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2025-06-05 28:28

v153-2 ㈱POPROCK代表・小澤茉子さん「私が踊る意義ってここだな」

前回に引き続き、株式会社POPROCK代表、小澤茉子さんにお話を伺います。
今回はまず、日本舞踊を専攻して大学に入られ、どのように日本舞踊を学んでいったのか、について伺っていきます。
株式会社POPROCK:https://pop-rock.jp/
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サマリー

小澤茉子さんは、日本舞踊を学びながら、その伝統や業界との葛藤から自分のアイデンティティを見直し、これからの生き方を模索しています。最終的には、株式会社ポップロックを設立し、自らの経験を通じて日本舞踊の価値を再発見し、活動を再開しています。小澤茉子さんは散歩を通じてストレスを発散する重要性を語り、運動や対話が生まれる体験について話します。また、神社や先祖供養についても触れ、見えないものの大切さを強調しています。

日本舞踊の学びと葛藤
ゆいなわさんの聞く人ラジオ。
みなさん、こんにちは。ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
前回に引き続き、株式会社ポップロック代表、小澤茉子さんにお話を伺います。
今回はまず、日本舞踊を専攻して大学に入られ、どのように日本舞踊を学んでいったのかについて伺っていきます。
大学に入ったら、ひたすら日舞の感じ?
そうですね。一応、大学なので文科小学を設けた最低限の学校もあります。
でも、基本的にメインは日本舞踊と、日本舞踊周辺の楽器。
日本舞踊って日本舞踊だけで成立しないので、音楽ありき。
三味線やったりとか、お囃子やったりが日本舞踊の周りに付帯していくみたいな授業のカリキュラム。
それらも勉強して。
実技メインで学校に行ってました。
今は名前も持っているというか、なんて言うんでしたっけ、名取とか名取の名前も。
そうです、そうです。免除をいただいて。
免除があって、今も続けられている。
そうですね。でも結構葛藤があって、やっぱり何分施術制度だったりとか、縦社会じゃないですか、我々は。
それはもうそういう制度上のことなので、仕方ないにしろ、やっぱりまず芸術全般やっぱりどう生きていくかということとずっと向き合わないといけないですし、
かつこういう古典芸能の業界はもちろんその接種制度になるので、
例えば会社とかだったら自分が法人化すれば代表じゃないですかみたいな。
やっぱりそういうことってもうほぼないので、私は別に家の両親がそういうことをやってた家系でもなくて、本当にぽっと出で始めたものですから、
そういうコネクションというか、その業界にすごく太いパイプがあったわけではないので、
やっぱりこう、この業界で生きていこうとしてもなかなか難しいなっていう環境的な部分もあったし、
あとはそうですね、なかなか厳しい先輩方も多いので、
なんかこう、すごく今思うと鍛えていただいて、あれがあったから今があると思うとすごいありがたいんですけど、
当時はなんかすごく違和感は感じてたんですよね。業界のその文化的なところ。
いいところもすごくあるし、でもやっぱり悪しきものもあると思ってるんですよね。
なんかそういうのとずっとなんか戦ってた感じです。10代、20代前半は。
なので、なんでしょう、日本舞踊が好きで始めて、いろいろ好きでやってたのが、だんだんその業界のことがわかってきたり、
そのルールとかがわかってきて、行くのって、自分のアイデンティティが日本舞踊だったり、東京芸大っていうもので、
なんか鎧がものすごくできてたんですよ、10代後半から。
ものすごくそういうふうに自分のアイデンティティを日本舞踊っていうものだったり、大学の肩書きですごく被せて固めてたのに、
そこの業界に対してのアレルギーが出ちゃったんですよ。
ものすごく反発してるんですよね、自分のアイデンティティと自分のいる環境に。
それがすごくずっとしんどくて、でもすごく変わりたいって思いつつ、でも自分のすべてが日本舞踊だったから、
全部を自分も否定しちゃうみたいな、っていう、自分を否定する、業界を否定というか、業界に違和感を持ってしまうと、自分を結局傷つけることになるので、
でも、その攻めき合いを多分20代の前半まで繰り返して、やっぱり大学なので4年で出るわけじゃないですか、
