前回に引き続き、株式会社POPROCK代表、小澤茉子さんにお話を伺います。
今回はまず、踊る時は何を考えていますか、という質問から始まります。
株式会社POPROCK:https://pop-rock.jp/
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サマリー
株式会社ポップロックの代表である小澤茉子さんは、踊りや日本舞踊に対する考え方や、芸術及びビジネスに対する視点を語っています。彼女は注意を一点に集中することの重要性を説きつつ、長期的な視点の大切さを述べています。小澤茉子さんは、ゴールが見えない状態こそが人生を豊かにすると考えています。彼女は、長期的な視点を持ち、コストパフォーマンスではなく豊かさを追求する姿勢や、芸術における豊かさと探求の重要性について語っています。また、小澤茉子さんは未知の領域に耐えることの重要性と、芸術がそれを教えてくれることについても触れています。彼女は耐える経験を通じて、新たな視界が開けることを実感しています。
00:04
ゆいなわさんの聞く人ラジオ
みなさんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
踊りにおける思考
前回に引き続き、株式会社ポップロック代表、小澤茉子さんにお話を伺います。
今回はまず、「踊るときは何を考えていますか?」という質問から始まります。
踊っているときって何考えていますか?
それよく言われるんですけど…
あ、よく言われますか、はい。
何考えているんだろうな…
でも、あんまり何も考えていないんですよね。
例えば踊り、振りがあるじゃないですか、一連の。
それはもう体に入っているでしょ?
何も考えないで踊らないと、体に入っていないんですよ、振りが。
考えながら踊りをやると、振りが染み付いていないんです。
むしろ、考えながら踊っている間は、覚えられていないんですよ、振りが。
そういうことか、そういうことか。
考えずに体が動く状態までしないと、振りって飛びます。
そこまでまずは行くってところですよね。
私、この間ワークショップで、2曲踊りを踊らせていただいたんですよね。
演奏の方も街形さんって言うんですけど、演奏の楽器の方。
演奏の方と私とで3曲やっているんですよね。
うちの2曲は踊りなので、私は2曲を稽古してイベントに挑んだんですけど、
1曲は結構有名な富士娘っていう日本舞踊の有名な曲なので、
それはもう何となくずっと体に染み付いているんですけど、
もう1曲がご主義者という縁起の良い老月っていう曲だったんですよね。
女と男の振りだったんですけど、老月っていう曲が1回やったはずなのに、
全く振りが思い出せなくて、うちから始めたような感覚で今回さらってたんですけど、
まあ振り入らなくて、全くもういつまで経っても振りが入らないので、
深夜に泣きそうになりながら毎晩ここで一人でやってるような感じだったんですけど、
自主練習を、やっぱり考えながらやってるうちは振り入らないんですよ。
不思議なもので、何も考えずに勝手にその曲を聴いて体が動くぐらいじゃないと、
覚えたに入らないんですよね。
考えたら多分何も考えてなくて、次の振りなんだっけって思った瞬間に多分取るんですよ。
よく言われるのが、何考えてるのかと、どこ見てるのかはよく言われます。
視線の運びと空間把握
日本描写は多分目の運び方が特殊なので、こういう見方は絶対しないんですよ。
鼻で見るって感覚なんですよね。
あえてこうやって目で、全部音声なのでまだ伝わらないですけど、
すいません、伝わらない話をしちゃうんですけど、
日本舞踊とかって、あえて意味を持たせるって意味で目だけこうやって動かすこともあるんですけど、眼球だけ。
でも基本的には鼻の先を見るっていう、なので首と一緒に全部動くんですよ。
そういうことか。
そうです。
ああ本当だ。
こういう。なので焦点合ってない感じに見えるんですよ、多分。
ああ、そっか。
その、チェーセン見るみたいな。
みたいな感じです。
そうですよね。
そうですそうです。そういう感じです。
なので近くで見てても目が合わないし、どこ見てるのか。
でも我々も踊りの中ってやっぱり色んな景色とかの表現とかあるんで、
あえて見るっていう動きをすれば見るなんですけど、
大概もっとこの会場よりも大きい世界線で演技というか踊りをしてたりするので、
多分そういう不思議さはあるかもしれないですね。
そうですよね。
僕のことであれなんですけど、昔お芝居やってて、演劇的な。
その一環でもないけど、ちょっとの時期だけ2日分やってたんですよ。
