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2025-06-02 27:03

v153-1 ㈱POPROCK代表・小澤茉子さん「どうやったら芸術家として~」

今回は、株式会社POPROCK代表、小澤茉子さんにお話を伺いました。
日本橋でのアートギャラリー運営、そして企業向けのアート研修事業を手がけられている小澤さん。まずはその事業のお話についてから、伺っていきます。
株式会社POPROCK:https://pop-rock.jp/
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サマリー

株式会社ポプロックの代表、小澤茉子さんは、アートギャラリーの運営や企業向けアート研修事業について話しています。彼女はアートを通じたコミュニケーションの重要性や、芸術家として生きる道を模索している人々を支援することに熱意を注いでいます。さらに、アートが人間の豊かさに与える影響や、組織のコミュニケーションや教育におけるアートの必要性についても強調しています。また、小澤さんは自身の日本舞踊の道や、その進学の経緯についても言及しています。

アート事業の概要
ゆいなわさんの聞く人ラジオ。
みなさんこんにちは。ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回は株式会社ポプロック代表・小澤茉子さんにお話を伺いました。
日本橋でのアートギャラリー運営、そして企業向けのアート研修事業を手掛けられている小澤さん。
まずはその事業のお話についてから伺っていきます。
まず小澤さんはお仕事は何ですか?
アート事業です。
アートに関する事業です。
アート事業というと、いろんな幅広くいろいろある中で何をしているのか?
大きく会社としてやっている事業は2つありまして、
1個が今来ていただいている日本橋N11ギャラリーというアートギャラリーです。
もう1個が企業さん向けにアートを活用した組織開発の支援的なものが今会社の事業としては二軸あって、
個人では日本舞踊家というキャリアで今やらせていただいているような感じです。
企業へのアートというのは具体的に何をするのでしょうか?
アートをいわゆるコミュニケーションツールに活用していただくというと、
一番わかりやすいかなというところなんですけど、
企業さんの課題っていっぱいあると思うんです。
その中で例えば、人の問題ってどこにもあるじゃないですか。
採用が難しいとか、でも採用してもやめちゃうとか、揉めちゃうとかっていう、
そういう人の部分のコミュニケーションとかにアートを使ったりだとか、
新規事業にも活かされる分野で、
アートっていうものが鑑賞だったり、実際に手を動かすということから、
例えば自分を内省するというか内観するきっかけになったり、
それを複数人で例えば絵を見て対話をするってなると、
ふと相手の本音が見えたりするんですよね。
他者視点から。
他者も対話を一緒にしている相手の真意がわかり、
それを聞いている側が本人に伝えることで、
本人が自分ってこういうことを日頃考えているんだなとか、
こう見えるんだなみたいな、
そういうちょっと真相的なものが意図せずポロッと出てくるアートっていうものが、
それがすごく面白いなと思っていて、
これは大体対話型鑑賞とかっていう技法で、
美術館とか学校ですね、義務教育とかで現場でやってたりするんですけど、
そうではなくて、私はこれはビジネスマンだからこそ、
大人だからこそ、そういうコミュニケーションであったり、
自分の本音本質に気がつくとか、
そういう会話ができる環境にいることで、
今までにない発想とか新しいものが生まれるっていう、
自分がいろんなことに気がつくというか、
今まで鈍かったところがいろいろ鮮明に見えてくる、
そういう人が集まって安心が生まれて、
そういう中だからこそ新しいものも一緒に作っていけるし、
生まれるよね、みたいな環境づくりとして企業さんに入れてます。
芸術家としての道の探求
なのでどういうことを実際にやってるかっていうと、
本当にアートをいくつか持ってって鑑賞していただくのもそうだし、
実際にそのものをよく見るとか観察するっていうのって、
絵を描くことにすごく大事だったりとか、
私も絵が下手なんですけど、
絵が下手って描く技術じゃなくて見る技術の問題らしいんですよね。
そうなんですね。
っていうこととかを実際に体験して、
実は人は現象をよく見ていないんじゃないかっていうことに自分が気づくっていうことを絵を描くだとか、
そういう体験を通して気がつくみたいなことを企業さんにやったりとかしてますね。
そういうことですね。
それを何で始めたんですか?
