1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. vol.7 スタジオD2主宰・カワ..
2023-10-07 35:58

vol.7 スタジオD2主宰・カワイヒロコさんに聞く「ダンスな人生、そして夢」

今回は、ダンススタジオ・スタジオD2主宰の、カワイヒロコさんにお話しを伺いました。

ダンスとともに生き、ダンススタジオを経営しながら、今も踊り続けるカワイ先生。これからの「夢」についてもお話いただきました。

スタジオD2 https://studio-d2.net/
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00:03
ゆいなわさんの聞く人ラジオ。
みなさんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
今回はダンススタジオスタジオD2主宰のカワイヒロコさんにお話を伺いました。
東京文京区にあるスタジオD2は、このポッドキャストが公開される2023年5月1日で、なんと18年目になるのだそうです。
すごい、おめでとうございます。
ダンスと共に生き、今も踊り続けるカワイ先生だからこそのお話を伺いました。
カワイ先生に聞きたいことって、1個すごくあるのは、やっぱりダンスのことが聞きたいなっていうのを思ってて、
ダンスもずっと長くやってらっしゃるじゃないですか。もともと演劇。
もともと演劇です。
そうですよね。もともとの最初っていうのは、中学生とか小学生。
小学生から小中高大ってずっと演劇部にいたの。私演劇部にしかいないの。
でもダンスは5歳からバレエやってたから、それで私の演劇部ってすごい強かったんですよ。
私の中学校高校の演劇部って全国大会グレベルのところだったんですよ。
行かなかったけど、私は関東大会で負けたんだけど、
だけど私立なので素晴らしい行動があって、照明機材とかガンガン使わせてもらって、
私って昔から演劇好きだったと思う。今思うと。
中学校4年か5年、私演劇部立ち上げたんだもん。
立ち上げたんですか?
中学校に演劇部がなくて、やりたくて、だけど全然全然ダメで、その割には何もしなかったんですけどね。
ちびトラサンボーの野郎とか全然できないうちに卒業したんですけど、やっぱ好きなのよね。
そうですよね。じゃないと立ち上げないんですよね。
中学校で典劇部入って、その典劇部本当に強かったから中高一巻だったので、
じゃーっと演劇やってて、それじゃなくて、
早稲田にも演劇やりたくていったようなものだったので、
先生がもうこうだったのね。
お前早稲田に、お前早稲田に演劇やれって言われて。
子供だったし何も知らなかったから、それでいいのかと思ってはいとか言っちゃって。
でもね、ダンスやったんですよ。
だから痛かったことは、その中高はすごい強くて、
いろんな先輩とか高須賀みたいな先輩とかが支援に来るわけ。
強かったんですよ本当に。
私きちんとやったから中学校で典劇部。
それでダンスもやってて、私ダンスやっぱりすっごい好きだったのね。
お上手だったのね。自分でもなんとですけど上手くて。
だから振付なんかもやってて、今思ってひどい話。
ブンブンちゃう振付だったんだけど、恥ずかしいんだけど。
でもそういうのをやってて、だからずっと並行して。
私ダンスに入っても劇場のダンスなんか何にも関係ないからやってないんだけど、
03:03
あの時ね、私7つ、7つ多分高須賀のジャズダンス。
スタジオ一番外っていうね、今多分もう誰も知らないと思うんだけど、
アメリカのダンスマシーンっていうね、
多分日本でアメリカ人の先輩だから初めてじゃないかな。
すごかったんですよ。一晩60人も70人もいたの。
そんなにいなかった。もう50人いたんじゃない。
先生がいないのに。だから外国人の先生が教えるっていうことが
すごいことだったの、あの当時ね。
まだだって、何?縁がいくだけだ。まだそんな海外旅行なんか行けない。
私がだって、いくつ高校生ぐらいだよね。相当前ですよね。
それでやってて、スナイパー学校入って、
まあ月経の時は全然芝居しかしてなかったんですけど、
で、その後今度は縁に行ったもんだから。
縁は踊りやるじゃないですか。
ダンスに一部してやる。やっぱりお上手で、
私はやっぱり好きだなってことが分かった。
そこの先生、そこの縁の演出家と結局劇団を作って行ってしまうんだけど、
そういう派手な演出が好きな人だったの。
だからその人によって完全に感化されてますよ、その演出っていうのは。
派手だ派手だ派手に派手に。
で、ダンスもだから。で、結局中田さん、中田雑談スタジオっていうのがあるんだけど、
そこのダンサーさんがずっとついて教えてくれてたのね、その劇団。
それでもうダンス、当たり前な感じで。
やっぱりダンスは可愛いっていうのがあったので。
まあその辺の周りはクソだからね。
だからそうなんですよ。そんな感じでダンスを始めてニューヨークに行きました。
ニューヨークに行ったのはもう行きたいっていうのなのか、誰かは?