なのでちょっとだけ踊った時期があった時に教わったその視線の運びというかは、
遠景を見るみたいなっていうのは、そうなんだなーぐらいのことは思うんですけど、やっぱりそうなんですよね。
そうですね。
物とかこう、あえて見る。
その動く振りというか、そういう芝居の中で見るとかもあるんですけど、
なんかこう、全部こうやって見てるとちょっと違うんですよね。
そうですよね。
なのであんまり考えないし。
でも考えてないから見えてないわけでもなくて、
私は案外、ちゃんとどこに誰がいて何をしてるかっていうのを、
踊りではこっち見てるんですけど、視線はこっちいるんですけど、こっちの空間把握みたいな。
右見てる時に、右上に顔も見てるし目も見てるんですけど、
左側の雰囲気とか感じ取れるタイプなので、
こっちで誰かが物を落としたとか見えちゃう。
そっかそっか。
みたいな、そういう感じはありますね。
面白い。
それは、でもそうだと思いますよ。
やっぱりお客さん、見るって実際は見えてるわけだから、
なんだけど、その中で芝居の置き方をこの辺ちっちゃくしておくのか、
本当に広く持っておくのかで、っていう感覚。
あ、そうですそうです。
そうですね。なんで焦点当てて見てるのか、
視界に入ってるかの感じですよね。
そうかもしれない。
でも、またちょっと話ずれるんですけど、
比較的私のやろうとしてることというか、
芸術とか、企業向けのこともそうなんですけど、
1点を見るみたいなことじゃなくて、
空間把握みたいな、そういう概念かもしれないです、全部。
そういうことか。
共通してますね。
ちょっと抽象度がすごい高い話になっちゃうんですけど、
やっぱりここを見ようみたいな、
あの時としてこれを見るみたいな、
1点に向かって何かを見ようとするみたいな、
正解を見出すみたいなことって大事だと思うんですけど、
これだけしか見えなくなると思っているので、
見る技術は、
見ようとしたら、
人って見ることはできると思うんで、
むしろ見ることとか、正解を導くとか、
そこに焦点を向けることっていうのが、
多分今の現代人って得意なので、
もうちょっと俯瞰するっていうことが、
多分テーマに近いんですよね。
そっかそっか。
多分全部のことに、
それは共通してます。
例えばアーティストも、今、
今目先の、例えば展示とかに集中したい気持ちも分かるけど、
その目先のことだけやってると、
やっぱ、
長く続かないというか、
育つものも育たないじゃないですけど、
もうちょっとこう、俯瞰する。
数年後を見るみたいなことも必要だし、
企業というか、その事業も、
やっぱ数年後じゃないですけど、
目の前のことを見ようとすると、やっぱ絶対つらくなっちゃうので、
なんか俯瞰するみたいな、
少しこう、
そういう感覚がでも全部にあるかもしれないです。
長期的視点の重要性
今お話ししてて思いました。
なんかすごく、
たぶん私が日本舞踊やってたから、
すごく世の中に対して違和感を持つことがあって、
日本の芸能って、
20年とかやっても、
全然若手なんですよね。
40代若手なんですよね。
そうか、そうか、そうですね。
50、60が中堅なんですよ、みたいな領域なんです。
私もなので、
始めた時が14とかなので、
もう17、8年なんですよ。
でも17、8年やっても、
日本舞踊って上手くなったって思ってないんですよ。
そっか、そっか。
お茶もそうなったと思うんですよね。
何年やっても、
そうですね。
多少日清月報的なことはあります。
だけど、やっぱり、
今って、
例えば5年で売却とか事業だったら、
すぐに結果出したいみたいな、
何か数ヶ月で売上何百万みたいな、
独立しようみたいな、
あるじゃないですか、コピー。
すごく違和感があるタイプでして、
何十年もやって、
40年やってやっと見える世界があるし、
じゃあその見えてない時期がしんどいかって言ったら、
しんどい時もありますけど、
そういうふうに長い目で物事って進んでいくし、
その中にすごく人間の醍醐味があるっていうのは、
まだ言語化できてないんですけど、
当時言語化できてないけど、
そういうのってたぶん私、
ちっちゃい頃からあるんですよね。
そこに何か豊かさがあって、
全部すぐ叶えられちゃったら、
たぶん人生めちゃめちゃつまらなくないですか。
そうおっしゃるとおりだと思います。
っていうのが、
今世の中ってそれがすごく一般的になってて、
いや、そうじゃないんだよねっていう。
なので、今私、
授業ですごく一番面白いなって思ってるのが、
これうちの役員とも話すんですけど、
よく40歳クライシスって言うんですか、
言葉はありますよね。
急に生きる意味なんだっけみたいに、
