畠中亜弥子の幼少期と自然との関わり
芸大ラジオmymyです。
今回は前回に引き続きTENKARA GELATOの畠中さんをゲストにお招きしております。
畠中さん、今回もよろしくお願いします。
お願いします。
前回は畠中さんに京都芸術大学で過ごした学生時代について伺いました。
ここから畠中さんの幼少期のお話を聞くことができたんですけど、先生として印象に残ったエピソードとかありますか?
え、撮りちゃう?
そうですね。一番興味深い感じでしたね。
そうですね。なんか俺もやりたいなって。
なんか、とにかく人と、天川村にいたらわからないと思うけど、
都会に住んでると本当に自然と触れ合う接点が減り続けている感じがしているので、子供とかにとっても。
その鳥でもいいんで、ちょっとでも自然を感じる場所っていうのは自分の生活の中に作りたいって自分は思うんですよね。
だから鳥の食事台みたいなやつを畠中さんが家につけてるっていうので、やってみたいなと思ったけど、
やると鳩が狂っちゃうかということで、うわ、それはちょっとなという、てんてんてんっていう感じの話でしたね。
地域の生産と消費の意識
はい。そんな畠中さんの今後の展望について今回はお聞きしたいと思います。
そうやね。だから、天と金沢行ったり、天川村も、マレーシア行って金沢行って天川村に戻ってきて、
今後どうしていこうって思ってるのか、これは気になるところですね。
気になりますね。
早速なんですけど、展望についてお聞きしたくて。
はい。
畠中さんの今後の考えてる目標とかゴールとかはあるんですか?
金沢から天川村に移り住むようになったきっかけにもなるんですけど、
やっぱり毎日自分が大量の魚を買ってきて卸してお客さんに提供するとか、野菜を買ってきていいものを選んで提供するっていう流れの中で、
毎日食べる人がいっぱい消費していく、自分もすごい消費活動に関わってるっていうので、
でも自分の周りに生産する側の人間があまりにも少ない気がするなっていうことを思って、
みんなこんなに毎日いっぱい食べてるのに、ビルが街に立ってて、あこにマンションとかいっぱい人が住んでて、
その中の人が一人も野菜を育ててないとか、漁師さんがいないとか、でもみんな3食食べてるとか、すごい不自然な気がしてきて、
自分が飲食でずっと関わって生きていくなら、やっぱり一つでも生産できるようなことをしたいなっていうのは思って、
できるだけ山というか、地方に住もうっていうのは思って実家に帰ったっていうのもあるんですけど、
いいね、わかるぞ、めちゃくちゃわかる。
やっぱり村で生活してると、この小さいコミュニティの中だと、そういう世界ができそうというか、
生産しながら消費もできるとか、お客さんに自分が作ったものを出せるとか、
目に見える中でできそうだなっていうのは思ってて、
今自分は現場に立って料理する側じゃないですけど、畑をちょっと大きくして農業もしっかりやっていけたらなって思ってるのと、
畑今やってるんや。
ちっちゃく今は自分の食べる分だけですけど、今第2子妊娠中でちょっと動きづらいんですけど、
生まれてちょっとしたら畑を拡大して、飲食の農業部門みたいな形で、
食べるものを作ったりとか、あとはそういう何かがあった時に、自分たちの力だけでは生きていけないこの社会というか、燃料とかもそうですけど、
そうじゃなくて、なんか頑張れば身の回りのもので生活できるような形を目指して、
村の中だったらそれができるかなとか思って、
自分の子供とかが大きくなった時に安心して暮らせるような何があっても、そういう風な環境を村の中に作りたいなっていうのは思ってます。
持続可能な生活様式の重要性
で、なんかその一環として、今その旦那がオープンしたレストランとジェラートの方で、吉野天川村って植林の山が多くて、自然林がすごく少ないんですよ。
それもやっぱりこの200年ぐらいの間の植林文化の中でできたもので、ちょっとでも自然林が増えたらいいなっていうこともあって、
レストランの森、ジェラートの森みたいなのを作って植林活動とか、そういうことをしていきたいと思ってます。
やっぱり海の環境って、毎日市場に行って魚とか飼っていると、どんどん変わっていくことがこの2、3年でもすごく分かって、