もう行きたい。
20いくつの時に初めて一人で行ったの。
それは旅行みたいなの?
遊びで。
遊びで初めての海外で。
役所やってるってわかると思うんですけど、そんな海外なら行かないじゃない。
行かないですね。
私なんかね、なんか、なんかの晩餐館かなんかの雑誌でさ、着物着て銀座歩きましょうでショートってさ。
へえ。
綺麗だったね、昔。
すごい。
それでさ、それで香港旅行がショーだったんだけど、私稽古に行きませんでした。
ちょっと今もう何言ってんだかわかんない。
そういうのってありません。演劇したことない。
演劇稽古がもう一番大事だったから、
そういう感じで海外なんか行かなかったんだけど、
でもね、そのダンスを教えてくれた先生がアメリカに結構行ってて、しょっちゅうでも行ってて、
それでもういつか行きたいなと思ってて、
20でいくつの時に一人で行ったんですよ、初めて一人で。
そういうとこ私本当に行動力があるから、知識がないのに行動力だけあるからさ、
なんか勝手に気づかちゃってる自分で。
もう一人で行っちゃってチケット取って。
私話ちょっと長いですよ。
なんかね、この話すごいんだけど、本当にまだ円がいくらかな、
まだ全然円が、ドルが高かったからね、100いくらじゃなかったと思うんだけど、
それでチケットを買おうと思って。
それでチケット買ったの、自分で航空機を。
それでさ、それ乗り継ぎだったことも知らん。
あ、乗り継ぎはしてたんだ。
ダイレクトじゃないのに、それも全然バカですから言いようがないんだけど、
06:02
デトロイトでね、ストップオーバーしたの、1回。
シカゴか、シカゴデトロイト?シカゴか。
シカゴだ。シカゴお部屋空港。
私がだから生まれて初めて行った空港はシカゴお部屋空港なんですけど、
そこで降りて、それで、そこでなぜか一泊して、
ホテルの空港で、それだって何にも分かんない。
もうバカだった。本当にすごい。
日本人が乗ってる日系の飛行機だから、降りて、
何となく一緒に着いたら誰もいなくなっちゃって、
私どうすればいいんだろうってなって、
ホテルに電話して迎えてきてもらうとか、そんな算段もなくて、
私本当にすごい、何も考えてないんだよね。
たまたま、エアポートホテルって近くにあるホテルだから、
なかなかの加減で行けて、
英語だとそんなにちゃんと喋ってないと思うし、
で行って、そこで一泊して、
翌日また頑張って空港に帰ってきて、
それでまた飛行機に乗ったんですよ。
ニューヨークに行ったと思って乗ったのね。
そうしたら、上がったらすぐ降りたのよ。
1時間で降りちゃったの。
でさ、なんでかなと思ったら、
それがまたストップオーバーだったの。
でもよくわからなかった。
それがデトロイトだったの。
それで、そんなことないだろうと思って、
ここはどこだった?デトロイトだって言われて、
デトロイトって車作ってるとこだなって。
それで、私はニューヨークに行きたいって一生懸命言ったけど、
とにかく降りろ降りろって言われるのね。
もうよくわかんないの。
とにかく降りて、
次のニューヨーク便は例えば3時だからみたいな。
ここに帰ってこいって言われて、
何だかよくわかんないけど、
今だったらもうどうしようってすごいちゃんと追跡するんだけど、
あの時ほんとバカだ。今でもバカだけど、
ポケポケしてて、空港の中とか歩いて遊ぶんだろうね。
それで、3時だと思って帰ってきたのよ。
時計見て。
そうしたら飛行機ないのね、もう。
なんでだって。
私がこのチケットを見せてたらさ、
その人がパッと手を掴んでさ、
ドォーってゲートを走り出して、
こうやって飛行機に呼び戻してさ、
え?そんなことあるんですか?
そう。時代がね。
開けてもらって、ダーって。
それがドメスティックな国内線になるから、
アメリカ人がバカなテンションあって、
後で私が行ってみんなこうやってバーって。
小娘がさ、まだ若い。
そうラッキーだラッキーだって言われてさ、
そうラッキーとか言って。
私の時間通りに一生懸命言っても誰もわかんなくてさ、
これ何だろうと思ったら何かと思う?
