなところって、
見ていっても、結局自分の育ったところか、
例えばパートナーがいるところとかぐらいしか選択肢がないというところにあると思うんですよね。
なので地方の方の方と話をする時には、
その地域の良さとか魅力は、
皆さんが言っているところだけじゃないですよねと。
もっともっと違う視点で見たら、
こういう魅力とかこういう良さを
都市部のこんな人に伝えたら、
だと地方の人はまだまだ気づいていない。
ここが僕らの通訳で、
そういうマッチングなんですけれども、
よく僕の話を聞く時には、
その人が感じていない地域とかその人とか、
で、対象となる、
こちらの都市部の人に対して伝えていくかみたいな。
物を考えれば多分分かりやすいかなと。
スーパーのバイヤーさんがやっぱり美味しい食材を伝えるのとは、
生産者の思いとか何かを伝えるのと一緒で、
それが無形になっていく人とか、
暮らしとか、そういうところから
伝えられるような感じかなと思いますね。
難しいですよ、ここは難しいですけど。
そこにやっぱり遠藤さんはやりがいというか、
そういうのを感じて。
地方を元気にしたり、都市部も元気にしてもいいんですけども、
通訳と考えた時に、
ビジネスの中でも通訳でもですね、
よく誰でも彼でも紹介しますよというところだと、
ありがためやかなところがあるじゃないですか。
この方にはこの人を紹介するためには、
お互いに共通点だったり、
メリットになるようなところはどこだろうかというのを想像するので、
いろんな人と話す時にはいつもそれを意識して、
あの人にはこの情報がいいんだろうな、
この人とかというところがあったりするので、
そういうのは自然とそうなっていったかなと。
それが広告の原点というか、
広告も通訳だったんですね。
ベースはずっと同じだったんですけども、
それを自分の中で通訳という言葉にできたのは、
15年くらいとかずっとやってから、
自分の中でしっくりビジョンを持っていますね。
そこだったかなと思いますね。
じゃあ今それをお仕事として、実際にアンテナを立てていきながら、
あれ、この人は、あの人じゃないみたいなことは起こっていて、
引き合わせたりとか、そういうことはされていて、
その先に例えば出会った方が何かを始めたりとか、
なので、この移住という仕事というのは、
もちろん行政と一緒になってとか、
という考え方とかやり方もめちゃめちゃあるんですけども、
そう考えたときに、やっぱり
そこがきっかけで、セミナーとかイベントとかをきっかけに、
知らなかった地域に行ってみたら、
すごく自分に合って、
それが5年10年いたよとか、
そこで例えば結婚されて、
というところは時間がかかるんですけども、
嬉しい声とかもらったりするんで、
そこはすごくやりがいがあるかなというところですね。
それはあくまでセミナーとかイベントとかというのは
手段でしかないんですけど、そういうところもありますね。
今はそういった思いで、例えばセミナーなりイベントなり、
今ご一緒させていただいている創業支援みたいなものとかというのは、
結構いろんなことをやられているんですか?
そうです。なので、地方と企業を
つないでの通訳者という、このビジョンの下でいうと、
やれることは正直無限にあるんですよね。
今ご一緒に一緒に協力いただいているような、
そういう創業支援、企業支援というのは、
もちろん一つ。そうですし、
例えば都市部ではあまりできない農業を地方にしたいよ、
というところも同じですし、
ただ今後もうちょっとやっていきたいのは、
逆でですね、田舎にチャレンジをした人が、
例えば作ったもの、商品とかを、
逆に都市部で販売をしたいとか、
そういうときに、
また逆の通訳というかですね、
田舎の良いものを都市部に伝える。
今までは都市部の人に、田舎こんなに良いよ、ぜひ来てくださいって言ってましたけど、
もうその逆パターンも、
今後もっともっとやっていって、そうすれば、
田舎に居ながらも、しっかり収益が上がって、
マーケットは都市部ですけど、そういうようなことができたら、
ウィンウィンというかですね、
できるんじゃないかなというのも思ったりしてるんで。
いっぱい夢はあるんですよ。
今、よく入楽町とか、銀座あたり、アンテナショップいっぱいありますけど、
ああいう大きなところじゃなくてもいいんですけど、
例えば10坪ぐらいのアンテナショップを、
どこかに出して、
地方の面白いものとか、頑張っている人のものを、
並べるだけじゃないのに伝え方を考えながらPRしていくような、
そんなこともやりたいなと思ったりしてますね。
夢としては、広告という言葉において最初あったのところが、
今はすごく通訳者というような形で、
やっていく中でいろんなやり方というか、
あるから、それらに結構奔走されている感じがします。
そうですね。そういう通訳者をどんどん増やしていけば、
僕が一人でやっている経験はもちろんありますので、
通訳者が増えていけば、よりみんなが幸せになるようなことが
できるんじゃないかなと思っているので、
そもそもやはり住んでいる地域とか、いろんな文化が違えば、
ハレーションを送るのは当たり前なので、
そこをうまく時間をかけながら通訳していくことによって、
お互いのことを思い合いながらやれるような人たちがいると、
そういうのがいいのかなと思うので、
めちゃめちゃ気は使います。
そうですよね。いろんな方がいて、個性も違うし。
そうですね。
都市部と地方をつなぐということ。
地方の人も気づいていない良さをどうやって引き出し、
人とつなげていくのか。それが通訳者という言葉につながっており、
通訳者としてやれることは無限にあるとおっしゃいます。
地域の魅力を伝える
そんな遠藤さんのお話を次回、さらに伺っていきます。
34:02
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