なるほどね。獲れてたものが獲れなくなったりってことだよね。
で、上がるはずのなかったちょっと南の方の魚がすごく上がったり、時期がずれたり、数があっという間に減るものも多くて、
いろんな要因はあるけど、やっぱり辿っていくと、一番上の山から川を伝っていく栄養分であったり、
自分たちが生活している生活要素とか、いろんな関係して海の生き物になっていると思ったら、
山のてっぺんに住む私たちが、綺麗な水を綺麗な水のまま次にバトンタッチするとか、
いい循環の生まれるような生活をすることが、自分たちの飲食に関わってくることなのだなとは思ってて、そういうようなことをしていきたいなと思ってます。
針江地区って知ってますか?滋賀の。 知らないです。
そこが湧き水の町って言われてて、各家から、いろんなところから水が湧いてて、
山からの水もずっと町中に張り巡らされてて、自分家の台所が外にもあるんですよね。
で、自分家の池っていうか、ちっちゃい池みたいのが、カバタって言うんですけど、そこに山からの水が入って、またその家から出ていく。
で、そこに魚とかおるんですよ。自分家の池に。で、カレーとか鍋あるじゃないですか、作った後の鍋をそこのカバタに入れといたら、魚が全部食べて、綺麗にしていく。
で、その自分家よりも下にももちろん家がたくさんあるんで、絶対その洗剤とか使わないとか、ルールがあって、
みんなでその湧いてくる水と流れてくる水を上手にシェアしているっていう、すごい、今畑中さんが話してくれたことの小さい単位でやってる町が滋賀県にあるので、よかったら。
はい、見てみたいです。見てみて、見学ツアーもあって、その人んちのカバタをいろいろこう見て回れるみたいなのもやってたと思います。
僕授業で学生連れて何回か行ったりしてたんですけど、いいなと思いますよ。
やっぱりなんかこう、自分たち住んでるとこう麻痺するんですけど、ずっと大きな川が、ずっと水が流れてるんで、永遠に綺麗なままでずっとあるもんだと思ってるけど、
それはみんなでこの下流の人たちにもシェアする水だと思うと、やっぱできるだけ綺麗にバトンタッチしていくとか、なんかすごい最近は考えるようになりましたね。
そうやね、だから下の人たちも綺麗なのが来たら、そういう気持ちになっていくんやろうね。
そうですよね。天下油が、まあその下流にダムが何個もできたりとか、なんかそういうこともあるけど、やっぱり川の環境も変わってきてるし、
それが何が原因かもわかんないし、気候変動なのかもしれないけど、自分たちでできる範囲で、自分たちでいいこととかはやっていきたいなと思ってます。
やっぱあと木がすごいいっぱいあるんですよね。
そうですね。木といってももう杉ばっかりがあります。
植林された杉がいっぱいあるって言ってましたけど、でも言っても産業革命で石油がむっちゃくちゃ使われるようになる前は、多分燃料って木やったと思うんですよね。
日本なんか特に山の国なんで、木がみんなの生活のすごく大事なエネルギーやったのかなと。これからやっぱり石油なくなるじゃないですか。
そうですよね。
そしたらどうしてもいろんなことは縮小せざるを得なくなると思うんですけど、その時に木ってもう一回絶対見直される時が来ると思うので、今のうちに木についてもいろいろやられてるっていうことでしたけど、それもいいじゃないなっていうふうに思ったし、
なんか一つの生活の見本みたいなものが天川村から発信されていくと、いざかざんととにかく出さないみたいなのを言ってるだけの人たちいっぱいいると思うけど、本当にそれをマジでやってる村とかね、見てみたいなと思いました。
天川村は90%ぐらいが山林なんで、もうそれが植林、植林も必要だとは思うんで、植林するところはして、手入れができないところは自然林に戻していくようなことができたらいいなと思って。
大きなプロジェクトとかも入って、そういう活動はいろいろやってあるんですけど、その中でも自分たちの森みたいなのができたら、来てもらう人にも自分が食べたご飯とか、自分がジェラート食べたことで一本木が割るとか、そういうことが目に見えて感じてもらえたらよりいいかなと思ってます。
川の水も大事やし、お風呂とかは水道が通ってるんですか、室で?