時差があったの。
そのデトロイトと、
近頃か何かわからないから。
時計、自分の時計見ちゃったから、
空港の時計見ればよかったんだけど、
これすごい話でしょ?
そうですね。自分の時計で動いちゃって。
すごいでしょ。
そういうことばかりしてきたの、
私人生において。
これはなかなかね、
なかなか私のアメリカとの出会いはなかなか。
で、よく行って、
その先輩の先生の紹介で、
何か日本人の人に紹介してもらったから、
その人たちに会ったりとかして、
お芝居とかも当然見て、
サンフラン一人で、
サンフランで一回ぐらい歩いて、
09:01
帰ってきたんですよ。
その時に心に決めたの。
私絶対ここに住もうと。
絶対住む、絶対住む、絶対住むと思って、
で、行きました。
そういうことでしょうね。
あとやっぱりね、
年も年だったの。
だけど、
やっぱり何とかしなきゃだと思って、
芝居は食えないし、
劇団は辞めたんですよ。
芝居じゃなくて、
ダンスの先生になったの、すでに。
20代から教えてるので。
なんだけど、
どうしようかなと思って、
自分の将来をね。
これも今日直っちゅうに言ったら、
きっとえーって言うだろうと思って。
何が一番楽しいかと思った時に、
踊ってる時と飲んでる時の楽しいと思ったの。
飲んでることを仕事にしちゃうと水仕事になっちゃうから、
それはね、
水仕事になるとバイトもすごいやってた。
やっぱり劇団の時やるし、
スナックとかでバイトもしてて、
それもすごい楽しかったんだけど、
やっぱりそれを仕事にするのは、
ちょっとよろしくないかなと思って。
だからD2なんですよ、実は。
ダンスとドリンクなの、これ。
それはそうなんですか。
実はそれって恥ずかしいから、
ダンスとドラマって言ってたんです、初めは。
でも、もともとはダンスとドリンクなんですよ。
そうなんです。
これ結構皆さん知りたい。
知りたくない、いいですよ。
聞きたいことでもある。
聞かれたりしますよね。
全然しない。
D2って言ったらD2だと思ってるから。
実はね、すごい昔につけた名前だし、
すっごい飲んでる頃だったから。
一番したいこと2つ。
それで決めたのは、
D2って名前を持った後ですけど、
やっぱり踊ることと
飲むことが一番楽しいなと思って、
飲むことは、
仕事にするのはやめとこうと思って、
だったら踊ることが仕事にできたらいいなと思って、
ここから先は適当。
とりあえずドリンク行っておこう。
行きたいと思ったらダンスせよ。
って言って、
そうなんですよ。
踊ってて、
でもやっぱりなかなかね、
仕事はもちろんコチョコチョやってたけど、
その大きい仕事にはなかなか通らなくて、
結構受けたんだけどね、
私はね、やっぱりダメだ。
そんな踊りは上手くないし、
とんでもない人いるからね、ほんとにね。
やっぱり、
10回転くらい回る人いるからさ、
あとはやっぱりこんなでこんなで足が、
それがもっと全然出るとかさ、
そういうの、
やっぱり、
ダンス見てくれだから、
私なんでもないんですよ、ほんとに。
なんでもないんですよ。
実際ダンススタジオに行っても本当に鏡に映るじゃない?
私ちっちゃいし、
顔が大きいし、足が短いし、
全然体格違うじゃない?
こういう人なんかね、
欲しかったらまたその、
アジア人だって腐ることもあるし、
もうなんか、
うーんと思うわ、思ってね。
それでもそれもあったし、
あと、
帰ってきた理由はね、
祖母が亡くなったんですよ、
結局4年いたんですけど、
何年目くらいかな?
12:01
2年か3年かはわからないけど、
祖母が亡くなって、
家にいた母が帰ってきたのかな?
