今回は、ハッコウセラピスト・荒木尚子さんにお話を伺いました。
まずはその「ハッコウセラピスト」というものはどういうものなのか、ということについてから、伺っていきます。
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サマリー
ハッコウセラピストの荒木尚子さんが、ハッコウの概念を通じて人生の豊かさを語ります。彼女は、自分を大切にしながら他者との交流を大切にする生き方を提案し、発酵のプロセスから得られる教訓を通じて人々に自己理解を促します。このエピソードでは、荒木さんが自分自身を大切にしながら生きることの重要性や家庭とのバランスについて話します。家庭内でのコミュニケーションや自然との調和を重視し、過去の文化との対比についても考察します。荒木尚子さんは、自分を大切にしながら生きる人を増やすことを目指し、セラピストとしての活動を通じて人々の心と体を癒す努力をしています。
00:04
ゆいなわさんの聞く人ラジオ
皆さんこんにちは、ゆいなわさんの聞く人ラジオのお時間です。
ハッコウセラピストの定義
今回は、ハッコウセラピスト・荒木尚子さんにお話を伺いました。
まずは、そのハッコウセラピストとはどういうものなのか、ということについてから伺っていきます。
お仕事は何ですか?といったら、何をされていますか?
お仕事はセラピストです。
セラピスト?
はい。
いろいろあるような気がするんですけど。
そうなんですよね。
はい。
いろいろあるんですけど、そうして私が生き方も含めてセラピストなんだなっていうのをすごく深く納得していて、
だからハッコウセラピストで合ってるんだなっていうのが、今の心情ですね。
そうなんですね。
例えば、ハッコウセラピストのハッコウについて、聞いている方は何?って思うと思うんですけど、どういうことなんですか?
ハッコウ。
ハッコウセラピストは、もちろん最初に聞くとハッコウ色のハッコウと思う方が多いんですけど、
そのハッコウをベースにしていて、ハッコウをするのに必要なことが3つありまして、
ハッコウしやすい環境。
環境。
何かを混ぜ合わせたりぶつけたり、同じ環境に入れて、
ハッコウするそのきっかけ。
そして時間です。
ハッコウする時間。
その3つが整ってやっとハッコウするんですよ。
なので、それがベースではあって、そしてハッコウを1回すると止めない限り延々にハッコウするんです。
そうなんですね。
普通のハッコウでいけば、砂糖が尽きたらハッコウが終わるとか、有機物が止まれば終わるのがあるんですけど、
例えばミソとかでも一般的に売られているのは、
ハッコウをし続けたまま、
臭灰にかけると爆発したりというか膨らんじゃったりするので、
アルコールでハッコウを止めたりする。
止めたものが売られている。
うちにあったりするのは、ずっと熟成という言い方にあるかもしれません。
ハッコウしている、止めない限りしているということなんですけど、
だから私はやりたいのは人生のハッコウというか人のハッコウをしたくて、
それでハッコウというキーワードから5個ぐらい最初考えたんですけど、
ある人からハッコウだねって言われて、
ハッコウだけにやつあった方がいいだろうみたいな。
そこへひねり出して、あと何かないかと思ってひねり出して、
半分ぐらいは造語なんですよね、私が作った造語で。
ハッコウの発は発するというのは固定にしていて、後ろの文字が変わってくるんですけど、
最後に出てきたのが交流のコウだったんですよ。
それが本当に一番大事だというのが、その時そう思ったんですよ。
例えば塩と麹だけとか、塩だけあったらもう発酵しないんですよね。
何かとぶつかるきっかけとかがなければ何かになることはない。
常に広がることがないんですよ。
人間も自分だけで生きていれば楽かもしれないけど、
すごい価値観が掘り固まったりとか、他のこともこれでいいよとか、
じゃあこれやってみようってことがない。
だからその人の人生はそのままで終わっちゃうんですよね。
だからいろんな人というか価値観との交流すること、
そういうのが出会いとか、そういうことで人生が広がっていくっていうのを
伝えたいのはそういうことなんですよね。
そのために例えば発酵のほうが便利とか、コンパクトのほうだと
女性性を大事にするとか、何歳になってもオシャレ心を忘れないとか、
そういうのも人生にとって必要だと思うし、
生き方のスパイスっていうか、
それが発酵あって、セラピストの発酵なんですよね。
っていうことを作りました。
発酵を通じた交流
それを体現しながら何かの開催に伝えているっていうのが私の仕事ですかね。
いろんな手を変え品を変え伝えていく。
上から目線じゃなく自然になるほどみたいな。
それもいいねっていうので広まっていくっていうのをやっているような感じです。
それはセラピストということで、具体的にこういうことをするっていうと何をするんですか。
一番わかりやすいのは発酵食を作って振る舞って食べてもらったりする。
あと発酵食、発酵したお酒がある場を作って、
交流の口と口っていうので自分の言葉で話す。
誰かがこう言ってたらしいよとかじゃなくて、
自分が思ったことを誰も否定しない環境の中で自分はこう思ってますっていうのを話す。
そういう場を整えるっていうのがよく発酵ナイトっていうのでやってたり。
今はクラブ発酵もやってますけど、そういう場とか。
あと発酵のほうが香りっていうので、アロマオイル。
アロマオイルのトリートメント、ボディトリートメントをしています。
ボディトリートメントをするっていうのは。
それは施術。
ボディケア。
そういうこともする?