特にもうすぐ20代30代バーって走り抜けた方が、
燃え尽き症候群になるみたいなことってあると思うんですけど、
たぶん我々ならないよねっていう話してて、
なんでかっていうと、
芸術っていうこのコンテンツが、
あまりにも抽象度が高いし、
まだ世の中的に、
特に私がビジネスに置き換えようとしているものって、
やっと黎明期に入りかけたかどうかの領域なんですよ。
だからまだ未知数なんですよ。
未知数だし、
どれくらい成長率があるのかもわからないし、
なんなら別に爆発的に成長しなくてもいいじゃないですけど、
世の中に普及はさせたいと、
一般化させたいなとか、
届けたいっていう気持ちはあるけど、
それが全てじゃないしねっていう、
ゴールが見えないことの重要性
ずっと哲学みたいな授業になっているので、
そのある種の先が見えないというか、
ゴールが見えないことがむしろいいみたいな感覚があって、
これがあると人生めっちゃ豊かだよねっていうことが、
わかってるんですよ。
これ多分5年で売却してお金いこうとか、
それが悪いわけじゃなくて、
それができたらそれはそれでいいんですけど、
その次がないと多分しんどいと思うんですよね。
そっかそっか、そうですね。
それが、なんて言うんでしょうね、
長くものをめでる、
例えばこういうものもそうですよね。
長くものをめでるとか、
何年でどうにかしようって、
何か成し遂げようみたいな計画性も大事だし、
そういうのもあることも素晴らしいし、
私もそういうのはいいと思いつつ、
でももっと抽象度高く、
何だろう、
何かを追いかけるというか、
突き詰めるというか、
そういうものが人間の醍醐味だなっていう感覚で、
そうすると、
ここに1点に何かを見ようとするとか、
集中しようとすることって、
これと反対なことなので、
向かうことは多分設計すればできるから、
もっと俯瞰していくっていう、
遠くからものを見るみたいな技術を身につけた方が、
私は面白いんじゃないのっていう、
もういいじゃん、突き詰めっていう、
高度経済、高度経済成長において、
もうものすごく突き詰めたんだから、
もう詰めたじゃんみたいな、
もう文明生き切ったじゃん、
AIもこれから来るし、来たし、
じゃあもう人間は人間らしく、
文明は文明として生き切ったら、
人間は文化的になっていこうよっていう、
どんどん俯瞰していこうよっていうものが、
テーマかもしれないですね、全部。
俯瞰的な視点の重要性
確かにそう。
効率とかコスパとか考えたら、
生きてることが一番無駄じゃないですか。
極端なこと言いますけど、
コスパとかいろいろ言ったら、
生きてることって何?ってなっちゃうんで、
もっと豊かさって多分コスパ悪いものだから、
そういうものがもうちょっと、
人の生活というか価値観に入っていったら、
もっと楽しい。
そうか、めっちゃ面白いですし、
小沢さんの今までお話しされた中に、
やっぱりそういうのが通送低音というのか、
流れてるような感じもわかるし、
例えば日文において、
トークを見る目みたいなのっていうのは、
一つの俯瞰した目というか、
鳥の目、利権の権みたいな、
そういう感じの視線。
授業は授業でやってますけど、
それも特に終わりとかじゃなくて、
長い目で探し続けることもそうですし、
好きなこと散歩じゃないですか。
散歩も、
散歩って別に効率とかそういうこととは
無縁な話というか、
ただそこにいて、
黙々と歩くっていうことって、
非常に人間的というか人間的だし、
そういうものが小沢さんの中に流れてるという感じが、
あ、だからだ、みたいに。
だから今の行為があって、
日文もあって、
今そうして、今ここにいて、
みたいな感じを思いますね。
そうですね。
なので、わりとやってきたことが
通じてきたなという感じですね。
踊りを踊る際は、
曲を聴いて体が勝手に動く状態になるというお話。
そして俯瞰すること、
長い目で進んでいくこと、
そこにこそ豊かさがあるという言葉は、
日本の伝統芸能の世界で長く歩んできた小沢さんだからこそ、
実感でき、語ることのできることに思います。
芸術家が芸術いいよっていうのって
当たり前じゃないですか、自分がやってるから。
でも、それを芸術やってない人に届けるためには、
その人たちに、
芸術の良さを知らない人の気持ちも知らないと、
届かないというか。
なので、何でしょう。
わりと何かに執着するっていうことは、
あんまり好きじゃないんですよね。
まずは、全部触ってみるみたいな。
触ってみないと、
触ってみないと暑いか冷たいかもわからないのに、
見た目で、あ、冷たそうみたいな。
でも触ったら別に暑くないかもしれないじゃんみたいなことって、