いや、水道が私が小学校ぐらいの時に上下水道が整備されたんですけど、それと別に山の水、直接引いた水みたいなのが家にあって、選べます。
台風の時に水によってる時は浄水の方を使ってとか、浄水も川から引いてるんですけど、ろ過されてるっていうような感じですね。
いやでもさすがにめちゃくちゃリッチやね。
めっちゃリッチです。すごく今ありがたいです。
素晴らしいですよ、そんなの。お風呂全然違いますよ。髪の毛の仕上がりとか。
本当に柔らかい感じで、あとやっぱ肌も刺激が少ない気がしてます。
変な薬とか入ってるのもいいやん。
あとは街みたいに下水処理場に一気に行くんではなくて、家と家が離れてたりとかするので、一軒一軒に合併浄化槽がついてて、
合併浄化槽?
しっかりとした浄化をする、なんか槽みたいなのがついてて、それで綺麗な水にはなって、ある程度なってっていう風に村自体はやってくれてはいるんですけど、
それでもやっぱりできるだけ洗剤とかも自然なものでとか、使わないようにとか、やったりしてます。
小さな一歩ですけど。
そういう意識はその天川村の人たちみんな持ってるわけじゃないんでしょう、でも。
全員が全員じゃないですね。
あとはやっぱ移住してきた人の方がそういう意識を持ってたりとか、あとは世代とかも関係してるかなっていうのはあります。
私たちの世代が一番危機感を持ってるような変化を見てきてるので、それはあるかなと思います。
たぶんおじいちゃんとかおばあちゃんも変化は見てきてる。
一番変化は見てきてるはずなんですけど、もうすぐ死んじゃうしなってことなんじゃないかな。
慣れとか生活スタイルを変えるってことのストレスとか、自分がいいと思ってやってることってなかなか変わらないというか価値観とかも。
やっぱ綺麗に撮れた方がいいやみたいな。
でもそういう人たちから学ぶこともすごいある。
めちゃくちゃあります。
いろんなこと知ってるから本当に。山とか海で育った人っていうか。
そうですね。でもそのやっぱギリギリのラインというか、いろんなこと知ってる人が今もう亡くなられていくときなんで、
今自分たちがそれを受け取っておかないと、それを伝える人がいなくなっちゃうので、
村にいるといろんな人といろんな世代と密に関わるから、バトンをできるだけ受け取っておきたいという気持ちも強くなってきました。
その人たち自身はそこにそんなことに価値があると思ってないから、余計ややこしくて。
これ絶対誰かに渡しとかなきゃいけないって本人が思ってるんだったら、あるいは村がわかってたら、
そんなのは絶対継承されるんだけど、本人も村もそんなことどうでもいいやんって思ってることなんで。
でも俺たち、例えばデザイナーとかが入っていったら、何これ面白いってなるようなことがむちゃくちゃたくさんあるんで。
それをね、なんとか引き出して。引き出すのも大変で。
でも自分一人でそんなもんね、全部受け止めきれないから、いろんなそういうことに興味がある人を巻き込んでやっていかないとね。
そうですね。あとはやっぱその、ちょっとそれるかもしれないですけど。
言葉とかもすごい、さっき言ったように陸のことみたいになってるんで、
全然違うんですよ。関西弁でもないし、すごい方言があって。
でも今役場の人も村役場の人も、学校の先生とかも村の人じゃなくなってきてて、
働く人がいないんで、外の地域から働きに来てくれてる人が多くて、
そうなってくると、学校で教える先生が村の方言じゃなかったら、子どもたちは村の方言じゃなくなるし、
急速に消えていく文化とか、言葉が消えていくとかもやっぱすごく寂しい。
なんかそういう、なんか一個一個が村にいると消えていくものが多すぎて、
全部残していったらいいわけじゃないけど、何かしら自分がいることで残っていったりとか、
あとは良くなっていったりとか、そうです。
自分で変えれる部分もあるって思えたので、
頑張っていきたいです。
いや、頑張れよ。
大丈夫、はたなかならできるよ。
ありがとうございます。
なんせね、はたなかを作ったんだから、
お寿司と和食って、この順番が俺ね、どっちだったっけって言ってたんだけど、和食とお寿司。
お寿司と和食です。
お寿司と和食、はたなかのチームを作ったんだから、自信を持ってやってほしいんですけど、
なんか具体的に地域おこし?地域を作っていくっていうような取り組みもしてるんですか?