マッサージっていうのって医療工になっちゃうので、
私医療者ではないのでマッサージしてますっていうのは言えないんですけど、
平たく言うとマッサージ。
だけども私の場合は発酵トリートメントをしています。
それは職業としてお金をいただいてやってます。
結構そうするとセラピストとしてやることはいろいろ。
だから広く癒す。
何でもいいから広く癒すっていうことで、
自分の中ではセラピストっていうのはピンときてるんですよ。
職業として。
人生の教訓と社会貢献
それをやろうと思った何かきっかけというか、
ずっとそれをされてるのか?
いや、違いますね。
あるとき始めた?
きっかけは、
私は割と結婚が早くて、
最初の結婚は20歳で結婚したんですけど、
その後子供を産んだので、
割と早く人生を、
結婚、離婚、子育てみたいなこういうのを経験していて、
再婚し、今3回目の結婚したんですけど、
2回目の結婚のときに、
もともと青森の土田区の暮らしをしていて、
それはそれで好きだったんですけど、
仕事の関係で東京都中央区に住んだんです。
土田区から本当に急に真ん中に来て、
田舎は田舎で、
村八部的なこともあるし、
いろんな監視の目とか、
法律ではないけど、
人の目がすごい気になる、
風習があるし、
この人は隣の家の冷蔵庫の中まで知ってるんじゃないかぐらいに、
あそこの息子の嫁がこうでとか、
あそこのおじいちゃんは、
こことここの本家がどうなのかとか、
それなんかよくわからないしがらみが多いところだったんですけど、
東京の真ん中は真ん中で競争?
すごい色んな競争とか、ママとの取り合いとか、
そういうので苦しんでる人がいるんだなって、
土地の苦しみもわかりましたし、
そうなったときに私、再婚して経営者の方だったので、
やっと私が一緒に子どもたちといてあげられるようになったし、
あとは移住職もきちんと揃えて、
子どもを幸せにしてあげられたなと思ったんですよね。
だけど子どもが上の分は高校生のときぐらいに、
別に自殺したいとかそういうことは思わないけど、
でもなんかあって別に死んでもいいやって思ってるみたいな話をしたんですよ。
それはいい意味で幸せだったかということじゃなくて、
そんなに生きてることに執着ないみたいな感じだったんですよね。
それがすごいショックで、
全部それって夢と希望がいっぱいぐらいに思ってたのに、
この子はそう思わないんだなと思って、
なんでそうなんだろうと思ったときに、
自分自身が家と仕事の往復で何々しなければいけない。
早く帰ってご飯を作らなければいけない。
あれをしなければいけない、これをしなければいけない、
毎日疲れたみたいな。
私銀座とか恵比寿とか表参道とか、
いろんなところで働いた経験があるんですけど、
職場と家の往復しかしないから、
おすすめのお店とか全然わからないですよね。
そのぐらいどこの場所に行っても何も楽しんでいない。
すごい人ばっかり優先してたので、
子どものいるお母さんもそうなりがちだと思うんですけど、
子どもの予定とお旦那さんの予定を全部決まってから自分の予定を入れるので、
来週のお里居とかも即決できなかった。
ちょっと眠ってて。
っていう人生がこの子をそう言わせたんだなって思ったんですよね。
まず自分が人生を楽しまないとダメなんだなっていうふうに、
すごいその時思ったんですよ。
あともう一つ、
私も母子家庭の時もいろんな人に助けてもらったなっていうふうに思っていて、
いつかは何かの形で社会を変えたいなって思ってたんですけど、
福祉の世界ってどんなものなんだろうと見てみようと。
無資格でしたけど飛び込んだ先があって、
それが自立園児ホームっていう児童用の施設から社会に出る間の施設。
児童用施設がパンパンで、でも急に外に出されても、
家の借り方とか社会の仕組みとかわからないので、
その間も15歳以上の高校生以上の男を預かって施設があるんですけど、
私はちょうど女の子だけのところで両母さんみたいな感じですね。
作ったり表示したりしながら共に暮らして、
今日どうだったみたいな、両母さんみたいな感じで。
っていう感じだったんですけど、そこに行ったんですよ。
そこでも一般的に言えばあれか、私自身の考えとしては、
かわいそうな子たちだって言われてる子なのかなと思ったんですけど、