就職するの?しないの?みたいな話になるじゃないですか、でも芸大って就職率多分20%もないんですよ。
新たな道の発見
ってなると、本当に就職とか卒業後の進路の話って本当になくて、もうどうする?みたいな、気づいたらニートみたいな、未来が待ち構えている中で、
ずっと考えてたのが、日本舞踊家として生きることができるかもしれないけど、このままでいいのかなっていうのをずっと考えてましたね。
で、大学を卒業するタイミングで大学で私は働かせていただく声もいただいたんですけど、
日本舞踊とは違う可能性を見出したくなって、大学の仕事を受けたら、なんかそれが良かった、結構人生の分岐になりましたね。
日本舞踊家として生きていくか、もう行くっていう選択肢しかずっとなかったので、高校生ぐらいの時からあるし。
でも、違う情報もなかったので、日本舞踊家として生きること以外、生き方が分からなかったんですけど、
なんかどっかで、それだとまずくないかみたいなことを考えて、大学の方から大学のお仕事をいただいて、大学に5つも日本舞踊じゃない仕事もできて、
それで自分が新しい道ができて、今に至るというか、今に向かうきっかけはそこかもしれないですね。
そっか、そっか、それが仮になかったらどうなってたかって、それ仮の話なんですけど、大学で働くみたいなお話がなかった場合は何かしら就職なのか、分かんないですけどね、それ自体は。
でも、真っ当な会社に就職できなかったと思います。
そっか、そっか、かといって日本舞踊家としてやっていくっていうところも、自身としての葛藤があって、だからどうしていったかも分からないでしょうし。
分かんないですね。もしかしたらバイトしながらずっと踊りやってたかもしれないですけど、将分的にいつかは違うことやってたかもしれないなと思いつつ、どうなってたんでしょうね。
20代前半ぐらいまでの葛藤みたいなものって、今その時ってなかなか言語化しづらい、その中にいると。今だとある程度客観視というか時間が経ってたのか、今実際お話くださったからそういう状態なんだろうなと思うんですけど、どうっていうか、どんな感じなんでしょうね、感覚というか、感触というか。
でも、なんかこのままではいられないというか、やっぱりその自分のアイデンティティとその自分のいる環境のこのなんかデコボコ加減というか、なんかやっぱり何か変わりたかったんですよね。
変わりたかった結果、日本舞踊を一回封印しました。封印というか、一回アイデンティティを壊すっていう作業というか、時期はありました。一回日本舞踊っていう肩書だったり、そういう大学に行ったとかっていうことを全部伏せて、全く関係ない仕事をしようと思って5年ぐらいしたので、日本舞踊じゃないとなんか自分って認められないんじゃないかなって、たぶんすり込みがあったんですよ。
でも、たぶんそのままだと、たぶん今それやってずっとそれやったらたぶん一生それじゃないですか。
だから、変えるなら早い方がいいって思ってて、一回日本舞踊っていうものを本当に封印しましたね。見にも行けなかったですし、人にも会いたくなかったし、本当に普通のサラリーマンやったりっていう時期がありましたね。
言い方あれですけど、しんどいんですよね。
しんどかったですね。なので、やっとなんですよね、たぶん戻ってこれたのが。
ちょうど2週間ぐらい前か、に実は踊りのお仕事をいただいて、すごい久々というか、お仕事をさせていただいたんですけど、
企業の役員さん向けに10人ぐらいの、本当数人なんですけど、結構大きな会社の上々企業の社長さんに向けて、日本舞踊とか日本の伝統芸能のコンテンツのワークショップしてもらえませんかっていうお声掛けをいただいたんですよ。
でもそれって今のこういうアートとか、こういう企業向けのとか、こういう仕事をしてたから実はいただいたご縁で。
なるほど、そうか。
やっとこの会社ができて、ポップロックっていう会社を作り、自分の向きたい方向というか、今までずっと自分のアイデンティティが日本舞踊で、それ一回崩壊させて再構築しだしたのが、たぶんこの会社の作った時期なんですよね。
なんか自分の手で自分というものを作り上げていく過程で生まれてるんですけど、なんかこの会社ができて、この会社の事業を通じて、なんかこう私という人間を知ってくださる方が増えたんですよね。
で、蓋を開けてみれば実は私のルーツは日本舞踊っていう、そこにすごく魅力を感じてくださった方とかが出てくるようになって最近。