深夜に亡くなったもんだから、
私が初めに捕まったの。
小さくなったの。
深夜だから妹のとき、
妹のときまだ子供ばっかりだから寝てるし、
父が出張中で、
ヒロ君が初めに捕まって、
母が向こうで泣いててさ、
これは良くないと思って、
それで、
高いチケット買ってさ、
帰ったのよ。
その時にすっきり思ったのが飛行機の中で、
おばあちゃんで良かったなと思って、
これ私お母さんだったらちょっと、
本当にもう悔やんでも悔やみきれないと思って、
泣きそうになっちゃうけど、
最後にヒロちゃんが
泣いたかったなって言われたらね、
これはもうダメだわと思って、
やっぱり一回帰ったほうがいいなと思って、
それで帰ってきたんですよね。
いろいろ考えるところもあって、
でも帰ってきて、
今に至る。
話急に早いです。
そうなんですね。
でもまだ生きてるからね。
まだ生きてるから。
なんだかよく分かんないけど。
そうですね。
でも良かったと思いますよ。
ニューヨーク行ったってのは本当に
悲しい選択でしたね。
いろんな目において、
ダンスもそうだし、
こんなしょっちゅう行ってるし、
ダンスの故郷だし、
そこは目つぶっても歩けるし、
行けば友達いるし、
今は行けないけど、
視野も広がったしね。
何でもやったほうがいいよ、考えたら。
絶対出したほうがいいと思う。
ドイツもこいつも。
正確に言われるけどね。
向く人と向かない人いるけど、
でも今更日本に行っても何もご覧ないと思う。
JTBでバイトしてたんです。
あ、そうなんですね。
そこでお金稼いだんです。
今はすごい厳しいから。
私、学生譲り持ってて、
なんだかしらのマイクロフォンの
ソーシャルセキュリティナンバーっていうのがあるんですけど、
ソーシャルセキュリティナンバーの
社会保険ナンバーか、
っていうカードをどっさりと取っちゃって、
あの時まだ甘かったんですよね。
もう本当に観光者でも、
観光者?観光者って言う?
観光してる人でもラーメン屋で
バイトできるくらい緩かったの。
今はもう全然相撲の戦争感だけど、
だから、
それでJTBで、
そこで結構お金稼いだから、
楽しかった。
それで踊って。
すっげー楽しい日々でした。
男も作って。
すっごい楽しかったですね。
私、基本的に楽しいですよ、人生。
うん、そう感じます。
なんか、別に
ついてるとかもあるかもしれないけど、
でもね、
たぶんこれ、私の一番いいところだと思う。
たぶん本当に楽天的なんだと思う。
本当に。
ああ、そうか。
アワッチョが引っ越しする時に言ったの、私に。
私に、カフさん本当に引っ越し
ちゃんとできるんですか?って聞いたら
覚えてないかもしれないけど、
15:01
そうか、そこでやっぱり心配される
人間なんだろうな、適当だから。
と思った。
私も言う代わりに引っ越したと思うもん、これ。
でもなんか楽天的なんですよ。
あんまりなんか、
この時はそれは落ち込むけど、
あんまり深刻にものを考えない。
もっと役に立つことを喋ったほうがいいんじゃないでしょうか。
うん、当然です。
ですわ。
最初にやっぱりカフさんの地に
っていうのは、最初その場所は何か以前聞いたことがあるような
気がするんですけど、
その文教部の場所がやったとか、そういうことで。
その前は、一番初めは
飯田橋にいて、
私は初めに帰ってきて、
教え始めていって、そしたら
応援が東洋アニメーションっていう
養成所の先生になったんですよ。
そこに生徒がわんさかいて、
それでスタジオ持ちませんか?
みたいになったので、
持とうと思って、
東洋アニメーションって茶店にあったから、
近所がいいじゃない?
そしたら飯田橋にあったから、そこ借りて、
そこがちっちゃくて、
借りたくなかったかな?
神楽坂が映って、
あの頃がよく飲んだね、
今飲んでるかもね。
クラス自体は修理1回しかやってなかったんですけど、
教えてたから飲んで、
それで、
それで、
それで、
神楽坂、
それでスタジオを持とうと思ったんだ。
近所がいいと思ったの。
本当は8000円がよかったんだけど、
とてもじゃないけど、
中国とかさ、
高くてね、チャリーズなんて全然、
一応聞いて回ったけど、
もうゼロ出る金額じゃないので、
それで、
文教区の人たち、
文教区の場所も知らなかったし、
話すじゃない?いろんな人と。
みんなさ、
文教区に異常な誇りを持ってるんだよね。
なんだかんだ思って、
文教区はって言うのね。
なんだこいつらと思ってたの?