そもそもそれが普通で育ってきてるから、自分のことかわいそうだとは思ってないし、
だけど明らかに大人を信じてない。
大人を信じてないし、自分のことは別にどうなってもいい存在だと思ってるとか、
すごく不器用なやり方でこっちを向いてほしいとか、
っていうのに実際に場面に立ち会って、
そのことだけ切り取ってみると、かわいそうなんですけど、
手を差し伸べるべき存在なんだろうけれども、
でもそこからいくらでも変えられるんですよね、実は自分の人生は。
だけど自分の人生をいつでも変えられるって思えてないことが問題っていうか、
ということは親もそうだったんですよ。
親もそういうふうに育てられてきたから、
親に育てられた子供はそうなってるわけですよね。
っていうふうに思ったときに、
私は直接子供たちに携わるこの仕事もいいけども、
でも大人に対する立場を作りたいと思ったんです。
大人も疲れて、急に子供を産んで、
お母さんです、今日から。お母さんなんだから頑張りましょうとか、
家庭と育児の大切さ
お父さんなんだから家をちゃんと養わなければいけないとか、
急にそうなるんですよね。
それの役割をみんな必死にやってるけど、
誰も別に褒めてくれないじゃないですか。
だけどどんどん責任は押し付けられるんですよ。
仕事職場に行っても、頑張れば頑張った人が課長になるとか役職がついたりして、
そっちの気持ちもわかるけど、これもこうなんだよねって言ってると物事が決まらないから、
自分が引きを受けなきゃいけないじゃないですか。
そうするとだんだん孤独になっていって、
誰もわかってくれないけどやるしかないみたいな。
その状態で、家庭がもし穏やかでいれば、
奥さんと口とかを話し合って、こうなんだよねとか、
そうなんだ、大変だねっていう一言があるかないかで全然違うし、
奥様も仕事して家事してか、家事だけしてる人もいるかもしれないけど、
それでも日々穏やかに暮らすっていうのって結構大変、生きていく中で。
その中でお互いによくやってるねって言えるかどうかで子供の育ち方が全然違うし、
そうなるには、例えばすごい話が広がっちゃいますけど、
男の人だったら昔のスナックとか、
一回立ち寄って、こうだったんだよママって言ってガス抜きしてもらって、
から家に帰るっていうのももちろん必要だったんじゃないかなって思って。
だからそういうパパのスナックもやりたいなとか、
そういうのでやりたいことが広がっていくんですけどね。
だけど家庭がまず中心。
よく経営者の会とかに前に行ったことがあるんですけど、
未来の子供たちのために私の命を捧げますぐらいな感じの人とか結構いて、
だからその家庭がどうなってるのかなと思うと、
そのパパとかは走り者って家庭にいなかったりするんですよね。
そのバランスを取れずに、
未来の子供たちのためにって言ってることが私にはすごい違和感があって、
まず自分たち仲良くしなよみたいなことだし、
自分がすごい満たされて、
それで溢れた分で未来をとかやるのは正しい形なのかなと。
自然との関わり
そうするとあんまり詰め込みしないはずなんですけど、
やっぱりちょっと昔の文化っていうか、
何でしたっけ、24時間頑張れますよね。
まあそういう時代もそうですね。
その時期にもちろん頑張ったから今があるのはもちろんあると思うんですけど、
そろそろみんなもう疲れたでしょと思って、
生きていく、そんなすごい頑張りすぎた結果、
生きるってなんだろうとかね、すごいちっちゃい子まで言い始めるじゃないですか。
生きていくことに疑問を持つっていうのがすごい不思議ですよね。
そういういろんなことに疑問を持って、
疑問を持つけど、とにかく言うのは簡単。
だけどじゃあ自分はその状態でまず生きてみようみたいな感じ。
今すごい徐々にそうですね、
土ジェリーして野菜を作ってみたりとか、
もちろん発酵食とかもありですけどね、
とりあえず一瞬でおいしいものが一番安いから、
これを保存食にして、
旬じゃなくなったときに食べるっていうサイクルとか、
自然の暑くなったら夏野菜食べて汗を出すとか、
自然の失礼にのっとって今まで生きてきたはずなんですけど、
それがいつでもトマトもキュウリもあることになったり、
今この野菜いつできるものなのかわからないみたいな。