一応、村の中の経営者の人たちと一緒にイベントをしたりとか、
ミーティングしたりとか。
ミーティングという名の飲み会?
そんな感じ。
よくあるよね。
あとは奈良県の観光所の仕事で、
奈良県の南部にどう人を呼ぶかとか、
地域の未来を考える
そういうことに参加させてもらったりとかしながら、
村の今後というか、自分の住むところの、
今後20年、30年、100年後みたいなところをよくする活動みたいなのに、
今なんか経営、自分のところの飲食店の経営から、
地域づくりみたいなところをやってます。
京都とかだとね、いろんな飲食店が、
しかも100年越えの飲食店が山ほどあって、
そこの例えば、
若い、次の世代を担う天主たちみたいなのが集まって、
会を作ったりとか、
結構盛んにみんなやってて、
それもだいたいミーティングというような飲み会をやってるんですけど、
でもなんかやっぱりそれがちゃんと毎回開催されているということが、
大事なんかなと見て思ったりもしてて、
そういうところにもヒントはありそうだなと思っています。
食の力と創造性
そうですね。京都はずっと続いてますからね、しょうがないですけども。
そういうところにもヒントはありそうだな。
そうですね。京都はずっと続いてますからね、商売を。
本当に面白いですよ。
食の仕事についてなんですけど、他にも食を提供するお店とかを作りたいみたいなのもあるんですか?
それはもうめちゃくちゃありますね。
やっぱりこんなこと言うとあれなんですけど、自分が作品展とか例えば木版画の展示をする時とかに、
木版画の展示だけしててもそんな人来なかったんですよ。
でも自分の描いたキャラクターをクッキーにして一緒に出してたら結構人来てくれたりとか、
これはちょっとした例ですけど、食の力ってすごいなと思ってて、
美味しいものを食べるために人って結構努力するなっていうのは思ってて、
美味しいものを食べるっていうのがツールとして使われてもいいなと思って、
来るための口実とか、来てみて食べてこの地域が分かるものだったりとか、
食べるものってすごいいろんな意味が、季節感を感じるとかもそうですけど、土地を知るとかも含めて、
やっぱ食っていいなと思って、ずっと今後も食をメインに中心にいろんなことを考えていきたいなと思ってます。
どんなお店を作りたいとかありますか?
今、ピザ屋作りたいです。
ピザ。
簡単やしね。
簡単かは全然わかんないですけど、ピザ、薪も使うし、天かおむらでできそうだなっていう感じが。
トマトを?
トマトを作ったり。
あ、あと。
私、今飲めないですけど、お酒がすごい好きで、ワインもすごい好きなんですよ。
ワインとかがずっと関わってると、ぶどうの産地というか、きれいな産が出るものっていうのがどんどん北上してってるんですよね。
生産するところというか。
それだけ地球の温暖化が進んでて、あったかいと甘みが出づらいというか、きれいな産が出づらいっていうのがあって、
今まで天かおむらって標高が高すぎて実乗らないとか、野菜とかもできても小さかったり、甘みとか強いけど小さいとか、農業に適してないとか言われて、何の特産品もなかったんですけど、
今どんどん北上してってることを考えると、ぶどうとかも育てても、すごい果物とか、きれいな産が出づらくなってきたって言われてる中で、きれいな産を出したらいいような果物とかやってみたいなとかも思いますね。
発酵食品とかね、ぶどうもそうですけど、ワインにいいんじゃない?寒い冬を越えるからこそできてくる。キムチとかいいんじゃないの?