今なんか私率先して、
私文教区だった。
文教区はね、みたいに。
特に今でもすごいよね。
今ね。
本当になんかもう、
みんな鼻高々ですよね。
来てる来てる文教区もね。
私はよかったと思う。
もう同一年のスタジオ、
17年も。
18年目に入ります。
もうこれ、
アホとバカだけどさ、
これだけは誰に言っても褒められる。
よく続けてるねって。
もう本当、来週です。
来週5月1日。
18年目に入ります。
すごいね。
これは偉いよね。
私は本当に偉いと思う。
できながらできたのは、
文教区っていう土地が異常にあったから。
父が言ってた、
お前の土地の引きは、
17年も経つとやっぱり、
生徒さんの感じも変わる。
もう全然変わりますね。
最初の頃に比べたら。
全然自分の考えも変わるし、
もうやっぱりこういうことだなと思う。
18:00
まあね、こんな子供にまみれて、
やってるなんていうのもあれだし。
でも楽しいしね。
やっぱ成長するからね。
そこの面白さってあると思うんですよね。
男の娘だと本当に。
すごい成長してね。
面白いですよね。
そういう面白さがあると思うんです。
やっぱり純粋で、
幼稚園でやってる子供もね、
何か20代の子とかも、
あれはあれで面白かったけど、
やっぱ本当、そこですかね。
そこがやっぱり、
面白いですよね。
そうか。
その成長、子供も成長もそうですし、
まあ卒業、卒業というか、
旅立ってきた方もまた
遊びに来たりするんですね。
そうですね。
長年やってるからこそ。
そうそうそうそう。
でもね、それってね、
多分親だと思う、私。
親がね、親がね、
やっぱりキープインタッチするんですよ、私に。
オタクもしてください。
やっぱりね、子供だとどうしても一時離れるから、
高校大学でやっぱり
部活の方に行っちゃって、
大学行ったらバイトも楽しいし、
離れちゃった時に親がね、そこの親すごくて、
やっぱりなんか成人式の写真とか送ってるの。
私に。
言い方があればちょっとずるしいっちゃずるしいんだけど、
その子が言ったのも、
うちの親はもう神力を化けたから。
確かに。
だからそれによってやっぱり繋がって、
たまに来るのを驚いて。
私あれ本当に、
なんか親の力って大きい。
親の力って本当に大きいと思いますよ。
父族もこれだけ見てると。
聞きたいなと思ってたこと一つあって、
ダンスを
作り続けてるじゃないですか、
その話は聞きたくて、
振りを作る、
曲をいっぱい
多分聴いてらっしゃるじゃないですか、
それからインスパイアされて、
こういう振りにしてこうみたいなのを
どうやってるのかっていうのって
結構知りたいんですよ。
その思考回路というか、
たぶん体がそういう体になってるのかな
と思うんですけど。
何千年もこういう仕事をしてくれてた。
あと演劇やってたのはものすごい違ったんですね。
そうか。
やっぱり構成しない。
キッズミーなんかは何にも構成せないんですよ。
あれは振ってるだけだから。
そこもやっぱ違いがあるんですね。
それはだから演技力がないからです。
演技力がないっていうか、
あの子たちに何かさせても無理。
あの子たちは可愛いし、
でも一生懸命カートを踊るだけで、
それを向こうに手を出す。
今のキッズミーやるんだけど。
すっげえ奴いるんですけどね。
その楽しさを覚えちゃったら
ジャズダンスやめられなくなるから。
あれはガールズとかには無いから。
でも曲を聴いて
使いされるので、
時々ミュージカルとか振り付けに行って、
リズムだけとかね。
リズムだけって一番やりづらい。
毎月たくさんのダンスを
作り続けているということで、
たぶんもうそういう思考回路、
体、感じ、
21:01
全部違うじゃないですか。
だからニューヨークに
年に1回行ったんですよ。
あれも行ったらショーを見まくるし、
踊りも受けるし、
他のクラスもずっと見ているの。
踊りを日進月歩するから、
私の踊りなんかも古いから、
今はほとんどストリートなんですけどね。
そんなの売れたりして、
わけわけ発球して帰って、
わけわけやってるんだけど、
今それが3年行ってないから、
完全に引き出しが空なの。
良くないなと思う。
そうなんですよ。
アウトプットしかしてないから、
良くないなと思って。
そうなんですけどね。
でもそうですね。
やっぱり、
すげえこと起きてますよ。
向こうに行くと。
やっぱりダンスなんかも
びっくりしちゃうような
ダンスを踊っている。
それもだいぶ前行ったところだから、
3年生前だけど、
マドンナのコンサート行ったんですよ。
ダンサーなんてさ、
トップ中のトップじゃない?