なので、なんかそういうのってお願いできないんですか?ワークショップとか踊りって踊ってもらえないんですか?って相談いただいて、なんかその最初そういうお願いが来た時は、現役のもっと私より若手の人をご紹介しますって言ったこととかもあったんですけど、いや小澤さんだから頼みたい。
小澤さんのそういう背景があって、今そういう会社やって事業がある小澤さんにだからやってもらう意味があるって言われるようになって、それなら意味あるな、私がやる意味それだなって思って、今まで日本舞踊家としてだったら、日本舞踊家なんて世の中には少ないんですけど、業界にいればいっぱいいるじゃないですか。
だから私がやる意味って何なんだろうって多分思ってたんですけど、今ってもうこういう自分の事業があって自分のやりたいこととかがある程度言語化できたり明確になってきて、これを知ってる人が私に頼んでくださるっていうことは、私が踊る意義ってここだなってやっと分かったというか見えたんで、
こういう背景のある小澤だからできる表現があると思い、お仕事を再開させていただくようになりました、最近。
踊りの意義の再発見
そういうことか、すごいですね。
そうですね。日本舞踊だけやってたら、踊りをただやる人以上に自分の価値見えなかったんですよ。
それ私の問題なんですけど、好きだったら理由なくできるじゃないですか。でも私は理由がないと多分できない人間だったんで、やっとこの運用曲折を経て、この会社ができて、事業があったから舞踊家としても再出発できるようになったって感じですね。
どうするとすごい気が楽になって。
技術的なことの追求も素晴らしいなと思うんですけど、技術とかじゃなくて、私だから価値が出ることっていうのがあるのかなとか、
そういう技術史上主義みたいなところがきっと当時あって、そこからも一皮剥けた自分がいるので、すごくいい経験になりましたね。
それは、小澤さんじゃなきゃできないことってまさにおっしゃる通りで、その今お話しくださった物語があって、一回封印ということも使いましたけど、というものがあるからこそ、一回またビジネスを立ち上げるというところからの再構築で、改めて出会ってるみたいな感じに聞こえましたね。
そうですね。なので、技術的にはすごく上手い人なんていっぱいいらっしゃいますし、なんなら日本舞踊よりは歌舞伎の方が親しみやすいじゃないですか。歌舞伎の方がチケット買えば歌舞伎団でやってるしみたいな。
歌舞伎役者さん見た方がいいんじゃないかとか、舞踊家ももっと現役のバリバリやってる人の方がっていうのもあったんですけど、でもその人たちにないものがあるんだろうってやっと最近思えて、それで私が舞踊家として名乗って活動すると、今度ここのギャラリーの運営の意義にも通じてくる。
それはアーティストが、アーティストとして生きていく壁みたいなものって常日頃あると思ってて、でもそれを乗り越えるじゃないですけど、継続することが多分すごく大事なんじゃないかなって思ってるので、
そういう風に続けていくのが大事だよとか、いろいろ口では言えるんですけど、自分が体現してた方が説得力あるし、自分が芸術家だからこそアートが企業に必要なんだよっていう、私が経営者であり芸術をやってる人間だから企業さんにも響くところがあるから、
全部がやっと繋がりましたね、10年くらいかけて。
そういうことか、本当そうだ。そのタイミングで今ここに来て話聞いてるのがすごいなって思っちゃったんですけど、ちょうどいろんなことがあって、でも今日言ったら初対面じゃないですか、その中で今小澤さんにとっての話がちゃんといろんな話が繋がってきて、じゃあここからみたいなタイミング。
もちろん授業始められてしばらくも経ってますし、なんだけど日本舞踊というものが新しいところからまた来て、じゃあここからなんだみたいな風に聞こえて、すごいってちょっと僕は勝手に思っちゃったんですけど。
ありがとうございます。やっと繋がってきたので、とりあえず勢いよく走ってた。走ってたら迷子になりながら、ただただ道なき道をみたいな。
今までずっと草むら走ってたんですけど、草むら走り続けてたら草が踏まれて、やっと道っぽいのできてきた。これから舗装しますみたいな感じです。
そういうことか、そういうことですよね。ほんとそんな感じします。見えないとかよくわからないけどとにかく進んでいくみたいなことをされながら、なんかどうやら、きざしみたいな。
やっと見えてきたかな。これからだなって感じ。
日本舞踊の厳しい伝統や業界のしきたりに葛藤し、このままでいいのかなという思いを抱いたという小澤さん。今だからこそ、やっと見えてきたかな、これからかなという言葉が印象的です。