このビルのオーナーさんをご紹介いただいて、
元々そういうギャラリー向けに、ギャラリーとして、
特に1階なんかはエントランスがアートスペースになるような作りなので、
ここはいい人に運営してもらいたいみたいなご相談が、
ちょうどいろんなことを整理してこれから何しようかなってなった自分のところにその話が来たので、
じゃあやりますっていう形で、
やるならちゃんとやろうと思って、
もう会社も作るので、
ここのビルの1,2階を全部貸してくださいっていう形で始めたのがギャラリー。
そういうことですね。
そうか、そういう流れで。
でもあれですよね、何で始めたのかっていうところだとまだ中になっちゃうんですけど、
会社を作って、まずはギャラリーからスタートしてたんですけど、
ただギャラリーでお金を稼ぐ会社を作ろうとは全く思っていなくて、
それはやっぱり私が芸術家として生きるっていうことが経済とのバランスだなって感じてた部分ではあるんですけど、
ただその、可燃儲けに走ってもいけないというか、
なんなら私っていうのが一番芸術で生きたかった時ってどういうものを望んでたのかなって思うと、
その当時やっぱりいろいろ知らないことが多すぎて、
今の自分だったらもうちょっと上手にできたかなとか思うんですけど、
やっぱり二十歳そこそこのそこそこでやっぱりその芸術の業界とかどうやったらその生きていけるかとか、
全然知恵もなかったですし、もちろんお金もお金もないわけで、
やっぱりそういう時って本当に人の力を借りたかったんですけど借りる術を知らなかったんですよね。
もっと大人に助けてもらいたかったなとか、助けてくれるというかその心配とか気にかけてくれる人はいましたけど、
どうやったら本当に芸術家として生きていけるのかっていう具体を教える人っていなかったんですよね。
でもそれって多分今後もみんな必要じゃないですか、私はその道に行かなかったけど、
多分そういうふうに思っている人間はきっといっぱいいるし、
私みたいにやめてる人もやめてるというか若干志仲間で諦めたりだとか、
活動がうまくいってない人っていうのはいっぱいいるだろうから、私はギャラリーを持って商売をするっていうよりは人を育てるっていうところに行きたかった。
その結果収益が出ればいいという気持ちでまずギャラリーは始めました。
ただそうは言ってもそれでご飯は食べられないので、やっぱりお金は稼がないといけない。
プラスやっぱりその私は一番その芸術がどうやったらその社会基盤の一つとして成立するかというか、
どうやったら経済圏に乗るかっていうことをずっと考えていたので、
やっぱりちゃんとビジネスとは向き合っていこう。
芸術というものとビジネスが紐づくということはずっと捉えしていこうと思って、
いろんなギャラリーを運営する中でいろんな人に会っていったら、
そういう対話型鑑賞っていう実は技法があると、そういうことをやっているアーティストがいるということでそういう出会いがあって、
これは美術館の来場者のサービスというかオプションにするにとどめるのではなくて、
これは企業に向けてやるべきだなと。
人がちゃんと会話して、会話で会話というか対話というか、
そういう中で育まれるもの、そういうものを価値にしていけたら、
芸術の価値ってもっと具体的になるんじゃないかとか、
ちゃんと娯楽とかそういうエンターテインメントじゃないですけど、
飾るものとか見るものとか楽しむもの以上に、
ある種の実用性を持って、社会に価値として提供できる可能性があるなって思って、
じゃあこれをやろうって言って、今実験を重ねながらやっています。
実施した事業の反響
どうやったら芸術家として生きていけるのか、それを教えてくれる人がいなかったとおっしゃる大沢さんは、
さまざまな経験を経て、今のハート事業に至ります。
実際にその事業を始められてみての感触について伺っていきます。
実際それを始められてどれくらい経っているんですか?
1年くらいですかね。
1年くらい。実際にやって、企業さんに赴いてというか、ご一緒してやって、
やってみての感触というか、どんな感じなんでしょう、実際は。
これは手前味噌なんですけど、すごく反応がいいです。
本当ですか。
何て言うんですかね、単純に面白いんだと思います。
ハートって縁がないとなかなか馴染まない。
美術館に行くっていう行動と、実際に鑑賞してっていう、
何て言うんですかね、ものってだいぶ違いがあるものでして、
美術館にたまに行くっていう入所料払って入るって、
なんとなくこう、キャプションと呼ばれる説明書を見て、
なんとなく歴史と、なんとなくこういうものがあるんだな、
よくわかんないなって終わる鑑賞と、実際に絵を目の前に置かれて、
1分とか時間をかけて黙って、まずはこう、じっと見てくださいと、
何が見えますかということを問われ続けるっていう、
でも別にそこに正解とか不正解というのはなくて、
こういうものが何か見えるとか、これは何々っぽいとか、
例えば風景であれば春っぽいのか秋っぽいのかみたいな、
そういう話がある種許されるじゃないですけど、
美術館とかに行くと、よくわかんないなで終わるとか、
あとは何かこう、間違ってたら恥ずかしいみたいな、
そういうのでもなく、ただ単純に自分がこう思ったっていうことを自由に発言しておくて、