日常的にいっぱいあると思うし、
触ったから、これ実は別に暑くないよみたいな。
芸術と人生のつながり
それがわかると、いろんなことが、
いろんなことを知ることもできるし、
伝えることもできる。
私の場合は、日本病っていうもので、
そんなこと誰も言ってはきてないんですよ。
今私が言った、
ある種のコスパの悪いことが人を豊かにするみたいな話は、
別に踊りをやってて、踊りの先生から言われたことって一回もないし、
何もないんですけど、
それをやってて、無意識にも、
同じ芸術を、同じ芸を10年とか20年とかやってて、
感覚的に知ってて、
それがある時にふと認識したっていう。
だから言われて気がつくことも大事だけど、
ある種の、芸は盗めみたいなところも、
やっぱり持っているというか、
芸は盗むものだから、何でもかんでもこれはこうですかって聞きたくなっちゃうし、
今って多分教えてくれる研修の制度とか、
っていうのも大事だし、
言ってくれないとわからないっていうのはそうなんですけど、
でも言わないとわからないっていうのも怖い話だなって思って、
芸は盗むからこそ意義があるみたいなところも、
感覚としてわかる。
それは多分すごく、
10代の時とか20代前半の時はそんなこと考えてもないですけど、
今いろんな授業とか、
こういう世の中でいろんな人と会ったりする中で、
あの時自分がやってたことってこういうことだったかもね、
みたいなのが全部回収されていく。
そういうことですよね。伏線が回収されていくみたいな感じ。
だからこうなんだみたいな。
だから、そういうコスパって言われている、
タイパとか言われているものと、
相反するものが実は人間にとって大事だよねっていうことも、
やっぱり10何年やってたから自分はそう、
体感として知ってるっていう、
感覚として知ってるみたいなところと、
あとは何でも教えてくれ、言ってくれないとわかんないみたいな、
そういうことじゃなくて、
やっぱりその盗むことに意味があるみたいな。
盗むから身につくみたいなものもあったりとか、
見る技術もそこで養われるとか、
そういうなんか日本の良さとかも、
踊りだけやってたら私わかんなかったかもしれないですね。
踊りの人間として、
それは伝えてたかもしれないです。
踊りは盗むものだから。
だけど、踊りの視点じゃなくて、
それって普通に生活に落とし込めるよね、
生き方としてそれって、
同じこと言えるよねっていうのは、
別のことをやったから言えるようになったというか、
偉そうなことは言えないですけど、
なんかその感覚というか大切さは身に染みてる。
そうですね。
そういった意味では、
いろんなことを手当たり次第やって良かったりとか。
そうか、そういうことか。
やっぱり小澤さん自身が、
実際のご自身の体験を通して獲得してるから、
日本舞踊があるっていうのは踏まえて、
言葉として感覚としてそこがまず起点になりながらも、
ビジネスの世界に入っていって、
自分で経験して体感して、
これはこうかな、ああかなっていろいろトライアンドエラーを繰り返しつつ、
自分のものとして獲得して、
かつ言語化できてるから自分の中に入ってて、
踊りが入ってない状態じゃないっていうことでお話しくださってて、
今それが繋がってるっていう感じが、
おおーってなりますね。
面白いです、すごく。
ありがとうございます。
そうですね。
なので、こういう感覚はあるので、
ただじゃあ、
実務ってそれ言っちゃうと、
いちもさちもいかないことってあるので、
なので私はその、
自分とは違う脳みそを持ってるパートナーを巻き込んで、
巻き込むから、
新しい事業が成り立っていきそうですね。
これ私の脳みそだけでやってたら、
多分、
事業としてはやっぱり、
すごい細いというか、
すごい頼りなくて、
なので、
私はあくまでも、
そういう自信を持っていくことがある種の役割。
でもちゃんとこれを、
これを骨太にしていく仲間がいないと、
成り立たないので、
なんか、
そうですね。
なので私はこう、
指し示すことに集中して、
あとはこの、
骨を太くしてくれる人を増やしていけたらいいなって感じですね。
そっかそっか。
めっちゃ面白いですね。
すごいと思う。
ここまで、
今たぶんお会いして、
そんなに1時間とか1分の中で、
結構なとこまでお話が行ったような感じに思いますね。
すごいです。
ちゃんと思いが出てますし、
途中で気づきもしたじゃないですか。
どうやら、
耐えることの重要性
何て言うんだろう、
長い目でというかところとか、
あと非言語な部分とか、
っていうことをやっぱ思われているっていうこととか、
それがあるから今があって、