見た目はそうだけど全然栄養ないみたいなこともそうでしょうし、
食べても回復しない食事になっていくとか。
だからどんどんどんどん本来に戻る。
本来に戻す。
いらないものは取っていくっていうのが今やりたいことだし、
発酵セラピストとしての活動
自分でやり始めているし、人にも発信したいことですかね。
そうですね。
だからきっかけがそういう感じで、
そういう発酵セラピストっていうことで、
いろんな人と関わっていこうって思った。
最初は発酵セラピストってのがしっくりこなくて、
発酵セラピストって何なのって自分でも思っていたから、
言うのがすごいはばかられたんですけど、
最近はそれはしっくり。
発酵という言葉に込められた様々な意味。
自分が人生を楽しむということ、
そして本来に戻っていくことがやりたいこと。
直子さんはそんな発酵セラピストとして
人と関わっていこうということについてを語ってくださいます。
その発酵に思いに立ったというか、
いろいろな表現というか、
セラピストですといっていろいろやるというのはあると思うんですけど、
そこに発酵というものがプラスされたという感じ。
そのきっかけって何かなと思った。
そうですね。
そこだけに留まりたくなかったという感じですかね。
発酵職をやってます。
一つのことを専門的にやるというのがすごく苦手なんです。
今までも思い返してみても。
私一番長い経歴がオーダーメイドジュエリーのデザインと販売。
デザインはトータルで12年くらいやっていて、
デザインを描いてお客様に見てもらって立体の形をして、
それでグラム分をいただいて形に金属を出せるという流れの仕事が一番長くて。
40を過ぎて急に職に行ったんですよね。
出会いがあってオーガニックビーガンのカフェの調理の仕事をしたんです。
調理の仕事。
そこで自分の家族以外にご飯を作ってあげるということってあんまりないので、
お友達を呼んで作るとかはあってもそういうのなくて。
それをやり始めてからオーガニックのお野菜はすごい元気だなっていうのを騒ぎながら自分でも感じるし、
どうして欲しい?あなたはどうして欲しい?みたいな。ケールはあなたはどうして欲しい?みたいな。
そういう野菜と会話しながら作るっていうのもそうだし、
元気で私たちがおいしいねっていうオーナーと、これめっちゃよくないですかって言って提供したものを食べた人は元気になって、
すっと必ず調理したところに来てくれてすごい美味しかったって言って、一言言ってから帰ってくれるんですよね。
そういうのがすごい嬉しくて、
思い返してみれば家族ももちろんそういうことでいらしていたけど、
私は食でも人を癒していたんだなとか。
自分の中のテーマはこの癒し。
私は癒す人ということで合ってるんだなっていういろんな場面で、
ふと思い浮かんだ人にすぐ連絡して、たまに会おうよって言うと今ちょうど大変な時期だったとか、
そういうことも結構あって、
そういうのを別にお金もらわなくても連絡して、
これいつからやってるってことになってもずっとそういう感じでやっていたので、
今後40歳で結構千引きというか今後どうしようの転換の時期じゃないですか。
それでいろいろ将来を考えて、
子供から言われたこともあり、自分の人生を生きたいって思った時に、
何をやったらいいんだろうってその時すごい考えたんですけど、
でも私いつの場面でもいろんなことで人を癒してたんだなみたいなのがびっくりして、
それがお金に変わったら一番いいなと思って、
そうですね、やり始めたのがきっかけかな。
ハンドマッサージもしましたし、
それはハンドマッサージから始めたんですけど、
それでも香りで発光だなと思ったし、
発光色もやってるなと思って、
あとは何かの、あの時のお子さんに言ってもらったことでこうなりましたって言われることも多くて、
何かのきっかけになってたり、
人を輝かすの発光、光の発光っていうのもやって、
やっているんだな自然にみたいなこともそうですし、
私自身が人を優先して自分は後ろに隠れてるタイプだったんですよ、ずっと。
人に前に出たくなくて。
でもずっと昔を考えると小学校ぐらいまではすごいなんか、
いつも前に出てたんだけどなんだみたいな、何かで閉じたって思って、