良さそう。
日本のスーパーに売ってるキムチってさ、発酵もどきで、全然発酵の網の茶を足しとるだけなんですよ。全然美味しくなくて、本物のキムチってやっぱりむちゃくちゃ美味しいから、色々ありそう。俺は何の店やりたいかな?聞かれてもないけど。
クレープかな。
今日ちなみに朝食もクレープ食べに来ました。
どこでどこで?
ぬふクレープリーってところで。
あるんですね。
美味しい。
クレープ一つとっても、俺クレープもピザも貧乏人が考えた料理だと思ってるんですよ。
お好み焼きとかも。
それはやっぱり、その時にそこにあって余ってるものをじゃじゃっとやって作ったもんやと思うんですけどね。
それがめちゃくちゃ美味いっていうのが面白いなと思ってて。
今の料理作る人たちは色んなことをこだわってね、自分だけのお皿みたいなものを頑張って作る。それはそれで面白いけど。
なんか庶民の労働者の人たちが考えたみたいな食べ物の美味しさっていうのは、自分は考えさせることがあって面白いなと思うので。
じゃあ、はたなかさんピザやったら俺はクレープやかな。
いいですね。
勝負しましょうか。
勝負しましょうね。
何の勝負かね。
ご家族としての夢とかってあるんですか?
家族と共に成長する
今やっぱり、こんだけ色んなことやりたいとか、色んなことしてますけど、やっぱり今はすごい悩んでる時期でもあって、家族としては。
やっぱ旦那もずっと料理をしてきてて、これからやりたい世界も、見たい世界もあって、やりたいこといっぱいある。私もいっぱいある。でも子育てもある。
自分たちが仕事を頑張ることで子供に負担をかけさせたくもないし、子供との時間とか、家族の時間みたいなのも大事にしたいし、この期間はどういう期間にするかとか、
それはもう旦那としっかり密に話し合いながら、2年間は私はもう、今旦那のレストランがあって、それを頑張ってもらいたいから、子育ての方は私に比重を置いてやろうとか、家族内計画みたいなのも結構あります。
やっぱ話し合いとはめちゃくちゃ大事だなと思ってます。やっぱ自分が頑張ることで、人が頑張れないとか、幸せじゃないとか、そういう状態が一番良くないので、今はだから、従業員の幸せと家族の幸せと地域の幸せと、いろんなことを考えて一番悩んでます。
耳が痛いわ。
なんでですか?
いや、だって、俺別に全然そういうの話し合ってないから。
あら、あら。
いや、でも別にさ、いろんな家族があっていいからさ、チームじゃなきゃいけないとかないとは思うんですけど、とはいえ耳が痛いという話ですね。良かった。
はい、ありがとうございます。まだまだお聞きしたいことがたくさんあるんですけど、今回でエンディング、最後のエンディングです。
はたなか回のエンディング。
はい、4回にわたってゲストに渡中綾子さんを招きして、たくさんの貴重なお話を伺うことができました。
はい。
はい、今回の回だけを聞いてくださった方も、過去の回もね、聞いて欲しいなって思います。
はたなかさん、本日は本当にどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
というわけでね、このラジオは京都芸術大学が開学50周年を迎えるのが、2027で、それに向かってですね、始まったラジオで、
僕はなんか回を重ねるたびに、これみんな卒業生今来てもらってて、本当にいろんなところでいろんな人がいろんな考えを持って動いているわけですよね。
結構必死に動いている。これがなんかここのラジオにまとまってきてる、まとまってね、今度からどんどん聞けるようになってくるっていうこの仕事、素晴らしいな。
素晴らしい企画だなと思っています。
すごい勉強になることが多い。
そうだよね、奈良ちゃんは生で会えるということ。
そうです。
毎回サインももらえるし、どっかにもここの部屋にサインして帰ってほしいね。
はい、本当です。
っていうぐらいなんか気に入っておりまして、今回もすごく楽しかった。
楽しかったですね。
優しい人でよかった。
経営者とかね、自分のブランドも持ってるとかっていうと気難しかったらどうしようと思ったけど、ほわっとした働かさんでありがとうございました。
ありがとうございました。こちらこそありがとうございました。