それを複数人、3,4人とかで共有していると、
自分はこういうふうに見えました。
でも別の人はこういうふうに見えて、
同じものを見ているのに、季節を春っていう人もいれば、
冬っていう人もいる。
いつも一緒にいる人って、全然自分と見ているもの違うなとか、
感じていること違うなとか、
そういう絵を見る面白さから入ったものの、
だんだん一緒に喋っている人の人間性が深ぼられていって、
この人って本当はこういう人かもしれないとか、こういうことを考えているんだとか、
そういう気づきが深まって、だんだん盛り上がっていくっていう。
ていうので、まず面白いっていう感想がいただけると。
かつ、そこからただ見て楽しいで終わるんじゃなくて、
それをちゃんと感じたこととか、
互いに気がついたことっていうのを共有すると。
それが言語化されて相手に伝えることで、
この気づきを生活にどう落とし込むかみたいなものまで持っていけると、
これは今後、例えば同じチームで仕事をしていたら、
こういうとこ気をつけて相手と会話してみようかなとか、
自分でこういう思い込みがあったかもしれない、気をつけてみようなのか、
この人はこういうところが素敵だから、ここ伸ばしていこうみたいなことに広がって、
そういう気づきがあってすごくよかったです、みたいな感想をいただくと。
それはやっぱりやってみての実感というか、
手前でもちろん想定しているものはあったでしょうけど、
実際やってみたらいろんな反応というか、お声があって、
いいねってなって、また次に行くときにはブラッシュアップしてこうやろうみたいな、
そういう段階に。
そういう段階です。
もちろん今のはすごく、でも本当にいい感想ばかりいただく、
一方で課題がないわけでもなくて、すごくいいと感じつつも、
これをどう継続して企業さんも取り入れようかなとか、
もちろんこれを導入するということはお金をかける、
ある種の人材投資の一部になりますよね。
これを投資価値としてどう会社に投資しようかなとかもあるし、
やっぱりここがいいところは、人間の上層教育的なところとしてはいいなと感じつつ、
費用対効果ってないっていうところは問われてしまうので、
そこを解決しようと思ったときに、
やっぱり我々が最初アウトで入ったところは訂正的な部分にフォーカスしているので、
そうですよね。定量的な部分でっていう。
そうです。なので訂正的なところだけだと、
会社さんって決済投資にくいな、倫理投資にくいな、みたいなのがあるので、
ちゃんと定量の部分、会社さんの組織の、例えば事業伴奏じゃないですけど、
ちゃんと数字なり、改善が見られる、ちゃんと目で見える形の部分の成果があった上で、
あるからこそ人材教育みたいなところにも投資ができるよねっていう形にしようということで、
今は実際に事業伴奏として組織の中に人を入れさせていただいて、
プラスアルファで投入させていただいた人間を中心に、
この会社さんで必要なところはどこなのか、っていう営業に課題があるのか、
アートの導入とその目的
それかマネジメントとか組織のあり方、組織構成みたいなところに課題があるのか、
何なのかっていうのを第三者視点でお伺いして、
その中で実務面も伴奏させていただくし、
ヒアリングなり一緒に組織の中に入らせていただく中で、
もっとこういうところのコミュニケーションを強化したほうが、ここの部署が伸びるんじゃないかとか、
っていうところでアートのパーツを入れさせていただく。
実務とアートという部分で社員教育だったり研修だったり、
そういう組織のコミュニケーションの部分を入れさせていただいて、
両輪で企業さんと関わるみたいな形です。
まだまだやるべきことというか、発展的な中で、
こうしていきたいみたいな、将来的にはこういう形にしたいみたいなのって、
小澤さんの中に今あったりします。
単純に日本全国の企業さんに入れたいっていうのが欲としてはあります。
それは自信を持っていいものだと思っているので。
ただ、それはアートがどうだとか、もともと芸術家だからとか、
アートに何かが好きだからとか、そういうことではなくて、
結果的に芸術っていうものがきっかけとなって、
人間の豊かさに紐づくからだと思っているんですよね。
あくまでも私がやっている日本舞踊もそうです。ギャラリーもそうですし、
企業さんに向けて提供させていただいているアートに関しても、
あくまでも言い方あれですけど、ツールというかきっかけであり、
一番の芯はそれぞれが豊かに生きることだと思っているので、
そうなるために利用していただきたいと。
私たちをきっかけに人が良くなっていただきたい。
人が良くなったら組織も良くなるじゃないですか。
っていうところが浸透すればいいなっていう感じです。
日本舞踊の始まり
それは多分私が芸術によって、人格が芸術というものに支えられてできたし、
芸術というものの媒介に人のご縁が育ってきたので、
それをすごく感じているからこそ、これが人の役に立つということを
自分が体感としてあるから、そういうふうになったらいいなと思っています。
そっかそっか、そういうことですね。
やっぱり芸術というものがすごく大きなご自身としてあるというか、
やっぱり踊り一部をやって、今もやっているんですか?