ダンサーの。
昔はね、
踊りと歌とお芝居ができればね、
変な話。
一応ブログのダンサーは
全部できないとダメで、
ダンスもバレーとタップと
ジャズが絶対必須だったんですよ。
あの人たちも、ほら、
ストリートが広いからさ、
学校なんか行かないでやってるのばっかりだからさ、
ほとんど。
安かったしね、
習うことも。
でも今はそれに、
アクロバットとか、
あとヒップホップ系が
間違いなくやってくるから、
だからね、もうね、
何したか分かんないの見てて、
マドンナのダンサー。
こうやってシュッてたらむくいちゃって、
今なんで動いたの?っていう。
それを言ったら誰かがやったんだよ。
ああ、そうなんだ。
だからもう、肉体が全然違うんですよ。
もうできないことができるから、
クルッと背中の方にギュッと立ったりとかできるじゃない?
ヒップホップのこと言ってたじゃないですか。
そういうことやってバレーできるんですよ。
わあ、そうなるとちょっと。
もう勝てない、勝てない。
ほんとだから、
ほんと何?っていう感じですよ。
そういうのをやっぱり見て、
これは勝てないっていうか、
勝負できないよねって感じで、
私はもうジャズしかできないので、
それで勝負してますけど。
ダンス人口みたいなの増えてる感じはすると言いますか?
日本ですか?
そう、学校とかでもやってきたりとか。
東京ですか?
東京。
やっぱりダンスしてる人多いし、
ダンス見てる人と言いますか、
前に比べたら、
全然多いですよ。
そうですよね。
例えばここに来る方とかも、
知識っていうのかな?
何か底上げがされてるみたいな。
元々持ってくる知識を。
K-POPじゃないですか。
K-POPはあれはあれでね、
本当に誰でも踊れるので、
とても良いと思う。
K-POPを踊ってる人は。
24:01
向こうにいるお姉さんたちは、
本当に素人だなって思うけど、
踊ってるじゃん。
ジャズってそうでもないじゃない?
一番敷居高いのがバレエなんですよ。
あれはもう誰でも踊れるもんって、
自分でもないので。
だからそこからジャズが発生して、
ジャズはバレエよりも楽しかったから、
もっと簡単な、
もっと誰でもできるダンスが出てきたから、
そっちにみんなが流れたけど、
でもそれによって人口が本当に増えたから、
とても良いことだと思いますよ。
ありがたい。
民主党もダンスを義務にしてくれたからね。
だからそう、
K-POPだけどね。
あれ何でしたか知ってる?
ダンスと何だっけ?
格闘技とワンカーを、
必修にしたでしょ?
あれね、不登校児を照らすためなの。
あ、そうなんですね。
学校に来るのが楽しいと思って、
食ったらねえって思って、
その時、食ったらねえこと言ってんなと思ったけど、
でも結論として、
うちらには良かったので。
ほんとそれで、
HIPHOP検定とか行っちゃってさ、
やってたの。
先生に検定を受けてもらって、
どうじゃと。何よ、くだらないこと。
結局流れたんですけど。
そんなことあるわけないじゃん。
HIPHOPしたいから、
HIPHOPしたいと思うよ。
でもそれによって、
ダンスの人が増えたので、
良かったと思いますね。
そこから先生も忙しくなりますね。
忙しいというか、
他の先生が、
クラスに人が増えているのは、
本当にありがたいですが、
今日その文句を言ったばかりなんだけど、
とうとう私も、
科学の名前が一緒になってきた。
教えているところは分かるんだけど、
他の先生のところの生徒さんが、
今日カードを書くのが
私の仕事なんだけどね、毎月ね。
もうこの子って誰?
ってなってきた。
まあ良いことですけどね。
でもちょっと方法を考えなきゃだめだなと。
いやでも本当、
岡口さんは18年で、
人が増えてくると、
本当に事務仕事ばかりやっている。
それはそもそもそうですね。
乗っている時間より全然長いですよ。
本当ですか?
よろしくないよね。
しょうがないけどね。
しょうがない、ありがたい。
いい話だと思うけど、
人を雇うのにお金がないしね。
たぶん役割でみんなに言われるけど、
人に物が触れないから、ご存知のように。
何でもかんでも自分でやりたがるからさ。
もう何かあれは何だろうと思って、
とことこ、とことこ言って直しちゃうからね。
一人物頼むの下手。
それもう駄目だって。
経営者で一番駄目なタイプだって言われる。
駄目だよね。そうなのよ。
もう見てられないの。
もうやったの早いわと思って。
良くないね。良くないね。
そうですね。少しずつ。
そう、そう。みんな私の目標は、
年半分くらいは海外でやってる。
それが目標だから。
いいでしょ。それはちょっと冗談にしても。
何か2ヶ月、
3ヶ月くらいいないとかさ。
またひと月、ひと月、ひと月。
妹とそれは2人でずっとやってる。
27:01
あんたたちは最初どうしたんだよと。
話されてるけど、それがしたくてね。
1ヶ月くらい空けられるようになったらさ、
なればいいんだけど。
確かに。
だって負けてたらいいじゃない?