それを変えたいっていうふうに自分でも思ったのもそうだし、
役割としてありのままの自分を生きて自分が輝けば、
それでもいいんだなって思う人が出てくるんじゃないかなと思って、
作られた偶像のインフルエンサーみたいな、本物の人もいると思うんですけど、
そういうことじゃなくて一般的な普通の人で人生楽しそうだなっていう人とか、
今までの常識あれはおかしいって言われてたけど別におかしくないよねみたいな、
そのきっかけに自分がなれればいいなって思って、
自分も発想したいって思ったのもそうですかね。
そういうのをいろいろ組み合わせていって、ここぐらいは。
そっかそっか、出たわけですよね。
ああ、そっか。
そうなんです。
なんかお聞きしてると元々ジュエリーのっていうのをおっしゃってて、
それも何か、例えばつけることでその人が輝くみたいなことっていうのもあるじゃないですか。
そうですね。その時が、その時もその前まではずっとジムばっかりだったね、ジムの仕事。
30歳過ぎたぐらいに初めて接客業やったのがこれで、
私ジムしかできないって思ってたのが、あ、それが転職だみたいな。
だからなんか物を売ってるんじゃなくて、オーダーメイドだったのが良かったの。
ああ、そっかそっか。
その人が何を求めてるかっていうのもそうです。
その人には何が合うのかっていうのをお話ししながら引き出してるっていう。
それがすごい行き過ぎで、あれですよねって言って、たまに大丈夫ですかって言われて。
ああ、そうなんですね。
え、大丈夫ですよっていうのと、あと急に料金の話になるとスンとする。
ああ、そうですね。
買いますって言って、買うんですか?みたいな。
こっちもびっくりするみたいなこととかもありましたし。
そうですね、オーダーメイドはブライダーのジュエリーが多かったので、
一生つけるじゃないですか。
それをそこで話してると、やっぱり金額的な制約とか、
親がこれだと派手すぎるって言うんじゃないかとか、
それで本当に好きなものを選べないお客様も、特に女性が多いんですよ。
でもそこで代弁するっていう。
でもこうですよね、一回こうだったら一生物だから、
ここで妥協しないほうがいいんじゃないですかねとか言えたりとか。
あと内側にも惚れたので、外側は一般的にしても、
内側で自分たちの思いを入れたらどうでしょうかとか。
そういうのも話せたのが良かったですね。
荒木尚子の活動
そういうところが一般的に大量に作られるとかじゃなくて、
その方と向き合ってその人のってことが、
やっぱりそれが今も繋がってる感じ。
もともと名穂さんがやりたいみたいなところは、
もしかしたらそういうところで、
もともとやられてるところが形がちょっとずつ変わっていって、
今なのかなみたいなお聞きしながらそう思ったんですけど。
そう思います。
なんか人と話してよく言われるのが、
名穂さんだから言うけどっていうのを言われるんですよね。
それってみんなそうだと思ってたんですよ。
みんななんていうか本音と立て前みたいな、
みんなそういうのかなと思ったら、
本当になんか私だから言ってんだっていうのが、
途中で自分を信じられるようになったって感じですかね。
それを受け入れなかった。
自分が受け入れなかったけど、
途中で本当に私だからなんだっていうこととか、
初めて会った人とかが、
あなただから言うけどとか。
それは10年の時からありましたかね。
リフォームでいっぱいいろんなものを持ってきて、
あなたから言うけどって、
旦那さんがもしかしたらたとえば浮気してるかもしれないとか、
お母さんのこのお品物を昔もらったんだけど、
これをどうしたらいいかしらとか、
覚えてないと思うんだけどさ、
じゃあ一番ここが見えるとこに掘り下ろいましょうとか。
そういうジュイリー以外の話とかがすごい盛り上がって、
3時間とか当たり前に話してました。
そうか。
話すのはあんまり苦じゃない。
よく話すわねって、よく聞いてるわねとか言われるんですけど、
別にその辺はあんまり苦じゃない。
学校を、たとえば僕も青森にいらっしゃって、
高校出てきて、お仕事もちょっと変えられたりとかで、
結構いろいろ変わってるみたいな、変化は人生の中に訪れている感じ。
そうですね。
そこに行くにはちょっとエイって行くみたいな感じっていうのはあるのかな?