今もやっています。
今もやっている。
じゃあちょっと日食の話聞きたいんですけど、
それはいつからというか、小さい頃からとか例えば。
案外小さくなくて、14歳とかなんですよね。
そうなんですね。
ピアノとか楽器って3歳4歳の世界じゃないですか、
日本の芸能のいいところって、現役の寿命ってあんまりないんですよね。
そっかそっか、長くやる方は長くやるし。
日本の芸能とか文化って、やっぱり現役何歳ぐらいまでみたいなものが
大体半ないと思います。
なので大人になってからもううまくなれるじゃないですけど、
遅くないというか。
私の場合は14歳から始めてっていう感じですかね。
大学も。
そうですよね、それで学んでってことですよね。
それまでに、ちっちゃい頃結構いろんな習い事をやらせてもらってたんですよね。
親がいろんなことをバレエからソロバンナやら手指やらピアノやらやって、
全部ダメだったんですよね。
全部続かないというか。
中学生ぐらいになって、あんまり好きじゃないなじゃないですけど、
ちょっと全部一回その習い事をやめたら日本舞踊にあったんですけど、
いろんな習い事をした中で一番先生が優しかったんですよ。
日本舞踊が。
バレエとかはすごくバシバシ厳しい先生だったんですよね。
踊りの先生めちゃめちゃ優しい。
褒めてくれると。
何やっても筋がいいわね。
何やっても頑張ってるわね。
14歳ぐらいこんな褒められたことない。
嬉しくて嬉しくて。
やっぱバレエとかやってたんで確かにちょっと筋良かったんですよ。
踊りがちょっと入ってるというか。
運動神経とか多分良くて、
バレエとかもやってたからちょっとこう、ちょっと上手かったかもしれないな。
本当に調子に乗ってお稽古に通いまくるっていう。
良いじゃないですか。
通い通いみたいな。
っていう感じで中学高校って行ったんですけど、
高校1年生ぐらいで進路相談が始まるんですよね。
一応その新学校に行ったので、大学受験どうするかっていう前提だったんですよ。
大学どうすると。
母とか親と話して、どこ行きたいみたいに言われて、
行きたいとかないなとか。
大学に行きたいとは思うけど、大学で何をしたいかっていうのが全くなくて、
高校1年生の時に行って、
ちょっと考えようかなって思ってはいたものの、
親が一言、
でも大学受験するなら踊りはお休みしないといけないねって言ったんですよ。
そう言われた瞬間に、待ってよと。
日本舞踊休んでまで大学で何したかってなって、
別に何もしたくない。
踊り休むなら別に、
何も大学そこまでしていきたいかなみたいなこと言ったら、
実は日本舞踊が学べる大学があるってことは分かり、
じゃあもうそこ一本だねと。
専門的な受験とその成果
実は東京芸大なんですけども、
東京芸術大学にだけ受けました。
すごいですね。
もう保険かけなかったですね。
もうそこ一本で絞って。
一本で絞って、それ以外の受験勉強全部捨てました。
新学校なのに授業6に出ない。
一番、高3くらいになると選択授業になっていくわけですね。
国立なのでセンター試験を受けなきゃいけないんですけど、
国語と英語しかいらないんですよね。
いらなかったんです。
だから数学とかの知識みたいなもの全部捨てていったんですよ。
高2、高3くらいで。
誰よりも早く学校から帰るっていう生活をして、
芸大だけに特化した受験、学校6に行かないみたいな。
ただそれに対しての集中した勉強というか、
対策はしてそれをひたすらするみたいな。
それだけ、実技と。
なのでお稽古通って、
センター試験の勉強は学校にいるときしかやらない。
学校以外でセンターの勉強をしていないみたいな感じ。
受験って、東京芸大の一部の何をする?
国語、英語、実技。
受験ですか?
受験。
入試は、まずセンター受けて、
一次試験までは全員受けるんですよね。
30試験まであったんですけど、私の専攻は。
まずセンター、一次までは全員受けますと。
そこから落とされていくんですよね。
一次でまず何人か落ちて、
二次で何人か落ちて。
一次、二次が実技なんで、
実技、実技でどんどん減っていって、
最後の三次試験が音楽学部になるんですけど、所属が。
音楽学部が共通で、
音楽理論、楽天理論っていう音楽の試験があって、
それを三次に受けて、
何人残るかみたいなシステムの入試なんですけど、
それで何とか残ったみたいな感じ。
そっか。
それはもうそこだけっていうことですから、
なかなか人生においても、
特殊というか時期としては、
高校生の受験前で受験されて、
無事受かってということですよね。
はい。
14歳で始めた日本舞踊。
最初は楽しそう、遊びたいという気持ちがきっかけだったと語る小澤さん。
その道で大学を目指し、今も日本舞踊を踊られています。
次回は小澤さんにとっての日本舞踊について、
さらに伺っていきます。
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