一応この聞く人では、お仕事と好きなことを聞くっていう感じなんですけど、好きなこと何ですかって言われたら何てお答え。
それすごい難しいですよね。
人によっては趣味的なことを言うかと思って、あるいは思いとかこういう行為みたいなことを言うかと思って、捉え方は人それぞれなんですけど、何ですよ。
でもそれで言うと、なんか趣味みたいなものってあんまりなくて、踊り趣味かって言ったら趣味じゃないですし、
そうですね、仕事がレジャーみたいなところがあるので、仕事楽しいからそれ以外あんまり何かするってこともないんですけど、しって言えば散歩です。
散歩。散歩の何が好きというか。
大体ですね、歩く距離で言うと、短くても1日20分30分歩くんですって、調子がいいと家の近所をぐるっと一周回ると5キロぐらいを1時間ぐらいで歩けるコースがあって、
とりあえず悩みあったら5キロ歩けば解決するっていう。
いいですね。
本当にオススメします。鬱になりそうだったら歩こうみたいな。
すみません、それは鬱の方は大変だと思うのであれなんですけど、とにかく悩んだら歩く。
歩く。
散歩の重要性
5キロ歩くじゃないですか、ものすごいむしゃくしゃしてることがあったとして、歩きなして1、2キロぐらいはむしゃくしゃしてるんですよ。
1、2キロぐらいはむしゃくしゃしながらものすごく鼻息あるかという。
で、2キロ過ぎたぐらいからだんだんなんかどうでもよくなってくる。
ひたすら歩きながら。
で、最後の1キロぐらいなんか楽しくなってご機嫌よく家に着くっていう。
1時間でやりきるストレスの発散を歩くことで。
もう毎日歩いてる?
毎日じゃないんですけど、
できるときは歩く。
時期的にまあ暇って言ったらあれなんですけど、
人と歩くのもいいなって思ってて。
例えばですけど、今こうやって対面でお話しさせていただいてるじゃないですか。
でもそれはもうお話しするのがお仕事だから多分ご上手だと思うんですけど、
誰でも彼でもいきなりこんなこう、こんにちは初めましてで会話盛り上がることってないじゃないですか。
でも話しなきゃいけないみたいなことってあると思ってて。
そのとき散歩しませんって言って歩く。
歩くと大体話はずむ。
分かるそれ。
なので相手のこと知りたかったら一緒に散歩すればいいって思うんですよ。
でもそうかそうですよね。
そうです。
例えば対面で、今日は初めてお話しさせていただいて色々聞いてますけど、
そうじゃないときとかにやっぱり沈黙とか気まずさとか、
どうしようみたいな時間って散歩してると許されるというか、
助けられる風景とか。
そうです多分情報も変わってくから外が、視覚が変わってくから情報が常に更新されるじゃないですか。
だからネタはいっぱいある。
ネタはいっぱいある。
そう、とかになるんだろうし、あと許されるというか、
沈黙でも構わないというか歩いてれば。
でも案外沈黙しないですね歩いてると。
むしろこう色々こう。
なんか弾んでくんですよね。体が動いてるからか。
それもそうか。
多分体の動きと連動して会話が弾みやすいと思うんですよ。
面白い、そっか。
歩くって。
分かんないですけど、私は多分乗りやすいんで、
私が乗ってれば、私が喋り続ければこう。
話しかけ続ければ盛り上がるじゃないですかみたいな。
そういうスイッチとして一緒に人と歩くとか。
だから何でしょう、うちあの、
あれ、なんかどうだろう。
うちの役員と色々あーでもないこうでもないって喋る時とかあるんですけど、
案外散歩するんですよね二人で日本橋の。
あーいいですね。
ちょっと疲れたから散歩しようみたいな。
うん。
で、話しながらアイディア出しするとか。
あーでもそう、いいと思います。
っていうのですね。
なのでこうちょっと趣味みたいな話ではないですけど、
歩くと何事も解決していく気がするっていうね。
見えないものの大切さ
あーそれめっちゃいいですね。
運動にもなし。
でもやっぱりある種の瞑想っぽいんだと思う、歩くっていうのは。
そうだと思います。
なんで私は多分じっと目をつぶって、
呼吸をとかよりは歩いて外の空気吸ってみたいな。
なので今ちょっと録音撮ってるんで窓とか閉めてますけど、
日頃窓全開だし、とか外歩くとか。
だからそういうのはすごい気にしてるというか好きでやってます。
そうか。
またこの辺日本橋ですけど、いいじゃないですか。
どこでも行けるというか、どこでも行って楽しいというか。
そういう感覚。
住まいは別?