働き方改革ってなかなかね。
そうか。
聞いたらそれはした方がいいなと
僕は思っちゃいます。
できたら。
帰ってくるたびに感謝する人だからね。
新しいしね。
新鮮に帰ってくるから。
ひと月任せるっては相当。
でもね、今私が心を決めればね、
無理なことはないと思うんですよね。
ただ私が持ってる
週14クラスをどうするかっていう。
ダンスなんてね、
職業にしてもしょうがないから、
ワイトでね、教えるぐらいのね、
ぐらいの気持ちでいなきゃダメだけど、
そうなんだよ。
いいですね。
1ヶ月くらい先生が来てて、
帰ってきて、新しいものを発掘やって。
そう、そう。
教えなくてもいいからさ、
ものだけ作ってればいいとかね。
レッスンはやらなくていいから、
集めて作るとか。
いいですね。
これはもう夢だけど、夢は語ればね、
言葉があるからね。
言霊があるからね。
へー。
まあでも、
私以外の先生に任せてたくさんやってられたらいいんだけど、
これだって夢みたいなことしたの、はじめのね。
今はもう完全にそうなんですよ。
だって今度13曲、
私4曲しかやってないですよ。
9曲違う先生。
それすごい。
仕事楽々ね。
ああ、そうか。
事務仕事がはかどる感じになる。
もうそれはしょうがないんだけど、
本当そう。
いいことですよね。
いいことですね。
その場合だから、
私の息のかかってないことが多すぎちゃって、
イライラすることも増えるのは、
でもそれは仕方がないよね。
そうですね、経営する中ではしょうがないですね。
そう、そう。
そうなんですよ。
だから、これも言ってたらできるんじゃないかなと思って。
なるんじゃないですかね、そこは。
どっかで先生がガマンガマンなのか。
1ヶ月ね。
そうですね、ちゃんと信頼できる方というか、
そういう人。
でもくだらない仕事が本当にいいんだけど、
でもできるよね。
お金の、だからもう本当、
原資金引き落としのめんどくさいんだよね。
あれと、あとカード。
今言ったらくだらないこと言ってるね。
ダメなときはさすがにできるんだから。
詰まったらね、詰まったら問題が起きるときに対処しなきゃいけないから。
それはありますね、そこは確かに。
でも今別にLINEなんて繋がるしね。
どうにか。
昔と違ってね。
なんとかはなるというか、なるかなと。
始めた時はやっぱり心配でね、
大丈夫、大丈夫なると思うけど、
そう、今日言ったことでまた1つ、
人に言えば夢は叶うから。
それは夢ですね。
夢じゃない?みんながそれをいいなと思って、
くれたらいいな。
そう。
本当はね、そうなんだよね。
誰かが教えてくれればいい。
本当に。
大学生ぐらいになると難しいじゃないですか。
30:01
そうですね、教えてあげると。
親の方だとなんとも言えないもんね。
来て高校生が教えてたら。
ああ、そっか。
大学生ぐらいだったらある話なので。
先生のところにずっといたってことだから、
まだそこ先だよね、だからね。
でもすぐ経っちゃうんだよね、
時間があってね。
ちょっと本当。
ねえ。
何かそうなればいいなと。
キッズシーなんかはね、
そういう先生でもいいと思うんだけど、
逆に無理なの。若い子だったら
あれはまとめられない。
あんな動物みたいなのさ。
先生がビシッとやる感じ。
私はビシッとはしないけど、
私でなかった時のキッズシー、
あれからずっと多いんですよ、
15、6人、1人いるのね。
あれはやっぱりね、
私ぐらいに慣れてないとならないわ。
そっか、先生もだって最初は
もうちょっと上の子から教えていく中で。
Aから始まったんですか。
キッズクラスから始まって、
Bが来たから、じゃあAとBにしようかなと思って。
そうやって少しずつ増えてったんですかね。
その中で教え方を自分の中で。
そうです。初めはね、子供なんて
どう扱っていいか知らなかった。
全然ダメだったと思う。
向こう側に行って、
今が18年前ですよね。
あの時に一応キッズクラスを作ってみようと思って、
作ったんだけど、もう憂鬱で。
子供も全然聞かなくて、
私のこと。
それでもう怒ってばっかりいて、
全然もうダメで。
でも私泣くそうと思ったの。
今でも覚えてる。
火曜日だったのね。