流れで行くのか?
流れのままですね。
そうなんです。
だから今その40歳に行ってとか、
たとえば自分で事業をしたいってなった時に、
たとえばミッション、ビジョン、バリューで事業計画を作ってとか、
そういうのがすごく苦手です。
今まで本当に流れのままに生きてきたので、
何か目標を立てたこととかないんですよ。
この場その場でできることをやってたら何かを任されてとか、
そういう感じだったので、流れのままにですね。
そうか。
今も言ったらその結果、流れのままに。
セラピストというのは一つ自分の中では持って、
だんだん最初は初めてしっくりきてない感じみたいになってましたけど、
やってこっちにだんだん自分の中で形ができてきたというか、
見えてきたみたいな感じ。
そうですね。
これが発表セラピストとしてこういうふうにしていきたいんですか?
うーん、
それこそ一つの事業を立ててきちんと収入を得て、
私は何々をやっていますっていうふうな形を持って、
この2年ぐらいはそれを模索してたんですけど、
最近それを手放したっていうか、
もちろんアラマトリートメントっていうか、
体に触っていくっていうのは好きなし、
リアルで変わっていったり癒されたっていうのは見れるので、
そういうふうにずっとやっていきたいと思うんですけど、
今先週も赤ちゃん食堂っていう、
赤ちゃんぐらいの子供を持ったお母さんたちをケアする場所みたいなのをやり始めた方がいて、
そのお手伝い、調理の方でお手伝いをしていて、
もしかしたら調理の方以外でもハンドマスタージュとかでお手伝いできるとか、
そういうのもありますし、防災食も自分で今何かあったら、
ただネクを抱っこして助けが来るのを待つだけなのかなとかふと思ったことから、
防災だとしても私はおいしいものを食べたい。
おいしい防災食をあるもので作るには日々何をストックしとけばいいかっていうのをやり始めたら、
長野にいる方とつながってオンラインで話をして、それを発信していこうっていうこともやってるんですけど、
そういう思いついたことっていうか、それを一つずつやっていって、
お手伝いの形でもいいし、取材でやるのもいいんですけど、
いろいろ広げてあまり制限をつけないでやっていくのがいいのかなと。
自給自足の野菜を作れば、とりあえず食べていけるっていうのを、
旦那様も言ってくれるっていうのがあって、
いいですね、いろんな人の手伝い。
あとは、本来にもですっていうことと、
自分を大切にして生きると増やしていくっていうのが、
新名っていうか。
発行する人を増やしていく。
そういうことですね。
どんなやり方でも、自分の人生いいなと思って生きていく人を増やしていくっていう感じですかね。
やりたいのは。
なるほど、そのためにコセラピストとしてお手伝いする力を貸して、
その人それぞれでいろいろあるでしょうから、会う形でみたいな。
ということを今後やれるようになって、やっていくみたいな。
そうですね。
なるほど。
オーダーメイドジュエリーのデザインや調理のお仕事。
食でも人を癒しており、私は癒す人という思いがあるということ。
そんな直子さんの自分を大切にして生きる人を増やしていきたいという言葉が印象的でした。
癒しと支援の広がり
そしてお話は次回に続きます。
34:49
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