でもまだわからない部分もたくさんあるわけだから、
それを探しながら。
そうですね。
そのわからない部分っていうのをストレスに感じちゃうと、
現代人ってたぶんわからないことってストレスだと思うんですけど、
わからないことを許容する技術っていうのがすごく大事で、
それはやっぱり芸術の醍醐味なんですよね。
そっかそっかそっか。
抽象画を見てわからないから、
しんどいじゃないですか。
私もあるんですけど、
全然あるんですよ。
わかんないな、何これみたいなのって。
普通にあるんですけど、
わからないとか見えないことを許容することの大事さみたいなのも、
やっぱり芸術が教えてくれるし、
それがたぶんこれからの時代性にあってくる。
踊りの話になっちゃうんですけど、
実はうち役員に斧を習わせてるんですよ。
私が斧を習ってって言ったんですよ。
芸術に全く関係ない人間を入れてるんで、
あえてなんですよ。
芸術家で組んでも発展しないかもしれないっていう。
あえて違う資座の人間というか、
視野の人を入れたかったので、
うちの役員はもともと全然芸術の調理系なので、
そういう人を入れて、
でもなんとなく感覚的にわかった方がすごくスムーズなことっていっぱいある。
特に芸術のことだと。
私、やっぱり意思疎通がうまくいかない。
なんでこれわかんないの?みたいなこととかって、
特に会社作って1年目とかめちゃめちゃあったんですけど、
芸術アートの会社を一緒に始めたんだから、
ちょっとなんか始めてほしいんだよねって言って、
オノオにしてもらったんですよ。
それなんでオノオなんですか?
うちの役員は別の会社もやってるんですよね。
経営者だったら、お茶かオノオかな。
日本のことやってほしかったんですよ。
西洋のこと。
日本の方が多分向いてるなっていうのもあって、性格的に。
日本舞踊じゃないな、まず。
オノオだなって男の子だし、武士の芸能行ったらいいんじゃないっていう。
オノオやったらやっぱり変わりましたね。
本人もめちゃめちゃ変わったということで。
何の話しようとしてたんだっけ。
オノオやってるんですけど、最初わけわからないんですよ。
いきなり行くと。
いきなりこうやって右手、右足、旗振りのアッカー上げてみたいな、
そういう状態なんですよ、多分ずっと。
しばらく、1年ぐらい。
1年ぐらい旗上げゲームみたいに、右手、右足みたいな、
左手、左足みたいな、
わかんないけど、よくわかんないことに耐えてると、ある日突然なんか通じるものがあるみたいな。
その感覚がわかったことがめちゃめちゃ嬉しくて、
見えないんだけどやり続ける、その耐久性というんですか、
忍耐みたいなのもすごく大事で、
そういうのって多分今の時代、あんまり身につかないじゃないですか。
新たな視界の発見
何でもすぐググったら出る、AIが教えてくれる。
答えがパッて出る。
耐えられないんですよね、今の時代。
だから文字も読めなくなっちゃうし、動きのないものってすごくしんどいっていう。
わからないものをある種、わからないなりに続けてると、
繋がっていくみたいな、ふと全部見えてくるみたいな、
急に視界が開けるみたいな、そういう体験をしたって言ってて。
これがわかるとちょっと解像度変わるんですよね。
仕事のお互いの意思疎通の。
これって絶対ビジネスマン必要じゃないみたいな。
そうだと思います。
それだって実際、事業でももしかしたらやれることになっていくかもしれないし、
確かにそうですよね。
そういう体制がないというか、分かんない人には何言っていくか分かんない状態になっちゃうから、
今はそういうことね、みたいな受け入れがまずできるわけだから。
確かに。
やっぱその耐えて、耐えることが全てだと思って、
嫌なことはやめた方が早くやめた方がいいってこともきっとあるんですけど、
分からないからしんどいみたいな、
だからやめたいみたいなことではなく、
自分を眺めるみたいなネガティブケーパビリティの部分を養うと、
ちょっとこう、見えてくるものが違うよね、みたいな。
そっかそっか。
とかも芸術が教えてくれる良いところ。
アートも日本のものも多分関係なくある気がします。
分からないことを許容することの大事さ。
よく分からないことに耐えていると見えてくるもの。
そんな実感を丁寧に語ってくださった小澤さん。
これからも新しい挑戦を重ねながら、
ご自身の道を歩まれていくことと思います。
小澤さん、貴重なお話をいただきありがとうございました。
それではまた次回、湯沢さんのキクヒトラジオでお会いしましょう。
28:23
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