住まいはもうちょっと新宿とか渋谷よりなので。
そしたらそこの近所を?
そうです。その近所もそうですし。
でも家の近所で歩くことが多いですかね。
この辺だとこうやって見るように、うちは紙棚とか飾ってるんで、
やっぱりアートなので見えないものとかはちょっと大事にしてる部分があるというか。
アートを見てるようで、私は結構そのものを生み出した人間を見るようにしてるので、
見えないものとかはちゃんと大事にしようと思ってて。
なので好きなものというか趣味で言うと、割と神社とか神様とかご先祖みたいなものはすごくちゃんとしてます。
うちの役員にも一緒に先祖供養とか言ってますね。
先祖父が先祖供養やってくれるので、
なので私の周りというか一緒に事業やってる人とかには、
そういうものは大事にしてくださいとお願いして一緒に神社行ったりとか。
明日が1日なので、1日と15日は神様に挨拶するとかはちゃんとしてます。
散歩と平和
へー、なるほど。
歩くといっぱいあるんで、この辺も。
あー、そうですよね。
そっかー。僕も毎朝歩くんですよ、基本的に。
あさんぽ。
あさんぽって言うんですね。
わかんないですけど、私はあさんぽ好きですよ。
あさんぽをご飯食べて30分くらい近所を歩いて、
最後というか途中で神社行って周りして帰ってくるっていうのをやってて、
やっぱりそれしない日もたまにあるわけですよ。
そうするとなんか気持ち悪いなみたいなぐらいになってるし、
やっぱり散歩によって何かすっきりした状態でということはもう何年もやってるので、
いいですね。
やっぱそれが一つのスタイルになっちゃってるので、
すごく散歩っていうのを追っていいですよね。
散歩で平和を訪れるんじゃないかぐらいの。
そうだと思います、本当に。
万事解決みたいな。
そうですそうです。
あるかもしれないですね。
なるほどなー。
いや嬉しいですね、散歩でここまで共感してくださるの。
本当ですか。結構ね、おすすめしたり僕もするんですけど、
ピンとこない方もたくさんいらっしゃったりとか、
ここでしょみたいな。
あと朝散歩してると年をある程度重ねた方が多かったりとか散歩してる人たちが、
やっぱそうなんだろうなっていう、ある程度人生の達人の人たちは散歩するみたいな感じで勝手に思ってるんですけど。
全然修行足りないんですけど散歩は好きです。
散歩は本当にそうですね、しますね。
なんかいろんなものが生まれるってこともあるし、
慣らされるというか。
そうですね、アイディア出てくるんですよ。
アイディアは出ます。
やっぱ机向かってるだと出ない、全然出ない。
でもそこで飽和状態にしておいて出ると、あれこれでもいいんじゃないみたいなものがポロッと。
なんか急にこうやって出てくるんですよね。
出ますね、あれ不思議ですけどね。
なんかこう室内とか机の上でずっと考え抜いて、
ああもう無理だって言ってバーって外出たらポッと出てくるみたいな。
本当そう、それです。
それはありますね。
でも期待すると出ないんですよ。
横島な気持ちがあるとダメで。
全然別のこと考えるときにポロッと何かみたいな。
力抜けたときってことなんですかね、お風呂入るとか散歩するとか。
そうだと思います、そういうことだと思います。
一回そこに脳みそが執着してたものとちょっと別のところに意識を向けて。
そうですね、一回忘れるみたいなところに行くことで何かが繋がったりとかなのかなと思ったんですけど。
3人同じくです。
そうか。
散歩が好きとおっしゃる小澤さん。
見えないものを大切に、そして散歩で平和は訪れるという思いには私自身も非常に共感を覚えました。
そんな小澤さんに次回さらにお話を伺っていきます。
28:28

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