火曜日1日だけあったんですよ、キッズクラスとか。
でも嫌で嫌で。
4人とか6人ぐらいだったのね。
その時、友達にね、男の子で仕事やったんだけど、
私もう嫌なんだよねって。
泣くそうなもんだって。
いや、かわいい。それは絶対やめとけばいいと。
どこから窓口が広がるかって。
あの人の一言でほんと感謝してるわ。
ああ、そうですね。
いや、それをやめない方がいいって言われて、
いや、ほんとかよ。とか言ってたんだけど、
その人だったらもう分かれちゃったんですけどね。
だけど、その一言はね、
結構それはね、
人にも言うし、自分でも思ってる。
ゲーッと思っても、
一応窓口としてね、
広げた方がいいのかな。
置いといたから。
実際そうだしね、やっぱりね。
人の少ないクラスでも、
やっぱり来るんだよね。人がね。
だから、
やっぱりダンスがいいのはさ、
教えてる人がみんなダンス好きでしょうがないからさ、
人が少なくてもさ、
先生さ、ほんと楽しそうにやってるよね。
みんなで。
ほんとそれがいいよね。
ほんとそう思う。
募集とかが結構来るんですよ。
やっぱり教えたいのよ。
やっぱりダンス始めてる人の、
一つの夢の一つとして、
教えてるのがあるのね。
だから、舞台やりたりと一緒に。
だからほんとみんな、
すごい来てくれるし、
すっごいなんか、人が少なくても
すごい一生懸命教えてるよね。
あれはみんなで楽しい。
すごくいいな、いい仕事だなと思う。
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うん、そうですよね。
嫌々やってる人は誰もいない。
そうですよね。
だから本当にあそこ、会話進出。
進出っていうかね、
あたしね、もう一個夢があって、
これもずっと言ってるんだけど、
大きくなったね、ある程度。
とか今のうちの大人にもいいんだけど、
入浴ツアーしたいって。
おー。
で、なおちゃんとか、たまごちゃんとかさ、
乗っててさ、だけど、
30万が貯められないね、奴らは。
そうなのよ。
だから積み立てようって言ってたんだけどね、
それもちょっと夢で終わっちゃったんだけど、
1日でも、1月1万だと12万じゃない?
かかりすぎるから、
1月3万くらい貯めてくれればね。
1月3万が貯められないのよ。
そこは。
なおちゃんとかそういうレベルになっちゃうと、
だから子供が、
親がお金持ってるうちに。
それはいいですね。
そう。
ダンススタジオを案内してあげられる。
子供は無理だよね。
そんなちっちゃい子は無理だから。
高校生くらいかな。
それは絶対そう。
そうなのよ。
そしたらニューヨークが近くなるし、
たくさんいるというか、
結局4,5人なんだけどね。
車に乗れるから、その数。
そっかそっか。
やっぱり子供だから、
高校生、大学生ってやっぱりつかなきゃいけないから、
お酒飲めないでしょ。
実は考えてないんだけど、
あんまり細かいことは。
それでニューヨークが見せてさ、
大事じゃん。親が行くのもいいけど、
いいじゃん。
私が行ったら全然安心できるし、もっと安心し。
本当は酒が飲めるタイプじゃないんだけどね。
バーとかいっぱい知ってるから。
もう3年間だから変わってただろうけどね。
でもそれは前から言ってて。
人数固めたら
住むところも安くなるので。
そうかそうか。
そういうね。
それでもクソ高いけど。
今そうですね。
それもずっと昔から言ってて。
これは結構昔から言ってて。
でもやりたいんです。
そうですね。面白いですね。
それできたらこのスタジオの味になるじゃないですか。
親が近いって言ってニューヨーク行けるよって。
ダンサーも僕行きたいからね。
僕の娘が小さい頃から通っている
お世話になっている
ダンススタジオ。スタジオD2。
そのD2の
名前の由来は知らなかったので
そうだったのかと
とても驚きました。
人に言えば夢は叶うと
おっしゃる河合先生には
これからの夢もお話いただきました。
ユイナーさんにお話いただけたので
その夢もきっと叶うはず。
それではまた次回
ユイナーさんのキクヒトラジオでお会いしましょう。
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